新古今和歌集 卷第十 羈旅歌
0896 和銅三年三月、藤原宮より平城宮に移賜ひける時 【○萬葉集0078。】
飛鳥の 明日香里を 置きて往なば 君が當は 見えずかもあらむ
翔哉飛鳥之 飛鳥故里明日香 置古京徃者 草壁吾夫真弓岡 後蓋不復得見哉
元明天皇御歌
0897 天平十二年十月、伊勢國に行幸し賜ひける時 【○萬葉集1030。】
妹に戀 吾松原 見渡為ば 潮干潟に 鶴鳴渡る
思慕待妹兮 身居吾之松原間 放眼望去者 退潮時分潮乾潟 葦鶴鳴渡越大虛
聖武天皇御歌
0898 唐土にて詠侍ける 【○萬葉集0063。】
去來子等 早日本へ 大伴の 御津濱松 待戀ひぬらむ
去來汝子等 速歸日本還大和 難波大伴之 三津御津濱松者 久待思慕情難堪
山上憶良
0899 題知らず 【○萬葉集0255。】
天離る 鄙長道を 漕來れば 明石門より 大和島見ゆ
天離日已遠 其由鄙夷長道間 榜船漕來者 今自明石海峽門 望見大和秋津島
人麿 柿本人麻呂
0900 【○承前。無題。萬葉集0133。】
笹葉は 御山も戰に 亂るめり 我は妹思ふ 別來ぬれば
山間笹葉者 風吹小竹響顫動 此地雖騷騷 然吾執意無他念 一心思妻別來矣
人麿 柿本人麻呂
0901 帥の任果て、筑紫より上侍けるに 【○萬葉集0574。】
此間に在て 筑紫や何處 白雲の 棚引山の 西にぞ有るらし
在此間觀之 筑紫國兮在何方 蓋在高天上 白雲棚引彼山之 所坐西方蓋有哉
大納言 大伴旅人
0902 題知らず 【○萬葉集1666。】
朝霧に 濡れにし衣 干さずして 獨や君が 山道越ゆらむ
朝霧漫山中 衣為霧露所沾濕 我度吾君矣 不干其衣徑獨行 隻身將越彼山道
佚名
0903 東方に罷りけるに、淺間嶽に煙立つを見て詠める
信濃なる 淺間嶽に 立煙 比方此方人の 見やは咎めね
在原業平朝臣
0904 駿河國宇津山に逢へる人に付けて、京に遣はしける
駿河なる 宇津山邊の 現にも 夢にも人に 逢はぬ也けり
在原業平朝臣
0905 延喜御時、屏風歌
草枕 夕風寒く 成りにけり 衣擣つなる 宿や借らまし
紀貫之
0906 題知らず
白雲の 棚引渡る 足引の 山掛橋 今日や越えなむ
紀貫之
0907 【○承前。無題。】
東道の 佐夜中山 清かにも 見えぬ雲居に 世をや盡くさむ
壬生忠峯
0908 伊勢より人に遣はしける 【○齋宮女御集0067。】
人を尚 恨みつべしや 都鳥 有やとだにも 問ふを聞かねば
齋宮女御 徽子女王
0909 題知らず
未知らぬ 故鄉人は 今日迄に 來むと賴めし 我を待つらむ
菅原輔昭
0910 【○承前。無題。萬葉集1140。】
息長鳥 豬名野を行けば 有間山 夕霧立ちぬ 宿は無くして
相率息長鳥 鳰鳥所行豬名野 道遠來此者 夕霧瀰漫有間山 遍詢無宿可寄身
佚名
0911 【○承前。無題。萬葉集0500。】
神風の 伊勢濱荻 折伏せて 旅寢やすらむ 荒濱邊に
勁疾神風兮 浪重伊勢濱邊萩 為風吹折伏 夫君草枕將客宿 在此荒涼濱邊矣
佚名
0912 亭子院、御髮落して、山山寺寺修行し賜ひける頃、御供に侍りて、和泉國日根と云ふ所にて、人人歌詠侍けるに詠める
故鄉の 旅寢夢に 見えつるは 恨みやすらむ 又と訪はねば
橘良利
0913 信濃御坂形繪きたる繪に、園原と云ふ所に旅人宿りて、立明したる所を
