新古今和歌集 卷十五 戀歌五
1336 水無瀨戀十五首歌合に
白妙の 袖別に 露落ちて 身に沁む色の 秋風ぞ吹く
藤原定家朝臣
1337 【○承前。水無瀨戀十五首歌合中。】
思入る 身は深草の 秋露 賴めし末や 木枯風
藤原家隆朝臣
1338 【○承前。水無瀨戀十五首歌合中。】
野邊露は 色も無くてや 零れつる 袖より過ぐる 荻上風
前大僧正慈圓
1339 題知らず
戀侘びて 野邊露とは 消えぬとも 誰か草葉を 哀とは見む
左近中將 藤原公衡
1340 【○承前。無題。】
問へかしな 尾花が許の 思草 萎るる野邊の 露は如何にと
右衛門督 源通具
1341 家に戀十首歌詠侍ける時
夜間にも 消ゆべき物を 露霜の 如何に忍べと 賴置くらむ
權中納言 藤原俊忠
1342 題知らず
徒也と 思ひしかども 君よりは 物忘れせぬ 袖之上露
藤原道信朝臣
1343 【○承前。無題。】
同じくは 我身も露と 消えななむ 消えなば辛き 言葉も見じ
藤原元真
1344 賴めて侍ける女の、後に返事をだにせず侍ければ、彼男に代りて
今來むと 云ふ言葉も 枯行くに 夜な夜な露の 何に置くらむ
和泉式部
1345 賴めたる事、跡無く成侍にける女の、久しく在りて、問ひて侍ける返事に
徒言の 葉に置露の 消えにしを 在る物とてや 人問ふらむ
藤原長能
1346 藤原惟成に遣はしける
打延へて 寐やは寢らるる 宮城野の 小萩が下葉 色に出しより
佚名
1347 返し
萩葉や 露景色も 打付けに 元より變る 心有る物を
藤原惟成
1348 題知らず
徹夜 消返りつる 我身哉 淚露に 纏ほれつつ
華山院御歌
1349 久しく參らぬ人に
君が為ぬ 我が手枕は 草為れや 淚露の 夜な夜なぞ置く
光孝天皇御歌
1350 御返し
露許 置くらむ袖は 賴まれず 淚川の 瀧瀨為れば
佚名
1351 陸奧國安達に侍ける女に、九月許に遣はしける
思遣る 餘所叢雲 時雨つつ 安達原に 紅葉しぬらむ
源重之
1352 思事侍ける秋夕暮、獨眺めて詠侍ける
身に近く 來にける物を 色變る 秋をば餘所に 思ひしかども
六條右大臣源顯房室
1353 題知らず
色變る 萩下葉を 見ても先づ 人心の 秋ぞ知らるる
相模
1354 【○承前。無題。】
稻妻は 照らさぬ宵も 無かりけり 何方髣髴に 見えし陽炎
相模
1355 【○承前。無題。】
人知れぬ 寢覺淚 降滿ちて 然も時雨つる 夜半空哉
謙德公 藤原伊尹
1356 【○承前。無題。】
淚のみ 浮出る海人の 釣竿の 長徹夜 戀つつぞ寢る
光孝天皇御歌
1357 【○承前。無題。】
枕のみ 浮くと思ひし 淚川 今は我身の 沉む也けり
坂上是則
1358 【○承前。無題。】
思ほえず 袖に湊の 騷哉 唐土舟の 寄りし許に
佚名
1359 【○承前。無題。萬葉集2608。】
妹が袖 別れし日より 白妙の 衣片敷き 戀つつぞ寢る
吾妹衣袖矣 自於相別之日起 白妙敷栲兮 吾人片敷其裳而 戀慕伊人孤寢之
佚名
1360 【○承前。無題。】
逢事の 浪下草 水隱れて 靜心無く 音こそ泣かるれ
佚名
1361 【○承前。無題。】
浦に焚く 藻鹽煙 靡かめや 四方より 風は吹くとも
佚名
1362 【○承前。無題。】
忘るらむと 思心の 疑ひに 在しより異に 物ぞ悲しき
