遣新羅使歌、
宅守弟上娘子贈答
真字萬葉集 卷十五 遣新羅使歌、中臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌


遣新羅使歌

3578 遣新羅使人等,悲別贈答。及海路慟情陳思,并當所誦之古歌 【百卌五第一。】

     武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈禮弖 古非爾之奴倍之

     武庫浦(むこのうら)の 入江渚鳥(いりえのすどり) 羽含(はぐく)もる (きみ)(はな)れて (こひ)()ぬべし

       洽猶武庫浦 入江渚鳥之所如 護我庇羽下 吾君今日與別離 必當難堪戀死矣

      遣新羅使妻 3578


3579 【承前,百卌五第二。】

     大船爾 伊母能流母能爾 安良麻勢婆 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎

     大船(おほぶね)に 妹乘(いもの)(もの)に ()らませば 羽含持(はぐくみも)ちて ()益物(ましもの)

       嗚呼此大船 若得令汝共乘者 親親吾妹矣 寔欲含羽護持而 攜汝共徃伴身邊

      遣新羅使 3579


3580 【承前,百卌五第三。】

     君之由久 海邊乃夜杼爾 奇里多多婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢

     (きみ)()く 海邊宿(うみへのやど)に 霧立(きりた)たば ()立嘆(たちなげ)く (いき)()りませ

       吾君之所行 途中羈旅海邊宿 若見霧湧者 當知其乃吾悲別 哀嘆唏噓吐息矣

      遣新羅使妻 3580


3581 【承前,百卌五第四。】

     秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈爾之可母 奇里爾多都倍久 奈氣伎之麻佐牟

     秋去(あきさ)らば 相見(あひみ)(もの)を (なに)しかも (きり)()つべく (なげ)きし()さむ

       待至秋日臨 當能重逢相見矣 何以悲如是 唏噓哀嘆至幾許 甚令霧湧瀰漫哉

      遣新羅使 3581


3582 【承前,百卌五第五。】

     大船乎 安流美爾伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢

     大船(おほぶね)を 荒海(あるみ)(いだ)し 坐君(いますきみ) 障事無(つつむことな)く 早歸坐(はやかへりま)

       吾君乘大船 遠蹈滄溟出荒海 渡越赴異鄉 願君多幸身無恙 不逢滯礙早歸來

      遣新羅使妻 3582


3583 【承前,百卌五第六。】

     真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝爾多都等母 佐波里安良米也母

     真幸(まさき)くて (いも)(いは)はば 沖波(おきつなみ) 千重(ちへ)()つとも 障有(さはりあ)らめやも

       愛也吾妻也 齋戒物忌求真幸 誠心祈禱者 縱令瀛浪湧千重 豈能有障滯吾哉

      遣新羅使 3583


3584 【承前,百卌五第七。】

     和可禮奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多爾乎伎麻勢 多太爾安布麻弖爾

     (わか)れなば 衷悲(うらがな)しけむ ()(ころも) (した)にを()ませ (ただ)逢迄(あふまで)

       此日相別去 必然由衷愁相思 悲慕不能止 還望著我衣於下 肌身不離至重逢

      遣新羅使妻 3584


3585 【承前,百卌五第八。】

     和伎母故我 之多爾毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安禮等可米也母

     我妹子(わぎもこ)が (した)にも()よと (おく)りたる 衣紐(ころものひも)を 我解(あれと)かめやも

       此乃吾妹子 令我著以裏服而 所贈下衣矣 肌身不離此衣紐 豈有輙解之由哉

      遣新羅使 3585


3586 【承前,百卌五第九。】

     和我由惠爾 於毛比奈夜勢曾 秋風能 布可武曾能都奇 安波牟母能由惠

     ()(ゆゑ)に (おも)莫瘦(なや)せそ 秋風(あきかぜ)の ()かむ其月(そのつき) ()はむ物故(ものゆゑ)

       雖然常相思 莫因妾故致羸弱 蕭瑟秋風之 所以吹拂新涼時 必當再會復相逢

      遣新羅使妻 3586


3587 【承前,百卌五第十。】

     多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

     栲衾(たくぶすま) 新羅(しらき)(いま)す (きみ)()を 今日(けふ)明日(あす)かと (いは)ひて()たむ

       楮絲栲衾兮 新羅國矣吾君徃 妾不忍離別 總冀今明與君逢 潔齋祈禱待汝歸

      遣新羅使妻 3587


3588 【承前,百卌五十一。】

     波呂波呂爾 於毛保由流可母 之可禮杼毛 異情乎 安我毛波奈久爾

     遙遙(はろはろ)に (おも)ほゆるかも (しか)れども ()しき(こころ)を ()(おも)()くに

       遙遙在天邊 懸心掛念相思矣 雖然隔異地 所謂浮情貳心者 吾人未嘗有之也

      遣新羅使 3588

         右十一首,贈答。



3589 【承前,百卌五十二。】

     由布佐禮婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曾安我久流 伊毛我目乎保里

     夕去(ゆふさ)れば 蜩來鳴(ひぐらしきな)く 生駒山(いこまやま) ()えてそ()()る (いも)()()

       每逢夕暮時 晚蜩來鳴聲蕭瑟 往馬生駒山 翻山越嶺吾來矣 只願一得拜汝眉

      秦間滿 3589

         右一首,秦間滿。



3590 【承前,百卌五十三。】

     伊毛爾安波受 安良婆須弊奈美 伊波禰布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曾安我久流

     (いも)()はず ()らば術無(すべな)み 岩根踏(いはねふ)む 生駒山(いこまのやま)を ()えてそ()()

       將發向之間 無奈不得與妻逢 於今踏岩磐 翻越往馬生駒山 蹔還私家吾來矣

      遣新羅使 3590

         右一首,蹔還私家陳思。



3591 【承前,百卌五十四。】

     妹等安里之 時者安禮杼毛 和可禮弖波 許呂母弖佐牟伎 母能爾曾安里家流

     (いも)(あり)し (とき)()れども (わか)れては 衣手寒(ころもでさむ)き (もの)にそありける

       與妹相依時 縱然天冷無此思 一旦相別去 所著衣手旅裳者 雖值夏日感冽寒

      遣新羅使 3591


3592 【承前,百卌五十五。】

     海原爾 宇伎禰世武夜者 於伎都風 伊多久奈布吉曾 妹毛安良奈久爾

     海原(うなはら)に 浮寢為(うきねせ)()は 沖風(おきつかぜ) 甚莫吹(いたくなふ)きそ (いも)()()くに

       身在汪洋間 漂泊滄溟浮寢夜 只願瀛風矣 切莫甚吹刺骨寒 此無愛妻可相偎

      遣新羅使 3592


3593 【承前,百卌五十六。】

     大伴能 美津爾布奈能里 許藝出而者 伊都禮乃思麻爾 伊保里世武和禮

     大伴(おほとも)の 御津(みつ)船乘(ふなの)り 漕出(こぎで)ては (いづ)れの(しま)に 廬為(いほりせ)(われ)

       澪標盡瘁兮 大伴御津乘船而 發向榜出後 我當漂盪至何島 方可假廬暫泊哉

      遣新羅使 3593

         右三首,臨發之時作歌。



3594 【承前,百卌五十七。】

     之保麻都等 安里家流布禰乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可禮伎爾家利

     潮待(しほまつ)と (あり)ける(ふね)を ()らずして (くや)しく(いも)を 別來(わかれき)にけり

       不知遣使船 仍待潮時以發向 尚可得猶豫 竟以與妻別離而 到來此湊悔莫及

      遣新羅使 3594


3595 【承前,百卌五十八。】

     安佐妣良伎 許藝弖天久禮婆 牟故能宇良能 之保非能可多爾 多豆我許惠須毛

     朝開(あさびら)き 漕出(こぎで)()れば 武庫浦(むこのうら)の 潮干潟(しほひのかた)に (たづ)(こゑ)すも

       朝早離岸去 榜船出港蹈滄溟 來到此處者 武庫浦之潮干潟 鵠鶴鳴啼聲可聞

      遣新羅使 3595


3596 【承前,百卌五十九。】

     和伎母故我 可多美爾見牟乎 印南都麻 之良奈美多加彌 與曾爾可母美牟

     我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)()むを 印南都麻(いなみつま) 白浪高(しらなみたか)み (よそ)にかも()

       雖欲為形見 端詳追念吾愛妻 印南都麻者 然以白浪滔天高 唯得遠觀不得近

      遣新羅使 3596


3597 【承前,百卌五二十。】

     和多都美能 於伎津之良奈美 多知久良思 安麻乎等女等母 思麻我久流見由

     大海原(わたつみ)の 沖白浪(おきつしらなみ) 立來(たちく)らし 海人娘子共(あまをとめども) 島隱(しまがく)()

       滄溟大海原 瀛津白浪駭滔天 湧立捲來矣 海人娘子等乘舟 隱渡島間今可見

      遣新羅使 3597


3598 【承前,百卌五廿一。】

     奴波多麻能 欲波安氣奴良之 多麻能宇良爾 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里

     烏玉(ぬばたま)の ()()けぬらし 玉浦(たまのうら)に 漁為(あさりす)(たづ) 鳴渡(なきわた)(なり)

