新古今和歌集 卷十八 雜歌下
1690 山
足引の 此方彼方に 道は有れど 都へ去來と 云ふ人ぞ無き
菅贈太政大臣 菅原道真
1691 日
天原 茜射出る 光には 孰沼か 冴殘るべき
菅贈太政大臣 菅原道真
1692 月
月每に 流ると思ひし 真澄鏡 西浦にも 止らざりけり
菅贈太政大臣 菅原道真
1693 雲
山別れ 飛行く雲の 歸來る 影見る時は 猶賴まれぬ
菅贈太政大臣 菅原道真
1694 霧
霧立ちて 照日本は 見えずとも 身は惑はれじ 寄る邊有やと
菅贈太政大臣 菅原道真
1695 雪
花と散り 玉と見えつつ 欺けば 雪故鄉ぞ 夢に見えける
菅贈太政大臣 菅原道真
1696 松
老いぬとて 松は綠ぞ 增さりける 我が黑髮の 雪寒さに
菅贈太政大臣 菅原道真
1697 野
筑紫にも 紫生ふる 野邊は在れど 無き名悲しぶ 人ぞ聞えぬ
菅贈太政大臣 菅原道真
1698 道
苅萱の 關守にのみ 見えつるは 人も許さぬ 道邊也けり
菅贈太政大臣 菅原道真
1699 海
海為らず 湛へる水の 底迄に 清心は 月ぞ照らさむ
菅贈太政大臣 菅原道真
1700 鵲
彥星の 行逢ひを待つ 鵲の 門渡る橋を 我に貸さなむ
菅贈太政大臣 菅原道真
1701 波
流木と 立つ白浪と 燒鹽と 孰か辛き 海底
菅贈太政大臣 菅原道真
1702 題知らず 【○萬葉集1715。】
樂浪の 比良山風の 海吹けば 釣りする海人の 袖翻る見ゆ
細波樂浪兮 比良山嵐呼嘯過 風吹湖海者 為釣海人白水郎 袖袂翻兮今可見
佚名
1703 【○承前。無題。和漢朗詠0710。】
白浪の 寄する渚に 世を過ぐす 海人子為れば 宿も定めず
佚名
1704 千五百番歌合に
舟中 浪下にぞ 老にける 海人仕業も 暇無の世や
攝政太政大臣 藤原良經
1705 題知らず
流離ふる 身は定めたる 方も無し 浮きたる舟の 波に任せて
前中納言 大江匡房
1706 【○承前。無題。】
如何に為む 身を浮舟の 荷を重み 終泊や 何方為るらむ
增賀上人
1707 【○承前。無題。】
葦鴨の 騷ぐ入江の 水江の 世に住難き 我身也けり
人丸 柿本人麻呂
1708 【○承前。無題。】
葦鴨の 羽風に靡く 浮草の 定無き世を 誰か賴まむ
大中臣能宣朝臣
1709 渚松と云ふ事を詠侍ける
老いにける 渚松の 深綠 沉める影を 餘所にやは見る
源順
1710 山水を掬びて詠侍ける
足引の 山下水に 影見れば 眉白妙に 我老にけり
能因法師
1711 尼に成りぬと聞きける人に、裝束遣はすとて
慣見てし 花袂を 打返し 法衣を 裁ちぞ替へつる
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1712 后に立賜ひける時、冷泉院后宮御額を奉賜りけるを、出家時、返し奉賜ふとて
其上の 玉蘰を 打返し 今は衣の 裏を賴まむ
東三條院 藤原詮子
1713 返し
盡きもせぬ 光間にも 紛莫で 老いて歸れる 髮由緣無さ
冷泉院太皇太后宮
1714 上東門院出家後、黃金裝束したる沈數珠、銀箱に入れて、梅枝に付けて奉られける
變るらむ 衣色を 思遣る 淚や裏の 玉に紛はむ
枇杷皇太后宮 藤原妍子
1715 返し
紛ふらむ 衣玉に 淚つつ 猶未覺めぬ 心地こそすれ
上東門院 藤原彰子
1716 題知らず
潮間に 四方浦浦 尋ぬれど 今は我身の 言ふ甲斐も無し
和泉式部
1717 屏風繪に、鹽竈浦描きて侍けるを
古の 海人や煙と 成りぬらむ 人目も見えぬ 鹽竈浦
一條院皇后宮 藤原定子
1718 少將高光、横河に登りて落餝侍にけるを聞かせ賜ひて遣はしける
都より 雲八重立つ 奧山の 橫川水は 住吉かるらむ
天曆御歌 村上帝
1719 御返し
百敷の 內のみ常に 戀しくて 雲八重立つ 山は住憂し
如覺 藤原高光
