日本巫女史 總論
第五章、巫女史の補助學科と其態度
日本巫女史が日本文化史の一文科である以上は、文化史の研究に必要なる幾多の補助學科の力に俟つべきは當然の事である。然らば巫女史には如何なる補助學科を必要とするかと云ふに、此れは文化史に必要とする物は悉く必要であると云ふのが、尤も要領を得てゐるのであるが、併し物には輕重の差が有り、濃淡の別が有る物故、總ての補助學科の內でも、特に巫女史に深甚の關係を有してゐる物のみを舉げるとする。
第一、言語學
言語學者の言ふ所に依ると、我國に曾て行はれ、又は現に行はれてゐる言語には、四十餘國の外來語が存してゐて、其重なる物として、朝鮮語、アイヌ語、支那語、
梵語
(
サンスクリット
)
、南洋語等を數へる事が出來るとの事である。私は元より專門の言語學者で無いから、果して我が國語中に是等多數の外來語が存してゐるか否かを批判すべき知識を有してゐ無いが、巫女史に關する言語だけでも、アイヌ語、朝鮮語、及び北方民族系の言語、支那語、梵語等の在る事だけは確實だと云へるのである。從つて、巫女史の完全を期するには、此れだけの言語學の補助を俟たねば成らぬ事は當然である。然るに、巫女史に出て來る國語なる物は、純粹なる我が國語にあつても、其多くが古代に於いて行はれた死語か、それで無ければ巫女と云ふ特種の階級に用ゐられた
術語
(
テクニカル・ターム
)
である為に、一般の辭書だけでは明白に成らぬ物すら有る。
其處で私は、世上にも有り觸れてゐる『和名抄』、『伊呂波字類抄』、『下學集』や、更に『和訓栞』、『雅語集覽』、『俚諺集覽』、「物類稱呼」等の辭書や、言語學關係の三四の書籍以外に、特種の方法を用ゐたのである。而して、其方法なる物は、朝鮮語及び北方民族系の言語は、曩に早稻田大學に留學してゐた朝鮮出身の洪赫純氏を煩はし、アイヌ語はジョン・バチェラー氏の『アイヌ辭典』の外に、幸ひ私はアイヌ語の權威である金田一京助氏の知遇を永く辱してゐるので、同氏著の『アイヌ研究』を始めとして、各種の雜誌で發表された諸論文を拜見し、其でも猶ほ十分で無いと思つた時は、親しく同氏に會つて一一に就き面授を得た。支那語は上田萬年・松井簡治兩氏著の『大日本國語辭典』及び白鳥庫吉・金澤庄三郎外數氏の共著に掛かる『外來語辭典』に依據し、梵語は織田得能氏の『佛教大辭典』に遵ひ、及ばぬ所は梵語專攻の學友である池田澄達氏の教へを仰いだ。而して國語中の方言に關しては、柳田國男先生の深遠なる高示を受け、古語に就いては、多年學恩を蒙つてゐる古代民俗學及び古代語研究の天才である折口信夫氏の造詣を拜借する事とした。更に內地の巫女の古い世相や制度を、其のまま克明に保存してゐる琉球の
祝女
(
ノロ
)
及び
巫女
(
ユタ
)
等を知る為には、同地の出身で琉球語の最高權威である伊波普猷氏の恩誼を受けてゐるので、關係書物の外に親しく同氏から高教に接したのである。
第二、古文書學
古文書學が、史學の根本史料を考覈する上に欠くべからざる補助學科である事は言ふ迄も無いが、此意味で巫女史にも深い交涉を有してゐるのである。全體、巫女の呪言とか作法とかに關する古文書は極めて尠いのである。此れは巫女自身が概して無學であつたのと、口傳を尚んでゐた為に、文書に認める事を避けた結果である。然るに、此れに反して、巫女を取締つた官憲の方面、及び巫女の奉仕した神社方面には、かなり多くの古文書が殘されてゐる。