拾遺和歌集 卷第九 雜歌下
雜歌 旋歌頭 長歌
雜歌
0509 或所に、春秋孰勝ると、問はせ給ひけるに、詠みて奉ける
春秋に 思亂れて 別兼ねつ 時に付けつつ 移る心は
紀貫之
0510 元良親王、承香殿俊子に春秋孰勝ると問侍ければ、秋もをかしうはべりと言ひければ、面白き櫻を、茲は如何と言ひて侍ければ
大方の 秋に心は 寄せしかど 花見る時は 孰れとも無し
承香殿俊子
0511 題知らず
春は唯 花一重に 咲許 物哀は 秋ぞ勝れる
佚名
0512 圓融院の上、鶯と郭公と孰勝ると申せと仰せられければ
折からに 何れとも無き 鳥音も 如何定めむ 時為らぬ身は
大納言 藤原朝光
0513 躬恒、忠岑に問侍ける
白露は 上より置くを 如何為れば 萩下葉の 先紅變らむ
參議 藤原伊衡
0514 答ふ
小壯鹿の 柵伏する 秋萩は 下葉や上に 成返るらむ
凡河內躬恒
0515 【○承前。答歌。】
秋萩は 先指枝より 移ふを 露別くとは 思はざらなむ
壬生忠岑
0516 又問ふ
千歲經る 松下葉の 色付くは 誰が下上に 懸て返すぞ
藤原伊衡
0517 答ふ
松と云へど 千歲秋に 逢來れば 忍びに落る 下葉也けり
凡河內躬恒
0518 又問ふ
白妙の 白月をも 紅の 色をも何どか 明しと云ふらむ
藤原伊衡
0519 答ふ
昔より 言ひしきにける 事為れば 我等は如何 今は定めむ
凡河內躬恒
0520 又問ふ
影見れば 光無きをも 衣縫ふ 絲をも何どか 縒ると云ふらむ
藤原伊衡
0521 答ふ
烏玉の 夜は戀しき 人に逢て 絲をも縒れば 逢ふとやは見ぬ
凡河內躬恒
0522 又問ふ
夜晝の 數は三十に 餘らぬを 何ど長月と 言始めけむ
藤原伊衡
0523 答ふ
秋深み 戀する人の 明しかね 夜を長月と 云ふにや有るらむ
凡河內躬恒
0524 歌合の合せずなりにけるに
水泡や 種と成るらむ 浮草の 蒔人無みの 上に生ふれば
佚名
0525 草合し侍ける所に
種無くて 無物草は 生ひにけり 蒔く云ふ事は 非じとぞ思ふ
惠慶法師
0526 謎謎物語しける所に
我が事は 得も岩代の 結松 千歲を經とも 誰か解くべき
曾禰好忠
0527 題知らず
足引の 山小寺に 住人は 我が言事も 叶はざりけり
佚名
0528 健守法師、佛名野伏にて罷出て侍ける年、言遣はしける
山為らぬ 住處數多に 聞人は 野伏に夙くも成りにける哉
源經房朝臣
0529 返し
山伏も 野伏も如是て 試みつ 今は舍人の 寢屋ぞ床しき
健守法師
0530 屏風に、法師舟に乘りて漕出たる所
大海は 海人舟こそ 有と聞け 乘違へても 漕出る哉
右大將藤原道綱母
0531 內より人家に侍ける紅梅を掘らせ給ひけるに、鶯巢食ひて侍ければ、家主の女先づ如斯奏せさせ侍ける
勅為れば 甚も恐し 鶯の 宿はと問はば 如何答へむ
如斯奏せさせければ、堀らず成りにけり。
佚名
0532 或所に說經し侍ける法師の從僧ばらのゐて侍けるに、簾垂內より、「花を折りて。」と言侍ければ
否折らじ 露に袂の 濡れたらば 物思けりと 人もこそ見れ
壽玄法師
0533 月を見侍て
梓弓 遙に見ゆる 山端を 如何でか月の 指して入るらむ
大中臣能宣
0534 賀茂に詣侍ける男の見侍て、「今は莫隱れそ。甚良く見てき。」と言遣せて侍ければ
空目をぞ 君は御手洗 河水 淺しや深し 其は我かは
伊勢
0535 能宣に車釭を乞ひに遣はして侍けるに、侍らずと言ひて侍ければ
鹿を指して 馬と云ふ人 有ければ 鴨をも鴛鴦と 思ふなるべし
藤原仲文
0536 返し
