續古今和歌集 卷第十六 哀傷歌


1388 久安百首歌召(きうあんひゃくしゅのうため)しける時(とき)


1389 萬葉集歌和侍(まんえふしふのうたわしはべり)ける序(ついで)に詠侍(よみはべり)ける


1390 題不知(だいしらず)


1391 建皇子隱(たけるのみこかく)れて今城谷(いまぎだに)に納侍(おさめはべり)けるを嘆給(なげきたま)ひて、詠(よ)ませ給(たま)へりける 【○日本書紀s0116。】


1392 天智天皇隱給(てんちてんわうかくれたま)うて後(のち)、詠(よ)ませ給(たまひ)ける 【○萬葉集0149。】


1393 延長元年三月(えんちゃうくわんねんやよひ)、文彥太子之事(ふみひこたいしのこと)を嘆給(なげきたま)ひて詠(よ)ませ給(たまひ)ける


1394 式部卿敦慶亡(しきぶきゃうあつよしのみこな)く成(な)りて、右衛門督兼輔弔(ゑもんのかみかねすけとぶら)ひて侍(はべり)ける返事(かへりごと)に


1395 延長八年九月(えんちゃうはちねんながつき)、右近府大將曹司(うこんのつかさのだいしゃうのさうし)に出(いで)させ給(たまひ)ける時(とき)、女御更衣(にょうごかうい)身罷出侍(みなまかりいではべり)ければ、上局障子(うへのつぼねのしゃうじ)に書付侍(かきつけはべり)ける


1396 同諒闇頃(おなじりゃうあんのころ)、詠(よ)みて遣(つか)はしける


1397 返(かへ)し


1398 右大將定國身罷(うだいしゃうさだくにみまか)りて後(のち)、彼家櫻盛成(かのいへのさくらのさかりな)りけるを見(み)て詠侍(よみはべり)ける


1399 女御述子隱(にょうごしゅっしかく)れての春(はる)、花(はな)を見(み)て


1400 天曆御門御事(てんりやくのみかどのおほむこと)を忌(いみ)じく嘆(なげ)きて病(やまひ)に成(な)りにければ、甚心細(いとごころぼそ)くて


1401 一條院御事後(いちでうゐんのおほむことののち)、上東門院枇杷殿(じゃうとうもんゐんびはどの)へ出給(いでたま)うける日(ひ)、詠侍(よみはべり)ける


1402 皇后宮(くわうごうぐう)【定子(さだこ)】の後業夜(のちのわざのよ)、雪降侍(ゆきのふりはべり)ければ


1403 思(おも)ひに侍(はべり)ける頃(ころ)、訪(と)はざりける人許(ひとのもと)へ言遣(いひつか)はしける


1404 女思(をみなのおもひ)に侍(はべり)ける頃(ころ)、石山(いしやま)に詣(まう)でて詠侍(よみはべり)ける


1405 贈皇后宮隱(ぞうくわうごうぐうかく)れての春頃(はるのころ)、山霞(やまのかすみ)を御覽(ごらん)じて


1406 後鳥羽院隱給(ごとばゐんかくれたま)うての頃(ころ)


1407 大原(おほはら)に納奉(をさめたてまつ)る由聞(よしきこ)えければ


1408 【○承前。聞奉納大原之由。】


1409 堀河院隱給(ほりかはゐんかくれたま)ひて後(のち)、花盛(はなのさか)りに人(ひと)に遣(つか)はしける


1410 花山(くわさん)に罷(まかり)けるに、僧正遍昭室跡(そうしゃうへんぜうがむろのあと)の櫻散(さくらのち)りけるを見(み)て


1411 九條左大臣失(くでうさだいじんう)せての春(はる)、家(いへ)の櫻散(さくらのち)りけるを見(み)て


1412 建保百首歌(けんほうひゃくしゅのうた)に


1413 後京極攝政事(ごきゃうごくせっしゃうのこと)を思出(おもひいで)て、彼遠忌之日(かのをんきのひ)、光明峰寺入道攝政(くわうみゃうふじにふだうせっししゃう)【于時左大將(さだいしゃう)。】の許(もと)に遣(つか)はしける


1414 返(かへ)し


1415 洞院攝政事(とうゐんせっしゃうのこと)を思(おも)ひて詠侍(よみはべり)ける


1416 人(ひと)の亡(な)く成(なり)にける所(ところ)にて、郭公(ほととぎす)を待(ま)つと云(い)ふ心(こころ)を詠(よ)める


1417 待賢門院隱(たいけんもんゐんかく)れさせ給(たま)ひにけるを、香隆寺(かうりゅうじ)に納奉(をさめたてまつ)りければ詠侍(よみはべり)ける


1418 重患(おもくわづら)ひての頃(ころ)、蜩鳴(ひぐらしのな)くを聞(き)きて


1419 前中納言定家身罷(さきのちうなごんさだいへみまか)りて後(のち)、第三年佛事(だいさんねんのぶつし)嵯峨家(さがのいへ)にてし侍(はべり)けるに遣(つか)はしける


