新古今和歌集 卷第二 春歌下
0099 釋阿、和歌所にて九十賀侍し折、屏風に、山に櫻咲きたる所を
櫻咲く 遠山鳥の 垂尾の 長長し日も 飽かぬ色哉
太上天皇 後鳥羽帝
0100 千五百番歌合に、春歌
幾年の 春に心を 盡し來ぬ 哀と思へ 御吉野花
皇太后宮大夫 藤原俊成
0101 百首歌に
儚くて 過ぎにし方を 數ふれば 花に物思ふ 春ぞ經にける
式子內親王
0102 內大臣に侍ける時、望山花と言へる心を詠侍ける
白雲の 棚引山の 山櫻 孰を花と 行きて折らまし
京極前關白太政大臣 藤原師實
0103 祐子內親王家にて、人人、歌詠侍けるに
花色に 天霧翳み 立迷ひ 空さへ匂ふ 山櫻哉
權大納言 藤原長家
0104 題知らず 【○萬葉集1883、和漢朗詠0025。】
百敷の 大宮人は 暇有れや 櫻髻首して 今日も暮しつ
百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 蓋有閒暇耶 手折櫻花以髻首 遊興盡歡暮此日
山邊赤人
0105 【○承前。無題。】
花に飽かぬ 嘆きは何時も 為しかども 今日今宵に 似る時は無し
在原業平朝臣
0106 【○承前。無題。】
寐も安く 寢られざりけり 春夜は 花散るのみ 夢に見えつつ
凡河內躬恒
0107 【○承前。無題。】
山櫻 散りて御雪に 紛ひなば 孰か花と 春に問はなむ
伊勢
0108 【○承前。無題。】
我宿の 物也ながら 櫻花 散るをば得こそ 止めざりけれ
紀貫之
0109 寬平御時、后宮歌合歌に
霞立つ 春山邊に 櫻花 飽かず散るとや 鶯鳴く
佚名
0110 題知らず 【○萬葉集1870。】
春雨は 甚莫降りそ 櫻花 未見ぬ人に 散らまくも惜し
紛紛春雨者 汝莫甚降零如是 可憐櫻花矣 憶及未得見之人 倏然凋散誠可惜
山邊赤人
0111 【○承前。無題。】
花香に 衣は深く 成りにけり 木下蔭の 風隨に
紀貫之
0112 千五百番歌合に
風通ふ 寢覺袖の 花香に 薰る枕の 春夜夢
皇太后宮大夫藤原俊成女
0113 守覺法親王、五十首歌詠ませ侍ける時
此程は 知るも知らぬも 玉鉾の 行交ふ袖は 花香ぞする
藤原家隆朝臣
0114 攝政太政大臣家に、五首歌詠侍けるに
復や見む 交野御野の 櫻狩 花雪散る 春曙
皇太后宮大夫 藤原俊成
0115 花歌詠侍けるに
散散らず 覺束無きは 春霞 棚引山の 櫻也けり
祝部成仲
0116 山里に罷りて詠侍ける
山里の 春夕暮 來て見れば 入相鐘に 花ぞ散りける
能因法師
0117 題知らず
櫻散る 春山邊は 憂かりけり 世を遁れにと 來し甲斐も無く
惠慶法師
0118 花見侍ける人に誘はれて詠侍ける
山櫻 花下風 吹きにけり 木下每の 雪斑消え
康資王母
0119 題知らず
春雨の 漬降る空の 小息せず 墮る淚に 花ぞ散りける
源重之
0120 【○承前。無題。】
雁音の 歸るは風や 誘ふらむ 過行く峰の 花も殘らぬ
源重之
0121 百首歌召しし時、春歌
時しも有れ 田面雁の 別れさへ 花散る頃の 御吉野里
源具親
0122 見山花と言へる心を
山深み 杉群立ち 見えぬ迄 尾上風に 花散る哉
大納言 源經信
0123 堀河院御時、百首歌奉りけるに、花歌
木下の 苔綠も 見えぬ迄 八重散りしける 山櫻哉
大納言 源師賴
