新古今和歌集 卷十六 雜歌上
1436 入道前關白太政大臣家に百首歌詠ませ侍けるに、立春之心を
年暮し 淚之冰柱 解けにけり 苔袖にも 春や立つらむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1437 土御門內大臣家に、山家殘雪と云ふ心を詠侍けるに
山影や 然らでは庭に 跡も無し 春ぞ來にける 雪斑消え
藤原有家朝臣
1438 圓融院位去賜ひて後、船岡に子日し給ひけるに參りて、朝に奉りける
哀也 昔人を 思ふには 昨日野邊に 御幸せましや
一條左大臣 源雅信
1439 御返し
引換へて 野邊景色は 見えしかど 昔を戀ふる 松は無かりき
圓融院御歌
1440 月明侍ける夜、袖濡れたりけるを
春來れば 袖冰も 解けにけり 漏來る月の 宿る許に
大僧正行尊
1441 鶯を
谷深み 春光の 遲ければ 雪に包める 鶯聲
菅贈太政大臣 菅原道真
1442 梅
降雪に 色惑はせる 梅花 鶯のみや 分きて偲ばむ
菅贈太政大臣 菅原道真
1443 枇杷左大臣の大臣に成りて侍ける喜申とて、梅を折りて
遲早 遂に咲きぬる 梅花 誰が植置きし 種にか有るらむ
貞信公 藤原忠平
1444 延長頃ほひ、五位藏人に侍けるを離侍て、朱雀院、承平八年又歸成りて、明年睦月に、御遊侍ける日、梅花を折りて詠侍ける
百敷に 變らぬ物は 梅花 折りて髻首せる 匂也けり
源公忠朝臣
1445 梅花を見賜ひて 【○和漢朗詠0101。】
色香をば 思ひも入れず 梅花 常為らぬ世に 餘所へてぞ見る
華山院御歌
1446 上東門院、世を背賜ひにける春、庭之紅梅を見侍て
梅花 何匂ふらむ 見る人の 色をも香をも 忘れぬる世に
大貳三位 藤原賢子
1447 東三條院、 女御に御座しける時、圓融院常に渡賜けるを聞侍りて、靫負命婦許に遣はしける
春霞 棚引渡る 折りにこそ 懸かる山邊の 甲斐も有けれ
東三條入道前攝政太政大臣 藤原兼家
1448 御返し
紫の 雲にも非で 春霞 棚引山の 甲斐は何ぞも
圓融院御歌
1449 柳を
道邊の 朽木柳 春來れば 憐昔と 偲ばれぞする
菅贈太政大臣 菅原道真
1450 題知らず
昔見し 春は昔の 春ながら 我が身一つの 非ずも有哉
清原深養父
1451 堀河院に御座しましける頃、閑院左大將家の櫻を折らせに遣はすとて
垣越しに 見る徒人の 家櫻 花散許 行きて折らばや
圓融院御歌
1452 御返し
折りに來と 思やすらむ 花櫻 在し行幸の 春を戀つつ
左大將 藤原朝光
1453 高陽院にて、花散るを見て詠侍ける
萬代を 經るに甲斐有る 宿為れば 御雪と見えて 花ぞ散りける
肥後
1454 返し
枝每の 末迄匂ふ 花為れば 散るも御雪と 見ゆる為るらむ
二條關白內大臣 藤原師通
1455 近衛司にて年久しく成りて後、殿上人、大內花見に罷れりけるに詠める
春を經て 行幸に慣るる 花蔭 古行く身をも 哀とや思ふ
藤原定家朝臣
1456 最勝寺櫻は鞠懸かりにて久しく成りにしを、其木年古りて風に倒れたる由聞侍しかば、殿上人に仰せて、異木を其跡に移植させし時、先罷りて見侍ければ、數多年年、暮にし春迄立成れにける事等思出て、詠侍ける
慣慣て 見しは名殘の 春ぞとも 何ど白川の 花之下蔭
藤原雅經朝臣
1457 建久六年、東大寺供養に行幸之時、興福寺八重櫻盛成りけるを見て、枝に結付けて侍ける
