新古今和歌集 卷十七 雜歌中
1588 朱鳥五年九月、紀伊國に行幸時 【○萬葉集0034。】
白浪の 濱松枝の 手向草 幾世迄にか 年經ぬらむ
白浪寄濱邊 濱松之枝嚴且麗 以之為手向 獻神貢兮迄幾代 經年累月歷千秋
河島皇子
1589 題知らず 【○萬葉集1730。】
山城の 岩田小野の 柞原 見つつや君が 山道越ゆらむ
山科石田之 小野楢林柞原矣 吾人送君離 遠觀栵原眺望間 沒入將越彼山道
式部卿 藤原宇合
1590 【○承前。無題。】
蘆屋の 灘鹽燒き 暇無み 黃楊小櫛も 插さず來にけり
在原業平朝臣
1591 【○承前。無題。】
晴るる夜の 星か川邊の 螢哉 我が住む方の 海人焚火か
在原業平朝臣
1592 【○承前。無題。萬葉集1246。】
志賀海人の 鹽燒く煙 風を疾み 立ちは登らで 山に棚引く
志賀白水郎 燒鹽之際所成煙 以風疾且勁 不直湧上通天去 棚引山間久繚繞
佚名
1593 【○承前。無題。】
難波女の 衣干すとて 苅りて焚く 蘆火之煙 立たぬ日ぞ無き
紀貫之
1594 長柄橋を詠侍ける
年經れば 朽ちこそ增され 橋柱 昔ながらの 名だに變らで
壬生忠岑
1595 【○承前。侍詠長柄橋。】
春日の 長柄濱に 舟泊めて 孰か橋と 問へど答へぬ
惠慶法師
1596 【○承前。侍詠長柄橋。】
朽ちにける 長柄橋を 來て見れば 蘆之枯葉に 秋風ぞ吹く
後德大寺左大臣 藤原實定
1597 題知らず
瀛風 夜半に吹くらし 難波潟 曉懸けて 浪ぞ寄すなる
權中納言 藤原定賴
1598 春、須磨方に罷りて詠める
須磨浦の 凪たる朝は 目も遙に 霞に紛ふ 海人釣舟
藤原孝善
1599 天曆御時、屏風歌
秋風の 關吹越ゆる 旅每に 聲打添ふる 須磨浦浪
壬生忠見
1600 五十首歌詠みて奉りしに
須磨關 夢を通さぬ 波音を 思ひも寄らで 宿を借りける
前大僧正慈圓
1601 和歌所歌合に、關路秋風と云ふ事を
人住まぬ 不破關屋の 板廂 荒れにし後は 唯秋風
攝政太政大臣 藤原良經
1602 明石浦を詠める
海人小舟 苫吹返す 浦風に 獨明石の 月をこそ見れ
源俊賴朝臣
1603 眺望之心を詠める
和歌浦を 松葉越しに 眺むれば 梢に寄する 海人釣舟
寂蓮法師 藤原定長
1604 千五百番歌合に
水江の 吉野宮は 神古て 齡長けたる 浦松風
正三位 藤原季能
1605 海邊之心を
今更に 住憂しとても 如何為む 攤鹽燒の 夕暮空
藤原秀能
1991 題知らず 【○拾遺集1169。】
幾世經し 磯邊松ぞ 昔より 立寄る浪の 數は知るらむ
紀貫之
1606 女齋王に具して下侍て、大淀浦に禊し侍とて 【○齋宮女御集0078。】
大淀の 浦に立浪 歸らずは 松變らぬ 色を見ましや
齋宮女御 徽子女王
1607 大貳三位、里に出侍にけるを聞召して
待人は 心行くとも 住吉の 里にとのみは 思はざらなむ
後冷泉院御歌
1608 御返し
住吉の 松は待つとも 思ほえで 君が千歲の 蔭ぞ戀しき
大貳三位 藤原賢子
1609 教長卿、名所歌詠ませ侍けるに
打寄する 浪聲にて 著き哉 吹上濱の 秋初風
祝部成仲
1610 百首歌奉りし時、海邊歌
瀛風 夜寒に成れや 田子浦の 海人藻鹽火 焚增さるらむ
越前
1611 海邊霞と言へる心を詠侍し
見渡せば 霞中も 翳みけり 煙棚引く 鹽竈浦
藤原家隆朝臣
1612 大神宮に奉りける百首歌中に、若菜を詠める
今日とてや 磯菜摘むらむ 伊勢島や 一志浦の 海人乙女子
