新後撰和歌集 卷第九 釋教歌
0608 法華經方便品、其智惠門、難解難入之心を
入難く 悟難しと 聞く門を 開けば華の 御法也けり
皇太后宮大夫 藤原俊成
0609 譬喻品
子を思ふ 親教の 無かりせば 假宿に 迷果てまし
前大納言 藤原經任
0610 今得無漏無上大果
尋ねつる 雲より高き 山越えて 復上も無き 華を見る哉
了然上人
0611 授記品
更行けば 出づべき月と 聞くからに 兼ねて心の 闇ぞ晴れぬる
後嵯峨院御製
0612 【○承前。授記品。】
結置く 世世之契も 深草の 露託言に 濡るる袖哉
法印公紹
0613 化城喻品
假初の 宿とも知らで 尋來し 迷ひぞ道の 導也ける
圓世法師
0614 五百弟子品
下に棲む 本心を 知らぬ哉 野中清水 水草居ぬれば
前大僧正道寳
0615 以無價寳珠繋著內衣裏
何どか我 衣裏の 偶然に 法に逢ひても 悟らざりけむ
法印乘雅
0616 【○承前。以無價寳珠,繋著內衣裏。】
衣手に 包みし玉の 現れて 裏無く人に 見ゆる今日哉
前大僧正行尊
0617 須臾聞之,即得究竟
一聲を 聞初めてこそ 郭公 鳴くに夜深き 夢は覺めけり
前大僧正公澄
0618 寂寞無人聲、讀誦此經典
問人の 跡無き柴の 庵にも 指來る月の 光をぞ待つ
皇太后宮大夫 藤原俊成
0619 乃至以身、而作床座
仙人の 苔蓆に 身を代へて 如何に千年を 敷忍ぶらむ
源有長朝臣
0620 不信是經、則為大失
賴まれぬ 心ぞ見ゆる 來ては復 空しき空に 歸る雁音
藤原光俊朝臣 葉室光俊
0621 不輕品
草庵 柴編戶の 住居迄 分かぬは月の 光也けり
法印源為
0622 神力品
大空を 御法風や 拂ふらむ 雲隱れにし 月を見る哉
源俊賴朝臣
0623 於我滅度後、應受持此經
在らざらむ 後世掛けし 契こそ 賴むに付けて 嬉かりけれ
前大納言 藤原忠良
0624 是人於佛道、決定無有疑
契置く 其行末の 賴有らば 此世を憂しと 何か歎かむ
八條院高倉 法印澄憲女
0625 囑累品
忘る莫と 云ひても袖や 萎れけむ 跡留むべき 此世為らねば
寂蓮法師
0626 若為大水所漂、稱其名號、則得淺處
行水の 深流に 沈みても 淺瀨有りとぞ 猶賴むべき
從三位 藤原光成 大炊御門光成
0627 觀普賢經、見諸障外事
春夜の 霞や空に 晴れぬらむ 朧げ為らぬ 月清けさ
源兼氏朝臣
0628 同經之心を
露霜の 消えてぞ色は 增さりける 朝日に向ふ 峰紅葉
中務卿 宗尊親王
0629 題知らず
世世を經て 妙なる法の 花為らば 開けむ時の 契違ふ莫
安喜門院大貳 藤原為繼女
0630 天台法門御尋ねに與る事、代代に成りぬる事を思ひて詠侍りける
習來し 妙なる法の 華故に 君に問はるる 身とぞ成りぬる
前大僧正忠源
0631 釋教之心を
鷲山 後春こそ 待たれけれ 心華の 色を賴みて
前大僧正聖忠
0632 【○承前。詠釋教之趣。】
鷲嶺 八年秋の 月清み 其光こそ 心には澄め
太上天皇 後宇多院
0633 家に花五十首歌詠侍りけるに
鷲山 御法庭に 散る花を 吉野峰の 嵐にぞ見る
後京極攝政前太政大臣 藤原良經 九條良經
0634 久安百首歌に
常に棲む 鷲高嶺の 月だにも 思知れとぞ 雲隱れける
皇太后宮大夫 藤原俊成
0635 二月十五日夜、湛空上人に申し遣はしける
