續古今和歌集 卷第十九 雜歌下
1726 寶治二年百首歌奉けるに、海眺望を
海原や 搖盪浪の 果ても無し 何方為るらん 雲遠方
入道前太政大臣 西園寺實氏
1727 【○承前。寶治二年奉百首歌,詠海眺望。】
明渡る 蘆屋海の 浪間より 髣髴に巡る 紀路遠山
前大納言 藤原為家
1728 洞院攝政家百首歌に
生駒山 餘所に鳴尾の 沖に出て 目にも掛からぬ 嶺雨雲
源家長朝臣【時長男】
1729 後鳥羽院に奉ける百首歌中に
風吹けば 孰島と 賴むらん 遙かに出る 海人釣舟
藤原秀能【秀宗男】
1730 題不知
風渡る 濱名橋の 夕潮に 指されて溯る 海人釣舟
前大納言 藤原為家
1731 中務卿親王家百首に
月出て 今こそ歸れ 奈吳江に 夕忘るる 海人釣舟
藤原光俊朝臣【葉室光親男】
1732 弘長二年、敕撰事仰せられて後、十首歌講侍しに、海邊月を
和歌浦や 知らぬ潮路に 漕出て 身に餘る迄 月を見る哉
藤原光俊【葉室光親男】
1733 月歌中に
更行けば 山蔭も無し 吉野為る 夏實川の 秋夜月
中原行實
1734 【○承前。月歌中。】
我身から 物思ふ事も 慰まで 憂世儘に 月を見る哉
右近中將 衣笠經平【家良男】
1735 物へ罷りけるとて、曉詠侍ける
草庵を 月と共には 出でぬれど 影隱すべき 山端ぞ無き
瞻空上人
1736 題不知
雲居より 宿馴れにし 秋月 如何に變れる 淚とか知る
土御門院御歌
1737 【○承前。無題。】
月は猶 見し夜影や 殘るらん 在るにも非ぬ 袖淚に
前大納言 藤原伊平
1738 百首歌中に
幾度か 憐昔と 思出て 身徒に 月を見るらん
前關白左大臣 二條良實
1739 田上家にて、月明かりける夜、昔を思出て詠侍ける
古の 面影をさへ 射添へて 忍難くも 澄める月哉
源俊賴朝臣【經信男】
1740 月前思往事と云ふ事を
古を 思出つつ 眺むれば 軈て淚に 曇月哉
中原師季朝【師綱男】
1741 題不知
數ふれば 年こそ甚く 老にけれ 世を經て見つる 月積に
道命法師
1742 秋夜對月と云ふ事を
月見ては 慣れにし人も 戀しきに 我をば誰か 思出らん
太皇太后宮大夫 源隆俊
1743 月前述懷と云ふ事を
今は我 月も眺めじ 晴遣らぬ 心伉はば 曇りもぞする
後德大寺左大臣 藤原實定
1744 北野社歌合に、曉述懷を
我も復 山端近し 有明の 月を憐と 眺めせし間に
正三位 藤原知家
1745 題不知
古りにける 三輪檜原に 言問はん 幾世人か 餝折りけん
惟明親王
1746 【○承前。無題。萬葉集1096。】
古の ことはしらぬを 我みても 久しくなりぬ 天香具山
太古曩昔時 舊事吾所不知之 然在我所見 其歷已久亙古今 芳來天之香具山
讀人不知 佚名
1747 【○承前。無題。萬葉集1214。】
年積る 小為手山の 槙葉も 久しく見ねば 苔生ひにけり
經年累月而 熊野小為手之山 真木槙葉矣 以其久別不見者 苔生其上更蒼鬱
柿本人丸 柿本人麻呂
1748 【○承前。無題。萬葉集1087。】
穴師川 河音高し 卷向の 弓月岳に 雲立てるらし
痛足穴師川 川波高兮河浪湧 纏向卷向之 弓月之岳山頂上 想必雲湧叢居哉
柿本人丸 柿本人麻呂
1749 千五百番歌合歌
落激つ 千千流は 積れども 變らぬ物は 瀛津白浪
皇太后宮大夫 藤原俊成【俊忠男】
1750 百首歌合に、野行幸を
