千載和歌集 卷十八 雜歌下
【短歌】 【旋頭】 【折句】 【物名】 【誹諧】
短歌【○實為長歌。】
1160 堀川院御時百首歌奉りける時、述懷歌詠みて奉りける
最上河 瀨瀨岩角 湧返り 思心は 多かれど 行方も無く 堰かれつつ 底水屑と 為る事は 藻に棲む蟲の 我からと 思知らずは 無けれども 言はでは得こそ 渚為る 片割舟の 埋もれて 引人も無き 歎きすと 浪立居に 仰げども 虛しき空は 碧にて 云事も無き 悲しさに 音をのみ泣けば 唐衣 抑ふる袖も 朽果ぬ 何事にかは 哀とも 思はむ人に 近江為る 打出濱の 打出つつ 言ふとも誰か 小蟹の 如何樣にても 書付かむ 事をば軒に 吹風の 烈しき頃と 知りながら 上空にも 教ふべき 梓杣に 宮木引き 御垣原に 芹摘みし 昔は餘所に 聞きしかど 我身上に 成果てぬ 流石に御代の 初めより 雲上には 通へども 難波事も 久方の 月桂し 折られねば 朮花の 咲きながら 開けぬ事の 鬱悒さに 四方山邊に 在所離れて 此面彼面に 立交り 空五倍子染うつぶしぞめの 麻衣 花袂に 脫替て 後世をだにと 思へども 思人人 絆にて 行くべき方も 惑はれぬ 斯る憂身の 由緣も無く 經にける年を 數ふれば 五十に 成りにけり 今行く末は 稻妻の 光間にも 定無し 譬へば獨 永らへて 過ぎにし許 過ぐすとも 夢に夢見る 心地して 隙行駒に 異為らじ 更にも言はじ 冬枯の 尾花末の 露為れば 嵐をだにも 待たずして 本雫と 成果てむ 程をば何時と 知りてかは 暮にとだにも 賴むべき 如是のみ常に 爭ひて 猶故鄉に 住江の 潮に漂ふ 空貝 現し心も 失果てて 有るにも非ぬ 世間に 復何事を 三熊野の 浦濱木綿 重ねつつ 憂に堪へたる 例には 鳴尾松の 徒然と 徒事を 搔集めて 哀知られむ 行末の 人為には 自から 偲ばれぬべき 身為れども 儚事も 雲鳥の 竒にく為らぬ 癖為れば 是も然こそは 實無栗 朽葉下に 埋もれめ 其に付けても 津國の 生田社の 幾度か 海人栲繩 繰返し 心に添はぬ 身を怨むらむ
源俊賴朝臣
1161 反歌
世中は 憂身に添へる 影為れや 思捨つれど 離れざりけり
源俊賴朝臣
1162 百首歌召しける時、詠ませ賜うける
敷島や 和歌の 傳はりを 聞けば遙かに 久方の 天津神代に 始まりて 三十文字餘り 一文字は 出雲宮の 八雲より 興けりとぞ 誌るすなる 其より後は 百種の 言葉繁く 散散に 風に告けつつ 聞ゆれど 近例に 堀河の 流を汲みて 碎浪の 寄來る人に 誂へて 拙き事は 濱千鳥 跡を末迄 留めじと 思ひながらも 津國の 難波浦の 何と無く 舟流石に 此事を 忍習し 名殘にて 世人聞きは 恥しの 洩りをや為むと 思へども 心にも非ず 書連ねつる
崇德院御製
1163 同御時百首歌奉りける時の長歌
時知らぬ 谷埋木 朽果てて 昔春の 戀しさに 何の文目も 別かずのみ 變らぬ月の 影見ても 時雨に濡るる 袖浦に 潮垂增さる 海人衣 哀を掛けて 問ふ人も 波に漂ふ 釣舟の 漕離れにし 世為れども 君に心を 懸けしより 繁憂も 忘草 忘れ顏にて 住江の 松千歲の 遙遙と 梢遙かに 榮ゆべき 常磐陰を 賴むにも 名草濱の 慰さみて 布留社の 石上に 色深からで 忘れにし 紅葉下葉 殘るやと 老蘇森に 尋ぬれど 今は嵐に 伉つつ 霜枯枯に 衰へて 搔集めたる 水莖に 淺心の 隱無く 流れての名を 鴛鴦の 憂例にや 成らむとすらむ
待賢門院堀川
旋頭歌【○旋頭歌,本為五七七五七七之辭。按『奧儀抄』,千載集者「五句外加一句,胸腰終入,七字五字任意。」】
1164 下總守に罷れりけるを、任果てて上りたりける頃、源俊賴朝臣許に遣はしける
東道の 八重霞を 別來ても 君に逢はねば 猶隔てたる 心地こそすれ
源仲正
1165 返し
搔絕えし 真間繼橋 踏見れば 隔てたる 霞も晴れて 向えるが如
源俊賴朝臣
1166 百首歌奉りける時、旅心を詠める
東路の 野島崎の 濱風に 我が紐結し 妹顏のみ 面影に見ゆ
左京大夫 藤原顯輔
折句歌【○折句歌,『八雲御抄』云:「拆物名字字,置每句之上也。」『奧儀抄』云:「取五字之詞,置各句之首也。」】
1167 二條院御時、こいたじきと云ふ五字を句上に置きて、旅心を
駒並べて 去來見に行かむ 龍田川 白浪寄する 岸邊を
源雅重朝臣
1168 南無阿彌陀の五字を上に置きて、旅心を詠める
何と無く 物ぞ悲しき 秋風の 身に沁む夜半の 旅寢覺は
仁上法師
