續古今和歌集 卷第十六 哀傷歌
1388 久安百首歌召しける時
搔闇し 雨降る川の 泡沫の 別樣程無き 世とは知らずや
崇德院御歌
1389 萬葉集歌和侍ける序に詠侍ける
世中を 何に例へん 風吹けば 行方も知らぬ 嶺白雲
源順
1390 題不知
何事を 我嘆くらん 陽炎の 仄めくよりも 常為らぬ世に
菅原孝標朝臣女
1391 建皇子隱れて今城谷に納侍けるを嘆給ひて、詠ませ給へりける 【○日本書紀s0116。】
今城なる 外山嶺に 雲だにも 著くし立たば 何か歎かん
嗚呼今城谷 外山嶺兮巔峰上 觀其大虛空 如雲著立得顯見 何須愴嘆至如此
齊明天皇御歌
1392 天智天皇隱給うて後、詠ませ給ける 【○萬葉集0149。】
人はいさ 思止むとも 玉鬘 影に見えつつ 忘られぬ哉
人雖能止思 縱令一旦抑悲嘆 玉葛御蔭冠 吾每觸景更生情 輒見面影不能忘
倭太后 倭姬王
1393 延長元年三月、文彥太子之事を嘆給ひて詠ませ給ける
春深き 深山櫻も 散りぬれば 世を鶯の 鳴かぬ日ぞ無き
延喜御歌 醍醐天皇
1394 式部卿敦慶亡く成りて、右衛門督兼輔弔ひて侍ける返事に
春每に 花は散るとも 咲きぬべし 復逢難き 人世ぞ憂き
三條右大臣 藤原定方
1395 延長八年九月、右近府大將曹司に出させ給ける時、女御更衣身罷出侍ければ、上局障子に書付侍ける
秋風に 伉ふ木葉の 今はとて 己が散散り 為るぞ悲しき
延喜女御 藤原能子【三條右大臣藤原定方女】
1396 同諒闇頃、詠みて遣はしける
夢かとぞ 侘びては思ふ 偶然に 訪人有れや 復や覺むると
中納言 藤原朝忠
1397 返し
哀ども 思ひぞ分かぬ 烏玉の 同夢にて 惑ふ身為れば
參議 小野好古
1398 右大將定國身罷りて後、彼家櫻盛成りけるを見て詠侍ける
思出る 昔は露か 故鄉の 花見る每に 袖濡るらん
紀貫之
1399 女御述子隱れての春、花を見て
見るからに 袂ぞ濡るる 櫻花 空より外の 露や置くらん
清慎公 藤原實賴
1400 天曆御門御事を忌じく嘆きて病に成りにければ、甚心細くて
後れても 越えける物を 死出山 先立つ事を 何歎きけん
宣耀殿女御
1401 一條院御事後、上東門院枇杷殿へ出給うける日、詠侍ける
在し世を 夢に見作して 淚さへ 止らぬ宿ぞ 悲しかりける
紫式部
1402 皇后宮【定子】の後業夜、雪降侍ければ
誰も皆 消殘るべき 身為らねど 雪隱れぬる 君ぞ悲しき
儀同三司 藤原伊周
1403 思ひに侍ける頃、訪はざりける人許へ言遣はしける
死ぬ許 嘆くを訪はぬ 人よりも 今迄生ける 身こそ辛けれ
太皇太后宮大夫 源隆國
1404 女思に侍ける頃、石山に詣でて詠侍ける
都にて 待つべき人も 思ほえず 山より深く 入りやしなまし
權大納言 藤原行成
1405 贈皇后宮隱れての春頃、山霞を御覽じて
梓弓 春山邊の 霞むこそ 戀しき人の 形見成りけれ
堀川院御歌
1406 後鳥羽院隱給うての頃
昇りにし 春霞を 慕ふとて 染むる衣の 色も儚し
順德院御歌
1407 大原に納奉る由聞えければ
入月の 朧清水 如何にして 遂に澄むべき 影を留むらん
順德院
1408 【○承前。聞奉納大原之由。】
春夜の 短夢と 聞しかど 長思の 覺むる間も無し
順德院
1409 堀河院隱給ひて後、花盛りに人に遣はしける
在し世の 戀しき儘に 故鄉の 花に向ひて 音をのみぞ泣く
堀河院中宮上總
1410 花山に罷けるに、僧正遍昭室跡の櫻散りけるを見て
主無き 棲家に殘る 櫻花 憐昔の 春や戀しき
津守國基
