新古今和歌集 卷十一 戀歌一
0990 題知らず
餘所にのみ 見てや止みなむ 葛城や 高間山の 峰白雲
佚名
0991 【○承前。無題。】
音にのみ 有と聞來し 御吉野の 瀧は今日こそ 袖に墮ちけれ
佚名
0992 【○承前。無題。萬葉集2649。】
足引の 山田守る庵に 置く蚊火の 下焦がれつつ 我が戀ふらくは
足曳勢嶮兮 山田戍守翁所置 蚊火之所如 奧底暗燻人不知 吾為此戀焦焚矣
人麿 柿本人麻呂
0993 【○承前。無題。萬葉集1768。】
石上 布留早稻田の 穗には出ず 心中に 戀や渡らむ
石上振神宮 布留之地早稻田 其穗未出而 雖不可見無人曉 戀慕懷衷渡終日
人麿 柿本人麻呂
0994 女に遣はしける
春日野の 若紫の 摺衣 偲亂れ 限知られず
在原業平朝臣
0995 中將更衣に遣はしける
紫の 色に心は 非ねども 深くぞ人を 思初めつる
延喜御歌 醍醐帝
0996 題知らず 【○百人一首0027。】
甕原 分きて流るる 泉川 何時見きとてか 戀しかるらむ
三香瓶甕原 水分泉湧流而下 木津川泉河 究竟何時曾見君 令吾戀慕至於今
中納言 藤原兼輔
0997 平貞文家歌合に
園原や 伏屋に生ふる 帚木の 有とは見えて 逢はぬ君哉
坂上是則
0998 人の文遣はして侍ける返事に添へて、女に遣はしける
年を經て 思心の 徵にぞ 空も便の 風は吹きける
藤原高光
0999 九條右大臣女に、初て遣はしける
年月は 我身に添へて 過ぎぬれど 思心の 行かずも有哉
西宮前左大臣 源高明
1000 返し
諸共に 哀と言はず 人知れぬ 問はず語を 我のみや為む
大納言源俊賢母
1001 天曆御時歌合に
人傳に 知らせてしがな 隱沼の 水籠にのみ 戀や渡らむ
中納言 藤原朝忠
1002 初めて女に遣はしける
水籠の 沼岩垣 裹めども 如何なる隙に 濡袂ぞ
太宰大貳 藤原高遠
1003 如何なる折にか有けむ、女に
唐衣 袖に人目は 裹めども 零るる物は 淚也けり
謙德公 藤原伊尹
1004 左大將朝光、五節舞姫奉りける傅を見て、遣はしける
天空 豐明に 見し人の 猶面影の 強ひて戀しき
前大納言 藤原公任
1005 由緣無く侍ける女に、師走晦に遣はしける
新玉の 年に任せて 見るよりは 我こそ越えめ 逢坂關
謙德公 藤原伊尹
1006 堀河關白、文等遣はして、「里は何處ぞ?」と問侍ければ
我が宿は 其處とも何か 教ふべき 言はでこそ見め 尋ねけりやと
本院侍從
1007 返し
我が思ひ 空煙と 成りぬれば 雲居ながらも 猶尋ねてむ
忠義公 藤原兼通
1008 題知らず
兆無き 煙を雲に 紛へつつ 世を經て富士の 山と燃えなむ
紀貫之
1009 【○承前。無題。】
煙立つ 思火為らねど 人知れず 侘びては富士の 嶺をのみぞ泣く
清原深養父
1010 女に遣はしける
風吹けば 室八島の 夕煙 心空に 立ちにける哉
藤原惟成
1011 文遣はしける女に、同司大將なる人通ふと聞きて、遣はしける
白雲の 峰にしも何ど 通ふらむ 同三笠の 山麓を
藤原義孝
1012 題知らず
今日も復 如是や伊吹の 蓬草 然らば我のみ 燃えや渡らむ
和泉式部
1013 【○承前。無題。】
筑波山 端山繁山 茂けれど 思入るには 障らざりけり
源重之
1014 又通ふ人有りける女許に遣はしける
我為らぬ 人に心を 筑波山 下に通はむ 道だにや無き
大中臣能宣朝臣
1015 初めて女に遣はしける
人知れず 思心は 足引の 山下水の 湧きや返らむ
大江匡衡朝臣
1016 女を物越しに髣髴に見て遣はしける
匂ふらむ 霞中の 櫻花 思遣りても 惜しき春哉
清原元輔
1017 年を經て言渡侍ける女の、流石に氣近くは非ざりけるに、春末方言遣遣はしける
幾返り 咲散華を 眺めつつ 物思暮す 春に逢ふらむ
大中臣能宣朝臣
1018 題知らず
奧山の 峰飛越ゆる 初雁の 僅にだにも 見でや止みなむ
凡河內躬恒
1019 【○承前。無題。】
大空を 渡る春日の 影為れや 餘所にのみして 長閑かるらむ