故鄉と 思莫果てそ 花櫻 斯かる行幸に 逢事有けり
佚名
1458 籠居て侍ける頃、後德大寺左大臣、白河花見に誘侍ければ、罷りて詠侍ける
去來や復 月日行くも 知らぬ身は 花春とも 今日こそは見れ
源師光
1459 敦道親王の供に、前大納言公任白河家に罷りて、又日、親王の遣はしける使に付けて申侍ける
折人の 其なるからに 味氣無く 見し我宿の 花香ぞする
和泉式部
1460 題知らず
見ても又 又も見まくの 欲かりし 花盛りは 過ぎやしぬらむ
藤原高光
1461 京極前太政大臣家に、白河院、御幸し賜ふて、又日、花歌奉られけるに詠侍ける
老いにける 白髮も花も 諸共に 今日御幸に 雪と見えけり
堀河左大臣 源俊房
1462 後冷泉院御時、御前にて、翫新成櫻花と言へる心を、殿上人仕奉けるに
櫻花 折りて見しにも 變らぬに 散らぬ許ぞ 印也ける
大納言 藤原忠家
1463 【○承前。後冷泉院御時,殿上人仕奉御前,詠翫新成櫻花之趣。】
然も有らばあれ 暮行く春も 雲上に 散る事知らぬ 花し匂はば
大納言 源經信
1464 無風散花と云ふ事を詠める
櫻花 過行く春の 友とてや 風音せぬ 夜にも散るらむ
大納言 藤原忠教
1465 鳥羽殿にて、花散方為るを御覧じて、後三條內大臣に賜はせける
惜しめども 常為らぬ世の 花為れば 今は此身を 西に求めむ
鳥羽院御歌
1466 世を遁れて後、百首歌詠侍けるに、花歌とて
今は我 吉野山の 花をこそ 宿物とも 見るべかりけれ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1467 入道前關白太政大臣家歌合に
春來れば 猶此世こそ 偲ばるれ 何時かは掛かる 花を見るべき
皇太后宮大夫 藤原俊成
1468 同家百首歌に
照月も 雲餘所にぞ 行迴る 花ぞ此世の 光也ける
皇太后宮大夫 藤原俊成
1469 春頃、大乘院より人に遣はしける
見せばやな 志賀唐崎 麓為る 長柄山の 春景色を
前大僧正慈圓
1470 題知らず
柴戶に 匂はむ花は 然も有らば有れ 眺めてけりな 恨めしの身や
前大僧正慈圓
1471 【○承前。無題。】
世中を 思へば並て 散華の 我身を然ても 何方かもせむ
西行法師 佐藤義清
1472 東山に花見に罷侍とて、此彼誘ひけるを、差逢ふ事有りて留りて、申遣はしける
身は留めつ 心は送る 山櫻 風便に 思遣せよ
安法法師 源趁
1473 題知らず
櫻麻の 苧生浦浪 立歸り 見れども飽かず 山梨之花
源俊賴朝臣
1474 橘為仲朝臣、陸奧に侍ける時、歌數多遣はしける中に
白浪の 越ゆらむ末の 松山は 花とや見ゆる 春夜月
加賀左衛門
1475 【○承前。橘為仲朝臣侍陸奧時,遣歌數多之中。】
覺束無 霞立つらむ 武隈の 松隈漏る 春夜月
加賀左衛門
1476 題知らず
世を厭ふ 吉野奧の 喚子鳥 深心の 程や知るらむ
法印幸清
1477 百首歌奉りし時
折りに逢へば 茲も流石に 哀也 小田蛙の 夕暮聲
前大納言 藤原忠良
1478 千五百番歌合に
春雨の 遍御代を 賴む哉 霜に枯行く 草葉漏らす莫
藤原有家朝臣
1479 崇德院にて、林下春雨と云ふ事を仕奉ける
天皇の 目高蔭に 隱れても 春雨猶/ruby>に 濡れむとぞ思ふ
八條前太政大臣 藤原實行
1480 圓融院、位去賜ひて後、實方朝臣、小馬命婦と物語し侍ける所に、山吹花を屏風上より投越し賜ひて侍ければ