1411 九條左大臣失せての春、家の櫻散りけるを見て
惜しむべき 主を花に 先立てて 心儘に 散る櫻哉
心海上人
1412 建保百首歌に
音をぞ泣く 彌生花の 枯れしより 教への庭の 跡を眺めて
光明峰寺入道前攝政左大臣 藤原道家
1413 後京極攝政事を思出て、彼遠忌之日、光明峰寺入道攝政【于時左大將。】の許に遣はしける
後れじと 慕ひし月日 憂きながら 今日も由緣無く 巡逢ひつつ
前中納言 藤原定家
1414 返し
霞にし 今日月日を 隔てても 猶面影の 立ちぞ離れぬ
光明峰寺入道前攝政左大臣 藤原道家
1415 洞院攝政事を思ひて詠侍ける
別にし 昔春を 思出て 彌生今日の 空ぞ悲しき
前右大臣 藤原忠家【教實男】
1416 人の亡く成にける所にて、郭公を待つと云ふ心を詠める
郭公 鳴聲聞かば 先問はん 死出山路を 人や越えしと
道命法師
1417 待賢門院隱れさせ給ひにけるを、香隆寺に納奉りければ詠侍ける
夕去れば 分きて眺めむ 方も無し 煙とだにも 成らぬ別は
待賢門院堀河
1418 重患ひての頃、蜩鳴くを聞きて
明日迄も 在るべき身とも 思はねば 今日日暮の 聲ぞ悲しき
梅壺女御 後朱雀院女御 藤原生子
1419 前中納言定家身罷りて後、第三年佛事嵯峨家にてし侍けるに遣はしける
今日と言へば 秋の性なる 白露も 更にや人の 袖濡らすらん
入道前太政大臣 西園寺實氏
1420 返し
今日迄も 憂きは身に添ふ 性為れは 三歲之露の 乾間も無き
前大納言 藤原為家
1421 蟲鳴くを聞きて
壁に生ふる 草中なる 蟋蟀 何時迄露の 身を宿すらん
雅成親王
1422 題不知
消えぬべき 露憂身の 置所 孰野邊の 草葉成るらん
殷富門院大輔
1423 人麿塚にて秋歌詠侍けるに
音に聞く 昔跡や これならん 野邊小笹に 秋風ぞ吹く
左近中將 藤原公衡【公能男】
1424 朝顏を見て
明日知らぬ 露世に經る 人にだに 猶儚しと 見ゆる朝顏
前大納言 藤原公任
1425 月を見て詠める
儚くも 月に心の 留る哉 住果つまじき 身をば忘れて
待賢門院堀河
1426 定家卿十三年に、前大納言為家、一品經歌とて人人に勸侍ける序に、秋懷舊と云ふ事を
昔我が 連ねし袖は 朽果てて 淚に殘る 秋夜月
前參議 藤原忠定【兼宗男】
1427 家隆卿の十三年に、隆祐朝臣勸侍ける歌に
鳴く鳴くも 跡訪ふ和歌の 浦千鳥 如何為る波に 立別れけん
平時直
1428 皇太后宮大夫俊成、定家卿母の思ひにて侍ける頃、言遣はしける
悲しさを 慰めよとて 訪ふ程に 先我袖の 濡れにける哉
法橋顯昭
1429 美福門院隱給ひて後、高野御山に納奉ける頃、前大納言成通許より消息して侍けるに詠める
後居て 思遣るこそ 悲しけれ 高野山の 今日御幸は
皇太后宮大夫 藤原俊成【俊忠男】
1430 返し
悲しさは 言盡すべき 方も無し 我心にて 人を知らなむ
前大納言 藤原成通
1431 題不知
亡き人の 形見煙 其だにも 果ては虛しき 空に消えつつ
從二位 藤原顯氏【六條顯家男】
1432 式乾門院隱給ひての頃、北白川にて詠侍ける
昇りにし 煙跡を 尋ぬれば 空しく拂ふ 嶺松風
式乾門院御匣
1433 親の思ひに侍ける頃
置露を 如何に萎れと 藤衣 干さぬ袂に 秋來ぬらん
惟宗忠景
1434 宣陽門院隱給ひにける年の秋暮、伏見に參りて詠侍ける
藤衣 袖は干すべき 暇も無し 淚時雨るる 秋別に
從三位 藤原忠兼【忠行男】
1435 高野に納奉ける御をくりにまいりて、袖に紅葉の散掛りければ詠める
