新敕撰和歌集 卷十一 戀歌一
0628 題知らず
夢にだに 未見ぬ人の 戀しきは 空に標結ふ 心地こそすれ
佚名 讀人知らず
0629 【○承前。無題。】
古は 在りもやしけむ 今ぞ知る 未見ぬ人を 戀ふる物とは
佚名 讀人知らず
0630 【○承前。無題。】
春日山 朝居る雲の 覺束無 知らぬ人にも 戀渡る哉
佚名 讀人知らず
0631 【○承前。無題。】
葦若の 浦に來寄する 白浪の 知らじな君は 我思ふとも
佚名 讀人知らず
0632 【○承前。無題。】
石見潟 恨ぞ深き 瀛浪 寄する玉藻に 埋もるる身は
佚名 讀人知らず
0633 【○承前。無題。】
難波江の 小家に夜更けて 海人焚く 忍火にだにも 逢由欲得
佚名 讀人知らず
0634 【○承前。無題。】
朝な朝な 海人竿刺す 浦深み 及ばぬ戀も 我はする哉
佚名 讀人知らず
0635 女に遣しける
言へば得に 言はねば胸に 騷がれて 心一つに 歎く頃哉
在原業平朝臣
0636 始めて人に遣しける
雲居にて 雲居に見ゆる 鵲の 橋を渡ると 夢に見し哉
權中納言 藤原敦忠
0637 返し
夢為らば 見ゆるなるらむ 鵲は 此世人の 越ゆる橋かは
佚名 讀人知らず
0638 下臈に侍ける時、本院侍從に遣しける
色に出て 今ぞ知らする 人知れず 思侘びつる 深心を
忠義公 藤原兼通
0639 中將に侍ける時、同女に遣しける
岩手のみ 思ふ心を 知る人は 有や無やと 誰か問はまし
中納言 藤原朝忠
0640 返し
知る人や 空に無からむ 思ふなる 心底の 心為らでは
本院侍從
0641 和泉式部に遣しける
打出でも 有りにし物を 中中に 苦しき迄も 歎く今日哉
太宰帥 敦道親王
0642 返し
今日間の 心に歸て 思遣れ 眺めつつのみ 過す月日を
和泉式部
0643 人女と物語し侍けるを、女親聞付けて、諸共に居明し侍りにける朝に、遣しける
戀や為む 忘やしなむ 寢とも無く 寢ずとも無くて 明しつる哉
藤原高光
0644 題知らず
何迄と 我世中も 知ら無くに 豫ても物を 思はする哉
藤原道信朝臣
0645 【○承前。無題。】
如何でかは 天空にも 翳むべき 心中に 晴れぬ思を
相模
0646 五節頃、舞姬の插櫛を取りて返し遣はすとて
人知れぬ 心一つに 歎きつつ 黃楊小櫛ぞ 插す空も無き
藤原義孝
0647 五節所に侍ける女、忌じう見えぬと申しける朝に、日蔭に付けて遣はしける
日蔭插す 少女の姿 見てしより 上空為る 物をこそ思へ
太宰大貳 藤原高遠
0648 題知らず
山陰に 作る早稻田の 實隱れて 穗に出ぬ戀に 身をや盡さむ
凡河內躬恒
0649 女に遣しける
袖濡れて 海人の苅干す 渡海の 見るを逢ふにて 止まむとやする
在原業平朝臣
0650 返し
巖間より 生る海松布し 由緣無くば 潮干潮滿ち 甲斐や有りなむ
佚名 讀人知らず
0651 題知らず
湊入の 玉造江に 漕船の 音こそ立てね 君を戀ふれど
小野小町
0652 【○承前。無題。】
海松布苅る 海人往來の 湊路に 勿來關も 我が据無くに
小野小町
0653 【○承前。無題。】
厭へども 猶住江の 浦に干す 網目繁き 戀もする哉
佚名 讀人知らず
0654 【○承前。無題。】
戀侘る 衣袖は 潮滿ちて 海松布潛かぬ 浪ぞ立ちける
佚名 讀人知らず
