續古今和歌集 卷第十八 雜歌中
1634 神龜元年十月、紀伊國に行幸時、詠める 【○萬葉集0919。】
和歌浦に 潮滿來れば 潟を無み 蘆邊を指して 鶴鳴渡る
稚若和歌浦 潮汐滿盈水漲高 干瀉為潮沒 白鶴失瀉指岸翔 鳴渡蘆邊聲繚繞
山邊赤人
1635 越中守にて下りて侍ける時、詠侍ける 【○萬葉集4018。】
湊風 寒く吹くらし 奈吳江に 妻喚交し 鶴澤に鳴く
河口湊風之 凜冽疾吹寒刺骨 奈吾之江間 夫妻交鳴呼相喚 鶴啼聲繁不嘗斷
中納言 大伴家持
1636 題不知 【○萬葉集1160。】
難波潟 潮干に立ちて 見渡せば 淡路島に 鶴渡る見ゆ
澪標難波潟 立於乾潮水涸處 放眼望四方 穗之狹別淡路島 渡鶴翔空今可見
佚名 讀人不知
1637 五百首御歌中に
可古島 松原越しに 見渡せば 有明月に 鶴ぞ鳴くなる
後鳥羽院御歌
1638 寶治二年百首歌に、島鶴
小黑崎 美豆小島に 漁りする 鶴ぞ鳴くなる 波立つらしも
太上天皇 後嵯峨院
1639 【○承前。寶治二年百首歌,島鶴。】
友鶴の 群居し事は 昔にて 御島隱れに 音をのみぞ鳴く
從二位 藤原成實【親實男】
1640 百首歌中に
草香江の 入江鶴の 方便無く 友無き音をや 獨鳴くらん
前右大臣 藤原忠家【教實男】
1641 題不知
須磨海人の 浦漕ぐ舟の 梶を絕え 寄邊無き身ぞ 悲しかりける
小野小町
1642 【○承前。無題。萬葉集1143。】
小夜更けて 堀江漕ぐなる 松浦舟 梶音高し 澪速み哉
夜深人靜時 難波堀江榜聲聞 肥前松浦船 梶音高之何所以 蓋是水脈澪速哉
人丸 柿本人麻呂
1643 題を探りて七百首歌人人に詠ませ侍し序に、羈中船を
袖香や 猶留るらん 橘の 小島に寄せし 夜半浮舟
太上天皇 後嵯峨院
1644 洞院攝政家百首歌に、眺望
限有れば 霞まぬ浦の 浪間より 心と消ゆる 海人釣舟
藤原隆祐朝臣
1645 題不知
世を倦みの 海人小舟の 綱手繩 心引くに 身を莫任せそ
平泰時朝臣
1646 【○承前。無題。】
蘆根這ふ 入江小舟 差すか猶 憂きに堪へても 世を渡る哉
圓勇法師
1647 【○承前。無題。】
立歸り 見てこそ行かめ 富士嶺の 珍しげ無き 煙也とも
中務卿 宗尊親王
1648 月照瀧水と云ふ心を
山人の 衣為るらし 白妙の 月に曬せる 布引瀧
後京極攝政前太政大臣 九條良經【兼實男】
1649 布引瀧を
水上は 何處為るらん 白雲の 中より落つる 布引瀧
祭主 大中臣輔親
1650 同瀧見に罷りて詠侍ける
山姬の 嶺梢に 引掛けて 曬せる布や 瀧白浪
源俊賴朝臣【經信男】
1651 千五百番歌合に
風吹けば 海人苫屋の 荒まくも 雄島礒に 寄する浪哉
大藏卿 藤原有家【重家男】
1652 中務卿親王家百首歌中に
明石潟 浪音にや 通ふらん 浦より遠の 岡松風
鷹司院帥
1653 八幡卅首歌に、浦煙を
里遠み 鹽燒浦は 見え分て 煙に懸くる 瀛白浪
藤原信實朝臣
1654 題不知 【○萬葉集1089。】
大海は 島も有ら無くに 海原や 搖盪浪に 立てる白雲
綿津見大海 分明海島不有之 滄溟海原間 漂乎搖盪波濤上 所立湧現白雲矣
