新敕撰和歌集 卷十六 雜歌一
1023 春始め、鶯遲鳴侍りければ
山里の 花匂の 如何為れや 香を尋來る 鶯鳴き
選子內親王
1024 題知らず
雪深き 深山里に 住人は 翳む空にや 春を知るらむ
禎子內親王家攝津
1025 【○承前。無題。】
雪消えて 衷珍しき 初草の 僅かに野邊も 春めきにけり
式子內親王
1026 若菜を詠侍ける
春日野に 未燃遣らぬ 若草の 煙短き 荻燒原
入道二品親王道助
1027 【○承前。侍詠若菜。】
武藏野の 春の景色も 知られけり 垣根に萌む 草緣に
前大僧正慈圓
1028 題知らず
命有りて 逢見む事も 定無く 思ひし春に 成りにける哉
殷富門院大輔
1029 千五百番歌合に
咲かぬ間は 花と見よとや 御吉野の 山白雪 消難にする
二條院讚岐
1030 題知らず
霞頻く 我が故鄉に 去らぬだに 昔跡は 見ゆる物かは
按察使 四條隆衡
1031 【○承前。無題。】
御吉野の 山端霞む 春每に 身は新玉の 年ぞ經行く
權大納言 衣笠家良
1032 關白左大臣家百首歌詠侍けるに、霞を詠める
寂しさの 真柴煙 其儘に 霞を賴む 春山里
中宮少將 藻璧門院少將
1033 壽永頃ほひ、梅花を詠侍ける
九重に 變らぬ梅の 花見てぞ 甚昔の 春は戀しき
土御門內大臣 源通親
1034 前關白內大臣に侍ける時、百首歌詠ませ侍けるに、庭梅を詠める
宿からぞ 梅立枝も とはれける 主人も知らず 何匂ふらむ
源信定朝臣
1035 題知らず
有明の 月は淚に 曇れども 見し夜に似たる 梅香ぞする
下野
1036 【○承前。無題。】
梅香の 誰が里判ず 匂ふ夜は 主定まらぬ 春風ぞ吹く
行念法師
1037 百首歌詠侍けるに、春歌
春月 霞める空の 梅香に 契も置かぬ 人ぞ待たるる
侍從 堀川具定
1038 土御門院歌合に、春月を詠侍ける
大方の 霞に月ぞ 曇るらむ 物思頃の 眺為らねど
承明門院小宰相
1039 東山に籠居て後、花を見て
思棄てて 我身とも無き 心にも 猶昔なる 山櫻哉
前大納言 藤原忠良
1040 西園寺にて卅首歌詠侍ける、春歌
山櫻 峯にも尾にも 植置かむ 見ぬ世春を 人や偲ぶと
入道前太政大臣 西園寺公經
1041 古鄉花と云へる心を詠侍ける
春を經て 志賀花園 匂はずば 何を都の 形見為らまし
祝部成茂
1042 題知らず
徒也と 何恨みけむ 山櫻 花ぞ見し世の 形見也ける
如願法師
1043 世を遁れて、葉室と云ふ山里に籠居て侍けるに、花見て詠侍ける
いさや猶 花にも染めじ 我心 然ても憂世に 歸りもぞする
前大納言 葉室光賴
1044 二條院御時、殿上簡覗れて侍ける頃、臨時祭舞人にて南殿花を見て、內侍丹波許に遣しける
忘る莫よ 慣れし雲居の 櫻花 憂身は春の 餘所に為るとも
藤原隆信朝臣
1045 世を遁れて後、栖霞寺に詣でて歸侍けるに、大內花梢盛りに見侍けるを、忍びて窺見侍りて、賴政卿許に遣しける
古の 雲居花に 戀兼ねて 身を忘れても 見つる春哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1046 返し
雲居為る 花も昔を 思出ば 忘るらむ身を 忘れしも為じ
從三位 源賴政
