新敕撰和歌集 卷十五 戀歌五
0942 陸奧國に罷りて女に遣しける
信夫山 忍びて通ふ 道欲得 人心の 奧も見るべく
在原業平朝臣
0943 頭中將に侍ける時、忍草の紅葉したるを文中に入れて女許に遣しける
戀しきを 人には言はで 忍草 忍ぶに餘る 色を見よかし
謙德公 藤原伊尹
0944 返し
言はで思ふ 程にあまらば 忍草 甚久しの 露や滋らむ
佚名 讀人知らず
0945 題知らず
君見ずて 程古屋の 庇には 逢事無しの 草ぞ生ひける
佚名 讀人知
0946 【○承前。無題。】
言へば得に 深く悲しき 吳竹の 夜聲は誰と 問人欲得
佚名 讀人知
0947 【○承前。無題。】
六緒の 縒目每にぞ 香は匂ふ 引く少女子の 袖や觸れつる
佚名 讀人知
0948 【○承前。無題。】
玉緒を 泡緒によりて 結べれば 絕えての後も 逢はむとぞ思ふ
佚名 讀人知
0949 【○承前。無題。】
逢事は 玉緒許 思ほえて 辛き心の 長くも有哉
佚名 讀人知
0950 【○承前。無題。】
人はいさ 思ひやすらむ 玉蔓 面影にのみ 甚見えつつ
佚名 讀人知
0951 【○承前。無題。】
長からぬ 命程に 忘るるは 如何に短き 心なるらむ
佚名 讀人知
0952 【○承前。無題。】
月中の 桂枝を 思ふとや 淚時雨 降る心地する
光孝天皇御製
0953 【○承前。無題。】
目には見て 手には取られぬ 月中の 桂如き 妹を如何に為む
湯原王
0954 【○承前。無題。】
來ぬ人を 月になさばや 烏玉の 夜每に我は 影をだに見む
紀貫之
0955 【○承前。無題。】
然も有らば 荒雲居乍も 山端に 出入る宵の 月をだに見ば
和泉式部
0956 【○承前。無題。】
賴めつつ 來ぬ夜は經とも 久方の 月をば人の 待つと言へかし
赤染衞門
0957 【○承前。無題。】
思遣る 心も空に 成りにけり 獨有明の 月を眺めて
太宰大貳 藤原高遠
0958 【○承前。無題。】
物思ふに 月見る事は 堪へねども 眺めてのみも 明しつる哉
藤原道信朝臣
0959 賴めたりける女に遣はしける
逢事を 賴めぬにだに 久方の 月を眺めぬ 宵は無かりき
佚名 讀人知らず
0960 返し
眺めつつ 月に賴むる 逢事を 雲居にてのみ 過ぎぬべき哉
相模
0961 法性寺入道前關白、內大臣に侍ける時、家に歌合し侍けるに詠める
戀渡る 君が雲居の 月為らば 及ばぬ身にも 影は見てまし
堀河院中宮上總
0962 月前戀と云へる心を詠侍ける
戀しさの 眺むる空に 滿ちぬれば 月も心の 中にこそ澄め
皇太后宮大夫 藤原俊成
0963 千五百番歌合に
更けにけり 是や賴めし 夜半為らむ 月をのみこそ 待つべかりけれ
二條院讚岐
0964 建保六年內裏歌合に
徒人を 待夜更行く 山端に 空賴めせぬ 有明月
嘉陽門院越前
0965 題知らず
海人小舟 二十日月の 山端に 猶豫迄も 見えぬ君哉
正三位 藤原家隆
0966 【○承前。無題。】
待つ人は 誰と寢待の 月影を 傾く迄に 我眺むらむ
殷富門院大輔
0967 【○承前。無題。】
長らへて 又やは見むと 待宵を 思ひも知らで 更來る月哉
權大納言 衣笠家良
0968 後京極攝政家歌合に、待戀を詠める
來ぬ人を 何に喞たむ 山端の 月は待出て 小夜更けにけり
藤原隆信朝臣
0969 建曆二年廿首歌奉ける、戀歌
池に澄む 押明方の 空月 袖冰に 泣く泣くぞ見る
