續拾遺和歌集 卷第十六 雜歌上
1094 建保百首歌奉りける時
如何許 昔を遠く 隔來ぬ 其神山に 懸かる白雲
西園寺入道前太政大臣 藤原公經 西園寺公經
1095 題知らず
神代より 年幾歲 積るらむ 月日を過す 天香具山
正三位 藤原知家
1096 【○承前。無題。】
年經とも 吉野瀧の 白絲は 如何なる世にも 絕えじとぞ思ふ
藤原道經
1097 百首歌詠侍りけるに
宮瀧の 瀧水上 尋見む 古き御幸の 跡や殘ると
光明峯寺入道前攝政左大臣 藤原道家 九條道家
1098 白河殿七百首歌に、名所瀧と云へる事を詠ませ給ひける
今も復 行きても見ばや 石上 布留瀧瀨 跡を尋ねて
後嵯峨院御製
1099 中務卿宗尊親王家百首歌に
淚とて 枯らぬ時さへ 來て見れば 袖にぞ掛かる 瀧白玉
典侍藤原親子朝臣
1100 山階入道左大臣家十首歌に、名所松
我見ても 昔は遠く 成りにけり 共に老木の 唐崎松
前大納言 藤原為家
1101 【○承前。山階入道左大臣家十首歌,名所松。】
往來には 賴む陰ぞと 立寄りて 五十馴れぬる 志賀濱松
法印良覺
1102 【○承前。山階入道左大臣家十首歌,名所松。】
甲斐無しや 因幡山の 松とても 復歸來む 昔為らねば
前大納言 藤原為氏 二條為氏
1103 題知らず
如何に為む 我が身に越ゆる 白浪の 末松山 待事も無し
右衛門督 藤原忠基
1104 【○承前。無題。】
高松の 松も甲斐無し 誰をかも 哀歎きの 知る人に為む
前參議 藤原忠定
1105 【○承前。無題。】
我のみか 解けぬ恨は 古の 代代にも在りと 岩代松
前關白左大臣 藤原實經 一條實經
1106 弘長元年百首歌奉りける時、關
昔より 通ひし中の 跡覓めて 心隔つ莫 足柄關
常磐井入道前太政大臣 藤原實氏 西園寺實氏
1107 橋
聞渡る 長柄橋も 朽ちにけり 身伉為る 古名ぞ無き
常磐井入道前太政大臣 藤原實氏 西園寺實氏
1108 題知らず
徒に 消返りつつ 山川の 哀孰の 世を賴むらむ
光明峯寺入道前攝政左大臣 藤原道家 九條道家
1109 【○承前。無題。】
如何に為む 身を早乍ら 思河 泡沫許 有る甲斐も無し
前左兵衛督 藤原教定 飛鳥井教定
1110 賀茂社に詣でて詠侍りける
御手洗や 身は沈むとも 永世に 名を流すべき 泡沫欲得
安嘉門院大貳
1111 自らの歌を書置侍るとて
思出でて 誰か忍ばむ 濱千鳥 岩根隱れの 跡儚さ
藻壁門院少將
1112 入道二品親王家五十首歌に、述懷歌
古の 跡をば告げよ 濱千鳥 昔に歸る 浪便に
法橋顯尋
1113 同心を
和歌浦に 昔を忍ぶ 濱千鳥 跡思ふとて 音をのみぞ鳴く
藤原泰朝
1114 前大納言為氏、玉津島社にて歌合し侍りし時、浦月
和歌浦の 浪下草 如何にして 月に知らるる 名を殘さまし
權律師定為
1115 廣田社歌合に、海上眺望
浪上に 浮ぶ木葉を 見ゆる哉 漕離行く 朱赭舟
前參議 藤原教長
1116 題知らず
侘人の 淚は海の 浪為れや 袖師浦に 寄らぬ日ぞ無き
源俊賴朝臣
1117 【○承前。無題。】
數為らぬ 水屑に混る 虛貝 拾ふに付けて 袖ぞ萎るる
藻壁門院但馬
1118 千五百番歌合に
捨遣らぬ 我身浦の 虛貝 空しき世とは 思ふ物から
嘉陽門院越前
1119 述懷歌中に
儚くも 麻生浦梨 君が代に 為らばと身をも 賴みける哉
山階入道左大臣 藤原實雄 洞院實雄
1120 【○承前。述懷歌中。】
難波為る 同入江の 蘆根も 憂身潟や 沈果てなむ
藤原為綱朝臣
1121 【○承前。述懷歌中。】
何か其 難波蘆の 假世に 憂節とても 思亂れむ