無と云へば 惜むかもとや 思ふらむ 鹿や馬とぞ 云べかりける
大中臣能宣
0537 廉義公家紙繪に、青馬在所に葦花毛馬在所
難波江の 葦花毛の 雜れるは 津國飼の 駒にや有るらむ
惠慶法師
0538 攝津守に侍ける人許にて
難波瀉 茂合るは 君が世に 惡しかる業を 為ねば成べし
壬生忠見
0539 攝津國に罷れりけるに、知りたる人に逢侍て
都には 住侘果て 津國の 住吉と聞く 里にこそ行け
壬生忠見
0540 難波に祓しに、或女罷りたりけるに、元親く侍ける男の葦を苅りて怪しき樣に成りて道に會て侍けるに、然氣無くて年頃榮合はざりつる事等言遣はしたりければ、男の詠侍ける
君無くて 葦苅けりと 思ふにも 甚難波の 浦ぞ住憂き
佚名
0541 返し
惡からじ 良からむとてぞ 別れけむ 何か難波の 浦は住憂き
佚名
0542 伊勢御息所生奉たりける親王の亡くなりにけるが、描置きたりける繪を藤壺より麗景殿女御方に遣はしたりければ、此繪を返すとて
亡人の 形見と思ふに 怪しきは 繪見ても袖の 濡るる成りけり
麗景殿宮君
0543 地獄形書きたるを見て
三瀨川 渡水竿も 無かりけり 何に衣を 脫ぎて掛くらむ
菅原道雅女
0544 去年秋、女に後れて侍けるに、孫の後春の兵衛佐に成りて侍ける喜びを人人言遣はし侍ければ
如是しこそ 春始は 嬉けれ 辛きは秋の 終也けり
皇太后宮權大夫 藤原國章
0545 源重之母の近江國府に侍けるに、孫の東國より夜上りて、急事侍て、え此度逢はで上りぬる事、と言ひて侍ければ、祖母の女の詠侍ける
親之親と 思はましかば 訪ひてまし 我が子之子には 非ぬ成るべし
源重之母
0546 題知らず 【○萬葉集1342。】
山高み 夕日隱れぬ 淺茅原 後見む為に 標結は益を
以其山高峻 夕日早暮天昏闇 早知如此者 寔宜標結淺茅原 以為日後來苅取
人麿 柿本人麻呂
0547 【○承前。無題。】
名のみして 山は三笠も 無かりけり 朝日夕日の 射すを云哉
紀貫之
0548 【○承前。無題。】
名のみして 生れるも見えず 梅津川 井堰水も 漏ればなりけり
佚名
0549 【○承前。無題。】
名には云へど 黑くも見えず 漆川 流石に渡る 水は濡るめり
佚名
0550 雨降る日、大原川を罷渡けるに、蛭付きたりければ
世中に 恠き物は 雨降れど 大原川の 乾るにぞ有ける
惠慶法師
0551 冠柳を見て
河柳 絲は綠に 有物を 何れか朱の 衣なるらむ
藤原仲文
0552 天曆御時、一條攝政藏人頭にて侍けるに、帶を掛けて御碁遊しける、負奉て御數多く成侍ければ、帶を返給ふとて
白浪の 打ちや返すと 待つ程に 濱真砂の 數ぞ積れる
御製 村上帝
0553 內侍馬家に右大將實資が童に侍ける時、碁打ちに罷りたりければ、物書かぬ草子を掛け物にして侍けるを見侍て
いつしかと 明けて見たれば 濱千鳥 跡有る每に 跡無き哉
小野宮太政大臣 藤原實賴
0554 返し
止めても 何にかは為む 濱千鳥 古りぬる跡は 浪に消えつつ
馬內侍
0555 題知らず
水底の 湧許にや 潛るらむ 寄人も無き 瀧白絲
佚名
0556 清原元輔、肥後守に侍ける時、彼國の鼓瀧と云ふ所を見に罷りたりけるに、異樣なる法師の詠侍ける
音に聞く 皷瀧を 打見れば 唯山川の 鳴るにぞ有ける
佚名
0557 三位國章小瓜を扇に置きて、藤原兼範に持たせて、大納言朝光が兵衛佐に侍ける時、遣はしたりければ
音に聞く 狛渡の 瓜作り と生如此なり 成る心哉
佚名
0558 返し
定無く 成る生る瓜の 面見ても 立や寄來む 狛好者