0655 堀河院、艷書の歌を人人に召して、女房許に遣はして、返歌を召しける時、詠侍ける
年經れど 言はで朽ちぬる 埋木の 思心は 古りぬ戀哉
權大納言 藤原公實
0656 返し
深からじ 水無瀨川の 埋木は 下戀路に 年古りぬとも
康資王母
0657 戀十首詠侍けるに
戀山 茂き小篠の 露分けて 入始むるより 濡るる袖哉
神祇伯 源顯仲
0658 久安百首歌奉けるに、戀歌
斯とだに 言はぬに繁き 亂蘆の 如何なる節に 知らせ初めまし
待賢門院堀河
0659 【○承前。奉久安百首歌時,戀歌。】
袖濡るる 山井清水 如何でかは 人目漏さで 影を見るべき
待賢門院堀河
0660 【○承前。奉久安百首歌時,戀歌。】
散らば散れ 磐瀨杜の 木枯に 傳へやせまし 思ふ言葉
皇太后宮大夫 藤原俊成
0661 【○承前。奉久安百首歌時,戀歌。】
淚川 袖御渡に 湧返り 行方も無き 物をこそ思へ
皇太后宮大夫 藤原俊成
0662 【○承前。奉久安百首歌時,戀歌。】
自づから 行合早稻を 苅初に 見し人故や 寢寐難に為む
藤原清輔朝臣
0663 【○承前。奉久安百首歌時,戀歌。】
我戀を 言はで知らする 由欲得 漏らさばなべて 世にもこそ知れ
藤原清輔朝臣
0664 二條院御時、戀歌召しけるに
人目をば 包むと思ふに 堰兼ねて 袖に餘るは 淚也けり
權大納言 藤原宗家
0665 百首歌詠侍けるに、忍戀之心を
思遣る 方こそ無けれ 押ふれど 包む人目に 餘る淚は
前大納言 源資賢
0666 家に百首歌詠侍けるに
紅の 淚を袖に 堰兼ねて 今日ぞ思の 色に出ぬる
後法性寺入道前關白太政大臣 九條兼實
0667 【○承前。於家侍詠百首歌。】
思川 岩間に淀む 水莖を 搔流すにも 袖は濡れける
皇嘉門院別當
0668 【○承前。於家侍詠百首歌。】
袖上の 淚ぞ今は 辛からぬ 人に知らるる 始めと思へば
宜秋門院丹後
0669 戀歌詠侍けるに
御注連引く 卯月忌を 射日より 心に懸かる 葵草哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
0670 刑部卿賴輔歌合し侍けるに、詠みて遣しける忍戀之歌
如何にして 標無くとも 尋見む 信夫山の 奧通路
皇太后宮大夫 藤原俊成
0671 題知らず
東路や 忍里に 休らひて 勿來關を 越えぞ煩ふ
西行法師 佐藤義清
0672 【○承前。無題。】
人知れず 忍浦に 燒鹽の 我が名は夙 立つ煙哉
正三位 藤原家隆
0673 百首歌奉ける戀歌
言はぬ間は 心一つに 騷がれて 煙も浪も 胸にこそ立て
宜秋門院丹後
0674 【○承前。奉百首歌。】
我心 如何なる色に 出でぬらむ 未見ぬ人を 思始めつつ
源師光
0675 【○承前。奉百首歌。】
松根を 磯邊浪の 打つたへに 顯れぬべき 袖上哉
權中納言 藤原定家
0676 堀河院に百首歌奉ける時、忍戀
春來れば 雪下草 下にのみ 萌出る戀を 知人ぞ無き
前中納言 大江匡房
0677 【○承前。於堀河院奉百首歌時,忍戀。】
逢事の 交野小野の 篠薄 穗に出ぬ戀は 苦しかりけり
藤原仲實朝臣
0678 【○承前。於堀河院奉百首歌時,忍戀。】
浪間より 明石浦に 漕船の 穗には出ずも 戀渡る哉
藤原基俊
0679 久安百首歌奉けるに、戀歌
年經れど 兆も見えぬ 我戀や 常磐山の 時雨為るらむ
藤原清輔朝臣
0680 題知らず