皇太后宮大夫 藤原俊成
1613 伊勢に罷りける時、詠める
鈴鹿山 憂世を餘所に 振捨てて 如何に成行く 我身為るらむ
西行法師 佐藤義清
1614 題知らず
世中を 心高くも 厭ふ哉 富士煙を 身之思火にて
前大僧正慈圓
1615 東方へ修行侍けるに、富士山を詠める
風に靡く 富士煙の 空に消えて 行方も知らぬ 我が思哉
西行法師 佐藤義清
1616 五月晦日に、富士山雪白く降れるを見て、詠侍ける
時知らぬ 山は富士嶺 何時とてか 鹿子斑に 雪降るらむ
在原業平朝臣
1617 題知らず
春秋も 知らぬ常磐の 山里は 住人さへや 面變りせぬ
在原元方
1618 五十首歌奉りし時
花為らで 唯柴戶を 指して思ふ 心奧も 御吉野山
前大僧正慈圓
1619 題知らず
吉野山 軈て出じと 思ふ身を 花散りなばと 人や待つらむ
西行法師 佐藤義清
1620 【○承前。無題。】
厭ひても 猶厭はしき 世也けり 吉野奧の 秋夕暮
藤原家衡朝臣
1621 千五百番歌合に
一筋に 慣れなば然ても 杉庵に 夜な夜な變る 風音哉
右衛門督 源通具
1622 守覺法親王、五十首歌詠ませ侍けるに、閑居之心を詠める
誰かはと 思覺えても 松にのみ 訪れて行く 風は恨めし
藤原有家朝臣
1623 鳥羽にて歌合侍しに、山家嵐と云ふ事を
山里は 世憂きよりは 住侘びぬ 殊外為る 峰嵐に
宜秋門院丹後
1624 百首歌奉りしに
瀧音 松嵐も 慣れぬれば 打寢る程の 夢は見せけり
藤原家隆朝臣
1625 題知らず
事繁き 世を遁れにし 深山邊に 嵐風も 心して吹け
寂然法師
1626 少將高光、横河に罷りて落餝侍にけるに、法服遣はすとて
奧山の 苔衣に 較べ見よ 孰れか露の 置勝さるとも
權大納言 藤原師氏
1627 返し
白露の 朝夕に 奧山の 苔衣は 風も障らず
如覺 藤原高光
1628 能宣朝臣、大原野に詣でて侍けるに、山里の甚竒しきに、住むべくも非ぬ樣なる人の侍ければ、「何處渡りより住むぞ?」等問侍ければ
世中を 背きにとては 來しかども 猶憂事は 大原里
佚名
1629 返し
身をばかつ 小鹽山と 思ひつつ 如何に定めて 人入りけむ
大中臣能宣朝臣
1630 深山に住侍ける聖許に尋罷りたりけるに、庵戶を閉ぢて、人も侍らざりければ、歸るとて書付けける
苔庵 指して來つれど 君坐さで 歸る深山の 道露けさ
惠慶法師
1631 聖、後に見て、返し
荒果てて 風も障らぬ 苔庵に 我は無くとも 露は漏りけむ
聖
1632 題知らず
山深く 然こそ心は 通ふとも 住まで哀を 知らむ物かは
西行法師 佐藤義清
1633 【○承前。無題。】
山陰に 住ぬ心は 如何為れや 惜しまれて入る 月も在る世に
西行法師 佐藤義清
1634 山家送年と言へる心を詠侍ける
立出て 爪木折來し 片岡の 深山路と 成りにける哉
寂蓮法師 藤原定長
1635 住吉歌合に、山を
奧山の 棘下も 踏別けて 道有る世ぞと 人に知らせむ
太上天皇 後鳥羽帝
1636 百首歌奉りし時
長らへて 猶君が代を 松山の 待つとせし間に 年ぞ經にける
二條院讚岐
1637 山家松と云ふ事を
今はとて 爪木樵るべき 宿松 千代をば君と 猶祈る哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1638 春日歌合に、松風と言へる事を
我ながら 思ふか物を と許に 袖に時雨るる 庭松風
藤原有家朝臣
