新古今和歌集 卷十三 戀歌三
1149 中關白通始侍ける頃 【○百人一首0054。】
忘れじの 行末迄は 難ければ 今日を限の 命と欲得
君稱不忘卿 誓情海枯盟石爛 吾知世無常 但願命隕在今宵 得君愛擁死無憾
儀同三司母 高階貴子
1150 忍びたる女を假初なる所に率罷りて、歸りて、朝に遣はしける
限無く 結置きつる 草枕 何時此旅を 思忘れむ
謙德公 藤原伊尹
1151 題知らず
思ふには 忍ぶる事ぞ 負けにける 逢ふにし替へば 然も有らば有れ
在原業平朝臣
1152 人許に罷始めて、朝に遣はしける
昨日迄 逢ふにし替へばと 思しを 今日は命の 惜しくも有哉
廉義公 藤原賴忠
1153 百首歌に
逢事を 今日松枝の 手向草 幾夜萎るる 袖とかは知る
式子內親王
1154 頭中將に侍ける時、五節所の童女に物申始めて後、尋ねて遣はしける
戀しさに 今日ぞ尋ぬる 奧山の 日蔭露に 袖は濡れつつ
源正清朝臣
1155 題知らず
逢ふ迄の 命欲得と 思しは 悔しかりける 我心哉
西行法師 佐藤義清
1156 【○承前。無題。】
人心 薄花染めの 狩衣 然てだに非で 色や變らむ
三條院女藏人左近 小大君
1157 【○承前。無題。】
逢見ても 甲斐無かりけり 烏玉の 儚き夢に 劣る現は
藤原興風
1158 【○承前。無題。】
中中の 物思始めて 寢ぬる夜は 儚き夢も 得やは見えける
藤原實方朝臣
1159 忍びたる人と二人臥して
夢とても 人に語る莫 知ると言へば 手枕為らぬ 枕だに為ず
伊勢
1160 題知らず
枕だに 知らねば言はじ 見し儘に 君語る莫よ 春夜夢
和泉式部
1161 人に物言始めて
忘れても 人に語る莫 轉寢の 夢見て後も 長からじ世を
馬內侍
1162 女に遣はしける
辛かりし 多くの年は 忘られて 一夜夢を 憐とぞ見し
藤原範永朝臣
1163 題知らず
今朝よりは 甚思ひを 焚增して 嘆樵積む 逢坂山
高倉院御歌
1164 初逢戀之心を
蘆屋の 倭文機帶の 片結び 心安くも 打解くる哉
源俊賴朝臣
1165 題知らず
假初に 伏見野邊の 草枕 露掛かりきと 人に語る莫
佚名
1166 人知れず忍びける事を、文等散らすと聞きける人に遣はしける
如何に為む 葛下吹く 秋風に 下葉露の 隱無き身を
相模
1167 題知らず
明難き 二見浦に 歸浪の 袖のみ濡れて 瀛島人
藤原實方朝臣
1168 【○承前。無題。】
逢事の 明けぬ夜ながら 明けぬれば 我こそ歸れ 心やは行く
伊勢
1169 九月十日餘、夜更けて、和泉式部が門を叩かせ侍けるに、聞付けざりければ、朝に遣はしける
秋夜の 有明月の 入る迄に 休兼ねて 歸りにしかな
太宰帥敦道親王
1170 題知らず
心にも 非ぬ我身の 行歸り 道空にて 消えぬべき哉
藤原道信朝臣
1171 近江更衣に賜はせける
儚くも 明けにける哉 朝露の 置きての後ぞ 消增さりける
延喜御歌 醍醐帝
1172 御返し
朝露の 置きつる空も 思ほえず 消歸りつる 心惑に
更衣源周子
1173 題知らず
置添ふる 露や如何なる 露為らむ 今は消えねと 思ふ我身を
圓融院御歌
1174 【○承前。無題。】
思出て 今は消ぬべし 徹夜 起憂かりつる 菊上露
謙德公 藤原伊尹
1175 【○承前。無題。】
烏玉の 夜衣を 立ちながら 歸る物とは 今ぞ知りぬる
清慎公 藤原實賴
1176 夏夜、女許に罷りて侍けるに、人靜まる程、夜甚更けて、逢ひて侍ければ、詠みける
短夜の 殘少なく 吹行けば 豫て物憂き 曉空
藤原清正
1177 皇女に通始めて、朝に遣はしける
明くと言へば 靜心無き 春夜の 夢とや君を 夜のみは見む