是等の一一に就いて、真偽を確め、文辭を解釋し、內容を檢討するには、如何にしても古文書學の力に由ら無ければ成らぬのである。其處で私は久米邦武氏の『古文書學講義』を基調とし、更に星野恒氏の『古文書類纂』、黑坂勝美氏の『徵古文書』、瀧川政次郎氏の『法制史料古文書類纂』等を參考とし、自分の知識で解釋の出來ぬ物に就いては、幸い瀧川政次郎氏の雅交を給つてゐるので、一一同氏から高示を仰ぐとした。猶ほ此機會に同じ巫女史の補助學科である歷史地理學・系譜學等に就いて言ふべきであるが、此れは左迄に取り立てて記すべき程の事も無いので、今は省略した。
第三、考古學
先年、上野國佐波郡赤堀村
大字
下觸から、腰部に鈴鏡を
提
(
サ
)
げた女子の埴輪土偶が發掘された事が有る。而して此土偶は、上代の巫女なるべしと云ふのが、學界の定說と成つた。單に此一事だけでも巫女史の補助學科として考古學が重要なる位置を占めてゐる事は明白であるが、更に巫女の有してゐる呪具や裝身具に就いては、考古學的の研究に依つて始めて開明されべき物であり、進んでは巫女の墓地・墓碑等も、又此れに依つて學術上の價值が定まるのでる。私は此れに關しては『考古學雜誌』の各號に於いて必要なる點を抄出し、更に單行本としては、古きは八木奘三郎氏の『日本考古學』、新しいのでは濱田耕作氏の『通論考古學』及び後藤守一氏の『日本考古學』等を參考し、更に高橋健自氏の『銅鉾銅劍の研究』を讀んで裨益を受け、猶ほ不審の點に就いては、多年高橋健自氏の高示を仰いでゐる關係から、同氏の面授に接したのである。終りに巫女史は、人類學とも交涉を有してゐるので、此れの補助も俟たねば成らぬのであるが、餘りに煩瑣に成るので、今は省筆する。
第四、民俗學
風俗と慣習を基調として、文化の諸相を研究する民俗學が、巫女史の補助學科として優越なる地位を占めてゐる事は言ふ迄も無い。殊に私は、此れが專攻を續けてゐるのであるから、多少とも、其方面に就いては、特殊の考察と、材料とを有してゐる積りであるが、唯恐れるのは、餘りに私の好む處に偏し、巫女民俗史に成りはせぬかと云ふ點である。即ち補助學科が卻つて主なる巫女史學を煩はす樣な結果に陷る事無きを憂へてゐるのである。併し、此れに就いては、出來るだけ自制して、當初の目的を達したいと考へてゐる。而して此れが參考書目に關しては、既に史料及び材料の項に於いて盡してゐるので除筆した。
第五、民間傳承學
此れは從來「傳說」又は「口碑」と云ふ名で呼ばれてゐた物で、嚴密なる學問上の分類から云へば、當然、民俗學の一分科として加ふべき物であるが、今は記述の便宜のままに獨立して取扱ふとした。而して民間傳承學が、巫女史の補助學科として、如何なる點に交涉を有してゐるかと云ふに、其は相當に廣い方面に涉つてゐるが、此處に一例を示すと、各地に小野小町又は和泉式部
(是等は共に巫女を斯く稱したので、其事由は本編に述べる。)
の化粧水と云ふ民間傳承が殘つてゐる。併し此れを巫女史の立場から見る時は、古く巫女が水を利用して、呪術を行うた事に、由來してゐる事が判然するのである。從つて民間傳承學は、巫女史に種種なる寄與をしてゐるのである。而して此れに就いては、古い物では『
日本靈異記
』、『今昔物語』、『
古今著聞集
』等を主なる物とし、新しい物では故高木敏雄氏の『日本傳說集』、藤澤衛彥氏の『日本傳說叢書』を始め、佐佐木喜善氏の『老媼夜譚』及び『爐邊叢書』中の數種を舉げる事が出來る。
[久遠の絆]
[再臨ノ詔]