柿本人丸 柿本人麻呂
1655 【○承前。無題。萬葉集1729。】
曉の 夢に見えつつ 梶島の 岩越す浪の 碎けてぞ思ふ
拂曉矇矓時 每每相見在夢田 一猶梶島之 越岩駭浪擊岸來 粉身碎骨此念矣
式部卿 藤原宇合
1656 百首御歌中に、野を
印南野や 山本遠く 見渡せば 尾花に混る 松叢立
土御門院御歌
1657 三百首歌中に
見渡せば 潮風荒し 姬島や 小松末に 懸かる白浪
中務卿 宗尊親王
1658 住吉社に詣でける人、歸來ん迄忘る莫と申ける返事に
孰方か 茂勝ると 忘草 良住吉の 永らへて見よ
清少納言
1659 熊野に詣侍し序に、住吉にて浦松を
滿潮も 岸邊遙かに 成果てて 今は浦為る 住吉松
太上天皇 後嵯峨院
1660 亭子院より、世世を經て絕えじとぞ思ふ、と云ふ御歌を奉らせ給たりける御返し 【○補遺1929。】
末絕えぬ 吉野川の 水上や 妹背山の 中を行くらん
延喜御歌 醍醐天皇
1661 同院、西川に御坐しましたりける日、江松老と云ふ事を題にて詠侍ける
江に深く 年は經にける 松為れど 斯かる御幸は 今日や見るらん
參議 藤原伊衡
1662 【○承前。同院坐西川之日,以江松老為題而詠。】
此川の 入江松は 老いにけり 古き御幸の 事や問はまし
坂上是則
1663 題不知
大井川 底にも見ゆる 龜山の 變らぬ影は 幾世經ぬらん
中務
1664 龜山仙洞にて詠侍し歌中に
我宿の 物か非ぬか 嵐山 在るに任せて 落つる瀧瀨
太上天皇 後嵯峨院
1665 三百首歌中に、島を
有明の 空に別れし 妹が島 形見浦に 月ぞ殘れる
後嵯峨院
1666 後法性寺入道前關白家百首歌に
濱清く 澄む月影を 明けぬとや 由良湊に 舟喚ばふ也
後德大寺左大臣 藤原實定
1667 千載集に素覺法師が、濱千鳥吹飯浦に訪れて、と詠めるを思ひて詠侍け 【○補遺1930。】
月影の 吹飯浦の 小夜千鳥 殘る跡にも 音は無かれけり
素俊法師 橘家季
1668 新院為御位時、都鳥侍けるを題にて、人人に歌詠むべき由仰られける時
吹風も 長閑けき花の 都鳥 治れる世の 事や問はまし
後深草院少將內侍
1669 源氏物語の須磨卷書きて奉ける人に遣はされける
濱千鳥 跡を見るにも 袖濡れて 昔に返る 須磨浦浪
月華門院 綜子內親王
1670 返し
今更に 須磨浦路の 藻鹽草 書くに付けても 濡るる袖哉
醍醐入道前太政大臣藤原良平女
1671 題不知
漁りすと 礒に我が見し 勿告藻を 孰島の 海人か苅るらん
佚名 讀人不知
1672 熊野に詣侍りとて、石代濱にて詠侍ける
岩代の 待事も無き 我が身さへ 何と憂世に 結ぼほるらん
前中納言 藤原資實
1673 述懷歌中に
心をば 我心こそ 慰むれ あらまし事の 問はず語に
從二位 藤原家隆
1674 建保四年、人人に百首歌召しける序に詠ませ給ける
己づから 古きに返る 色し有らば 花染衣 露や分けまし
後鳥羽院御歌
1675 【○承前。建保四年召人人頌百首歌而詠。】
四方海 昔に歸る 浪上に 濱人今や 御狩待つらん
