日本巫女史 第一篇:固有咒法時代


  • 一、巫女於原始神道之位置
    • 我國神之產生與巫女

       神之原始像實為惡魔。從病魔到死魔。諾尊之神業與咒術。咒物所示之古代食料。從惡魔到精神體之過程。就神聖觀念論我國稜威。由個人性之精靈發達為社會性之神。其間部族之守護神。古代社會為咒術集團單位。


    • 我國巫女之產生

       我國之咒術先行論與宗教先在說。宗教意識較咒術更早存在。巫女之始為菊理媛命。家族巫女與職業巫女。於成(オナリ)為家族巫女。古代女性幾乎皆過著巫女之生活。留存於琉球之於成神信仰。


    • 作為巫女教之原始神道

       原始神道與巫道教。山路愛山氏之卓見。且原始神道並非僅只是巫道教。展現於古神道之國民性。祖先崇拜與神之御杖代。


    • 原始神道與古代社會與巫女間之關係

       魏志倭人傳所載之卑彌呼。卑彌呼為倭媛或是神功皇后,或更早以前之女酋。倭人國之主權者與巫女之關係。祭政一致之表本。


    • 古人死後之生活觀與巫女之靈魂觀

       靈魂不滅為自古而來之信仰。靈肉二元觀。荒魂、和魂、幸魂、奇魂,對其之先覺研究與私見。巫女之生口與荒魂、死口與和魂,巫女之神口與幸、奇二魂。


  • 二、巫女咒術之目的與憑神
    • 巫女施行咒術之目的與種類

       巫女之咒術目的。第一、制禦或支配自然。第二、善用、惡用亦或征服神或精靈。第三、鎮或和靈魂。第四、洞察未來招福除災。為遂行此目的之諸種咒術。


    • 巫女所擁有之憑神

       憑神為咒術之原動力。民俗學所見我國眾神之發達。自氏神至國神。殘於壹岐之籔佐(ヤボサ)信仰。籔佐是為墓地。墓土為咒力泉源。尾先狐與犬神皆元為巫女之憑神。


  • 第三章、巫女の用ゐし呪文と呪言

     古代の巫女が、呪術を行ふに際して用ゐたる物に、呪言と呪文との區別の有つた事は、極めて朧げながらも、看取する事が出來る樣である。私は此の標準を、呪文は巫女が神に對して用ゐし物、呪言は人に對した物として區別したいと思ふ。勿論、此區別は、國語を有してゐても、國字を有してゐ無かつた古代の分類法としては、全く無意味であつて、呪文と云ひ、呪言と云ふも、共に言語を以て現はされてゐるのであるから、廣義に見れば、二つの間に區別を立てる事は困難なのである。併しながら、巫女の有してゐた言語感情──獨り巫女ばかりで無く、當時の社會が一般に有してゐた言語感情から云ふと、一種の歌謠體を借りて、三・四句又は五・六句の辭を續け聯ねて言ふ物は呪文であつて、後世の祝詞は此れより生まれたと考へたい。此れに反して、一語か二語で獨立してゐる物は呪言であつて、後世の「のろひ」又は「とごひ」等云ふ物は、是れに屬する物と考へられぬでも無い。
     以上は、呪文と呪言とを形式上から見た分類であるが、更に內容上から分類すると、概して呪文は善惡の兩方に用ゐらるるも、呪言は惡い方に多く用ゐらるる傾きを有してゐる。私は、不充分ながらも、斯うした態度で、巫女の用ゐた呪文と呪言との考覈を進めたいと思うてゐる。唯、實際問題として、困惑を感ずる事は、私の寡聞から、古代の徵證が男覡に多くして、巫女に尠いと云ふ點である。が、此れは我國の文獻なる物が、母權時代を迥かに過ぎた父權時代に製作された為に、巫女に薄くして覡男に厚いのは、何とも致し方の無い事と考へるのである。


  • 第四章、巫女の呪術に用ゐし材料

     巫女の呪術に種種なる方法が有つた樣に、其呪術に用ゐた材料にも、亦種種なる物が在つたのである。私は此處に是等の材料に就いて述べる考へであるが、其の以前に於いて一言すべき事がある。其れは、茲に巫女の用ゐた呪術の材料と云ふものの、文獻上からは必ずも巫女とは限られてゐずして、卻つて覡男と共通、若しくは覡男に限られた物が相當多く加はつてゐる事である。從つて、私の此記述には、巫女史の範疇を越えて、或は一般の巫術史に涉る樣な嫌ひが有るけれども、我國の文獻は屢記の如く、巫女が覡男に征服された後に記述した物である為に、巫女に關する物は至つて僅かしか傳へられてゐ無いのである。其れで止む無く、斯うした態度を執る樣に成つたのであるが、併し見方に依つては、覡男の用ゐた物は巫女も用ゐ、其の間殆ど共通してゐたとも想はれるので、敢て此方法に出た次第なのである。

