續後撰和歌集 卷十八 雜歌下
1203 百首歌詠ませ給うけるに、懷舊之心を
秋色を 送迎へて 雲上に 馴れにし月も 物忘れす莫
土御門院御製
1204 題知らず
照月の 雲居之影は 其ながら 有りし世をのみ 戀渡る哉
權中納言 源國信
1205 【○承前。無題。】
百敷や 古き軒端の 忍ぶにも 猶餘有る 昔成りけり
順德院御製
1206 雨夜老人思と云ふ心を
終夜 淚も雨も 降りにけり 多夢の 昔語に
大納言 藤原隆親 四條隆親
1207 春日社にて、名所十首歌人人に詠ませ侍けるに、懷舊
石上 見し世を甚く 偲ぶ間に 我身も今は 布瑠中道
權僧正圓經
1208 世を背侍ける時、鏡裏に書付侍ける
思出む 形見にも見よ 真澄鏡 變らぬ影は 留まらずとも
惟明親王
1209 兵部卿元良親王落餝して後、伊勢より申遣しける 【○齋宮女御集0076。】
刈からでも 雲居程を 歎きしに 見えぬ山路を 思遣る哉
女御徽子女王
1210 少將高光落餝しに比叡山に登る由申して出でけるを、何時もの習に思ひて、我厭ふ故にやと恨みて詠侍ける
哀れとも 思はぬ山に 君し入らば 麓草の 露解けぬべし
大納言藤原師氏女
1211 題知らず
消易き 命は草の 露ながら 置方無きは 浮身成りけり
前權僧正隆覺
1212 思立つ事侍ける頃
何方か 憂身を背く 道為らむ 我が心こそ 導為るらめ
堀河院中宮上總
1213 出家せむとて出立ちける曉、詠侍ける
迷來し 心闇も 晴れぬべし 浮世離るる 橫雲空
信生法師
1214 出家後詠める
背きぬと 言ふ許にや 同世の 今日は心に 遠離るらむ
蓮阿法師
1215 題知らず
聞く度に 哀れと許 言捨て 幾夜之人の 夢を見つらむ
順德院御製
1216 【○承前。無題。】
寢ても夢 寢ぬにも夢の 心地して 現なる世を 見ぬぞ悲しき
雅成親王
1217 往事似夢と云ふ事を
見る儘に 現夢と 成行くは 定無き世の 昔也けり
藤原光成朝臣
1218 夢を
儚くも 猶長世と 賴む哉 驚く程の 夢は見れども
平政村朝臣
1219 【○承前。詠夢。】
儚さは 同夢なる 世中に 寢ぬを現と 何思ふらむ
祝部忠成
1220 前參議公時、母身罷りける秋、月明く侍ける夜、權大納言實國許に遣はしける
微睡まで 徹夜月を 眺むとも 心夢は 覺めずや有るらむ
大納言 藤原實家
1221 返し
儚さを 思ひも堪へぬ 夢中は 歎きのみこそ 現成りけれ
權大納言 藤原實國
1222 題知らず
見し人も 無きか數添ふ 露世に 有らましかばの 秋夕暮
皇太后宮大夫 藤原俊成女
1223 【○承前。無題。】
儚しと 云ふにも足らぬ 身果ては 只浮雲の 夕暮空
八條院高倉
1224 【○承前。無題。】
皆人の 終には避らぬ 別路を 定無き世と 誰か言ひけむ
權大僧都實伊
1225 西行法師進侍ける百首歌に
白浪の 寄する汀に 立つ千鳥 跡定無き 此世也けり
寂蓮法師
1226 題知らず
浪搏つ 三島浦の 空貝 虛しき骸に 我や成りなむ
曾禰好忠
1227 【○承前。無題。】
白浪の 寄すれば靡く 蘆根の 憂世中を 見るが悲しさ
佚名 讀人知らず
1228 【○承前。無題。】
儚くて 雲と成りぬる 物為らば 翳まむ方を 哀とも見よ