八重ながら 色も變らぬ 山吹の 何ど九重に 咲かず也にし
藤原實方朝臣
1481 御返し
九重に 非で八重咲く 山吹の 言はぬ色をば 知人も無し
圓融院御歌
1482 五十首歌奉りし時
己が浪に 同末葉ぞ 萎れぬる 藤咲く田子の 怨めしの身や
前大僧正慈圓
1483 世を遁れて後、四月一日、上東門院、太皇太后宮と申ける時、更衣御裝束奉るとて
唐衣 花袂に 脫替へよ 我こそ春の 色は斷ちつれ
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1484 御返し
唐衣 立變りぬる 春夜に 如何でか花の 色を見るべき
上東門院 藤原彰子
1485 四月、祭日迄花散殘りて侍ける年、其花を使少將の髻首に給ふ葉に書付侍ける
神世には 在もやしけむ 櫻花 今日髻首に 折れる例は
紫式部
1486 齋の昔を思出て
時鳥 其神山の 旅枕 仄語らひし 空ぞ忘れぬ
式子內親王
1487 左衛門督家通、中將に侍ける時、祭使にて、神館に泊りて侍ける曉、齋院女房中より遣はしける 【○齋宮齋院百人一首0082。】
立出る 名殘有明の 月影に 甚語らふ 郭公哉
晨曦將起身 離情依依浸餘韻 有明月影下 難忍惜別鳴不斷 愴然發語郭公哉
佚名
1488 返し
幾千代と 限らぬ君が 御代為れど 猶惜しまるる 今朝曙
左衛門督 藤原家通
1489 三條院御時、五月五日、菖蒲根を郭公姿に作りて、梅枝に据ゑて、人奉りて侍けるを、「茲を題にて歌仕奉れ。」と仰せられければ
梅枝に 折違へたる 郭公 聲之文目も 誰か判くべき
三條院女藏人左近 小大君
1490 五月許、物へ罷りける道に、甚白梔子花咲けりけるを、「彼は何花ぞ?」と人に問侍けれど、申さざりければ
打渡す 遠方人に 言問へど 答へぬからに 知るき花哉
小辨
1491 五月雨空晴て、月明く侍けるに
五月雨の 空だに澄める 月影に 淚雨は 晴るる間も無し
赤染衛門
1492 述懷百首歌中に、五月雨
五月雨は 真屋軒端の 雨注ぎ 餘りなる迄 濡るる袖哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
1493 題知らず
獨寢る 宿之常夏 朝な朝な 淚露に 濡れぬ日ぞ無き
華山院御歌
1494 贈皇后宮に添ひて春宮に侍ける時、少將義孝久しく參らざりけるに、撫子花に付けて遣はしける
擬へつつ 見れど露だに 慰まず 如何にかすべき 撫子花
惠子女王
1495 月明く侍ける夜、人の螢を裹みて遣はしたりければ、雨降りけるに申遣はしける
思有らば 今宵之空は 訪ひてまし 見えしや月の 光也けむ
和泉式部
1496 題知らず
思有れば 露は袂に 紛ふとも 秋始を 誰に問はまし
七條院大納言
1497 后宮より、內に扇奉賜ひけるに
袖浦の 浪吹歸す 秋風に 雲上迄 涼しからなむ
中務
1498 業平朝臣に裝束遣はして侍けるに
秋や來る 露や紛ふと 思ふ迄 有るは淚の 降るにぞ有ける
紀有常朝臣
1499 早くより童友達に侍ける人の、年頃經て行逢ひたる、髣髴にて、七月十日頃、月に競ひて歸侍ければ 【○百人一首0057。】
巡逢ひて 見しや其とも 判かぬ間に 雲隱れにし 夜半月影
邂逅巡相逢 未得細察觀其形 已然遁無蹤 倏忽雲隱難辨明 洽猶夜半月影矣
紫式部
1500 東宮と申ける時、少納言藤原統理、年頃慣仕奉けるを、世を背きぬべき樣に思立ちける景色を御覧じて
