續拾遺和歌集 卷第十八 雜歌下
1246 懷舊之心を
立歸る 昔為らねば 思出での 無きに付けても 猶ぞ戀しき
式乾門院御匣 安嘉門院三條 太政大臣久我通光女
1247 【○承前。詠懷舊之趣。】
自づから 猶永らへて 年經とも 何を昔の 身とか忍ばむ
從二位 藤原家隆
1248 【○承前。詠懷舊之趣。】
侘びぬれば 在て憂世ぞ 惜まるる 忍ぶ昔の 名殘許に
雅成親王
1249 【○承前。詠懷舊之趣。】
憂身こそ 變果つとも 世中の 人心の 昔為りせば
中務卿 宗尊親王
1250 題知らず
我身から 遠離行く 昔かと 思ふに付けて 老ぞ悲しき
藤原信實朝臣
1251 【○承前。無題。】
老いぬれば 偲ぶべしとも 知らざりし 我が古ぞ 更に戀しき
源兼氏朝臣
1252 【○承前。無題。】
忍ぶべき 物とも知らで 過ぐしてし 月日ぞ今は 昔也ける
法印源惠
1253 【○承前。無題。】
來し方ぞ 月日に添へて 偲ばるる 復巡逢ふ 昔為らねば
平政村朝臣
1254 【○承前。無題。】
偲ぶれど 返らぬ物を 何と復 昔を今に 思出づらむ
藤原為成
1255 【○承前。無題。】
曉の 寢覺めに何の 誘ふらむ 我は見ぬ世の 遠昔を
平義政
1256 弘長元年百首歌奉りける時、懷舊
見し事の 唯目前に 覺ゆるは 寐覺程の 昔也けり
前大納言 藤原為家
1257 同心を
仕來し 世世昔を 思寐の 曉紡る 鳥音も憂し
前大納言 藤原伊平
1258 【○承前。詠同心。】
仕へても 折折袖の 濡るる哉 昔御代を 忍ぶ淚に
權大納言 藤原經任
1259 近衛院御時、御物忌に籠りて侍りける夜、遣水に月の映れるを見て思出づる事多くて詠侍りける
古の 雲居月は 其ながら 宿りし水の 影ぞ變れる
皇太后宮大夫 藤原俊成
1260 題知らず
昔をば 面變りして 思へども 見しよ忘れぬ 月影哉
藤原信實朝臣
1261 【○承前。無題。】
寢ぬに見し 昔夢の 名殘とて 老いの淚に 遺る月影
素暹法師
1262 【○承前。無題。】
夢とてや 今は人にも 語らまし 徒にのみ 過ぎし昔を
侍從 藤原能清 一條能清
1263 愁に鎮みて後、最勝金剛院八講に罷りて、朝に前中納言定家許に遣はしける
數為らで 年經る夢に 殘る身は 昨日朝を 訪ふ甲斐も無し
前內大臣 藤原基家 九條基家
1264 中務卿宗尊親王家百首歌に
今日と云ひ 昨日と暮す 夢中に 五十餘の 過ぐる程無さ
前左兵衛督 藤原教定 飛鳥井教定
1265 夢を
五十餘 我世經けぬと 思ふにも 猶驚かぬ 夢ぞ由緣無き
大僧正道寳
1266 【○承前。詠夢。】
永世の 始終も 知らぬ間に 幾世事を 夢に見つらむ
花山院御製
1267 【○承前。詠夢。】
思寢の 身のあらましに 見る夢を 生ける限りの 現と欲得
藤原隆博朝臣
1268 【○承前。詠夢。】
見る程は 思ひも判かぬ 轉寢の 夢は覺めてぞ 儚かりける
從三位 藤原光成 大炊御門光成
1269 題知らず
微睡まぬ 程を現と 思ひしは 夢世知らぬ 心也けり
衣笠內大臣 藤原家良 衣笠家良
1270 【○承前。無題。】
現にも 夢にも非ぬ 幻の 在て無き世を 何歎くらむ
澄覺法親王
1271 【○承前。無題。】
自づから 驚くひまも 有らばこそ 夢世とだに 思逢せめ
僧正聖兼
1272 【○承前。無題。】
轉寢の 夢にも疎く 成りにけり 親諫めの 昔語りは
源親長
1273 徃事如夢と云ふ事を
別をば 一夢夜と 見しかども 親諫めぞ 絕えて久しき
從二位 藤原顯氏
1274 黄鐘調調子を彈侍りけるに、思出づる事有りて詠侍りける
垂乳根の 親諫めの 形見とて 習し琴の 音をのみぞ泣く
