新古今和歌集 卷二十 釋教歌
1916 【○無題。】
猶賴め 標茅原の 蓬草 我が世中に 有らむ限は
清水觀音
1917 【○無題。】
何か思ふ 何をか嘆く 世中は 唯朝顏の 花上露
此二歌は、清水觀音御歌となむ言傳へたる。
清水觀音
1918 智緣上人、伯耆大山に參りて、出なむとしける曉、夢に見えける歌
山深く 年經る我も 有物を 何處か月の 出て行くらむ
伯耆大山 地藏菩薩
1919 難波御津寺にて、蘆葉戰ぐを聞きて
蘆戰ぐ 潮瀨浪の 何時迄か 憂事中に 浮渡らむ
行基菩薩
1920 比叡山中堂建立時 【○和漢朗詠0594。】
阿耨多羅 三藐三菩提の 佛達 我が立つ杣に 冥加有らせ賜へ
傳教大師 最澄
1921 入唐時歌
法舟 指して行く身ぞ 諸諸の 神も佛も 我を御覽へ
智証大師
1922 菩提寺講堂柱に、蟲喰ひたりける歌
導有る 時にだに行け 極樂の 道に惑へる 世中人
菩提寺
1923 御嶽笙岩屋に籠りて詠める
寂寞の 苔岩戶の 靜けきに 淚雨の 降らぬ日ぞ無き
日藏上人
1924 臨終正念為らむ事を思ひて詠める
南無阿彌陀 佛御手に 懸くる絲の 終亂れぬ 心と欲得
法圓上人
1925 題知らず
我だにも 先極樂に 生れなば 知るも知らぬも 皆迎へてむ
僧都源信
1926 天王寺龜井水を御覧じて 【○金葉集三奏本0525。】
濁無き 龜井水を 掬上て 心塵を 濯ぎつる哉
上東門院 藤原彰子
1927 法華經廿八品歌、人人に詠ませ侍けるに、提婆品之心を
渡海の 底より來つる 程も無く 此身ながらに 身をぞ極むる
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1928 勸持品之心を
數為らぬ 命は何か 惜しからむ 法說く程を 忍許ぞ
大納言 藤原齊信
1929 五月許に、雲林院菩提講に詣でて詠侍ける
紫の 雲林を 見渡せば 法に樗の 花咲きにけり
二條太皇太后宮肥後
1930 涅槃經を詠侍ける時、夢に、「散華に、池冰も、解けぬ也、花吹散す、春夜夢。」と書きて、人の見せ侍ければ、夢中に返すと覺えける歌
谷川の 流れし清く 澄みぬれば 隈無き月の 影も浮びぬ
二條太皇太后宮肥後
1931 述懷歌中に
願はくは 暫闇路に 安らひて 揭げやせまし 法之燈火
前大僧正慈圓
1932 【○承前。述懷歌中。】
說く御法 菊白露 夜は置きて 務めて消えむ 事をしぞ思ふ
前大僧正慈圓
1933 【○承前。述懷歌中。】
極樂へ 未我が心 行著かず 羊步み 暫留まれ
前大僧正慈圓
1934 觀心如月輪若在輕霧中之心を
我が心 猶晴遣らぬ 秋霧に 髣髴に見ゆる 有明月
權僧正公胤
1935 家に百首歌詠侍ける時、十界之心を詠侍けるに、緣覺之心を
奧山に 獨浮世は 悟りにき 無常色を 風に眺めて
攝政太政大臣 藤原良經
1936 心經之心を詠める
色にのみ 染めし心の 悔しきを 虛しと說ける 法嬉しさ
太皇太后宮小侍從
1937 攝政太政大臣家百首歌に、十樂之心を詠侍けるに、聖眾來迎樂
紫の 雲路に誘ふ 琴音に 憂世を拂ふ 峰松風
寂蓮法師 藤原定長
1938 蓮花初開樂
茲や此 憂世外の 春為らむ 花樞の 曙空
寂蓮法師 藤原定長
1939 快樂不退樂
春秋も 限らぬ花に 置露は 後先立つ 恨みやは有る
寂蓮法師 藤原定長
1940 引接結緣樂
立歸り 苦海に 置網も 深緣にこそ 心引くらめ
寂蓮法師 藤原定長
1941 法華經廿八品歌詠侍けるに、方便品 唯有一乘法之心を