月影の 山端分けて 隱れなば 背く憂世を 我や眺めむ
三條院御歌
1501 題知らず
山端を 出難にする 月待つと 寢夜甚く 更けにける哉
藤原為時
1502 參議正光、朧月夜に、忍びて人許に罷れりけるを、見顯はして、遣はしける
浮雲は 立隱せども 隙漏りて 空行く月の 見えもする哉
伊勢大輔
1503 返し
浮雲に 隱れてとこそ 思ひしか 嫉くも月の 隙漏りにける
參議 藤原正光
1504 三井寺に罷りて、日頃過ぎて、歸らむとしけるに、人人名殘惜しみて詠侍ける
月を何ど 待たれのみすと 思ひけむ 實に山端は 出憂かりけり
刑部卿 藤原範兼
1505 山里に籠居て侍けるを、人訪ひて侍ければ
思出る 人も嵐の 山端に 獨ぞ入りし 有明月
法印靜賢
1506 八月十五夜、和歌所にて殿上人、歌仕奉侍しに
和歌浦に 家風こそ 無けれども く色は 月に見えけり
民部卿 藤原範光
1507 和歌所歌合に、湖上月明と云ふ事を
徹夜 浦漕ぐ舟は 跡も無し 月ぞ殘れる 志賀唐崎
宜秋門院丹後
1508 題知らず
山端に 思も要らじ 世中は 兔ても角ても 有明月
藤原盛方朝臣
1509 永治元年、讓位近く成りて、徹夜月を見て詠侍ける
忘れじよ 忘る莫とだに 言ひてまし 雲居月の 心有りせば
皇太后宮大夫 藤原俊成
1510 崇德院に百首歌奉りけるに
如何にして 袖に光の 宿るらむ 雲居月は 隔ててし身を
皇太后宮大夫 藤原俊成
1511 文治頃ほひ、百首歌詠侍けるに、懷舊歌とて詠める
心には 忘るる時も 無かりけり 三代之昔の 雲上月
左近中將 藤原公衡
1512 百首歌奉りし、秋歌
昔見し 雲居を巡る 秋月 今幾年か 袖に宿さむ
二條院讚岐
1513 月前述懷と言へる心を詠める
憂身世に 長らへば復 思出よ 袂に契る 有明月
藤原經通朝臣
1514 石山に詣侍りて、月を見て詠侍ける
都にも 人や待つらむ 石山の 峰に殘れる 秋夜月
藤原長能
1515 題知らず
淡路にて 淡と遙かに 見し月の 近き今宵は 所がら哉
凡河內躬恒
1516 月明かりける夜、相語らひける人の、「此頃月は見るや?」と言へりければ詠める
徒に 寢ては明せと 諸共に 君が來ぬ夜の 月は見ざりき
源道濟
1517 夜更來る迄寢られず侍ければ、月出るを眺めて
天原 遙かに獨 眺むれば 袂に月の 出でにける哉
增基法師
1518 能宣朝臣、大和國待乳山近く住みける女許に、夜更けて罷りて、逢はざりけるをうらみ侍ければ
賴來めこし 人を待乳の 山風に 小夜更けしかば 月も入りにき
佚名
1519 百首歌奉りし時
月見ばと 言ひし許の 人は來で 槙戶叩く 庭松風
攝政太政大臣 藤原良經
1520 五十首歌奉りしに、山家月之心を
山里に 月は見るやと 人は來ず 空行く風ぞ 木葉をも訪ふ
前大僧正慈圓
1521 攝政太政大臣、大將に侍し時、月歌五十首詠ませ侍けるに
有明の 月之行方を 眺めてぞ 野寺之鐘は 聞くべかりける
前大僧正慈圓
1522 同家歌合に、山月之心を詠める
山端を 出ても松の 木間より 心盡しの 有明月
藤原業清
1523 和歌所歌合に、深山曉月と云ふ事を
徹夜 獨深山の 槙葉に 曇るも澄める 有明月
鴨長明
1524 熊野に詣侍し時、奉りし歌中に
奧山の 木葉落つる 秋風に 絕絕峰の 雲ぞ殘れる
藤原秀能