光明峰寺入道前攝政左大臣 藤原道家
1676 六帖題歌中に、國を
久堅の 天より降す 玉鉾の 道有る國ぞ 今の我國
太上天皇 後嵯峨院
1677 洞院攝政家百首に
世を照す 月日光 見る度に 曇らじと思ふ 心こそ付け
入道前太政大臣 西園寺實氏
1678 日本紀を見て、繼體天皇を
曇らじな 真澄鏡 影添ふる 樟葉宮の 春夜月
關白前左大臣 一條實經
1679 正治二年七月歌合に、水邊月
音羽川 堰入れ清水に 影留めて 人心を 月に見る哉
西園寺入道前太政大臣 藤原公經【實宗男。】
1680 題不知
我のみや 入江浪に 袖濡れて 沉める影を 月に訴へん
藤原為綱朝臣
1681 中務卿親王家百首歌に
六十餘り 見つるも悲し 何として 心留る 月に成るらん
前內大臣 藤原基家
1682 月歌中に
何事に 心を留めて 有明の 月も憂世の 空に澄むらん
中務卿宗尊親王家新右衛門督
1683 【○承前。月歌中。】
飽かずのみ 思置かるる 悲しさに 此頃甚く 月を見る哉
藤原信實朝臣
1684 世を遁れて飯室に籠りて侍ける頃、月を見て
大空の 昔に似たる 月影を 都に非で 見るぞ悲しき
權中納言 藤原義懷
1685 題不知
奧山に 身をば遁れぬ 憐復 心を捨つる 道を知らばや
按察使 藤原隆衡
1686 千五百番歌合歌
憂しとても 復は何方か 在所離ん 山より深き 住處無ければ
前大納言 藤原忠良
1687 秋頃、山里に罷りて詠侍ける
花薄 招きも止まぬ 山里に 心限り 止めつる哉
東三條入道前關白太政大臣 藤原兼家
1688 建長三年九月十三夜十首歌合に、山家秋風
吹風も 問ふに辛さの 勝る哉 慰め兼ぬる 秋山里
入道前右大臣 花山院定雅【藤原忠經男】
1689 【○承前。建長三年九月十三夜十首歌合,山家秋風。】
然らでだに 心浮かるる 山里の 夕暮每に 秋風ぞ吹く
前右大臣 西園寺公基
1690 題不知
心だに 憂世を深く 厭ひなば 何かは山の 奧も求めん
中務卿 宗尊親王
1691 寄山述懷を
先立てて 心は山に 棲む物を 家を出でぬと 言はぬ許ぞ
權大納言 藤原顯朝
1692 山家之心を詠める
山深く 何か庵を 結ぶべき 心中に 身は隱れけり
權大僧都定圓【葉室光俊男】
1693 【○承前。詠山家之趣。】
捨てしより 山奧にと 思ふ身の 澄まれぬ物は 心也けり
右兵衛督 藤原基氏【基家男】
1694 【○承前。詠山家之趣。】
山里に 何時しか人の 待たるるや 住果つまじき 心成るらん
藤原基政【基綱男】
1695 題不知
絕えず云ふ 筧水の 情けこそ 訪れながら 寂しかりけれ
前大納言 藤原為家
1696 【○承前。無題。】
山深く 住むにも據らぬ 心哉 辛き世をのみ 猶偲びつつ
土御門院御歌
1697 正治二年百首歌に
露霜の 小倉山に 家居して 干さでも袖の 朽ちぬべき哉
前中納言 藤原定家
1698 鹽津山と云ふ道を行くに、賤男の甚恠き樣にして、猶辛き道哉と云ふを聞きて詠侍ける
知りぬらん 行來に為らず 鹽津山 世に經る道は 辛き物ぞと
紫式部
1699 述懷之心を