二月の 半空の 夜半月 入りにし跡の 闇ぞ悲しき
西音法師
0636 返し
闇路をば 彌陀御法に 任せつつ 春半の 月は入りにき
湛空上人
0637 文永七年冬頃、內裏にて寒御祈の為に如法佛眼の法修し侍りける時、雪降りて侍りければ、承元の昔跡を思ひて奏させ侍りける
九重に 降敷く雪は 古の 法莚に 跡や見ゆらむ
天台座主道玄
0638 御返し
古の 跡を知らせて 降雪の 賴む心は 深くなりぬる
法皇御製 龜山院
0639 正安二年、法皇に灌頂授奉りて後、我が山に其跡稀なる事を思ひて詠侍りける
思ひきや 我が立つ杣の 甲斐有りて 稀なる跡を 殘すべしとは
前大僧正公什
0640 大日經を
品品に 變る心の 色も皆 果ては一つの 誓也けり
前中納言 藤原為方【底本為房,蓋誤。】
0641 理趣經、慾無戲論性、故瞋無戲論性
愚かなる 心に種は 無かりけり 四方草木の 在るに任せて
前僧正公朝
0642 父母所生身、即證大覺位の心を
誰故に 此度掛かる 身を受けて 復有難き 法に逢ふらむ
法印覺源
0643 成自然覺、不由他悟
我と唯 行きてこそ見め 法道 人教を 導とは為じ
佚名 讀人知らず
0644 密嚴世界
迷ひしも 一つ國ぞと 悟る哉 誠道の 奧ぞ懷かしき
前大僧正隆辨
0645 傳法の序に思續侍ける
教へ置く法道芝ふみ見れば露も徒なる言葉ぞ無き
前大僧正公什
0646 一流の事を思ひて詠侍りける
夏草の 言繁き世に 迷ひても 猶末賴む 小野古道
權少僧都道順
0647 弘安元年百首歌奉りし時
身を去らぬ 心月に 雲晴れて 何時か誠の 曀も見るべき
二品法親王覺助
0648 百首歌召されし序に、釋教
圓為る 八月月の 大空に 光と為れる 四方秋霧
太上天皇 後宇多院
0649 題知らず
迷ふべき 闇路を近く 思ふにも 見捨難きは 夜半月影
後一條入道前關白左大臣 藤原實經 一條實經
0650 【○承前。無題。】
長夜の 更行く月を 眺めても 近付く闇を 知る人ぞ無き
後京極攝政前太政大臣 藤原良經 九條良經
0651 月明かりける夜、西行法師詣來て侍りけるに、出家之志有る由物語して歸りける後、其夜名殘多かりし由等申し送るとて
終夜 月を眺めて 契置きし 其睦言に 闇は晴れにき
中院入道右大臣 源雅定
0652 返し
澄むと見えし 心月し 顯れば 此世も闇の 晴れざらめやは
西行法師 佐藤義清
0653 心月輪之心を
潔く 月は心に 住む物と 知るこそ闇の 晴るる成りけれ
小侍從 紀光清女
0654 【○承前。心月輪之趣。】
暗き夜の 迷雲の 晴れぬれば 靜かに澄める 月を見る哉
前大僧正行尊
0655 蓮生法師、松島へ詣でて、法門等談じて歸侍りけるに遣はしける
長夜の 闇路に迷ふ 身也とも 眠覺めなば 君を尋ねむ
見佛上人
0656 返し
闇路には 迷ひも果てじ 有明の 月待つ島の 人導に
蓮生法師
0657 美福門院に、極樂六時讚を繪に書かせられて、書くべき歌仕奉けるに、七重寳樹之風には一實相理を調べむ
陰清き 七重植木 映來て 瑠璃扉も 花かとぞ見る
皇太后宮大夫 藤原俊成
0658 無量壽經四十八願之心を詠侍りけるに、聞名具德願
吉野川 花岩波 名に立てて 寄る瀨を春の 泊とぞ聞く
權少僧都俊譽
0659 具足諸相願
三十餘り 二つの姿 妙為れば 孰も同じ 花面影
中原師光朝臣
0660 觸光柔軟