淚のみ 掛ると思ふ 墨染の 袖上にも 降る木葉哉
源仲業
1436 母身罷りにける秋暮に、人弔へりける返事に
行秋を 命有らばと 賴めても 人別れば 待方も無し
源兼氏朝臣
1437 妹身罷りける忌程、徒然と眺めて詠める
儚さは 世常とても 慰めつ 戀しきをこそ 偲侘びぬれ
道命法師
1438 題不知
常為らぬ 世例だに 無かりせば 何に準へて 哀知らまし
高辨上人
1439 【○承前。無題。】
誰とても 留るべきかは 化野の 草葉每に 縋る白露
西行法師 佐藤義清
1440 【○承前。無題。】
嘆かずよ 澤邊葦の 浮節も よしや何時迄 非じと思へば
後嵯峨院大納言典侍 藤原為子
1441 【○承前。無題。】
世中に 在るを有とは 厭ふとも 亡きを無しとは 誰か偲ばん
七條院權大夫
1442 世中儚く聞えける頃
世中は 如是こそ見ゆれ 熟熟と 思へば假の 宿為けり
藤原高光
1443 母の思に侍けるに、先立ちて色なる人許に遣はしける
儚くぞ 置くるる露の 身を知らで 人哀に 袖濡らしける
右近大將 花山院通雅
1444 少將內侍、人に草紙を書かせ侍けるを、內侍身罷りて後、緣を訪ねて遣侍ければ詠める
哀にそ 露緣を 尋ねける 消えにし跡に 殘る言葉
安嘉門院大貳
1445 志侍ける女の、秋身罷りにける、神無月頃、時雨繁ける日、詠侍ける
辛かりし 秋さへ今は 昔にて 淚時雨るる 神無月哉
前關白左大臣 二條良實
1446 右大將通雅母身罷りての頃、雪降りける日、詠侍ける
如何に復 然らでも苔の 下なるを 重ねて埋む 今朝白雪
入道前右大臣 花山院定雅【藤原忠經男】
1447 同思にて、粟田口山庄に籠居て侍し春花頃、遣はし侍し
雨と成り 雲と成りにし 形見にも 紛ふ櫻の 色や見るらん
太上天皇 後嵯峨院
1448 權中納言公宗、彌生末方身罷り侍ければ詠侍ける
復も來む 春別を 嘆きしは せめて思の 無き世也けり
前左大臣 洞院實雄
1449 同頃、前左大臣許に申遣はしける
立歸り 由緣無き世ぞと 知りながら 人思に 復嘆く哉
前關白左大臣 二條良實
1450 返し
今更に 無常世をば 驚かで 知りて厭はぬ 身を歎哉
前左大臣 洞院實雄
1451 父卿の服脫ぎける頃、母又身罷りにければ詠める
脫捨つる 甲斐こそ無けれ 藤衣 今も色なる 袖淚に
法印實伊
1452 大中臣能宣朝臣身罷りて四十九日內に、輔親冠給はりて侍ける、願文作らせける奧に書付侍ける
色色に 思こそ遣れ 墨染の 袂も緋に 成れる淚を
大江匡衡朝臣
1453 後堀川院隱給ひし時、世を遁れて遙かに年隔たりて後、夏歌詠みてと人申ければ、詠みて遣はしける
夏とても 衣は替へじ 捨てし世の 形見に著たる 墨染袖
右兵衛督 藤原基氏【基家男】
1454 題不知
物思ふ 宿梢の 紅葉こそ 淚と共に 留らざりけれ
後德大寺左大臣 藤原實定
1455 世儚き事を思續けて、雪朝に慶政上人許に遣はしける
且消えて 留らぬ世とは 知りながら 儚き數も 積る雪哉
關白前左大臣 一條實經
1456 返し
且消ゆる 物とも知らで 淡雪の 世に降る許 儚きは無し
慶政上人
1457 九條左大臣失せての次年冬、同月日に當る朝雪降りけるに、右衛門督忠基許に申遣はしける
偲ばるる 昔跡は 無けれども 去年に變らぬ 今朝白雪
前權僧正道玄
1458 法印覺寬身罷りける後、詠侍ける
如何為れば 辛き習の 夢世に 避らぬ別の 現為るらん
法印覺宗
1459 題不知
今更に 驚かれぬる 心哉 夢より後も 現為らぬを
法印尊家