       漆黑烏玉之 暗夜已過天將明 吉備玉浦間 覓餌漁獵白鶴之 鳴渡大空聲可聞

      遣新羅使 3598


3599 【承前,百卌五廿二。右二首。】

     月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素未乃宇良由 船出須和禮波

     月讀(つくよみ)の (ひかり)(きよ)み 神島(かみしま)の 礒迴浦(いそみのうら)ゆ 船出(ふなで)(われ)

        太陰月讀矣 皎潔照臨光清朗 自於安藝之 神島礒岸浦迴間 乘船啟程我身也

      遣新羅使 3599


3600 【承前,百卌五廿三。】

     波奈禮蘇爾 多弖流牟漏能木 宇多我多毛 比左之伎時乎 須疑爾家流香母

     離礒(はなれそ)に ()てる杜松木(むろのき) 必然(うたがた)も (ひさ)しき(とき)を ()ぎにけるかも

       突峙離礒上 所以聳立杜松木 必也當然哉 吾度其已歷時久 屹立不搖至今矣

      遣新羅使 3600


3601 【承前,百卌五廿四。】

     之麻思久母 比等利安里宇流 毛能爾安禮也 之麻能牟漏能木 波奈禮弖安流良武

     (しまし)くも 獨在得(ひとりありう)る (もの)にあれや 島杜松木(しまのむろのき) (はな)れてあるらむ

       縱令須臾間 形單影隻豈能耐 君見杜松木 得以孤立彼島上 然吾難堪別離去

      遣新羅使 3601

         右八首 ,乘船入海路上作歌。



3602 當所誦詠古歌 【承前,百卌五廿五。當所誦詠古歌。】

     安乎爾余志 奈良能美夜古爾 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見禮杼安可奴加毛

     青丹良(あをによ)し 奈良都(ならのみやこ)に 棚引(たなび)ける 天白雲(あまのしらくも) ()れど()かぬかも

       青丹良且秀 大和寧樂奈良京 頂上掛霏霺 棚引天之白雲者 縱觀百遍亦不厭

      遣新羅使 3602

         右一首,詠雲。



3603 【承前,百卌五廿六。當所誦詠古歌。】

     安乎楊疑能 延太伎里於呂之 湯種蒔 忌忌伎美爾 故非和多流香母

     青楊(あをやぎ)の 枝伐下(えだきりおろ)し 湯種蒔(ゆだねま)き 忌憚(ゆゆ)しき(きみ)に 戀渡(こひわた)るかも

       恰猶執青楊 伐下柳枝插水口 蒔湯種所如 岸然難近吾君矣 妾身唯戀渡終日

      遣新羅使妻 3603


3604 【承前,百卌五廿七。當所誦詠古歌。】

     妹我素弖 和可禮弖比左爾 奈里奴禮杼 比登比母伊毛乎 和須禮弖於毛倍也

     (いも)(そで) (わか)れて(ひさ)に ()りぬれど 一日(ひとひ)(いも)を (わす)れて(おも)へや

       雖然與吾妻 揮別衣袖日已久 相隔在異地 然而縱令一日爾 豈有須臾忘情時

      遣新羅使 3604


3605 【承前,百卌五廿八。當所誦詠古歌。】

     和多都美乃 宇美爾伊弖多流 思可麻河泊 多延無日爾許曾 安我故非夜麻米

     大海原(わたつみ)の (うみ)(いで)たる 飾磨川(しかまがは) ()えむ()にこそ ()戀止(こひや)まめ

       我戀者何如 直至源源未曾絕 所以注滄溟 飾磨川者枯竭日 方有稍歇忘卻時

      遣新羅使 3605

         右三首,戀歌。



3606 【承前,百卌五廿九。當所誦詠古歌。】

     多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉爾 伊保里須和禮波

     玉藻刈(たまもか)る 處女(をとめ)()ぎて 夏草(なつくさ)の 野島(のしま)(さき)に (いほ)りす(われ)

       海人苅玉藻 菟原處女地已過 夏草繁生兮 津名北淡野島崎 權設假廬吾等者

      遣新羅使 3606

         柿本朝臣人麻呂歌曰:「敏馬乎須疑弖。」又曰:「布禰知可豆伎奴。」

         柿本朝臣人麻呂歌曰(かきのもとのあそみのひとまろがうたにいふ):「敏馬(みぬめ)()ぎて。」又曰(またいはく):「船近付(ふねちかづ)きぬ。」

           柿本朝臣人麻呂歌曰:「罔象敏馬灘已過。」又曰:「航舟行船今近著。」



3607 【承前,百卌五三十。當所誦詠古歌。】

     之路多倍能 藤江能宇良爾 伊射里須流 安麻等也見良武 多妣由久和禮乎

     白栲(しろたへ)の 藤江浦(ふぢえのうら)に (いざ)りする 海人(あま)とや()らむ 旅行(たびゆ)(われ)

       白妙荒栲兮 藤江浦間白水郎 漁釣海人矣 他人不識行旅者 見吾以為討海郎

      遣新羅使 3607

         柿本朝臣人麻呂歌曰:「安良多倍乃。」又曰:「須受吉都流,安麻登香見良武。」

         柿本朝臣人麻呂歌曰(かきのもとのあそみのひとまろがうたにいふ):「荒栲(あらたへ)の」又曰(またいはく):「鱸釣(すずきつ)る、海人(あま)とか()らむ。」

           柿本朝臣人麻呂歌曰:「麤織荒栲兮。」又曰:「釣鱸海人矣,吾人羈旅在異地,他人見我如漁夫。」



3608 【承前,百卌五卅一。當所誦詠古歌。】

     安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久禮婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由

     天離(あまざか)る 鄙長道(ひなのながち)を 戀來(こひく)れば 明石門(あかしのと)より 家邊見(いへのあたりみ)

       天離日已遠 其由鄙夷長道間 戀慕越來者 今自明石海峽門 望見家門故鄉邊

      遣新羅使 3608

         柿本朝臣人麻呂歌曰:「夜麻等思麻見由。」

         柿本朝臣人麻呂歌曰(かきのもとのあそみのひとまろがうたにいふ):「大和島見(やまとしまみ)ゆ。」

           柿本朝臣人麻呂歌曰:「望見大和秋津島。」



3609 【承前,百卌五卅二。當所誦詠古歌。】

     武庫能宇美能 爾波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由

     武庫海(むこのうみ)の 庭良(にはよ)くあらし (いざり)する 海人釣舟(あまのつりぶね) 波上(なみのうへ)()

       攝津武庫海 蓋為秀場良庭矣 漁獵討滄溟 海人釣舟泛浮海 越諸浪上晰可望

      遣新羅使 3609

         柿本朝臣人麻呂歌曰:「氣比乃宇美能。」又曰:「可里許毛能,美太禮弖出見由,安麻能都里船。」

         柿本朝臣人麻呂歌曰(かきのもとのあそみのひとまろがうたにいふ):「飼飯海(けひのうみ)の」又曰(またいはく):「刈薦(かりこも)の、(みだ)れて出見(いづみ)ゆ、海人釣舟(あまのつりぶね)。」

           柿本朝臣人麻呂歌曰:「氣比飼飯海。」又曰:「苅薦紊亂兮,亂出點點浮海上,海人釣舟今可見。」



3610 【承前,百卌五卅三。當所誦詠古歌。】

     安胡乃宇良爾 布奈能里須良牟 乎等女良我 安可毛能須素爾 之保美都良武賀

     安胡浦(あごのうら)に 舟乘(ふなの)りすらむ 娘子等(をとめら)が 赤裳裾(あかものすそ)に 潮滿(しほみ)つらむか

       英虞安胡浦 𡢳嬬乘船遊興歟 宮女娘子之 鮮豔赤裳裙裾間 潮水蓋盈漫腰下

      遣新羅使 3610

         柿本朝臣人麻呂歌曰:「安美能宇良。」又曰:「多麻母能須蘇爾。」

         柿本朝臣人麻呂歌曰(かきのもとのあそみのひとまろがうたにいふ):「嗚呼見浦(あみのうら)。」又曰(またいはく):「玉裳裾(たまものすそ)に。」

           柿本朝臣人麻呂歌曰:「鳴呼見浦間。」又曰:「華美玉裳裙裾間。」



3611 七夕歌一首 【承前,百卌五卅四。當所誦詠古歌。】

     於保夫禰爾 麻可治之自奴伎 宇奈波良乎 許藝弖天和多流 月人乎登古

     大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 海原(うなはら)を 漕出(こぎで)(わた)る 月人壯士(つきひとをとこ)

       大船浮滄溟 真楫繁貫航海路 星林海原間 漕出榜渡狀可見 岐嶷月人壯士矣

      柿本人麻呂 3611

         右,柿本朝臣人麻呂歌。



3612 備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首 【承前,百卌五卅五。泊長井浦夜作歌。】

     安乎爾與之 奈良能美也故爾 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布禰能 登麻利都碍武仁【旋頭歌也。】

     青丹良(あをによ)し 奈良都(ならのみや)に 行人欲得(ゆくひともがも) 草枕(くさまくら) 旅行船(たびゆくふね)の 泊告(とまりつ)げむに旋頭歌也(せどうかなり)。】

