拾遺和歌集 卷二十 哀傷歌
1274 女に罷後れて又年春、櫻花盛りに、家花を見て、聊かに思を述ぶと云ふ題を詠侍ける
櫻花 長閑かりけり 亡人を 戀ふる淚ぞ 先づは落ちける
小野宮太政大臣 藤原實賴
1275 【○承前。女身罷後,翌年春櫻花盛時,詠見家華述聊思。】
面影に 色のみ殘る 櫻花 幾世春を 戀ひむとすらむ
平兼盛
1276 【○承前。女身罷後,翌年春櫻花盛時,詠見家華述聊思。】
花色も 宿も昔の 其ながら 變れる物は 露にぞ有ける
清原元輔
1277 【○承前。女身罷後,翌年春櫻花盛時,詠見家華述聊思。】
櫻花 匂物から 露けきは 木芽も物を 思成るべし
大中臣能宣
1278 此事を聞侍りて後に
君坐さば 先づぞ折らまし 櫻花 風便りに 聞くぞ悲しき
大納言 源延光
1279 中納言敦忠罷隱れて後、比叡西坂本に侍ける山里に人人罷りて花見侍けるに
古は 散るをや人の 惜みけむ 花こそ今は 惜戀ふらし
一條攝政 藤原伊尹
1280 天曆帝隱賜ひて、又年五月五日に、宮內卿兼通が許に遣はしける
皐月來て 長雨增れば 菖蒲草 思絕えにし 音こそ泣かるれ
女藏人兵庫
1281 福垂と言侍ける子の、遣水に菖蒲を植置きて亡くなり侍りにける後年、生出て侍けるを見て
忍べとや 文目も知らぬ 心にも 長からぬ世の 憂に植ゑけむ
粟田右大臣 藤原道兼
1282 右兵衛佐惟賢罷隱れにけるに、親許に遣はしける
茲にだに 徒然に鳴く 郭公 增して子練の 森は如何にぞ
右大臣 藤原顯光
1283 朝顏花を人許に遣はすとて
朝顏を 何儚しと 思ひけむ 人をも花は 然こそ見るらめ
藤原道信朝臣
1284 夏、柞紅葉散殘りたりけるに付けて、女五內親王許に
時為らで 柞紅葉 散りにけり 如何に木下 寂しかるらむ
天曆御製 村上帝
1285 妻亡くなりて侍ける頃、秋風夜寒に吹侍ければ 【○後拾遺雜一。】
思ひきや 秋夜風の 寒けきに 妹無き床に 獨寢むとは
大貳 藤原國章
1286 中宮隱賜ひての年秋、御前前栽に露置きたるを、風吹靡かしたるを、御覽じて
秋風に 靡く草葉の 露よりも 消えにし人を 何に例へむ
天曆御製 村上帝
1287 妻に罷後れて、又年秋、月を見侍て 【○萬葉集0211。】
去年見てし 秋月夜は 照せども 相見し妹は 彌遠離る
去年所觀見 秋月夜者今亦照 然時與相伴 共翫秋月吾妻者 相去彌遠更離矣
人麿 柿本人麻呂
1288 朱雀院御四十九日法事に彼院池面に霧立渡りて侍けるを見て
君亡くて 立朝霧は 藤衣 池さへ著るぞ 悲しかりける
權中納言 藤原敦忠
1289 猿澤池に采女身投げたるを見て
我妹子が 寢腐髮を 猿澤の 池玉藻と 見るぞ悲しき
人麿 柿本人麻呂
1290 題知らず
心にも 有らぬ憂世に 墨染の 衣袖の 濡れぬ日ぞ無き
佚名
1291 服脫侍るとて
藤衣 祓へて捨つる 淚川 岸にも增さる 水ぞ流るる
佚名
1292 【○承前。褪服。古今集0841。】
藤衣 解るる絲は 君戀ふる 淚玉の 緒とや成るらむ
服喪日已久 藤衣喪服今襤褸 崩縷解絮者 此是取詫人淚玉 貫作悲珠哀愁緒
佚名
1293 恒德公服脫侍るとて
限有れば 今日脫捨てつ 藤衣 果無き物は 淚也けり
藤原道信朝臣
1294 俊信が流されける時、流さるる人は重服を著て罷ると聞きて、母が元より衣に結付けて侍ける
人成しし 胸乳房を 焰にて 燒く墨染の 衣著よ君
佚名
1295 思妻に後れて嘆く頃、詠侍ける
藤衣 相見るべしと 思ひせば 松に懸りて 慰めてまし
大江為基
1296 【○承前。憂嘆思亡妻所詠。】
年經れど 如何なる人か 床古りて 相思ふ人に 別れざるらむ
大江為基