何處にも 我が法為らぬ 法や有ると 空吹風に 問へど答へぬ
前大僧正慈圓
1942 化城喻品、化作大城郭
思ふ莫よ 憂世中を 出果てて 宿る奧にも 宿は有けり
前大僧正慈圓
1943 分別功德品、或住不退地
鷲山 今日聞く法の 道為らで 歸らぬ宿に 行人ぞ無き
前大僧正慈圓
1944 普門品、心念不空過
押並て 虛空と 思ひしに 藤咲きぬれば 紫雲
前大僧正慈圓
1945 水渚常不滿と云ふ心を
押並て 浮身は然こそ 鳴海潟 滿干る潮の 變るのみかは
崇德院御歌
1946 先照高山
朝日射す 峰續は 萌芽めども 未霜深し 谷蔭草
崇德院御歌
1947 家に百首歌詠侍ける時、五智之心を、妙觀察智
底清く 心水を 澄まさずは 如何悟りの 蓮をも見む
入道前關白太政大臣 藤原兼實
1948 勸持品
然らずとて 幾世も非じ 去來や然は 法に替へつる 命と思はむ
正三位 藤原經家
1949 法師品、加刀杖瓦石、念佛故應忍之心を
深夜の 窗打つ雨に 音為ぬは 憂世を軒の 忍也けり
寂蓮法師 藤原定長
1950 五百弟子品、內秘菩薩行之心を
古の 鹿鳴く野邊の 庵にも 心月は 曇らざりけむ
前大僧正慈圓
1951 人人勸めて法文百首歌詠侍けるに、二乘但空、智如螢火
道邊の 螢許を 導にて 獨ぞ出る 夕闇空
寂然法師
1952 菩薩清涼月、遊於畢竟空
雲晴れて 虛空に 澄みながら 憂世中を 巡る月哉
寂然法師
1953 栴檀香風、悅可眾心
吹風に 花橘や 匂ふらむ 昔覺ゆる 今日庭哉
寂然法師
1954 作是教已、復至他國
闇深き 木本每に 契置きて 朝立つ霧の 跡露けさ
寂然法師
1955 此日已過、命即衰滅
今日過ぎぬ 命も然と 驚かす 入相鐘の 聲ぞ悲しき
寂然法師
1956 悲鳴呦咽、痛戀本群
草深き 狩場小野を 立出て 友惑はせる 鹿ぞ鳴くなる
素覺法師
1957 棄恩入無為
背かずは 孰世にか 巡逢ひて 思ひけりとも 人に知られむ
寂然法師
1958 合會有別離
逢見ても 峰に別るる 白雲の 斯かる此世の 厭はしき哉
源季廣
1959 聞名欲往生
音に聞く 君許何時か 生松 待つらむ物を 心盡くしに
寂然法師
1960 心懷戀慕、渇仰於佛
別れにし 其面影の 戀しきに 夢にも見えよ 山端月
寂然法師
1961 十戒歌詠侍けるに、不殺生戒
渡海の 深きに沉む 漁為で 保つ甲斐有る 法を求めよ
寂然法師
1962 不偷盜戒
浮草の 一葉也とも 磯隱れ 思莫懸けそ 瀛白浪
寂然法師
1963 不邪婬戒
然らぬだに 重きが上に 小夜衣 我が妻為らぬ 褄莫重ねそ
寂然法師
1964 不酤酒戒
花許 露情は 程も非じ 醉莫進めそ 春山風
寂然法師
1965 入道前關白家に、十如是歌詠ませ侍けるに、如是報
憂きを尚 昔故と 思はずは 如何に此世を 恨果てまし
二條院讚岐
1966 待賢門院中納言、人人に勸めて廿八品歌詠ませ侍けるに、序品、廣度諸眾生、其數無有量之心を
渡すべき 數も限らぬ 橋柱 如何に立てける 誓為るらむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1967 美福門院に、極樂六時讚繪に掛かるべき歌奉るべき由侍けるに、詠侍ける。時に、大眾法を聞きて、彌歡喜瞻仰せむ
今ぞ茲 入日を見ても 思來し 彌陀のみ國の 夕暮空
皇太后宮大夫 藤原俊成
1968 曉至りて、浪聲、金岸に寄する程
古の 尾上鐘に 似たる哉 岸打つ浪の 曉聲
皇太后宮大夫 藤原俊成