芹川の 波も昔に 立歸り 御幸絕えせぬ 嵯峨山風
後京極攝政前太政大臣 九條良經【兼實男】
1751 建長六年正月、柿本影供し侍しに、真影を渡遣はすとて、包紙に書付け侍し
今日を如何に 見そなはすらん 昔より 身を離れたる 影し無ければ
太上天皇 後嵯峨院
1752 返し
身は早く 齡は老ぬ 柿本の 久しき影は 我君の為
正三位 藤原知家
1753 百首御歌中に
小墾田の 宮古道 如何為らん 絕えにし後は 夢浮橋
土御門院御歌
1754 題不知 【○萬葉集1043。】
靈剋る 命は知らず 松枝を 結ぶ心は 長くとぞ思ふ
靈剋魂極矣 命之壽限無由知 然吾結松枝 祈願之情望長青 冀得長壽比松齡
中納言 大伴家持
1755 住吉に詣でて詠める
住吉と 誰が言置きし 浦為らむ 寂しかりける 松風哉
藤原基隆【基綱男】
1756 住吉社歌合に
徒に 年も積りの 浦に生ふる 松ぞ我身の 伉也ける
從三位 源賴政
1757 高砂松を見て
徒に 我身も古りぬ 高砂の 尾上に立てる 松一人かは
能因法師
1758 御影松を
世に有らば 復歸來ん 津國の 御影松よ 面變りす莫
藤原基俊
1759 伊勢に下りて侍ける頃、顯季卿許に遣はしける
問へかしな 玉串葉に 見隱れて 鵙草潛き 目路為らずとも
源俊賴朝臣【經信男】
1760 返し
知らずやは 伊勢濱荻 風吹けば 折節每に 戀渡るとは
正三位 藤原顯季
1761 述懷歌中に
行末は 憂きより外に 何をかは 昔はとても 人に語らん
後鳥羽院下野
1762 硯を人許に遣はすとて詠める
飽かざりし 昔事を 書付くる 硯水は 淚也けり
和泉式部
1763 懷舊之心を
古の 戀しさ如何に 覺ゆらん 昨日事も 忘らるる身に
藤原信實朝臣
1764 【○承前。詠懷舊之趣。】
思出の 有りき有らずは 古を 戀ふる心の 內ぞ知るらん
藤原信實朝臣
1765 【○承前。詠懷舊之趣。】
水莖の 昔跡に 流るるは 見ぬ世を偲ぶ 淚也けり
前大納言 藤原為家
1766 【○承前。詠懷舊之趣。】
中中に 思出てそ 慰むる 忘られぬべき 昔為らねば
藤原仲敏
1767 【○承前。詠懷舊之趣。】
中中に 昔ぞ辛き 哀云ふ 事を數多に 思出れば
平長時
1768 老後詠侍ける
生きて如是 君に使ふる 老が身を 類無しとは 世人定めよ
入道前太政大臣 西園寺實氏
1769 題不知
垂乳根の 心闇を 知る物は 子を思ふ時の 淚也けり
前大納言 藤原基良
1770 【○承前。無題。】
言葉は 身にこそ知らね 垂乳根の 形見許に 問人欲得
藤原隆祐朝臣
1771 【○承前。無題。】
垂乳根の 生らましかばと 思ふにそ 身為迄も 音は泣かれける
藤原光俊朝臣【葉室光親男】
1772 三百首歌講侍しに、述懷を
垂乳根の 道標の 跡無くは 何に付けてか 世に仕へまし
前大納言 藤原為家
1773 百首歌に
跡有れば 棘道も 踏始めつ 今行末の 迷はず欲得
左兵衛督 堀川高定
1774 左大將に侍ける時、家百首歌に
八雲立つ 出雲八重垣 今日迄も 昔跡は 隔てざりけり
後京極攝政前太政大臣 九條良經【兼實男】
1775 千首歌中に
八雲立つ 道は深きを 安積山 淺くも人の 思入る哉
前內大臣 藤原基家
1776 述懷之心を
今も復 積れる事を 問はるるは 塵に繼げとや 大和言葉
侍從 藤原行家【知家男】
1777 千五百番歌合に
