みこみこFAQ(よくある質問)

素朴な疑問にお答えする、おとなのための「こども110番」。
「ねぇお父さん、巫女さんは、何故あんなにも綺麗なの?」
「それはね、彼女たちが、とても澄んだ心をもっているからからだよ…。」


INDEX

  1. 巫女も神職のうちにはいるのですか?
  2. 神道と女性の関係はどのようなものですか?
  3. どの位の巫女さんが「本職」としての巫女さんなんですか?
  4. 日本で最初の「巫女」と言えるのは邪馬台国の王女、卑弥呼なのでしょうか?
  5. 巫女は一生汚れてはならないのでしょうか?
  6. 下着関係は着物と同じように付けないのでしょうか?
  7. 巫女さんが巫女さんとなる主な動機はなんなんでしょうか?
  8. 一般的に女性シャ−マンのことが「巫女」のはずなんですが、その場合、祭礼中心の神社巫女を「巫女」として扱うのに問題はないのですか?
  9. 本職の巫女さんになりたいと思っているのですが、どうしたらいいんでしょうか?[New!]

 


本職の巫女さんになりたいと思っているのですが、どうしたらいいんでしょうか?

多数のみなさん

 

巫女は、各地の神社で募集していることがあります。これらの募集を見つけるには、直接お問い合わせになって、ご自分で探されるしかないと思います。

しかしながら、現在の神道における巫女の役割は「補助神職」とでもいうべきものであり、本来あるべき祭司的役割からは退いたものとなっております。一生勤め上げるというような性格のものではありません。

本当に神様にお仕えすることを、生涯の職として選びたいのであれば、迷わず女性神職になることをお勧めします。

神職になるためには、皇學館や國學院といった神職養成所での研修を経る必要があります。

より詳しくは、神社オンラインネットワーク連盟のFAQ(よくある質問)のうち、「神職と階位」の項をご参考になさってください。

 

…なお、当研究所守護大社の櫛稲田大神宮でも若く清らかで美しい巫女を募集しております。(。-_-。)ポッ

(たちゃな)


一般的に女性シャ−マンのことが「巫女」のはずなんですが、その場合、祭礼中心の神社巫女を「巫女」として扱うのに問題はないのですか?

北川大介/広輪

日本においては、少なくとも2〜3世紀頃から巫女の存在が認められており、その当時はシャーマン的な巫覡としての役割を担っていたと考えられます。今日の神社における巫女の仕事は多様化が進んでおり、神社内でのお茶くみから、参拝客に対してお守りを授与したりすることまでが含まれますが、現代においてもなお、彼女たちの最もフォーマルな仕事は、神前にて舞を舞い、神々を楽しませることであるといわれます。

神前奉納の舞は形式的なものであるとはいえ、そこには神々を和ませるという目的があります。よって、現代の神社巫女にもまた、原初的・シャーマン的な巫覡の面影を見て取ることは(一応ながら)可能です。

しかし、これはなにも「神社巫女を女性シャーマンと呼んで構わない」といっているわけではありません。

日本の神道は、単純にシャーマニズム・アニミズムであるか、あるいはそれに近似していると思われがちですが、そう「完全」に言い切れるのは神道発生初期段階に限った話ではなかったかと思います。現代的な神道においては、少々異なる事例があることは言うまでもないことです。つまり、現代における神社の巫女を十把ひとからげに「シャーマン」と呼ぶにはふさわしくない場合があります。

ちなみに、「シャーマン すなわち 巫女」とする考えは一般的ではなく、、巫女という語の指示する範疇の中に、シャーマン的存在が含まれると考えるのが現在の民俗学においても通例であるようです。[宮家・宮田1]

(たちゃな)

 


巫女さんが巫女さんとなる主な動機はなんなんでしょうか?

藤川 貴史/微
satella@venus.dtinet.or.jp

 

舞姫やバイト巫女なら、主因たる動機は「憧れ」だと推測されますが、詳しくはアンケート(巫女の意識調査)を採ってみる必要があるでしょう。

アンケートに関しては、いずれ巫研ホームページ上にフォームを作って行いたいと思います。

(たちゃな)


下着関係は着物と同じように着けないのでしょうか?

日下 崇/MTK
intermtk@hokkai.or.jp

 

巫女装束は和装ですから、西洋的下着は本来着けていなかった筈です。現在の巫女さんが、はたしてパンティをはいているのかいないのかは、個々の事例にもよるでしょう…。(^-^;;

(たちゃな)

 


「巫女さんは汚れがない」ということですが、ということは一生汚れてはならないのでしょうか?つまり、結婚出来ない?