物名【○物名,或云隱題、籠題。」】
1169 五月雨を詠める
夜程に 假初人や 來りけむ 淀水薦の 今朝亂れたる
和泉式部
1170 簾革
跡絕へて 訪ふべき人も 思ほえず 誰かは今朝の 雪を分けこむ
中納言 藤原定賴
1171 牡蠣殼
榊葉は 紅葉も為じを 神垣の 唐紅に 見え渡る哉
大貳三位 藤原賢子
1172 振鼓
池も古り 堤崩れて 水も無し 宜勝間田に 鳥居ざらむ
二條太皇太后宮肥後
1173 苅萱
我が駒を 暫しと借るか 山城の 木幡里に 在と答へよ
源俊賴朝臣
1174 真卷箭立
御倉山 慎屋立てて 住民は 年を積むとも 朽ちじとぞ思ふ
源俊賴朝臣
1175 唐紙型木
夜と共に 心を懸けて 賴めども 我韓神の 難き驗か
源俊賴朝臣
1176 鳥帚
秋野に 誰を誘はむ 行歸り 獨は萩を 見る甲斐も無し
刑部卿藤原賴輔母
1177 百首歌奉りける時の隱題歌、蟋蟀
秋は霧 霧過ぎぬれば 雪降りて 晴るる間も無き 深山邊里
待賢門院堀川
1178 水吞
稻荷山 驗杉の 年古りて 三御社 神古にけり
僧都有慶
1179 笠置岩屋
名にし負はば 常は搖ぎの 森にしも 如何でか鷺の 寢は安くぬる
登蓮法師
誹諧歌【○誹者非也,不屬正調、諧調之曲。『奧儀抄』云:「誹諧者滑稽也。」】
1180 花許に寄臥して詠侍ける
怪くも 花邊に 臥せる哉 折らば咎むる 人や在るとて
道命法師
1181 卯花を詠める
卯花よ いで事事し 懸島の 浪も然こそは 岩を越えしか
源俊賴朝臣
1182 五月五日、菖蒲を詠める
今日懸くる 袂に根指せ 菖蒲草 憂は我が身に 有と知らずや
道因法師【俗名藤原敦賴。】
1183 照射を詠める
燈して 箱根山に 明けにけり 二より三より 逢ふとせし間に
橘俊綱朝臣
1184 六月晦方、機織鳴くを聞きて詠める
夏內は 端隱れても 非ずして 降立ちにける 蟲聲哉
江侍從
1185 題不知
秋來れば 秋景色も 見えけるを 時為らぬ身と 何に言ふらむ
輔仁親王
1186 萩露玉と見ゆるとて折りけれども、露も無かりければ詠める
朝露を 日高て見れば 跡も無し 萩上葉に 物や問はまし
藤原為賴朝臣
1187 崇德院に百首歌奉りける時、秋歌とて詠める
矛花生し 小野芝生の 朝露を 貫散しける 玉かとぞ見る
花薗左大臣家小大進
1188 野花を見て道に留まると言ひける心を詠める
墮に來と 語らば語れ 女郎花 今宵は花の 蔭に宿らむ
僧都範玄
1189 九月十三夜に詠める
暮秋 殊に清けき 月影は 十夜に餘りて 三夜と成りけり
賀茂政平
1190 隔我聞他戀と言へる心を詠める
板廂 差すや萱屋の 時雨こそ 音し音為ぬ 方は判くなれ
顯昭法師
1191 堀川院御時百首內、戀歌とて詠める
笛竹の 甚切淺ましの 世中や 在しや臥しの 限為るらむ
藤原基俊
1192 旅戀
慕來る 戀奴の 旅にても 身癖為れや 夕轟きは
源俊賴朝臣
1193 百首歌奉りける時、戀歌とて詠める
逢事の 歎積る 苦しさを 負へかし人の 懲果つる迄
待賢院堀川
1194 六波羅蜜寺講導師にて、高座に上る程に、聽聞の女房の足を抓みて侍ければ詠める
人足を 抓むにて知りぬ 我が方へ 文遣せよと 思ふ成べし
良喜法師
1195 山寺に籠りて侍ける時、心有る文を女の屢屢遣はし侍ければ、詠みて遣はしける4
恐しや 木曾懸路の 丸木橋 踏見る度に 落ちぬべき哉
空人法師 大中臣清長
1196 賀茂社に籠りて侍ける時、政平常に詣來て歌詠み笛吹き等して遊びける、傍為る局に籠りたる人をも知りて、其方へも罷り等しけるが、其人出て後、久しく詣來ざりければ遣はしける
笛竹の 此方來と何に 思ひけむ 隣に音は 為しにぞ有ける
心覺法師
1197 東方に罷りけるに、八橋にて詠める
八橋の 渡に今日も 泊哉 爰に住むべき 身かはと思へど
道因法師【俗名藤原敦賴。】
1198 女を相語侍けるを、如何にも有るまじき事也、思絕えねと言侍ければ詠める
辛しとて 然てはよも我 山烏 頭は白く 成る世也とも
安性法師【俗名時元。】
1199 阿彌陀小呪の文字を歌上に置きて十首詠侍ける時、奧に書侍ける
上に置ける 文字は誠の 文字為れば 歌も黃泉路を 助けざらめや
源俊賴朝臣
1200 山寺に詣でたりける時、貝吹きけるを聞きて詠める
今日も亦 午貝こそ 吹きつなれ 未步み 近づきぬらむ
赤染衛門
1201 題不知 【○拾遺集1343。】
極樂は 遙けき程と 聞きしかど 勤めて至る 所也けり
空也上人