佚名
1363 【○承前。無題。】
憂きながら 人をば得しも 忘れねば 且恨みつつ 猶ぞ戀しき
佚名
1364 【○承前。無題。】
命をば 徒なる物と 聞きしかど 辛きが為は 長くも有哉
佚名
1365 【○承前。無題。】
何方に 行隱れなむ 世中に 身有ればこそ 人も辛けれ
佚名
1366 【○承前。無題。】
今迄に 忘れぬ人は 世にも有らじ 己樣樣 年經ぬれば
佚名
1367 【○承前。無題。】
玉水を 手に掬びても 試みむ 溫るくは石の 中も賴まじ
佚名
1368 【○承前。無題。】
山城の 井手玉水 手に汲みて 賴みし甲斐も 無き世也けり
佚名
1369 【○承前。無題。萬葉集3032。】
君が邊 見つつを居らむ 生駒山 雲莫隱しそ 雨は降るとも
相思情難耐 吾願常時望汝許 大和生駒山 還願叢雲莫蔽之 縱然雨零亦如是
佚名
1370 【○承前。無題。】
中空に 立居る雲の 跡も無く 身儚くも 成りぬべき哉
佚名
1371 【○承前。無題。】
雲居る 遠山鳥の 餘所にても 在とし聞けば 侘つつぞ寢る
佚名
1372 【○承前。無題。】
晝は來て 夜は別るる 山鳥の 影見ぬ時ぞ 音は泣かれける
佚名
1373 【○承前。無題。】
我も然 泣きてぞ人に 戀られし 今こそ餘所に 聲をのみ聞け
佚名
1374 【○承前。無題。萬葉集0502。】
夏野行く 牡鹿角の 束間も 忘れず思へ 妹が心を
行往夏野之 小壯鹿角之所如 新角方生短 縱石火光轉瞬間 豈有須臾忘妹心
人丸 柿本人麻呂
1375 【○承前。無題。萬葉集1994。】
夏草の 露別衣 著も為ぬに 何ど我袖の 乾く時無き
排分夏草之 闢路道別露霑衣 分明不著而 何以吾袖衣手者 常時漬濡無乾時
人丸 柿本人麻呂
1376 【○承前。無題。】
禊する 楢小川の 川風に 祈ぞ渡る 下に絕えじと
八代女王
1377 【○承前。無題。】
恨みつつ 寢夜の袖の 乾かぬは 枕下に 潮や滿つらむ
清原深養父
1378 中納言家持に遣はしける 【○萬葉集0617。】
蘆邊より 滿來る潮の 彌増に 思ふか君を 忘兼ねつる
其猶自蘆邊 滿來潮汐之所如 慕情彌日增 所念吾君情不止 刻骨銘心誠難忘
山口女王
1379 【○承前。遣贈中納言家持。】
鹽竈の 前に浮きたる 浮島の 浮きて思の 在る世也けり
山口女王
1380 題知らず
如何に寢て 見えし為るらむ 轉寢の 夢より後は 物をこそ思へ
赤染衛門
1381 【○承前。無題。】
打解けて 寢ぬ物故に 夢を見て ものおもひまさる 比にも有哉
參議 小野篁
1382 【○承前。無題。】
春夜の 夢に在つと 見えつれば 思絕えにし 人ぞ待たるる
伊勢
1383 【○承前。無題。】
春夜の 夢印は 辛くとも 見し許だに 有らば賴まむ
盛明親王
1384 【○承前。無題。齋宮女御集0092。】
寢夢に 現の憂さも 忘られて 思慰さむ 程ぞ儚き
齋宮女御 徽子女王
1385 春夜、女許に罷りて、朝に遣はしける
如此許 寢で明しつる 春夜に 如何に見えつる 夢にか有るらむ
大中臣能宣朝臣
1386 題知らず
淚川 身も憂きぬべき 寢覺哉 儚夢の 名殘許に
寂蓮法師 藤原定長
1387 百首歌奉りしに
逢ふと見て 事ぞとも無く 明けぬ也 儚夢の 忘形見や