    • 第一節 呪術の材料としての飲食物

       諾尊が黃泉國に冊尊を訪れて歸るさに、黃泉醜女に追はれた際、桃・筍・葡萄エビカツラの三つを以て擊退した事は既記を經たので再說せぬが、唯茲に考へて見無ければ成らぬ問題は、此の三つは物其れ自體は一種の呪力を有してゐたと云ふ事であつて、呪術に用ゐられたので呪力が發生したのとは違ふ點である。全體、呪術に用ゐられた材料は、概して言へば、咸な此種の物に屬するのであるが、稀には呪術に用ゐられた為に呪力が發生する物も有るので附記するとした。而して古代の呪術に用ゐられた飲食物は大略左の如き物である。

        一、米

         豐葦原瑞穗國と云はれた我國にも、古くは一粒の米も無かつた。天照神が熊大人をして稻種を覔められたと云ふ神話は
        〕、米が外來の物である事を良く說明してゐる。然るに米を獲て蒼生の生きて食ふべき物と成るや、其の稻は忽ち神格化されて、屋船豐受姬命(俗に宇賀能美多麻と云ふ。)と成り〕、精靈を拂ふ呪力有る物として信仰される樣に成つた。『日向國風土記』逸文に、

           臼杵郡內智舖鄉。天津彥彥火瓊瓊杵尊,離天磐座,排天八重雲,稜威之道別道別而,天降於日向之高千穗二上峰。時天暗冥,晝夜不別,人物失道,物色難別。於玆,有土蜘蛛,名曰大鉗・小鉗二人,奏言皇孫尊:「以尊御手拔稻千穗為籾,投散四方,必得開晴。」」于時,如大鉗等所奏,搓千穗稻,為籾投散,即天開晴,日月照光。

         と有るのは、米を呪術に用ゐた初見の記事であつて、古代人の米に對する信仰が窺はれるのである。
         『持統紀二年冬十一月條、天武帝の殯宮に、「奉クマ,奏楯節舞。」と記した奠は、古く米を「奠稻クマシネ」と云つたのから推すと、米を靈前に奉る事は、此れに呪力を信じたからであり。尚『和名類聚抄』祭祀具部に「『離騷經』注云、糈,【和名,くましね久萬之禰。】精米所以享神也。」と有るのも同じ意である。「大殿祭」の祝詞の細註に、「今世產屋,以辟木束稻,置於戶邊,乃以來米,散屋中之類也。」と載せたも又其れである。『古語拾遺』肱巫の細註に、「今世竈輪及米占也。」も米を用ゐた呪術に外成らぬ。而して此の信仰は後世の散米(打マキ・花シネ御奠ミクマ・手向米等とも云ふ。)と成り、種種なる傳說や俗言を生む樣に成つたのである〕。猶ほ後世に成ると、大豆や小豆を呪力有る物として用ゐてゐるが〕、古代に於いては寡見に入らぬので何とも言ふ事が出來ぬ。


        二、水

         人類の生活に火の無い時代は有つたかも知れぬが、水の無かつた時代は想像する事も出來ぬ。我國に於いても火神の信仰よりは、水神の信仰の方が古くから存してゐた樣である。從つて水に呪力を認め、此れを呪術に用ゐた例は、少しく誇張して言へば、枚舉に遑が無い程多く存してゐる。誰でも知つてゐる諾尊が日向の檍原で御禊せられたのは、海水の呪力を信じて、黃泉の穢れを拂うた物である。「變若をち水」を飲めば、心身共に更新すると考へた思想も神代から存し、然も其れは現代に迄若水として名殘りを留めてゐる。『萬葉集』卷十三に、「天橋も、長くもかも、高山も、高くもかも、月讀みの、持たる變若水、い取來て、君に奉りて、越えむ年はも。(3245)」と有るのや、同集卷七に「生命をし、幸く良けむと、石走る、垂水の水を、掬びて飲みつ。(1142) 」と有るのは、共に此信仰に因る物である。而して此信仰は水を神とし、更に水の湧く井を神と崇める迄に發展し、生井・榮井・綱長井と神格化する樣に進んでたのである〕。我國に觀水系呪術ウォーターのゲージング(次章參照。)が發明されたのも、決して偶然では無かつたのである。猶、後世に於ける水の呪術に就いては、各時代下に記す機會が有るので、今は省略する。


