拾遺和歌集 卷第八 雜歌上
0432 月を見侍て
世に經るに 物思ふとしも 無けれども 月に幾度 眺めしつらむ
中務卿 具平親王
0433 清慎公家屏風に
思事 有とは無しに 久方の 月夜と成れば 寢られざりけり
紀貫之
0434 妻に後れて侍ける頃、月を見侍て
眺むるに 物思事の 慰むは 月は憂世の 外よりや行く
大江為基
0435 法師に成らむと思立ちける頃、月を見侍て
如此許 經難く見ゆる 世中に 羨ましくも 澄める月哉
藤原高光
0436 冷泉院の東宮に御座しける時、月を待つ心の歌、殿上人の詠侍けるに
有明の 月光を 待程に 我が世の甚く 老けにける哉
藤原仲文
0437 參議玄上妻の、月明夜、門前を渡るとて、消息言入れて侍ければ
雲居にて 相語らはぬ 月だにも 我が宿過ぎて 行時は無し
伊勢
0438 花山に罷りて侍けるに、駒牽御馬を遣はしたりければ 【○後撰集1144。】
望月の 駒より遲く 出つれば 辿る辿るぞ 山は越えけつる
素性法師
0439 屏風繪に
常よりも 照增さる哉 山端の 紅葉を分けて 出る月影
紀貫之
0440 【○承前。屏風繪。】
久方の 天空なる 月為れど 何れの水に 影宿るらむ
凡河內躬恒
0441 廉義公後院に住侍ける時、歌詠侍ける人人召集めて、水上秋月と云ふ題を詠ませ侍けるに
水底に 宿る月さへ 浮かべるを 深きや何の 水屑なるらむ
左大將 藤原濟時
0442 【○承前。廉義公住後院時,招集詠歌眾人,詠水上秋月。】
水面に 月沈むを 見ざりせば 我獨とや 思ひはてまし
式部大輔文時
0443 除目朝に、命婦左近が許に遣はしける
年每に 絕えぬ淚や 積りつつ 甚深くは 身を沈むらむ
清原元輔
0444 圓融院御時御屏風歌奉ける序に、添へて奉ける
程も無く 泉許に 沈む身は 如何なる罪の 深き成るらむ
源順
0445 權中納言敦忠が西坂本山庄の瀧岩に書付侍ける
音羽川 堰入れて落す 瀧瀨に 人心の 見えもする哉
伊勢
0446 【○承前。權中納言敦忠書付西坂本山庄瀧岩。】
君が來る 宿に絕えせぬ 瀧絲 延へて見欲き 物にぞ有ける
中務
0447 題知らず
流來る 瀧白絲 絕えずして 幾らの玉の 緒とか成るらむ
紀貫之
0448 延喜十三年齋院御屏風四帖が歌仰せによりて
流來る 瀧絲こそ 弱からし 貫けど亂れて 落つる白玉
紀貫之
0449 大覺寺に人人數多罷りたりけるに、古瀧を詠侍ける 【○千載集1035、百人一首0055。】
瀧絲は 絕えて久しく 成ぬれど 名こそ流れて 猶聞えけれ
瀧絲絕已久 昔日名瀧今水涸 其形雖不再 盛名流傳亙萬代 至今猶聞無絕日
右衛門督 藤原公任
0450 題知らず
大空を 眺めぞ暮す 吹風の 音はすれども 目にも見えねば
凡河內躬恒
0451 野宮に齋宮の庚申し侍けるに、松風入夜琴と云ふ題を詠侍ける
琴音に 峰松風 通ふらし 何れの尾より 調初めけむ
齋宮女御 徽子女王
0452 【○承前。於野宮侍齋宮庚申時,詠松風入夜琴。齋宮女御集0048b】
松風の 音に亂るる 琴音を 彈けば子日の 心地こそすれ
齋宮女御 徽子女王
0453 天曆御時、名有る所を御屏風に描かせ給ひて、人人に歌奉らせ給ひけるに、高砂を
尾上なる 松梢は 打靡き 浪聲にぞ 風も吹きける
壬生忠見
0454 延喜御時、御屏風に
雨降ると 吹く松風は 聞ゆれど 池汀は 增らざりけり
紀貫之
0455 同御時、大井に行幸有りて、人人に歌詠ませ給ひけるに
大井川 河邊松に 言問はむ 斯る御幸や 有し昔を
紀貫之
0456 住吉に國司の臨時祭し侍ける舞人にて、土器取りて詠侍ける
音にのみ 聞渡りつる 住吉の 松千歲を 今日見つる哉
紀貫之
0457 五條內侍督賀の屏風に、松海に漬たりたる所を
海にのみ 浸たる松の 深綠 幾潮とかは 知るべかるらむ
伊勢
0458 物へ罷りける人に幣遣はしける衣箱に、浮島形をし侍て
大海原の 浪にも濡れぬ 浮島は 松に心を 寄せて賴まむ
大中臣能宣
0459 題知らず