1525 【○承前。詣侍熊野時所奉歌中。】
月澄めば 四方浮雲 空に消えて 深山隱れに 行く嵐哉
藤原秀能
1526 山家之心を詠侍ける
眺侘びぬ 柴編戶の 明方に 山端近く 殘る月影
猷圓法師
1527 題知らず
曉の 月見むとしも 思はねど 見し人故に 眺められつつ
華山院御歌
1528 【○承前。無題。】
有明の 月許こそ 通ひけれ 來人無しの 宿庭にも
伊勢大輔
1529 【○承前。無題。】
住慣れし 人影も為ぬ 我宿に 有明月の 幾夜とも無く
和泉式部
1530 家にて、月照水と言へる心を人人詠侍けるに
住む人も 有るか無きかの 宿為らし 蘆間月の 漏るに任せて
大納言 源經信
1531 秋暮に、病に沉みて、世よを遁れにける、又年秋、九月十餘日、月隈無く侍けるに詠侍ける
思ひきや 別れし秋に 巡逢ひて 又も此世の 月を見むとは
皇太后宮大夫 藤原俊成
1532 題知らず
月を見て 心浮かれし 古の 秋にも更に 巡逢ひぬる
西行法師 佐藤義清
1533 【○承前。無題。】
徹夜 月こそ袖に 宿りけれ 昔秋を 思出れば
西行法師 佐藤義清
1534 【○承前。無題。】
月色に 心を清く 染めましや 都を出ぬ 我身也せば
西行法師 佐藤義清
1535 【○承前。無題。】
捨つと為らば 憂世を厭ふ 兆有らむ 我が身は曇れ 秋夜月
西行法師 佐藤義清
1536 【○承前。無題。】
老けにける 我が世影を 思ふ間に 遙かに月の 傾きにける
西行法師 佐藤義清
1537 【○承前。無題。】
眺めして 過ぎにし方を 思ふ間に 峰より峰に 月は移りぬ
入道親王覺性
1538 【○承前。無題。】
秋夜の 月に心を 慰めて 憂世に年の 積りぬる哉
藤原道經
1539 五十首歌召ししに
秋を經て 月を眺むる 身と成れり 五十闇を 何嘆くらむ
前大僧正慈圓
1540 百首歌奉りしに
眺めても 六十秋は 過ぎにけり 思へば悲し 山端月
藤原隆信朝臣
1541 題知らず
心有る 人之御秋の 月を見ば 何を憂身の 思出にせむ
源光行
1542 千五百番歌合に
身憂さを 月や非ぬと 眺むれば 昔ながらの 影ぞ漏來る
二條院讚岐
1543 世を背きなむと思立ちける頃、月を見て詠める
有明の 月より外に 誰をかは 山路之友と 契置くべき
寂超法師
1544 山里にて、月之夜都を思ふと言へる心を詠侍ける
都なる 荒れたる宿に 虛しくや 月に尋ぬる 人歸るらむ
大江嘉言
1545 長月有明頃、山里より式子內親王に送れりける
思遣れ 何を偲ぶと 無けれども 都覺ゆる 有明月
惟明親王
1546 返し
有明の 同眺めは 君も問へ 都外も 秋山里
式子內親王
1547 春日社歌合に、曉月之心を
天戶を 押開方の 雲間より 神代之月の 影ぞ殘れる
攝政太政大臣 藤原良經
1548 【○承前。於春日社歌合,詠曉月之趣。】
雲をのみ 辛き物とて 明す夜の 月よ梢に 遠方山
右大將 藤原忠經
1549 【○承前。於春日社歌合,詠曉月之趣。】
入りやらで 夜を惜しむ月の 休らひに 仄仄明る 山端ぞ憂き
藤原保季朝臣
1550 月明夜、定家朝臣に逢ひて侍けるに、「歌道に志深き事は何時許事にか?」と尋侍ければ、若く侍し時、西行に久しく逢伴ひて聞習侍し由申して、其上申しし事等語侍て、歸りて朝に遣はしける
竒くぞ 歸途は月の 曇りにし 昔語に 夜や更けにけむ
法橋行遍
1551 故鄉月を
