續後撰和歌集 卷十七 雜歌中
1105 題知らず
山端に 猶豫月を 出でむかと 待ちつつ居るに 夜ぞ更にける
佚名 讀人知らず
1106 【○承前。無題。】
在りし世を 昔語に 為果てて 傾く月を 友と見る哉
源俊賴朝臣
1107 月明かりける夜、法輪寺に罷りて人人歌詠みけるに
眺むれば 更行く空の 月よりも 我が齡こそ 傾きにけれ
祝部成仲
1108 月歌中に
老いにける 身にこそ託て 秋夜の 月見る度に 曇る淚を
荒木田延成
1109 【○承前。月歌之中。】
何ぞも如是 千千に愁への 餘る迄 月を哀れと 思初めけむ
寂蓮法師
1110 【○承前。月歌之中。】
月は夜も 住みも侘びじを 世中に 憂身友と 如何賴まむ
藤原信實朝臣
1111 【○承前。月歌之中。】
何時迄と 傾く月を 慕ふらむ 遙かに更くる 身をば思はで
藤原季宗朝臣
1112 【○承前。月歌之中。】
儚くも 身慰めの 有世とて 月を哀れと 見てや止みなむ
藻璧門院少將
1113 寶治元年、二度攝政詔蒙りて、月隈無き夜、直廬に候ひて詠侍ける
思ひきや 露命の 消えぬ間に 復も雲居の 月を見むとは
攝政前太政大臣 藤原兼經 近衛兼經
1114 題知らず
世中に 猶有明の 憂身をや 由緣無き物と 月は見るらむ
藤原隆祐朝臣
1115 建保三年內裏歌合に、野曉月
里遠き 野中庵の 月影に 鳴きて夜深き 鳥聲哉
藤原康光
1116 題知らず
見し人は 影も留めぬ 故鄉に 未有明の 月は澄みけり
賀茂重保
1117 【○承前。無題。】
有明の 月は空にて 山端に 深くも人の 入りにける哉
藤原義孝
1118 古寺月と云へる心を
昔思ふ 高野山の 深夜に 曉遠く 澄める月影
正三位 藤原知家
1119 高野山に籠りて詠侍ける
今こそは 高野峰の 月を見て 深御法の 程も知らるれ
源具親朝臣
1120 後德大寺左大臣、西行法師等伴ひて大原に罷れりけるに、來迎院にて、寄老人述懷と云ふ事を詠侍ける
山端に 影傾きて 悲しきは 虛しく過ぎし 月日成りけり
緣忍上人
1121 題知らず
山寺の 曉方の 鐘音に 長眠りを 覺ましてし哉
後京極攝政前太政大臣 藤原良經 九條良經
1122 家五十首歌詠侍けるに、曉述懷
契有れば 曉深く 聞く鐘に 行末掛けて 夢や覺めなむ
入道二品親王道助
1123 苔を
昔誰か 住みけむ跡の 捨て衣 巖中に 苔ぞ殘れる
土御門院御製
1124 廬山雨夜草庵中と云ふ事を、年來如何なりけむと思ひけるに、世を遁れて後に詠侍ける
明暮は 心に掛けし 草庵の 雨打ちをぞ 思知りぬる
貞慶上人
1125 楚屈原を
結手に 濁る雫も 有物を 獨住みける 山井水
源光行
1126 山里に住みて詠侍ける
並べて世を 假宿と 思はずは 住憂かるべき 草庵哉
八條院高倉
1127 故鄉之心を
何處にて 我が斧柄の 朽ちにけむ 見し人も無く 變る故鄉
法印實瑜
1128 百首歌奉し時、山家水
影映す 朝な朝なの 谷水に 憂世離れて 住む甲斐も無し
入道二品親王道助
1129 世を遁れて後、山里に罷りて詠侍ける
峰雲 谷嵐も 未知らじ 山より深き 心有りとは
按察使 藤原隆衡 四條隆衡
1130 【○承前。遁世之後,罷歸山里而侍詠。】