正三位 藤原家隆
0970 旅戀と云ふ心を詠侍ける
旅衣 歸す夢路は 虛しくて 月をぞ見つる 有明空
大藏卿 藤原有家
0971 百首歌に
如何に為む 夢路にだにも 行遣らぬ 空しき床の 手枕袖
式子內親王
0972 題知らず
打歎き 如何に寢し夜と 思へども 夢にも見えで 頃も經にけり
大納言 藤原實家
0973 【○承前。無題。】
思寢の 我のみ通ふ 夢路にも 逢見て歸る 曉ぞ無き
左近中將 藤原公衡
0974 【○承前。無題。】
歎侘び 寢る玉緒の 宵宵は 思ひも絕えぬ 夢も儚し
參議 飛鳥井雅經
0975 【○承前。無題。】
如何に為む 暫し打ちぬる 程欲得 一夜許の 夢をだに見む
正三位 藤原家隆
0976 【○承前。無題。】
如何に為む 今一度の 逢事を 夢にだに見て 寢覺めず欲得
殷富門院大輔
0977 【○承前。無題。】
辛きをも 憂をも夢に 為果てて 逢夜許を 現と欲得
法橋顯昭
0978 【○承前。無題。】
夢にさへ 逢はずと人の 見えつれば 微睡む程の 慰めも無し
道因法師
0979 千五百番歌合に
哀れ哀 儚かりける 契哉 唯轉寢の 春夜夢
二條院讚岐
0980 戀歌詠侍けるに
契しも 建しも昔の 夢ながら 現が袖にも 濡るる袖哉
藤原重賴女
0981 夏夜戀と云ふ心を詠侍ける
夏蟲も 明くる賴みの 有物を 消方も無き 我思哉
按察使 中山兼宗
0982 題知らず
鹿立つ 端山の闇に 燈火の 逢はで幾夜を 燃明すらむ
權大納言 衣笠家良
0983 建保六年內裏歌合、戀歌
逢事は 忍衣 哀など 稀なる色に亂始めけむ
權中納言 藤原定家
0984 【○承前。建保六年內裏歌合,戀歌。】
如何に為む 音を鳴く蟲の 唐衣 人も咎めぬ 袖淚を
從三位 藤原範宗
0985 題知らず
己鳴く 心がらにや 空蟬の 羽に置露に 身を碎くらむ
從三位 源顯兼
0986 前關白家歌合に、山家夕戀と云へる心を詠侍ける
鷂鷹の 外山庵の 夕暮を 假りにもとだに 契りやはする
正三位 藤原知家
0987 建保三年內裏歌合に
東路の 富士柴山 暫しだに 消たぬ思に 立煙哉
藤原信實朝臣
0988 心為らず中絕えにける女に遣しける
異浦の 煙之餘所に 年經れど 猶樵果てぬ 海士藻鹽木
大宮入道內大臣 藤原宗能
0989 家歌合に、顯戀と云へる心を詠侍ける
袖浪 胸煙は 誰も見よ 君が浮名の 立つぞ悲しき
後京極攝政前太政大臣 九條良經
0990 題知らず
夕煙 野邊にも見えば 遂に我が 君に歸つる 命とを知れ
左近中將 藤原公衡
0991 京極前關白家歌合に、戀心を
戀死なば 君故とだに 知られでや 空しき空の 雲と成りなむ
大納言 藤原忠教
0992 題知らず
定無き 風に從ふ 浮雲の 哀行方も 知らぬ戀哉
土御門內大臣 源通親
0993 後京極攝政家の歌合寄雲戀心を人に代りて詠侍ける
戀死ぬる 夜半煙の 雲と為らば 君が宿にや 分きて時雨む
前大僧正慈圓
0994 寄木戀
思兼ね 眺むれば復 夕日射す 軒端岡の 松も恨めし
正三位 藤原家隆
0995 千五百番歌合に
人心 木葉降頻く 枝にし有れば 淚川も 色變りけり
按察使 中山兼宗
0996 百首歌奉ける時
熟熟と 落つる淚の 數知らず 逢見ぬ夜半の 積りぬる哉
大炊御門右大臣 德大寺公能
0997 【○承前。奉百首歌時。】
