1052 五十御賀過ぎて又年春、鳥羽殿櫻盛りに、御前花を御覽じて詠ませ賜うける
心有らば 匂を添へよ 櫻花 後春をば 誰か見るべき
鳥羽院御製
1053 落花之心を詠侍ける
儚さを 恨みも果じ 櫻花 憂世は誰も 心為らねば
仁和寺後入道法親王【覺性。】
1054 僧都賴實身罷りて後、又年春、禪定院花盛りなるを見て詠侍ける
宿も宿 花も昔に 匂へども 主無き色は 寂しかりけり
僧正尋範
1055 落餝して後、東山花見步侍けるに、圓城寺花面白かりけるを見て詠侍ける
古に 變らざりけり 山櫻 花は我をば 如何見るらむ
前中納言 藤原基長
1056 遁世後、花歌とて詠める
雲上の 春こそ更に 忘られね 花は數にも 思出じを
皇太后宮大夫 藤原俊成
1057 石山に度度詣賜けるを、果度關清水許に御車止めて、此度許やと心細く御覽じて詠ませ賜うける
數多度 行逢坂の 關水に 今は限の 影ぞ悲しき
東三條院 藤原詮子
1058 山に登りて暫修行等し侍ける時、詠侍ける
今はとて 入りなむ後ぞ 思ほゆる 山路を深み 訪人も無し
前大納言 藤原公任
1059 春頃、粟田に罷りて詠める
憂世をば 峯霞や 隔つらむ 猶山里は 住良かりけり
前大納言 藤原公任
1060 歎事侍ける比、詠める
花咲かぬ 谷底にも 住ま無くに 深くも物を 思春哉
和泉式部
1061 前大納言公任、長谷と云ふ所に籠居ける時遣はしける
1062 山寺に籠りて侍ける頃、雨降りて心細かりけるに、人の詣來て歌等詠みける序に詠める
如是てだに 猶哀なる 奥山に 君來ぬ夜夜を 思知らなむ
道命法師
1063 除目頃、司給はらで歎侍ける時、範永許に遣はしける
年每に 淚川に 浮べども 身は投げかれぬ 物にぞ有ける
大江公資
1064 寄霞述懷之心を詠める
思事 無くてや春を 過ぐ樣し 憂世隔つる 霞也せば
源仲正
1065 遁世れて後、白河花を見て詠める
散るを見て 歸る心や 櫻花 昔に變る 徵為るらむ
圓位法師 釋西行
1066 花歌數多詠侍ける時
花に染む 心如何で 殘りけむ 捨果切と 思ふ我身に
圓位法師 釋西行
1067 【○承前。侍詠數多花歌時。】
佛には 櫻花を 奉れ 我が後世を 人弔らはば
圓位法師 釋西行
1068 世を背きて又年春、花を見て詠める
此春ぞ 思ひは翻す 櫻花 虛き色に 染めし心を
寂然法師 藤原賴業
1069 題不知
世中を 常無き物と 思はずは 如何でか花の 散るに堪へまし
寂然法師 藤原賴業
1070 遷都等聞えける又年春、白川花盛りに女手にて花下に落置きて侍ける
如此許 憂世末に 如何にして 春は櫻の 猶匂ふらむ
佚名
1071 花盛りに法成寺に參り金堂前の花散るを見て詠侍ける
古にけり 昔を知らば 櫻花 散末をも 哀とは見よ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1072 依花待客と言へる心を詠める
山櫻 花を主と 思はずは 人を待つべき 柴庵かは
源定宗朝臣
1073 圓位法師が勸侍ける百首歌中に、花歌とて詠める
何處にて 風をも世をも 恨みまし 吉野奥も 花は散りけり
藤原定家
1074 花歌とて詠める