       青丹良且秀 欲得前往奈良京 發向寧樂行人矣 草枕在異地 旅行之船泊備後 欲告家人吾音訊【旋頭歌也。】

      大判官 3612

         右一首,大判官。



3613 【承前,百卌五卅六。泊長井浦夜作歌。】

     海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴禮杼母 奈良能美也故波 和須禮可禰都母

     海原(うなはら)を 八十島隱(やそしまがく)り ()ぬれども 奈良都(ならのみやこ)は 忘兼(わすれか)ねつも

       雖然蹈滄溟 避險傳渡八十島 越海而來者 然憶故鄉奈良京 思慕情湧莫能忘

      遣新羅使 3613


3614 【承前,百卌五卅七。泊長井浦夜作歌。】

     可敝流散爾 伊母爾見勢武爾 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈

     (かへ)()に (いも)()せむに 大海原(わたつみ)の 沖白玉(おきつしらたま) (ひり)ひて()かな

       將赴歸途時 為使吾妻令見者 滄溟大海原 瀛津剔透白玉矣 徃之拾而以返哉

      遣新羅使 3614


3615 風速浦舶泊之夜作歌二首 【承前,百卌五卅八。泊風速浦作歌。】

     和我由惠仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝爾 奇里多奈妣家利

     ()(ゆゑ)に 妹嘆(いもなげ)くらし 風速(かざはや)の 浦沖邊(うらのおきへ)に 霧棚引(きりたなび)けり

       蓋是吾愛妻 為我之故嘆息哉 疾風吹拂之 蕭瑟浦迴沖邊間 唏噓愁霧湧霏霺

      遣新羅使 3615


3616 【承前,百卌五卅九。泊風速浦作歌。】

     於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里爾 安可麻之母能乎

     沖風(おきつかぜ) 甚吹為(いたくふきせ)ば 我妹子(わぎもこ)が (なげ)きの(きり)に ()益物(ましもの)

       若此浦沖風 得以狂拂勁吹者 吾當可置身 親愛吾妻所嘆息 唏噓愁霧間矣哉

      遣新羅使 3616


3617 安藝國長門嶋舶泊礒邊作歌五首 【承前,百卌五四十。泊長門嶋礒邊作歌。】

     伊波婆之流 多伎毛登杼呂爾 鳴蟬乃 許惠乎之伎氣婆 京師之於毛保由

     石走(いはばし)る (たき)(とどろ)に 鳴蟬(なくせみ)の (こゑ)をし()けば (みやこ)(おも)ほゆ

       石走迸流水 響徹如瀧泣震耳 唧唧復唧唧 今聞如是鳴蟬聲 不覺思都憶故鄉

      大石蓑麻呂 3617

         右一首,大石蓑麻呂。



3618 【承前,百卌五卌一。泊長門嶋礒邊作歌。】

     夜麻河泊能 伎欲吉可波世爾 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須禮可禰都母

     山川(やまがは)の 清川瀨(きよきかはせ)に (あそ)べども 奈良都(ならのみやこ)は 忘兼(わすれか)ねつも

       雖然遊宴於 山河清澈川瀨間 縱情且歡愉 然而故鄉奈良京 相思之情仍難忘

      遣新羅使 3618


3619 【承前,百卌五卌二。泊長門嶋礒邊作歌。】

     伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖

     礒間(いそのま)ゆ 激山川(たぎつやまがは) ()えずあらば (また)相見(あひみ)む 秋片設(あきかたま)けて

       只要自礒間 湍急激烈此山川 源源不絕者 其後歸途必復逢 再會清爽秋日時

      遣新羅使 3619


3620 【承前,百卌五卌三。泊長門嶋礒邊作歌。】

     故悲思氣美 奈具左米可禰弖 比具良之能 奈久之麻可氣爾 伊保利須流可母

     戀繁(こひしげ)み 慰兼(なぐさめか)ねて (ひぐらし)の 鳴島蔭(なくしまかげ)に (いほ)りするかも

       相思情泉湧 雖然難耐莫得慰 晚蜩暮蟬之 啼泣哀鳴島蔭間 暫設假廬留一宿

      遣新羅使 3620


3621 【承前,百卌五卌四。泊長門嶋礒邊作歌。】

     和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久與乎倍弖加 可武佐備和多流

     ()(いのち)を 長門島(ながとのしま)の 小松原(こまつばら) 幾代(いくよ)()てか (かむ)さび(わた)

       吾身命緒兮 願得遐齡長門島 嶼間小松原 不知歷時經幾代 如是神古蘊稜威

      遣新羅使 3621


3622 從長門浦舶出之夜,仰觀月光作歌三首 【承前,百卌五卌五。長門浦仰月作歌。】

     月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝爾 加古能己惠欲妣 宇良未許具可聞

     月讀(つくよみ)の (ひかり)(きよ)み 夕凪(ゆふなぎ)に 水手聲呼(かこのこゑよ)び 浦迴漕(うらみこ)ぐかも

       以其月讀之 明光清冽照臨故 黃昏夕凪間 水手呼喚吶喊聲 同氣榜船漕浦迴

      遣新羅使 3622


3623 【承前,百卌五卌六。長門浦仰月作歌。】

     山乃波爾 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎爾奈都佐布

     山端(やまのは)に 月傾(つきかたぶ)けば (いざり)する 海人燈火(あまのともしび) (おき)(なづさ)

       望見山端間 明月西傾將沒時 夜間為漁獵 海人燈火滯沖瀛 隨波蕩漾今可見

      遣新羅使 3623


3624 【承前,百卌五卌七。長門浦仰月作歌。】

     和禮乃未夜 欲布禰波許具登 於毛敝禮婆 於伎敝能可多爾 可治能於等須奈里

     (われ)のみや 夜船(よふね)()ぐと (おも)へれば 沖邊方(おきへのかた)に 楫音(かぢのおと)(なり)

       吾度唯已身 孤獨榜漕此夜船 形單影孤者 誰知在彼瀛邊處 楫音梶聲今可聞

      遣新羅使 3624


3625 古挽歌一首 并短歌。【承前,百卌五卌八。古挽歌。】

     由布左禮婆 安之敝爾佐和伎 安氣久禮婆 於伎爾奈都佐布 可母須良母 都麻等多具比弖 和我尾爾波 之毛奈布里曾等 之路多倍乃 波禰左之可倍弖 宇知波良比 左宿等布毛能乎 由久美都能 可敝良奴其等久 布久可是能 美延奴我其登久 安刀毛奈吉 與能比登爾之弖 和可禮爾之 伊毛我伎世弖思 奈禮其呂母 蘇弖加多思吉弖 比登里可母禰牟

     夕去(ゆふさ)れば 葦邊(あしへ)(さわ)き 明來(あけく)れば (おき)(なづさ)ふ (かも)すらも (つま)(たぐ)ひて ()()には 霜莫降(しもなふ)りそと 白栲(しろたへ)の 羽差交(はねさしか)へて 打拂(うちはら)ひ 小寢(さぬ)とふ(もの)を 行水(ゆくみづ)の (かへ)らぬ(ごと)く 吹風(ふくかぜ)の ()えぬが(ごと)く (あと)()き 世人(よのひと)にして (わか)れにし (いも)()せてし 慣衣(なれごろも) 袖片敷(そでかたし)きて (ひとり)かも()

       每逢夕暮時 騷動啼鳴在葦邊 每逢朝明時 漂泊浮海在沖津 縱令此味鴨 得以與妻常相伴 似訴霜莫降 零我夫妻尾羽而 白妙敷栲兮 羽翼相交拂雪去 出雙且入對 纏綿小寢不相離 然顧吾命者 恰猶逝水去不返 可憐我身者 正如吹風不可見 既為石火光 即逝無痕此世人 今取相別去 親愛吾妻之所著 慣衣褻裳者 以彼衣手袖片敷 孤單寂寞獨寢矣

      丹比大夫 3625


3626 反歌一首 【承前,百卌五卌九。挽歌反歌。】

     多都我奈伎 安之敝乎左之弖 等妣和多類 安奈多頭多頭志 比等里佐奴禮婆

     (たづ)()き 葦邊(あしへ)()して 飛渡(とびわた)る 甚切辿辿(あなたづたづ)し 獨小寢(ひとりさぬ)れば

        忐忑鶴鳴兮 今指葦邊騷啼去 飛渡之所如 吾心不寧辿辿甚 孤單寂寞獨寢者

      丹比大夫 3626

         右,丹比大夫悽愴亡妻歌。



3627 屬物發思歌一首 并短歌。【承前,百卌五五十。屬物發思。】

     安佐散禮婆 伊毛我手爾麻久 可我美奈須 美津能波麻備爾 於保夫禰爾 真可治之自奴伎 可良久爾爾 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝爾波 之良奈美多可美 宇良未欲理 許藝弖和多禮婆 和伎毛故爾 安波治乃之麻波 由布左禮婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良爾 安我己許呂 安可志能宇良爾 布禰等米弖 宇伎禰乎詞都追 和多都美能 於枳敝乎見禮婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乘 都良良爾宇家里 安香等吉能 之保美知久禮婆 安之辨爾波 多豆奈伎和多流 安左奈藝爾 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許惠欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為爾美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫禰乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 與曾能未爾 見都追須疑由伎 多麻能宇良爾 布禰乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 禰能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀爾 伊毛爾也良牟等 比里比登里 素弖爾波伊禮弖 可敝之也流 都可比奈家禮婆 毛弖禮杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛

     朝去(あささ)れば (いも)()()く 鏡是(かがみな)す 三津濱邊(みつのはまび)に 大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 韓國(からくに)に 渡行(わたりゆ)かむと 直向(ただむか)ふ 敏馬(みぬめ)()して 潮待(しほま)ちて 水脈引行(みをひきゆ)けば 沖邊(おきへ)には 白波高(しらなみたか)み 浦迴(うらみ)より ()ぎて(わた)れば 我妹子(わぎもこ)に 淡路島(あはぢのしま)は 夕去(ゆふさ)れば 雲居隱(くもゐかく)りぬ 小夜更(さよふ)けて 行方(ゆくへ)()らに ()(こころ) 明石浦(あかしのうら)に 船泊(ふねと)めて 浮寢(うきね)をしつつ 大海原(わたつみ)の 沖邊(おきへ)()れば (いざり)する 海人娘子(あまのをとめ)は 小舟乘(をぶねの)り (つら)らに()けり (あかとき)の 潮滿來(しほみちく)れば 葦邊(あしべ)には 鶴鳴渡(たづなきわた)る 朝凪(あさなぎ)に 船出(ふなで)をせむと 船人(ふなびと)も 水手(かこ)聲呼(こゑよ)び 鳰鳥(にほどり)の 漂行(なづさひゆ)けば 家島(いへしま)は 雲居(くもゐ)()えぬ ()()へる 心和(こころな)ぐやと (はや)()て ()むと(おも)ひて 大船(おほぶね)を ()()()けば 沖波(おきつなみ) (たか)立來(たちき)ぬ (よそ)のみに ()つつ過行(すぎゆ)き 玉浦(たまのうら)に (ふね)(とど)めて 濱邊(はまび)より 浦礒(うらいそ)()つつ 泣子如(なくこな)す ()のみし()かゆ 海神(わたつみ)の 手卷玉(たまきのたま)を 家苞(いへづと)に (いも)()らむと 拾取(ひりひと)り (そで)には()れて (かへ)()る 使無(つかひな)ければ ()てれども (しるし)()みと 復置(またお)きつるかも

       每逢朝明時 吾妻纏手所捲持 明鏡之所如 在於三津濱邊處 富麗大船矣 真楫繁貫槳無數 處女之睩兮 今將渡海徃韓國 直向莫迂迴 指於罔象敏馬灘 蓄勢似潮時 隨彼水脈引行者 以其沖瀛處 白浪滔天海象險 故沿浦迴而 傳島點點漕渡者 欲逢吾妹兮 淡路之穗狹別島 每臨夕暮時 隱於雲居不復見 小夜深更去 不知行方當何去 吾心澄明兮 遂於播磨明石浦 下碇泊船而 浮寢青浪泛滄溟 無際大海原 望見遠方沖瀛者 勤奮務漁獵 海人娘子之所乘 小舟漂蕩漾 漁火點點列浮矣 晨曦曉明時 水漲潮汐滿來者 在於葦邊處 白鶴鳴渡越大虛 良時朝凪間 欲出此船致發向 無論是船人 或是水手共呼聲 鳰鳥之所如 緩緩漂行榜出者 思鄉家島者 在於雲居可瞥見 吾亦有所思 以之慰藉和我心 只望速來到 端詳家島緩相思 如是乘大船 漕行榜檝我徃者 不料瀛津浪 捲起狂瀾濤天高 無奈不得志 唯有遠觀過不著 遂至於玉浦 停船泊此暫稍息 自於彼濱邊 茫然望見其浦礒 泣子之所如 放聲號哭悲啼泣 綿津見海神 所以纏手明玉矣 吾欲取之而 包裹返家贈吾妻 雖然拾取之 雖然置之吾衣袖 無奈莫有使 可以歸遣傳家書 縱持在身邊 徒然空虛無所驗 唯有復置歸原處

      遣新羅使 3627


3628 反歌二首 【承前,百卌五五一。屬物發思反歌。】

     多麻能宇良能 於伎都之良多麻 比利敝禮杼 麻多曾於伎都流 見流比等乎奈美

     玉浦(たまのうら)の 沖白玉(おきつしらたま) (ひり)へれど (また)()きつる ()(ひと)()

       雖泊在玉浦 拾取海神沖白玉 然以無使遣 唯有復置歸原處 欲令見者不在此

      遣新羅使 3628


3629 【承前,百卌五五二。屬物發思反歌。】

     安伎左良婆 和我布禰波弖牟 和須禮我比 與世伎弖於家禮 於伎都之良奈美

     秋去(あきさ)らば ()船泊(ふねは)てむ 忘貝(わすれがひ) 寄來(よせき)()けれ 沖白波(おきつしらなみ)

       待至秋日者 歸船復來泊此地 還請將忘貝 持來寄岸置於茲 濤濤瀛津白浪矣

      遣新羅使 3629


3630 周防國玖河郡麻里布浦行之時作歌八首 【承前,百卌五五三。行麻里布浦時作歌。】

     真可治奴伎 布禰之由加受波 見禮杼安可奴 麻里布能宇良爾 也杼里世麻之乎

     真楫貫(まかぢぬ)き (ふね)()かずは ()れど()かぬ 麻里布浦(まりふのうら)に 宿(やど)りせましを

       若非以真楫 繁貫驅船疾行者 百見亦不厭 勝景麻里布浦間 將可泊船一宿哉

      遣新羅使 3630


3631 【承前,百卌五五四。行麻里布浦時作歌。】

     伊都之可母 見牟等於毛比師 安波之麻乎 與曾爾也故非無 由久與思乎奈美

     何時(いつ)しかも ()むと(おも)ひし 粟島(あはしま)を (よそ)にや()ひむ 行由(ゆくよし)()

       時時亦刻刻 皆欲見之吾神往 不逢粟島矣 唯可遠觀寄情哉 不得徃由甚寂寥

      遣新羅使 3631


3632 【承前,百卌五五五。行麻里布浦時作歌。】

     大船爾 可之布里多弖天 波麻藝欲伎 麻里布能宇良爾 也杼里可世麻之

     大船(おほぶね)に 樫振立(かしふりた)てて 濱清(はまぎよ)き 麻里布浦(まりふのうら)に 宿(やど)りかせまし

       今於大船上 振立樫杭以繫留 在此朗清濱 明媚麻里布之浦 可得暫泊一宿哉

      遣新羅使 3632


3633 【承前,百卌五五六。行麻里布浦時作歌。】

     安波思麻能 安波自等於毛布 伊毛爾安禮也 夜須伊毛禰受弖 安我故非和多流

     粟島(あはしま)の ()はじと(おも)ふ (いも)にあれや 安眠(やすい)()ずて ()戀渡(こひわた)

       不逢粟島兮 雖然親親吾妻者 非念不予逢 吾仍輾轉難安眠 孤寢戀慕度終夜

      遣新羅使 3633


3634 【承前,百卌五百五七。行麻里布浦時作歌。】

     筑紫道能 可太能於保之麻 思末志久母 見禰婆古非思吉 伊毛乎於伎弖伎奴

     筑紫道(つくしぢ)の 可太大島(かだのおほしま) (しまし)くも ()ねば(こひ)しき (いも)()きて()

       西偏筑紫道 可太大島之所如 假以暫時日 不得見之戀慕甚 置妻家中獨來茲

      遣新羅使 3634


3635 【承前,百卌五五八。行麻里布浦時作歌。】

     伊毛我伊敝治 知可久安里世婆 見禮杼安可奴 麻里布能宇良乎 見世麻思毛能乎

     (いも)家道(いへぢ) (ちか)(あり)せば ()れど()かぬ 麻里布浦(まりふのうら)を ()益物(ましもの)

       若是此處兮 近於往妻家道者 百見未嘗厭 明媚麻里布之浦 寔欲令伊人見之

      遣新羅使 3635


3636 【承前,百卌五五九。行麻里布浦時作歌。】

     伊敝妣等波 可敝里波也許等 伊波比之麻 伊波比麻都良牟 多妣由久和禮乎

     家人(いへびと)は 歸早來(かへりはやこ)と 伊波比島(いはひしま) 齋待(いはひま)つらむ 旅行(たびゆ)(われ)

       吾度家中人 期待我身早歸來 伊波比島兮 齋戒祈禱待逢日 羈旅異地吾身矣

      遣新羅使 3636


3637 【承前,百卌五六十。行麻里布浦時作歌。】

     久左麻久良 多妣由久比等乎 伊波比之麻 伊久與布流末弖 伊波比伎爾家牟

     草枕(くさまくら) 旅行人(たびゆくひと)を 伊波比島(いはひしま) 幾代經(いくよふ)(まで) 齋來(いはひ)にけむ

       草枕在外地 羈旅異鄉旅行人 伊波比島兮 縱令歷時年月久 齋戒物忌祈無恙

      遣新羅使 3637


3638 過大嶋鳴門而經再宿之後,追作歌二首 【承前,百卌五六一。再經大嶋鳴門後作歌。】

     巨禮也己能 名爾於布奈流門能 宇頭之保爾 多麻毛可流登布 安麻乎等女杼毛

     (これ)(この) ()()鳴門(なると)の 渦潮(うづしほ)に 玉藻刈(たまもか)るとふ 海人娘子共(あまをとめども)