1047 淨名院と云ふ所の主、身罷りにける後、花を見て詠侍ける
植置きて 昔語りに 成りにけり 人さへ惜しき 花色哉
宋延法師
1048 花を見て詠侍ける
年每に 見つつ古木の 櫻花 我世之後は 誰か惜しまむ
平重時
1049 【○承前。翫花侍詠。】
身憂さを 花に忘るる 木本は 春より後の 慰めぞ無き
源光行
1050 題知らず
信樂の 杣山櫻 春每に 幾世宮木に 漏れて咲くらむ
藤原賴氏朝臣
1051 花歌詠侍けるに
吉野山 猶しも奧に 花咲かば 復在所離るる 身とや成りなむ
前大僧正慈圓
1052 落花を詠侍ける
花誘ふ 嵐庭の 雪為らで 降行く物は 我身也けり
入道前太政大臣 西園寺公經
1053 閑居花と云へる心を詠侍ける
甚しく 花も雪とぞ 故鄉の 庭苔路は 跡絕えにけり
按察使 中山兼宗
1054 題知らず
巡逢はむ 我が兼言の 命だに 心に叶ふ 春暮かは
侍從源具定母 藤原俊成女
1055 【○承前。無題。】
暮れて行く 空を彌生の 暫しとも 春別は 言ふ甲斐も無し
藤原信實朝臣
1056 太皇太后宮大貳、四月に咲きたる櫻を折りて遣はし侍りければ
春は如何に 契置きてか 過ぎにしと 後れて匂ふ 花に問はばや
京極前關白 九條道家家肥後
1057 四月祭日、葵に付けて女に遣しける
思ひきや 其神山の 葵草 懸けても餘所に 為らむ物とは
藤原顯綱朝臣
1058 題知らず
跡絕えて 人も分來ぬ 夏草の 茂くも物を 思頃哉
相模
1059 夕月夜をかしき程に、水鷄鳴侍りければ
天戶の 月の通路 指さねども 如何なる浦に 叩く水鷄ぞ
上東門院小少將
1060 返し
槙戶も 鏁さで休らふ 月影に 何を飽かずも 叩く水鷄ぞ
紫式部
1061 養侍ける女の、五月五日藥玉奉らせ侍けるに、代りて詠侍ける
隱沼に 生始めにける 菖蒲草 深き下根に 知る人も無し
右近大將 藤原道綱母
1062 御返し
菖蒲草 根に顯るる 今日こそは 何時かと待ちし 甲斐も有りけれ
東三條院 藤原詮子
1063 思事侍ける頃
五月雨の 軒雫に 非ねども 憂夜に降れば 袖ぞ濡れける
權中納言 藤原定賴
1064 五月雨を詠侍ける
三島江の 玉江真菰 假にだに 問はで程降る 五月雨空
藤原行能朝臣
1065 夏月を詠める
忘れては 秋かと思ふ 片岡の 楢葉分けて 出る月影
藤原親康
1066 初秋之心を詠侍ける
吹風に 荻上葉の 答へずば 秋立つ今日を 誰か知らまし
祝部成茂
1067 【○承前。侍詠初秋之趣。】
世を厭ふ 住處は人に 知られねど 荻之葉風は 尋來にけり
權少僧都良仙
1068 兵部卿成實詠ませ侍ける荻風と云ふ心を
等閑の 音だに辛き 荻葉に 夕を分きて 秋風ぞ吹く
藤原信實朝臣
1069 題知らず
雁音の 聲せぬ野邊を 見てしがな 心と萩の 花は散るやと
源季廣
1070 實方朝臣、承香殿御前の薄を結びて侍ける、誰為らむとて女の詠侍ける
秋風の 心も知らず 花薄 空に結べる 人は誰ぞも
佚名 讀人知らず
1071 殿上人返しせむ等申しける程に、參逢ひて詠侍ける
風間に 誰結びけむ 花薄 上葉露も 心置くらし
藤原實方朝臣
1072 圓融院御出家後、八月許に廣澤に渡らせ給侍ける御供に、左右大將仕奉、一つ車にて歸侍ける