深く思ふ 事し叶はば 來世にも 花見る身とや 成らむとすらむ
源季廣
1075 家に櫻を植ゑて詠侍ける
老が世に 宿に櫻を 移植ゑて 猶試みに 花を待つ哉
源師教朝臣
1076 高倉院春宮御時、權亮に侍けるを、參議にて程經侍ける頃、賀茂社歌合とて人人詠侍けるに、述懷歌とて詠侍ける
位山 花を待つこそ 久しけれ 春宮處に 年は經しかど
權中納言 藤原實守
1077 崇德院御時十五首歌奉ける時、述懷之心を詠侍ける
春日山 松に賴みを 懸くる哉 藤末葉の 數為らねども
右兵衛督 藤原公行
1078 歎事侍ける比、詠侍ける
物思ふ 心や身にも 先立ちて 憂世を出む 標為るべき
前左衛門督 藤原公光
1079 述懷歌とて詠める
數為らで 年經ぬる身は 今更に 世を憂とだに 思はざりけり
俊惠法師
1080 【○承前。詠述懷歌。】
何時とても 身憂事は 變らねど 昔は老を 歎きやは為し
道因法師【俗名藤原敦賴。】
1081 述懷歌詠侍ける時、昔白河院に仕奉ける事を思出て詠める
古も 底に沉みし 身為れども 猶戀しきは 白川水
藤原家基【法名素覺。】
1082 廣田社歌合に詠める
哀云ふ 人も無き身を 憂とても 我さへ如何 厭果つべき
藤原盛方朝臣
1083 右大將實房、中將に侍ける時、十五首歌詠ませ侍けるに、述懷歌とて詠める
數為らぬ 身を浮雲の 晴れぬ哉 流石に家の 風は吹けども
中原師尚
1084 學問料申侍けるを賜らず侍ける時、人訪へる返事に詠みて遣はしける
思遣れ 十代に餘れる 燈火の 揭難ねたる 心細さを
大江匡範
1085 題不知
世憂を 思忍ぶと 人も見よ 如是て古屋の 軒景色を
藤原公重朝臣
1086 【○承前。無題。】
引人も 無くて捨てつる 梓弓 心強きも 甲斐無かりけり
菅原是忠
1087 【○承前。無題。】
如何で我 隙行く駒を 引止めて 昔に歸る 道を尋ねむ
二條院內侍參河
1088 攝政右大臣時、家歌合に述懷歌とて詠める
今は唯 生けらぬ物に 身を為して 生れぬ後の 世にも經哉
源師光
1089 司召に伊勢に成りけるを辭申ける時、大僧正行尊許に遣はしける
如何に為む 伊勢濱荻 水隱れて 思はぬ磯の 浪に朽ちなむ
源俊重
1090 田上山里に住侍ける頃、風烈しかりける夜、詠める
真木戶を 深山颪に 叩かれて 訪ふに付けても 濡るる袖哉
源俊賴朝臣
1091 山田庵に煙立ちけるを見て詠める
小山田の 庵に焚火の 有無に 立煙もや 雲と成るらむ
橘盛長
1092 堀川院御時百首歌奉りける時、山家之心を詠める
山里の 柴折折りに 立煙 人稀也と 空に知る哉
二條太皇太后宮肥後
1093 長月晦頃、患事有りて、賴無く覺えければ、久しく問はぬ人に遣はしける
秋果つる 枯野蟲の 聲絕えば 有や無しやを 人問へかし
藤原基俊
1094 女許に罷りて、月明侍けるに、空景色物心細く侍ければ詠侍ける
此世には 住むべき程や 盡ぬらむ 世常為らず 物悲しき
藤原道信朝臣
1095 題不知
命有らば 如何樣に為む 世を知らぬ 蟲だに秋は 鳴きにこそ泣け
和泉式部
1096 【○承前。無題。】
數為らで 心に身をば 任せねど 身に從ふは 心也けり
紫式部
1097 常よりも世間儚く聞えける頃、相模許に遣はしける