       此即彼久仰 高名大嶋鳴門之 浩瀚渦潮間 沉潛漁獵苅玉藻 妍哉海人娘子等

      田邊秋庭 3638

         右一首,田邊秋庭。



3639 【承前,百卌五六二。再經大嶋鳴門後作歌。】

     奈美能宇倍爾 宇伎禰世之欲比 安杼毛倍香 許己呂我奈之久 伊米爾美要都流

     波上(なみのうへ)に 浮寢為(うきねせ)() 何思(あども)へか 心悲(こころがな)しく (いめ)()えつる

       隻身蹈滄溟 浮寢波濤此夕宵 汝又作何思 孤獨寂寥心悲哉 吾妻生靈見我夢

      遣新羅使 3639


3640 熊毛浦舶泊之夜作歌四首 【承前,百卌五六三。泊熊毛浦夜作歌。】

     美夜故邊爾 由可牟船毛我 可里許母能 美太禮弖於毛布 許登都㝵夜良牟

     都邊(みやこへ)に ()かむ船欲得(ふねもが) 刈薦(かりこも)の (みだ)れて(おも)ふ 言告遣(ことつげや)らむ

       吾人有所思 欲得行船至都邊 苅薦之所如 寂寞紊亂此念者 遣人令知告吾妻

      羽栗 3640

         右一首,羽栗。



3641 【承前,百卌五六四。泊熊毛浦夜作歌。】

     安可等伎能 伊敝胡悲之伎爾 宇良未欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母

     (あかとき)の 家戀(いへごひ)しきに 浦迴(うらみ)より 楫音(かぢのおと)するは 海人娘子(あまをとめ)かも

       拂曉夜將明 備感思鄉此時分 自於浦迴內 髣髴可聞楫音者 蓋是海人娘子哉

      遣新羅使 3641


3642 【承前,百卌五六五。泊熊毛浦夜作歌。】

     於伎敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良爾 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴

     沖邊(おきへ)より 潮滿來(しほみちく)らし 可良浦(からのうら)に (あさり)する(たづ) ()きて(さわ)きぬ

       遠自沖瀛處 潮水紛漲盈滿來 周防可良浦 漁獵浦間白鶴者 求餌騷鳴聲迴盪

      遣新羅使 3642


3643 【承前,百卌五六六。泊熊毛浦夜作歌。】

     於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 與妣與勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎

     沖邊(おきへ)より 船人上(ふなびとのぼ)る 呼寄(よびよ)せて 去來告遣(いざつげや)らむ 旅宿(たびのやどり)

       自於沖瀛處 船人航行向京師 吾喚呼寄而 去來告遣都中人 吾今棲身旅宿矣

      遣新羅使 3643

         一云:「多妣能夜杼里乎,伊射都氣夜良奈。」

         一云(またにいふ):「旅宿(たびのやどり)を、去來告遣(いざつげや)らな。」

           一云:「冀將吾今旅宿所,去來告遣都中人。」



3644 佐婆海中忽遭逆風,漲浪漂流。經宿而後,幸得順風,到著豐前國下毛郡分間浦。於是,追怛艱難,悽惆作歌八首 【承前,百卌五六七。悽惆作歌。】

     於保伎美能 美許等可之故美 於保夫禰能 由伎能麻爾末爾 夜杼里須流可母

     大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 大船(おほぶね)の ()きの(まにま)に 宿(やど)りするかも

       大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 今乘大船之 隨波逐流漂滄溟 悽惆旅宿異地哉

      雪宅麻呂 3644

         右一首,雪宅麻呂。



3645 【承前,百卌五六八。悽惆作歌。】

     和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎爾也須麻牟 伊敝都可受之弖

     我妹子(わぎもこ)は (はや)()ぬかと ()つらむを (おき)にや()まむ 家付(いへつ)かずして

       親親吾愛妻 蓋祈吾身早歸來 苦守待空閨 無奈今住沖瀛上 漲浪漂流離家遠

      遣新羅使 3645


3646 【承前,百卌五六九。悽惆作歌。】

     宇良未欲里 許藝許之布禰乎 風波夜美 於伎都美宇良爾 夜杼里須流可毛

     浦迴(うらみ)より 漕來(こぎこ)(ふね)を 風早(かぜはや)み (おき)御浦(みうら)に 宿(やどり)するかも

       雖然沿浦迴 迂迴榜來此船矣 卻以疾風故 隨浪漂流至沖瀛 當宿此間御浦哉

      遣新羅使 3646


3647 【承前,百卌五三十。悽惆作歌。】

     和伎毛故我 伊可爾於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米爾之美由流

     我妹子(わぎもこ)が 如何(いか)(おも)へか 烏玉(ぬばたま)の 一夜(ひとよ)()ちず (いめ)にし()ゆる

       愛也吾妹子 汝之戀慕念何如 漆黑烏玉兮 夜夜無欠未嘗闕 悉會汝命在夢中

      遣新羅使 3647


3648 【承前,百卌五七一。悽惆作歌。】

     宇奈波良能 於伎敝爾等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無

     海原(うなはら)の 沖邊(おきへ)(とも)し (いざ)()は ()かして(とも)せ 大和島見(やまとしまみ)

       滄溟大海原 瀛津遠處點點在 漂乎漁火矣 還願灯之更明亮 光照令見大和島

      遣新羅使 3648


3649 【承前,百卌五七二。悽惆作歌。】

     可母自毛能 宇伎禰乎須禮婆 美奈能和多 可具呂伎可美爾 都由曾於伎爾家類

     (かも)(もの) 浮寢(うきね)をすれば 蜷腸(みなのわた) 手黑髮(かぐろきかみ)に (つゆ)()きにける

       似鴨而非鴨 漂蕩浮寢海原者 蜷腸卷貝兮 青絲烏玉濡黑髮 不覺置露霑漬髮濕

      遣新羅使 3649


3650 【承前,百卌五七三。悽惆作歌。】

     比左可多能 安麻弖流月波 見都禮杼母 安我母布伊毛爾 安波奴許呂可毛

     久方(ひさかた)の 天照(あまて)(つき)は 見連(みつ)れども ()思妹(もふいも)に ()はぬ(ころ)かも

       遙遙久方兮 照臨大空此明月 雖然連日見 然吾朝思且暮想 愛妻此頃不得逢

      遣新羅使 3650


3651 【承前,百卌五七四。悽惆作歌。】

     奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟【旋頭歌也。】

     烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)(つき)は (はや)(いで)ぬかも 海原(うなはら)の 八十島上(やそしまのうへ)ゆ (いも)邊見(あたりみ)旋頭歌也(せどうかなり)。】

       漆黑烏玉兮 越渡暗夜明月者 一心冀其早出矣 欲藉彼光明 越渡海原八十島 早日得見妹家許

      遣新羅使 3651


3652 至筑紫館,遙望本鄉,悽愴作歌四首 【承前,百卌五七五。筑紫館望鄉悽愴作歌。】

     之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安禮波須流香母

     志賀海人(しかのあま)の 一日(ひとひ)()ちず 燒鹽(やくしほ)の 辛戀(からきこひ)をも (あれ)はするかも

       志賀海人之 日日勤奮無所闕 燒鹽之所如 辛酸悲毀焚身焦 如斯苦戀將為哉

      遣新羅使 3652


3653 【承前,百卌五七六。筑紫館望鄉悽愴作歌。】

     思可能宇良爾 伊射里須流安麻 伊敝妣等能 麻知古布良牟爾 安可思都流宇乎

     志賀浦(しかのうら)に (いざり)する海人(あま) 家人(いへびと)の 待戀(まちこ)ふらむに ()かし()(うを)