        三、鹽

         我國では鹽の呪力を認めた信仰は、遠く諾尊の檍原の海水の御禊に出發してゐる事は言ふ迄も無いが、此れが呪術の材料として用ゐられたのは、『
        應神記』に、伊豆志乙女を爭ひし兄弟の母が、其の兄の不信を憤りて「乃取其伊豆志河之河嶋一節竹而作八目之荒籠。取其河石,合鹽而裹其竹葉,令詛言トゴヒ:『(中略。)如此鹽之盈乾而盈乾。』」と有るのが(此の全文は既載した。)、古い樣である。『丹後風土記』逸文に、天女が老夫婦に苦しめられた折に、「思老夫老婦之意,我心無異荒鹽者。」と言うたのは、鹽の呪術にトゴヒされて患ふるに同じとの意味であらう。禍津神を驅除すべき祓戶四柱の中なる速開津姬が、荒鹽の鹽の八百道の八鹽道の、鹽の八百會にヰワした事は、良く鹽の呪力を語る物である。而して『貞觀儀式』平野祭の條に「皇太子於神院東門外下馬,神祇官中臣、迎供神麻,灌鹽水訖。(中略。)至神院東門,曳神麻灌鹽水。」云云と有るのや、『古語拾遺』に御歲神の怒りを和めんとて、「以薏子ツス蜀椒ハジカミ吳桃クルミ葉及鹽,班置其畔。」と有るのも、共に鹽の呪術的方面を記した物である。


        四、川菜

         「鎮火祭」の祝詞に、火神が荒び疏びた折には、「水神、ヒサゴ、植山姬、(中山曰、土の精靈。)川菜。」の四種を以て鎮めよと載せて有る。川菜が呪術の材料として用ゐられた事は、私の寡聞なる此外には知る處も無いが、古く此れが巫女に用ゐられた事は、此の一事からも推測されるのである。
         猶、此外に、酒や、飴や、蒜や、蓬等を呪術の材料として用ゐた例證も有るが、是等は私が改めて說く迄も無いと考へたので省略した。

        • 註第一〕稻の原產地は南支那と云ふが、此稻が我國に輸入された稻筋に就いては、南方說と北方說との兩說が有る。私は我國の稻は朝鮮を經て舶載された物と考へる物で、其事は『土俗 傳說』第一卷三號に「穗落神」と題して管見を發表した事が有る。
        • 註第二〕「大殿祭」の祝詞の細註に在る。保食神は原始神道上からも、更に民俗學上からも、研究すべき幾多の材料が殘されてゐるのであるが、所詮は稻の精靈であると云ふに歸著するのである。
        • 註第三〕『日向國風土記』の逸文から導かれて、高千穗峰に原生の稻が有つたと云ふ傳說は、『三國名勝圖繪』や『薩隅日地理纂考』等を始として、各書に記載されても居るし、又諸先覺の間にも此事が論議されてゐるが、私には贊意を表する事が出來ぬ。稻の野生が我國に無く外來の物である事は疑ふべき餘地は無い。
        • 註第四〕追儺に大豆を撒き、祝事に小豆飯を炊く等を重なる物として、此の二つは呪術的には相當廣く用ゐられてゐるが、古代に在つては、其の事實が寡見に入らぬ。琉球の傳說を集成した『遺老說傳』に據ると、大豆と小豆とは、後に外來した物だと載せて有るが、內地に有つても何か斯うした事實が有つたのでは無からうか。
        • 註第五〕井の信仰に就いては私見の一端を、『鄉土研究』第三卷第六號所載の「井神考」で述べた事が有る。敢て參照を望む。


    • 第二節 呪術の為に發達した器具

       呪術の為に發生した物と、此れに反して、發生の理由は他に在るも、呪術に用ゐられた為に一段の發達をした物と有るが、茲には是等を押し包めて記すとする。唯恐れるのは、本節に於ける私の考覈は、從來の研究と異る處が有るので、異說を立てるに急なる者の樣に誤解されぬかと云ふ點である。併し私としては決して然る野心の毫も有せぬ事を言明する次第である。

