詞花和歌集卷第十 雜 下
0348 都に住詫びて、近江に田上と云ふ所に罷て詠める
蘆火炊く 山住處は 世中を 在所離出る 門出也けり
源俊賴朝臣
0349 女共の澤に若菜摘むを見て詠める
賤女が 芹摘む澤の 薄冰 何時迄生べき 我身為るらむ
源俊賴朝臣
0350 四位して殿上降て侍ける頃、鶴鳴皐と云ふ事を詠める
昔見し 雲居を戀て 蘆鶴の 澤邊に鳴くや 我身為るらむ
藤原公重朝臣
0351 新院六條殿に坐しける時、月明侍ける夜、御舟に奉て、月前言志と云事を詠ませ給けるに詠侍ける
三日月の 又有明に 成ぬるや 憂世に迴る 驗為るらむ
右近中將 藤原教長
0352 櫻花散るを見て詠める
散花に 復もや逢はむ 覺束無 其春迄と 知らぬ身為れば
藤原實方朝臣
0353 世中騒がしく聞えける頃詠める
朝な朝な 鹿柵む 萩枝の 末葉露の 在難世哉
增基法師
0354 秋野を過罷けるに、尾花の風に靡くを見て詠める
花薄 招かば此處に 留りなむ 孰野邊も 終焉住處ぞ
源親元
0355 心地例為らず覺されける頃詠賜ける
餘所に見し 尾花が末の 白露は 有るか無きかの 我身也けり
四條中宮 藤原遵子
0356 世中儚く覺えさせ賜ける頃詠ませ賜ける
斯しつつ 今はとならむ 時にこそ 悔しき事の 甲斐も無からめ
花山院御製 花山帝
0357 入相鐘聲を聞きて詠める
夕暮は 物ぞ悲しき 鐘音を 明日も聞べき 身とし知らねば
和泉式部
0358 大納言忠教身罷ける後の春、鶯鳴くを聞きて詠める
鶯の 鳴くに淚の 落つる哉 復もや春に 逢はむと思へば
藤原教良母
0359 儚事のみ多聞えける頃詠める
皆人の 昔語に 成行くを 何時迄餘所に 聞かむとすらむ
法橋清昭
0360 夏夜、端に出居て涼侍けるに、夕闇の甚暗く成ければ詠める
此世だに 月待つ程は 苦しきに 哀如何なる 闇に惑はむ
神祇伯源顯仲女
0361 病重く成侍ける頃、雪降るを見て詠める
覺束無 未見ぬ道を 死出山 雪踏分けて 越えむとすらむ
良暹法師
0362 大江擧周朝臣重患ひて限かぎりに見みえ侍はべりければ詠よめる
代かはらむと 祈いのる命いのちは 惜をしからで 然さても別わかれむ 事ことぞ悲かなしき
赤染衛門
0363 病重やまひおもく成侍なりはべりにければ、三井寺みゐでらに罷まかりて、京房きゃうのいへに植置うゑおきて侍はべりける八重紅梅やへこうばいを、今いまは花咲はなさきぬらむ、見みばや、と言侍いひはべりりければ、折をりに遣つかはして見みせければ詠よめる
此世このよには 又またも逢あふまじ 梅花むめのはな 散散為ちりぢりならむ 事ことぞ悲かなしき
其後そののち、程無ほどなく身罷みまかりにけるとぞ。
大僧正行尊
0364 人ひとの椎しひを取とらせて侍はべりければ詠よめる
此身このみをば 空むなしき物ものと 知しりぬれば 罪つみえむ事ことも 非あらじとぞ思おもふ
佚名
0365 題不知だいしらず 【○金葉集三奏本0433。】
我思わがおもふ 事繁ことのしげさに 較くらぶれば 信太森しのだのもりの 千枝ちえは數かずかは
增基法師
0366 題不知だいしらず
網代あじろには 沈しづむ水屑みくづも 無なかりけり 宇治渡うぢのわたりに 我われや住すままし
大江以言
0367 大原おほはらに住初すみはじめける頃ころ、俊綱朝臣許としつなのあそんのもとへ言遣いひつかはしける
大原おほはらや 未まだ炭竈がまも 成ならはねば 我宿わがやどのみぞ 烟絕けぶりたえたる
良暹法師
0368 題不知だいしらず
淚河なみだがは 其水上そのみなかみを 尋たづぬれば 世憂目よのうきめより 出いづる也なりけり
賢智法師
0369 此集撰侍このしふえらびはべるとて、家集請いへのしふこひて侍はべりければ、詠よめる
思遣おもひやれ 心水こころのみづの 淺あさければ 搔流かきながすべき 言葉ことのはも無なし
太政大臣
0370 周防內侍すはうのないし尼あまに成なりぬと聞ききて言遣いひつかしける
假初かりそめの 浮世闇うきよのやみを 搔別かきわけて 羨うらやましくも 出いづる月哉つきかな
大藏卿 大江匡房