日下 崇/MTK
intermtk@hokkai.or.jp

 

結婚したら巫女を辞めなくてはいけない、とされている神社はあります。反面、「血統的な巫女の場合は、血筋を絶やさないために結婚が許されている」という話もあります。(当研究所では、後者に関する具体的な事例については未確認です。読者諸賢からの情報をお待ちしておりますm(__)m)

ちなみに、「巫女は清浄無垢な、処女でなければいけない」とするのは、

  1. 女性を汚らわしいものとする仏教の影響である。神道における巫女の存在を否定しないために、巫女は処女でなければならなくなった。

  2. 太陽は男神であり、巫女は太陽に捧げられた贄である。よって巫女は処女でなければならない。

一般的に、以上のような説が提唱されているようですが、1)の説をとると、「仏教伝来以前の神道には女性を穢れ視するような風潮はなかったのではないか」と考えることができます。また、2)の説では、神道発生当初から、巫女の役割がこうしたスケープゴート的存在であったのかどうかは、少々疑問です。(=シャーマン的、祭司的存在であったはずの巫女が、スケープゴート的、生贄的存在にすりかえられている)

(たちゃな)

 


やはり日本で最初の「巫女」と言えるのは邪馬台国の王女、卑弥呼なのでしょうか?(と言うより彼女は巫女と考えてよいのでしょうか?)

矢神
htsutsum@copper.ucs.indiana.edu

 

卑弥呼が真に歴史上の人物であったのかどうかは、決め手となる物証のないため即断できかねる問題ではありますが、 しかし、魏志倭人伝の「鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす」をはじめとし、 後漢書倭伝や 隋書倭国伝 にある同様の記述を客観的に見る限り、 卑弥呼はシャーマン的な人物であり、巫女と呼んで差し支えないと思われます。[石原1]

「最初の」巫女であったかどうかについては、疑問です。巫女は日本固有の存在ではなく、それ以上に原初的なものだと考えられますから、巫女の発生は邪馬台国(国家)成立以前まで溯るのではないでしょうか。(原初母権社会の存在については、否定論もあります。)

(たちゃな)

 


日本の神社において、どの位の巫女さんが「本職」としての巫女さんなんですか?(バイトの巫女さんと本職の巫女さんの比率・・・)

吉田 聡/久遠寺 阿知花 寿来
achika@bell24.or.jp

 

統計資料が手元に無いので断定はできませんが、「本職としての巫女」を、「神社に常勤する女性従業員」全体に拡大して解釈した場合でも、それほど多くはないでしょう。

たとえば、常勤で舞女を雇い、教育するとなると、自ずとそれなりに財力のある神社に限られてきます。神社に初詣に出かけたりしたときに、大勢の巫女が神酒や破魔矢の授与を担当していることがありますが、そのような巫女は、ほとんどが女子高生のアルバイトで賄われていると思って良いでしょう。

現在の神社神道は男権的な封建社会であり、神社の舞女は概してシンボル的/形式美的存在としての意味しか持ち得ないことは非常に残念なことです。巫であることを真に生業とする女性は、神社の中よりも、むしろ外にいることのほうが多いでしょう。そうした彼女らの多くは「職業巫女」と呼ばれ、神社の巫女よりは世俗的な存在です。

職業巫女は世俗的であるといえど、誰でもすぐになれるという類のものでもありません。一種精神病的な症状の現れた女性に限られたり、一定の修練が必要であったりします。

参考までに、それとは別の事例も紹介しておきます。たとえば沖縄の女性の場合、一定の年齢に達すれば皆巫女になるものでありました。そうした文化圏では、「女性は皆、生まれながらに巫女である」と言って差し支えないと思われます。

しょちょーの現時点での個人的見解は、こうした事例を踏まえ、「女性は皆、生まれながらに巫女である。よって、バイトであるか、常勤であるか、そんなことは大して問題ではない。」といったところです。

(たちゃな)


巫女も神職のうちにはいるのですか?