藤原國章
0559 陸奧國名取郡黑塚と云ふ所に重之が妹數多有りと聞きて言遣はしける
陸奧の 安達原の 黑塚に 鬼籠れりと 云ふは誠か
平兼盛
0560 廉義公家紙繪に旅人の盜人に遭ひたる形描ける所
盜人の 龍田山に 入りにけり 同髻首の 名にや穢れむ
藤原為賴
0561 【○承前。廉義公家紙繪,書旅人遇盜人之所。】
無き名のみ 龍田山の 麓には 世にも嵐の 風も吹かなむ
藤原為賴
0562 高尾に罷通ふ法師に名立侍けるを、少將滋幹が聞付けて、誠かと言遣はしたりければ
無き名のみ 高尾山と 云立つる 君は愛宕の 峯にや有るらむ
八條大君
0563 御嶽に年老いて詣侍て
古も 登りやしけむ 吉野山 山より高き 齡なる人
清原元輔
0564 大隅守櫻島忠信が國に侍ける時、郡司に頭白き翁の侍けるを召考むとし侍にける時、翁の詠侍ける
老果て 雪山をば 戴けど 霜と見るにぞ 身は冷えにける
此歌に依りて許され侍にける。
翁
旋歌頭
0565 旋歌頭
真澄鏡 底なる影に 向居て見る 時にこそ 知らぬ翁に 遭ふ心地すれ
佚名
0566 【○承前。旋歌頭。萬葉集2366。】
真澄鏡 見然と思ふ 妹に逢はむ哉 玉緒の 絕えたる戀の 茂此頃
無曇真澄鏡 吾人由衷寔欲見 可惜伊人不予逢 魂絲命緒矣 情斷覆水誠難收 其戀仍繁比昔時
柿本人麿 柿本人麻呂
0567 【○承前。旋歌頭。萬葉集1291、和漢朗詠0436。】
彼岡に 草苅る男 然莫苅りそ 在つつも 君が來坐さむ 御秣に為む
在於彼岡間 苅草杣夫男丁矣 還欲莫刈如此然 願留此岡草 待於吾君來幸時 以為御馬食料秣
柿本人麿 柿本人麻呂
0568 女許に罷りたりけるに、夙入りにければ、朝に
梓弓 思はずにして 入にしを 然も妬引き 留めてぞ 臥すべかりける
源景明
長歌
0569 吉野宮に奉る歌 【○萬葉集0036。】
千早振る 我が大君の 聞召す 天下なる 草葉も 潤ひに足りと 山川の 澄る河內と 御心を 吉野國の 花盛り 秋津野邊に 宮柱 太敷坐して 百敷の 大宮人は 舟並べ 朝川渡り 舟競べ 夕川渡り 此川の 絕ゆる事無く 此山の 彌高からし 玉水の 瀧京 見れど飽かぬ哉
千早振稜威 經綸恢弘我大君 其所馭聞食 八紘六合普天下 顯見蒼生之 草葉霑潤足皇澤 秀麗而豐榮 山川水清澄河內 御心寄情兮 御吉野兮吉野國 花盛咲絢爛 蜻蛉秋津之野邊 立豎大宮柱 無礎深穴太敷坐 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 列船並進兮 朝日渡川詣宮朝 競船漕槳兮 夕暮渡川詣闕廷 猶彼川蟻通 終日絡繹無絕時 如彼山險峻 美輪美奐彌高知 晶瑩玉水兮 激越瀧京吉野宮 雖見百遍無厭時
人麿 柿本人麻呂
0570 反歌 【○萬葉集0037。】
見れど飽かぬ 吉野川の 流れても 絕ゆる時無く 行歸見む
百見無厭時 源遠流長吉野川 逝水如斯夫 亙古恆久無絕時 再三行返復歸見
人麿 柿本人麻呂
0571 身沈みける事を嘆きて、勘解由判官にて
新の 年二十に 足らざりし 常磐山の 山寒み 風も障らぬ 藤衣 二度裁ちし 朝霧に 心も空に 惑初め 孤兒草に 成しより 物思事の 葉を繁み 消ぬべき露の 夜は起きて 夏は汀に 燃渡る 螢を袖に 拾ひつつ 冬は花かと 見え紛ひ 此面彼面に 降積る 雪を袂に 集めつつ 文見て出し 道は猶 身憂にのみ 有ければ 爰も彼處も 葦根這ふ 下にのみこそ 沉みけれ 誰九つの 澤水に 鳴鶴音を 久方の 雲上迄 隱無み 高く聞ゆる 甲斐有て 言流しけむ 人は猶 貝も渚に 滿潮の 世には辛くて 住江の 松は徒 老いぬれど 綠衣 脫棄む 春は何時とも 白浪の 浪路に甚く 行通ひ 湯も取敢へず 成にける 舟我をし 君知らば 憐今だに 沉めじと 海人釣舟 打延へて 引くとし聞かば 物は思はじ