山颪に 柴圍は 荒れにけり 棚引隱せ 峰白雲
藤原光俊朝臣
1131 【○承前。遁世之後,罷歸山里而侍詠。】
住馴れし 都を何と 別れけむ 憂きは何處も 我身成りけり
素暹法師
1132 前大僧正慈鎮、無動寺に住侍ける頃、申遣はしける
甚如何に 山を出でじと 思ふらむ 心月を 獨澄まして
西行法師 佐藤義清
1133 返し
憂身こそ 猶山蔭に 鎮めども 心に浮かぶ 月を見せばや
前大僧正慈鎮
1134 年頃西山に住侍けるが、都に出でて後歎事侍りて、蓮生法師許に申遣はしける
山川に 濯ぎし儘の 袖為らば 斯かる憂世に 名をば穢さじ
入道親王道覺
1135 返し
法水に 澄ます心の 清ければ 穢るる袖と 誰か見るべき
蓮生法師
1136 家に侍ける桂木を、亭子院に掘りて奉るとて詠める
言葉を 月桂の 枝無くは 何に付けてか 空に傳まし
凡河内躬恒
1137 素性法師を召して御屏風歌書かせられけるに、罷出でける時御前に召して、大御酒給ひける序に御盃給はすとて
開かず見て 別るる時は 石上 布瑠山邊を 戀や渡らむ
延喜御製 醍醐帝
1138 長治二年三月、中殿にて竹不改色と云ふ題を講せられ侍けるに、御製を承りを呼びて奏し侍ける
河竹の 流れて來る 言葉は 世に類無き 節とこそ聞け
京極前關白家肥後
1139 御返し
神代より 流絕えせぬ 河竹に 色增す言の 葉をぞ添へける
堀河院御製
1140 人の草子を書かせ侍ける奧に書付けける
我よりは 久しかるべき 跡為れど 偲ばぬ人は 哀とも見じ
中務
1141 世を遁れて後、公請の為に書置きたる文を見て
茲をこそ 真道と 思ひしに 猶世を渡る 橋にぞ有ける
貞慶上人
1142 題知らず
筆跡に 過ぎにし事を 留めずは 知らぬ昔に 如何で逢はまし
式子內親王
1143 【○承前。無題。】
書留むる 昔人の 言葉に 老淚を 染めて見る哉
前大僧正慈鎮
1144 老後、人に勸められて、詠みて遣はしける歌中に
亡き數に 身も背く世の 言葉に 殘る浮名の 復や止まらむ
皇太后宮大夫 藤原俊成女
1145 承元頃、內より古今集を給はりて書きて參らせける奧に
例無き 世世埋木 朽果てて 復憂跡の 猶や殘らむ
前中納言 藤原定家
1146 題知らず
和歌浦の 四方藻屑を 搔置きて 海人仕業の 程や知られむ
正三位 藤原知家
1147 前中納言定家、新敕撰集撰侍し時、詠置きたる歌尋ねて侍ける、遣はすとて書添へて侍ける
石上 古流の 末絕えて 水屑に止る 泡沫も無し
淨意法師
1148 歌を送りて侍し奧に書付侍し
和歌浦 隔てし跡の 藻鹽草 搔數為らで 復や朽ちなむ
藤原為綱朝臣
1149 為家參議之時、「八代集作者四位以下傳誌して。」と申侍しを、送遣はすとて書添へて侍し
藻鹽草 搔集めても 甲斐ぞ無き 行方も知らぬ 和歌浦風
中原師季
1150 蓮生法師許より、詠置きたる歌尋ぬる事侍ける時、遣はすとて
書置きし 和歌浦道の 藻鹽草 如何なる方に 浪の寄すらむ
平泰時朝臣
1151 圓盛法師手習して侍ける障子を、或所より尋ねられけるに遣はすとて
形見とも 何思ひけむ 中中に 袖のみ濡るる 水莖跡
圓嘉法師
1152 本草を啟見て詠める
