拾遺和歌集 卷十八 雜賀歌
1159 延喜二年五月、中宮の御屏風、元日
昨日より 彼方をば知らず 百年の 春始は 今日にぞ有ける
紀貫之
1160 屏風に
遙遙と 雲居を指して 行舟の 行末遠く 思ほゆる哉
伊勢
1161 九條右大臣五十賀の屏風に、竹在所に花木近く在り
花色も 常磐為らなむ 弱竹の 長世に置く 露し懸からば
清原元輔
1162 為光朝臣紀守に侍ける時に、小さき子を抱出て、「茲祈れ祈れ。」と言ひたる歌詠めと云侍ければ 【○後拾遺0445。】
萬代を 數へむ物は 紀國の 千尋濱の 真砂也けり
清原元輔
1163 東宮の石取の石召しければ、三十一を包みて、一つに一文字を書きて參らせける
苔生さば 拾ひも替へむ 細石の 數を皆取る 齡幾世ぞ
佚名
1164 賀屏風、人家に、松本より泉出たり
松根に 出る泉の 水為れば 同じき物を 絕えじとぞ思ふ
紀貫之
1165 冷泉院五六親王袴著侍ける頃、言遣せて侍ける
岩上の 松に譬へむ 君君は 世に稀らなる 種とぞ思へば
左大臣
1166 或人の產して侍ける七夜
松が枝の 通へる枝を 鳥座にて 巢立てらるべき 鶴雛哉
清原元輔
1167 大貳國章、孫の五十日に、破籠調じて、歌を繪に描かせける
松苔 千年を豫て 生茂れ 鶴卵の 巢とも見るべく
清原元輔
1168 題知らず
我のみや 子持たる云へば 高砂の 尾上に立てる 松も子持たり
佚名
1169 延喜御時、齋院屏風四帖、宣旨によりて 【○新古今1991。】
幾世經し 磯邊松ぞ 昔より 立寄る浪や 數は知るらむ
紀貫之
1170 人の元服し侍けるに
濃紫 棚引雲を 標にて 位山の 峰を尋ねむ
清原元輔
1171 天曆御時、內裏にて、為平親王袴著侍けるに
百敷に 千歲事は 多かれど 今日君將 珍しき哉
參議 小野好古
1172 五月五日、小さき飾粽を山菅籠に入れて、為雅朝臣女に心指すとて
心指し 深き汀に 苅菰は 千歲五月 何時か忘れむ
春宮大夫藤原道綱母
1173 天德四年、右大臣五十賀屏風に
千年經む 君し坐さば 皇の 天下こそ 後やすけれ
清原元輔
1174 東三條院の賀、左大臣のし侍けるに、上達部盃取りて、歌詠侍けるに
君が世に 今幾度か 如是しつつ 嬉しき事に 逢はむとすらむ
右衛門督 藤原公任
1175 右大臣、家造改めて渡始めける頃、文作り、歌等人人に詠ませ侍けるに、水樹多佳趣と云ふ題を
住初むる 末心の 見ゆる哉 汀松の 蔭を映せば
右衛門督 藤原公任
1176 或人の賀し侍けるに
千歲經る 霜鶴をば 置乍ら 久しき物は 君にぞ在ける
權中納言 藤原敦忠
1177 清和女七內親王の八十賀、重明親王のし侍ける時の屏風に、竹に雪降掛りたる形有る所に
白雪は 降隱せども 千代迄に 竹綠は 變らざりけり
紀貫之
1178 子を富果と付けて侍けるに、袴著すとて
世中に 異なる事は 非ずとも 富果してむ 命長くば
清原元輔
1179 中將に侍ける時、右大辨源致方朝臣許へ、八重紅梅を折りて遣はすとて
流俗の 色には非ず 梅花
右大將 藤原實資
珍重すべき 物とこそ見れ
源致方朝臣
1180 筑紫へ罷りける時に、竈山本に宿りて侍けるに、道列に侍ける木に古く書付けて侍ける
春は萌え 秋は焦がるる 竈山
佚名
霞も霧も 煙とぞ見る
清原元輔
1181 春、良岑義方女許に遣はすとて
思立ちぬる 今日にも有哉
藤原忠君朝臣 【右兵衞督。】
斯からでも 在にし物を 春霞
むすめ
1182 廣幡御息所、內に參りて、遲渡らせ給ひければ
暮すべし やは今迄に 君
廣幡御息所 源計子
と奏し侍ければ
訪ふやとぞ我も 待つる春日を
村上帝
1183 宵に久しう大殿籠らで、仰せられける
小夜更けて 今は眠たく 成にけり
天曆御製 村上帝
御前に侍ひて、奏しける
夢に逢ふべき 人や待つらむ
滋野內侍少貳命婦
1184 內に侍人を契りて侍ける夜、遲詣來ける程に、丑三つと時申しけるを聞きて、女の言遣はしける
人心 丑三つ今は 賴まじよ
女
夢に見ゆやと 寢ぞ過ぎにける
良宗貞
