續拾遺和歌集 卷第十六 雜歌上


1094 建保百首歌奉けんぽうのひゃくしゅのうたたてまつりけるとき


1095 題知だいしらず


1096 【○承前。無題。】


1097 百首歌詠侍ひゃくしゅのうたよみはべりけるに


1098 白河殿七百首歌しらかはどののななひゃくしゅのうたに、名所瀧めいしょのたきへることませたまひける


1099 中務卿宗尊親王家百首歌なかつかさきゃうむねたかしんわうのいへのひゃくしゅのうた


1100 山階入道左大臣家十首歌やましなにふだうさだいじんのいへのじっしゅのうたに、名所松めいしょのまつ


1101 【○承前。山階入道左大臣家十首歌,名所松。】


1102 【○承前。山階入道左大臣家十首歌,名所松。】


1103 題知だいしらず


1104 【○承前。無題。】


1105 【○承前。無題。】


1106 弘長元年百首歌奉こうちゃうぐわんねんのひゃくしゅのうたたてまつりけるときせき


1107 はし


1108 題知だいしらず


1109 【○承前。無題。】


1110 賀茂社かものやしろまうでて詠侍よみはべりける


1111 みづからのうた書置侍かきおきはべるとて


1112 入道二品親王家五十首歌にふだうにほんのしんわうのいへのごじっしゅのうたに、述懷歌じゅっぐわいのうた


1113 同心おなじこころ


1114 前大納言為氏さきのだいなごんためうぢ玉津島社たまつしまのやしろにて歌合うたあはせはべりしとき浦月うらつき


1115 廣田社歌合ひろたのやしろのうたあはせに、海上眺望かいじゃうてうばう


1116 題知だいしらず


1117 【○承前。無題。】


1118 千五百番歌合せんごひゃくばんのうたあはせ


1119 述懷歌中じゅっぐわいのうたのなか


1120 【○承前。述懷歌中。】


1121 【○承前。述懷歌中。】


1122 【○承前。述懷歌中。】


1123 津國つのくにまかれりけるとき都為みやこな女供達許をみなともだちのもとつかはしける


1124 題知だいしらず


1125 【○承前。無題。】


1126 【○承前。無題。】


1127 【○承前。無題。】


1128 樂天らくてん


1129 大隱在朝市たいいんはちょうしにかくること


1130 題知だいしらず


1131 【○承前。無題。】


1132 【○承前。無題。】


1133 山里やまざと籠居こもりゐ詠侍よみはべりける


1134 題知だいしらず


1135 【○承前。無題。】


1136 寳治百首歌奉ほうぢのひゃくしゅのうたたてまつりけるとき山家水さんかのみづ


1137 弘長三年內裏百首歌奉こうちゃうさんねんだいりのひゃくしゅのうたたてまつりしとき山家夢さんかのゆめ


1138 秋頃あきのころ山寺やまでらこもりて出侍いではべりけるあかつきめる


1139 建仁元年歌合けんにんぐわんねんのうたあはせ山家暮嵐さんかのくれあらし


1140 題知だいしらず


1141 【○承前。無題。】


1142 無動寺むどうじ住侍すみはべりけるに、前大僧正慈鎮さきのだいそうじゃうじちん、「おほけく、憂世民うきよのたみに、覆哉おほふかな立杣たつそまに、墨染袖すみそめのそで。」とみてはべりけること思出おもひいでて詠侍よみはべりける


1143 新日吉社松屋前楓木いまひえのやしろのまつやのまへのかへでのきは、右兵衛督光能うひゃうゑのかみみつよし植置うゑおきてはべりけるに、競馬事行けいばのことおこなふとて思續おもひつづはべりける


1144 參議雅經さんぎまさつねはや住侍すみはべりけるいへに、鞠懸まりのかがりのやなぎ二本殘ふたもとのこりてはべりけるを詠侍よみはべりける


1145 題知だいしらず


1146 【○承前。無題。】


1147 山階入道左大臣家十首歌やましなにふだうさだいじんのいへのじっしゅのうたに、秋述懷あきのじゅつくわいへるこころみてつかはしける


1148 高野山かうやさんはべりけるころ皇太后宮大夫俊成くわうたいごうぐうだいぶとしなり、『千載集せんざいしふ撰侍えらびはべよしきて、うた贈侍おくりはべるとて書添侍かきそへはべりける


1149 かへ


1150 前大納言公任さきのだいなごんきんたふ書置かきおきたる歌共うたどもを、形見かたみむとちぎりてのち、「如此許かくばかり事難ことかたき、世中よのなかに、形見かたみする、跡儚あとのはかなさ。」とまをつかはしたりける返事かへりごと


1151 崇德院すとくゐんきてたてまつりける御草子裹紙おざうしのつつみかみ


1152 御返おほむかへ


1153 西行法師さいぎゃうほふしみづからのうたあはせて、判詞誌付はんのことばしるしつくべき由申よしまをはべりけるを、きてつかはすとて


1154 從二位家隆じゅにゐいへたか、『千載集せんざいしふかせはべりけるを、つかはすとて裹紙つつみかみ書付侍かきつけはべりける


1155 かへ


1156 弘長元年百首歌奉こうちゃうぐわんねんのひゃくしゅのうたたてまつりけるとき述懷じゅっぐわい


1157 皇太后宮大夫俊成くわうたいごうぐうだいぶとしなり前中納言定家さきのちゅうなごんさだいへきてはべりける草子ざうしを、はからざるにつたへたりけるを、夢告ゆめのつりて、為氏許ためうぢがもと送遣おくりつかはすとて


1158 中將ちゅうじゃうにて年久としひさしく鎮侍しづみはべりけるころ詠侍よみはべりける


1159 建長五年七月三首歌けんちゃうごねんふみづきのさんしゅのうたに、述懷じゅっぐわい


1160 洞院攝政家百首歌とうゐんせっしゃうのいへのひゃくしゅのうたに、同心おなじこころ


1161 承元頃しょうげんのころ述懷歌じゅっぐわいのうた數多詠侍あまたよみはべりけるなか


1162 範親のりちか少納言せうなごんにて豐明節會とよのあかりのせちゑ日影ひかげけてはべりけるを詠侍よみはべりける


1163 參議定經さんぎいさだいへはじめて辨官べんくわんりてはべりけるあした申遣まをしつかはしける


1164 檢非違使けびゐしりて詠侍よみはべりける


1165 うれへてめる


1166 建長元年けんちゃうぐわんねん勸賞仰くわんしゃうおほせられけるを誌置しるしおくとてみける


1167 百首歌奉ひゃくしゅのうたたてまつりしとき


1168 夜述懷よるのじゅつくわいへるこころ


1169 弘長元年百首歌奉こうちゃうぐわんねんのひゃくしゅのうたたてまつりしときあかつき


1170 洞院攝政家百首歌とうゐんせっしゃうのいへのひゃくしゅのうたに、述懷じゅっぐわい


1171 弘長元年百首歌奉こうちゃうぐわんねんのひゃくしゅのうたたてまつりしとき同心おなじこころ