教置く 其言葉を 導にて 四方草木の 心をぞ分く
丹波經長
1153 帝王系圖をかき侍とて
神代より 今我が君に 傳はれる 天日嗣の 程ぞ久しき
中原師光
1154 檢非違使に侍ける時、過狀の政に參りて囚を問ひて心中に思續けける
夜る夜るは 如何なる方に 通ふぞと 問へば應ふる 瀛白浪
中原友景
1155 道助法親王家五十首歌に、閑中灯
憂きに添ふ 影より他の 友も無し 暫莫消えそ 窗灯火
法印覺寬
1156 曉心を
烏玉の 曉闇の 暗夜に 何を明けぬと 鳥鳴くらむ
前攝政太政大臣 藤原實經 一條實經
1157 【○承前。詠曉之趣。】
曉の 鴫羽搔き 搔きも堪へじ 我が思事の 數を知らせば
土御門院御製
1158 述懷心を
世憂きを 今は歎かじと 思ふこそ 身を知果つる 限也けれ
前大納言 藤原忠良
1159 【○承前。述懷之趣。】
一筋に 思定むる 心だに 有らば浮世を 歎かざらまし
正三位 藤原成實
1160 【○承前。述懷之趣。】
蘆根這ふ 憂きを度ると 為し程に 軈て深くも 沈みぬる哉
藤原基俊
1161 【○承前。述懷之趣。】
庵崎の 不來見濱の 空貝 藻に埋もれて 幾世經ぬらむ
源俊賴朝臣
1162 題知らず
白浪の 立歸來る 事よりも 我身を歎く 數は增されり
山部赤人
1163 司召之頃、思事多くて、同心に歎きける人許に遣はしける
松山の 此方彼方に 浪越えて 絞る許も 濡るる袖哉
按察使 藤原朝光【于時左大將。】
1164 返し
思はじと 思ふ物から 松山の 末越す浪に 袖は濡れつつ
左近大將 藤原濟時【于時右大將。】
1165 除目之朝、訪ひて侍ける人の返事に
辛しとも 憂しとも更に 歎かれず 今は我身の 在りて無ければ
藤原光俊朝臣
1166 述懷歌中に
伊勢島や 潮干も知らず 袖濡れて 生ける甲斐無き 世にも經る哉
後京極攝政前太政大臣 藤原良經 九條良經
1167 權僧正圓經進め侍ける春日社名所十首歌に、述懷
浮ぶべき 寄邊無くてや 朽果てむ 憂き三輪川の 底水屑は
法印覺寬
1168 【○承前。權僧正圓經進侍春日社名所十首歌,述懷。】
年經れど 變りも遣らぬ 名取川 憂身ぞ今は 瀨瀨埋木
從三位 藤原顯氏
1169 寄河述懷
憂身世に 沉果てたる 名取川 復埋木の 數やそ添らむ
藤原伊長朝臣
1170 述懷歌中に
世中は 淵瀨も有りを 吉野川 我のみ深き 水屑成りけり
雅成親王
1171 【○承前。述懷歌中。】
定無く 變る習の 世中に 猶憂きながら 積年哉
侍從 源具定 堀川具定
1172 園城寺に住浮かれける頃、詠侍ける
山川の 同流に 住みながら 我身一つそ 沉果てぬる
前大僧正隆明
1173 身を憂て詠侍ける
年を經て 歎げく投木の 茂合ひて 我身老曾の 杜と成りぬる
藤原基俊
1174 【○承前。憂身侍詠。】
如何為りし 美濃御山の 岩根松 獨由緣無き 年を經ぬらむ
正三位 藤原知家
1175 【○承前。憂身侍詠。】
世中に 遂に葉紅ぬ 松よりも 由緣無き物は 我身成りけり
藤原光俊朝臣
1176 遠所より訪れたる人に
今も世に 流石命の 永らへて 生ける甲斐無き 身を恨みつつ
前參議 藤原信成 水無瀨信成
1177 返し
