新敕撰和歌集 卷第十 釋教歌
0574 土佐國室戶と云ふ所にて
法性の 室戶と云へど 我が住めば 有為波風 寄せぬ日ぞ無き
弘法大師
0575 蓮露を詠侍ける
有漏身は 草葉に懸かる 露なるを 頓て蓮に 宿らざりけむ
空也上人
0576 伊駒山麓にて、終取侍けるに
法月 久しく欲得と 思へども 小夜更けにけり 光隱しつ
大僧正行基
0577 題知らず
法身の 月は我身を 照せども 無明雲の 見せぬ也けり
千觀法師
0578 尼の戒受侍けるに
墾ろに 十戒 受付れば 五障 有らじとぞ思ふ
大僧正觀修
0579 大僧正明尊、山階寺供養の導師にて、草木成佛之由說侍けるを聞きて、明日に遣しける
草木迄 佛種と 聞きつれば 木實とならむ 事も賴もし
大僧都深觀
0580 返し
誰も皆 佛種ぞ 行はば 木實ながらも 為らざらめやは
大僧正明尊
0581 錫杖之心を詠侍ける
六輪を 離れて三世の 佛には 唯此杖に 懸かりてぞなる
大僧正明尊
0582 法性寺入道前攝政家に、法花經廿八品歌詠ませ侍けるに、序品
昔見し 花色色 散交ふは 今日御法の 例為るらむ
權大納言 藤原行成
0583 五百弟子品
來て告る 人無かり為ば 衣手に 懸くる玉をも 知らずや有らまし
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原師實
0584 廿八品歌詠侍けるに、同品
袖上の 玉を淚と 思ひしは 懸けけむ君に 沿はぬ也けり
少僧都源信
0585 觀音院に御封寄せさせ給ひける時の御歌
今日立つる 民烟の 絕えざらば 消えて儚き 跡を問はなむ
冷泉院太皇大后宮 昌子內親王
0586 發心和歌集歌、般若心經
世世を經て 說來る法は 多かれど 茲ぞ真の 心也ける
選子內親王
0587 普賢十願請佛住世
皆人の 光を仰ぐ 空如 長閑に照らせ 雲隱れせで
選子內親王
0588 藥王品、盡是女身
稀らなる 法を聞きつる 道し有れば 憂きを限と 思ひぬる哉
選子內親王
0589 百首歌中に大悲代受苦の心を
消難き 人思に 身替へて 炎にさへや 立雜るらむ
式子內親王
0590 待賢門院中納言、人人勸めて法華經二十八品歌詠ませ侍けるに譬喻品、其中眾生悉是吾子の心を詠める
孤子と 何歎きけむ 世中に 懸かる御法の 有ける物を
皇太后宮大夫 藤原俊成
0591 隨喜功德品
谷川の 流末を 汲む人も 聞くは如何は 兆有ける
皇太后宮大夫 藤原俊成
0592 美福門院極樂六時讚を繪に描かせられ侍りて如是べき歌仕奉けるに、虛空界を飛過ぎて歡喜國を指して行かむ
手折りつる 花露だに 未干ぬに 雲幾重を 過ぎて來ぬらむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
0593 白銀光盛りにて、普賢大士來至す
白妙に 月か雪かと 見えつるは 西を指しける 光也けり
皇太后宮大夫 藤原俊成
0594 舍利報恩講と云ふ事を行侍けるに
今日法は 鷲高嶺に 出し日の 隱れて後の 光也けり
前大僧正慈圓
0595 【○承前。侍行舍利報恩講。】
悟行く 雲は高嶺に 晴にけり 長閑に照せ 秋夜月
前大僧正慈圓
0596 金剛界五部を詠侍ける、佛部
今は上に 光も有らじ 望月と 限るになれば 一際空
前大僧正慈圓
0597 塵點本之心を詠侍ける
居塵の 積りて高く 成る山の 奧より出し 月を見る哉
前大僧正慈圓
0598 家に百首歌詠ませ侍ける時、五智大圓鏡智之心を
曇無く 磨現す 悟りこそ 圓に澄める 鏡也けれ
後法性寺入道前關白太政大臣 九條兼實
0599 阿含經
在とやは 風待つ程を 賴むべき 雄鹿鳴く野に 置ける白露
藤原隆信朝臣
0600 安樂行品
山深み 真道に 入る人は 法華をや 栞にはする
藤原盛方朝臣
0601 法華經提婆品之心を
法為 身を從へし 山人に 皈りて道の 標をぞする
法印慶忠
