詞花和歌集卷第九 雜 上
0272 所所之名を四季に寄せて人人歌詠侍けるに、三島江春之心を詠める
春霞 翳める方や 津國の 髣髴三島江の 渡なるらむ
源賴家朝臣
0273 堀河院御時、殿上人共を御前に召して歌詠ませ給けるに詠める 【○金葉集三奏本0545。】
須磨浦に 燒鹽釜の 烟こそ 春に知られぬ 霞也けれ
源俊賴朝臣
0274 同御時、百首歌奉けるに詠める
並立てる 松下枝を 蛛手にて 霞渡れる 天橋立
源俊賴朝臣
0275 播磨守に侍ける時、三月許に舟より上侍けるに、攝津國に山路と云ふ所に、參議為通朝臣鹽湯浴みて侍と聞きて遣はしける
長居住莫 都花も 咲きぬらむ 我も何故 急ぐ綱手ぞ
平忠盛朝臣
0276 修行し歩かせ給けるに、櫻花咲きたりける下に休ませ給て詠ませ給ける 【○金葉集三奏本0049。】
木本を 住處とすれば 自から 花見人に 成りぬべき哉
花山院御製 花山帝
0277 人許に罷たりけるに、櫻花面白く咲きて侍ければ、翌朝に主人許へ言遣はしける
散らぬ間に 今一度も 見てしがな 花に先立つ 身ともこそ成れ
天臺座主源心
0278 花を惜む心を詠める
春來れば 鯵潟のみ 一方に 浮く云ふ魚の 名こそ惜けれ
大藏卿 大江匡房
0279 宇治前太政大臣花見に罷けると聞きて遣はしける
身を知らで 人を恨むる 心こそ 散花よりも 儚かりけれ
堀河右大臣 藤原賴宗
0280 二條關白、白河へ花見になむ、と言はせて侍ければ詠める 【○金葉集三奏本0044。】
春來ぬ 所は無きを 白河の 渡にのみや 花は咲くらむ
小式部內侍
0281 入道攝政、八重山吹を遣はして、如何見る、と言はせて侍ければ詠める 【○金葉集三奏本0082。】
誰か此 數は定めし 我は唯 十重とぞ思ふ 山吹花
大納言藤原道綱母
0282 新院位に坐しし時、后宮御方に上達部上の殿上人を召して、藤花年久と云ふ事を詠ませ給けるに詠める
春日山 北之藤浪 咲きしより 榮ゆべしとは 豫て知りにき
大納言 源師賴
0283 修理大夫顯季美作守に侍ける時、人人誘ひて右近馬場に罷て郭公待侍けるに、俊子內親王女房二車參來て、連歌し歌詠み等して、曙に歸侍けるに、斯女房の車より
美作や 久米皿山と 思へども 和歌浦とぞ 云ふべかりける
大納言 源師賴
0284 此返しせよと云侍ければ詠める
和歌浦と 云にて知りぬ 風吹かば 波立來と 思ふ成べし
贈左大臣 藤原長實
0285 左衛門督家成、布引瀧見に罷て、歌詠侍けるに詠める
雲居より 貫懸くる 白玉を 垂布引の 瀧と言ひけむ
藤原隆季朝臣
0286 新院位におはしましし時、御前にて、水草隔船と云事を詠侍ける
難波江の 繁蘆間を 漕舟は 棹音にぞ 行方を知る
大藏卿 源行宗
0287 題不知 【○金葉集三奏本0197。】
思出も 無くてや我身 闇憖 姥捨山の 月見ざりせば
律師濟慶
0288 父永實信濃守にて下侍ける共に罷て、昇りたりける頃、左京大夫顯輔家に歌合し侍けるに詠める
名に高き 姥捨山も 見しかども 今宵許の 月は無かりき
藤原為真
0289 月明侍ける夜、人人參來て遊侍けるに、月入りにければ、興盡きて、各歸りなむとしければ詠める
月は入り 人は出なば 留居て 獨や我が 空を眺めむ
大中臣能宣朝臣
0290 御髮卸させ賜て後、六條院池に月映りて侍けるを御覽じて詠ませ賜ける
池水に 宿れる月は 其ながら 眺むる人の 影ぞ變れる
小一條院御製 敦明親王
0291 左京大夫顯輔、中宮亮にて侍ける時、下臈に越えらるべしと聞きて、宮女房中に歎き申したりける返事に、誰とは無くて
世中を 思勿入そ 三笠山 差出月の 澄まむ限は
小一條院御製 敦明親王
0292 田家月と云ふ事を詠ませ給ける
月清み 田中に建てる 假庵の 影許こそ 曇也けれ
新院御製 崇德院
0293 新院位に坐時、月明く侍ける夜、女房に附けて奉ける
澄昇る 月光に 誘はれて 雲上迄 行心哉
太政大臣 藤原實行
0294 荒れたる宿に月漏りて侍けるを詠める
板間より 月漏るをも 見つる哉 宿は荒して 住べかりけり
良暹法師
0295 題不知
隈も無く 信太森の 下晴れて 千枝之數さへ 見ゆる月哉
內大臣 藤原實能
0296 山家月を詠める