立ちながら 今宵は明けぬ 園原や 伏屋と云ふも 甲斐無かりけり
藤原輔尹朝臣
0914 題知らず
都にて 越路之空を 眺めつつ 雲居と言ひし 程に來にけり
御形宣旨
0915 入唐し侍ける時、「何時程に掛かへるべき?」と人問ひければ
旅衣 立行く波道 遠ければ 去來白雲の 程も知られず
法橋奝然
0916 敷津浦に罷りて遊びけるに、舟に泊りて詠侍ける
舟ながら 今宵許は 旅寢為む 敷津浪に 夢は覺むとも
藤原實方朝臣
0917 磯邊路方に修行し侍けるに、一人具したりける同行を尋失ひて、元岩屋方へ歸るとて、海人の見えけるに、「修行者見えば玆を取らせよ。」とて、詠侍ける
我が如く 我を尋ねば 海人小舟 人も渚の 跡と答へよ
大僧正行尊
0918 湖舟にて、夕立のしぬべき由を申けるを聞きて、詠侍ける
搔曇り 夕立つ浪の 荒ければ 浮きたる舟ぞ 靜心無き
紫式部
0919 天王寺に參りけるに、難波浦に泊りて、詠侍ける
小夜更けて 蘆末越す 浦風に 哀うち添ふ 浪音哉
二條太皇太后宮肥後
0920 旅歌とて詠侍ける
旅寢して 曉方の 鹿音に 稻葉押並み 秋風ぞ吹く
大納言 源經信
0921 【○承前。侍詠旅歌。】
吾妹子が 旅寢衣 薄き程 避きて吹かなむ 夜半山風
惠慶法師
0922 後冷泉院御時、殿上人旅歌詠侍けるに
蘆葉を 苅葺く賤の 山里に 衣片敷き 旅寢をぞする
左近中將 源隆綱
0923 賴侍ける人に後れて後、泊瀨に詣て、夜泊りたりける所に、草を結びて、「枕に為よ。」とて、人賜びて侍ければ、詠侍ける
在し世の 旅は旅とも 有らざりき 獨露けき 草枕哉
赤染衛門
0924 堀河院百首歌に
山路にて 漬ちにけりな 白露の 曉置きの 木木雫に
權中納言 源國信
0925 【○承前。堀河院百首歌中。】
草枕 旅寢人は 心為よ 有明月も 傾きにけり
大納言 源師賴
0926 水邊旅宿と言へる心を詠める
磯為れぬ 心ぞ堪へぬ 旅寢する 蘆丸屋に 掛かる白浪
源師賢朝臣
0927 田上にて詠侍ける
旅寢する 蘆丸屋の 寒ければ 爪木樵積む 舟急ぐ也
大納言 源經信
0928 題知らず
深山路に 今朝や出つる 旅人の 笠白妙に 雪積りつつ
大納言 源經信
0929 旅宿雪と言へる心を詠侍ける
松根に 尾花苅敷き 徹夜 片敷く袖に 雪は降りつつ
修理大夫 藤原顯季
0930 陸奧國に侍ける頃、八月十五夜に京を思出て、大宮女房許に遣はしける
見し人も 十布浦風 音為ぬに 由緣無く澄める 秋夜月
橘為仲朝臣
0931 關戶院と云ふ所にて、羈中見月と云ふ心を
草枕 程ぞ經にける 都出て 幾夜か旅の 月に寢ぬらむ
大江嘉言
0932 守覺法親王家に、五十首歌詠ませ侍ける、旅歌
夏苅りの 蘆苅根も 哀也 玉江月の 明方空
皇太后宮大夫 藤原俊成
0933 【○承前。於守覺法親王家に、侍詠五十首。旅歌。】
立歸り 又も來て見む 松島や 雄島苫屋 浪に荒らす莫
皇太后宮大夫 藤原俊成
0934 【○承前。於守覺法親王家に、侍詠五十首。旅歌。】
言問へよ 思置きつの 濱千鳥 泣泣出し 跡月影
藤原定家朝臣
0935 【○承前。於守覺法親王家に、侍詠五十首。旅歌。】
野邊露 浦曲浪を 託ちても 行方も知らぬ 袖月影
藤原家隆朝臣
0936 旅歌とて詠める
諸共に 出し空こそ 忘られね 都山の 有明月
