一、神事舞太夫家法之儀は、往古遠久之職道にて國國散在致し、何れも習合之神道之則法を以、且中之諸祈禱相勤來申候。然に社法之儀者、天台真言社家、並本山修驗等之宮宮に順往古より社禮を相勤申候。依之、其社社之衣之裝束風折烏帽子著用致し相勤申候。且又梓巫女權與之儀者、往古遠久呪歌之傳授にて、梓神子一家之法式にて他家に不傳、習合神道之行法を以諸祈禱等相勤申候、有增如斯御座候事、諸國配下の者共の儀は、乍恐常陸國水戶東照宮樣御神事を奉初、同國金砂大權現大祭禮七十三年一度宛の御神事、正德五年三月朔日に執行仕候迄十三度に及申候。依之、國國に於て社禮之儀、天下泰平御武運御長久御祭禮相勤來申候事。
一、元祿十五年閏八月二十七日西宮神職と爭論之節、阿部飛驒守樣、永井伊賀守樣、本多彈正少弼樣御裁許之上にて猶以相極申候、各社役之儀、委は正德元年卯正月十八日本多彈正少弼樣、森川出羽守樣、安藤右京進樣御裁許の上にて、梓神子法例文章御吟味之上御極被下置候事。
右は今般家法之儀御尋に付、支配頭田村八太夫之儀御座候得者、難盡筆紙之儀は、猶又御尋も御座候はば、乍恐以口上逐一言上可申上候、以上。
江戶淺草三社權現神主
田村八太夫支配國役人
寶曆六年子三月 信州北條郡長窪新町 飯嶋與太夫(印)
諸國之散在神子如傳來相勤,諸神勸請次家法之梓致執行,勿論神差歸上之法式,並荒神鎮座之祓及幣帛等,以習合神道而壇中之諸祈禱可相勤之者也。若於國國粉敷梓神子於致徘徊者,以此判而相改,堅可停止事。
右書附之趣嚴密可相守之矣。若以新法他職而亂家法者於有之者,急度可為越度者也。
正德巳亥曆正月十八日 神事舞太夫 田村八太夫(印)
飯嶋 兵庫(印)
國役人 丸山 式部(印)