       海童所庇護 漁獵志賀浦海人 恰如家人之 苦待吾歸之所如 徹夜所釣彼魚矣

      遣新羅使 3653


3654 【承前,百卌五七七。筑紫館望鄉悽愴作歌。】

     可之布江爾 多豆奈吉和多流 之可能宇良爾 於枳都之良奈美 多知之久良思母

     可之布江(かしふえ)に 鶴鳴渡(たづなきわた)る 志賀浦(しかのうら)に (おき)白波(しらなみ) ()ちし()らしも

       吾見橿生江 白鶴鳴渡越大虛 不知志賀浦 沖津白浪今何如 湧起濤天捲來哉

      遣新羅使 3654

         一云:「美知之伎奴良思。」

         一云:「滿()ちし()ぬらし。」

           一云:「高湧盈滿捲來哉。」



3655 【承前,百卌五七八。筑紫館望鄉悽愴作歌。】

     伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣爾 日具良之奈伎奴

     (いま)よりは 秋付(あきづ)きぬらし 足引(あしひき)の 山松蔭(やままつかげ)に 蜩鳴(ひぐらしな)きぬ

       自於今以後 時節更迭早秋至 足曳勢險峻 巍峨山崗松蔭間 暮蜩始鳴聲蕭瑟

      遣新羅使 3655


3656 七夕仰觀天漢,各陳所思作歌三首 【承前,百卌五七九。七夕觀天漢陳思作歌。】

     安伎波疑爾 爾保敝流和我母 奴禮奴等母 伎美我美布禰能 都奈之等理弖婆

     秋萩(あきはぎ)に (にほ)へる()() ()れぬとも (きみ)御船(みふね)の (つな)()りてば

       此藉秋萩之 匂染我命赤裳者 何以為漬濡 為君七夕相逢日 御船執綱所致矣

      安倍繼麻呂 3656

         右一首,大使。



3657 【承前,百卌五四十。七夕觀天漢陳思作歌。】

     等之爾安里弖 比等欲伊母爾安布 比故保思母 和禮爾麻佐里弖 於毛布良米也母

     (とし)(あり)て 一夜妹(ひとよいも)()ふ 彥星(ひこほし)も (われ)(まさ)りて (おも)ふらめやも

       縱令一年間 唯有一夜與妻逢 牛郎彥星者 縱令其人憂思者 戀慕豈能勝我哉

      遣新羅使 3657


3658 【承前,百卌五八一。七夕觀天漢陳思作歌。】

     由布豆久欲 可氣多知與里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐

     夕月夜(ゆふづくよ) 影立寄合(かげたちよりあ)ひ 天川(あまのがは) ()舟人(ふなびと)を ()るが(とも)しさ

       七夕月夜間 雙星寄合姿可見 銀河天之川 漕渡舟人彥星矣 吾每望之總稱羨

      遣新羅使 3658


3659 海邊望月作歌九首 【承前,百卌五八二。海邊望月。】

     安伎可是波 比爾家爾布伎奴 和伎毛故波 伊都登加和禮乎 伊波比麻都良牟

     秋風(あきかぜ)は ()()()きぬ 我妹子(わぎもこ)は 何時(いつ)とか(われ)を 齋待(いはひま)つらむ

       蕭瑟秋風者 與日俱增吹寂寥 愛也吾妹妻 懸想吾命何日還 齋戒物忌守空閨

      安倍繼麻呂次男 3659

         大使之第二男。



3660 【承前,百卌五八三。海邊望月。】

     可牟佐夫流 安良都能左伎爾 與須流奈美 麻奈久也伊毛爾 故非和多里奈牟

     神古(かむさぶ)る 荒津崎(あらつのさき)に ()する(なみ) 間無(まな)くや(いも)に 戀渡(こひわた)りなむ

       洽猶神古兮 稜威滿溢荒津崎 寄浪之所如 相思濤濤無所絕 時時刻刻戀妻哉

      土師稻足 3660

         右一首,土師稻足。



3661 【承前,百卌五八四。海邊望月。】

     可是能牟多 與世久流奈美爾 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴禮奴

     風共(かぜのむた) 寄來(よせく)(なみ)に (いざり)する 海人娘子等(あまをとめら)が 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ

       隨風與共而 所寄緣來波濤間 勤奮為漁獵 妍哉海人娘子等 衣裳既濕裾已濡

      遣新羅使 3661

         一云:「安麻乃乎等賣我,毛能須蘇奴禮濃。」

         一云:「海人娘子(あまのをとめ)が,裳裾濡(ものすそぬ)れぬ。」

           蜑女海人之娘子 衣裳既濕裾已濡



3662 【承前,百卌五八五。海邊望月。】

     安麻能波良 布里佐氣見禮婆 欲曾布氣爾家流 與之惠也之 比等里奴流欲波 安氣婆安氣奴等母

     天原(あまのはら) 振放見(ふりさけみ)れば ()()けにける ()しゑやし 獨寢(ひとりぬ)()は ()けば()けぬとも

       久方高天元 翹首遙望仰見者 時光流逝夜深去 縱橫任隨矣 既是隻身獨寢夜 縱雖將明不足惜

      遣新羅使 3662

         右一首,旋頭歌也。



3663 【承前,百卌五八六。海邊望月。】

     和多都美能 於伎都奈波能里 久流等伎登 伊毛我麻都良牟 月者倍爾都追

     大海原(わたつみ)の 沖繩海苔(おきつなはのり) ()(とき)と (いも)()つらむ (つき)()につつ

       滄溟大海原 瀛津海底繩海苔 牽繰之所如 吾妻盼吾歸來者 不覺俟待已經月

      遣新羅使 3663


3664 【承前,百卌五八七。海邊望月。】

     之可能宇良爾 伊射里須流安麻 安氣久禮婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由

     志賀浦(しかのうら)に (いざり)する海人(あま) 明來(あけく)れば 浦迴漕(うらみこ)ぐらし 楫音聞(かぢのおとき)こゆ

       周迴志賀浦 夜漁海人白水郎 天之將明時 蓋榜浦迴歸來哉 檝梶之音聲可聞

      遣新羅使 3664


3665 【承前,百卌五八八。海邊望月。】

     伊母乎於毛比 伊能禰良延奴爾 安可等吉能 安左宜理其問理 可里我禰曾奈久

     (いも)(おも)ひ 寐寢(いのね)らえぬに (あかとき)の 朝霧隱(あさぎりごも)り 雁音(かりがね)()

       相思慕吾妹 輾轉孤寢甚難眠 晨曦拂曉時 隱於朝霧不可見 飛雁鳴泣聲可聞

      遣新羅使 3665


3666 【承前,百卌五八九。海邊望月。】

     由布佐禮婆 安伎可是左牟思 和伎母故我 等伎安良比其呂母 由伎弖波也伎牟

     夕去(ゆふさ)れば 秋風寒(あきかぜさむ)し 我妹子(わぎもこ)が 解洗衣(ときあらひごろも) ()きて早著(はやき)

       每逢夕暮時 倍感秋風寒刺骨 愛也吾妹妻 所以解洗繕裳者 誠欲速歸早著矣

      遣新羅使 3666


3667 【承前,百卌五九十。海邊望月。】

     和我多妣波 比左思久安良思 許能安我家流 伊毛我許呂母能 阿可都久見禮婆

     ()(たび)は (ひさ)しくあらし 此我(このあ)()る (いも)(ころも)の 垢付(あかつ)()れば

       感慨此羈旅 草枕離鄉日久哉 觀我身所著 愛也吾妻所饋鎮 肌身裏裳垢付矣

      遣新羅使 3667


3668 到筑前國志麻郡之韓亭,舶泊經三日。於時夜月之光,皎皎流照。奄對此華,旅情悽噎。各陳心緒,聊以裁歌六首 【承前,百卌五九一。各陳心緒。】

     於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝禮杼 氣奈我久之安禮婆 古非爾家流可母

     大君(おほきみ)の 遠朝廷(とほのみかど)と (おも)へれど 日長(けなが)くしあれば (こひ)にけるかも

       聖明大君之 遙遙天邊遠朝庭 雖自負如此 然而羈旅時日久 難免懷土憂情矣

      安倍繼麻呂 3668

         右一首,大使。



3669 【承前,百卌五九二。各陳心緒。】

     多妣爾安禮杼 欲流波火等毛之 乎流和禮乎 也未爾也伊毛我 古非都追安流良牟

     (たび)にあれど ()火燈(ひとも)し ()(われ)を (やみ)にや(いも)が ()ひつつあるらむ

       雖然旅異地 夜夜燈火此身矣 何以如此者 不忍吾妻暗闇間 寂寞消沉苦相思

      壬生宇太麻呂 3669

         右一首,大判官。



3670 【承前,百卌五九三。各陳心緒。】

     可良等麻里 能許乃宇良奈美 多多奴日者 安禮杼母伊敝爾 古非奴日者奈之

     韓亭(からとまり) 能許浦波(のこのうらなみ) ()たぬ()は ()れども(いへ)に ()ひぬ()()

       雖云韓亭之 能許浦浪時不起 縱然如此者 吾人懷土此慕情 源源不絕無止時

      遣新羅使 3670


3671 【承前,百卌五九四。各陳心緒。】

     奴婆多麻乃 欲和多流月爾 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛爾 安比弖許麻之乎

     烏玉(ぬばたま)の 夜渡(よわた)(つき)に ()らませば (いへ)なる(いも)に ()ひて()ましを

       漆黑烏玉兮 越度闇夜明月矣 若吾為之者 可以騰空翔大虛 前去與妻相逢來

      遣新羅使 3671


3672 【承前,百卌五九五。各陳心緒。】

     比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由

     久方(ひさかた)の (つき)()りたり 暇無(いとまな)く 海人漁(あまのいざり)は 燈合(ともしあ)へり()

       遙遙久方兮 月讀壯士雖照臨 忙碌總無暇 漁獵海人白水郎 點點漁火今可見

      遣新羅使 3672


3673 【承前,百卌五九六。各陳心緒。】

     可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里爾 安麻多欲曾奴流

     風吹(かぜふ)けば 沖白波(おきつしらなみ) (かしこ)みと 能許泊(のこのとまり)に 數多夜(あまたよ)()