0371 法師ほふしに成なりて後のち、左京大夫顯輔家さきゃうのだいぶあきすけがいへにて、歸雁かへるかりを詠よめる
歸雁かへるかり 西にしへ行ゆきせば 玉章たまつざに 思事おもふことをば 搔付かきつけてまし
沙彌蓮寂
0372 題不知だいしらず
身みを捨すつる 人ひとは誠まことに 棄すつるかは 捨すてぬ人ひとこそ 棄すつる也なりけれ
佚名
0373 藤原實宗ふぢはらのさねむね常陸介ひたちのすけに侍はべりける時とき、大藏省使おほくらしゃうのつかひ供嚴どもきびしく責せめければ、卿匡房きゃうまさときに言いひて侍はべりければ、遠江とほたふみに切替きりかへて侍はべりければ、言遣いひつかしける
筑波山つくばやま 深ふかく嬉うれしと 思哉おもふかな 濱名橋はまなのはしに 渡わたす心こころを
太皇太后宮肥後
0374 下臈げらうに越こえられて、堀川關白許ほりかはのくわんぱくのもとに侍はべりける人許ひとのもとへ、大殿おとどにも見みせよと思おぼしくて遣つかはしける
年としを經へて 星ほしを戴いただく 黒髮くろかみの 人ひとより霜しもに 成なりにける哉かな
大中臣能宣朝臣
0375 白河院位しらかはゐんくらゐに坐おはしましける時とき、修理大夫顯季しゅりのだいぶあきすゑに付つけて申まさする事侍ことはべりけるを、宣旨せんじの遅下おそくくだりければ、其冬頃言遣そのふゆころいひつかはしける
雲上くものうへは 月つきこそ清さやに 冴渡さえわたれ 復滯凍まだとどこほる 物ものや何也なりなり
津守國基
0376 返かへし
滯凍とどこほる 事ことは無なけれど 住吉すみよしの 松心まつこころにや 久ひさしかるらむ
修理大夫 藤原顯季
0377 新院位しんゐんくらゐに坐おはしましし時とき、殿上人うへのをのこどもを召めして述懷之歌詠むねのべりのうたよませさせ賜たまひけるに、白河院御事しらかはゐんのみこと忘わするる時無ときなく覺侍おぼえはべりければ
白河しらかはの 流ながれを賴たのむ 心こころをば 誰たれかは諳そらに 汲くみて知しるべき
大納言 藤原成通
0378 堀河御時ほりかはのおほむとき、百首歌中ひゃくしゅのうたのなかに詠よめる
百年ももとせは 花はなに宿やどりて 過すぐして來き 此世このよは蝶てふの 夢ゆめにざりける
大藏卿 大江匡房
0379 新院位しんゐんくらゐに坐おはしましし時とき、中宮ちゅうぐう・春宮とうぐうの女房にうばう、儚事はかなきことにより挑交いどみかはして、上達部殿上人かんだちめうへのをのこどもを方分かたわきて、上うへ、中宮御方ちゅうぐうのみかたに渡わたらせ賜たまひけるを、方人かたひとに取奉とりたてまつりてなん、然さるべき事言遣こといひつかはせと各各申おのおのまうしければ、詠よみて遣つかはしける
久方ひさかたの 天香具山あまのかぐやま 出いづる日ひも 我わが方かたにこそ 光晒はかりさすらめ
新院御製 崇德帝
0380 娘むすめの冊子書さうしかかせける奥おくに書付かきつけける
子許このもとに 書集かきあつめたる 言葉ことのはを 柞森ははそのもりの 形見かたみとは見みよ
源義國妻
0381 左京大夫顯輔さきゃうのだいぶあきすけ近江守あふみのかみに侍はべりける時とき、遠郡とほきこほりに罷まかれりけるに、便たよりに付つけて言遣いひつかはしける
思兼おもひかね 其方空そなたのそらを 眺ながむれば 唯山端ただやまのはに 掛かかる白雲しらくも
關白前太政大臣 藤原忠通
0382 新院位しんゐんくらゐに坐おはしましし時とき、海上遠望うみのへのとほくのぞむと云事いふことを詠よませ給たまひけるに詠よめる 【○百人一首0076。】
大海原わたのはら 漕出こぎいでて見みれば 久方ひさかたの 雲居くもゐに紛まがふ 沖白浪おきつしらなみ
綿津見海原 漕出滄海一望者 沖浪似皓雲 海上遙空水天線 誤作久方天雲居
關白前太政大臣 藤原忠通
0383 後冷泉院御時のちの れいぜいゐんのおほむとき、大嘗會主基方御屏風おほなめまつりのすきのかたみびゃうぶに、備中國高倉山びっちゅうのくにたかくらやまに數多人あまたのひと花摘はなつみたる形描かたかきたる所ところに詠よめる