藤原公世朝臣
1275 題知らず
垂乳根の 有らば有るべき 齡ぞと 思ふに付けて 猶ぞ戀しき
從二位 藤原能清 一條能清
1276 【○承前。無題。】
名を殘す 苔下とも 待ちもせず 在る世ながらに 埋れぬる身は
前大納言 藤原為家
1277 【○承前。無題。】
如何に為む 終煙の 末為らで 立昇るべき 道も無き身を
鴨長明
1278 【○承前。無題。】
身を替へて 非ぬ命の 消えぬ間を 亡き數にだに 誰か忍ばむ
皇太后宮大夫 藤原俊成女
1279 文集、「逝者不重迴、存者難久留」と云へる心を
此世には 二度逢はぬ 別路に 留まる人の 無きぞ悲しき
前大僧正慈鎮
1280 長恨歌の心を
形見とて 折折每に 見る物は 淚珠の 髻首也けり
前大納言 藤原光賴 葉室光賴
1281 御心地例為らず御坐しける時、四條太皇太后宮に奉らせ給ひける
今來むと 言ひだに置かで 白露の 假宿を 別れぬる哉
圓融院御製
1282 法成寺入道前攝政隱侍りける復年春、上東門院より御消息有りける御返事に
珍しき 春光を 今日見ても 雪降る年の 袖は乾かず
權大納言 藤原長家
1283 信實朝臣身罷りて後、春頃彼墓所に罷りたりけるに、草の青み渡りけるを見て詠侍りける
年年の 春草にも 慰まで 枯れにし人の 跡を戀ひつつ
藻璧門院少將
1284 亡き人の植置きて侍りける梅花咲きたりけるを
色も香も 哀れは知るや 亡き人の 心留めし 宿梅枝
藻璧門院少將
1285 題知らず
春每に 馴來し人の 面影を 復偲べとや 花咲くらむ
佚名 讀人知らず
1286 堀河院隱れさせ給ひて、數多春を隔てて後、花見侍りける女車より歌を送りて侍りける返事に
思ひきや 散りにし花の 影為らで 此春にさへ 逢はむ物とは
權中納言 藤原俊忠
1287 九條左大臣身罷りて後、花を見て詠侍りける
徒に散る 花に比へて 亡き人を 思へば墮つる 我淚哉
普光園入道前關白左大臣 藤原良實 二條良實
1288 題知らず
復來べき 春を何とて 惜しむらむ 在し別れよ 何時か忘れむ
權中納言 源國信
1289 藻璧門院隱れさせ給ひて又年五月五日、大納言 源通方 中院通方、結びたる花を佛御前にとて、民部卿典侍許に遣はしたりけるを、其由光明峯寺入道前攝政許に申遣はすとて
思ひきや 掛けし袂の 色色を 今日は御法の 華と見むとは
後堀河院民部卿典侍 藤原因子
1290 返し
今日迄に 露命の 消え遣らで 御法華と 見るぞ甲斐無き
光明峯寺入道前攝政左大臣 藤原道家 九條道家
1291 此由を聞きて民部卿典侍に遣はしける
今更に 餘所淚の 色ぞ添ふ 御法華の 露言葉
大納言 源通方 中院通方
1292 藤原忠季朝臣身罷りて後、植置きて侍りける撫子を見て
露消えし 後偲べとや 植置きて 淚色添ふ 撫子花
前內大臣 藤原師繼 花山院師繼
1293 籠居て侍りける頃、光明峰寺入道前攝政墓所にて詠侍りける
哀也 草蔭にも 白露の 懸かるべしとは 思はざりけむ
九條前攝政右大臣 藤原忠家
1294 秋頃、人の身罷りけるを歎きて詠侍りける
何時迄か 秋習と 思ひけむ 憂淚にぞ 袖は濡れける
近衛關白左大臣 藤原基平 近衛基平
1295 諒闇年秋、鳥羽殿に美福門院御坐しける頃、前栽に蘭萎れて見えけるを折りて人に遣はしける
並べて世の 色とは見れど 蘭 別きて露けき 宿にも有哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1296 光俊朝臣身罷りて後、人の弔ひて侍りける返事に
思へ唯 消えにし跡の 秋風に 淚數添ふ 蓬生露
法印定圓