加古島 松原越しに 鳴鶴の 嗚呼長長し 聞人無しに
佚名
0460 相語らひ侍ける人、陸奧國へ罷りければ 【○金葉集三奏本0361。】
如何で猶 我が身に換て 武隈の 松とも成らむ 行人の為
大中臣能宣
0461 河原院古松を詠侍ける 【○金葉集三奏本0530。】
行末の 兆許に 殘るべき 松さへ甚く 老いにける哉
源道濟
0462 題知らず
世中を 住吉としも 思はぬに 何を待つとて 我が身經ぬらむ
佚名
0463 官給はらで歎侍ける頃、人の草子書かせ侍ける奧に書付侍ける
徒に 世に古る物と 高砂の 松も我をや 友と見るらむ
紀貫之
0464 明石浦畔を舟に乘りて罷りけるに
世と共に 明石浦の 松原は 浪をのみこそ 寄ると知るらめ
源為憲
0465 題知らず
藻苅舟 今ぞ渚に 來寄すなる 汀鶴も 聲騷ぐなり
佚名
0466 【○承前。無題。】
打忍び 去來住江の 忘草 忘れて人の 復や摘まぬと
佚名
0467 山寺に罷りける曉に晚蟬鳴侍ければ
朝ぼらけ 晚蟬聲 聞ゆなり 此や明暮と 人言ふらむ
左大將 藤原濟時
0468 天曆御時、御屏風繪に長柄橋柱の僅に殘れる形有けるを
葦間より 見ゆる長柄の 橋柱 昔跡の 標也けり
藤原清忠
0469 大江為基が許に賣りに詣來ける鏡の包みたりける紙に書付けて侍ける
今日迄と 見るに淚の 真澄鏡 馴れにし影を 人に語る莫
佚名
0470 橘忠幹が人女に忍びて物言侍ける頃、遠所に罷侍るとて、此女許に言遣はしける
忘る莫よ 程は雲居に 成りぬとも 空行く月の 巡逢ふ迄
佚名
0471 題知らず 【○續千載集戀四。】
年月は 昔に非ず 成行けど 戀しき事は 變らざりけり
紀貫之
0472 清慎公月林寺に罷りけるに、後れて詣來て詠侍ける
昔我が 折し桂の 甲斐も無し 月林の 召しに入らねば
藤原後生
0473 菅原大臣冠し侍ける夜、母の詠侍ける
久方の 月桂も 折許 家風をも 吹かせてし哉
菅原道真母
0474 題知らず 【○萬葉集1351。】
月草に 衣は摺らむ 朝露に 濡れての後は 移ひぬとも
手取月露草 摺染衣裳上墨藍 縱令沾朝露 衣濡之後色易褪 仍欲一親彼芳澤
人麿 柿本人麻呂
0475 【○承前。無題。萬葉集1298。】
千分くに 人は云ふとも 織りて著む 我が織物に 白麻衣
諸人雖口傳 流言蜚語噂不斷 然欲繼織矣 吾之織機所縫紉 白妙素織麻衣矣
人麿 柿本人麻呂
0476 【○承前。無題。萬葉集1371。】
久方の 雨には著ぬを 恠くも 我が衣手の 乾時も無き
遙遙久方兮 天雨之下未著之 奇也恠也哉 何以吾袖沾襟濕 漬濡衣手無乾時
人麿 柿本人麻呂
0477 【○承前。無題。】
白浪は 裁てど衣に 重ならず 明石も須磨も 己が浦浦
人麿 柿本人麻呂
0478 唐へ遣はしける時に詠める 【○萬葉集3666。】
夕去れば 衣手寒し 我妹子が 解洗衣 行て早著む
每逢夕暮時 倍感此袖衣手寒 愛也吾妹妻 所以解洗繕裳者 誠欲速歸早著矣
人麿 柿本人麻呂
0479 流され侍ける道にて詠侍ける
天星 道も宿も 有ながら 空に浮きても 思ほゆる哉
贈太政大臣 菅原道真
0480 浮木と云ふ心を
流木も 三歲有てば 相見てむ 世憂事ぞ 返らざりける
贈太政大臣 菅原道真
0481 官取られて侍ける時、妹女御許に遣はしける 【○古今集0964。】
浮世には 門鎖せりとも 見え無くに 何どか我が身の 出難にする
浮生憂世者 豈得闔門上閉鎖 然吾厭憂世 雖欲遁隱歸佛門 難捨娑婆出此世
平定文
0482 中宮の長恨歌御屏風に
木にも生ひず 羽も並べで 何しかも 浪路隔てて 君を聞くらむ
伊勢
0483 大津宮の荒れて侍けるを見て
樂浪や 近江宮は 名のみして 霞棚引き 宮木守無し
人麿 柿本人麻呂
0484 初瀨へ詣侍ける道に、佐保山の渡に宿りて侍けるに、千鳥鳴くを聞きて
曉の 寢覺千鳥 誰が為か 佐保河原に 若返鳴く
大中臣能宣
0485 物へ罷りける人許に、幣を結袋に入れて遣はすとて
淺からぬ 契結べる 心葉は 手向神ぞ 知るべかりける