1720 世を背きて、小野と云ふ所に住侍ける頃、業平朝臣の、雪甚高降積みたるを搔別けて詣來て、「夢かとぞ思ふ思ひきや。」と詠侍けるに
夢かとも 何か思はむ 憂世をば 背かざりけむ 程ぞ悔しき
惟喬親王
1721 都外に住侍ける頃、久しう訪れざりける人に遣はしける 【○西本院寺本齋宮女御集未詳。】
雲居飛ぶ 雁音近き 住居にも 猶玉章は 掛けずや有けむ
齋宮女御 徽子女王
1722 亭子院下居賜はむとしける秋、詠侍ける
白露は 置きて替れど 百敷の 移ふ秋は 物ぞ悲しき
伊勢
1723 殿上離侍りて詠侍ける
天風 吹飯浦に 居る鶴の 何どか雲居に 歸らざるべき
藤原清正
1724 二條院、菩提樹院に御座しまして後春、昔を思出て、大納言經信參りて侍ける又日、女房の申遣はしける
古の 慣れし雲居を 偲ぶとや 霞を分けて 君尋ねけむ
佚名
1725 最勝四天王院障子に、大淀描たる所
大淀の 浦に苅干す 海松布だに 霞に絕えて 歸雁がね
藤原定家朝臣
1726 最慶法師、『千載集』書きて奉りける包紙に、「墨を磨り、筆を染めつつ、年經れど、書顯はせる、言葉ぞ無き。」と書付けて侍ける御返し
濱千鳥 踏置く跡の 積りなば 甲斐有る浦に 逢はざらめやは
後白河院御歌
1727 上東門院、高陽院に御座しましけるに、行幸侍りて、堰入れたる瀧を御覧じて
瀧瀨に 人心を 見る事は 昔に今も 變らざりけり
後朱雀院御歌
1728 權中納言通俊、『後拾遺』撰侍ける頃、「先片端も懷かしく。」等申て侍ければ、「申合せてこそ。」とて、未清書きもせぬ本を遣はして侍けるを見て、返し遣はすとて
淺からぬ 心ぞ見ゆる 音羽川 堰入れし水の 流れならねど
周防內侍 平仲子
1729 歌奉れと仰せられければ、忠岑が等書集めて奉りける奧に書付けける
言葉の 中を泣く泣く 尋ぬれば 昔人に 相見つる哉
壬生忠見
1730 遊女之心を詠侍ける
獨寢の 今宵も明けぬ 誰としも 賴まばこそは 來ぬも恨みめ
藤原為忠朝臣
1731 大江舉周、初めて殿上許されて、草深き庭に下りて拜しけるを見侍て
草分けて 立居る袖の 嬉しさに 絕えず淚の 露ぞ零るる
赤染衛門
1732 秋頃、患ひける、怠たりて、度度訪ひにける人に遣はしける
嬉しさは 忘れやはする 忍草 しのぶる物を 秋夕暮
伊勢大輔
1733 返し
秋風の 音為ざりせば 白露の 軒忍に 掛からましやは
大納言 源經信
1734 或所に通侍けるを、朝光大將見交して、夜一夜物語して歸りて、又日
忍草 如何なる露か 置きつらむ 今朝は根も皆 現れにけり
右大將 藤原濟時
1735 返し
淺茅生を 尋ねざり為ば 忍草 思置きけむ 露を見ましや
左大將 藤原朝光
1736 患ひける人の、如是申侍ける
長らへむ 年も思はぬ 露身の 流石に消えむ 事をこそ思へ
佚名
1737 返し
露身の 消えば我こそ 先立ため 後れむ物か 森下草
小馬命婦
1738 題知らず
命だに 有らば見つべき 身果てを 偲ばむ人の 無きぞ悲しき
和泉式部
1739 例為らぬ事侍けるに、知れりける聖の、訪ひに詣來て侍ければ
定無き 昔語を 數ふれば 我身も數に 入りぬべき哉
大僧正行尊
1740 五十首歌奉りし時
世中の 晴行く空に 降霜の 憂身ぞ 置所無き
前大僧正慈圓
1741 例為らぬ事侍けるに、無動寺にて詠侍ける
賴來し 我が古寺の 苔下に 何時しか朽ちむ 名こそ惜しけれ
前大僧正慈圓
1742 題知らず
繰返し 我身之咎を 求むれば 君も無き世に 迴る也けり
大僧正行尊
1743 【○承前。無題。】
憂しと言ひて 世を頓に 背かねば 物思知らぬ 身とや成りなむ
清原元輔
1744 【○承前。無題。】
背けども 天下をし 離れねば 何方にも降る 淚也けり
佚名
1745 延喜御時、女藏人內匠、白馬節會見けるに、車より紅衣を出したりけるを、檢非違使糾さむとしければ、言遣はしける