藤原家隆朝臣
1388 題知らず
床近し 甚切囂夜半の 蟋蟀 夢にも人の 見えもこそすれ
藤原基俊
1389 千五百番歌合に
哀也 轉寢にのみ 見し夢の 長思に 纏ほれなむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1390 題知らず
搔遣し 其黑髮の 筋每に 打伏す程は 面影ぞ立つ
藤原定家朝臣
1391 和歌所歌合に、遇不逢戀之心を
夢かとよ 見し面影も 契しも 忘れずながら 現為らねば
皇太后宮大夫藤原俊成女
1392 戀歌とて
儚くぞ 知らぬ命を 嘆來し 我が豫言の 掛りける世に
式子內親王
1393 【○承前。詠戀歌。】
過ぎにける 世世之契も 忘られて 厭ふ憂身の 果てぞ儚き
辨
1394 崇德院に百首歌奉りける時、戀歌
思侘び 見し面影は 然て置きて 戀せざりけむ 折りぞ戀しき
皇太后宮大夫 藤原俊成
1395 題知らず
流出む 浮名に暫し 淀む哉 求めぬ袖の 淵は在れども
相模
1396 男の久しく訪れざりけるが、「忘れてや?」と申侍ければ、詠める
辛からば 戀しき事は 忘莫で 添へては何どか 靜心無き
馬內侍
1397 昔見ける人、「賀茂祭次第司に出立ちてなむ、罷渡る。」と言ひて侍ければ
君しまれ 道之往來を 定むらむ 過ぎにし人を 且忘れつつ
馬內侍
1398 年頃絕侍にける女の、榑と云ふ物尋ねたりける、遣はすとて
花咲かぬ 朽木杣の 杣人の 如何なる榑に 思出らむ
藤原仲文
1399 久しく音為ぬ人に
自から 然こそは在れと 思ふ間に 誠に人の 訪はず成りぬる
大納言 源經信母
1400 忠盛朝臣、離離に成りて後、如何思ひけむ、「久しく訪れぬ事を恨めしくや?」等言ひて侍ければ、返事に
慣はねば 人訪はぬも 辛からで 悔しきにこそ 袖は濡れけれ
前中納言平教盛母
1401 題知らず
嘆かじな 思へば人に 辛かりし 此世ながらの 報也けり
皇嘉門院尾張
1402 【○承前。無題。】
如何にして 如何に此世に 在經ばか 暫しも物を 思はざるべき
和泉式部
1403 【○承前。無題。】
嬉しくは 忘るる事も 在なまし 辛きぞ長き 形也ける
清原深養父3
1404 【○承前。無題。】
逢事の 形見をだにも 見てしかな 人は絕ゆとも 見つつ偲ばむ
素性法師
1405 【○承前。無題。】
我が身こそ 非ぬかとのみ 辿らるれ 訪ふべき人に 忘られしより
小野小町
1406 【○承前。無題。】
葛城や 久米路に渡す 石橋の 絕えにし仲と 成りや果てなむ
大中臣能宣朝臣
1407 【○承前。無題。】
今はとも 思莫絕えそ 野中為る 水流は 行きて尋ねむ
祭主 大中臣輔親
1408 【○承前。無題。】
思出や 美濃御山の 一つ松 契し事は 何時も忘れず
伊勢
1409 【○承前。無題。】
出て去にし 跡だに今だ 變らぬに 誰が通路と 今は成るらむ
在原業平朝臣
1410 【○承前。無題。】
梅花 香をのみ袖に 留置きて 我が思ふ人は 訪れも為ぬ
在原業平朝臣
1411 齋宮女御に遣はしける 【○齋宮女御集085。】
天原 其處とも知らぬ 大空に 覺束無さを 嘆きつる哉
天曆御歌 村上帝
1412 御返し 【○齋宮女御集008。】