小野小町
1229 煩事侍ける頃、諸共に月見ける人許より、月故思出る由訪ひて侍ければ
世中に 亡からむ後に 思出でば 有明月を 形見とは見よ
藤原顯綱朝臣
1230 世儚さを思ひて詠侍ける
定無き 世を聞く時の 淚こそ 袖上なる 淵瀨也けれ
伊勢
1231 【○承前。案世儚渺而侍詠。】
緒を弱み 絕えて亂るる 玉よりも 貫止難し 人命は
和泉式部
1232 【○承前。案世儚渺而侍詠。】
行方無く 空に飄ふ 浮雲に 煙を沿へむ 程ぞ悲しき
赤染衛門
1233 【○承前。案世儚渺而侍詠。】
亡き數に 今迄漏るる 老身の 復加はらむ 程悲しさ
藤原信實朝臣
1234 無常歌とて
徒に 蓬が露と 身を為して 消えなば後の 名こそ惜しけれ
前大僧正慈鎮
1235 【○承前。詠無常歌。】
浮名だに 猶身に添はぬ 苔下を 終栖と 聞くぞ悲しき
入道親王道覺
1236 年年春草生と云へる心を
埋れぬ 名をだに聞かぬ 苔下に 幾度草の 生變るらむ
前大僧正慈鎮
1237 題知らず
春花 秋紅葉の 情だに 憂世に留る 色ぞ稀なる
土御門院御製
1238 【○承前。無題。】
高瀨指す 淀汀の 薄冰り 下にぞ歎く 常為らぬ世を
曾禰好忠
1239 贈僧正公終身罷りて後、二會講師故無く漏れて、萬非ぬ樣に覺侍ければ詠侍ける
我が戀ふる 淚許ぞ 亡き人の 思ひし跡に 變らざりける
定修法師
1240 人亡後に、月明き夜申遣はしける
在し世に 變らぬ宿の 月を見て 如何に昔を 思出づらむ
法橋顯昭
1241 題知らず
思ひきや 世は儚しと 云ひながら 君か形見に 花を見むとは
道命法師
1242 豬隈入道關白身罷りて後の春、彼跡に花散りけるを見て詠める
櫻花 散りぬる跡の 故鄉は 偲ぶ昔の 形見だに無し
惟宗行經
1243 世中儚く覺えければ
世中は 微睡迄見る 夢為れや 如何に覺めてか 現成るべき
行圓法師
1244 【○承前。覺世間儚渺。】
現とも 夢とも言はじ 目前に 見るとは無くて 有らぬ浮世を
中原行範
1245 相空法師身罷りにけるを、西行法師弔侍らざりければ
問へかしな 別庭に 露深き 蓬許の 心細さを
寂然法師
1246 返し
餘所に思ふ 別れならねば 誰をかは 身より外には 問ふべかりける
西行法師 佐藤義清
1247 兵部卿敦固親王身罷りにける秋、九月晦、果てに當りけるに、彼跡に申送りける
大方の 秋果だに 悲しきに 今日は如何でか 君暮すらむ
俊子
1248 清慎公母身罷りにける果ての業營侍ける頃、月を見て
隱れにし 月は巡りて 出でくれど 影にも人は 見えずぞ有ける
貞信公 藤原忠平
1249 女御藤原述子隱侍りにける頃、初雪を御覽して
降る程も 無くて消えぬる 白雪は 人に比へて 悲しかりけり
天曆御製 村上帝
1250 後三條院御忌に籠りて、中納言資綱許に遣はしける
墨染に 衣は成りぬ 慰むる 方無き物は 淚也けり
權僧正靜圓
1251 父の思ひに侍ける頃、先立ちて同樣なる人に遣はしける
藤衣 餘所袂と 見し物を 己淚を 流しつる哉
中納言 藤原兼輔
1252 素性法師身罷りて後に詠める
主無くて 布瑠山邊の 春霞 徒にこそ 立渡りけれ
凡河内躬恒