身を去らぬ 日吉影を 光にて 此世よりこそ 闇は晴れぬれ
祝部成賢
0661 觀無量壽經、正坐西向諦觀於日と云ふ事を
西にのみ 向岡の 夕附日 外に心の 映りやはする
源邦長朝臣
0662 水想觀
水澄めば 何時も冰は 結びけり 心や冬の 始為るらむ
蓮生法師
0663 光明遍照十方世界之心を
草原 光待取る 露にこそ 月も分きては 影宿しけれ
大江賴重
0664 釋教歌中に
立歸り 復ぞ沈まむ 世に越ゆる 元誓の 無からましかば
大藏卿 藤原隆博 九條隆博
0665 是心是佛之心を
今更に 佛道を 何とかは 本心の 外に求めむ
常磐井入道前太政大臣 藤原實氏 西園寺實氏
0666 下輩觀を詠ませ給ひける
愚かなる 淚露の 如何で猶 消えて蓮の 玉と為るらむ
後嵯峨院御製
0667 耆闍會
言置きし 我が言葉の 變らぬに 人の誠は 顯れにけり
後嵯峨院御製
0668 阿彌陀經、歡喜信受之心を
嬉しさを 然ながら袖に 包む哉 仰ぐ御空の 月を宿して
天台座主道玄
0669 三輩一向、專念無量壽佛
御吉野の 水分山の 瀧瀨も 末は一つの 流也けり
壽證法師
0670 一切善惡凡夫、得生者
秋深く 時雨るる西の 山風に 咸誘はれて 行く木葉哉
權少僧都房嚴
0671 釋教之心を
一方に 賴みを懸くる 白絲の 苦しき筋に 亂れず欲得
禪空上人
0672 阿彌陀を
露身に 結べる罪は 重くとも 洩らさじ物を 花萼に
式子內親王
0673 【○承前。詠阿彌陀。】
住慣れし 跡を忍ぶる 嬉しさに 洩らさず救くふ 身とは知らずや
此歌は、禪林寺住僧の、夢に律師永觀歌とて見えける。
式子內親王
0674 人許より。「西へ行く、道を教えよ。」と申して侍りければ
思立つ 心許を 導にて 我とは行かぬ 道とこそ聞け
蓮生法師
0675 同樣に申しける人に
爰に遣り 彼處に呼ばふ 道は有れど 我心より 迷ふとを知れ
順空上人
0676 題知らず
澄昇る 月光を 導にて 西へも急ぐ 我心哉
藤原基俊
0677 往生禮讚に、必有事礙不及向西方、但作向西想亦得と云ふ事を
夕暮の 高嶺を出づる 月影も 入るべき方を 忘れやはする
法眼能信
0678 彌勒を
巡逢ふ 我が身ならずば 如何為む 其曉の 月は出づとも
唯教法師
0679 天王寺に詣でて詠侍りける
西を思ふ 心有りてぞ 津國の 難波方りは 見るべかりける
後京極攝政前太政大臣 藤原良經 九條良經
0680 同寺にて、所所の名を人人歌に詠侍りけるに、龜井
稀に說く 御法跡を 來て見れば 浮木に遭へる 龜井也けり
郁芳門院安藝
0681 久安百首歌に、釋教
世中を 厭ふ餘りに 鳥音も 聞こえぬ山の 麓にぞ住む
大炊御門右大臣 藤原公能 德大寺公能
0682 合會有別離之心を
稀にだに 逢へば別の 悲しきに 知らでや鹿の 妻を戀ふらむ
前大僧正守譽
0683 釋教歌中に
色も香も 空しき物と 教へずば 有るを有るとや 思果てまし
鷹司院帥 葉室光俊女
0684 金剛般若經、不應取法、不應取非法
吉野山 分きて見るべき 色も無し 雲も櫻も 春風ぞ吹く
法印定圓
0685 我於阿耨多羅三藐三菩提、乃至無有小法
夢中に 求めし法の 一言も 誠無きこそ 現也けれ
普光園入道前關白左大臣 藤原良實 二條良實
0686 最勝王經、吉祥天女品之心を