1297 題知らず
亡き人を 忍ぶの露に 袖濡れて 荒行く軒の 月を見る哉
佚名 讀人知らず
1298 道助法親王隱侍りにける頃、經乘法師許より音信て侍りける返事に
形見とて 眺む許の 心だに 有らばぞ月の 影も曇らむ
僧正實瑜
1299 堀河院隱れさせ給ひての秋、月明夜權中納言師時許に遣はしける
此秋は 馴れし御影の 戀しくて 其夜に似たる 月をだに見ず
權中納言 藤原俊忠
1300 返し
君戀ふる 淚に月は 見えねども 面影のみぞ 立ちも離れぬ
權中納言 源師時
1301 九月許に、四條太皇太后宮に參會ひて、前大納言公任に遣はしける
君のみや 昔を戀ふる 其ながら 我が見る月も 同心を
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1302 返し
今は唯 君が御影を 賴む哉 雲隱にし 月を戀ひつつ
前大納言 藤原公任
1303 秋暮、母身罷りけるに詠侍りける
今も猶 時雨るる袖は 干し遣らず 見し夜夢の 秋別に
權大僧都定緣
1304 人の無き跡にて、時雨を聞きて詠侍りける
袖濡らす 昔ながらの 古鄉に 淚爭ふ 夕時雨かな
右近大將 源通忠 久我通忠女
1305 堀河院隱れさせ給ひて後、五節に殿上人引連れて皇后宮に詣でたりけるに詠侍りける
哀れにも 尋ねける哉 有し世に 見し諸人の 面變りせで
堀河院中宮上總
1306 返し
有らぬ世の 豐明に 逢人は 見し面影を 戀ひぬ日ぞ無き
權中納言 源師時
1307 待賢門院隱れさせ給ひける御忌程に、八幡行幸と聞こえける日、雪降りけるに、先先參る人も見えざりければ、三條內大臣左衛門督に侍りける時、台盤所よりとて斯許に遣はしける
誰も皆 今日御幸に 誘はれて 消えにし跡を 問ふ人ぞ無き
堀河
1308 九條左大臣隱侍りてほかにうつし侍りにける朝、雪深く積りたりけるに右衛門督忠基許に遣はしける
何時間に 昔跡と 成りぬらむ 唯夜程の 庭白雪
前大納言 藤原為家
1309 返し
思はずよ 唯夜程の 庭雪に 跡を昔と 偲ぶべしとは
右衛門督 藤原忠基
1310 父基綱身罷りて後、雪降りける日、彼墓所にて詠める
降增さる 跡こそ甚 悲しけれ 苔上迄 埋む白雪
藤原基隆
1311 雪朝に、父が墓所に罷るとて詠める
雪深き 苔下にも 忘れずば 訪ふべき人の 跡や待つらむ
良心法師
1312 從一位倫子身罷りにける年暮に、中原行範許に遣はしける
世常の 年暮とぞ 惜しままし 夢裏為る 日數為らずば
藤原信實朝臣
1313 女の思ひにて詠侍りける
覺遣らで 哀夢かと 辿る間に 儚く年の 暮れにける哉
前大納言 藤原忠良
1314 伴へりける女の身罷りにける時、詠侍りける
時間も 立ちや離れし 今はとて 添はぬ煙の 果てぞ悲しき
權大納言 藤原長雅 花山院長雅
1315 少將內侍身罷りにける頃、詠侍りける歌中に
夢ぞとは 思ひながらも 覺遣らぬ 心ぞ長き 惑也ける
藻璧門院少將
1316 世中儚く聞こえける頃、權大納言實國に遣はしける
明日知らぬ 我身憂さは 驚かで 哀を餘所に 聞くぞ儚き
三條入道左大臣 藤原實房 三條實房
1317 返し
誰も實に 憂世の夢と 知りながら 驚かでのみ 過ぐる儚さ
權大納言 藤原實國 滋野井實國
1318 美福門院の御事後、皇太后宮大夫俊成くわうたいごうぐうだいぶとしなりに會ひて、日數過ぐるも夢樣為る事等申して、又日遣はしける
定無き 此世夢の 儚さを 言合せても 慰めし哉
久我內大臣 源雅通 久我雅通
1319 返し