        一、玉

         我國に古く重玉の思想の在つた事は言ふ迄も無い。否否、思想と云ふよりは、信仰と云ふ方が適當に想はれる迄に、玉を重んじてゐた。而して其の玉は概して勾玉マガタマの名を以て呼ばれてゐたのである。神代に於ける饒速日命の傳へた
        十種神寶は、悉く呪具である事は改めて說くを要せぬが、此內、生玉・足玉・死反玉・道反玉と、四つ迄玉が占めてゐた事は、重玉の信仰の容易ならぬ事を證明してゐる物である。『垂仁紀』八十七年春二月條に、

           昔丹波國桑田村有人,名曰甕襲ミカソ。則甕襲家有犬,名曰足往アユキ。是犬咋山獸名牟士那ムジナ,而殺之。則獸腹有八尺瓊勾玉,因以獻之。是玉今在石上神宮。

         と有るのは、山獸の腹に勾玉の在つたと云ふ事が、當時の民族心理からは、一つの神恠として見られたのであるが、併し其の勾玉が石上神宮に納められたのは、玉を重く信仰した結果に外成らぬのである。
         全體、我國の勾玉に就いては、考古學的にも民俗學的にも研究されるべき餘地が少からず殘されてゐるのである。就中、私の興味を唆る物は、勾玉の形狀は何を象徵シンボライズしてゐるのであるかと云ふ事である。從來の學者の說く處に據ると、勾玉の形狀は、遠い祖先達が狩獵を營んでゐた際に、猛獸又は食獸を獲た場合に、一は其れを記念する為に、一は其の齒牙に呪力有る物と信じて、胸に懸けたのに始まると言はれてゐて、此說は殆ど學界の定說と成つてゐるのである〕。
         併しながら、私に言はせると、此考察は餘り常識的であつて、我國の古い民俗に適應せぬ物が有る樣に想はれる。私は茲に勾玉を研究するのが目的で無いから、結論だけを簡單に記すとするが、私の信ずる處では、勾玉は腎臟の象徵シンボルであると斷定する物である。
         由來、我國では心の枕辭に村肝の二字を冠してゐて、此の村肝とは「肝は七葉ムラガりてあれば、群肝と云ひ、さて、肝向・心乎痛共呼みたるが如く、心と肝とは相離れぬ物なれば、然續けたりとすべし。」と、賀茂真淵翁は說かれてゐるが〕、併し此れとても、私に言はせると「むら」の字義に捉はれた說で腑に落ちぬ物がある。私は固く信じてゐる。我が古代の遠い祖先達は、狩獵に出て、鹿や豬等を獲た時には、是等の食獸を與へてくれた山神に對して、獸を支解し、其の心臟を供物として捧げた習禮の有つた事から推して〕、獸類の解剖には(巫女は人間の屍體を截斷する職務を有してゐた事は後章に詳述する。)相當熟練してゐた事と、且つ遠い祖先達が神秘な物不思議な物として、多大の興味をナツいでゐた性器のハタラきの根元を知らうとした事である。此結果として、性器の活きの根源は腎臟に在る事は、夙に知られてゐた筈である。
         然るに、此腎臟の色は紫であつて、其れが乾固カハキカタまると、恰も勾玉の如き形狀と成る。赤き心に對して紫のキモ、此れは支那で發達した陰陽五行の說を醫術に採用し、心・腎・肺・脾・肝の五臟に、赤・青・黃・白・黑の五色を箝當した醫書を見ぬ以前に於いて、確かに、此の赤心紫腎だけの事實は、遠い先祖達の知つてゐた所である。私は此の乾し固めた腎臟を胸に懸けたのが勾玉の古いスガタであつて、然もむら肝の枕辭を為した所以だと考へてゐる〕。而して斯く腎臟を胸に懸けたのは、(一)山神に捧げた心臟に對して、自分等が此れを所持する事は、神の加護を受ける物として、(二)性器崇拜の結果は此れに呪力の存在する物として、(三)原始時代の勇者の徽章又は裝身具として用ゐた物と信ずるのである。
         猶ほ此機會に於いて併せ考ふべき事は、古代人は勾玉を靈魂の宿る物〕、若しくは靈魂の形と思つてゐたと云ふ點である。此れも理由を述べると長く成るので結論だけ言ふが、我國で、魂と玉を、同じコトバの「タマ」で呼んでゐたのは、此事を裏付ける物と見て差支無い樣である。玉を呪術に用ゐた事は周知の事である上に、勾玉の解說が餘りに長く成つたので他は省略する。