大納言 源清蔭
1178 三月頃、徹夜物語して歸侍ける人の、今朝は甚物思はしき由申遣はしたりけるに
今朝はしも 嘆きもすらむ 徒に 春宵と夜 夢をだに見で
和泉式部
1179 題知らず
心から 暫と慎む 物からに 鴫羽搔き 辛き今朝哉
赤染衛門
1180 忍びたる所より歸りて、朝に遣はしける
侘つつも 君が心に 適ふとて 今朝も袂を 干しぞ煩ふ
九條入道右大臣 藤原師輔
1181 小八條御息所に遣はしける
手枕に 貸せる袂の 露けきは 明けぬと告ぐる 淚也けり
亭子院御歌 宇多帝
1182 題知らず
暫待て 未夜は深し 長月の 有明月は 人惑ふ也
藤原惟成
1183 「前栽露置きたるを、何どか見ず也にし。」と申ける女に
起きて見ば 袖のみ濡れて 甚しく 草葉玉の 數や增さらむ
藤原實方朝臣
1184 二條院御時、曉欲歸戀と云ふ事を
明けぬれど 未後朝に 成遣らで 人袖をも 濡らしつる哉
二條院讚岐
1185題知らず
面影の 忘らるまじき 別哉 名殘を人の 月に留めて
西行法師 佐藤義清
1186 後朝戀之心を
復も來む 秋を賴むの 雁だにも 鳴きてぞ歸る 春曙
攝政太政大臣 藤原良經
1187 女許に罷りて、心地之例為らず侍ければ、歸りて遣はしける
誰行きて 君に告げまし 道芝の 露諸共に 消えなましかば
賀茂成助
1188 女許に、物をだに言はむとて罷れりけるに、虛しく歸りて朝に
消返り 有るか無きかの 我身哉 恨みて歸る 道芝露
左大將 藤原朝光
1189 三條關白女御、入內之朝に遣はしける
朝朗 置きつる霜の 消返り 暮待つ程の 袖を見せばや
華山院御歌
1190 法性寺入道前關白太政大臣家歌合に
庭に生ふる 夕影草の 下露や 暮を待間の 淚為るらむ
藤原道經
1191 題知らず
待宵に 更行く鐘の 聲聞けば 飽かぬ別の 雞は物かは
太皇太后宮小侍從
1192 【○承前。無題。】
茲も又 長別に 成りや為む 暮を待つべき 命為らねば
藤原知家
1193 【○承前。無題。】
有明は 思出在れや 橫雲の 飄はれつる 東雲之空
西行法師 佐藤義清
1194 【○承前。無題。】
大堰川 井堰の 邂逅に 今日は賴めし 暮にやは非ぬ
清原元輔
1195 今日と契りける人の、「在るか?」と問ひて侍ければ
夕暮に 命懸けたる 蜻蛉の 在りや在らずや 問ふも儚し
佚名
1196 西行法師、人人に百首歌詠ませ侍けるに
味氣無く 辛嵐の 聲も憂し 何ど夕暮に 待習けむ
藤原定家朝臣
1197 戀歌とて
賴めずは 人は待乳の 山也と 寢な益物を 十六夜月
太上天皇 後鳥羽帝
1198 水無瀨にて、戀十五首歌合に、夕戀と言へる心を
何故と 思も入れぬ 夕だに 待出し物を 山端月
攝政太政大臣 藤原良經
1199 寄風戀
聞くや如何に 上空為る 風だにも 松に音する 習有りとは
若草宮內卿
1200 題知らず
人は來で 風景色も 更けぬるに 哀に雁の 訪れて行く
西行法師 佐藤義清
1201 【○承前。無題。】
如何吹く 身に沁む色の 變る哉 賴むる暮の 松風聲
八條院高倉
1202 【○承前。無題。】
賴置く 人も長等の 山にだに 小夜更けぬれば 松風聲
鴨長明
1203 【○承前。無題。】
今來むと 賴めし事を 忘れずは 此夕暮の 月や待つらむ
藤原秀能
1204 待戀と言へる心を
君待つと 閨へも入らぬ 槙戶に 甚莫更けそ 山端月
式子內親王
1205 戀歌とて詠める
賴めぬに 君來やと待つ 宵間の 更行かで唯 明けなましかば
西行法師 佐藤義清
1206 【○承前。詠戀歌。】
歸途の 物とや人の 眺むらむ 待つ夜ながらの 有明月
藤原定家朝臣