       狂風吹拂者 瀛津白浪濤天高 恐其海象險 今在韓亭能許泊 滯留數晚寢多夜

      遣新羅使 3673


3674 引津亭舶泊之作歌七首 【承前,百卌五百五七。泊引津亭作歌。】

     久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎禮婆 可也能山邊爾 草乎思香奈久毛

     草枕(くさまくら) (たび)(くる)しみ 戀居(こひを)れば 可也山邊(かやのやまへ)に 小雄鹿鳴(さをしかな)くも

       草枕在異地 慢慢旅途甚艱苦 懷土戀鄉時 筑前可也山邊之 雄鹿悲鳴映吾情

      壬生宇太麻呂 3674


3675 【承前,百卌五九八。泊引津亭作歌。】

     於吉都奈美 多可久多都日爾 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母

     沖波(おきつなみ) (たか)立日(たつひ)に ()へりきと 都人(みやこのひと)は ()きてけむかも

       遭逢瀛津之 駭浪洶湧滔天日 不幸難破事 不知留居在京都 吾妻可嘗聞矣哉

      壬生宇太麻呂 3669

         右二首,大判官。



3676 【承前,百卌五九九。泊引津亭作歌。】

     安麻等夫也 可里乎都可比爾 衣弖之可母 奈良能彌夜故爾 許登都氣夜良武

     天飛(あまとぶ)ぶや (かり)使(つかひ)に ()てしかも 奈良都(ならのみやこ)に 言告遣(ことつげや)らむ

       比來有所思 願得飛天雁使矣 若可有之者 遠遠天邊奈良都 得以遣使傳書信

      遣新羅使 3676


3677 【承前,百卌五一百。泊引津亭作歌。】

     秋野乎 爾保波須波疑波 佐家禮杼母 見流之留思奈之 多婢爾師安禮婆

     秋野(あきのの)を (にほ)はす(はぎ)は ()けれども ()驗無(しるしな)し (たび)にしあれば

       點綴其秋野 增添色彩秋荻者 雖然咲其華 然而於我無所益 羈旅無人可共賞

      遣新羅使 3677


3678 【承前,百卌五百一。泊引津亭作歌。】

     伊毛乎於毛比 伊能禰良延奴爾 安伎乃野爾 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可禰弖

     (いも)(おも)ひ 寐寢(いのね)らえぬに 秋野(あきのの)に 小雄鹿鳴(さをしかな)きつ 妻思兼(つまおもひか)ねて

       憂於相思苦 慕妻輾轉不能眠 蕭瑟秋野間 雄鹿悲鳴喚不止 思妻難耐情更切

      遣新羅使 3678


3679 【承前,百卌五百二。泊引津亭作歌。】

     於保夫禰爾 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和禮波於毛倍杼 月曾倍爾家流

     大船(おほぶね)に 真楫繁貫(まかぢしじぬ)き 時待(ときま)つと (われ)(おも)へど (つき)()にける

       雄偉大船上 真楫繁貫萬事備 只欠潮時至 吾雖思之待發向 不覺日久已經月

      遣新羅使 3679


3680 【承前,百卌五百第三。泊引津亭作歌。】

     欲乎奈我美 伊能年良延奴爾 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母

     ()(なが)み 寐寢(いのね)らえぬに 足引(あしひき)の 山彥響(やまびことよ)め 小雄鹿鳴(さをしかな)くも

       孤寢恨夜長 輾轉反覆難眠時 足曳勢險峻 山彥木靈迴聲響 雄鹿呼妻喚悲鳴

      遣新羅使 3680


3681 肥前國松浦郡狛嶋亭舶泊之夜,遙望海浪各慟旅心作歌七首 【承前,百卌五百第四。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須須伎 知里爾家武可聞

     歸來(かへりき)て ()むと(おも)ひし ()宿(やど)の 秋萩芒(あきはぎすすき) ()りにけむかも

       心中自期許 歸來之後欲賞觀 平城吾宿間 妍哉秋萩與芒者 今殆花散零落哉

      秦田麻呂 3681

         右一首,秦田麻呂。



3682 【承前,百卌五百第五。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     安米都知能 可未乎許比都都 安禮麻多武 波夜伎萬世伎美 麻多婆久流思母

     天地(あめつち)の (かみ)()ひつつ 我待(あれま)たむ 早來坐(はやきま)(きみ) ()たば(くる)しも

       齋戒物忌而 奉祈天神地祇矣 妾守在空閨 只願吾君早日歸 苦待無期甚難耐

      娘子 3682

         右一首,娘子。



3683 【承前,百卌五百第六。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     伎美乎於毛比 安我古非萬久波 安良多麻乃 多都追奇其等爾 與久流日毛安良自>

     (きみ)(おも)ひ ()()ひまくは (あらたま)の ()月每(つきごと)に ()くる()()らじ

       念君懸心頭 吾所戀慕相思者 每逢日更新 圓缺月異朔望間 此情莫有稍息時

      遣新羅使 3683


3684 【承前,百卌五百第七。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     秋夜乎 奈我美爾可安良武 奈曾許許波 伊能禰良要奴毛 比等里奴禮婆可

     秋夜(あきのよ)を (なが)みにかあらむ ()()こば 寐寢(いのね)らえぬも 獨寢(ひとりぬ)ればか

       可是因秋夜 漫漫夜長之故哉 何以如此許 反覆輾轉不能眠 蓋因獨寢所致哉

      遣新羅使 3684


3685 【承前,百卌五百第八。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都倍伎 月者倍爾都都

     足日女(たらしひめ) 御船泊(みふねは)てけむ 松浦海(まつらのうみ) (いも)()つべき (つき)()につつ

       人云神功后 息長足姬尊御船 嘗泊浦海 吾妻苦守空閨 期月既過日已經

      遣新羅使 3685


3686 【承前,百卌五百第九。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     多婢奈禮婆 於毛比多要弖毛 安里都禮杼 伊敝爾安流伊毛之 於母比我奈思母

     旅為(たびな)れば 思絕(おもひた)えても (あり)つれど (いへ)()(いも)し 思悲(おもひがな)しも

       吾旅在外者 或可藉景暫分神 稍緩相思苦 然度吾妻守空閨 唯有悲慕度終日

      遣新羅使 3686


3687 【承前,百卌五百第十。泊狛嶋亭舶慟旅心。】

     安思必奇能 山等妣古由留 可里我禰波 美也故爾由加波 伊毛爾安比弖許禰

     足引(あしひき)の 山飛越(やまとびこ)ゆる 鴈音(かりがね)は (みやこ)()かば (いも)()ひて()

       足曳勢險峻 高山飛越騰虛空 翔天鳴鴈矣 汝若徃去平城者 願逢吾妻傳信來

      遣新羅使 3687


3688 到壹岐嶋,雪連宅滿忽遇鬼病死去之時,作歌一首 并短歌。【承前,百卌五百十一。悼雪連宅滿。】

     須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國爾 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多禰可 多太未可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知禰能 波波 爾麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴禮婆 今日可許牟 明日可蒙許武登 伊敝妣等波 麻知故布良牟爾 等保能久爾 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛 登保久左可里弖 伊波我禰乃 安良伎之麻禰爾 夜杼理須流君

     天皇(すめろき)の 遠朝廷(とほのみかど)と 韓國(からくに)に (わた)()()は 家人(いへびと)の 齋待(いはひま)たねか 正身(ただみ)かも (あやま)ちしけむ 秋去(あきさ)らば 歸坐(かへりま)さむと 垂乳根(たらちね)の (はは)(まを)して (とき)()ぎ (つき)()ぬれば 今日(けふ)()む 明日(あす)かも()むと 家人(いへびと)は 待戀(まちこ)ふらむに 遠國(とほのくに) (いま)だも()かず 大和(やまと)をも 遠離(とほくさか)りて 岩根(いはがね)の 荒島根(あらきしまね)に 宿(やどり)する(きみ)

       聖明大君之 遙遙天邊遠朝庭 以為使節而 遠渡韓國吾君矣 蓋是汝家人 待祈齋戒有怠哉 或是汝正身 不重養生有過哉 本在秋臨時 當可歸來還故鄉 呵護垂乳根 與母告別離京師 時過如逝水 日日累積已經月 今日將還乎 抑或明日將歸哉 分明汝家人 引領期盼待汝歸 無奈遠韓國 依然未至不得著 此去大和者 依舊遠離天邊處 在此岩磐據 荒磯遼絕島根間 嗚呼永眠吾君矣

      遣新羅使 3688


3689 反歌二首 【承前,百卌五百十二。悼雪連宅滿反歌。】

     伊波多野爾 夜杼里須流伎美 伊敝妣等乃 伊豆良等和禮乎 等波婆伊可爾伊波牟

     石田野(いはたの)に 宿(やどり)する(きみ) 家人(いへびと)の 何處(いづら)(われ)を ()はば如何(いか)()はむ

       壹岐石田野 旅宿長眠在此地 若君家人等 問我汝今在何方 吾當何以答之哉

      遣新羅使 3689


3690 【承前,百卌五百十三。悼雪連宅滿反歌。】

     與能奈可波 都禰可久能未等 和可禮奴流 君爾也毛登奈 安我孤悲由加牟

     世間(よのなか)は 常如是(つねかく)のみと (わか)れぬる (きみ)にや元無(もとな) ()戀行(こひゆ)かむ

       世間總無常 往往虛渺如是矣 陰陽兩隔後 不覺相思慕乳命 唯得悲哀度日哉

      遣新羅使 3690

         右三首,挽歌。



3691 【承前,百卌五百十四。葛井子老作挽歌。】

     天地等 登毛爾母我毛等 於毛比都都 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈禮弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎爾弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我禰母 都藝弖伎奈氣婆 多良知禰能 波波母都末良母 安佐都由爾 毛能須蘇比都知 由布疑里爾 己呂毛弖奴禮弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊低見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登乃奈氣伎波 安比於毛波奴 君爾安禮也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保爾布伎弖 久毛婆奈禮 等保伎久爾敝能 都由之毛能 佐武伎山邊爾 夜杼里世流良牟