前中納言 源資平
1122 【○承前。述懷歌中。】
世と共に 憂節知らぬ 蘆屋の 海人袖だに 干しぞ兼ねける
前內大臣 藤原基家 九條基家
1123 津國に罷れりける時、都為る女供達許に遣はしける
難波潟 群たる鳥の 諸共に 立居る物と 思はましかば
紫式部
1124 題知らず
澤にのみ 幾年月を 累ぬらむ 雲居隔つる 鶴毛衣
源兼氏朝臣
1125 【○承前。無題。】
夢にても 思はざりしを 白雲の 懸かる浮世に 住ひせむとは
曾禰好忠
1126 【○承前。無題。】
我が心 身に住まはれて 故鄉を 幾度出でて 立歸るらむ
源俊賴朝臣
1127 【○承前。無題。】
搔籠る 宿餘所目は 閑かにて 哀心の 暇無き哉
前大僧正覺忠
1128 樂天を
世中を 苦しき物と 遁來て 草庵や 心澄むらむ
前關白左大臣 藤原實經 一條實經
1129 大隱在朝市と云ふ事を
世を厭ふ 心は然ても 過ぎぬべし 必ず山の 奧為らずとも
權僧正圓經
1130 題知らず
然ても猶 在果つまじき 山里を 憂世外と 何急ぐらむ
佚名 讀人知らず
1131 【○承前。無題。】
人はいさ 世憂外の 山とても 我心から 得やは住まれむ
前左兵衛督 藤原教定 飛鳥井教定
1132 【○承前。無題。】
憂しと言ひて 山路に深く 入りぬれど 猶も此世の 月を見る哉
平重時朝臣
1133 山里に籠居て詠侍りける
憂世をば 出でて入りぬる 山陰に 心を變へて 月を見る哉
法眼良珍
1134 題知らず
我許 住むと思ひし 山里に 月も宿るか 苔狹筵
法印公澄
1135 【○承前。無題。】
奧山の 岩間隱れの 埋水 在と許は 澄む甲斐も無し
法印最信
1136 寳治百首歌奉りける時、山家水
山深く 世に住兼ぬる 埋水 遣方も無き 我心哉
前參議 藤原忠定
1137 弘長三年內裏百首歌奉りし時、山家夢
自づから 都に通ふ 夢をさへ 復驚かす 嶺松風
近衛關白左大臣 藤原基平 近衛基平
1138 秋頃、山寺に籠りて出侍りける曉、詠める
山深み 松嵐に 聞慣れて 更に都や 旅心地為む
覺盛法師
1139 建仁元年歌合、山家暮嵐
住侘びぬ 人は音せぬ 柴戶に 嵐許の 夕暮空
惟明親王
1140 題知らず
自づから 訪來し人も 枯枯れに 跡絕果つる 宿道芝
法印行清
1141 【○承前。無題。】
訪はれぬは 岩根苔に 顯れて 道絕果つる 山蔭庵
右兵衛督 藤原基氏 園基氏
1142 無動寺に住侍りけるに、前大僧正慈鎮、「おほけ無く、憂世民に、覆哉、我が立杣に、墨染袖。」と詠みて侍りける事を思出でて詠侍りける
祈置きし 末をぞ賴む 古の 跡には今も 墨染袖
前大僧正道玄
1143 新日吉社松屋前楓木は、右兵衛督光能植置きて侍りけるに、競馬事行ふとて思續け侍りける
植置きし 昔を更に 賴む哉 殘る梢の 今日下蔭
從三位 藤原光成 大炊御門光成
1144 參議雅經早う住侍りける家に、鞠懸りの柳、二本殘りて侍りけるを見て詠侍りける
故鄉の 朽木柳 古の 名殘は我も 有る甲斐ぞ無き
侍從 藤原雅有 飛鳥井雅有
1145 題知らず
如何に為む 昔跡を 尋ねても 及ばぬ道を 猶歎きつつ
前關白左大臣 藤原實經 一條實經
1146 【○承前。無題。】
我が山の 坂行道を 尋ねつつ 如何で昔の 跡を踏ままし
慈助法親王
1147 山階入道左大臣家十首歌に、秋述懷と云へる心を詠みて遣はしける
教置く 言葉にのみ 語る哉 昔庭の 露名殘は
前內大臣 藤原公親 三條公親
1148 高野山に侍りける頃、皇太后宮大夫俊成、『千載集』撰侍る由聞きて、歌を贈侍るとて書添侍りける