1420 返(かへ)し


1421 蟲鳴(むしのな)くを聞(き)きて


1422 題不知(だいしらず)


1423 人麿塚(ひとまろがつか)にて秋歌詠侍(あきのうたよみはべり)けるに


1424 朝顏(あさがほ)を見(み)て


1425 月(つき)を見(み)て詠(よ)める


1426 定家卿(さだいへきゃう)十三年(じふさんねん)に、前大納言為家(さきのだいなごんためいへ)、一品經歌(いっぽんぎゃうのうた)とて人人(ひとびと)に勸侍(すすめはべり)ける序(ついで)に、秋懷舊(あきのくわいきう)と云(い)ふ事(こと)を


1427 家隆卿(いへたかきゃう)の十三年(じふさんねん)に、隆祐朝臣(たかすけのあそん)勸侍(すすめはべり)ける歌(うた)に


1428 皇太后宮大夫俊成(くわうたいごうぐうのだいぶとしなり)、定家卿母(さだいへきゃうのはは)の思(おも)ひにて侍(はべり)ける頃(ころ)、言遣(いひつか)はしける


1429 美福門院隱給(びふくもんゐんかくれたま)ひて後(のち)、高野御山(かうやのおやま)に納奉(をさめたてまつり)ける頃(ころ)、前大納言成通許(さきのだいなごんなりみちのもと)より消息(せうそこ)して侍(はべり)けるに詠(よ)める


1430 返(かへ)し


1431 題不知(だいしらず)


1432 式乾門院隱給(しきけんもんゐんかくれたま)ひての頃(ころ)、北白川(きたしらかは)にて詠侍(よみはべり)ける


1433 親(おや)の思(おも)ひに侍(はべり)ける頃(ころ)


1434 宣陽門院隱給(せんやうもんゐんかくれたま)ひにける年(とし)の秋暮(あきのくれ)、伏見(ふしみ)に參(まゐ)りて詠侍(よみはべり)ける


1435 高野(かうや)に納奉(をさめたてまつり)ける御をくりにまいりて、袖(そで)に紅葉(もみぢ)の散掛(ちりかか)りければ詠(よ)める


1436 母身罷(ははのみまか)りにける秋暮(あきのくれ)に、人弔(ひとのとぶら)へりける返事(かへりごと)に


1437 妹身罷(いもうとのみまか)りける忌程(いみのほど)、徒然(つれづれ)と眺(なが)めて詠(よ)める


1438 題不知(だいしらず)


1439 【○承前。無題。】


1440 【○承前。無題。】


1441 【○承前。無題。】


1442 世中儚(よのなかはかな)く聞(きこ)えける頃(ころ)


1443 母(はは)の思(おもひ)に侍(はべり)けるに、先立(さきだ)ちて色(いろ)なる人許(ひとのもと)に遣(つか)はしける


1444 少將內侍(せうしゃうのないし)、人(ひと)に草紙(さうし)を書(か)かせ侍(はべり)けるを、內侍身罷(ないしみまか)りて後(のち)、緣(ゆかり)を訪(たづ)ねて遣侍(つかはしはべり)ければ詠(よ)める


1445 志(こころざし)侍(はべり)ける女(をみな)の、秋身罷(あきみまか)りにける、神無月頃(かむなづきのころ)、時雨繁(しぐれのし)ける日(ひ)、詠侍(よみはべり)ける


1446 右大將通雅母身罷(うだいしゃうみちまさのははみまか)りての頃(ころ)、雪降(ゆきのふ)りける日(ひ)、詠侍(よみはべり)ける


1447 同思(おなじおもひ)にて、粟田口山庄(あはたぐちのさんさう)に籠居(こもりゐ)て侍(はべり)し春花頃(はるのはなのころ)、遣(つか)はし侍(はべり)し


1448 權中納言公宗(こんちうなごんきんむね)、彌生末方(やよひのすゑつかた)身罷(みまか)り侍(はべり)ければ詠侍(よみはべり)ける


1449 同頃(おなじごろ)、前左大臣許(さきのさだいじんのもと)に申遣(まうしつか)はしける


1450 返(かへ)し


1451 父卿(ちちきゃう)の服脫(ぶくぬ)ぎける頃(ころ)、母又身罷(ははまたみまか)りにければ詠(よ)める


1452 大中臣能宣朝臣身罷(おほなかとみのよしのぶのあそんみまか)りて四十九日內(しじふくにちのうち)に、輔親(すけちか)冠給(かうぶりたま)はりて侍(はべり)ける、願文作(ぐわんもんつく)らせける奧(をく)に書付侍(かきつけはべり)ける