1639 山寺に侍けるころ
世を背く 所とか聞く 奧山は 物思ひにぞ 入るべかりける
道命法師
1640 少將井尼、大原より出たりと聞きて遣はしける
世を背く 方は何方に 在りぬべし 大原山は 住良かりきや
和泉式部
1641 返し
思事 大原山の 炭竈は 甚嘆きの 數をこそ積め
少將井尼
1642 題知らず
誰住みて 哀知るらむ 山里の 雨降荒む 夕暮空
西行法師 佐藤義清
1643 【○承前。無題。】
枝折せで 猶山深く 分入らむ 憂事聞かぬ 所有やと
西行法師 佐藤義清
1644 【○承前。無題。】
髻首折る 三輪繁山 搔別けて 憐とぞ思ふ 枝立てる門
殷富門院大輔
1645 法輪寺に住侍けるに、人詣來て、暮ぬとて急侍ければ
何時と無き 小倉山の 蔭を見て 暮ぬと人の 急ぐなる哉
道命法師
1646 後白河院、栖霞寺に御座しましけるに、駒牽引分使にて參りけるに
嵯峨山 千代古道 跡訪めて 復露別くる 望月駒
藤原定家朝臣
1647 歎く事侍ける頃
佐保川の 流久しき 身為れども 憂瀨に逢ひて 沉みぬる哉
知足院入道前關白太政大臣 藤原忠實
1648 冬頃、大將離れて歎く事侍ける、明年、右大臣に成りて奏侍ける
斯かる瀨も 在ける物を 宇治川の 絕えぬ許も 嘆きける哉
東三條入道前攝政太政大臣 藤原兼家
1649 御返し
昔より 絕えせぬ川の 末為れば 淀む許を 何嘆くらむ
圓融院御歌
1650 題知らず 【○萬葉集0264。】
文武百官の 八十宇治川の 網代木に 猶豫浪の 行方知らずも
百官八十氏 八十宇治川之間 游移網代木 躊躇猶豫滯波者 不知行方將何去
人丸 柿本人麻呂
1651 布引瀧見に罷りて
我が世をば 今日か明日かと 待つ峽の 淚瀧と 孰高けむ
中納言 在原行平
1652 京極前太政大臣、布引瀧見に罷りて侍けるに
水上の 空に見ゆるは 白雲の 立つに紛へる 布引瀧
二條關白內大臣 藤原師通
1653 最勝四天王院障子に、布引瀧描きたる所
久方の 天乙女が 夏衣 雲居に晒す 布引瀧
藤原有家朝臣
1654 天河原を過ぐとて
昔聞く 天川原を 尋來て 跡無き水を 眺む許ぞ
攝政太政大臣 藤原良經
1655 題知らず
天川 通ふ浮木に 言問はむ 紅葉橋は 散るや散らずや
藤原實方朝臣
1656 堀河院御時、百首歌奉りけるに
槙板も 苔生す許 成りにけり 幾世經ぬらむ 瀨田長橋
前中納言 大江匡房
1657 天曆御時、屏風に國國所名を書かせさせ給けるに、飛鳥川
定無き 名には立てれど 飛鳥川 早渡りし 瀨にこそ有けれ
中務
1658 題知らず
山里に 獨眺めて 思ふ哉 世に住む人の 心強さを
前大僧正慈圓
1659 【○承前。無題。】
山里に 憂世厭はむ 友欲得 悔しく過ぎし 昔語らむ
西行法師 佐藤義清
1660 【○承前。無題。】
山里は 人來させじと 思はねど 訪はるる事ぞ 疎く成行く
西行法師 佐藤義清
1661 【○承前。無題。】
草庵を 厭ひても又 如何為む 露命の 斯かる限は
前大僧正慈圓
1662 都を出て久しく修行し侍けるに、問ふべき人問はず侍ければ、熊野より遣はしける
偶然に 何どかは人の 問はざらむ 音無川に 住む身也とも
大僧正行尊
1663 相知れりける人の、熊野に籠侍けるに遣はしける
世を背く 山南の 松風に 苔衣や 夜寒為るらむ
安法法師 源趁
1664 西行法師、百首歌薦めて詠ませ侍けるに
何時か我 苔袂に 露置きて 知らぬ山路の 月を見るべき