秋夜を 今はと歸る 夕暮は 鳴蟲音ぞ 悲しかりける
按察使 藤原朝光【于時右大將。】
1073 返し
蟲音に 我淚さへ 落添はば 野原露や 色增さるらむ
左近大將 藤原濟時【于時左大將。】
1074 後朱雀院御時、祐子內親王藤壺に變らず住侍りけるに、月隈無き夜、女房昔思出て眺侍ける程、梅壺女御參上侍ける訪ひを餘所に聞侍りて
天戶を 雲居ながらも 餘所に見て 昔跡を 戀ふる月哉
菅原孝標女
1075 五十首歌詠侍ける時
昔思ふ 淚底に 宿してぞ 月をば袖の 物と知ぬる
仁和寺二品法親王守覺
1076 題知らず
淺茅原 主無き宿の 庭面に 哀幾夜の 月翳みけむ
鎌倉右大臣 源實朝
1077 【○承前。無題。】
思出て 昔を忍ぶ 袖上に 在しに非ぬ 月ぞ宿れる
鎌倉右大臣 源實朝
1078 月前懷舊と云へる心を詠侍ける
眺めつる 身にだに變る 世中に 如何で昔の 月は澄むらむ
入道前太政大臣 西園寺公經
1079 家に五十首歌詠侍ける秋歌
此里は 竹葉分けて 漏る月の 昔世世の 影を戀ふらし
入道二品親王道助
1080 元曆頃ほひ、賀茂重保人人の歌薦侍りて社頭歌合し侍けるに、月を詠める
偲べとや 知らぬ昔の 秋を經て 同形見に 殘る月影
權中納言 藤原定家
1081 秋、座禪の次に、徹夜月を見侍りて、里判ぬ影も我身一つの心地し侍りければ
月影は 何れの山と 判ずとも 住ます峰にや 澄增さるらむ
高辨上人
1082 後に此歌を見せ侍りければ詠める
如何許 其夜月の 晴れにけむ 君のみ山は 雲も殘らず
法印超清
1083 世を遁れて高野山に住侍ける時詠める
高野山 奧迄人の 訪來ずは 靜かに峰の 月は見てまし
參議 葉室成賴
1084 題知らず
顯さぬ 我が心をぞ 恨むべき 月やは疎き 姨捨山の
西行法師 佐藤義清
1085 【○承前。無題。】
身に積る 老とも知らで 眺來し 月さへ影の 傾きにけり
法印慶忠
1086 【○承前。無題。】
老いぬれば 今年許と 思越し 復秋夜の 月を見る哉
正三位 藤原家隆
1087 【○承前。無題。】
忘れじの 行末難き 世中に 六十為れぬる 袖月影
源家長朝臣
1088 【○承前。無題。】
幾秋を 慣れても月の 飽無くに 殘り少なき 身を恨みつつ
寂延法師
1089 【○承前。無題。】
拂難ね 曇るも悲し 空月 積れば老の 秋淚に
侍從源具定母 藤原俊成女
1090 【○承前。無題。】
今はとて 見ざらむ秋の 空迄も思へば悲し 夜半月影
殷富門院大輔
1091 樂府を題にて歌詠侍けるに、陵園妾之心を
閉果つる 深山奧の 松戶を 羨ましくも 出る月哉
源光行
1092 巫陽臺之心を詠侍ける
分きてなど 夕雨と 成りにけむ 待つだに遲き 山端月
素俊法師
1093 故鄉月と云へる心を詠める
高圓の 尾上宮の 月影 誰偲べとて 變らざるらむ
法印道清
1094 題知らず
此里は 時雨にけりな 秋色の 顯始むる 峯紅葉
如願法師
1095 【○承前。無題。】
佐保山の 柞紅葉 徒に 移ふ秋は 物ぞ悲しき
藤原基綱
1096 【○承前。無題。】
龍田山 紅葉錦 織延へて 鳴くと云ふ鳥の 霜木綿紙垂
行念法師
1097 明年叙爵すべく侍ける秋、殿上人藤壺紅葉見侍るに、罷りて詠侍ける