哀とも 誰かは我を 思出む 在る世をだにも 問ふ人も無し
藤原兼房朝臣
1098 前大納言公任、長谷に住侍ける頃、風烈しかりける夜の朝に遣はしける
故鄉の 板間風に 寢覺めして 谷嵐を 思ひこそ遣れ
中納言 藤原定賴
1099 返し
谷風の 身に沁む每に 故鄉の 木本をこそ 思遣りつれ
前大納言 藤原公任
1100 前大納言公任、入道し侍りて長谷に侍ける時、僧裝束法服等送侍るとて遣はしける
古は 思掛けきや 取交し 如是著む物と 法衣を
法成寺入道前太政大臣 藤原道長
1101 返し
同年 契りし有れば 君が著る 法衣を 立遲れめや
同年之人になむ侍ける。
入道大納言 藤原公任
1102 三條院隱賜うて後、彼院前を過ぎけるに、松梢は同樣にて、築垣所所崩れたるに、葎茂りたるを見て、其中に江侍從が侍けるに遣はしける
昔見し 松梢は 其ながら 葎門を 鎖してける哉
辨乳母 藤原明子
1103 一品聰子內親王、仁和寺に住侍ける冬頃、筧冰を三御子に送られて侍ければ遣はしける
山里の 筧水の 冰れるは 音聞くよりも 寂しかりけり
輔仁御子 輔仁親王
1104 返し
山里の 寂しき宿の 住處にも 筧水の 解くるをぞ待つ
聰子內親王
1105 大納言實家許に三十六人集を返遣はしける中に、故大炊御門右大臣の書きて侍ける草子に書きて押付けられて侍ける
木下に 書集めたる 言葉を 別れし秋の 形見とぞ見る
太皇太后宮 藤原多子
1106 返し
木下に 書く言葉を 見る度に 賴みし蔭の 無きぞ悲しき
權大納言 藤原實家
1107 高野に詣侍ける時、山路にて詠侍ける
跡絕えて 世を遁るべき 道為れや 岩さへ苔の 衣著にけり
仁和寺法親王【守覺。】
1108 述懷之心を詠侍ける
思出の 有らば心も 留りなむ 厭易きは 憂世也けり
仁和寺法親王【守覺。】
1109 大峰通りける時、笙岩屋と云ふ宿にて詠侍ける
宿りする 岩屋床の 苔莚 幾夜に成りぬ 寢こそ寢られぬ
前大僧正覺忠
1110 述懷歌とて詠侍ける
身程を 知らずと人や 思ふらむ 如是憂ながら 年を經ぬれば
大納言 藤原宗家
1111 【○承前。侍詠述懷歌。】
背かばや 誠道は 知らずとも 憂世を厭ふ 徵許に
右近中將 藤原忠良
1112 【○承前。侍詠述懷歌。】
杣川に 降す筏の 浮きながら 過行く物は 我身也けり
二條太皇太后宮別當
1113 百首歌中に、述懷歌とて詠める
自から 有れば在る世に 長らへて 惜むと人に 見えぬべき哉
藤原定家
1114 【○承前。百首歌中,詠述懷歌。】
憂とても 厭ひも果てぬ 世間を 中中何に 思知りけむ
攝政家丹後
1115 題不知
登るべき 道にぞ迷ふ 位山 茲より奥の 標無ければ
法印倫圓 源公豪
1116 十月に重服に成りて侍ける又年春、傍官共加階侍けるを聞きて詠める
諸人の 花咲く春を 餘所に見て 猶時雨るるは 椎柴袖
中納言 藤原長方
1117 題不知
憂世にも 嬉しき世にも 先に立つ 淚は同じ 淚也けり
藤原顯方
1118 遠國に侍ける時、同樣なる物共事直りて登ると聞えける時、其中に漏れにけりと聞きて、都人許に遣はしける
此瀨にも 沈むと聞くは 淚川 流れしよりも 猶增りけり
前右兵衛督 藤原惟方