石上 布瑠中道 立歸り 昔に通ふ 大和言葉
源具親朝臣
1778 老後都を住憂かれて、野中清水を過ぐとて
忘られぬ 元心の 在顏に 野中清水 影をだに見じ
皇太后宮大夫藤原俊成女
1779 題不知
影絕えて 人こそ問はね 古の 野中清水 月は澄むらん
藤原教雅朝臣
1780 父秀能歌を書きける時詠める
袖濡らす 形見也けり 藻鹽草 搔置く跡の 和歌浦浪
藤原秀茂
1781 中務に書かせられける御草子奧に、玉笹葉分けに宿る露許、と書きて侍ければ 【○補遺1931。】
見れど猶 野邊に枯れせぬ 玉笹の 葉分露は 何時も消えせし
天曆贈太皇太后宮 藤原安子
1782 述懷歌に
笹竹の 我世程の 思出に 偲ばれぬべき 一節欲得
太上天皇 後嵯峨院
1783 老後詠侍ける百首歌中に
如何に為む 身は賤しくて 年高き 人を哀と 思ふ世欲得
從二位 藤原家隆
1784 弘長二年百首歌に
語るべき 人し無ければ 來方を 心に問ひて 音をのみぞ泣く
入道前太政大臣 西園寺實氏
1785 題不知
永らへて 物は思はし 今間の 憂きに限れる 命也せば
從三位 源通氏
1786 【○承前。無題。】
歎くとて 憐を掛くる 人も有らじ 何に淚の 憂きを知るらん
前大納言 藤原忠良
1787 堀河院御時百首に、竹を
吳竹の 憂節繁く 成にけり 然のみはよもと 思ひし物を
源俊賴朝臣【經信男】
1788 夕暮に、籬竹に雀鳴くを聞きて
日暮るれは 竹の園生に 寢る鳥の 其處はかと無く 音をも鳴く哉
源俊賴朝臣【經信男】
1789 寄露述懷
何事に 思消ゆらん 朝露の 憂き我身だに 有れば有る世に
藤原基俊
1790 建永元年和歌所の述懷三首歌に
思置く 露緣の 忍草 君をぞ賴む 身は消えぬとも
前中納言 藤原定家
1791 夕心を
夕暮の 無からましかば 白雲の 上空為る 物は思はじ
土御門院御歌
1792 百首御歌中に
暮るる間も 賴む物とは 無けれども 知らぬぞ人の 命也ける
順德院御歌
1793 述懷歌に
思別く 身理の 驗とて 憂きも憂からず 為る心哉
從三位 藤原行能
1794 古山寺にて詠める
葎這ふ 宿だに秋は 寂しきを 幾重か閉づる 嶺白雲
鴨長明
1795 堀川院御時百首歌に、述懷
哀知る 人し無ければ 世と共に 我が思ふ事を 言はで止みぬる
藤原顯仲朝臣【資仲男】
1796 題不知
在侘ぶる 身は我のみと 思ひしに 誰が名付けける 憂世成るらん
藤原基隆【基綱男】
1797 【○承前。無題。】
澄ませども 淺瀨に立つ 上波の 靜難きは 心也けり
源俊定朝臣【具定男】
1798 【○承前。無題。】
生ける世に 偲ばるる名の 有らばこそ 朽ちなん苔の 下に殘らめ
後土御門內大臣 源定通【土御門通親男】
1799 【○承前。無題。】○
世中を 孰方にとか 恨むらん 人こそ淺き 心為るらめ
亭子院御歌 宇多天皇
1800 三百首歌中に
寢るが中に 思外の 事も見つ 夢よ如何為る 物と知らばや
太上天皇 後嵯峨院
1801 寄夢述懷を
何ぞ此の 夢云ふ物の 在初めて 寢るが中にも 身を歎くらん
關白前左大臣 一條實經
1802 百首歌中に
覺めてこそ 儚かりけれ 寢るが中に 夢を現と 思ふ心は
左大臣 近衛基平【兼經男】
1803 弘長元年百首に、夢を
微睡むも 同心の 見ればこそ 覺めても夢の 忘れざるらめ
衣笠前內大臣 藤原家良
1804 題不知