大空に 照日色を 戒めても 天下には 誰か住むべき
如是言ひければ、糾さず也にけり。
女藏人內匠
1746 例為らで太秦に籠りて侍けるに、心細く覺えければ
如是しつつ 夕雲と 成りもせば 哀懸けても 誰か偲ばむ
周防內侍 平仲子
1747 題知らず
思はねど 事を背かむと 云ふ人の 同數にや 我も成るらむ
前大僧正慈圓
1748 【○承前。無題。】
數為らぬ 身をも心の 持顏に 浮かれては又 歸來にけり
西行法師 佐藤義清
1749 【○承前。無題。】
愚なる 心引に 任せても 然て然は如何に 終思は
西行法師 佐藤義清
1750 【○承前。無題。】
年月を 如何で我身に 送りけむ 昨日人も 今日は亡き世に
西行法師 佐藤義清
1751 【○承前。無題。】
受難き 人姿に 浮出て 懲りずや誰も 復沉むべき
西行法師 佐藤義清
1752 守覺法親王、五十首歌詠ませ侍けるに
背きても 猶憂き物は 世也けり 身を離れたる 心為らねば
寂蓮法師 藤原定長
1753 述懷之心を詠める
身憂さを 思知らずは 如何為む 厭ひながらも 猶過ぐす哉
寂蓮法師 藤原定長
1754 【○承前。詠述懷之趣。】
何事を 思ふ人ぞと 人問はば 答へぬ前に 袖ぞ濡るべき
前大僧正慈圓
1755 【○承前。詠述懷之趣。】
徒に 過ぎにし事や 嘆かれむ 受難き身の 夕暮空
前大僧正慈圓
1756 【○承前。詠述懷之趣。】
打絕えて 世に經る身には 非ねども 非ぬ筋にも 罪ぞ悲しき
前大僧正慈圓
1757 和歌所にて、述懷之心を
山里に 契し庵や 荒れぬらむ 待たれむとだに 思はざりしを
前大僧正慈圓
1758 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
袖に置く 露をば露と 忍べども 慣行く月や 色を知るらむ
右衛門督 源通具
1759 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
君が代に 逢はずは何を 玉緒の 長くと迄は 惜しまれじ身を
藤原定家朝臣
1760 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
大方の 秋寢覺の 長夜も 君をぞ祈る 身を思ふとて
藤原家隆朝臣
1761 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
和歌浦や 瀛津潮合に 浮出る 憐我身の 寄邊知らせよ
藤原家隆朝臣
1762 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
其山と 契らぬ月も 秋風も 勸むる袖に 露零れつつ
藤原家隆朝臣
1763 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
君が代に 逢へる許の 道は有れど 身をば賴まず 行末空
藤原雅經朝臣
1764 【○承前。於和歌所,詠述懷之趣。】
惜しむとも 淚に月も 心から 慣濡る袖に 秋を恨みて
皇太后宮大夫藤原俊成女
1765 千五百番歌合に
浮沉み 來世はさても 如何にぞと 心に問ひて 答兼ねぬる
攝政太政大臣 藤原良經
1766 題知らず
我ながら 心果てを 知らぬ哉 捨てられぬ世の 又厭はしき
攝政太政大臣 藤原良經
1767 【○承前。無題。】
押返し 物を思ふは 苦しきに 知らず顏にて 世をや過ぎまし
攝政太政大臣 藤原良經
1768 五十首歌詠侍けるに、述懷之心を
長らへて 世に住む甲斐は 無けれども 憂きに替へたる 命也けり
守覺法親王
1769 【○承前。侍五十首歌時,詠述懷之趣。】
世を捨つる 心は猶ぞ 無かりける 憂きを憂しとは 思知れども