藤原家隆朝臣
1665 百首歌奉りしに、山家之心を
今は我 松柱の 杉庵に 閉づべき物を 苔深き袖
式子內親王
1666 【○承前。奉百首歌,詠山家之趣。】
樒摘む 山路露に 濡れにけり 曉起きの 墨染袖
太皇太后宮小侍從
1667 【○承前。奉百首歌,詠山家之趣。】
忘れじの 人だに訪はぬ 山路哉 櫻は雪に 降變れども
攝政太政大臣 藤原良經
1668 五十首歌奉りし時
影宿す 露のみ茂く 成果てて 草に窶るる 故鄉月
藤原雅經
1669 俊惠法師身罷りて後、年頃遣はしける薪等、弟子供許に遣はすとて
煙絕えて 燒く人も無き 炭竈の 跡嘆きを 誰か樵るらむ
賀茂重保
1670 老後、津國なる山寺に罷籠れりけるに、寂蓮、尋罷りて侍けるに、庵樣、住荒して哀に見え侍けるを、歸りて後に、訪ひて侍ければ
八十餘り 西迎へを 待兼ねて 住荒したる 柴庵ぞ
西日法師
1671 山家歌數多詠侍けるに
山里に 訪來る人の 言種は 此住居こそ 羨しけれ
前大僧正慈圓
1672 後白河院隱れさせ賜て後、百首歌に
斧柄の 朽ちし昔は 遠けれど 在しにも非ぬ 世をも經る哉
式子內親王
1673 述懷百首歌詠侍けるに
如何にせむ 賤が薗生の 奧竹 搔籠るとも 世中ぞかし
皇太后宮大夫 藤原俊成
1674 老後、昔を思出侍りて
明暮れは 昔をのみぞ 忍草 葉末露に 袖濡らしつつ
祝部成仲
1675 題知らず
岡邊の 里主を 尋ぬれば 人は答へず 山颪風
前大僧正慈圓
1676 【○承前。無題。】
古畑の 岨立木に 居る鳩の 友喚ぶ聲の 淒き夕暮
西行法師 佐藤義清
1677 【○承前。無題。】
山賤の 片岡掛けて 占むる野の 境に立てる 玉緒柳
西行法師 佐藤義清
1678 【○承前。無題。】
凡野を 幾一群に 分無して 更に昔を 偲返さむ
西行法師 佐藤義清
1679 【○承前。無題。】
昔見し 庭小松に 年古りて 嵐音を 梢にぞ聞く
西行法師 佐藤義清
1680 三井寺燒けて後、住侍ける房を思遣りて詠める
住慣れし 我が故鄉は 此頃や 淺茅原に 鶉鳴くらむ
大僧正行尊
1681 百首歌詠侍けるに
故鄉は 淺茅末に 成果てて 月に殘れる 人面影
攝政太政大臣 藤原良經
1682 【○承前。侍詠百首歌。】
茲や見し 昔住みけむ 跡ならむ 蓬が露に 月懸かれる
西行法師 佐藤義清
1683 人許に罷りて、此彼松蔭に下居て遊けるに
陰にとて 立隱るれば 唐衣 濡れぬ雨降る 松聲哉
紀貫之
1684 西院邊に早う相知れりける人を尋侍けるに、菫摘みける女、知らぬ由申ければ、詠侍ける
石上 古りにし人を 尋ぬれば 荒たる宿に 菫摘みけり
能因法師
1685 主無き宿を
古を 思遣りてぞ 戀渡る 荒たる宿の 苔石橋
惠慶法師
1686 守覺法親王、五十首歌詠ませ侍けるに、閑居之心を
偶然に 訪はれし人も 昔にて 其より庭の 跡は絕えにき
藤原定家朝臣
1687 物へ罷りける道に、山人數多逢へりけるを見て
嘆木樵る 身は山ながら 過ぐせかし 憂世中に 何歸るらむ
赤染衛門
1688 題知らず 【○萬葉集2294。】
秋去れば 狩人越ゆる 龍田山 立ちても居ても 物をしぞ思ふ
每逢秋臨時 狩人攀爬所登越 秋稼龍田山 坐立不安心忐忑 常沉物憂懷思愁
人丸 柿本人麻呂
1689 【○承前。無題。】
朝倉や 木之丸殿に 我居れば 名告をしつつ 行くは誰子ぞ
筑前朝倉兮 橘廣庭宮木丸殿 時逢朕居者 一一報名告其諱 所行戍人誰子歟
天智天皇御歌