恨む莫よ 有るを憂世の 命だに 永らへてやは 復も逢見む
佚名 讀人不知
1178 熊野に詣でける道に書付侍ける歌中に
扨も猶 賤小山田 打返し 思定めぬ 身行方哉
源有長朝臣
1179 題知らず
兔に角に 身憂き事の 繁ければ 一方にやは 袖も濡れける
八條院高倉
1180 【○承前。無題。】
受難き 身報いさへ 忘られて 猶前世ぞ 悲しかりける
雅成親王
1181 述懷之心を
移行く 月日許は 變れども 我身を避らぬ 浮世也けり
前內大臣 衣笠家良
1182 【○承前。詠述懷之趣。】
何と無く 明けぬ暮れぬと 流離らへて 然も徒に 行く月日哉
右近中將 藤原經家
1183 【○承前。詠述懷之趣。】
數為らで 思ふ心は 道も無し 誰が情けにか 身を憂まし
藤原信實朝臣
1184 【○承前。詠述懷之趣。】
背かぬを 背く世とてぞ 慰むる 有るにも非で 年經ぬる身は
法印長惠
1185 【○承前。詠述懷之趣。】
世中の 憂きに堪へたる 身程を 思知るにも 音は泣かれけり中原師季
中原師季
1186 【○承前。詠述懷之趣。】
世中を 厭ふ心や 誘ふらむ 憂きに止らむ 我が淚哉
法印尊海
1187 【○承前。詠述懷之趣。】
身を避らぬ 同憂世と 思はずは 巖中も 尋ねみてまし
式乾門院御匣
1188 【○承前。詠述懷之趣。】
憂身をば 我心さへ 振捨てて 山彼方に 宿求む也
皇太后宮大夫 藤原俊成
1189 【○承前。詠述懷之趣。】
今も猶 心闇は 晴れぬ哉 思捨てし 此世為れども
皇太后宮大夫 藤原俊成
1190 【○承前。詠述懷之趣。】
何事を 待つとは無しに 永らへて 惜しからぬ身の 年を經る哉
仁和寺二品親王守覺
1191 【○承前。詠述懷之趣。】
遂に復 如何に浮名の 留らむ 心一つの 世をば恥れど
前中納言 藤原定家
1192 前參議にて年久しく鎮みて詠侍ける
死ぬ許 歎く歎きを 身に添へて 命は然もぞ 限有ける
前中納言 藤原定家
1193 憂ふる事侍ける時、詠侍ける
永らへて 今日に逢はばと 思越し 身為憂きは 命也けり
前太政大臣 西園寺實氏
1194 述懷歌中に
有るを厭ひ 無きを偲ぶは 習也 扨戀られば 身こそ辛けれ
前大僧正慈鎮
1195 【○承前。述懷歌中。】
飛鳥河 淵瀨も判ず 底清き 水心を 知人欲得
西園寺入道前太政大臣 西園寺公經
1196 【○承前。述懷歌中。】
並べて世を 歎きやはする 年經れど 心見えぬ 身を恨みつつ
前關白左大臣 二條良實
1197 建保二年內裏秋十五首歌合に
今ぞ知る 步む草葉に 捨置きし 露命は 君が為とも
僧正行意
1198 建保四年百首歌奉ける時
世常の 人より君を 憑めとや 契悲しき 身と生まれけむ
入道前攝政左大臣 九條道家
1199 思事侍ける頃
我が為と 思ひて辛き 世也せば 虛しき空を 何か恨みむ
前大僧正慈鎮
1200 前大僧正慈鎮、遁世の暇申けるに、仰遣はしける
君如是て 山端深く 住居せば 獨憂世に 物や思はむ
後鳥羽院御製
1201 門跡之事を思ひて詠侍ける
賴むぞよ 跡經む竹の 園內に 我が後世を 思置く哉
前大僧正慈鎮
1202 題知らず
人も惜し 人も怨めし 味氣無く 世を思ふ故に 物思ふ身は
後鳥羽院御製