寂しさに 家出しぬべき 山里を 今宵月に 思留りぬ
源道濟
0297 新院殿上にて、海路月と云ふ事を詠める
行人も 天戶渡る 心地して 雲浪路に 月を見哉
平忠盛朝臣
0298 題不知 【○金葉集三奏本0402。】
君待つと 山端出て 山端に 入る迄月を 眺めつる哉
橘為義朝臣
0299 堀河院御時、中宮御方に參りて女房に物申しける程に、月の山端より立昇けるを見て、女の、「月は待つに必出るなむ憐なる。」と言ひければ詠める
如何為れば 待つには出る 月是れど 入るを心に 任せざるらむ
大納言 藤原公實
0300 題不知 【○金葉集三奏本0182。】
試みに 他月をも 見てしがな 我宿からの 哀なるかと
花山院御製 花山帝
0301 月明侍ける夜、前大納言公任參詣來りけるを、する事侍て遲く出會ひければ、待兼ねて歸侍にければ、遣はしける 【○金葉集三奏本0206。】
恨めしく 歸りける哉 月夜には 來ぬ人をだに 待つとこそ聞け
中務卿具平親王
0302 屏風繪に、山峰に居て月見たる人描たる所に詠める
香具山の 白雲掛る 峯にても 同高さぞ 月は見えける
大江嘉言
0303 家に歌合し侍けるに詠める
終夜 富士高嶺に 雲消えて 清見關に 澄める月哉
左京大夫 藤原顯輔
0304 山城守に成りて嘆侍ける頃、月明かりける夜、參來りける人の、如何思ふ、と問侍ければ詠める
山城の 石田森の 言はずとも 心中を 照らせ月影
藤原輔尹朝臣
0305 久しく音為ぬ人許へ、月明き夜、言遣はしける 【○金葉集三奏本0169。】
月にこそ 昔事は 覺えけれ 我を忘るる 人に見せばや
中原長國
0306 山階寺に罷けるに、宋延法師に會ひて終夜物言侍けるに、有明月三笠山より指昇りけるを見て詠める
長らへば 思出に為む 思出よ 君と三笠の 山端月
琳賢法師
0307 京極前太政大臣家歌合に詠る
逢坂の 關杉原 下晴れて 月漏るにぞ 任せざりける
大藏卿 大江匡房
0308 筑紫より歸參詣來て、元住みける所在しにも非ず荒れたりけるに、月甚明侍ければ詠める
徒然と 荒れたる宿を 眺むれば 月許こそ 昔也けれ
帥前內大臣 藤原伊周
0309 題不知
深入りて 住まばやと思ふ 山端を 如何なる月の 出るなるらむ
高松上
0310 互ひに裹む事有る男の、容易く逢はず、と恨みければ
己身の 己心に 叶はぬを 思はば物は 思知りなむ
和泉式部
0311 忍ける男の、如何思ひけむ、五月五日朝に、明て後歸りて、今日現れぬるなむ嬉しき、と言ひたりける返事に詠める
菖蒲草 苅りにも來らむ 物故に 寢屋妻戶や 人見つらむ
和泉式部
0312 保昌に忘られて侍ける頃、兼房朝臣訪ひて侍ければ詠める 【○金葉集三奏本0350。】
人知れず 物思ふ事は 馴ひにき 花に別れぬ 春し無ければ
和泉式部
0313 藤原盛房通ひける女を離離に成りて後、神無月廿日頃に時雨頻ける日、何事かと言遣はしたりければ、母の返事に言へりける
思はれぬ 空氣色を 見るからに 我も時雨るる 神無月哉
佚名
0314 題不知
婀娜人は 時雨るる夜半の 月馴や 澄むとて得こそ 賴むまじけれ
待賢門院堀川
0315 絕えにける男の、五月許、思掛けず參詣來りければ詠める
誰が里に 語らひ兼ねて 郭公 歸る山路の 賴りなるらむ
佚名
0316 賴めたる夜見えざりける男の、後に參詣來りけるに、出逢はざりければ、言詫びて、辛事を知らせつる等言はせたりければ詠める 【○金葉集三奏本0423。】
良し然らば 恨さは我に 習ひけり 賴めて來ぬは 誰か教へし
清少納言
0317 書絕えたる男の、如何思ひけん、來りけるが、歸りける曉に、雨甚降りければ、朝に言遣はしける 【○金葉集三奏本0451。】
被きけむ 袂は雨に 如何為し 濡るるは然ても 思知れかし
江侍從
0318 題不知
深くしも 賴まざらなむ 君故に 雪踏分けて 夜な夜ぞ行く
曾禰好忠
0319 甚忍けびる男の、久しく音為ざりければ、言遣はしける
世人の 未知らぬ間の 薄冰 見判ぬ程に 消ねとぞ思ふ
赤染衛門
0320 言渡りける男の、八月許、袖露けさ等言ひたり、返事に詠める
秋は皆 思事無き 荻葉も 末撓む迄 露は置きけり
和泉式部