1119 世を背かむと思立ちける比、詠める
如此許 憂身為れども 捨果むと 思ふに成れば 悲しかりけり
空人法師 大中臣清長
1120 心外なる事にて知らぬ國に罷れりけるを、事直りて京に上りて後、日吉御社に參りて詠侍ける
思ひきや 志賀浦浪 立返り 復逢身とも 為らむ物とは
平康賴
1121 述懷歌詠侍ける時
如此許 憂世中を 忍びても 待つべき事の 末に有るかは
登蓮法師
1122 修行に罷步きける時、詠める
思兼ね 在所離出て 行道は 搖く草葉に 露ぞ零るる
覺禪法師
1123 世常無き事を思ひて詠侍ける
夢とのみ 此世事の 見ゆる哉 然むべき程は 何時と無けれど
權僧正永緣
1124 患事有りて雲林院なる所に罷りけるに、人訪へりければ遣はしける
此世をば 雲林に 門出して 煙と成らむ 夕をぞ待つ
良暹法師
1125 題不知
憂事の 微睡む程は 忘られて 覺むれば夢の 心地こそすれ
佚名
1126 【○承前。無題。】
何處とも 身を遣方の 知られねば 憂と見つつも 長らふる哉
紫式部
1127 述懷百首歌中に、夢歌とて詠める
憂夢は 名殘迄こそ 悲しけれ 此世之後も 猶や歎かむ
皇太后宮大夫 藤原俊成
1128 百首歌奉りける時、無常之心を詠める
現をも 現と如何 定むべき 夢にも夢を 見ずばこそ有らめ
藤原季通朝臣
1129 【○承前。奉百首歌時,詠無常之趣。詞花集0346。】
厭ても 猶忍ばるる 我身哉 再來べき 此世為らねば
藤原季通朝臣
1130 【○承前。奉百首歌時,詠無常之趣。】
玆や夢 孰か現 儚さを 思分かでも 過ぎぬべき哉
上西門院兵衛
1131 【○承前。奉百首歌時,詠無常之趣。】
明日知らぬ 三室岸の 根無草 何徒世に 生始めけむ
花園左大臣家小大進
1132 前大僧正覺忠、御嶽より大峯に罷入りて、神仙と云ふ所にて、金泥法華經書奉りて埋侍るとて五十日許留りて侍けるに、房覺が熊野方より罷侍けるに付けて云置くりける
惜からぬ 命ぞ更に 惜まるる 君が都に 歸來る迄
前大納言 藤原成通
1133 返し
憂世をば 捨て入にし 山為れど 君が問ふにや 出むとすあむ
前大僧正覺忠
1134 閑居水聲と言へる心を詠侍ける
岩注く 水より他に 音せねば 心一つに 澄ましてぞ聞く
仁和寺法親王守覺
1135 高野に參りて侍けるに、奥院に靜蓮法師が庵室に罷りたりけるに、哀に見えければ。歸て遣はしける
誰も皆 露身ぞかしと 思ふにも 心泊りし 草庵哉
權大納言 藤原實國
1136 秋比、山に登りて横川安樂五僧許に罷れりけるに、正法房障子に書付侍ける
等閑に 歸る袂は 變らねど 心許ぞ 墨染袖
藤原公衡朝臣
1137 題不知 【○百人一首0095。】
おほけ無く 憂世民に 覆哉 我が立杣に 墨染袖
吾身力不逮 今在比叡杣山上 身著墨染袖 不知今借三寶力 可否覆澤憂世民
法印慈圓
1138 【○承前。無題。】
寂しさに 憂世を替て 忍ばずは 獨聞くべき 松風かは
寂蓮法師 藤原定長
1139 【○承前。無題。】
熟と 思へば悲し 曉の 寢覺も夢を 見るにぞ有ける
殷富門院大輔
1140 【○承前。無題。】
微睡みて 偖も止みなば 如何為む 寢覺めぞ非ぬ 命也ける