花為らぬ 言葉為れど 自づから 色もや有ると 君拾はなむ
西行法師 佐藤義清
1149 返し
世を捨てて 入りにし道の 言葉ぞ 哀も深き 色ぞ見えける
皇太后宮大夫 藤原俊成
1150 前大納言公任書置きたる歌共を、形見に為むと契りて後、「如此許、經る事難き、世中に、形見に見する、跡儚さ。」と申し遣はしたりける返事に
經る事は 難くなるとも 形見為る 跡は今來む 世にも忘れじ
藤原道信朝臣
1151 崇德院に書きて奉りける御草子裹紙に
數為らぬ 名をのみとこそ 思ひしか 斯かる跡さへ 世にや殘らむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1152 御返し
水莖の 跡許して 如何為れば 書流すらむ 人は見え來ぬ
崇德院御製
1153 西行法師自らの歌を合せて、判詞誌付くべき由申し侍りけるを、書きて遣はすとて
山水の 深かれとても 搔遣らず 君に契を 結許ぞ
前中納言 藤原定家
1154 從二位家隆、『千載集』書かせ侍りけるを、遣はすとて裹紙に書付侍りける
跡覓めて 訪はるる甲斐も 無からまし 昔覺ゆる 荒び成為ば
圓嘉法師
1155 返し
古の 流末の 絕えぬ哉 書傳へたる 水莖跡
從二位 藤原家隆
1156 弘長元年百首歌奉りける時、述懷
和歌浦に 生ひずば如何で 藻鹽草 浪所為も 搔集めまし
前大納言 藤原為家
1157 皇太后宮大夫俊成、前中納言定家書きて侍りける草子を、圖らざるに傳へたりけるを、夢告げ有りて、為氏許に送遣はすとて
絕えもせじ 昔代代の 跡覓めて 立歸りぬる 和歌浦浪
道洪法師
1158 中將にて年久しく鎮侍りける頃、詠侍りける
然しも何ど 跡有る道に 迷ふらむ 三笠山の 名さへ變らで
中納言 藤原教良 二條教良
1159 建長五年七月三首歌に、述懷
指登る 跡とは見れど三笠山 仕ふる他の 道は賴まず
前右兵衛督 藤原為教 京極為教
1160 洞院攝政家百首歌に、同心を
位山 麓許の 路をだに 猶別難く 懸かる白雲
藤原隆祐朝臣
1161 承元頃、述懷歌數多詠侍りける中に
亡影の 親諫めは 背きに來 子を思ふ道の 心弱さに
前中納言 藤原定家
1162 範親、少納言にて豐明節會に日影を付けて侍りけるを見て詠侍りける
契有れば 身思出の 日影草 此世を懸けて 復結ぶ哉
藤原為綱朝臣
1163 參議定經、始めて辨官に成りて侍りける朝に申遣はしける
嬉しさを 累ぬる袖の 數每に 染增す色の 心にぞしむ
殷富門院大輔
1164 檢非違使に成りて詠侍りける
嬉しさも 淚也けり 我が袖は 憂時許 濡るる物かは
藤原長景
1165 身を愁へて詠める
降果つる 同翠の 袖上に 墮ちて淚ぞ 色變りぬる
源兼泰
1166 建長元年勸賞仰せられけるを誌置くとて詠みける
仕來し 身は下乍ら 我が道の 名をや雲居の 代代に留めむ
丹波經長朝臣
1167 百首歌奉りし時
仕來し 世世流を 思ふにも 我身に賴む 關藤河
藤原為兼朝臣
1168 夜述懷と云へる心を
仕へつつ 家路急がぬ 夜な夜なの 更行く鐘を 雲居にぞ聞く
前大納言 藤原良教 粟田口良教
1169 弘長元年百首歌奉りし時、曉を
鳥音ぞ 曉每に 成れにける 君に仕ふる 道急ぐとて
前大納言 藤原為氏 二條為氏
1170 洞院攝政家百首歌に、述懷
圖らずよ 世に有明の 月に出でて 再び急ぐ 鳥初聲
前中納言 藤原定家
1171 弘長元年百首歌奉りし時、同心を
唐土も 類ひや有ると 尋ねばや 三度逢見る 秋宮人
常磐井入道前太政大臣 藤原實氏 西園寺實氏