1453 後堀川院隱給(ごほりかはゐんかくれたま)ひし時(とき)、世(よ)を遁(のが)れて遙(はる)かに年隔(としへだ)たりて後(のち)、夏歌詠(なつのうたよ)みてと人申(ひとのまうし)ければ、詠(よ)みて遣(つか)はしける


1454 題不知(だいしらず)


1455 世儚(よのはかな)き事(こと)を思續(おもひつづ)けて、雪朝(ゆきのあした)に慶政上人許(けいせいしゃうにんのもと)に遣(つか)はしける


1456 返(かへ)し


1457 九條左大臣失(くでうさだいじんう)せての次年冬(つぎのとしのふゆ)、同月日(おなじつきひ)に當(あた)る朝雪降(あしたゆきふ)りけるに、右衛門督忠基許(ゑもんのかみただもとがもと)に申遣(まうしつか)はしける


1458 法印覺寬身罷(ほふいんかくくわんみまか)りける後(のち)、詠侍(よみはべり)ける


1459 題不知(だいしらず)


1460 土御門院隱給(つちみかどゐんかくれたま)ひて後(のち)の御業時(おほむわざのとき)、詠侍(よみはべり)ける


1461 大納言典侍身罷(だいなごんのすけみまか)りての頃(ころ)、詠侍(よみはべり)ける


1462 無常歌(むじゃうのうた)とて 【○補遺1935。】


1463 堀河中宮(ほりがはちうぐうおは)しまさで後(のち)、圓融院(ゑんゆうゐん)に申(まう)されける 【○齋宮齋院百人一首0016。】


1464 御返(おほむかへ)し


1465 光俊朝臣勸侍(みつとしのあそんすすめはべり)ける百首歌中(ひゃくしゅのうたのなか)に


1466 服脫侍(ぶくぬぎはべり)ける日(ひ)詠(よ)める


1467 東(あづま)に侍(はべり)ける頃(ころ)、都為(みやこな)る女(むすめ)の身罷(みまか)りにけりと聞(き)きて、心內(こころのうち)に思續(おもひつづ)け侍(はべり)ける


1468 惱給(なやみたまひ)ける頃(ころ)、枕包紙(まくらのつつみがみ)に書付(かきつ)けられける


1469 藤原保昌朝臣身罷(ふぢはらのやすまさのあそんみまか)りて後(のち)、彼八條家(かのはちでうのいへ)に行(ゆ)きて見侍(みはべり)ければ、植置(うゑを)きて侍(はべり)ける松梢(まつのこすゑ)に風渡(かぜわた)りて心細(こころぼそ)く聞(きこ)えければ


1470 西園寺瀧(さいをんじのたき)を見(み)て


1471 隣寺(となりのてら)に誦經之鐘聞(ずきゃうのかねのきこ)えければ


1472 八十(やそぢ)に多餘(おほくあま)りて、猶(なほ)も永(なが)らへて侍(はべ)る事(こと)を思(おも)ひて詠侍(よみはべり)ける


1473 曉之心(あかつきのこころ)を詠(よ)める


1474 和歌所(わかどころ)にて述懷歌合侍(じゅっぐわいのうたあはせはべり)けるに


1475 御心地例為(おほむここちれいな)らず御坐(おは)しましける頃(ころ)、女御徽子女王許(にょうごきしぢょわうのもと)に遣(つか)はされける 【○齋宮女御集0101。】


1476 題不知(だいしらず)


1477 平重時身罷(たひらのしげときみまか)りて後(のち)、佛事折(ぶつしのをり)しも雨降(あめのふ)りけるに、平長時(たひらのながときがもと)に遣(つか)はしける


1478 父卿身罷(ちちきゃうみまか)りて後(のち)、詠侍(よみはべり)ける


1479 題不知(だいしらず)


1480 參議成賴身罷(さんぎなりよりみまか)りにければ、先立(さきだ)つ事(こと)を歎(なげ)きて詠侍(よみはべり)ける


1481 世(よ)の儚(はかな)きを思(おも)ひて詠(よ)める


1482 月夜(つきのよ)高辨上人許(かうべんじゃうにんのもと)に罷(まか)りて、發心始事等(ほっしんのはじめのことなど)互(たが)ひに申(まう)して侍(はべり)けるに、身罷(みまか)りて後(のち)、其上(そのかみ)の物語思出(ものがたりおもひいで)て、彼月日(かのつきひ)に當(あた)りける時(とき)、詠侍(よみはべり)ける


1483 題不知(だいしらず)