1207 題知らず
君來むと 言ひし夜每に 過ぎぬれば 賴まぬ物の 戀つつぞ經る
佚名
1208 【○承前。無題。萬葉集3282。】
衣手に 山颪吹きて 寒夜を 君來坐さずは 獨かも寢む
山嵐隨嶺下 陣陣吹拂衣袖矣 在此寒夜間 無奈吾君待不來 只得隻身孤寢眠
人丸 柿本人麻呂
1209 左大將朝光、久しう訪侍らで、旅為る所に來逢ひて、枕無ければ、草を別びてしたるに
逢事は 茲や限の 旅為らむ 草枕も 霜枯にけり
馬內侍
1210 天曆御時、「間遠に在れや。」と侍ければ 【○齋宮女御集0006。】
慣行くは 憂世為ればや 須磨海人の 鹽燒衣 間遠為るらむ
齋宮女御 徽子女王
1211 逢ひて後、逢難き女に
霧深き 秋野中の 忘水 絕間勝為る 頃にも有哉
坂上是則
1212 三條院、東宮と申ける時、久しく問はせ賜はざりければ
世常の 秋風為らば 荻葉に 戰と許の 音はしてまし
安法法師女
1213 題知らず
足引の 山蔭草 結置きて 戀や渡らむ 逢由を無み
中納言 大伴家持
1214 【○承前。無題。】
東道に 苅る云ふ萱の 亂れつつ 束間も無く 戀や渡らむ
延喜御歌 醍醐帝
1215 【○承前。無題。】
結置きし 袂だに見ぬ 花薄 枯るとも枯れじ 君し解かずは
權中納言 藤原敦忠
1216 百首歌中に
霜上に 今朝降雪の 寒ければ 重ねて人を 辛しとぞ思ふ
源重之
1217 題知らず
獨臥す 荒れたる宿の 床上に 憐幾夜の 寢覺しつらむ
安法法師女
1218 【○承前。無題。】
山城の 淀若菰 苅にきて 袖濡れぬとは 嘆立ざらなむ
源重之
1219 【○承前。無題。】
懸けて思ふ 人も無けれど 夕去れば 面影絕えぬ 玉蘰哉
紀貫之
1220 宮仕しける女を相語侍けるに、止事無き男子の入立ちて言ふ氣色を見て恨みけるを、女抗ひければ、詠侍ける
偽を 糺森の 木綿襷 懸けつつ誓へ 我を思はば
平定文
1221 人に遣はしける
如何許 嬉しからまし 諸共に 戀らるる身も 苦しかり為ば
鳥羽院御歌
1222 片思之心を
我許 辛きを忍ぶ 人や在ると 今世に在らば 思合はせよ
入道前關白太政大臣 藤原兼實
1223 攝政太政大臣家百首歌合に、契戀心を
唯賴め 譬へば人の 偽を 重ねてこそは 又も恨みめ
前大僧正慈圓
1224 女を恨みて、「今は罷らじ。」と申して後、猶忘難く覺えければ、遣はしける
辛しとは 思ふ物から 伏柴の 暫も懲りぬ 心也けり
右衛門督 藤原家通
1225 賴む事侍ける女、患事侍ける、怠たりて、久我內大臣許に遣はしける
賴來し 言葉許 留置きて 淺茅が露と 消えなましかば
佚名
1226 返し
哀にも 誰かは露も 思はまし 消殘るべき 我身為らねば
久我內大臣 源雅通
1227 題知らず
辛きをも 恨みぬ我に 慣らふ莫よ 憂身を知らぬ 人もこそ在れ
小侍從
1228 【○承前。無題。】
何か厭ふ 世も長らへじ 然のみやは 憂きに耐へたる 命為るべき
殷富門院大輔
1229 【○承前。無題。】
戀死なむ 命は猶も 惜哉 同世に在る 甲斐は無けれど
刑部卿 藤原賴輔
1230 【○承前。無題。】
哀とて 人心の 情有れな 數為らぬには 依らぬ嘆きを
西行法師 佐藤義清
1231 【○承前。無題。】
身を知れば 人の咎とは 思はぬに 恨顏にも 濡るる袖哉
西行法師 佐藤義清
1232 女に遣はしける
縱然らば 後世とだに 賴置け 辛さに耐へぬ 身ともこそ為れ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1233 返し
賴置かむ 唯然許を 契にて 憂世中の 夢に作してよ
藤原定家朝臣母