        二、鏡

         鏡の起りは「鑑」であつて、其用途は、陽燧に在つたと云はれてゐるが、我國に渡來する樣に成つてからは、專ら呪術の具として用ゐられてゐた。『景行紀十二年秋九月の條に、神夏礒媛(巫女にして魁帥を兼ねた者。)が參向する際に、

           則拔磯津山賢木,以上枝挂八握劍,中枝挂八咫鏡,下枝挂八尺瓊,亦素幡樹于船舳。

         と有るのは、當時、呪具として最高位の鏡・劍・玉を用ゐた物であつて、此れと全く同一なる記事が『仲哀紀』にも載せてある所を見ると〕、かなり廣く行はれてゐた事が知られるのである。而して鏡が照魔の具として用ゐられた事、及び巫女に限つて鏡を所持した事等は、共に鏡が呪具として重きを為してゐた事が想像される。『萬葉集』卷十四の「山鳥の、尾ろの秀津尾ハツヲに、鏡懸け、唱ふべみこそ、汝に寄そりけめ。(3468)」と有るのは、蒙古に行はれる聖なる幡ハタック(此事は次章に云ふ。)と共通の物の樣に想はれるが、兔に角に山鳥は古くから靈鳥として信仰され、且つ十三のを有する尾は呪物として崇拜された物であつて〕、然も其の山鳥の秀尾へ鏡を懸けるとは、言ふ迄も無く、立派な呪具であつたのである。其れ故に下句の「唱ふべみこそ、汝に寄そりけめ。」とは、即ち魂を引寄せるだけの力が有る物と考へられてゐたのである。猶、鏡に就いては、第五章第四節「憑るべの水」の條にも記すので、其れを參照せられん事を希望して、茲には概略に留めるとする。


        三、劍

         諾尊が黃泉醜女に追はれた
        折に「拔所御佩之十拳劍而,於後手振きつつ布伎都都逃來。」と有るのは、劍に呪力の有つた事を物語る最古の記事である。『神武記』に帝が紀州熊野村に到りし時荒振神に逢ひ、

           爾神倭伊波禮毘古命儵忽為遠延をゑ(中山曰、毒氣に中る事。)及御軍皆遠延而伏。此時、熊野之高倉下【此者人名。】齎一横刀、到於天神御子之伏地而獻之時、天神御子即寤起、詔:「長寢乎。」故受取其横刀之時、其熊野山之荒神自皆爲切仆、爾其惑伏御軍悉寤起之。

         と記せるも、亦た劍に呪力の有つた事を證明してゐる物である。而して斯くの如き記事は、我國の一名を「細戈千足國」と云うただけ有つて、僂指に堪えぬ程夥しく殘されてゐる後世の巫覡の徒が惡靈退治の呪術を行ふ時、劍を揮つて空中を斬るのは、此の信仰に由來する物であつて、更に「劍の舞」なる物が彼等の手に殘されてゐたのも、又た之に基因してゐるのである。


        四、比禮

         大己貴命が素尊の許に往き、蛇室に寢る時須勢理媛より蛇比禮を與へられ、且つ「其蛇將咋,以此比禮三擧打撥。」と教へられ、次で蜈蚣ムカデ比禮・蜂比禮を與へられて難を逭れた事は有名な神話である〕。亦天神より授けられた十種神寶の中にも、蛇比禮・蜂比禮及び品物比禮クサクサノヒレの三種が舉げてある。更に『應神記』に新羅から投化した天日矛の將來した寶物の中にも、振浪比禮と切浪比禮の二つが有つたと載せてゐる。而して是等の比禮が、呪術用の物である事だけは、明白に知られてゐるのであるが、其れでは其の比禮なる物は何かと云ふと、此れに就いては、古くから異說が多いのである。
         本居宣長翁は「比禮とは、(中略。)何もまれ打振る物を云ふ、されば魚の鰭も水中を行とて振物、服の領巾ヒレも本は振らむ料にて、(原註略。)皆本は一つ意にて名けたる物ぞ。然れば蛇比禮とは、蛇を撥ふとて振物の名也。」と判つた樣で判らぬ事を言うてゐる〕。谷川士清翁は、記・紀・萬葉集等から多くの例を舉げた後に、「比禮は、元衣服の事なるべし。」と輕く說明してゐる〕。鈴木重胤翁は賀茂真淵の『冠辭考』に『萬葉集卷三の「栲領巾の、懸けまく欲しき、妹が名を。(云云。)(0285)」と有るのを引用して、然る後に曰く、「栲は白き物なれば、實に栲領巾は白き領巾なりし也。今も京邊りの下樣の女等、表立たる禮式に額帽子とて、生𥿻を以て製たる物を夏冬共に必ずカムるは、領巾の遺制なるべし。予今年下野國足利郡の方へ物せしに、其宿れる家に入來る女、何れも新しき手拭を頂に卷く事京の額帽子の如し。(中略。)こは上古の領巾の遺意のノコれる也。」と十一〕、飛んでも無い籔睨みをしてゐる。更に飯田武鄉翁は、『大神宮儀式帳』・『外宮儀式帳』・『和名抄』等の事例を比較した後に、「比禮は古き女の服具にて、白き帛類をもて、頂上ウナジより肩へ懸けて、左右の前へ垂せる物と聞えたり。」と考證してゐる十二〕。
         私は茲に服飾史の上から比禮の研究を試みる事は措くが、是等の諸說の中、飯田翁の考證に左袒する物である。而して此服具を、或は蛇比禮と云ひ、或は蜂比禮と云うたのは、呪具としての用途に依つて名付けた物と考へてゐる。巫女の比禮に對して、覡男の手繦タスキも又一種の呪具であるが、此れに就いては省略する。