亭子院御歌 宇多帝
1020 正月、雨降風吹ける日、女に遣はしける
春風の 吹くにも增さる 淚哉 我が水上も 冰解くらし
謙德公 藤原伊尹
1021 度度返事為たぬ女に
水上に 浮きたる鳥の 跡も無く 覺束無さを 思頃哉
謙德公 藤原伊尹
1022 題知らず
片岡の 雪間に根刺す 若草の 髣髴に見てし 人ぞ戀しき
曾禰好忠
1023 返事為ぬ女許に遣はさむとて、人の詠ませ侍ければ、二月許に詠侍ける
跡をだに 草の僅に 見てしかな 結ぶ許の 程為らずとも
和泉式部
1024 題知らず
霜上に 跡踏付くる 濱千鳥 行方も無しと 音をのみぞ鳴く
藤原興風
1025 【○承前。無題。萬葉集1595。】
秋萩の 枝も撓に 置露の 今朝消えぬとも 色に出めや
吾由秋萩之 撓枝置露之所如 虛渺不久長 今朝雖消散無蹤 豈顯於色令人察
中納言 大伴家持
1026 【○承前。無題。】
秋風に 亂れて物は 思へども 萩下葉の 色は變らず
藤原高光
1027 忍草の紅葉したるに付けて、女許に遣はしける
我が戀も 今は色にや 出なまし 軒忍も 紅葉しにけり
花園左大臣 源有仁
1028 和歌所歌合に、久忍戀と云ふ事を
石上 布留神杉 古りぬれど 色には出ず 露も時雨も
攝政太政大臣 藤原良經
1029 北野宮歌合に、忍戀心を
我が戀は 槙下葉に 漏る時雨 濡るとも袖の 色に出めや
太上天皇 後鳥羽帝
1030 百首歌奉りし時、詠める
我が戀は 松を時雨の 染兼ねて 真葛原に 風騷ぐ也
前大僧正慈圓
1031 家に歌合し侍けるに、夏戀心を
空蟬の 鳴音や餘所に 森露 干し堪へぬ袖を 人問ふ迄
攝政太政大臣 藤原良經
1032 【○承前。侍家歌合,詠夏戀心。】
思有れば 袖に螢を 包みても 言はばや物を 問人は無し
寂蓮法師 藤原定長
1033 水無瀨にて、殿上人、久戀と云ふ事を詠侍しに
思つつ 經にける年の 甲斐や無き 唯逢ら益の 夕暮空
太上天皇 後鳥羽帝
1034 百首歌中に忍戀を 【○百人一首0089。】
玉緒よ 絕えなば絕えね 長らへば 忍ぶる事の 弱りもぞする
魂絲玉緒矣 汝若將絕實當絕 吾命亦如斯 若徒長生茍存者 竊慕難忍情將露
式子內親王
1035 【○承前。百首歌中,詠忍戀。】
忘れては 打嘆かるる 夕哉 我のみ知りて 過ぐる月日を
式子內親王
1036 【○承前。百首歌中,詠忍戀。】
我が戀は 知人も無し 堰床の 淚漏らす莫 黃楊小枕
式子內親王
1037 百首歌詠侍ける時、忍戀
忍ぶるに 心隙は 無けれども 猶漏る物は 淚也けり
入道前關白太政大臣 藤原兼實
1038 冷泉院、東宮と申ける時、侍ひける女房を見交して、言渡侍ける頃、手習しける所に罷りて、物に書付侍ける
辛けれど 恨みむと將 思ほえず 猶行く先を 賴む心に
謙德公 藤原伊尹
1039 返し
雨こそは 賴まば漏らめ 賴まずは 思はぬ人と 見てを止みなむ
佚名
1040 題知らず
風吹けば 永久に浪越す 磯為れや 我が衣手の 乾く時無き
紀貫之
1041 【○承前。無題。】
須磨海人の 浪掛け衣 餘所にのみ 聞くは我が身に 成りにける哉
藤原道信朝臣
1042 藥玉を女に遣はすとて、男に代りて
沼每に 袖ぞ濡れぬる 菖蒲草 心に似たる 根を求むとて
三條院女藏人左近
1043 五月五日、馬內侍に遣はしける
時鳥 何時かと待ちし 菖蒲草 今日は如何なる 音にか鳴くべき
前大納言 藤原公任
1044 返し
五月雨は 空溺れする 郭公 時に鳴音は 人も咎めず
馬內侍
1045 兵衛佐に侍ける時、五月許に、餘所ながら物申初めて、遣はしける
郭公 聲をば聞けど 花枝に 未踏慣れぬ 物をこそ思へ
法成寺入道前攝政太政大臣 藤原道長
1046 返し
郭公 忍ぶる物を 柏木の 漏りても聲の 聞えける哉
馬內侍
1047 「時鳥鳴きつるは聞きつや?」と申ける人に
心のみ 空に鳴りつつ 時鳥 人賴めなる 音こそ泣かるれ
馬內侍
1048 題知らず
三熊野の 浦より彼方に 漕舟の 我をば餘所に 隔てつる哉