攝政太政大臣 藤原良經
0937 題知らず
都にて 月を哀と 思ひしは 數にも非ぬ 遊也けり
西行法師 佐藤義清
0938 【○承前。無題。】
月見ばと 契置きてし 故鄉の 人もや今宵 袖濡らすらむ
西行法師 佐藤義清
0939 五十首歌奉りし時
明けば又 越ゆべき山の 峰為れや 空行く月の 末白雲
藤原家隆朝臣
0940 【○承前。奉五十首歌時。】
故鄉の 今日面影 誘來と 月にぞ契る 佐夜中山
藤原雅經
0941 和歌所月十首歌合のついでに、月前旅と言へる心を人人仕奉しに
忘れじと 契りて出し 面影は 見ゆらむ物を 故鄉月
攝政太政大臣 藤原良經
0942 旅歌とて詠侍ける
東道の 夜半眺めを 語らなむ 都山に 掛かる月影
前大僧正慈圓
0943 海濱重夜と言へる心を詠侍し
幾夜かは 月を哀と 眺來て なみに折敷く 伊勢濱荻
越前
0944 百首歌奉りし時
知らざりし 八十瀨浪を 別過ぎて 片敷物は 伊勢濱荻
宜秋門院丹後
0945 題知らず
風寒み 伊勢濱荻 別行けば 衣雁音 浪に鳴く也
前中納言 大江匡房
0946 【○承前。無題。】
磯慣れで 心も解けぬ 菰枕 荒らく莫掛けそ 水白浪
權中納言 藤原定賴
0947 百首歌奉りしに
行末は 今幾夜とか 磐代の 岡萱根に 枕結ばむ
式子內親王
0948 【○承前。奉百首歌。】
松音の 雄島磯の 小夜枕 甚莫濡れそ 海人袖かは
式子內親王
0949 千五百番歌合に
如是しても 明かせば幾夜 過ぎぬらむ 山路苔の 露莚に
皇太后宮大夫藤原俊成女
0950
旅にて詠侍ける
白雲の 掛かる旅寢も 慣らはぬに 深山路に 日は暮れにけり
權僧正永緣
0951 暮望行客と言へる心を
夕日射す 淺茅原の 旅人は 哀何處に 宿を借るらむ
大納言 源經信
0952 攝政太政大臣家歌合に、羈中晩嵐と云ふ事を詠める
何處にか 今宵は宿を 狩衣 日も夕暮の 峰嵐に
藤原定家朝臣
0953 旅歌とて詠める
旅人の 袖吹返す 秋風に 夕日寂しき 山掛橋
藤原定家朝臣
0954 【○承前。詠旅歌。】
故鄉に 聞きし嵐の 聲も似ず 忘れね人を 佐夜中山
藤原家隆朝臣
0955 【○承前。詠旅歌。】
白雲の 幾重峰を 越えぬらむ 慣れぬ嵐に 袖を任せて
藤原雅經
0956 【○承前。詠旅歌。】
今日は又 知らぬ野原に 行暮れぬ 孰山か 月は出らむ
源家長
0957 和歌所歌合に、羈中暮と云ふ事を
故鄉も 秋は夕を 形見にて 風のみ送る 小野篠原
皇太后宮大夫藤原俊成女
0958 【○承前。於和歌所歌合,詠羈中暮。】
徒に 立つや淺間の 夕煙 里問兼ぬる 彼此山
藤原雅經朝臣
0959 【○承前。於和歌所歌合,詠羈中暮。】
都をば 天空とも 聞かざりき 何眺むらむ 雲極を
宜秋門院丹後
0960 【○承前。於和歌所歌合,詠羈中暮。】
草枕 夕空を 人問はば 鳴きても告げよ 初雁聲
藤原秀能
0961 旅心を
伏侘びぬ 篠小笹の 假枕 儚露や 一夜許に
藤原有家朝臣
0962 石清水歌合に、旅宿嵐と云ふ心を
岩根の 床に嵐を 片敷きて 獨や寢なむ 佐夜中山
藤原有家朝臣
0963 旅歌とて
誰と無き 宿夕を 契にて 變る主を 幾夜とふらむ
藤原業清
0964 羈中夕と云ふ心を
枕とて 孰草に 契るらむ 行くを限の 野邊夕暮