人知れず 思始めつつ 知らせばや 秋木葉の 露許だに
大納言 源通具
0681 【○承前。無題。】
紅の 千入も飽かず 三室山 色に出づべき 言葉欲得
寂蓮法師
0682 【○承前。無題。】
真先散る 山霰の 玉蔓 懸けし心や 色に出づらむ
參議 飛鳥井雅經
0683 【○承前。無題。】
奧山の 日蔭露の 玉蔓 人こそ知らね 懸けて戀ふれど
右衛門督 藤原為家
0684 殿上人に、未見戀と云へる心を仕奉ける次に
山端を 分出る月の 僅かにも 見てこそ人は 人を戀ふなれ
後堀河院御製
0685 戀歌詠侍けるに
踏始むる 戀路之末に 有物は 人心の 岩木也けり
大納言 藤原實家
0686 【○承前。侍詠戀歌。】
筑波山 端山繁山 尋見む 戀に增される 歎有りやと
正三位 藤原經家
0687 入道二品親王家五十首歌詠侍けるに、寄煙戀
富士嶺の 空にや今は 紛へまし 我身に消たぬ 空し煙を
入道前太政大臣 西園寺公經
0688 百首歌詠侍けるに、忍戀
我戀の 燃えて空にも 紛ひなば 富士煙と 孰高けむ
前關白 九條道家
0689 【○承前。侍詠百首歌,忍戀。】
我戀は 淚を袖に 堰止めて 枕外に 知る人も無し
關白左大臣 九條教實
0690 題知らず
我が床の 枕も如何に 思ふらむ 淚懸からぬ 夜半し無ければ
八條院六條
0691 千五百番歌合に
蛙鳴く 神奈備河に 咲花の 言はぬ色をも 人問へかし
二條院讚岐
0692 戀歌詠侍けるに
打忍び 落つる淚の 白玉の 漏零れても 散りぬべき哉
殷富門院大輔
0693 【○承前。侍詠戀歌。】
忍兼ね 淚玉の 緒を絕えて 戀亂ぞ 袖に見え行く
權大納言 衣笠家良
0694 前關白家歌合に、寄絲戀
誰が為に 人の片絲 縒懸けて 我玉緒の 絕えむとすらむ
正三位 藤原家隆
0695 家歌合に
吉野川 速流を 堰く岩の 由緣無き中に 身を碎くらむ
後京極攝政前太政大臣 九條良經
0696 戀歌數多詠侍けるに
由緣無さの 例は有りと 吉野川 巖跡柏を 洗ふ白浪
藤原賴氏朝臣
0697 前參議經盛歌合し侍けるに
隅田川 賴切りに結ぶ 水泡の 憐何しに 思始めけむ
藤原盛方朝臣
0698 左京大夫顯輔家歌合に
人知れず 音をのみ泣けば 衣川 袖柵 堰かぬ日ぞ無き
法性寺入道前關白家參河
0699 平經正朝臣歌合侍けるに、戀歌
淚川 袖柵 懸止めて 逢はぬ浮名を 流さず欲得
源有房朝臣
0700 【○承前。侍平經正朝臣歌合,詠戀歌。】
辛きにも 憂にも落つる 淚川 孰方か 淵瀨為るらむ
道因法師
0701 題知らず
焦行く 思火を消たぬ 淚川 如何なる浪の 袖濡らすらむ
平重時
0702 百首歌奉けるに、戀歌
山川の 岩間水の 薄冰 我のみ下に 咽頃哉
如願法師
0703 建保六年內裏歌合に、戀歌
卷向の 穴師川の 川風に 靡く玉藻の 亂れてぞ思ふ
權大納言 坊門忠信
0704 題知らず
流れての 名をさへ忍ぶ 思川 逢はでも消えね 瀨瀨泡沫
侍從源具定母 藤原俊成女
0705 【○承前。無題。】
思川 身を早乍ら 水泡の 消えても逢はむ 浪間欲得
正三位 藤原家隆
0706 戀心を詠侍ける
落激つ 早瀨川も 岩觸れて 暫しは淀む 淚と欲得
權中納言 藤原長方
0707 【○承前。侍詠戀心。】
世と共に 絕えずも落つる 淚哉 人は哀れも 懸けぬ袂に
皇太后宮大夫 藤原俊成