源順
0572 返し
世中を 思へば苦し 忘るれば 得も忘られず 誰も皆 同御山の 松枝と 枯るる事無く 皇の 千代も八千代も 仕へむと 高賴みを 隱沼の 下より根指す 菖蒲草 綾無き身にも 人並に 斯かる心を 思ひつつ 世に降る雪を 君はしも 冬は取積み 夏は復 草螢を 集めつつ 光清けき 久方の 月桂を 折る迄に 時雨に漬ち 露に濡れ 經にけむ袖の 深綠 色褪方に 今は成り 且下葉より 紅に 移果む 秋に逢はば 先開けなむ 花よりも 木高蔭と 仰がれむ 物とこそ見し 鹽釜の 衷寂しげに 何ぞも如是 世をしも思ひ 那須湯の 絕ゆる故をも 構へつつ 我身を人の 身に為して 思較べよ 百敷に 明し暮して 常夏の 雲居遙けき 人並に 遲れて靡く 我も在るらし
大中臣能宣
0573 或男の物言侍ける女の、忍びて逃侍て、年頃有りて消息して侍けるに、男の詠侍ける
今はとも 言はざり然ど 八少女の 立つや春日の 故鄉に 歸や來ると 待乳山 待つ程過ぎて 雁音の 雲餘所にも 聞えねば 我は虛しき 玉梓を 書手も弛く 結置きて 傳遣る風の 便だに 渚に來居る 夕千鳥 恨みは深く 滿潮に 袖のみ甚ど 濡れつつぞ 跡も思はぬ 君により 甲斐無き戀に 何然も 我のみ獨 浮舟の 焦れて世には 渡るらむ とさへぞ果は 蚊遣火の 燻る心も 盡きぬべく 思成る迄 訪れず 覺束無くて 歸れども 今日水莖の 跡見れば 契りし事は 君も復 忘れざりけり 然し有らば 誰も憂世の 朝露に 光待間の 身にし在れば 思はじ如何で 常夏の 花移ふ 秋も無く 同渡に 住江の 岸姬松 根を結び 世世を經つつも 霜雪の 降るにも濡れぬ 仲と成りなむ
佚名
0574 圓融院御時、大將離侍て後、久しく參らで奏せさせ侍ける
憐我 五つの宮の 宮人と 其數為らぬ 身を為して 思ひし事は 掛幕も 恐けれども 賴もしき 蔭に二度 遲れたる 雙葉草を 吹風の 荒方には 當てじとて 狹き袂を 防ぎつつ 塵も据じと 磨きては 玉光を 誰か見む と思心に 負氣無く 上枝をば 指越えて 花咲く春の 宮人と 成りし時はは 如何許 繁蔭とか 賴まれし 末世迄と 思ひつつ 九重の 其中に 齋据しも 言出しも 誰為ら無くに 小山田を 人に任せて 我は唯 袂漬つに 身を為して 二春三春 過ぐしつつ 其秋冬の 朝霧の 絕間にだにも と思ひしを 峰白雲 橫樣に 立變りぬと 見て然ば 身を限とは 思ひにき 命有らばと 賴みしは 人に遲るる 名也けり 思ふも著 山河の 皆下なりし 諸人も 動かぬ岸に 守上げて 沈む水屑の 果果は 搔流されし 神無月 薄冰に 閉ぢられて 止れる方も 泣侘る 淚沈みて 數ふれば 冬も三月に 成りにけり 長夜な夜な 敷栲の 臥さず休まず 明暮し 思へども猶 悲きは 八十氏人も 新世の 例也とぞ 騷ぐ成る 况て春日の 杉叢に 未枯れたる 枝は有らじ 大原野邊の 壺菫 罪犯し有る 物為らば 照日も見よと 云事を 年終に 清めずば 我が身ぞ遂に 朽ぬべき 谷埋木 春來とも 偖や止みなむ 年內に 春吹風も 心有らば 袖冰を 解けと吹かなむ
東三條太政大臣 藤原兼家
0575 玆が御返、唯、稻船の、と仰られたりければ、又御返し
如何に為む 我が身下れる 稻舟の 暫許の 命堪ずば
藤原兼家