0124 花十首歌詠侍けるに
麓迄 尾上櫻 散來ずは 棚引く雲と 見てや過ぎまし
左京大夫 藤原顯輔
0125 花落客稀と云ふ事を
花散れば 訪人稀に 成果て 厭ひし風の 音のみぞする
刑部卿 藤原範兼
0126 題知らず
眺むとて 花にも甚く 慣れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ
西行法師 佐藤義清
0127 【○承前。無題。】
山里の 庭より外の 道欲得 花散りぬやと 人もこそ訪へ
越前
0128 五十首歌奉りし中に、湖上花
花誘ふ 比良山風 吹きにけり 漕行く舟の 跡見ゆる迄
若草宮內卿
0129 關路花を
逢坂や 梢花を 吹くからに 嵐ぞ翳む 關之杉群
若草宮內卿
0130 百首歌奉りし、春歌に
山高み 峰嵐に 散華の 月に天霧る 明方之空
二條院讚岐
0131 百首歌召しける時、春歌
山高み 磐根櫻 散時は 天羽衣 撫づるとぞ見る
崇德院御歌
0132 春日社歌合とて、人人、歌詠侍けるに
散紛ふ 花之餘所めは 吉野山 嵐に騷ぐ 峰白雲
刑部卿 藤原賴輔
0133 最勝四天王院障子に、吉野山描きたる所
御吉野の 高嶺櫻 散りにけり 嵐も白き 春曙
太上天皇 後鳥羽帝
0134 千五百番歌合に
櫻色の 庭春風 跡も無し 訪はばぞ人の 雪とだに見む
藤原定家朝臣
0135 或年、忍びて大內花見に罷りて侍しに、庭に散りて侍し花を硯蓋に入れて、攝政許に遣はし侍し
今日だにも 庭を盛と 移る花 消えずは有とも 雪かとも見よ
太上天皇 後鳥羽帝
0136 返し
誘はれぬ 人為とや 殘りけむ 明日より先の 花白雪
攝政太政大臣 藤原良經
0137 家の八重櫻を折らせて、惟明親王許に遣はしける
八重匂ふ 軒端櫻 移ひぬ 風より先に 訪人欲得
式子內親王
0138 返し
辛き哉 移ふ迄に 八重櫻 訪へとも言はで 過ぐる心は
惟明親王
0139 五十首歌奉りし時
櫻花 夢か現か 白雲の 絕えて常無き 峰春風
藤原家隆朝臣
0140 題知らず
恨みずや 憂世を花の 厭ひつつ 誘ふ風有らばと 思ひけるをば
皇太后宮大夫藤原俊成女
0141 【○承前。無題。】
儚さを 他にも言はじ 櫻花 咲きては散りぬ 哀世中
後德大寺左大臣 藤原實定
0142 入道前關白太政大臣家に、百首歌詠ませ侍ける時
眺むべき 殘春を 數ふれば 花と共にも 散る淚哉
俊惠法師
0143 花歌とて詠める
花も亦 別れむ春は 思出よ 咲散る度の 心盡しを
殷富門院大輔
0144 千五百番歌合に
散華の 忘形見の 峰雲 其をだに殘せ 春山風
左近中將 藤原良平
0145 落花と云ふ事を
花誘ふ 名殘を雲に 吹止めて 暫は匂へ 春山風
藤原雅經
0146 題知らず
惜しめども 散果てぬれば 櫻花 今は梢を 眺許ぞ
後白河院御歌
0147 殘春之心を
吉野山 花故鄉 跡絕えて 空しき枝に 春風ぞ吹く
攝政太政大臣 藤原良經
0148 題知らず
故鄉の 花盛は 過ぎぬれど 面影去らぬ 春空哉
大納言 源經信
0149 百首歌中に
花は散り 其色と無く 眺むれば 虛しき空に 春雨ぞ降る
式子內親王
0150 小野宮太政大臣、月輪寺に花見侍ける日、詠める
誰が為か 明日は殘さむ 山櫻 零れて匂へ 今日形見に
清原元輔
