新敕撰和歌集 卷二十 雜歌五
【長歌】 【旋頭】
1340 源政長朝臣家にて人人長歌詠侍けるに、初冬述懷と云へる心を詠める
山里は 冬こそ殊に 悲しけれ 峯吹迷ふ 木枯の 戶臍を叩く 聲聞けば 安き夢だに 結ばれず 時雨と共に 片岡の 柾葛 散りにけり 今は我身の 嘆きをば 何に付けてか 慰さめむ 雪だに降りて 霜枯の 草葉上に 積らなむ 其に付けてや 朝夕に 我が待つ人の 我を待つらむ
源俊賴朝臣
1341 反歌
幾返り 起臥ししてか 冬夜の 鳥初音を 聞始めつらむ
源俊賴朝臣
1342 久安百首歌奉ける長歌
磯城島や 大和島根の 風として 吹傳へたる 言葉は 神御代より 河竹の 世世に流れて 絕えせねば 今も藐姑射の 山風の 枝もならさず 靜けさに 昔跡を 尋ぬれば 峰梢も 影繁く 四海にも 浪立たず 和歌浦人 數添ひて 藻鹽煙 立增さり 行末迄の 例をぞ 島外にも 聞ゆなる 茲を思へば 君が代に 阿武隈川は 嬉しきを 水曲に懸る 埋木の 沉める事は 唐人の 御代迄逢はぬ 嘆きにも 限らざりける 身程を 思へば悲し 春日山 峯續の 松枝の 如何に指ける 末為れや 北藤浪 懸けてだに 云ふにも足らぬ 下枝にて 下逝水の 越されつつ 五品に 年深く 十とて三つに 經にしより 蓬門に 鎖籠り 道芝草 生果てて 春光は 殊遠く 秋は我身の 上とのみ 露けき袖を 如何とも 訪人も無き 槙戶に 猶有明の 月影を 待つこと顏に 眺めても 思心は 大空の 虛しき名をば 自づから 殘さむ事も 文無さに 何はの事も 津國の 葦萎の 苅棄てて 遊にのみぞ 成りにしを 岸打つ浪の 立歸り 斯かる御事も 賢さに 入江藻屑 搔積めて 留まらむ跡は 陸奧の 忍捩摺 亂れつつ 忍ぶ許の 臥しや無からむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1343 反歌
山川の 瀨瀨泡沫 消えざらば 知られむ末の 名こそ惜しけれ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1344 【○承前。奉久安百首歌長歌。】
葦根延ふ 憂身程や 由緣も無く 思ひも知らず 過ぐしつつ 在經けるこそ 嬉しけれ 世にも嵐の 山蔭に 伉ふ木葉の 行方無く 成りなましかば 松枝に 千世に一度 咲く花の 稀なる事に 如何でかは 今日は近江に 在りと云ふ 朽木杣に 朽居たる 谷埋木 何事を 思出でにて 吳竹の 末世迄も 知られまし 怨みを殘す 事は唯 門渡る船の 取舵の 取りも敢へねば 置く網の 沉思へる 事も無く 木下隱れ 逝水の 淺心に 任せつつ 搔集めたる 朽木には 由も有らぬに 伊勢海の 海人栲繩 長世に 留めむ事ぞ 優しかるべき
藤原清輔朝臣
1345 【○承前。反歌。】
春は花 秋は紅葉の 色色に 心に染めて 過ぐせども 風に留らぬ 儚さを 思寄そへて 何事を 虛しき空に 澄む月の 浮世に巡る 友として 哀憐と 見る程に 積れば老と 成果てて 多くの年は 寄浪の 歸る水屑の 甲斐無きは 儚く結ぶ 水面の 泡沫さへも 數為らぬ哉
上西門院兵衞 源顯仲女
1346 權中納言通俊桂家にて、旋頭歌詠侍けるに、戀心を詠める
由緣無きを 思ひ明石の 怨みつつ 海人漁に 焚藻煙 面影に立つ
源俊賴朝臣
1347 家に人人詣來て、旋頭歌詠侍けるに、旅心を詠める
草枕 夕露拂ふ 旅衣 袖もしををに 起明す夜の 數ぞ重なる
藤原顯綱朝臣