如何に為む 天逆手を 打返し 恨みても猶 飽かずも有哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
0998 【○承前。奉百首歌時。】
疑ひし 心卜の 正しきは 問はぬに付けて 先づぞ知らるる
待賢門院堀河
0999 題知らず
遙かなる 程は雲居の 月日のみ 思はぬ中に 行巡りつつ
從三位 藤原範宗
1000 戀歌數多詠侍けるに
偽の 言葉無くば 何をかは 忘らるる世の 形見とも見む
菅原資季朝臣
1001 千五百番歌合に
津國の 御津と勿言ひそ 山城の 問はぬ辛さは 身に餘るとも
宮內卿
1002 【○承前。千五百番歌合中。】
後世を 賴む賴みも ありなまし 契變らぬ 別なり為ば
源具親朝臣
1003 題知らず
後世と 言ひてぞ人に 別れまし 明日迄とだに 知らぬ命を
藤原永光
1004 【○承前。無題。】
逢事の 今行年の 月日經て 猶中中の 身をも恨みむ
津守經國
1005 【○承前。無題。】
同世に 猶在りながら 逢事の 昔語に 成りにける哉
賀茂季保
1006 稀會戀と云ふ心を詠侍ける
堰かぬる 淚露の 玉緒の 絕えぬも辛き 契也けり
淨意法師
1007 右衛門督為家百首歌詠ませ侍ける戀歌
片絲の 逢はずばさてや 絕えなまし 契ぞ人の 長玉緒
下野
1008 關白左大臣家百首歌に、遇不逢戀
年を經て 逢事は猶 片絲の 誰が心より 絕始めけむ
從三位 藤原範宗
1009 戀十首歌詠侍けるに
誰も此 哀短き 玉緒に 亂れて物を 思はず欲得
權中納言 藤原定家
1010 百首歌詠侍けるに、遇不逢戀
移ひし 心花に 春暮れて 人も梢に 秋風ぞ吹く
後京極攝政前太政大臣 九條良經
1011 建保六年內裏歌合に
目前に 風も吹堪へず 移行く 心花も 色は見えけり
前關白 九條道家
1012 中納言定賴、「心中を見せたらば。」と申して侍りければ詠める
徒人の 心內を 見せたらば 甚辛さの 數や增さらむ
佚名 讀人知らず
1013 謙德公、藏人少將に侍ける時、臨時祭舞人にて、雪甚降侍りければ、物見ける車前に打寄りて、「茲拂ひて。」と申しければ
何にてか 打ちも拂はむ 君戀ふと 淚に袖は 朽ちにし物を
佚名 讀人知らず
1014 同人、舞人にて近く立ちたる車前を過侍りければ
摺衣 著たる今日だに 木綿襷 掛離れても 去ぬる君哉
本院侍從
1015 雪降侍ける夜、按察更衣に遣しける
冬夜の 雪と積れる 思をば 言はねど空に 知りやしぬらむ
天曆御製 村上帝
1016 御返し
冬夜の 寢覺に今は 置きて見む 積れる雪の 數を賴まば
更衣正妃
1017 女に遣しける
流れての 名にこそ有けれ 渡河 逢瀨有やと 賴みける哉
中納言 藤原朝忠
1018 題知らず
山川の 速くも今は 思へども 流れて浮きは 契也けり
光孝天皇御製
1019 夜更けて妻戶を叩侍けるに、明侍らざりければ、旦に遣しける
終夜 水鷄よりけに 鳴く鳴くぞ 槙戶口に 叩侘びぬる
法性寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1020 返し
唯為らじ とばかり叩く 水鷄故 明けては如何に 悔しからまし
紫式部
1021 題知らず
我も思ひ 君も忍ぶる 秋夜は 形見に風の 音ぞ身に沁む
相模
1022 【○承前。無題。】
花為らで 花為る物は 然すがに 徒なる人の 心也けり
紀貫之