        五、櫛

         素尊が八岐大蛇を退治して、奇稻田媛を救う事を、『
        古事記』には「速須佐之男命,乃於湯津爪櫛取成其童女,而刺御角髮美豆良。」と載せ、『日本書紀』には、「素戔嗚尊立化奇稻田姬,為湯津爪櫛,而插於御髻。」と記してゐる。而して此の兩記事に在つては、素尊が稻田姬を櫛と成して御髻に插した樣に解せられるので、昔の神道學者──殊に法華神道の似非學者達は、種種なる神恠を說いてゐるのであるが、民俗學の立場から言へば、女子が櫛を插す事は男子に占められた事。──即ち良人を有つたと云ふ標識に過ぎぬのである十三〕。此れは後章に詳しく言ふ考へであるが、伊勢齋宮に成られた皇女が、野宮を出て愈愈皇太神宮へ群行せらるる折に參內すると、天皇が躬から「別れの櫛」を齋宮の御髮ミグシに插されるのは、齋宮は神に占められる事を意味してゐるのである。
         然るに、クシクシと通じ、更にクシとも通ずるので、古く齋串を齋櫛の意に用ゐ、櫛に一種の呪力有りとする信仰を養ふに至つた。從つて櫛を神體として祭つた神社さへ尠く無いのである。諾尊が櫛を投じて醜女を攘うた故事から、櫛を拾ふと他人と成ると云ふ俗信は、現在に於いても行はれてゐる。『萬葉集』卷十九に、「櫛も見じ、屋中ヤヌチも掃かじ、草枕、旅行く君を、齋ふと思ひて。(4263)」と有るのは、良人の留守に、櫛で髮梳り、箒を用ゐる事は、羈旅に在る良人に禍を負はせる物と考へた為である。後世の巫女が櫛占をしたのも、又此信仰から導かれてゐるのである。
         猶ほ此種に屬する呪具の中に、幡・幟・幣等を數へる事が出來るのであるが、是等は後に記述する機會も有らうと思ふので、今は觸れぬ事とした。