理無しや 人こそ人と 言はざらめ 自ら身をや 思捨つべき
紫式部
1700 【○承前。詠述懷之心。】
世間よ 如何賴まん 飛鳥川 昨日淵の 淺瀨白浪
後鳥羽院御歌
1701 【○承前。詠述懷之心。】
淵は瀨に 變ると見れど 飛鳥川 沉む水屑は 浮かぶ瀨も無し
源光行
1702 人人六帖題にて歌詠侍けるに
鈴鹿川 我が身老りぬる 老波 八十瀨も近く 濡るる袖哉
正三位 藤原知家
1703 題不知
思事 猶頻浪に 大島の 鳴門は無くて 年經ぬらん
正三位 藤原知家
1704 【○承前。無題。】
何時迄か 袖打濡らし 沼水の 末も遠らぬ 物思ひけん
藤原光俊朝臣【葉室光親男】
1705 【○承前。無題。】
數為らで 世に古川の 埋水 行方も無く 濡るる袖哉
大江賴重
1706 百首御歌中に
憂しとても 身をば何處に 奧海の 鵜居る岩も 浪は掛くらん
順德院御歌
1707 述懷之心を
何事の 何時有るべしと 思ひてか 斯かる憂世に 由緣無かるらん
前內大臣 藤原基家
1708 【○承前。詠述懷之心。】
日に添へて 淚露の 茂ければ 徒なる玉の 緒こそ弱けれ
貞慶上人
1709 老人述懷と云ふ事を
古は 世憂許 覺えしに 老いを重ねて 身を歎哉
平政村朝臣
1710 【○承前。詠老人述懷。】
然りともと 昔は末も 賴まれき 老ぞ憂身の 限也ける
道圓法師
1711 百首歌奉けるに、述懷を
聞人も 哀と思へ 老浪 立居に付けて 休からぬ身を
入道前太政大臣 西園寺實氏
1712 熊野に詣侍ける時、上野にて詠侍ける
昔見し 野原は里と 成にけり 數添ふ民の 數は知らねど
入道前太政大臣 西園寺實氏
1713 題不知
高圓の 尾上宮の 淺茅原 荒れにし後も 幾世經ぬらん
真昭法師 北條資時
1714 【○承前。無題。】
見し世こそ 思出ても 偲ばるれ 知らぬ昔の 何ぞや戀しき
藤原基政【基綱男】
1715 【○承前。無題。】
水面に 生ひて亂るる 浮草は 浪上にや 種を蒔きけん
凡河內躬恒
1716 五百首御歌中に
人は皆 元心ぞ 變行く 野中清水 誰か汲むべき
後鳥羽院御歌
1717 懷舊を
行末は 行かしけれども 來方の 戀しき許 覺えやはする
刑部卿 藤原賴輔
1718 【○承前。詠懷舊。】
寢覺めして 思解くこそ 悲しけれ 憂世夢を 何時迄か見ん
刑部卿 藤原賴輔
1719 百首歌奉しに、曉を
昔今 思殘さぬ 寢覺哉 曉許 物忘れせて
入道前太政大臣 西園寺實氏
1720 同心を詠侍ける
曉の 鳥音聞かぬ 山里は 寢覺めぞ夜半の 程を知りける
衣笠前內大臣 藤原家良
1721 同心を詠侍ける
身を思ふ 寢覺淚 干さぬ間に 鳴續けたる 鳥聲哉
前大納言 藤原為家
1722 同心を詠侍ける
憂物と 寢覺を誰に 習ひてか 曉每に 鳥鳴くらん
大僧正隆辨
1723 建保四年百首歌
明けぬとて 木綿付鳥の 聲す也 誰か別の 袖濡らすらん
前中納言 藤原定家
1724 關路雞と云ふ事を
關戶も 明方近く 成にけり 今鳴く鳥は 空音為らじな
心圓法師
1725 題不知
逢坂の 關嵐の 激しきに 強てぞ居たる 世を過ぎむとて
蟬丸