鴨長明
0965 東方に罷りける道にて詠侍ける
道邊の 草青葉に 駒止めて 猶故鄉を 返見る哉
民部卿 藤原成範
0966 長月頃、泊瀨に詣ける道にて詠侍ける
泊瀨山 夕越來れて 宿問へば 三輪檜原に 秋風ぞ吹く
禪性法師
0967 旅歌とて詠める
然らぬだに 秋旅寢は 悲しきに 松に吹くなり 床山風
藤原秀能
0968 攝政太政大臣家歌合に、秋旅と云ふ事を
忘れなむ 待つと勿告げそ 中中に 因幡山の 峰秋風
藤原定家朝臣
0969 百首歌奉りし時、旅歌
契らねど 一夜は過ぎぬ 清見潟 浪に別るる 曉雲
藤原家隆朝臣
0970 千五百番歌合に
故鄉に 賴めし人も 末松 待つらむ袖に 浪や越すらむ
藤原家隆朝臣
0971 歌合し侍ける時、旅心を詠める
日を經つつ 都偲ぶの 浦荒て 浪より外の 音づれも無し
入道前關白太政大臣 藤原兼實
0972 堀河院御時、百首歌奉けるに、旅歌
流離ふる 我身にしあれば 象潟や 海人苫屋に 數多旅寢ぬ
藤原顯仲朝臣
0973 入道前關白家百首歌に、旅心を
難波人 蘆火焚屋に 宿借りて 漫ろに袖の 潮垂るる哉
皇太后宮大夫 藤原俊成
0974 題知らず
復越えむ 人も泊らば 哀知れ 我が折敷ける 峰椎柴
僧正雅緣
0975 【○承前。無題。】
道徹 富士煙も 分かざりき 晴るる間も無き 空景色に
右大將 源賴朝
0976 述懷百首歌詠侍ける、旅歌
世中は 憂き節繁し 篠原や 旅にし有れば 妹夢に見ゆ
皇太后宮大夫 藤原俊成
0977 千五百番歌合に
覺束無 都に住まぬ 都鳥 言問ふ人に 如何答へし
宜秋門院丹後
0978 天王寺に詣侍けるに、俄に雨降りければ、江口に宿を借りけるに、貸侍らざりければ、詠侍ける
世中を 厭ふ迄こそ 難からめ 假宿をも 惜しむ君哉
西行法師 佐藤義清
0979 返し
世を厭ふ 人とし聞けば 假宿に 心留む莫と 思許ぞ
遊女妙
0980 和歌所にて、殿上人旅歌仕奉しに
袖に吹け 嘸な旅寢の 夢も見じ 思ふ方より 通ふ浦風
藤原定家朝臣
0981 【○承前。於和歌所,殿上人仕奉旅歌。】
旅寢する 夢路は許せ 宇津山 關とは聞かず 守人も無し
藤原家隆朝臣
0982 詩を歌に合せ侍しに、山路秋行と言へる事を
都にも 今や衣を 宇津山 夕霜拂ふ 蔦下道
藤原定家朝臣
0983 【○承前。侍合歌於詩時,詠山路秋行。】
袖にしも 月掛かれとは 契置かず 淚は知るや 宇津山越え
鴨長明
0984 【○承前。侍合歌於詩時,詠山路秋行。】
龍田山 秋行く人の 袖を見よ 木木之梢は 時雨ざりけり
前大僧正慈圓
0985 百首歌奉しに、旅歌
悟行く 真道に 入ぬれば 戀しかるべき 故鄉も無し
前大僧正慈圓
0986 泊瀨に詣でて歸途に、飛鳥川畔に宿りて侍ける夜、詠侍ける
故鄉に 歸らむ事は 飛鳥川 渡らぬ先に 淵瀨違ふ莫
素覺法師
0987 東方に罷りけるに、詠侍ける
年長て 復越ゆべしと 思きや 命也けり 佐夜中山
西行法師 佐藤義清
0988 旅歌とて
思置く 人心に 慕はれて 露分くる袖の 歸りぬる哉
西行法師 佐藤義清
0989 熊野に參侍しに、旅心を
見る儘に 山風荒く 時雨めり 都も今は 夜寒なるらむ
太上天皇 後鳥羽帝
或人以此兩冊,傳予兩神之擁衛。隨喜,而令攝納之。了,永正九年壬申八月廿日。