悲しさの 猶覺難き 心には 言合せても 夢かとぞ思ふ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1320 親の身罷りにけるを訪はざりける人の、親又亡くなりにければ遣はしける
我身にて 習はざりせば 歎くらむ 人心を 如何で知らまし
權僧正永緣
1321 題知らず
埋れぬ 名のみ殘して 亡人の 何方に終の 宿定むらむ
法印定圓
1322 後嵯峨院隱れさせ給ひて又年の春、御果てに當りける日詠侍りける
巡來て 形見と為らば 慰まで 同じ月日は 猶ぞ悲しき
禪空上人
1323 美福門院隱れさせ給ひける頃、素服人數多參會ひたりけるを見て、皇太后宮大夫俊成許に遣はしける
人並みに 非ぬ袂は 變らねど 淚は色に 成りにける哉
藤原清輔朝臣
1324 返し
墨染に 非ぬ袖だに 變る也 深淚の 程は知らなむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1325 父最仲身罷りにける頃、社習にて著服せぬ事を歎きて詠める
限り有れば 我とは染めぬ 藤衣 淚色に任せてぞ著る
祝部成茂
1326 題知らず
儚さに 如何で堪へまし 茲ぞ此の 世理と 思作さずば
前大僧正慈鎮
1327 藻璧門院隱れさせ給ひける頃、人の弔ひて侍りけるに
夢世に 別れて後の 戀しさを 如何にせよとて 君に成れけむ
後堀河院民部卿典侍 藤原因子
1328 從三位為繼身罷りにける頃、人許より、「如何許なる心中にか?」と申して侍りける返事に
悲しさは 復も類の 有らばこそ 如何許とも 人に知らせめ
安嘉門院大貳
1329 冷泉太政大臣身罷りにける後、詠侍りける
面影を 忘れむと思ふ 心こそ 別れしよりも 悲しかりけれ
常磐井入道前太政大臣 藤原實氏 西園寺實氏
1330 八條院御忌日に、蓮花心院に參りて侍りけるに、思出づる事多くて同じく參會ひたりける女房中に差置かせ侍りける
老いらくの 辛き別は 數添ひて 昔見し世の 人ぞ少なき
前中納言 藤原定家
1331 亡き人の文を經料子に作すとて
形見とて 今は淚の 玉章を 書遣る方も 泣く泣くぞ見る
前大納言 藤原基良
1332 公守朝臣母身罷りて後、朝夕手慣れける鏡に梵字を書きて供養し侍りける導師に罷りて又朝、後德大寺左大臣許に申遣はしける
見し人の 影も無ければ 真澄鏡 空しき事を 今や知るらむ
法印澄憲
1333 父前中納言定家住侍りける家に、年經て後歸詣來て、昔事を思出でて詠侍りける
面影は 數多昔の 古鄉に 立返りても 音をのみぞ泣く
法印覺源
1334 父身罷りて後、詠める
今日迄も 流らふべしと 思ひきや 別し儘の 心為りせば
平親清女妹
1335 仁助法親王三井寺にて隱侍る由聞きて、急恐に行くとて、相坂山にて詠みける
思ひきや 餘所に聞來し 相坂を 別道に 今日越えむとは
津守國助
1336 信生法師伴ひて東方に罷りけるに、宇津山木に歌を書付けて侍りける後、程無く身罷りにければ、都に獨上侍るとて彼歌の傍らに書添侍りける
宇津山 現にて復 越行かば 夢と見よとや 跡殘しけむ
蓮生法師
1337 東方に侍りける頃、同旅為りける人の都為る女の身罷りにけるを聞きて歎侍りけるに遣はしける
言問はで 思ひしよりも 都鳥 聞きて悔しき 音をや啼くらむ
寂蓮法師
1338 返し
都鳥 聞きて悔しき 夢中を 驚かすにぞ 音は啼かれける
佚名 讀人知らず
1339 彈正尹為尊親王隱れて後、盡きせず思歎きて詠侍りける
甲斐無くて 流石に絕えぬ 命哉 心を玉の 緒にし縒らねば
和泉式部
1340 同頃、雨忌降りける日如何に?」と弔ひて侍りける人の返事に
何時とても 淚雨は を止まねど 今日は心の 雲間だに無し
和泉式部