夢は猶 昔に復も 歸りなん 二度見ぬは 現也けり
中務卿 宗尊親王
1805 【○承前。無題。】
現こそ 猶憂かりけれ 夢為らば 戀ふる昔を 復も見てまし
侍從 藤原行家【知家男】
1806 【○承前。無題。】
過ぎぬれば 現も夢に 變らぬを 寢るが中とも 思ひける哉
源具房朝臣
1807 【○承前。無題。】
長世に 眠りは覺めて 如何為れば 此世を夢と 思ふなるらん
權僧正顯真
1808 【○承前。無題。】
聞きなるる 八十餘の 鐘聲 宵曉も 哀何時迄
藤原信實朝臣
1809 【○承前。無題。】
猶暫 命を惜しと 思ふこそ 老を厭はぬ 心也けれ
藤原信實朝臣
1810 老後述懷と云へる事を
七十を 過來つるだに 程無きに 今幾日とて 世を賴むらん
祐盛法師
1811 【○承前。詠老後述懷。】
如何に為む 身に七十の 過ぎにしを 昨日と思へば 今日も暮れぬる
蓮生法師
1812 中務卿親王家にて歌數多詠侍けるに、礒と云ふ事を詠める
今ぞ我 潮滿磯の 岩根の 殘少なき 身とは成りぬる
大僧正隆辨
1813 選子內親王、賀茂齋下給ひて後、對面有ける序に
今日ぞ思ふ 君に逢はでや 止みなまし 八十餘の 齡為らずは
入道兵部卿昭平親王 昭平法親王
1814 題不知
何時迄か 長世からと 託ちけん 老寢覺めは 折を分くかは
後鳥羽院御歌
1815 夜述懷と云ふ事を
長夜の 寢絕めに思ふ 程許 憂世を厭ふ 心有りせば
土御門院小宰相
1816 【○承前。詠夜述懷。】
寢覺めする 夜半心の 儘為らば 思定めぬ 身とは歎かじ
平政村朝臣
1817 中務卿親王家百首に
現にて 夢為る物は 長夜の 寢覺めに思ふ 昔也けり
權少僧都公朝
1818 述懷之心を
年長けば 厭ふべき世と 思ひしに 老心の 尚留りぬる
平時廣
1819 寄老述懷を
歎くぞよ 鏡影の 朝每に 積りて寄する 雪と波とを
前大納言 藤原為家
1820 百首御歌中に
憂き度に 背きても復 如何せん 此世一つの 思為らねば
順德院御歌
1821 題不知
然りとても 背きも果てず 人每に 唯偽の 憂世也けり
關白前左大臣 一條實經
1822 千五百番歌合に 【○齋宮齋院百人一首0089。】
思ふ事 無きだに易く 背く世に 憐棄てても 惜しからぬ身を
縱然心所念 在茲其事無之者 易叛此世間 縱然哀憐捨而棄 毫不足惜此身矣
嘉陽門院越前
1823 中務卿親王家百首に
辛きにも 憂きにもたへて 年は經ぬ 如何為る時か 世ば厭はん
藤原能清朝臣
1824 述懷歌數多詠侍けるに
何事の 先歎かれて 背くべき 身をも忘るる 心為るらん
法印嚴惠
1825 洞院攝政家百首歌に
背くべき 我世や近く 成りぬらん 心に懸かる 嶺白雲
正三位 藤原知家
1826 建保四年奉ける百首歌に
身許は 猶も憂世を 背かばや 心は長く 君に違はで
慈鎮大僧正 慈圓
1827 題不知
世中の 背難さに 身程を 思知らずと 人に見えぬる
源俊賴朝臣【經信男】
1828 【○承前。無題。】
知りながら 厭はぬ世こそ 悲しけれ 我が為辛き 身を思ふとて
入道前太政大臣 西園寺實氏
1829 思立つ事侍ける頃、心に思續け侍ける
然ても復 何方を終の 住處とて 家を出でんと 思立つらん
正三位 藤原顯家
1830 東北院太皇太后宮落餝させ給ける日、御消息侍けるに
身を掐めば 袖ぞ濡れぬる 尼衣 思立つらん 程悲しさ