1297 題知らず 【○古今集0843。】
墨染の 衣袖は 雲為れや 淚雨の 絕えず降るらむ
衣袖墨染者 可是烏玉黑雲哉 何以作此想 悲淚不絕若雨降 涕泣不斷零紛紛
佚名
1298 兼德公北方、二人子亡く成りて後
あまと云へど 如何なる尼の 身為ればか 世に似ぬ潮を 垂渡るらむ
佚名
1299 昔見侍し人人多く亡く成りたる事を歎くを見侍て
世中に 在ら益かばと 思人 亡きが多くも 成りにける哉
藤原為賴
1300 返し
常ならぬ 世は憂身こそ 悲けれ 其數にだに 入らじと思へば
右衞門督 藤原公任
1301 親に後れて侍ける頃、男訪侍らざりければ
亡人も 在るが辛きを 思ふにも 色分れぬは 淚也けり
伊勢
1302 題知らず 【○萬葉集2914。】
美しと 思ひし妹を 夢に見て 起きて探るに 無きぞ悲しき
甚也愛憐哉 朝思暮想我伊人 相逢在夢中 驚覺以後探八方 晝現無人更悲寂
佚名
1303 順が子亡く成りて侍ける頃、訪ひに遣はしける
思遣る 子戀森の 雫には 餘所なる人の 袖も濡れけり
清原元輔
1304 子に後れて詠侍ける
嫩竹の 我が子の世をば 知らずして 生ほし立てつと 思ひける哉
平兼盛
1305 大納言朝光女の女御罷隱れにける事を聞侍りて、筑紫より弔に遣せて侍ける頃、子馬助親重が亡く成りて侍ければ
我のみや 此世は憂きと 思へども 君も歎くと 聞くぞ悲しき
藤原共政朝臣妻
1306 返し
憂世には 在る身も憂と 歎きつつ 淚のみこそ 降る心地すれ
藤原朝光
1307 生奉りたりける親王の亡く成りて又年、郭公を聞きて
死出山 越えて來つらむ 時鳥 戀しき人の 上語らなむ
伊勢
1308 伊勢が許に子の事を弔ひに遣はすとて
思ふより 云ふは疎に 成ぬれば 譬へて言はむ 言葉ぞ無き
平定文
1309 中納言兼輔妻亡く成りて侍ける年の師走に、貫之罷りて物言侍ける序に 【○後撰集1425。】
戀ふる間に 年暮れなば 亡人の 別や甚 遠く成りなむ
紀貫之
1310 妻亡く成りて後に、子も亡く成りにける人を訪ひに遣はしたりければ
如何に為む 忍草も 摘侘びぬ 形見と見えし 子だに無ければ
佚名
1311 子二人侍ける人の一人は春罷隱れ、今一人は秋亡く成りにけるを、人の弔ひて侍ければ
春は花 秋は紅葉と 散果て 立隱るべき 木下も無し
佚名
1312 女に後侍りて
忘られて 暫し微睡む 程も無く 何時かは君を 夢ならで見む
中務
1313 孫に後侍りて
憂ながら 消えせぬ物は 身也けり 羨ましきは 水泡哉
中務
1314 題知らず 【○後拾遺0507。】
世中を 如是言言ひて 果果は 如何にや如何に 成らむとすらむ
佚名
1315 吉備津采女亡く成りて後、詠侍ける 【○萬葉集0218。】
漣の 志賀手兒等が 罷りにし 川瀨道を 見れば悲しも
碎波樂浪之 志賀手兒娘子矣 觀其身罷道 離世涉水川瀨道 見之心怜寂寥生
人麿 柿本人麻呂
1316 讃岐狹岑島にして、岩屋中にて亡く成りたる人を見て 【○萬葉集0222。】
瀛浪 寄る荒磯を 敷栲の 枕とまきて 寢れる君哉
奧浪沖津波 來依寄岸荒礒矣 敷栲衾褥兮 以濱為枕陷長寢 永眠不寤汝君哉
人麿 柿本人麻呂
1317 紀友則身罷りにけるに詠める 【○古今集0838。】
明日知らぬ 我が身と思へど 暮れぬ間の 今日は人こそ 悲しかりけれ
時至明日者 孰知我身將何如 然在生暮間 今日悲汝撒手去 無暇顧念此餘事
紀貫之
1318 相知れる人の失せたる所にて詠める 【○古今集0834。】
夢とこそ 云ふべかりけれ 世中は 現有る物と 思ひける哉
人云此世間 浮生虛渺夢一場 然迄一人喪 無思此世作實在 時值今日徒虛空
紀貫之