1969 百首歌中に、每日晨朝入諸定心を
靜かなる 曉每に 見渡せば 未深夜の 夢ぞ悲しき
式子內親王
1970 發心和歌集歌、普門品、種種諸惡趣
逢事を 何方にとてか 契るべき 憂身行かむ 方を知らねば
選子內親王
1971 五百弟子品之心を
玉懸けし 衣裏を 翻してぞ 愚也ける 心をば知る
僧都源信
1972 維摩經十喻中に、此身如夢と言へる心を
夢や夢 現や夢と 分かぬ哉 如何なる世にか 覺めむとすらむ
赤染衛門
1973 二月十五日暮方に、伊勢大輔許に遣はしける
常よりも 今日煙の 便にや 西を遙に 思遣るらむ
相模
1974 返し
今日は甚 淚に曇れぬ 西山 思入日の 影を眺めて
伊勢大輔
1975 西行法師を呼侍けるに、罷るべき由は申ながら、詣來で、月明かりけるに、門前を通ると聞きて、詠みて遣はしける
西へ行く 導と思ふ 月影の 空賴めこそ 甲斐無かりけれ
待賢門院堀河
1976 返し
立入らで 雲間を分けし 月影は 待たぬ景色や 空に見えけむ
西行法師 佐藤義清
1977 人身罷りにける後、結緣經供養しけるに、即往安樂世界之心を詠める
昔見し 月光を 導にて 今宵や君が 西へ行くらむ
瞻西上人
1978 觀心を詠侍ける
闇晴て 心空に 澄む月は 西山邊や 近く成るらむ
西行法師 佐藤義清
切出歌
1979 【○承元四年九月止之。繫於0110後。】
故鄉に 花は散りつつ 御吉野の 山櫻は 未咲かずけり
中納言 大伴家持
1980 太神宮に百首歌奉り侍し中に 【○繫於0146後。】
如何に為む 世に降る長雨 柴戶に 移ふ花の 春暮方
太上天皇 後鳥羽帝
1981 【○被出了。繫於0212後。】
郭公 昔を掛けて 偲べとや 老寢覺に 一聲ぞする
顯昭法師
1982 題知らず 【○被入雜上了。繫於0237後。】
五月雨の 空だに澄める 月影に 淚雨は 晴るる間も無し
赤染衛門
1983 【○被出了。繫於0244後。】
郭公 花橘の 薰許に 無くや昔の 名殘為るらむ
增基法師
1984 大神宮に奉りし秋歌中に 【○繫於0298後。】
朝露の 岡萱原 山風に 亂れて物は 秋ぞ悲しき
太上天皇 後鳥羽帝
1985 宇治前關白太政大臣家に、七夕之心を詠侍けるに 【○入金葉集之由,雅經朝臣申之。繫於0314後。】
契けむ 程は知らねど 七夕の 絕えせぬ今日の 天之川風
宇治前關白太政大臣 藤原賴通
1986 【○繫於0441後。】
高砂の 尾上に立てる 鹿音に 殊外にも 濡るる袖哉
惠慶法師
1987 題知らず 【○繫於0812後。】
誰也と 後先立つ 程有らば 形見に偲べ 水莖跡
和泉式部
1988 醍醐帝隱賜ての頃、人許に遣はしける 【○繫於0814後。】
世中の 儚き事を 見る頃は 音無くに夢の 心地こそすれ
盛明親王
1989 延喜御時、屏風歌【○被出之。繫於0904後。】
浪上に 仄に見えつつ 行舟は 浦吹風の 導也けり
凡河內躬恒
1990 除目後、狩無きけるを聞きて詠める 【○被出了。繫於1475後。】
都にて 春をだにやは 過ぐしえぬ 何方か狩の 無きて行くらむ
凡河內躬恒
1993 題知らず 【○被出之。繫於1845後。】
願くは 花下にて 春死なむ 其如月の 望月頃
西行法師 佐藤義清
1995 依釋迦遺教念彌陀と云ふ心を 【○被出之。繫於1974後。】
教置きて 入りにし月の 無かりせば 西に心を 如で掛けまし
肥後
承元三年六月十九日,書之。
同七月廿二日,依重勅定,被改直之。