        • 註第一〕故坪井正五郎氏を始め、多くの人類學者や、考古學者は、皆此の獸牙說を採つてゐて、幾多の著書や雜誌に、此事が載せてある。從つて天下周知の事と思ふので、書名や、誌名は、煩を避けて省略した。猶勾玉に就いては、谷川士清翁の『勾玉考』が、良く史料を集めて、古代の重玉信仰を說いてゐる。參照せられたい。
        • 註第二〕『冠辭考』卷下。其條。
        • 註第三〕柳田國男先生の著『後の狩詞記』及び『民族』第三卷第一號所載の早川孝太郎氏の『參遠山村手記』及び同氏著『豬・鹿・狸』(第二叢書本)を參照せられたい。
          因みに言ふが、柳田先生の『後の狩詞記』は稀覯書であるので、茲に其の一節を摘錄すると「コウザキ。豬の心臟を云ふ。解剖し了りたる時は、紙に豬の血液を塗りて之を旗とし、コウザキの尖端を切り共に山神に獻ず。」と有る。
        • 註第四〕先年雜誌『太陽』へ拙稿「枕辭の新研究」と題して揭載した事が有る。誌上には匿名に成つてゐる。號數は失念したが、大正六・七年頃の發行である。
        • 註第五〕瓢が魂の入れ物であると云ふ古代人の信仰に就いては、柳田國男先生が『土俗と傳說』の第二號から連載された「杓子と俗信」の中に述べられてゐるし、更に近刊の『民俗藝術』第二卷第四號所載の「人形と大白オシラ神」の中にも記してある。而して、我國の古代に於いて、墳墓を瓢型に築いたのも、亦此信仰に由來してゐるのである。人魂の形は、杓子に似てゐるとは、今も言ふ處であるが、古代人は、勾玉の形を人魂の形に聯想してゐた事も、考慮の內に加ふべきである。
        • 註第六〕『仲哀紀八年春正月條に「筑紫伊覩縣主祖五十跡手,聞天皇之行,拔取五百枝賢木,立于船之舳艫,上枝掛八尺瓊,中枝掛白銅鏡,下枝掛十握劍,參迎于穴門引嶋而獻之。」と載せてある。
        • 註第七〕山鳥尾の呪力に就いては、曾て『土俗と傳說』第三號に「一つ物」と題して拙稿を載せた事が有る。
        • 註第八〕『古事記神代卷
        • 註第九〕『古事記傳』卷十(本居宣長全集本)
        • 註第十〕『增補語林倭訓栞』其條。
        • 註十一〕『延喜式祝詞講義』卷九の細註。下野國足利郡は、私の故鄉である。從つて、此地方の民俗には、失禮ながら鈴木翁よりは通じてゐると云つても差支無いと信ずるが、私の知つてゐる限りでは、此地方で、婦女が手拭を冠つて他人の前へ出るのは、髮の亂れを隱す為であつて、領巾の遺風等とは考へられぬ。此れは鈴木翁の思ひ過ごしであらねば成らぬ。其れに、冠る物では無くして。垂れる物である。
        • 註十二〕『日本書紀通釋』卷二十六。
        • 註十三〕女子の有夫の標識には、種種なる民俗が有る。眉を拂ふのも、齒を染めるのも、更に櫛を插すのも皆其れである。詳細は拙著『日本婚姻史』に諸國の例を集めて載せて置いた。宮城縣の磐瀨郡では、昔は未婚者と既婚者の區別は、櫛を插すと插さぬとに在つたが、近年では、誰も彼も櫛を插すので區別に苦しむと、同郡誌に記してある。


    • 第三節 呪術に用ゐし排泄物

       血液與唾液。尿與糞。今日亦相信此類之物具備咒力。思考民俗之永遠性。


    • 第四節 呪術用の有機物と無機物

       笹葉與賢木。櫸木與葦。宍(しし)與鵐。鵜與蟹。石與土。灰亦具有咒力。


  • 五、巫女之作法與咒術之種類
    • 巫女之咒術作法

       種種作法不傳今世。針對其作法反察。僅有其跳躍之事明白可知。


    • 顯神明之憑談之咒術

       鈿女命於天磐戶前之動作。最古之巫女記錄。何謂神遊。天照神磐戶坐之真相。見死者面之遊部民俗。阿那(あな)面白之語意即此。


    • 現於鎮魂祭之咒術

       對生魂之鎮魂祭。對死靈之鎮魂祭。猿女君之傳統與比自岐和氣之傳統。鎮魂與招魂之區別。即便以文字區別,實則。鎮魂與復之關係。唱於鎮魂祭之咒文。平田翁之宮比神傳記與翁一流之解釋。


    • 憑水系之咒術

       有水之神秘。久延毘古神與觀水咒術。日鳥庫吉氏之卓見。何謂憑水。神功皇后之觀水咒術。自觀水咒術至水晶咒術。南宮神社之劍珠與神功皇后。水鏡天神之由來。小野小町之姿見池與和泉式部之化粧水之考證。熱田神宮之楊貴妃之實體。菖蒲前亦為巫女。殘存九州之巫女水占。