打群うちむれて 高倉山たかくらやまに 摘花つむはなは 新無あらたなき代よの 富草花とみくさのはな
藤原家經朝臣
0384 今上大嘗會悠紀方御屏風きんじゃうのおほなめまつりのゆきのかたのみびゃうぶに、近江國板倉山田あふみのくにいたくらのやまだに稻いねを多刈積おほくかりつめり、之これを人見ひとみたる形描かたかきたる所ところに詠よめる
板倉いたくらの 山田やまだに積つめる 稻いねを見みて 治をさまれる世よの 程ほどを知しる哉かな
左京大夫 藤原顯輔
0385 圓融院御時ゑんゆうゐんのおほむとき、堀河院ほりかはゐんに再行幸ふたたびいでましせさせ賜たまひけるに詠よめる 【○金葉集三奏本0318。】
水上みなかみを 定さだめてければ 君きみが代よに 再ふたたび澄すめる 堀川之水ほりかはのみづ
曾禰好忠
0386 有馬湯ありまのゆに罷まかりたりけるに詠よめる
去來いさや又また 續つづきも知しらぬ 高嶺たかねにて 先來さきくる人ひとに 都みやこをぞ問とふ
宇治前太政大臣 藤原賴通
0387 熊野くまのへ詣まうでける道みちにて、月つきを見みて詠よめる
都みやこにて 眺ながめし月つきを 諸共もろともに 旅空たびのそらにも 出いでにける哉かな
道明法師
0388 播磨はりまに侍はべりける時とき、月つきを見みて詠よめる
都みやこにて 眺ながめし月つきを 見みる時ときは 旅空たびのそらとも 覺おぼえざりけり
帥前內大臣 藤原伊周
0389 信濃守しなののかみにて下くだりけるに、風越峰かざこしのみねにて 【○金葉集三奏本0521。】
風越かざこしの 峯上みねのうへにて 見みる時ときは 雲くもは麓ふもとの 物ものにぞ有ありける
藤原家經朝臣
0390 藤原賴任朝臣ふぢはらのよりたふのあそん美濃守みののかみにて下侍くだりはべりける共ともに罷まかりて、其後年月そののちとしつきを經へて彼國守かのくにのかみに成なりて下侍くだりはべりて、垂井たるゐと云いふ泉いづみを見みて詠よめる
昔見むかしみし 垂井水たるゐのみづは 變かはらねど 映うつれる影かげぞ 年としを經へにける
藤原隆經朝臣
0391 帥前內大臣そちさきのないだいじん播磨はりまへ罷まかりける共ともにて、川尻かはじりを出日詠侍いづるひよみはべりける
思出おもひいでも 無なき古里ふるさとの 山是やまなれど 隱行かくれゆく將はた 哀也あはれなりけり
大江正言
0392 三條太政大臣さんでうのだいじゃうだいじん身罷みまかりて後のち、月つきを見みて詠よめる
古いにしへを 戀こふる淚なみだに 曇くらされて 朧おぼろに見みゆる 秋夜月あきのよのつき
前大納言 藤原公任
0393 娘むすめに後おくれて歎侍なげきはべりける人に、月明つきのあかりける夜よ、言遣いひつかはしける
其事そのことと 思おもはぬだにも 有物あるものを 何心地なにここちして 月つきを觀みるらむ
堀河右大臣 藤原賴宗
0394 粟田右大臣あはたのうだいじん身罷みまかりける頃詠ころよめる
夢為ゆめならで 又またも逢あふべき 君是きみならば 寐ねられぬ寢いをも 歎なげかざらまし
藤原相如
0395 堀川中宮ほりかはのちゅうぐう隱賜かくれたまひて、業事果わざのことはてて、翌朝あしたに詠よませ賜たまひける
思兼おもひかね 眺ながめ然しかども 鳥部山とりべやま 果はては烟けぶりも 見みえず成なりにき
圓融院御製 圓融帝
0396 一條攝政いちでうせっしゃう身罷みまかりにける頃詠ころよめる
夕暮ゆふまぐれ 木繁庭こしげきにはを 眺ながめつつ 木葉このはと共ともに 落おつる淚なみだか
少將 藤原義孝
0397 子思このおもひに侍はべりける頃ころ、人問ひとのとひて侍はべりければ詠よめる
人知ひとしれず 物思ものもふ事ことも 有然ありしかど 子事許このことばかり 悲かなしきは無なし
待賢門院安藝
0398 兼盛かねもり、
子こに後おくれて歎なげくと聞ききて言遣いひつかはしける
生立おひたたで 枯かれぬと聞ききし 木本このもとの 如何いかで歎なげきの 森もりと成なるらむ
清原元輔