1348 百首歌奉ける、旅歌
松根の 霜打拂ひ 目も逢はで 思遣る 心や妹が 夢に見ゆらむ
藤原清輔朝臣
物名
1349 龍膽を詠侍ける
風寒み 鳴く雁音の 聲により 搗たむ衣を 先づやか貸まし
伊勢
1350 紫苑
受止めむ 袖をし緒にて 貫ぬかば 淚玉の 數は見てまし
伊勢
1351 七夕
年に逢ひ 稀に來坐せる 君を措きて 復名は立てじ 戀は死ぬとも
凡河內躬恒
1352 一本菊
徒也と 人もと聞くか 物からに 花方は 過難てにする
凡河內躬恒
1353 轡蟲
數為らぬ 斯かる水屑は 席田の 鶴齡も 何か祈らむ
二條太皇太后大貳
1354 簾懸
風に行く 雲を徒にも 我は見ず 誰か煙を 遁果つべき
二條太皇太后大貳
1355 稚栗
立變り 誰為らすらむ 年を經て 我が繰返し 行歸る道
權中納言 藤原定賴
1356 萩花
常磐木の 離れて獨り 見えつるは 類無しとや 身をば知るらむ
源俊賴朝臣
1357 木島御社
西北風には 此島のみや 白妙の 雪に紛へる 浪は立つらむ
源俊賴朝臣
1358 久安百首歌に、燻物
大井川 下す筏の 隙ぞ無き 落來る瀧も 長閑からねば
大炊御門右大臣 德大寺公能
1359 時簡
辛けれど 昨日賴めし 言葉に 今日迄行ける 身とは知らずや
左京大夫 藤原顯輔
1360 唐錦
睦言も 盡きて明けぬと 聞くからに 鴫羽根搔き 恨めしき哉
藤原清輔朝臣
1361 搔上笥
霜降れば 並べて枯れぬる 冬草も 巖陰の 葉こそ萎れね
花薗左大臣家小大進
1362 唐錦を詠侍ける
烏玉の 夜は徹に 頻忍ぶ 淚程を 知る人も無し
從三位 源賴政
1363 御綱葉を詠める
散る紅葉 猶柵に 掛止めよ 谷下水 流し果てじと
藤原基俊
1364 物名歌詠侍けるに、倭琴、神樂
湊山 常に吹く 汐風に 繪島松は 浪や搔くらむ
後德大寺左大臣 藤原實定
1365 琴箏
狩衣 飾磨褐に 染めて著む 野每露に 歸らまく惜し
殷富門院大輔
1366 錦衾を詠める
昔見し 外山里は 荒れにけり 淺茅が庭に 鴫臥す迄
源有仲
1367 仕切羽矢と云ふ事を、人の詠ませ侍けるに
隔來し 霧は野山に 霽ねども 行方著く 雄鹿鳴く也
鴨光兼
1368 春徒然に侍りければ、權大納言公實許に遣しける
儚しな 小野小山田 作兼ね 手をだにも君 果てを振れずや
返しはせで、頓て詣來て、「去來多花尋ねむ。」等誘侍ける。
源俊賴朝臣
1369 堀河院御時、藏人頭にて殿上に侍ける朝、出でさせ給ひて、「小板敷、時簡を、沓冠に詠め。」と仰言侍りければ、仕奉ける
越し袂 甚らひ難き 旅夜の 白露拂ふ 木木の木下
權中納言 藤原俊忠
1370 【○承前。堀河院御時於藏人頭侍殿上之朝,仰言:「詠小板敷、時簡以沓冠。」仕奉。】
此里は 言はねど著き 谷水の 雫も匂ふ 菊の下枝
橘廣房
1371 清見潟、富士山を詠侍ける
君偲ぶ 夜な夜な分けし 道芝の 變らぬ露や 絕えぬ白玉
藤原行能朝臣
1372 庚申夜、菖蒲草を折句に詠侍ける
甚切戀し 八重雲路に 目も合はず 暮るる夜な夜な 騷ぐ心か
二條太皇太后大貳
1373 同文字無き歌とて詠侍ける
逢事よ 今は限の 旅為れや 行末知らで 胸ぞ燃えける
二條太皇太后大貳
1374 春始に、定家に逢ひて侍ける次に、僧正聖寶、はを初め、るを果てに、眺めを掛けて、春歌詠みて侍る由を語侍りければ、其心詠まむと申して詠侍ける
初子日 摘める若菜か 珍らしと 野邊小松に 傚へとぞ見る
大僧正親嚴
新敕撰和歌集終