西住法師 源季政
1141 【○承前。無題。】
先立つを 見るは猶こそ 悲しけれ 後果つべき 此世為らねば
六條院宣旨
1142 樣變むと思立つ人、物哀なる夕暮に箏琴彈くを聞きて詠める
今はとて 搔鳴す琴の 果緒の 心細くも 成增さる哉
二條太皇太后宮式部
1143 題不知
大井川 戶無瀨瀧に 身を投げて 早くと人に 言はせてしがな
空仁法師 大中臣清長
1144 病有りて東山なる所に侍けるを、宜しくなりて後、如何と人問ひて侍ける返事に詠める
鳥邊山 君尋ぬとも 朽果て 苔下には 答へざらまし
大江公景
1145 題不知
分侘て 厭し庭の 蓬生も 枯れぬと思へば 哀也けり
法眼兼覺
1146 賀茂社歌合に、述懷歌とて詠める
世中の 憂は今こそ 嬉しけれ 思知らずは 厭はましやは
寂蓮法師 藤原定長
1147 山寺に籠居侍けるに、房に留りたる人の、何時出むずると問ひ侍ければ言遣はしける
世を背き 草庵に 墨染の 衣色は 變る物かは
覺俊上人
1148 源清雅、九月許に樣變て山寺に侍けるを、人問ひて侍ける返事せよと申侍ければ、詠みて遣はしける
思遣れ 慣らはぬ山に 墨染の 袖に露置く 秋景色を
源通清
1149 題不知
曉の 嵐に副ふ 鐘音を 心底に 答へてぞ聞く
圓位法師 釋西行
1150 【○承前。無題。】
何處にか 身を隱さまし 厭出て 憂世に深き 山無かりせば
圓位法師 釋西行
1151 述懷百首歌詠侍ける時、鹿歌とて詠める 【○百人一首0083。】
世中よ 道こそ無けれ 思入る 山奥にも 鹿ぞ鳴くなる
悠悠此世間 天下雖大無寄道 難有容身處 深覺縱隱深山奧 仍聞鳴鹿淒切聲
皇太后宮大夫 藤原俊成
1152 秋頃、山寺にて詠侍ける
思事 有明方の 鹿音は 猶山深く 家居せよとや
藤原良清
1153 題不知
見る夢の 過ぎにし方を 誘來て 覺むる枕も 昔也せば
藤原宗隆
1154 大宰大貳重家入道身罷りて後、山寺懷舊と言へる心を詠める
初瀨山 入相鐘を 聞く度に 昔遠く 鳴るぞ悲しき
藤原有家朝臣
1155 春頃、久我に罷れりける序に、父大臣の墓所邊の花散りけるを見て、昔花を昔侍ける心指し等思出て詠侍ける
散積る 苔下にも 櫻花 惜む心や 猶殘るらむ
權中納言 源通親
1156 落餝て後、前中納言雅賴、未だ小男に侍ける時、初めて昇殿申させ侍けるを、聽されて侍ければ、詠みて奏せさせ侍ける
嬉しさを 返返すも 包むべき 苔袂の 狹くも有哉
入道前中納言 源雅兼
1157 還昇して侍ける人許に遣はしける
嬉しさを 他袖迄 裹む哉 立歸りぬる 天羽衣
藤原季經朝臣
1158 今上御時五節之程、侍從定家誤有樣に聞召す事有りて、殿上除れて侍ける、其年も暮にける又年彌生朔頃、院に御氣色賜はるべき由、左少辨定長許に申侍けるに添へて侍ける
蘆鶴の 雲路迷ひし 年暮て 霞をさへや 隔て果つべき
入道皇太后宮大夫 藤原俊成
1159 此由を奏申侍ければ、甚畏く哀れがらせ御座して、今は早還昇仰下すべき由御氣色有りて、心晴るる由の返し仰遣はせと仰出されければ、詠みて遣はしける
蘆鶴は 霞を別けて 歸る也 迷ひし雲路 今日や晴るべき
此道御憐み、昔聖代にも異ならずとなむ、時人申侍ける。
藤原定長朝臣