人は皆 後秋とも 賴むらむ 今日を別と 散る紅葉哉
藤原永光
1098 高倉院御時、藤壺紅葉行かしき由申しける人に、結びたる紅葉を遣しける
吹風も 枝に長閑き 御代為れば 散らぬ紅葉の 色をこそ見れ
建禮門院右京大夫
1099 前關白、內大臣に侍ける時、家に百首歌詠侍ける、暮秋歌
紅葉の 散交曇る 夕時雨 孰れか道と 秋行くらむ
源有長朝臣
1100 建保三年五月歌合に、曉時雨と云へる心を詠侍ける
曉と 恨みし人は 枯果て 別樣時雨るる 淺茅生宿
權大納言 坊門忠信
1101 【○承前。建保三年五月歌合,侍詠曉時雨之趣。】
叢雲は 未過果てぬ 外山より 時雨に競ふ 有明月
高階家仲
1102 題知らず
如是て世に 我身時雨は 降果てぬ 老曾杜の 色も變らで
源泰光朝臣
1103 冬歌詠侍けるに
木葉散る 嵐風の 吹く頃は 淚さへこそ 落增さりけれ
相模
1104 歎事侍ける頃、紅葉散るを見て詠侍ける
紅葉にも 雨にも添ひて 降物は 昔を戀ふる 淚也けり
前大納言 藤原公任
1105 冬頃、里に出て大納言三位に遣しける
浮寢せし 水上のみ 戀しくて 鴨上毛に さえぞ劣らぬ
紫式部
1106 返し
打拂ふ 友無き頃の 寢覺には 番ひし鴛ぞ 夜半に戀しき
從三位 源廉子
1107 題知らず
冬夜を 羽根も交さず 明すらむ 遠山鳥ぞ 餘所に悲しき
相模
1108 六條右大臣、小忌宰相にて出侍りにける朝に遣しける
小忌衣 歸らぬ物と 思はばや 日蔭葛 今日は暮るとも
康資王母
1109 返し
歸りてぞ 悔しかりける 小忌衣 其日影のみ 忘難さよ
六條右大臣 源顯房
1110 新嘗會を詠侍ける
足引の 山下日蔭 葛為る 上にや更に 梅を忍ばむ
中納言 大伴家持
1111 百首歌に
天風 冰を渡る 冬夜の 少女袖を 磨く月影
式子內親王
1112 五節頃、權中納言定賴內に侍けるに遣しける
日影射す 雲上には 掛けてだに 思ひも出でじ 故鄉月
佚名 讀人知らず
1113 歎く事侍りて、籠居て侍ける雪の朝皇太后宮大夫 藤原俊成のもとに遣しける
冬籠り 跡搔絕えて 甚しく 雪中にぞ 薪積みける
左近中將 藤原公衡
1114 題知らず
忘られて 年暮果つる 冬草の 枯果てて人も 尋ねざりけり
伊勢大輔
1115 年暮に琴を搔鳴らして、空も春めきぬるにやと侍りければ
琴音を 春調と 彈くからに 霞みて見ゆる 空目為るらむ
選子內親王家宰相
1116 返し
琴音の 春調に 聞ゆれば 霞棚引く 空かとぞ思ふ
選子內親王
1117 題知らず
髣髴にも 軒端梅の 匂哉 鄰を沁めて 春は來にけり
殷富門院大輔
1118 入道親王家にて、冬花と云ふ心を詠侍ける
今日よりや 己が春邊と 白雪の 經る年掛けて 咲ける梅香
法印覺寬
1119 年暮之心を詠侍ける
筏士の 漕す手に積る 年浪の 今日暮をも 知らぬ業哉
寂延法師
1120 【○承前。侍詠年暮之趣。】
行く年を 知らぬ命に 任せても 明日を有とや 春を待つらむ
行念法師
1121 【○承前。侍詠年暮之趣。】
雪積る 山路冬を 數ふれば 憐我身の 老りにける哉
寂超法師
1122 題知らず
數ふれば 年終に 成りにけり 我身果てぞ 甚も悲しき
相模