權中納言 藤原兼宗
1770 述懷之心を詠侍ける
捨遣らぬ 我身ぞ辛き 然りともと 思心に 道を任せて
左近中將 藤原公衡
1771 題知らず
憂きながら 在れば在る世に 故鄉の 夢を現に 覺まし兼ねても
佚名
1772 【○承前。無題。】
憂きながら 猶惜しまるる 命哉 後世とても 賴無ければ
源師光
1773 【○承前。無題。】
然りともと 賴む心の 行末も 思へば知らぬ 世に任すらむ
賀茂重保
1774 【○承前。無題。】
熟と 思へば安き 世中を 心と嘆く 我身也けり
荒木田長延
1775 入道前關白家、百首歌詠ませ侍けるに
河舟の 上煩ふ 綱手繩 苦しくてのみ 世を渡る哉
刑部卿 藤原賴輔
1776 題知らず
老いらくの 月日は甚 早瀨川 歸らぬ浪に 濡るる袖哉
大僧都覺辨
1777 詠みて侍ける百首歌を、源家長許に見せに遣はしける奧に、書付けて侍ける
搔流す 言葉をだに 沉む莫よ 身こそ如是ても 山川水
藤原行能
1778 身望叶侍らで、社交らひもせで籠居て侍けるに、葵を見て詠める
見れば先 甚淚ぞ 諸葛 如何に契て 掛離れけむ
鴨長明
1779 題知らず
同じくは 在れな古 思出の 無ければとても 偲ばずも無し
源季景
1780 【○承前。無題。】
何方にも 住まれずは唯 住まであらむ 柴庵の 暫なる世に
西行法師 佐藤義清
1781 【○承前。無題。】
月行く 山に心を 送入れて 闇なる跡の 身を如何にせむ
西行法師 佐藤義清
1782 五十首歌中に
思事 何ど問ふ人の 無かるらむ 仰げば空に 月ぞ清けき
前大僧正慈圓
1783 【○承前。五十首歌中。】
如何にして 今迄世には 有曙の 盡きせぬ物を 厭ふ心は
前大僧正慈圓
1784 西行法師、山里より罷出て、「昔出家し侍し其月日に當りて侍る。」と申たりける返事に
憂世出し 月日影の 巡來て 變らぬ道を 又照すらむ
前大僧正慈圓
1784b 大神宮歌合に
大空に 契る思の 年も經ぬ 月日も受けよ 行末空
太上天皇 後鳥羽院
1785 前僧都全真、西國方に侍ける時、遣はしける
人知れず 其方を偲ぶ 心をば 傾く月に 伉へてぞ遣る
承仁法親王
1786 前大僧正慈圓、文にては思程の事も申盡難き由、申遣はして侍ける返事に
陸奧の 言はで偲ぶは えぞ知らぬ 書盡してよ 壺碑
前右大將 源賴朝
1787 世中無常頃
今日迄は 人を歎きて 暮にけり 何時身上に 成らむとすらむ
大江嘉言
1788 題知らず
道芝の 露に爭ふ
我身哉 孰か先は 消えむとすらむ
清慎公 藤原實賴
1789 【○承前。無題。】
何とかや 壁に生ふなる 草名よ 其にも類ふ 我身也けり
皇嘉門院 藤原聖子
1790 【○承前。無題。】
來方を 然ながら夢に 成しつれば 覺むる現の 無きぞ悲しき
權中納言 藤原資實
1791 松木燒けけるを見て
千歲經る 松だに燻ゆる 世中に 今日とも知らで 立てる我哉
性空上人
1792 題知らず
數為らで 世に住江の 澪標 何時を待つとも 無き身也けり
源俊賴朝臣
1793 【○承前。無題。】
憂きながら 久しくぞ世を 過ぎにける 哀や掛けし 住吉松
皇太后宮大夫 藤原俊成
1794 春日社歌合に、松風と云ふ事を
春日山 谷埋木 朽ちぬとも 君に告越せ 峰松風
藤原家隆朝臣
1795 【○承前。於春日社歌合,詠松風。】
何と無く 聞けば淚ぞ 零れぬる 苔袂に 通ふ松風
宜秋門院丹後
1796 草子に、葦手長歌等書きて、奧に 【○齋宮女御集0077。】
皆人の 背果てぬる 世中に 布留社の 身を如何に為む
齋宮女御 徽子女王
1797 臨時祭舞人にて、諸共に侍けるを、共に四位して後、祭日遣はしける
衣手の 山藍水に 影見えし 猶其上の 春ぞ戀しき
藤原實方朝臣
1798 題知らず
古の 山藍衣 無かり為ば 忘らるる身と 成りやしなまし