    • 利用性器之咒術

       我國性器崇拜肇自神代。天鈿女先示其例。古語拾遺所載男莖形(ヲバセガタ)。祭式舞踊所示之性器崇拜俗信。長陰毛神與作為生命指標之毛髮。


  • 六、巫女の性格變換と其生活

     古代の巫女に關しては、未だ記述すべき幾多の問題が殘されてゐるが、其れで無くとも第一篇が餘りに長く成り過ぎる嫌ひが有るので、大體の輪廓だけでも全速力で書いてしまひたいと思ふ。全體、私が本書を起稿するに際して少しく憂へたのは、記述が第一篇の古代に繁く、此れに反して第二篇の中古及び近古に粗く、更に第三篇の近世及び現代に多くして、恰も瓢の如く首尾が太くして中括りの小なる物に終りはせぬかと云ふ事であつた。此れは何人が何の歷史を書くにも共通してゐる惱みなのである。即ち古代の史料と近古現代の史料は、夥しき迄に存するにも關らず、平安朝の末葉から鎌倉・室町の兩期は頗る史料が缺けて居り、更に江戶期に成ると、是れ亦史料の多きに苦しむのが、当然と成つてゐるのである。巫女史にあつても、又此の支配から脫する事が出來ず、遂に憂ひは事實と成つて現はれ、到到、瓢の如く首尾が太く中部は細い物と成つてしまつた。其れで茲には出來るだけ簡明に記述を運んで第一篇を終るとする。


  • 七、精神文化上之巫女職務
    • 作為神本身之巫女

       巫女源自於成(ヲナリ)神。於成是即為神。針對天照神之民俗研究不可毫無條件。琉球久高島之祝女(のろ)神與其生活。經折口信夫之記事再次吟味卑彌呼。民族國家成立與巫女之關係。古代家族相婚與同胞之位置。稱妻為吾妹子之理由。


    • 作為私祭者之巫女

       眾神之提昇與巫女之退化。巫女變得僅在神託之時為神。墓前祭與巫女之職務。稱巫祝為祝〔ハフリ〕之原義。屠屍為巫女之職。祝即是屠。內地之肢解分葬實例與愛奴族之燃剖(ウフイ)。藉夢所知之靈魂所在。瓢型墳由來自俗信將瓢視為魂之容器。發展為靈魂神之巫女。人家七世與生神之事。行於土佐之楯(タテ)喰神事。我國紋章起源與愛奴之神標。了解神成為人之民俗。存於琉球之靈魂脫體(マブイワカシ)與內地之口寄儀式。社前祭與巫女之職務。輕視巫女重用覡男之過程。


    • 作為靈媒者之巫女

       召降神祇之法。記載於日本紀中神功皇后之御事蹟。為征韓而求問神意之作法。神主之古義。神主為其後之神實。信州諏訪社之大祝。出雲大社之國造。琴鈴之音與神聲。神依板為琴之代用品。審神與後世巫女之問口。我國最古之神降咒歌。託宣以韻文之律語表現。


    • 作為預言者之巫女

       預言為巫女之重要職務。狹義而言為藉神憑預言。廣義包括見聞他人歌謠、行動以預言。崇神紀中百襲姬命之御事蹟。


    • 作為文學母胎之巫女

       紀貫之雖斷言和歌在天始於下照姬。此下照姬是為巫女。我國文學以巫女為始祖。神歌為古歌謠體,其例證多在。古敘事詩唯一人稱之由,乃因其為神之託宣。愛奴之話語與琉球之神歌亦是如此。  琉球の其れに就いて、伊波普猷氏は、其の著『歌草子おもろさうし選釋』の前文に於いて、大略左の如く論じ、歌謠の巫女に依つて發生した事を言外に寓されてゐる。

         歌草子おもろさうしは、(中略。)


    • 作為民俗藝術者之巫女

       作為舞踊者之巫女。俳優始於鈿女命。俳優於神事上之意義。作為木偶使之巫女。見於肥前風土記之人形。密於巫女外法箱之人形。作為黥面紋身施術者之巫女。藉由神名所行之民俗


  • 八、物質文化に於ける巫女の職務

     巫女は職務として、人間を詛ふ方面と、事象を占ふ方面との兩面を有してゐた事は屢述した。此の立場に起つて巫女の職務を分類する方が、精神文化の物質文化のと分類するよりは妥當であると一度は氣が付いたのであるけれども、更に巫女の職務を仔細に考覈すると、啻に此の兩面ばかりでは無くして、他に刀自として造酒を掌り、收稅者として幣帛を取扱ひ、交通の保護者として、航海に從事する等の職務が有つて、かなり複雜してゐるので、不本意ながら此分類を企てたのである。勿論、是等の事は、巫女の本質的の職務では無くして、單に巫女が社會的に利用されたに過ぎぬのであるとも言へるのであるが、さうなると、詛ふとか、占ふとか云ふ事も、又た社會的に利用された物とも言へるので、愈愈其の分類が困難に成るのである。其處で不充分ではあるが、姑らく此分類に從つて記述する事とした。



  • [久遠の絆] [再臨ノ詔]