1185 題知らず
引寄せば 唯には寄らで 春駒の 綱引するぞ 繩立つと聞く
平定文
1186 【○承前。無題。古今集0092。】
花木は 籬近くは 植ゑて見じ 移色に 人傚ひけり
莫將花木者 植於近籬柴垣下 灼然令眾觀 人見花開花落者 亦倣習之心常變
佚名
1187 【○承前。無題。】
夏は扇 冬は火桶に 身を成して 由緣無き人に 寄も付かばや
落花雖有意 無奈流水總無情 願幻化此身 夏涼扇兮冬火桶 得以常近無情郎
佚名
1188 【○承前。無題。】
戀するに 佛に成ると 言はませば 我ぞ淨土の 主為らまし
佚名
1189 灌佛の童を見侍て
唐衣 龍より落つる 水為らで 我が袖濡らす 物や何なる
佚名
1190 修理大夫惟正が家に方違へに罷りたりけるに、出して侍ける枕に書付け侍ける
辛からば 人に語らむ 敷栲の 枕交して 一夜寢にきと
藤原義孝
1191 同少將通侍ける所に、兵部卿致平親王罷りて、少將君御座したりと言はせ侍けるを、後に聞きて、彼親王許に遣はしける
恠くも 我が濡衣を 著たる哉 三笠山を 人に借られて
藤原義孝
1192 忍びたる人許に遣はしける
隱簑 隱笠をも 得てし哉 來りと人に 知られざるべく
平公誠
1193 年月を經て懸想侍ける人の、由緣無くのみ侍ければ、今は更に世にも有らじと言侍て後、久しく訪ず侍ければ、彼男の妹に樣樣も相語て文等遣はしければ、言遣はしける
心有りて 問ふには非ず 世中に 有や無しやの 聞か真欲きぞ
佚名
1194 語らひける人の久しう音せず侍ければ、筍を遣はすとて
君訪はで 幾夜經ぬらむ 色變ぬ 竹古根の 生變る迄
佚名
1195 延喜十七年八月、宣旨によりて詠侍ける
來ぬ人を 下に待ちつつ 久方の 月を哀と 言はぬ夜ぞ無き
紀貫之
1196 題知らず 【○萬葉集2640。】
梓弓 引きみ引かずみ 來ずば來ず 來ば來を何ぞ 餘所にこそ見め
梓弓振弦兮 引張弛緩亂人心 不來則不來 來者當來何不定 不若遠觀莫相近
柿本人丸
1197 春日使に罷りて、歸りて即女許に遣はしける
暮れば夙 行きて語らむ 逢事の 十市里の 住憂かりしも
一條攝政 藤原伊尹
1198 東より或男罷上りて、樣樣物言侍ける女許に罷りたりけるに、如何で急上りつるぞ等言侍ければ
愚にも 思はましかば 東道の 伏屋と言ひし 野邊に寢なまし
佚名
1199 女許に遣はしける文端を引破りて、返事をせざりければ
跡も無き 葛城山を 踏見れば 我が渡し來し 片端かもし
佚名
1200 人の草子書かせ侍ける奧に書付侍ける
書付くる 心見えなる 跡為れど 見ても偲ばむ 人や有るとて
佚名
1201 大納言朝光下﨟に侍ける時、女許に忍びて罷りて、曉に歸らじと言ひければ
岩橋の 夜契も 絕えぬべし 明くる侘しき 葛城神
春宮女藏人左近
1202 入道攝政罷通ひける時、女許に遣はしける文を見侍て
疑はし 他に渡せる 文見れば 我やと絕えに 成らむとすらむ
春宮大夫藤原道綱母
1203 題知らず
如何でかは 尋來つらむ 蓬生の 人も通はぬ 我が宿道
佚名
1204 東三條に罷出て、雨降りけるに
雨為らで 守人も無き 我が宿を 淺茅原と 見るぞ悲しき
承香殿女御 徽子女王
1205 罷通ふ所の雨降りければ
古は 誰が故鄉ぞ 覺束無 宿守る雨に 問ひて知らばや
大納言 藤原朝光
1206 中納言平惟仲久しう在て消息して侍ける返事に書かせ侍ける 【○金葉集三奏本0430。】
夢とのみ 思成りにし 世中を 何今更に 驚かすらむ
儀同三司母
1207 題知らず
人も見ぬ 所に昔 君と我が 為せぬ業業を 為しぞ戀しき
源公忠朝臣
1208 左大將濟時が相知りて侍ける女筑紫に罷下りけるに、實方朝臣宇佐使にて下侍けるに付けて、訪ひに遣はしたりければ
今日王迄は 生松原 生たれど 我が身憂に 歎きてぞ經る
藤原後生女
1209 成房朝臣、法師に成らむとて、飯室に罷りて、京家に枕箱を取りに遣はしたりければ、書付けて侍ける
活たるか 死ぬるか如何に 思ほえず 身より他なる 玉櫛笥哉
源則忠朝臣女