藤原道信朝臣
1799 後冷泉院御時、大嘗會に、日蔭組紐して、實基朝臣許に遣はすとて、先帝御時思出て、添へて言遣はしける
立ちながら 著てだに見せよ 小忌衣 飽かぬ昔の 忘形見に
賀茂左衛門 加賀左衛門
1800 秋夜聞蛬と云ふ題を、人人に、「詠め。」と仰せられて、大殿籠にける朝に、其歌を御覧じて
秋夜の 曉方の 蟋蟀 人傳ならで 聞か益物を
天曆御歌 村上帝
1801 秋雨を
眺めつつ 我が思事は 日暮に 軒雫の 絕ゆる世も無し
中務卿具平親王
1801b 題知らず
水莖の 中に殘れる 瀧聲 甚しも寒き 秋風哉
大中臣能宣朝臣
1802 【○承前。無題。】
木枯しの 風に紅葉て 人知れず 憂言葉の 積る頃哉
小野小町
1803 述懷百首歌詠みける時、紅葉を
嵐吹く 峰紅葉の 日に添へて 脆く成行く 我が淚哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1804 題知らず
轉寢は 荻吹風に 忪けど 長夢路ぞ 覺むる時無き
崇德院御歌
1805 【○承前。無題。】
竹葉に 風吹弱る 夕暮の 物哀は 秋としも無し
若草宮內卿
1806 【○承前。無題。】
夕暮は 雲景色を 見るからに 眺めじと思ふ 心こそ付け
和泉式部
1807 【○承前。無題。】
暮ぬめり 幾日を如是て 過ぎぬらむ 入相鐘の 熟として
和泉式部
1808 【○承前。無題。】
待たれつる 入相鐘の 音す也 明日もや在らば 聞かむとすらむ
西行法師 佐藤義清
1809 曉心を詠める
曉と 黃楊枕を 枕立てて 聞くも悲しき 鐘音哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1810 百首歌に
曉の 木綿付鳥ぞ 哀なる 長眠を 思ふ枕に
式子內親王
1811 尼に成らむと思立ちけるを、人の止侍ければ
如此許 憂きを忍びて 長らへば 茲より勝る 物もこそ思へ
和泉式部
1812 題知らず
垂乳根の 諫めし物を 徒然と 眺むるをだに 問人も無し
和泉式部
1813 熊野へ參りて、大峰へ入らむとて、年頃養立てて侍ける乳母許に遣はしける
憐とて 育立てし 古は 世を背けとも 思はざりけむ
大僧正行尊
1814 百首歌奉りし時
位山 跡を尋ねて 登れども 子を思ふ道に 猶迷ひぬる
土御門內大臣 源通親
1815 百首歌詠侍けるに、懷舊歌
昔だに 昔と思ひし 垂乳根の 猶戀しきぞ 儚かりける
皇太后宮大夫 藤原俊成
1816 述懷百首歌詠侍けるに
小蟹の 甚掛りける 身程を 思へば夢の 心地こそすれ
源俊賴朝臣
1817 夕暮に蜘蛛絲儚げに巢懸くを、常よりも哀と見て
小蟹の 空に巢懸くも 同事 全き宿にも 幾世かは經む
僧正遍昭
1818 題知らず
光待つ 枝に懸かれる 露命 消果てねとや 春由緣無き
西宮前左大臣 源高明
1819 野分したる朝に、幼人をだに問はざりける人に
荒吹く 吹風は如何にと 宮城野の 小萩が上を 人問へかし
赤染衛門
1820 和泉式部、道貞に忘られて後、程無く敦道親王通ふと聞きて、遣はしける
移はで 暫信太の 森を見よ 返りもぞする 葛裏風
赤染衛門
1821 返し
秋風は 淒く吹くとも 葛葉の 怨顏には 見えじとぞ思ふ
和泉式部
1822 病限に覺侍ける時、定家朝臣、中將轉任の事申とて、民部卿範光許に遣はしける
小笹原 風待つ露の 消遣らず 此一節を 思置哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1823 題知らず
世中を 今はの心 付くからに 過ぎにし方ぞ 甚戀しき
前大僧正慈圓
1824 【○承前。無題。】
世を厭ふ 心深く 成る儘に 過ぐる月日を 打數へつつ
前大僧正慈圓
1825 【○承前。無題。】