1253 左大將濟時、伴へりける女身罷りにけるを、父大臣、兔角くも無さで歎由聞きて、申遣はしける
煙とも 雲とも見えぬ 程許 有と思はむ 人ぞ悲しき
按察使 藤原朝光
1254 延長八年諒闇頃、母服に成りて、貫之許に遣はしける
一重だに 著るは悲しき 藤衣 襲ぬる秋を 思遣らなむ
中納言 藤原兼輔
1255 母の思ひに侍ける頃、後鳥羽院の素服給はりて
憂きに復 重ねて著つる 藤衣 濡添ふ袖は 干す方も無し
前參議 藤原信成 水無瀨信成
1256 藻璧門院御果之日、誰とも無くて民部卿典侍局に差置かせける
此秋も 變らぬ野邊の 露色に 苔袂を 思ひこそ遣れ
正三位 藤原家衡
1257 返し
今日とだに 色も判れず 巡逢ふ 我身を託つ 袖淚は
後堀河院民部卿典侍
1258 同頃詠侍ける
如何樣に 偲ぶる袖を 萎れとて 秋を形見に 露消えけむ
後堀河院民部卿典侍
1259 入道太政大臣身罷りにける秋末、西園寺に籠りて詠侍ける
亡き人の 形見も悲し 植置きて 果ては散りぬる 庭紅葉
前太政大臣 西園寺實氏
1260 朱雀院隱れさせ給ける時、彼御送りに參りて詠侍ける
留りぬる 人だに迷ふ 道為れば 行詫びぬとて 君歸らなむ
壬生忠見
1261 女御高子隱侍りて安祥寺にて後業し侍けるに、人人捧物奉れるを見て詠侍ける
山皆 今日りて今日に 逢事は 春別を 問ふと成るべし
在原業平朝臣
1262 夢の樣に逢見ける女の、「人に知らす莫。」と契りて、程無く身罷りにければ
思出て 悲しき物は 人知れぬ 心中の 別也けり
源重之
1263 藻璧門院、御事後落餝し侍けるを、人の訪ひて侍ける返事に
悲しきは 憂世咎と 背けども 唯戀しさの 慰めぞ無き
後堀河院民部卿典侍
1264 後堀河院御出日、詠める
見し夢の 別に當る 月日こそ 憂しとても猶 形見也けれ
平繁茂
1265 後高倉院隱れさせ給ひて後、北白河に參りて思出る事多くて詠侍ける
今日日の 入りにし山と 思ふにぞ 忘れぬ影も 更に戀しき
右兵衛督 藤原基氏 園基氏
1266 道助法親王、春隱侍りにける年秋、道深法親王又同じ樣に成侍けるを歎きて詠侍ける
御室山 花も紅葉も 且散りて 賴む影無き 谷下草
法眼覺宗
1267 後白河院隱れさせ給ひて後の秋、長講堂に參りて薄を見て
吹風に 誰をか招く 花薄 君無き宿の 秋夕暮
入道親王承仁
1268 父墓所に罷りて
朽ちぬ名を 尋ねても猶 悲しきは 苔古りにける 跡松風
兵部卿 源有教
1269 母墓所を改めて、高野山に送るとて詠める
今日每に 訪ふは習と 思ふにも 儚き跡ぞ 甚悲しき
法眼俊快
1270 父成仲身罷りて後、後德大寺左大臣訪ひて侍けるに
九十 餘悲しき 別哉 長齡と 何賴みけむ
祝部允仲
1271 題知らず
鳥部山 徒に思ひし 雲ぞ猶 月日隔つる 形見なりける
藤原基綱
1272 父秀能身罷りて次年、除服すとて詠める
藤衣 馴形見を 脫捨て 非ぬ袂も 淚也けり
藤原秀茂
1273 人無き跡に、古文を見出して詠める
有らざらむ 後偲べとも 言はざりし 言葉のみぞ 形見也ける
藤原基政
1274 前中納言定家、母の思ひに侍ける、訪侍りとて
常為らぬ 世は憂物と 云云て 實に悲しきを 今や知るらむ
殷富門院大輔