0399 天暦帝隱てんりゃくのみかどかくれさせ坐おはしまして、七月七日御忌ふみづきのなぬかのぎょき果はてて散散ちりぢりに罷出まかりいでけるに、女房中にうばうのなかに送侍おくりはねりける
今日けふよりは 天河霧あまのかはぎり 立別たちわかれ 如何いかなる空そらに 逢あはむとすらむ
清原元輔
0400 返かへし
七夕たなばたは 後今日のちのけふをも 賴たのむらむ 心細こころぼそきは 我身也わがみなりけり
佚名
0401 娘むすめに後おくれて服著侍ふくきはべりとて詠よめる
淺あさましや 君きみに著きすべき 墨染すみぞめの 衣袖ころものそでを 我わが濡ぬらす哉かな
神祇伯 源顯仲
0402 大江匡衡おほえのまさひら身罷みまかりて又年春またのとしのはる、花はなを見みて詠よめる
去年春こぞのはる 散ちりにし花はなも 咲さきにけり 悲別あはれわかれの 斯かからましかば
赤染衛門
0403 右兵衛督公行うひゃうゑのかみきみゆき、妻めに後おくれて侍はべりける頃ころ、女房にうばうに付つけて申まさする事侍ことはべりける御返事みかへしごとに詠よませ賜たまひける
出いづる息いきの 入いるのを待間まつまも 難世かたきよを 思知おもひしるらむ 袖そでは如何いかにぞ
新院御製 崇德帝
0404 後冷泉院御時ごれいぜいゐんのおほむとき、藏人くらうとにて侍はべりけるに、帝隱坐みかどかくれおはしましにければ詠よめる
淚なみだのみ 袂たもとに掛かかる 世中よのなかに 身みさへ朽くちぬる 事ことぞ悲かなしき
藤原有信朝臣
0405 男をとこに後おくれて詠よめる
折折おりおりの 恨つらさを何なにに 歎なげきけむ 頓無やがてなき世よも 哀有あはれありけり
佚名
0406 人ひとの四十九日誦經文しじふくにちのじゅきゃうもんに書付かきつけける
人ひとを弔とふ 鐘聲かねのこゑこそ 哀為あはれなれ 何時いつか我身わがみに 成ならむとすらむ
佚名
0407 新參にひまゐりし侍はべりける女をみなの、前許まへゆるされて後のち、程無ほどなく身罷みまかりにければ、詠給よみたまひける
悔くやししくも 見初みそめめける哉かな 並なべて世よの 哀あはれと許ばかり 聞きか益物ましものを
四條中宮 藤原遵子
0408 稻荷鳥居いなりのとりゐに書付かきつけて侍はべりける歌うた
如是かくてのみ 世よに有明ありあけの 月為つきならば 雲隱くもかくしてよ 天降神あまくだるかみ
佚名
0409 親おやの處分そぶんを故無ゆゑなく人ひとに押取おしとられけるを、此事理給このことことわりたまへと稻荷いなりに籠こもりて祈申いのりまうしける法師ほふしの夢ゆめに、社內やしろのうちより言出給いひだしたまへりける歌うた
長夜ながきよの 苦くるしき事ことを 思おもへかし 何歎なになげくらむ 假宿かりのやどりを
佚名
0410 賀茂齋かものいつきと聞きこえける時とき、西にしに向むかひて詠よめる
思おもへども 忌いむとて言いはぬ 事是ことなれば 其方そなたに向むきて 音ねをのみぞ泣なく
選子內親王
0411 信解品しんげほん、周流諸國五十餘年もろもろのくににしうりうしていそとしあまりと云事いふことを詠よめる
在所離あくがるる 身儚みのはかなさは 百年ももとせの 半過なかばすぎてぞ 思知おもひしらるる
神祇伯 源顯仲
0412 即身成佛そくしんじゃうぶつと云いふ事ことを詠よめる
露身つゆのみの 消きえて佛ほとけに 成なる事ことは 勤つとめて後のちぞ 知しるべかりける
佚名
0413 舍利講しゃりこうの序ついでに、願成佛道之心ながはくぶつだうをなすのこころを人人ひとびとに詠よませ侍はべりけるに、詠侍よみはべりける
餘所よそに何など 佛道ほとけのみちを 尋たづぬらむ 我心わがこころこそ 導也しるべなりけれ
關白前太政大臣 藤原忠通
0414 【○承前。舍利講之際,令諸人詠願成佛道之趣而詠。】
如何いかで我われ 心月こころのつきを 顯あらはして 闇やみに惑まどへる 人ひとを照てらさむ
左京大夫 藤原顯輔
0415 常在靈鷲山之心つねにりゃうじゅせんにありのこころを詠よめる
世中よのなかの 人心ひとのこころの 浮雲うきくもに 空隱そらがくれする 有明月ありあけのつき
登蓮法師