1319 妻死に侍りて後、悲びて詠める 【○萬葉集0216。】
家に行て 我が屋を見れば 玉笹の 外に置きたる 妹が小枕
行去至家中 顧見共度吾屋者 昔日相寢兮 玉笹亡妻小枕者 向外轉兮訴魂離
人麿 柿本人麻呂
1320 【○承前。妻死後悲詠。萬葉集1269。】
卷向の 山邊響きて 行水の 水沫如に 世をば我が見る
大和纏向地 卷向山邊所響徹 川流逝水之 須臾水沫之所如 我見此世無常矣
人麿 柿本人麻呂
1321 石見に侍りて、亡く成り侍りぬべき時に臨みて 【○萬葉集0223。】
妹山の 岩根に置ける 我をかも 知らずて妹が 待つつ在らむ
石見妹山之 我置此身磐根上 伏臥將臨死 然妹居家無由知 徒守空閨待吾返
人麿 柿本人麻呂
1322 世中心細く覺えて、常為らぬ心地し侍ければ、公忠朝臣許に詠みて遣はしける、此間病重く成りにけり。
手に結ぶ 水に宿れる 月影の 有るか無きかの 世にこそ有けれ
此歌詠侍りて、程無く亡く成りにけるとなむ、家集に書きて侍る。
紀貫之
1323 朱雀院失せさせ給ひける程近く成りて、太皇太后宮幼く御座しましけるを見奉らせ給ひて
吳竹の 我が世は異に 成りぬとも 音は絕為ずも 泣かるべき哉
朱雀天皇 御製
1324 題知らず
鳥邊山 谷に煙の 燃立つは 儚く見えし 我と知らなむ
佚名
1325 病して人多く亡く成りし年、亡人を野ら藪等に置きて侍るを見て
皆人の 命を露に 譬ふるは 草叢如に 置けば也けり
左近番長 佐清
1326 世の儚事を言ひて詠侍ける
草枕 人は誰とか 言置きし 終住處は 野山とぞ見る
源順
1327 題知らず 【○萬葉集0351、和漢朗詠0781。】
世中を 何に譬へむ 朝開け 漕行く船の 跡白浪
空蟬此世間 何物喻之恰合哉 其猶朝晨時 離岸漕去舟船者 船過無影水無痕
沙彌滿誓
1328 忠蓮、南山房繪に、死人を法師の見侍て泣きたる形、描たるを見て
契有れば 屍為れども 逢ひぬるを 我をば誰か 訪はむとすらむ
源相方朝臣
1329 題知らず
山寺の 入相鐘の 聲每に 今日も暮ぬと 聞くぞ悲しき
佚名
1330 法師に成らむとて出ける時に、家に書付けて侍ける
憂世をば 背かば今日も 背きなむ 明日も有とは 賴むべき身か
大內記 慶滋保胤
1331 題知らず
世中に 牛車の 無かり為ば 思家を 如何で出坐
佚名
1332 法師に成らむとしける頃、雪降りければ、疊紙に書置きて侍ける
世中に 經るぞ儚き 白雪の 且は消えぬる 物と知る知る
藤原高光
1333 服に侍ける頃、相知りて侍ける女尼に成ぬと聞きて遣はしける
墨染の 色は我のみと 思ひしを 憂世を背く 人も有とか
大中臣能宣
1334 返し
墨染の 衣と見れば 餘所ながら 諸共に著る 色にぞ有ける
佚名
1335 成信・重家等出家し侍ける頃、左大辨行成が許に言遣はしける。 【○後拾遺1031。】
思知る 人も在ける 世中を 何時を何時とて 過ぐす成るなむ
成信、從四位上右近中將。重家,從四位下左近少將。長保二年二月三日,出家。
右衞門督 藤原公任
1336 少納言藤原統理に年頃契る事侍けるを、志賀にて出家侍ると聞きて言遣はしける
碎浪や 志賀浦風 如何許 心內の 涼かるらむ
藤原公任
1337 女院御八講の捧物に、金して龜形を作りて詠侍ける 【○齋宮齋院百人一首0033。】
業盡す 御手洗河の 龜為れば 法浮木に 逢はぬ也けり
妾身前世者 概猶御手洗河中 贖業盲龜矣 雖然欲得浮木者 無奈難逢佛法矣
齋院 選子內親王
1338 天曆御時、故后宮の御賀せさせ給はむとて侍けるを、宮失給ひにければ、軈て其設して、御諷誦行はせ給ひける時