嘆くらむ 心を空に 見てしがな 立つ朝霧に 身をやなさまし
齋宮女御 徽子女王
1413 題知らず
逢はずして 經る頃ほひの 數多有れば 遙けき空に 眺めをぞする
光孝天皇御歌
1414 女の他へ罷るを聞きて
思遣る 心も空に 白雲の 出立つ方を 知らせやは為ぬ
兵部卿致平親王
1415 題知らず
雲居より 遠山鳥の 鳴きて行く 聲髣髴なる 戀もする哉
凡河內躬恒
1416 辨更衣、久しく參らざりけるに、賜はせける
雲居為る 雁だに鳴きて 來秋に 何どかは人の 訪れも為ぬ
延喜御歌 醍醐帝
1417 齋宮女御、春頃參出て、久しう參侍らざりければ 【○齋宮女御集0100。】
春行きて 秋迄とやは 思ひけむ 假には非ず 契し物を
天曆御歌 村上帝
1418 題知らず
初雁の 僅かに聞きし 言傳も 雲路に絕えて 侘ぶる頃哉
西宮前左大臣 源高明
1419 五節頃、內にて見侍ける人に、又年遣はしける
小忌衣 去年許こそ 慣れざらめ 今日日蔭の 懸けてだに問へ
藤原惟成
1420 題知らず
住吉の 戀忘草 種絕えて 無き世に逢へる 我ぞ悲しき
藤原元真
1421 齋宮女御參侍けるに、如何なる事か有りけむ 【○齋宮女御集0026。】
水上の 儚き數も 思ほえず 深心し 底に留れば
天曆御歌 村上帝
1422 久しく成りにける人許に
常世の 盡きぬ嘆きの 絕えざらば 何に命を 替へて忘れむ
謙德公 藤原伊尹
1423 題知らず
心にも 任せざりける 命以て 賴めも居かじ 常為らぬ世を
權中納言 藤原敦忠
1424 【○承前。無題。】
世憂きも 人辛きも 忍ぶるに 戀しきにこそ 思侘びぬれ
藤原元真
1425 忍びて相語ける女の親、聞きて諫侍ければ
數為らば 掛からましやは 世中に 甚悲しきは 倭文苧環
參議 小野篁
1426 題知らず
人為らば 思心を 言ひてまし 縱や然こそは 倭文苧環
藤原惟成
1427 【○承前。無題。萬葉集2952。】
我が齡 衰行けば 白妙の 袖褻にし 君をしぞ思ふ
青春不復再 妾身齡老色衰去 洽猶白栲之 衣袖襤褸自褻馴 總念吾君不願離
佚名
1428 【○承前。無題。萬葉集2954。】
今よりは 逢はじとすれや 白妙の 我が衣手の 乾く時無き
分明從今者 並非永隔無逢由 奈何白栲兮 妾身衣手沾淚濕 終日漬濡無乾時
佚名
1429 【○承前。無題。萬葉集1693。】
玉櫛笥 明けまくしき 恡夜を 衣手離れで 獨かも寢む
珠匣玉櫛笥 常惜天明苦夜短 可恡春宵夜 今遠衣手無可枕 隻身孤寢歎夜長
佚名
1430 【○承前。無題。】
逢事を 覺束無くて 過す哉 草葉露の 置換る迄
佚名
1431 【○承前。無題。萬葉集2247。】
秋田の 穗向けの風の 片寄りに 我は物思ふ 由緣無き物を
禾稼秋田之 稻穗撓靡寄一方 吾欲如穗傾 單戀無報苦憂思 徒然寄心無情人
佚名
1432 【○承前。無題。】
鷂鷹の 野守鏡 得てしがな 思ひ思はず 餘所ながら見む
佚名
1433 【○承前。無題。】
大淀の 松は辛くも 有ら無くに 恨みてのみも 歸る浪哉
佚名
1434 【○承前。無題。】
白浪は 立騷ぐとも 懲ずまの 浦海松布は 苅らむとぞ思ふ
佚名
1435 【○承前。無題。】
指して行く 方は湊の 浪高み 恨みて歸る 海人釣舟
佚名