誓有れば 空行月の 都人 袖に滿つなる 光をぞ見る
皇太后宮大夫 藤原俊成女
0687 圓覺經、始知眾生本來成佛、生非涅槃猶如昨夢と云ふ心を
覺遣らぬ 浮世外の 悟ぞと 見しは昨日の 夢にぞ有りける
前太政大臣 藤原公守 洞院公守
0688 欲知過去因、見其現在果を
數為らず 生れける身の 理に 前世迄の 辛さをぞ知る
法印圓勇
0689 眾生無邊誓願度
行くへ無き 身を宇治川の 橋柱 立ててし物を 人渡せとは
參議 藤原雅經 飛鳥井雅經
0690 以觀觀昏、即昏而朗
叢雲に 隱るる月は 程も無く 軈て清けき 光をぞ見る
前大僧正忠源
0691 大日經三三昧那品、現般涅槃、成就眾生
迷はじな 入りぬと見ゆる 月も猶 同じ空行く 影と知りなば
了然上人
0692 弘决、秋九月從慈始入天台と云ふ心を
長月の 有明月と 諸共に 入りける峰を 思ひこそ遣れ
寂然法師
0693 迷悟一如之心を
悟るべき 道とて更に 道も無し 迷ふ心も 迷為らねば
僧正範憲
0694 一念不生
草葉に 結ばぬ先の 白露は 何を便りに 置始めけむ
心海上人
0695 堀河院に百首歌奉りける時
浮世には 消えなば消えね 蓮葉に 宿らば露の 身とも成りなむ
藤原基俊
0696 煩惱即菩提之心を
思ひきや 袖に包みし 螢をも 衣裏に 隱る玉とは
今出川院近衛
0697 題知らず
言葉も 及ばぬ法の 誠をば 心よりこそ 傳始めしか
見性法師
0698 五戒歌中に、不妄語戒
偽の 心非じと 思ふこそ 保てる法の 誠也けれ
惟宗忠景
0699 釋教之心を
六道 迷ふと思ふ 心こそ 立歸りては 知るべ也けれ
花山院內大臣 藤原師繼 花山院師繼
0700 【○承前。釋教之趣。】
如何に為む 法舟出も 知らぬ身は 苦しき海に 復や沈まむ
前大納言 藤原教良 二條教良
0701 【○承前。釋教之趣。】
身を思ふ 人こそ實には 無かりけれ 憂かるべき世の 後を知らねば
圓空上人
0702 厭離穢土之心を
皆人の 然らぬ別を 思ふこそ 浮世を厭ふ 限也けれ
前大僧正慈鎮
0703 題知らず
行末は 迷ふ習と 知りながら 道を求めぬ 人ぞ儚き
僧正道潤
0704 【○承前。無題。】
悟りとて 外に求むる 心こそ 迷始めけむ 始為るらめ
慈道法親王
0705 百首歌奉りし時、釋教
暫しこそ 人心に 濁るとも 澄まで止むべき 法水かは
前內大臣 藤原實重 三條實重
0706 同心を
外に無き 御法水の 清ければ 我心をば 汲みて知るべき
前太政大臣 藤原公守 洞院公守
0707 【○承前。詠同心。】
同じくは 流を分くる 法水の 其水上を 如何で汲ままし
權中納言 藤原公雄 小倉公雄
0708 叡山の谷谷に習返侍る法門事、申しける人の返事に
法水 一つ流を 掬びても 心心に 末ぞ成行く
前大僧正公澄
0709 唯識論の、由此有諸趣、及涅槃證得の心を
冰りしも 同じ心の 水なれば 復打解くる 春に逢ふ哉
權少僧都良信
0710 如清水珠能清濁之心を
澄始めし 元心の 清ければ 濁りも果てぬ 玉井水
法印實聽
0711 題知らず
終夜 窗の燈火 揭げても 踏見る道に 猶迷ふ哉
權少僧都實壽
0712 盆頃、佛御前に侍ひて思續侍ける
導せよ 暗闇路に 迷ふとも 今宵かかぐる 法燈火
平親清女妹
0713 釋教歌とて
古の 跡踏見むと 揭げても 心に暗き 法燈火
澄覺法親王