1460 土御門院隱給ひて後の御業時、詠侍ける
思ひきや 君に後るる 道芝に 老淚の 露分けんとは
湛空上人
1461 大納言典侍身罷りての頃、詠侍ける
憐何ど おなじ煙に 立添はで 殘る思の 身を焦すらん
前大納言 藤原為家
1462 無常歌とて 【○補遺1935。】
心にも 非ぬ別は 有やせん 誰も知る世の 命為らねば
清原深養父
1463 堀河中宮しまさで後、圓融院に申されける 【○齋宮齋院百人一首0016。】
龜上の 山を訪ねし 人よりも 空に戀ふらむ 君をこそ思へ
較於訪龜上 蓬萊仙山不復歸 可怜故人者 我亦惻隱戀大虛 廢寢忘食吾君矣
二品尊子內親王
1464 御返し
訪ぬべき 方だにも無き 別には 心を何方 遣らむとぞ思ふ
圓融院御歌
1465 光俊朝臣勸侍ける百首歌中に
垂乳根の 亡からん後の 悲しさを 思ひしよりも 猶ぞ戀しき
前大納言 藤原為家
1466 服脫侍ける日詠める
禊して 衣をとこそ 思ひしか 淚をさへも 流しつる哉
源俊賴朝臣【經信男】
1467 東に侍ける頃、都為る女の身罷りにけりと聞きて、心內に思續け侍ける
茲やもし 夢為るらんと 思ふこそ せめて儚き 賴也けれ
藤原能清朝臣
1468 惱給ける頃、枕包紙に書付けられける
亡き床に 枕留らば 誰か見て 積らん塵を 打も拂はん
一條院皇后宮 藤原定子皇后
1469 藤原保昌朝臣身罷りて後、彼八條家に行きて見侍ければ、植置きて侍ける松梢に風渡りて心細く聞えければ
植置きて 雨と聞かする 松風に 殘れる人は 袖ぞ濡れける
能因法師
1470 西園寺瀧を見て
亡人の 心留めし 瀧瀨を 今は形見の 淚にぞ借る
入道前太政大臣 西園寺實氏
1471 隣寺に誦經之鐘聞えければ
一聲の 鐘音こそ 哀為れ 如何為る人の 終りなるらん
天台座主澄覺 澄覺法親王
1472 八十に多餘りて、猶も永らへて侍る事を思ひて詠侍ける
遂道 昨日は過ぎぬ 今日も復 世もと思ふぞ 儚かりける
藤原信實朝臣
1473 曉之心を詠める
我は復 空しき夢の 覺めぬ間に 誰が曉と 鳥鳴くらん
雅成親王
1474 和歌所にて述懷歌合侍けるに
大方は 置堪へぬ露の 幾夜しも 非じ我身の 袖秋風
參議 藤原雅經
1475 御心地例為らず御坐しましける頃、女御徽子女王許に遣はされける 【○齋宮女御集0101。】
斯かるをも 知らずや有けん 白露の 消ぬべき程も 忘れやはする
天曆御歌 村上天皇
1476 題不知
行止る 宿と定むる 方も無し 風上為る 塵身為れば
尊快法親王 寬成
1477 平重時身罷りて後、佛事折しも雨降りけるに、平長時に遣はしける
思出る 今日しも空の 搔昏て 然こそ淚の 雨と降るらめ
中務卿 宗尊親王
1478 父卿身罷りて後、詠侍ける
後るるは 世理の 道為れど 避らぬ別は 猶ぞ悲しき
前大納言 藤原基良
1479 題不知
遂に行く 道別の 有物を 何時迄とてか 世を惜しむらん
正三位 藤原知家
1480 參議成賴身罷りにければ、先立つ事を歎きて詠侍ける
先立たば 先立つ人ぞ 歎かまし 老いて後るる 老思を
前左兵衛督惟方 藤原惟方
1481 世の儚きを思ひて詠める
憂けれども 生けるは然ても 有物を 死ぬる身のみそ 悲しかりける
紀貫之
1482 月夜高辨上人許に罷りて、發心始事等互ひに申して侍けるに、身罷りて後、其上の物語思出て、彼月日に當りける時、詠侍ける
巡逢ふ 昔語の 秋月 慰めかぬる 我心哉
慶政上人
1483 題不知
方方に 哀為るべき 此世哉 在るを思ふも 亡きを偲ぶも
西行法師 佐藤義清