伊勢
1049 【○承前。無題。百人一首0019。】
難波潟 短蘆の 節間も 逢はで此世を 過ぐしてよとや
浪速難波潟 難波蘆葦節間短 人生促須臾 豈稱未逢過此世 何以心安不念君
伊勢
1050 【○承前。無題。萬葉集3048。】
御狩する 獵場小野の 楢柴の 馴れは增さらで 戀ぞ增される
吾君為御獦 巡狩獵場小野間 楢柴之所如 我倆情誼未更昵 唯吾思慕情更甚
人麿 柿本人麻呂
1051 【○承前。無題。】
有度濱の 疎くのみやは 世をば經む 浪の歸る歸る 逢見てしがな
佚名
1052 【○承前。無題。】
東道の 道果為る 常陸帶の 鉸具と許も 逢はむとぞ思ふ
佚名
1053 【○承前。無題。】
濁江の 澄まむ事こそ 難からめ 如何で髣髴に 影を見せまし
佚名
1054 【○承前。無題。】
時雨降る 冬木葉の 乾かずぞ 物思ふ人の 袖は有ける
佚名
1055 【○承前。無題。】
有とのみ 音に聞きつつ 音羽川 渡らば袖に 影も見えなむ
佚名
1056 【○承前。無題。】
水莖の 岡木葉を 吹返し 誰かは君を 戀むと思ひし
佚名
1057 【○承前。無題。】
我が袖に 跡踏付けよ 濱千鳥 逢事難し 見ても偲ばむ
佚名
1058 女許より歸侍けるに、程も無く雪忌降侍ければ
冬夜の 淚に凍る 我袖の 心解けずも 見ゆる君哉
中納言 藤原兼輔
1059 題知らず
霜冰 心も解けぬ 冬池に 夜更けてぞ鳴く 鴛之一聲
藤原元真
1060 【○承前。無題。】
淚川 身も浮く許 流るれど 消えぬは人の 思也けり
藤原元真
1061 女に遣はしける
如何に為む 久米路橋の 中空に 渡しも果ぬ 身とや成りなむ
藤原實方朝臣
1062 女の、杉實を裹みて遣せて侍ければ
誰ぞ此 三輪檜原も 知ら無くに 心杉の 我を尋ぬる
藤原實方朝臣
1063 題知らず
我が戀は 言はぬ許ぞ 難波為る 蘆篠屋の 下にこそ焚け
小辨
1064 【○承前。無題。】
我が戀は 荒磯海の 風を疾み 頻に寄する 浪間も無し
伊勢
1065 人に遣はしける
須磨浦に 海人樵積む 藻鹽木の 辛くも下に 燃渡る哉
藤原清正
1066 題知らず
在る甲斐も 渚に寄する 白浪の 間無く物思ふ 我が身也けり
源景明
1067 【○承前。無題。】
足引の 山下激つ 岩波の 心碎けて 人ぞ戀しき
紀貫之
1068 【○承前。無題。】
足引の 山下茂き 夏草の 深くも君を 思頃哉
紀貫之
1069 【○承前。無題。】
牡鹿伏す 夏野草の 道を無み 繁戀路に 惑頃哉
坂上是則
1070 【○承前。無題。】
蚊遣火の 小夜更方の 下焦れ 苦しや我が身 人知れずのみ
曾禰好忠
1071 【○承前。無題。百人一首0046。】
由良門を 渡る舟人 梶緒絕え 行方も知らぬ 戀路哉
由良川海門 渡子舟人梶緒絕 無術漂泛海 吾人情路亦如是 何去何從無所寄
曾禰好忠
1072 鳥羽院御時、殿上人、寄風戀と云ふ心を詠侍けるに
追風に 八重潮路を 行舟の 髣髴にだにも 逢見てしがな
權中納言師時
1073 百首歌奉りし時
梶緒絕え 由良湊に 寄舟の 便も知らぬ 瀛潮風
攝政太政大臣 藤原良經
1074 題知らず
標為よ 跡無き浪に 漕舟の 行方も知らぬ 八重潮風
式子內親王
1075 【○承前。無題。】
紀國や 由良湊に 拾云ふ 偶然にだに 逢見てしがな
權中納言 藤原長方
1076 法性寺入道前關白太政大臣家歌合に
由緣も無き 人心の 埿に這ふ 蘆下根の 音をこそは泣け
權中納言 源師俊
1077 和歌所歌合に、忍戀を詠める
難波人 如何為る江にか 朽果む 逢事無みに 身を盡しつつ
攝政太政大臣 藤原良經
1078 隱名戀と言へる心を
海人苅る 海松布を浪に 紛へつつ 名草濱を 尋侘びぬる
皇太后宮大夫 藤原俊成
1079 題知らず
逢ふ迄の 海松布苅るべき 潟ぞ無き 未浪慣れぬ 磯海人
相模
1080 【○承前。無題。】
海松布苅る 潟や何處ぞ 棹指して 我に教へよ 海人釣舟
在原業平朝臣