0602 紫式部の為とて結緣經供養し侍ける所に、藥草喻品を送侍るとて
法雨に 我もや濡れむ 睦まじき 若紫の 草緣に
權大納言 藤原宗家
0603 廿八品歌詠侍けるに、壽量品
身を捨てて 戀ひぬ心ぞ 憂かりける 岩にも生ふる 松は有世に
八條院高倉
0604 陀羅尼品
天空 雲通路 其為らぬ 少女姿 何時か待見む
八條院高倉
0605 勸發品、受持佛語作禮而去
散散に 鷲高嶺を 降りぞ行く 御法華を 家苞にして
寂然法師
0606 薩埵王子之心を詠侍ける
身を捨つる 衣掛けける 竹葉の 戰如何許 悲しかりけむ
殷富門院大輔
0607 百首歌詠侍けるに、十界歌、人界
夢世に 月日儚く 明暮れて 又は得難き 身を如何に為む
後京極攝政前太政大臣 九條良經
0608 菩薩
秋月 望は一夜の 隔てにて 且且影ぞ 殘る隈無き
後京極攝政前太政大臣 九條良經
0609 十二光佛之心を詠侍けるに、不斷光佛
月影は 入る山端も 辛かりき 絕えぬ光を 見る由欲得
源季廣
0610 如來無邊誓願仕之心を詠める
數知らぬ 千千之蓮に 澄月を 心水に 映してぞ見る
鑁也法師
0611 中道觀之心を詠侍ける
眺むれば 心空に 雲消えて 虛しき跡に 殘る月影
信生法師
0612 悲鳴呦咽痛戀本群と云へる心を詠める
立離れ 小萩原に 鳴く鹿は 道踏惑ふ 友や戀しき
寂然法師
0613 自惟孤露之心を
常永久に 賴む影無く 音をぞ鳴く 鶴林の 空を戀ひつつ
寂超法師
0614 十戒歌詠侍けるに、不殺生戒
今日よりは 狩にも出づな 雉子鳴く 交野御野は 霜結ぶ也
法眼宗圓
0615 不偷盜戒
越えじ唯 同じ餝しの 名も辛し 龍田山の 夜半白浪
法眼宗圓
0616 不慳貪戒
苔下に 朽ちせぬ名こそ 悲しけれ 留れば其も 惜む習ひに
法眼宗圓
0617 經教如鏡之心を詠める
後世を 照す鏡の 影を見よ 知らぬ翁は 逢ふ甲斐も無し
蓮生法師
0618 十如是之心を詠侍ける、本末究竟等
小笹原 有るか無きかの 一節に 本も末葉も 變らざりけり
寂然法師
0619 後法性寺入道前關白舍利講の次に、人人に十如是之歌詠ませ侍けるに、如是躰之心を
春夜の 烟に消えし 月影の 殘る姿も 世を照しけり
後京極攝政前太政大臣 九條良經
0620 如是性
澄むとても 思ひも知らぬ 身中に 慕ひて殘る 有明月
二條院讚岐
0621 大輔、人人に十首歌進めて、天王寺に詣でけるに詠侍ける
留めける 形見を見ても 甚しく 昔戀しき 法跡哉
殷富門院新中納言
0622 天王寺西門にて詠侍ける
障無く 入る日を見ても 思ふ哉 是こそ西の 門出也けれ
郁芳門院安藝
0623 老後、天王寺に籠居て侍ける時物にかきつけて侍ける
西海 入日を慕ふ 門出して 君都に 遠離りぬる
後白河院京極
0624 「亡き人の手に物書きて。」と申しける人に、光明真言を書きて送侍るとて
搔造る 跡に光の 輝けば 暗き道にも 闇は晴るらむ
高辨上人
0625 「何事か?」と申したりける人の返事に遣しける
清瀧や 瀨瀨岩浪 高尾山 人も嵐の 風ぞ身に沁む
高辨上人
0626 【○承前。人問:「何事哉?」,所返信送之。】
夢世の 現也為ば 如何為む 覺行く程を 待てばこそ有れ
高辨上人
0627 住房西谷に窟有り、定心石と號く。松有り、繩床樹と號く。元二枝にして座するに便有り。正月雪降る日、少し隙有る程座禪するに松嵐激しく吹きて、墨染袖のそでに霰降積りて侍けるを、裹みて石上を立つとて衣裹明珠之譬を思出て詠侍ける
松下 巖根苔に 墨染の 袖霰や 掛けし白玉
高辨上人
0627b 依釋迦遺教念彌陀と云ふ心を詠侍ける 【○一本,此二首,在釋教「袖上の。」之次。】
教置きて 入りにし月の 無かり為ば 西に心を 如何で掛けまし
京極前關白家肥後
0627c 提婆品之心を詠侍ける 【○承前,一本在釋教「袖上の。」之次。】
法為 擔ふ薪に 事寄せて 即て此事を 懲りぞ果てぬる
瞻西上人