大中臣能宣
0486 泊瀨道にて、三輪山を見侍て
三輪山 印杉は 有ながら 教へし人は 亡くて幾世ぞ
清原元輔
0487 對馬守小野明道妻隱岐が下侍ける時に、共政朝臣妻肥前が詠みて遣はしける 【○金葉集0341。】
沖津島 雲居岸を 行歸り 文通はさむ 幻欲得
肥前
0488 詠天 【○萬葉集1068。】
空海に 雲浪立ち 月舟 星林に 漕隱る見ゆ
遙遙久方兮 空海雲湧如駭浪 月舟渡大虛 榜入星林沒其間 漕隱之狀今可見
人麿 柿本人麻呂
0489 藻を詠める 【○萬葉集1685。】
川瀨の 渦卷く見れば 玉藻苅る 散亂れたる 河舟かも
每見河瀨之 流水渦卷迸激越 洽猶苅玉藻 散亂漂靡之所如 此苅川藻河舟矣
人麿 柿本人麻呂
0490 山を詠める 【○萬葉集1092。】
鳴神の 音にのみ聞く 卷向の 檜原山を 今日見つる哉
鳴神雷動兮 唯其聲名音可聞 卷向檜原山 久仰其名未得見 今日終能瞻其容
人麿 柿本人麻呂
0491 詠葉 【○萬葉集1092。】
古に 有けむ人も 我が如や 三輪檜原に 簪首折りけむ
遙想過往時 所在故人當何如 蓋如吾等者 身居三輪檜原間 折枝髻首插頭哉
人麿 柿本人麻呂
0492 題知らず
人知れず 越ゆと思ふらし 足引の 山下水に 影は見えつつ
紀貫之
0493 伊勢行幸に罷留りて 【○萬葉集0040。】
麻生海に 舟乘りすらむ 我妹子が 赤裳裾に 潮滿らむか
伊勢麻生海 𡢳嬬乘船遊興歟 愛也吾妹子 華美赤裳裙裾間 潮水蓋盈漫腰下
人麿 柿本人麻呂
0494 天曆十一年九月十五日、齋宮下侍けるに、內より硯調じて賜はすとて 【○齋宮齋院百人一首0014。】
思事 成ると云ふなる 鈴鹿山 越えて嬉しき 境とぞ聞く
鈴鳴蘊吉兆 人云心想能事成 鈴鹿山也者 越之得令國安泰 嬉哉國境之山也
御製 村上帝
0495 圓融院御時、齋宮下侍けるに、母前齋宮諸共に越侍て
世に經れば 又も越えけり 鈴鹿山 昔今に 成るにや有るらむ
齋宮女御 徽子女王
0496 飛鳥女王を納むる時詠める 【○萬葉集0197。】
飛鳥川 柵渡し 塞かませば 流るる水も 長閑けからまし
明日香之川 若得架柵渡彼水 柵塞川水者 流去不返逝水矣 蓋得長閑存細流
人麿 柿本人麻呂
0497 小一條左大臣罷隱れて後、彼家に侍ける鶴鳴き侍けるを聞侍て
後居て 鳴く成るよりは 葦鶴の 何どか齡を 讓らざりけむ
小野宮太政大臣 藤原實賴
0498 左大臣の土御門左大臣の婿に成りて後、下沓形を取りに遣せて侍ければ
年を經て 立馴らしつる 葦鶴の 如何なる方に 跡留むらむ
愛宮 【九條右大臣藤原師輔第五女。】
0499 大貳國章石帶を借侍けるを、筑紫より上りて返し遣はしたりければ
行末の 忍草にも 有やとて 露形見も 置かむとぞ思ふ
清原元輔
0500 題知らず
植て見る 草葉ぞ世をば 知せける 置きては消ゆる 今朝朝露
中務
0501 田舍にて患侍けるを、京より人訪ひに遣せて侍ければ
露命 惜しとには非ず 君を又 見でやと思ふぞ 悲かりける
弓削嘉言
0502 神明寺邊に無常所設けて侍けるが、甚面白侍ければ
惜からぬ 命や更に 延びぬらむ 終煙 染むる野邊にて
清原元輔
0503 二條右大臣、左近番長佐伯清忠を召して歌詠ませ侍けるを、望事侍けるが叶侍らざりける頃にて、詠侍ける
限無き 淚露に 結ばれて 人の霜とは 成るにや有らむ
佐伯清忠
0504 加階し侍るべかりける年えし侍らで、雪降りけるを見て
憂世には 行隱れなで 搔曇り 降るは思の 外にも有哉
清原元輔
0505 司申に給はらざりける頃、人訪遣せたりける返事に
侘人は 憂世中に 生けらじと 思事さへ 叶はざりけり
源景明
0506 題知らず
世中に 非ぬ所も 得てし哉 年老りにたる 形隱さむ
佚名
0507 【○承前。無題。後拾遺1314。】
世中を 如是言言ひの 果果は 如何にや如何に 成らむとすらむ
佚名
0508 男侍ける女を切に懸想し侍て、男の言遣はしける
古の 虎類に 身を投げば 然かと許は 問はむとぞ思ふ
佚名