故鄉の 宿守る月に 言問はむ 我をば知るや 昔住みきと
寂超法師
1552 遍照寺にて月を見て
集きけむ 昔人は 影絕えて 宿守る物は 有明月
平忠盛朝臣
1553 相知りて侍ける人許に罷りたりけるに、其人は他に住みて、甚荒れたる宿に月差入りて侍ければ
八重葎 茂れる宿は 人も無し 班に月の 影ぞ住みける
前中納言 大江匡房
1554 題知らず
鷗居る 藤江浦の 瀛洲に 夜舟猶豫ふ 月清けさ
神祇伯 源顯仲
1555 【○承前。無題。】
難波潟 潮干に漁る 蘆田鶴も 月傾けば 聲恨むる
俊惠法師
1556 和歌所歌合に、海邊月と云ふ事を
和歌浦に 月出潮の 指す儘に 夜鳴く鶴の 聲ぞ悲しき
前大僧正慈圓
1557 【○承前。於和歌所歌合,詠海邊月。】
藻鹽汲む 袖月影 自から 餘所に明さぬ 須磨浦人
藤原定家朝臣
1558 【○承前。於和歌所歌合,詠海邊月。】
明石潟 色無き人の 袖を見よ 漫ろに月も 宿る物かは
藤原秀能
1559 熊野に詣侍し序に、切目宿にて、海邊眺望と言へる心を、殿上人仕奉しに
眺めよと 思はでしもや 歸るらむ 月待つ浪の 海人釣舟
源具親
1560 八十に多餘りて後、百首歌召ししに、詠みて奉りし
占置きて 今やと思ふ 秋山の 蓬許に 松蟲鳴く
皇太后宮大夫 藤原俊成
1561 千五百番歌合に
荒渡る 秋庭こそ 哀為れ 況して消えなむ 露夕暮
皇太后宮大夫 藤原俊成
1562 題知らず
雲懸かる 遠山畑の 秋去れば 思遣るだに 悲しき物を
西行法師 佐藤義清
1563 五十首歌人人に詠ませ侍けるに、述懷之心を詠侍ける
風戰ぐ 篠小笹の 假世を 思ふ寢覺に 露ぞ零るる
守覺法親王
1564 寄風懷舊と云ふ事を
淺茅生や 袖に朽ちにし 秋霜 忘れぬ夢を 吹嵐哉
左衛門督 源通光
1565 【○承前。詠寄風懷舊。】
葛葉に 恨みに返る 夢世を 忘形見の 野邊秋風
皇太后宮大夫藤原俊成女
1566 題知らず
白露は 置きに蓋しな 宮城野の 本荒小萩 末撓む迄
祝部允仲
1567 法成寺入道前太政大臣、女郎花を折おりて、歌うたを詠よむべき由侍よしはべりければ
女郎花をみなへし 盛色さかりのいろを 見みるからに 露別つゆのわきける 身みこそ知しらるれ
紫式部
1568 返かへし
白露しらつゆは 分わきても置をかじ 女郎花をみなへし 心こころからにや 色染いろのそむらむ
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1569 題知だいしらず
山里やまざとに 葛這懸くずはひかかる 松垣まつがきの 隙無ひまなく物ものは 秋あきぞ悲かなしき
曾禰好忠
1570 秋暮あきのくれに、身老みのおいぬる事ことを嘆なげきて詠侍よみはべりける
百年ももとせの 秋嵐あきのあらしは 過すぐし來きぬ 孰暮いづれのくれの 露つゆと消きえなむ
安法法師 源趁
1571 賴綱朝臣よりつなのあそん、攝津國羽束つのくにのはつかと云いふ所ところに侍はべりける時とき、遣つかはしける
秋果あきはつる 羽束山はつかのやまの 寂さびしきに 有明月ありあけのつきを 誰たれと見みるらむ
前中納言 大江匡房
1572 九月許ながつきばかりに、薄すすきを崇德院すとくのゐんに奉たてまつるとて詠よめる
花薄はなすすき 秋末葉あきのすゑばに 成なりぬれば 事ことぞとも無なく 露つゆぞ零こぼるる
大藏卿 源行宗