東三條院 藤原詮子
1831 上東門院落餝させ給ける時詠める
歎かじと 豫て心を 為しかども 今日に成るこそ 悲しかりけれ
赤染衛門
1832 早う物申渡りける人の、己が樣樣年經て後、世を背くと聞きて申遣はしける
然らでだに 有しにも非ぬ 同世を 背くと聞くぞ 甚悲しき
安嘉門院右衛門佐 安嘉門院四條
1833 藤原仲能朝臣出家して侍ける又日、申遣はしける
在しにも 非ぬ袂の 秋風 如何為る色に 吹變るらん
從三位 藤原為繼
1834 返し
袖上は 在しにも非ぬ 色ながら 同身に沁む 秋風ぞ吹く
藤原仲能朝臣
1835 出家後詠侍ける
真澄鏡 知らぬ翁は 見慣れにき 今更辿る 面影も憂し
前大納言 藤原基良
1836 【○承前。出家後侍詠。】
憂度に 唯在らましと 思ひしに 契有ける 墨染袖
明教法師
1837 【○承前。出家後侍詠。】
背きにし 兆は何方 立歸り 憂世に如是て 墨染袖
太皇太后宮小侍從
1838 鷹司院按察、西山にて世を遁侍けるを歎きて、言遣はしける
西へ行く 月は賴みも 在りながら 心闇の 晴難世や
修明門院大貳
1839 返し
入る方を 憂世外に 慰めて 月に心の 闇は晴けよ
鷹司院按察
1840 高辨上人に申遣はしける
思遣る 心は常に 通ふとも 知らずや君か 言傳ても無き
平泰時朝臣
1841 返し
人知れず 思ふ心の 通ふこそ 言ふに勝れる 標為るらめ
高辨上人
1842 百首歌中に
埋もれぬ 後名さへや 覓めざらん 為す事無くて 此世暮れなば
後京極攝政前太政大臣 九條良經【兼實男】
1843 千五百番歌合に
憂きながら 猶由緣無くて 過ぐすとも 非じ我身の 末思出
大藏卿 藤原有家【重家男】
1844 題不知
身憂さの 心に餘る 時にこそ 淚は袖に 落始めけれ
鷹司院按察
1845 【○承前。無題。】
憂世には 掛かれとてこそ 生まれけめ 理知らぬ 我淚哉
土御門院御歌
1846 【○承前。無題。】
一筋に 人やは辛き 世中の 憂きに付けては 身をそ恨むる
右近大將 源通忠
1847 【○承前。無題。】
並べて世の 人こそ更に 辛からね 我心だに 身をば思はず
衣笠前內大臣 藤原家良
1848 【○承前。無題。】
憂事に 慣れぬる物は 心とて 猶も由緣無く 世をやすぐさん
寂身法師
1849 【○承前。無題。】
深けれど 千尋海は 程知りぬ 人思は 棹も及ばず
壬生忠岑
1850 【○承前。無題。】
恠くも 慰難き 心哉 姨捨山の 月も見無くに
小野小町
1851 【○承前。無題。】
憂世とて 厭捨てても 如何為ん 背かぬだにも 數為らぬ身を
大納言 二條良教
1852 述懷歌中に
古は 如是や覺えし 待つ事の 無ければ速く 行月日哉
權少僧都公朝
1853 清輔朝臣家歌合に、同心を
思出も 復待つ事も 無けれども 流石に世こそ 捨てても遣られね
祐盛法師
1854 題不知
喜ぶも 歎くも徒に 過ぐる世を 何どかは厭ふ 心為るらん
前律師永觀
1855 【○承前。無題。】
厭ひても 猶厭ふべき 世憂さを 思程には 思はれぬ哉
前大納言 藤原伊平
1856 光明峰寺入道前攝政家百首中に
今迄も 在るは思ひの 外為れば 身を歎くべき 理も無し
藤原光俊朝臣【葉室光親男】
1857 述懷歌數多詠侍けるに
何故に 今迄世には 經る身ぞと 心問へは 音こそ泣かるれ
藤原光俊【葉室光親男】