巫女は、ほとんど未婚の少女が務めています。御子とも書きますが、神社に所属している女神官とでもいったらよいでしょう。白の上衣に緋の袴をはいて、社殿に奉仕する姿はすがすがしいものです。

神社における巫女の位置は、宮司や禰宜の下にいて、いわば補助神職ともいうべき存在です。神に仕えて、神饌を供したり、神楽を舞ったり、祈祷を行なったりするなど、直接神に接して奉仕しています。また、神意をうかがって信託を告げたりします。

また、巫女は「かんなぎ」とも読まれていますが、これは神意を招請することを行なう「神招ぎ」からきているのです。伊勢の斎宮や賀茂の斎院が女性であるのもこのためです。

しかし、「かんなぎ」は女性だけに限られているわけではありません。男性も「かんなぎ」となっている例があります。この場合、古くは男を「男覡(おかんなぎ)」、女を「女巫(めかんなぎ)」といっていました。どちらも、汚れのない清浄な身体の持ち主が選ばれました。

([阿部1]より転載)


神道と女性の関係はどのようなものですか?

従来の神道の世界には女性の進出する機会はありませんでした。理由は、昔から女性は穢らわしい(不浄)ものとされていて、神前に出たり、神に仕えることをはばかってきた(*1)からです。女性は月経や出産をけがれとされ、不浄視されてきました。こうした理由で、女性は神道とは直接的な結びつきが無かったのです。

当時は神社神道にかぎらず、各所にあった、神聖視された高山や霊山も女人禁制となっていたところがありました。仏教界でも、高野山や比叡山などでは、修行僧の妨げになるとして、女性の入山を禁止していたほどです。

にもかかわらず、神道の世界に巫女がいるのはなぜなのでしょうか。まず、これを説明する前に、巫女になれる資格の一つに、清浄無垢の少女から選ばれるという前提があります。

古代では、神に仕えるものを祭司といいますが、祭司は主に男性がつかさどっていましたが、巫女も存在していたのです。

このころの巫女の果たす役割は、まず、自らが恍惚状態になり、その関係する神や霊の意志を語ったり、予言をしたりして、神の言葉を人々に伝えることでした。つまり、神と人との間の仲立ちをしていたわけです。

こうした種類の巫女は、沖縄には今でも多くいて、信仰を集めています。沖縄では神職の巫女を「祝女(のろ)」といい、民間の巫女を「ゆた」といっています。

日本の皇祖神とされている天照大神は、伊弉諾(イザナギ)尊から生まれた女神であることはよく知られていますが、この天照大御神は、実は日の神の妻であり、「日の神をまつる巫女」としての性質が強いともいわれています。

そのいわれの一つに、『古事記』の中の「天照大神と須佐之男命」の一節に、「……天照大神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時……」とありますが、これは天照大神が神に捧げる神衣を織っていたことを示しています。神衣を織ることのできるのは、清浄な巫女のみとされています。このことから考えると、天照大神は日の神に仕える巫女であるという説が成り立ちます。もし、そうであるとするならば、神代の時代からすでに巫女という女性の神職がいたということになります。

なお、『日本書紀』には、天照大神のまたのなをオオヒルメノムチと記してあります。このヒルメはすなわち「日の妻」であり、日の神を祀る女性の司祭者、いわゆる巫女であるとも解されています。

男性社会といわれる神職の中に、現在でも巫女がいるということに何の抵抗も感じないのは、こうした歴史的な背景を潜在的に意識しているからにほかならないと思います。現在では、資格さえ得れば、女性でも宮司、禰宜、権禰宜などの神職になれる道が開かれていることはいうまでもありません。

([阿部1]より転載)

(*1)ここで説明にある、"女性を穢れ視する神道" とは、神仏習合後のものを言っていると思います。なぜなら、女性を不浄のものとする考えは仏教とともに伝来されたものであることは明白であり、また、日本神道は原始宗教つまりシャーマニズム・アニミズムの流れを色濃く反映している神観をもっていますから、豊饒を司るべきはずの女性をなぜ穢れ視するようになるのか、その確固たる理由が見受けられません。伊弉冉命に関する神話、天照大神の神話など、不安定要素は多少ありますが、仏教伝来以前の神道には女性を穢れ視するような風潮はなかったのではないかと考えるのが妥当であるといえます。あるいは、仏教渡来以前に女性の穢れ視があったとしても、それは男性神職が自らの失職を恐れ、政治的に流した風聞から派生し、伝わってきたものであるのかもしれません。いずれにせよ、それは神代から正統に伝わる "神意による神道" ではなく、後世の人為により曲された、"あってはならない形の神道" である可能性があるということです。(たちゃな)


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参考文献

[阿部1] 阿部正路 『神道がよくわかる本』, PHP研究所, 1990.
[宮家・宮田1] 宮家 準 ・宮田 登 編 『民間信仰調査整理ハンドブック 理論編』, 雄山閤, 1987.
[石原1] 石原道博編訳 『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝 宋書倭国伝・隋書倭国伝』, 岩波文庫, 1985.

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