0321 藤原隆時朝臣物言侍ける女を絕えにければ、弟忠清通侍けるも、程無く忘侍ければ、忠清が弟隆重に會ひぬと聞きて、斯女に言遣はしける
如何為れば 同流の 水にしも 然のみは月の 移るなるらむ
藤原忠清
0322 題不知 【○金葉集三奏本0436。】
住吉の 細江に差せる 澪標 深きに負けぬ 人は有らじな
相模
0323 物思ひける頃詠める 【○金葉集三奏本0509。】
降雨の 腳とも落つる 淚哉 細かに物を 思碎けば
大納言藤原道綱母
0324 思事侍ける頃、寐寢られず侍ければ、終夜眺明して、有明月隈無く侍けるが、俄に搔暗し時雨けるを見て詠める
神無月 有明空の 時雨るを 又我為らぬ 人や見るらむ
赤染衛門
0325 忍びに物思ひける頃詠める 【○金葉集三奏本0419。】
忍ぶるも 苦しかりけり 數為らぬ 身には淚の 無から益かば
出羽辨
0326 忍びたる男の、鳴りける衣を、囂しとて、押退けければ詠める
音為ぬは 苦しき物を 身に近く 馴るとて厭ふ 人も有けり
和泉式部
0327 重煩ひけるに、斷遲れなば得なむ長らふまじき、と言ひたる男の返事に詠める
人世に 二度死ぬる 物為らば 忍びけりやと 試みてまし
大貳三位
0328 題不知
夕霧に 佐野舟橋 音すなり 手慣駒の 歸來るかと
左大辨源俊雅母
0329 長元八年、宇治前太政大臣家に歌合し侍けるに、勝方の殿上人、住吉に參詣て、歌詠侍けるに詠める
住吉の 浪に浸れる 松よりも 神驗ぞ 顯はれにける
式部大輔 藤原資業
0330 物へ罷ける道に、人の菖蒲を引けるを、長根や有ると乞はせけるを、惜侍ければ詠める
如何で斯く 根を惜むらむ 菖蒲草 憂には聲も 立てつべき世を
周防內侍
0331 冷泉院へ筍奉らせ賜とて詠ませ賜ける
世中に 振る甲斐も無き 竹筍は 我が積む年を 奉也
花山院御製 花山帝
0332 御返し
年經ぬる 竹齡を 返しても 子節を長く 為さむとぞ思ふ
冷泉院御製 冷泉帝
0333 男を恨みて詠める
蘆苅と 思はぬ山の 峯にだに 生ふなる物を 人歎きは
和泉式部
0334 攝津國に古曾部と云ふ所に籠りて、前大納言公任許へ言遣はしける
頓に 山田守る身と 成ぬれば 我のみ人を 驚かす哉
能因法師
0335 後二條關白儚事にて憤侍ければ、家內には侍ながら、前へも差出で侍らで、女房の中に言入れ侍ける
三笠山 流石に蔭に 隱ろへて 經る甲斐も無き 天下哉
源仲正
0336 公けの御畏まりにて侍けるを、僧正源覺申し許して侍ければ、其喜びに五月五日罷て詠める
君引かず 成なましかば 菖蒲草 如何なる根をか 今日は懸まし
平致經
0337 長恨歌之心を詠める 【○金葉集三奏本0165。】
思兼ね 別れし野邊を 來て見れば 淺茅原に 秋風ぞ吹く
源道濟
0338 陸奧國の任果て上侍けるに、武隈松許にて詠める
古里へ 我は歸りぬ 武隈の 待とは誰に 告げよとか思ふ
橘為仲朝臣
0339 世に沉滯みて侍ける頃、春日冬祭に幣立てけるに、覺えける事を幣に書付侍ける
枯果つる 藤末葉の 悲しきは 唯春日を 賴む許ぞ
左京大夫 藤原顯輔
0340 帥前內大臣明石に侍ける時、戀悲みて病に成て詠める
夜鶴 都內に 離たれて 子を戀つつも 鳴明す哉
高內侍 高階貴子
0341 堀河院御時、百首歌奉けるに詠める
身憂さは 過ぎぬる方を 思ふにも 今行末の 事ぞ悲しき
大納言 源師賴
0342 堀河院御時、百首歌奉けるに詠める
埋木の 下は朽つれど 古の 花心は 忘れざりけり
大藏卿 大江匡房
0343 題不知
今は唯 昔ぞ常に 戀らるる 殘有しを 思出にして
大納言 藤原伊通
0344 小野宮右大臣許に罷りて、昔事等云ひて詠める
老て後 昔を偲ぶ 淚こそ 幾許人目を 忍ばざりけれ
清原元輔
0345 題不知
行末の 古許 戀しくば 過ぐる月日も 嘆かざらまし
賀茂政平
0346 新院の仰にて百首歌奉けるに詠める 【○千載集1129。】
厭ひても 尚惜まるる 我身哉 二度來べき 此世為らねば
藤原季通朝臣
0347 神祇伯顯仲、廣田にて歌合し侍とて、寄月述懷と云ふ事を詠みてと乞侍ければ、遣はしける
難波江の 蘆間に宿る 月見れば 我身一つも 沈まざりけり
左京大夫 藤原顯輔