一方に 思取りにし 心には 猶背かるる 身を如何に為む
前大僧正慈圓
1826 【○承前。無題。】
何故に 此世を深く 厭ふぞと 人問へかし 易答へむ
前大僧正慈圓
1827 【○承前。無題。】
思ふべき 我が後世は 有るか無きか 無ければこそは 此世には住め
前大僧正慈圓
1828 【○承前。無題。】
世を厭ふ 名をだにも然は 留置きて 數為らぬ身の 思出に為む
西行法師 佐藤義清
1829 【○承前。無題。】
身憂さを 思知らでや 止みなまし 背習の 無き世也為ば
西行法師 佐藤義清
1830 【○承前。無題。】
如何すべき 世に有らばやは 世をも捨てて 甚切憂世やと 更に思はむ
西行法師 佐藤義清
1831 【○承前。無題。】
何事に 留る心の 有りければ 更にしも又 世厭はしき
西行法師 佐藤義清
1832 【○承前。無題。】
昔より 離難きは 憂世 互に偲ぶ 仲為らねども
入道前關白太政大臣 藤原兼實
1833 嘆事侍ける頃、大峰に籠るとて、「同行共も、片邊は京へ歸りね。」等申て詠侍ける
思出て 若しも尋ぬる 人も有らば 在りと莫言ひそ 定無き世に
大僧正行尊
1834 題知らず
數為らぬ 身を何故に 恨みけむ 兔ても角ても 過ぐしける世を
大僧正行尊
1835 百首歌奉りしに
何時か我 深山里の 寂しきに 主と成りて 人に訪はれむ
前大僧正慈圓
1836 題知らず
憂身には 山田晚稻 押入めて 世を只管に 恨侘びぬる
源俊賴朝臣
1837 年頃修行之心有りけるを、捨難き事侍りて過ぎけるに、親等亡くなりて、心安く思立ちける頃、障子に書付侍ける
賤男の 朝な朝なに 樵集むる 暫程も 在難の世や
山田法師
1838 題知らず
數為らぬ 身は無き物に 成し果てつ 誰が為にかは 世をも恨みむ
寂蓮法師 藤原定長
1839 【○承前。無題。】
賴有りて 今行末を 待人や 過ぐる月日を 嘆かざるらむ
法橋行遍
1840 守覺法親王、五十首歌詠ませ侍けるに
長らへて 生けるを如何に 叱かまし 憂身程を 餘所に思はば
源師光
1841 題知らず
憂世をば 出る日每に 厭へども 何時かは月の 入方を見む
八條院高倉
1842 【○承前。無題。】
情有りし 昔のみ猶 偲ばれて 長らへ申き 世にも經る哉
西行法師 佐藤義清
1843 【○承前。無題。百人一首0084。】
長らへば 又此頃や 偲ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は戀しき
若得長壽者 他日復憶此憂世 可將念懷否 往昔苦痛回首顧 是否反致人戀惜
藤原清輔朝臣
1844 寂蓮法師、人人薦めて百首歌詠ませ侍けるに、辭侍て、熊野に詣ける道にて、夢に、「何事も衰行けど、此道こそ世末に變らぬ物は有れ、猶此歌詠むべき由。」別當湛快、三位俊成に申と見侍て、驚きながら、此歌を急詠出して遣はしける奧に書付侍ける
末世も 此情のみ 變らずと 見し夢無くは 餘所に聞かまし
西行法師 佐藤義清
1845 千載集撰侍ける時、古人人之歌を見て
行末は 我をも偲ぶ 人や有らむ 昔を思ふ 心習に
皇太后宮大夫 藤原俊成
1846 崇德院に百首歌奉りける、無常歌
世中を 思連ねて 眺むれば 虛空に 消ゆる白雲
皇太后宮大夫 藤原俊成
1847 百首歌に
暮るる間も 待つべき世かは 化野の 末葉露に 嵐立つ也
式子內親王
1848 津國に御座して、汀蘆を見賜ひて
津國の 長らふべくも 非ぬ哉 短蘆の 世にこそ有けれ
華山院御歌
1849 題知らず
風速み 荻葉每に 置露の 後先立つ 程儚さ
中務卿 具平親王
1850 【○承前。無題。】
秋風に 靡く淺茅の 末每に 置く白露の 憐世中
蟬丸
1851 【○承前。無題。和漢朗詠0752。】
世中は 兔ても角ても 同事 宮も藁屋も 果てし無ければ
蟬丸