1573 山里やまざとに住侍すみはべりける頃ころ、嵐激あらしはげしき朝あした、前中納言顯長さきのちゅうなごんあきながが許もとに遣つかはしける
夜半よはに吹ふく 嵐あらしに付つけて 思哉おもふかな 都みやこも如是かくや 秋あきは寂さびしき
後德大寺左大臣 藤原實定
1574 返かへし
世中よのなかに 飽果あきはてぬれば 都みやこにも 今いまは嵐あらしの 音おとのみぞする
前中納言 藤原顯長
1575 清涼殿庭せいりゃうでんのにはに植賜うゑたまへりける菊きくを、位去賜くらゐさりたまひて後のち、思召出おぼしめしいでて
移うつろふは 心外こころのほかの 秋為あきなれば 今いまは餘所よそにぞ 菊上露きくのうへのつゆ
冷泉院御歌
1576 長月頃ながつきのころ、野宮ののみやに前栽植せんざいうゑけるに
賴たのもしな 野宮人ののみやびとの 植ううる花はな 時雨しぐるる月つきに 堪あへず為なるとも
源順
1577 題知だいしらず
山川やまがはの 岩行いはゆく水みづも 冰こほりして 獨碎ひとりくだくる 峰之松風みねのまつかぜ
佚名讀人知らず
1578 百首歌奉ひゃくしゅのうたたてまつりし時とき
朝每あさごとに 汀冰みぎはのこほり 踏別ふみわけて 君きみに仕つかふる 道みちぞ畏かしこき
土御門內大臣 源通親
1579 最勝四天王院障子さいしょうしてんわうゐんのしゃうじに、阿武隈川描あぶくまがはかきたる所ところ
君きみが代よに 阿武隈川あぶくまがはの 埋木むもれぎも 冰下こほりのしたに 春はるを待まちけり
藤原家隆朝臣
1580 元輔もとすけが昔住侍むかしすみはべりける家傍いへのかたはらに、清少納言せいせうなごんが住すみける頃ころ、雪忌降ゆきのいみじくふりて、隔へだての垣かきも倒たふれて侍はべりければ、遣つかはしける
跡あとも無なく 雪降ゆきふる里さとは 荒あれにけり 孰昔いづれむかしの 垣根為かきねなるらむ
赤染衛門
1581 御惱重おほむなやみおもく成ならせ賜たまひて、雪朝ゆきのあしたに
露命つゆのいのち 消きえなましかば 如此許かくばかり 降ふるしらゆき白雪を 眺ながめましやは
後白河院御歌
1582 雪ゆきに寄よせて述懷之心じゅつくわいのこころを詠よめる
杣山そまやまや 梢こずゑに重おもる 雪折ゆきをれに 絕たえぬ嘆なげきの 身みを碎くだくらむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1583 佛名之朝ぶつみゃうのあしたに削花けづりはなを御覧ごらむじて
時過ときすぎて 霜しもに消きえにし 花為はななれど 今日けふは昔むかしの 心地ここちこそすれ
朱雀院御歌
1584 花山院下居賜かざんのゐんおりゐたまひて又年またのとし、御佛名おぶつみゃうに、削花けづりはなに付つけて申侍まうしはべりける
程ほども無なく 覺さめぬる夢ゆめの 中為なかなれど 其世そのよに似にたる 花色哉はなのいろかな
前大納言 藤原公任
1585 返かへし
見みし夢ゆめを 孰世いづれのよぞと 思おもふ間まに 折おりを忘わすれぬ 花悲はなのかなしさ
御形宣旨
1586 題知だいしらず
老おいぬとも 又またも逢あはむと 行年ゆくとしに 淚玉なみだのたまを 手向たむけつる哉かな
皇太后宮大夫 藤原俊成
1587 【○承前。無題。】
大方おほかたに 過すぐる月日つきひと 眺ながめしは 我身わがみに年としの 積つもる也なりけり
慈覺大師