新敕撰和歌集 卷十八 雜歌三
1205 世を遁れて後、四月一日、法眼袈裟を見侍りて
今朝替ふる 夏衣は 年を經て 立ちし位の 色ぞ事なる
法性寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1206 返し
未知らぬ 衣色は 截變へて 君が為にと 見るぞ悲しき
從一位 源倫子
1207 少將高光、橫河に溯りて出家し侍ける時、衾調じて給はせける御歌
露霜の 宵曉に 置くなれば 床にや君が 衾為るらむ
天曆中宮 藤原安子
1208 高光、橫河に侍けるに、訪罷りて詠侍ける
君が住む 橫河水や 增さるらむ 淚雨の 止む夜無ければ
東三條入道攝政太政大臣 藤原兼家
1209 同時、恒德公兵衛佐に侍ける、代りの少將に成侍りて、喜びに大納言許に詣來て侍けるを見て詠侍ける
其と見る 同じ三笠の 山井の 影にも袖の 濡增さる哉
大納言 藤原師氏女高光妻
1210 右近中將成信、三井寺に罷りて出家し侍けるに、裝束遣はすとて、袈裟に結付侍ける
今朝間も 見ねば淚も 止まらず 君が山路に 誘ふなるべし
一條左大臣源雅信室
1211 母病重く成侍りて、持戒受侍けるに、著せて侍ける袈裟を、身罷りて後見つけて詠侍ける
蓮葉の 玉と成るらむと 思ふにも 袖濡增さる 今朝露哉
右近大將 藤原道綱母
1212 伊勢集を書きて、人許に遣はすとて詠める
亡き人の 言葉寫す 水莖の 搔きも遣られず 袖ぞ濡れける
中務
1213 俊子と物語して、世の儚き事等申して詠侍ける
言ひつつも 世は儚きを 形見には 哀と云はで 君に見えまし
大納言 源清蔭
1214 後一條院后宮隱れさせ給ひにける年暮、彼宮に參りて詠侍ける
春立つと 聞くにも物の 悲しきは 今年の去年に 成れば也けり
權大納言 藤原長家
1215 返し
新しき 年に添へても 變らねば 戀ふる心ぞ 形見也ける
出羽辨
1216 九條右大臣隱侍りにける年、新嘗會頃、內女房に遣しける
霜枯の 蓬門に 差籠り 今日日影を 見ぬが悲しさ
藤原高光
1217 後高倉院隱れさせ給うて後、參議雅清出家し侍りて、多武峯に住侍りける、顯然に京に罷り出たる由聞きて遣しける
心こそ 憂世外に 出でぬとも 都を旅と 何時ならふらむ
內大臣 西園寺實氏
1218 返し
迷來し 夢路闇を 出でぬれば 色こそ餘所の 墨染袖
左近中將 源雅清
1219 壽永頃ほひ,明暮思歎きて詠侍ける歌中に
君戀ふと 草葉霜の 夜と共に 起きても寢ても 音こそ無かるれ
權中納言 源國信
1220 【○承前。壽永頃,明暮思歎侍詠歌中。】
限りとて 薪盡きにし 野邊なれば 淺茅踏分け 訪はぬ日ぞ無き
權中納言 源國信
1221 【○承前。壽永頃,明暮思歎侍詠歌中。】
朝夕に 歎きを須磨に 燒鹽の 辛く煙に 後れにしかな
權中納言 源國信
1222 同頃、香隆寺に參りて、紅葉を見て詠侍ける
古を 戀ふる淚に 染むればや 紅葉も深き 色增さるらむ
堀河院讚岐典侍
1223 貞信公隱侍りて後、彼家に罷りて詠侍ける
行歸り 見れば昔の 跡ながら 賴みし影ぞ 止らざりける
九條右大臣 藤原師輔
1224 天曆八年、大后宮隱れさせ給うて、五七日御誦經せさせ櫛筥懸籠下に入れて侍ける
夢かとて 開けて見たれば 玉櫛笥 今は空しき 身にこそ有けれ
九條右大臣 藤原師輔
1225 式部卿敦慶親王、隱侍りにける春、詠侍ける
咲匂ひ 風待つ程の 山櫻 人世よりは 久しかりけり
中納言 藤原兼輔
1226 後冷泉院の御服に侍ける頃、花橘を女房許に遣しける
甚しく 花橘の 薰香に 染めし形見の 袖は濡れつつ
大納言 藤原忠家
1227 題知らず
昨日迄 逢見し人の 今日無きは 山雪とぞ 棚引にける
紀貫之
1228 【○承前。無題。】
御吉野の 御舟の山に 立つ雲の 常に在らむと 我思は無くに
人丸 柿本人麻呂
1229 內邊障子に、のべと云ふ童に傳へて、文等遣しけるに、のべ身罷りにける秋、詠侍ける
白露は 結びやすると 花薄 訪ふべき野邊も 見えぬ秋哉
謙德公 藤原伊尹
1230 題知らず
朝顏の 花に宿かる 露身は 長閑に物を 思ふべきかは
相模
1231 【○承前。無題。】
終思ふ すまひ悲しき 山陰に 玉響懸かる 朝顏花
後京極攝政前太政大臣 九條良經
1232 【○承前。無題。】
早瀨河 渡る舟人 影をだに 止めぬ水の 哀世中
入道前太政大臣 西園寺公經
1233 【○承前。無題。】
鳥部山 夜半煙の 立つ度に 人思や 甚添ふらむ
前大僧正慈圓
