新後撰和歌集 卷二十 賀歌


1566 百首歌詠(ひゃくしゅのうたよ)ませ給(たま)ひける中(なか)に


1567 弘長元年百首歌奉(こうちゃうぐわんねんのひゃくしゅのうたたてまつ)りける時(とき)、山(やま)


1568 建仁二年(けんにんにねん)、鳥羽殿(とばどの)にて池上松風(いけかみのまつかぜ)と云(い)ふ事(こと)を始(はじ)めて講(かう)ぜられけるに


1569 西園寺入道前太政大臣許(さいをんじにふだうさきのだいじゃうだいじんのもと)へ松生立(まつのおひた)ちける石(いし)を遣(つか)はすとて


1570 返(かへ)し


1571 題知(だいし)らず


1572 鶴老爭齡(かくらうさうれい)と云(い)ふ事(こと)を詠侍(よみはべ)りける


1573 子日之心(ねのひのこころ)を


1574 【○承前。詠子日之趣。】


1575 【○承前。詠子日之趣。】


1576 題知(だいし)らず


1577 千五百番歌合(せんごひゃくばんのうたあはせ)に


1578 建仁三年(けんにんさんねん)、和歌所(わかどころ)にて釋阿(しゃくあ)に九十賀給(くじふのがたま)はせける時(とき)の屏風歌(びゃうぶのうた)に


1579 白河殿七百首歌(しらかはどののななひゃくしゅのうた)に、磯月(いそづき)


1580 祝心(はふりのこころ)を詠(よ)ませ給(たま)ひける


1581 建保六年八月(けんぽうのむとせはづき)、中殿(ちゅうでん)にて、池月久明(いけのつきひさしくあかし)と云(い)ふ事(こと)を講(かう)ぜられ侍(はべ)りけるに


1582 【○承前。建保六年八月,於中殿侍講池月久明。】


1583 弘安元年八月(こうあんぐわんねんはつき)に、月與秋久(つきあきとひさし)と云(い)へる心(こころ)を


1584 【○承前。弘安元年八月,詠月與秋久之趣。】


1585 弘安三年九月十三夜(こうあんさんねんのちのつき)、人人(ひとびと)に十首歌召(じっしゅのうため)されし次(ついで)に、月前祝(つきさきのはふり)


1586 同心(おなじこころ)を詠(よ)ませ給(たま)うける


1587 千五百番歌合(せんごひゃくばんのうたあはせ)に


1588 名所歌奉(めいしょのうたたてまつ)りける時(とき)


1589 題知(だいし)らず


1590 文治六年女御入內屏風(ぶんぢのむとせのにょうごじゅだいのびゃうぶ)に


1591 前中納言定家(さきのちゅうなごんさだいへ)、歲暮(としのくれ)に始(はじ)めて京極家(きゃうごくのいへ)に移(うつ)りけるに、遣(つか)はしける


1592 返(かへ)し


1593 平時範(たひらのときのり)が常磐山莊(ときはのさんさう)にて、寄花祝(はなによせていはふ)と云(い)ふ事(こと)を詠(よ)みける


1594 弘安元年百首歌奉(こうあんぐわんねんのひゃくしゅのうたたてまつ)りし時(とき)


1595 寄鶴祝言(たづによするいはふこと)と云(い)ふ事(こと)を


1596 弘安元年百首歌召(こうあんぐわんねんのひゃくしゅのうため)されし次(ついで)に


1597 千五百番歌合(せんごひゃくばんのうたあはせ)に


1598 法皇六十(ほふわうむそぢ)に滿(み)たせ給(たま)ひけるに、壽命經供養(じきゅみゃうきゃうくやう)せられける序(ついで)に、銀杖奉(しろかねのつゑたてまつ)らるとて


1599 弘安八年三月(こうあんはちねんやよひ)、從一位貞子九十賀賜(じゆいちゐさだこのくじふのがたま)はせける時(とき)、詠侍(よみはべ)りける


1600 【○承前。弘安八年三月,從一位貞子九十筭賀時侍詠。】


1601 東二條院(ひがしにでうゐん)、七十(ななそぢ)に滿(み)たせ給(たま)ひける時(とき)、詠賜(よみたま)ひける


1602 【○承前。東二條院滿七十筭,賜詠。】


1603 從一位貞子()じゆいちゐさだこ、九十賀給(くじふのがたま)はせける時(とき)、詠侍(よみはべ)りける


1604 後鳥羽院御時(ごとばゐんのおほむとき)、八十島祭(やそしまのまつり)に詠侍(よみはべ)りける


1605 嘉禎元年大嘗會悠紀神樂歌(かてぐわんねんのだいじゃうゑのゆきのかぐらのうた)、石戶山(いはとのやま)


1606 寬元四年悠紀風俗歌(くわんげんよねんのおゆきのふぞくのうた)、三神山(みかみやま)


1607 正安三年悠紀風俗歌神樂歌(しゃうあんさんねんのゆきのふぞくのかぐらのうた)、三神山(みかみやま)