早晩と 君にと思ひし 若菜をば 法道にぞ 今日は摘みつる
御製 村上帝
1339 為雅朝臣、普門寺にて經供養し侍りて、又日此彼諸共に歸侍ける序に、小野に罷りて侍けるに、花面白かりければ
薪樵る 事は昨日に 盡きにしを 去來斧柄は 茲に朽さむ
春宮大夫藤原道綱母
1340 左大將濟時、白川にて、説經せさせ侍けるに
今日よりは 露命も 惜しからず 蓮上の 玉と契れば
藤原實方朝臣
1341 行ひし侍ける人の苦しく覺侍ければ、得起侍らざりける夜夢に可笑しげなる法師の突驚かして詠侍ける
朝每に 拂塵だに 在る物を 今幾世とて 弛むなるらむ
佚名
1342 性空上人許に詠みて遣はしける
昏きより 暗道にぞ 入ぬべき 遙かに照せ 山端月
大江雅致女 和泉式部
1343 極樂を願ひて、詠侍ける 【○千載集1201。】
極樂は 遙けき程と 聞然ど 務めて至る 所也けり
仙慶法師
1344 市門に書付けて侍ける
一度も 南無阿彌陀佛と 言人の 蓮上に 登らぬは無し
空也上人 【天録三年九月,於東山西光寺入滅。】
1345 光明皇后、山階寺に在る佛跡に書付給ひける
三十餘り 二姿 備へたる 昔人の 踏める跡ぞ玆
光明皇后 藤原安宿媛
1346 大僧正行基、詠給ひける
法華經を 我が得し事は 薪樵り 菜摘水汲み 仕へてぞ得し
行基法師
1347 【○承前。大僧正行基所詠。】
百石に 八十石添へて 賜ひてし 乳房報 今日ぞ我がする
行基法師
1348 南天竺より、東大寺供養に會ひに、菩提が渚に來著きたりける時、詠める
靈山の 釋迦御前に 契りてし 真如朽せず 逢見つる哉
行基法師
1349 返し
迦毘羅衛に 共に契りし 甲斐有りて 文殊御顏 相見つる哉
波羅門僧正
1350 聖德太子、高岡山邊道人家に坐しけるに、餓たる人、道徬に臥せり。太子の乘給へる馬、止りて行かず。鞭を上げて打給へど、後へ退きて止る。太子即馬より下りて、餓ゑたる人許に步進給ひて、紫上御衣を脫ぎて、飢人上に覆給ふ。歌を詠みて、宣はく 【○日本紀s0104、七代記001。】
級照るや 片岡山に 飯に餓ゑて 伏せる旅人 憐親無し
級照坂暉兮 肩岡傍岡片岡山 飢腸轆轆而 無飯伏臥旅人矣 無親憐之可悲也
に、「汝生れけめや、刺竹の、君はや無き、飯に餓ゑて、臥せる、旅人憐れ、憐れ。」と云ふ歌也。
所謂,「汝生當有親,刺竹枝繁茂,明君何處在以不,飢渴求無飯,伏臥彼山間,旅人極哀甚可憐。」之歌也。
聖德太子
1351 餓人頭を擡げて、御返しを奉る 【○七代記002。】
斑鳩や 富緒河の 絕えばこそ 我が大君の 御名を忘れめ
縱有朝一日 斑鳩富緒小川之 其水斷絕者 此刻蒙恩永銘心 莫忘吾君大御名
飢者
奧書
天福元年仲秋中旬,以七旬有餘之盲目,重以愚本書之。八箇日終功。
翌日,令讀合訖。
此集,世之所傳,無指証本。仍以數多舊本校合,彼是取其要。猶非無不審。
又,算合抄之証本。抄歌五百九十四首。【上二百卅五首,下三百五十九首。】其中:
此二首,集不見歌也。
五百九十二首,集、抄無相違。
拾遺抄歌。
- 春【五十七。】
- 夏【卅二。】
- 秋【卌九。】
- 冬【卅二。】
- 賀【卅一。】
- 別【卅四。】
- 戀上【七十五。一本集不見。或本無。云云。】
- 戀下【七十五。一本集不見。】
- 雜上【百廿一。】
- 雜下【八十六。】
已上,五百九十四首。
右,拾遺集申出,定家卿自筆臨寫新院御本。【冷泉家相傳之本。先年被召之所,被臨寫也。】行數、字形,至書損等,不違一點,書寫之。及數反校合畢,【獨校二反,讀合一反。】猶以可謂証本。但御本,雜賀二枚之奧,【或人の產して侍ける七夜ノ下。】一面有白紙。此本誤,直書續之。依之,奧之禮紙,有一枚之相違者也。