0151 曲水宴を詠める 【○萬葉集4153。】
唐人の 船を浮べて 遊傳ふ 今日ぞ我が兄子 花蘰為よ
縱令唐人等 流觴浮船泛曲水 遊宴盡歡也 便是今日吾兄子 當冠花縵齊同樂
中納言 大伴家持
0152 紀貫之、曲水宴し侍ける時、月入花灘暗と云ふ事を詠侍ける
花流す 瀨をも見るべき 三日月の 割れて入りぬる 山之遠方
坂上是則
0153 雲林院櫻見に罷りけるに、咸散果て、僅かに片枝に殘りて侍ければ
尋ねつる 花も我身も 衰へて 後春とも 得こそ契らね
良暹法師
0154 千五百番歌合に
思立つ 鳥は古巢も 賴むらむ 慣れぬる花の 跡夕暮
寂蓮法師 藤原定長
0155 【○承前。於千五百番歌合。】
散りにけり 憐恨みの 誰為れば 花跡訪ふ 春之山風
寂蓮法師 藤原定長
0156 【○承前。於千五百番歌合。】
春深く 尋ね入佐の 山端に 仄見し雲の 色ぞ殘れる
權中納言 藤原公經
0157 百首歌奉りし時
泊瀨山 移ふ花に 春暮れて 紛ひし雲ぞ 峰に殘れる
攝政太政大臣 藤原良經
0158 【○承前。奉百首歌時。】
吉野川 岸山吹 咲きにけり 峰櫻は 散果てぬらむ
藤原家隆朝臣
0159 【○承前。奉百首歌時。】
駒止めて 猶水飼はむ 山吹の 花露添ふ 井出玉川
皇太后宮大夫 藤原俊成
0160 堀河院御時、百首歌奉りける時
磐根越す 清瀧川の 速ければ 波折懸くる 岸山吹
權中納言 源國信
0161 題知らず 【○萬葉集1435。】
蛙鳴く 神奈備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹花
河蛙田雞鳴 飛鳥神奈備川間 倒影映可見 此時蓋已咲爭艷 妍哉山吹花者也
厚見王
0162 延喜十三年、亭子院歌合歌
足引の 山吹花 散りにけり 井出蛙 今や鳴くらむ
藤原興風
0163 飛香舍にて、藤花宴侍けるに
如是てこそ 見まく欲けれ 萬代を 懸けて匂へる 藤浪之花
延喜御歌 醍醐帝
0164 天曆四年三月十四日、藤壺に渡らせ賜ひて、花惜しませ賜けるに
圓居して 見れども飽かぬ 藤浪の 立たまく惜しき 今日にも有哉
天曆御歌 村上帝
0165 清慎公家屏風に
暮れぬとは 思務から 藤花 咲ける宿には 春ぞ久しき
紀貫之
0166 藤の松に懸かれるを詠める
綠為る 松に懸かれる 藤是れど 已頃とぞ 花は咲きける
紀貫之
0167 春暮方、實方朝臣許に遣はしける
散殘る 花もや有ると 打群れて 深山隱れを 尋ねてしがな
藤原道信朝臣
0168 修行し侍ける頃、春暮に詠める
木下の 住處も今は 荒れぬべし 春し暮為ば 誰か訪來む
大僧正行尊
0169 五十首歌奉りし時
暮れて行く 春港は 知らねども 霞に落つる 宇治柴舟
寂蓮法師 藤原定長
0170 山家三月盡を詠侍ける
來ぬ迄も 花故人の 待たれつる 春も暮れぬる 御山邊里
藤原伊綱
0171 題知らず
石上 布留早稻田を 打返し 恨兼ねたる 春暮哉
皇太后宮大夫藤原俊成女
0172 寬平御時、后宮歌合歌
待てと云ふに 止らぬ物と 知りながら 強てぞ惜しき 春別れは
佚名
0173 山家暮春と言へる心を
柴戶を 射すや日影の 名殘無く 春暮懸かる 山端雲
若草宮內卿
0174 百首歌奉りし時
明日よりは 志賀花園 稀にだに 誰かは問はむ 春故鄉
攝政太政大臣 藤原良經