1234 【○承前。無題。】
鳥部山 今宵も煙 立つめりと 言ひて眺めし 人も何方は
俊惠法師
1235 【○承前。無題。】
程もなく 隙行駒を 見ても猶 哀羊の 步みをぞ思ふ
源有房朝臣
1236 【○承前。無題。】
儚くも 明日命を 賴む哉 昨日を過ぎし 心習に
正三位 藤原家隆
1237 亡き人の鏡を、佛に鑄させ侍けるに
悲しさは 見る度每に 真澄鏡 影だになどか 止らざるらむ
前大納言 藤原忠良
1238 【○承前。鑄佛亡人鏡上。】
歎く莫よ 茲は憂世の 習ぞと 慰置きし 事ぞ悲しき
前大納言 藤原忠良
1239 從三位能子隱侍りにける秋、月を見て詠侍ける
哀れなど 復とる影の 無かるらむ 雲隱れても 月は出でけり
入道前太政大臣 西園寺公經
1240 亡き人人を思出て詠侍ける
數數に 唯目前の 面影の 哀幾世に 年經ぬらむ
八條院高倉
1241 公守朝臣母身罷りにける時、左大臣許に遣しける
偖も猶 問ふにも覺めぬ 夢為れど 驚かさでは 如何止むべき
大納言 藤原實家
1242 返し
思へ唯 夢か現か 判難ねて 有るか無きかに 歎く心を
後德大寺左大臣 藤原實定
1243 參議通宗朝臣身罷りて後、常に書交はし侍ける文を、母の戀侍りければ、遣はすとて詠侍ける
身に添へて 是を形見と 忍ぶべき 跡さへ今は 止らざりけり
大納言 源通具
1244 皇嘉門院隱れさせ給ひにける後の春、高倉院御喪果て過侍りにける後、俊成卿許に遣しける
問へかしな 世墨染は 變れども 我のみ古き 色や如何にと
後法性寺入道前關白太政大臣 九條兼實
1245 母の思ひにて北山に侍ける時、詠侍ける
白玉は 唐紅に 映ひぬ 梢も知らぬ 袖時雨に
內大臣 西園寺實氏
1246 周忌果てて詠侍ける
名殘無き 今日は昨日を 偲べども 立つ面影は 晴る日も無し
內大臣 西園寺實氏
1247 病に沈侍ける頃、新少將身罷りぬと聞きて、素覺法師許に遣しける
朝顏の 露我身を 置きながら 先消えにける 人ぞ悲しき
賀茂重保
1248 後京極攝政隱侍りにける時、詠侍ける
現のみ 夢とは見えて 自づから 寢るが內には 慰めも無し
藤原親康
1249 賀茂重保身罷りて後、常に歌詠侍ける者共、跡に罷遇ひて、遇友戀友と云へる心を詠侍けるに詠める
打群れて 巡ぬる宿は 昔にて 面影のみぞ 主也ける
覺盛法師
1250 世を遁れて後、水邊述懷と云ふ心を詠侍ける
變行く 影に昔を 思出て 淚を掬ぶ 山井水
藤原親盛
1251 題知らず
行人の 掬ぶに濁る 山井の 何時迄澄まむ 此世為るらむ
前大納言 葉室光賴
1252 老後、母の身罷りにけるに詠侍ける
止りぬる 身も老らくの 後為れば 避らぬ別ぞ 最悲しき
法印覺寬
1253 後高倉院隱れさせ給うて、年年過侍りぬる事を思ひて詠侍ける
後れじと 歎きながらに 年も經ぬ 定無き世の 名のみ也けり
平信繁
1254 老後、述懷の歌詠侍けるに
後居て 死なぬ命を 恨みにて 哀悲しき 世別哉
能蓮法師
1255 入道大納言の思ひに侍ける時詠侍ける
物每に 忘れ形見を 留置きて 淚絕ゆむ 時間も無き
左近中將 近衛基良
1256 僧正範玄身罷りて、跡に侍ける者共、賴む方無き由申して、罷散侍ける時
如何に為む 賴む木蔭の 枯れしより 末葉に留る 露だにも無し
法印圓經
1257 小侍從身罷りにける時、詠侍ける
恨むべき 齡為らねど 悲しきは 別れて逢はぬ 憂世為けり
法印昭清
1258 大神基賢が身罷りにける時、誦經せさせ侍けるに詠侍ける
別れにし 日は幾日にも 成らねども 昔人と 云ふぞ悲しき
雖然相別去 日數寥寥不足幾 嗚呼也哀哉 既云其作故昔人 聞之悲自從中來
中院右大臣家夕霧
1259 八條院隱れさせ給うて、御正日八月十五夜に當りて侍けるに、雨降侍りければ詠める
闇中も 今日を限りの 空にしも 秋半ばは 搔暮しつつ
藤原信實朝臣
1260 父身罷りての後、月明く侍ける夜、蓮生法師許に遣しける
山端に 隱れし人は 見えもせで 入りにし月は 巡來にけり
平泰時
1261 返し
隱れにし 人形見は 月を見よ 心外に 澄める影かは
蓮生法師
1262 文集、「親愛自零本無落存者仍別離。」と云ふ心を詠侍ける
飛鳥川 今日淵瀨も 如何為らむ 避らぬ別は 待つ程も無し
八條院高倉
1263 題知らず
定無き 世に故鄉を 逝水の 今日淵瀨も 明日か變らむ
行念法師
1264 報恩講と云ふ事行侍けるに、亡き人の名を書列ねて詠侍ける
諸人の 埋れし名を 嬉しとや 苔下にも 今日は見るらむ
前大僧正慈圓