     天地(あめつち)と (とも)欲得(もがも)と (おも)ひつつ ありけむ(もの)を ()しけやし (いへ)(はな)れて 波上(なみのうへ)ゆ 滯來(なづさひき)にて (あらたま)の 月日(つきひ)來經(きへ)ぬ 雁音(かりがね)も ()ぎて來鳴(きな)けば 垂乳根(たらちね)の (はは)妻等(つまら)も 朝露(あさつゆ)に 裳裾漬(ものすそひづ)ち 夕霧(ゆふぎり)に 衣手濡(ころもでぬ)れて (さき)くしも ()るらむ(ごと)く 出見(いでみ)つつ ()つらむ(もの)を 世中(よのなか)の 人嘆(ひとのなげき)は 相思(あひおも)はぬ (きみ)にあれやも 秋萩(あきはぎ)の ()らへる野邊(のへ)の 初尾花(はつをばな) 假廬(かりほ)()きて 雲離(くもばな)れ 遠國邊(とほきくにへ)の 露霜(つゆしも)の 寒山邊(さむきやまへ)に 宿為(やどりせ)るらむ

       雖願人長久 欲得天地可與共 縱然作此思 常常胸懷有此念 熟稔愛憐兮 背井離鄉去故土 遠蹈滄溟波滔上 艱辛浮海滯來而 粗玉之所如 日新月異來經矣 鳴雁之音者 繼而來鳴聲不斷 恩育垂乳根 慈也母堂與妻等 在於朝露間 迷茫徘徊漬裳裾 復於夕霧中 凄迷踟躕濡衣手 齋戒恭祈君 無恙有幸之所如 每每出門見 引領期盼待君歸 空蟬憂世間 顯見蒼生喟嘆者 汝不復相思 君既仙遊離世俗 故在秋萩之 所散零落野邊間 手執初尾花 以葺假廬為幽居 天邊雲離兮 在此遼絕遠國邊 露霜之所置 蕭瑟無人寒山邊 永為旅宿入長眠

      葛井子老 3691


3692 反歌二首 【承前,百卌五百十五。葛井子老作挽歌。】

     波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加爾 麻都良牟伎美也 之麻我久禮奴流

     ()しけやし (つま)子供(こども)も 高高(たかたか)に ()つらむ(きみ)や 島隱(しまがく)れぬる

       悲也哀憐兮 所居故鄉妻與小 引領期盼而 汲汲等待俟汝歸 無奈君隱島不還

      葛井子老 3692


3693 【承前,百卌五百十六。葛井子老作挽歌。】

     毛美知葉能 知里奈牟山爾 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母

     黃葉(もみちば)の ()りなむ(やま)に 宿(やど)りぬる (きみ)()つらむ (ひと)(かな)しも

       人跡所罕至 黃葉零落深山間 旅宿不復返 殷殷期盼待汝歸 故里家人可悲矣

      葛井子老 3693

         右三首,葛井連子老作挽歌。



3694 【承前,百卌五百十七。六鯖作挽歌。】

     和多都美能 可之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太爾母 毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武等須流爾 伊米能其等 美知能蘇良治爾 和可禮須流伎美

     大海原(わたつみ)の 恐道(かしこきみち)を (やす)けくも ()惱來(なやみき)て (いま)だにも 喪無(もな)()かむと 壹岐海人(ゆきのあま)の 秀手卜部(ほつてのうらへ)を 肩燒(かたや)きて ()かむとするに 夢如(いめのごと) 道空路(みちのそらぢ)に (わか)れする(きみ)

       滄溟大海原 荒波狂瀾恐海道 未嘗獲安寧 惱苦跋涉泛海來 還願自今後 得以無恙復命來 令壹岐海人 老練秀手卜部氏 燒肩占成否 以期好去又好來 怎知在如夢 虛渺忐忑道空路 陰陽永別吾君矣

      六人部鯖麻呂 3694


3695 反歌二首 【承前,百卌五百十八。六鯖作挽歌。】

     牟可之欲里 伊比祁流許等乃 可良久爾能 可良久毛己許爾 和可禮須留可聞

     (むかし)より ()ひける(こと)の 韓國(からくに)の (から)くも此處(ここ)に (わか)れするかも

       遠遠自宿昔 言傳諺語之所如 旅甚艱 如是苦難亦於茲 往後相各別去哉

      六人部鯖麻呂 3695


3696 【承前,百卌五百十九。六鯖作挽歌。】

     新羅奇敝可 伊敝爾可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可禰都母

     新羅(しらき)へか (いへ)にか(かへ)る 壹岐島(ゆきのしま) ()かむ方便(たどき)も 思兼(おもひか)ねつも

       無論往新羅 抑或回師歸京畿 名負壹崎島 今後將行方便者 不知何去復何從

      六人部鯖麻呂 3696

         右三首,六鯖作挽歌。



3697 到對馬嶋淺茅浦舶泊之時,不得順風,經停五箇日。於是瞻望物華,各陳慟心作歌三首。 【承前,百卌五百二十。各陳慟心。】

     毛母布禰乃 波都流對馬能 安佐治山 志具禮能安米爾 毛美多比爾家里

     百船(ももふね)の ()つる對馬(つしま)の 淺茅山(あさぢやま) 時雨雨(しぐれのあめ)に 黃葉(もみ)たひにけり

       百船之所泊 名負津嶼對馬島 淺茅山之間 時雨紛降催葉黃 盡染一片織錦紅

      遣新羅使 3697


3698 【承前,百卌五百廿一。各陳慟心。】

     安麻射可流 比奈爾毛月波 弖禮禮杼母 伊毛曾等保久波 和可禮伎爾家流

     天離(あまざか)る (ひな)にも(つき)は ()れれども (いも)(とほ)くは 別來(わかれき)にける

       天離日已遠 縱令鄙夷遠邊疆 明月仍照臨 自吾與妻別去來 已步旅路長如是

      遣新羅使 3698


3699 【承前,百卌五百廿二。各陳慟心。】

     安伎左禮婆 於久都由之毛爾 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟

     秋去(あきさ)れば 置露霜(おくつゆしも)に ()へずして 都山(みやこのやま)は 色付(いろづ)きぬらむ

       時值秋日臨 難堪所置露霜催 內日照臨兮 平城京都野山者 蓋為黃葉織錦紅

      遣新羅使 3699


3700 竹敷浦舶泊之時,各陳心緒作歌十八首 【承前,百卌五百廿三。泊竹敷浦歌。】

     安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母

     足引(あしひき)の 山下光(やましたひか)る 黃葉(もみちば)の ()りの(まが)ひは 今日(けふ)にもあるかも

       足曳勢險峻 山陰日蔭曖含光 鮮豔黃葉之 飄零散落亂紛飛 光彩炫目今日矣

      阿倍繼麻呂 3700

         右一首,大使。



3701 【承前,百卌五百廿四。泊竹敷浦歌。】

     多可之伎能 母美知乎見禮婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曾伎爾家流

     竹敷(たかしき)の 黃葉(もみち)()れば 我妹子(わぎもこ)が ()たむと()ひし (とき)()にける

       今見竹敷之 青葉逢秋轉黃變 不覺有所念 昔日我妻嘗誓言 待吾歸日已至矣

      大伴參中 3701

         右一首,副使。



3702 【承前,百卌五百廿五。泊竹敷浦歌。】

     多可思吉能 宇良未能毛美知 和禮由伎弖 可敝里久流末低 知里許須奈由米

     竹敷(たかしき)の 浦迴黃葉(うらみのもみち) 我行(われゆ)きて 歸來(かへりく)(まで) ()りこす莫努(なゆめ)

       對馬竹敷之 妍哉浦迴黃葉矣 待吾去新羅 復歸此地觀賞前 還望常保莫散盡

      壬生宇太麻呂 3702

         右一首,大判官。



3703 【承前,百卌五百廿六。泊竹敷浦歌。】

     多可思吉能 宇敝可多山者 久禮奈為能 也之保能伊呂爾 奈里爾家流香聞

     竹敷(たかしき)の 宇敝可多山(うへかたやま)は (くれなゐ)の 八入色(やしほのいろ)に ()りにけるかも

       對馬竹敷之 宇敝可多上形山 奉為秋來而 染作八入朱紅色 繽紛鮮豔可奪目

      大藏麻呂 3703

         右一首,小判官。



3704 【承前,百卌五百廿七。泊竹敷浦歌。】

     毛美知婆能 知良布山邊由 許具布禰能 爾保比爾米低弖 伊低弖伎爾家里

     黃葉(もみちば)の ()らふ山邊(やまへ)ゆ 漕船(こぐふね)の (にほひ)(めで)て 出來(いでてき)にけり

       自於黃葉之 零落對馬山邊處 淺茅灣溺谷 榜來船餝朱艷華 吾為所魅參上來

      玉槻 3704


3705 【承前,百卌五百廿八。泊竹敷浦歌。】

     多可思吉能 多麻毛奈婢可之 己藝低奈牟 君我美布禰乎 伊都等可麻多牟

     竹敷(たかしき)の 玉藻靡(たまもなび)かし 漕出(こぎで)なむ (きみ)御船(みふね)を 何時(いつ)とか()たむ

       對馬竹敷之 玉藻隨波靡蕩漾 聲勢極浩大 如是榜出君御船 妾身不禁引領盼

      玉槻 3705

         右二首,對馬娘子。名玉槻。



3706 【承前,百卌五百廿九。泊竹敷浦歌。】

     多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和禮由久 可反流左爾見牟

     玉敷(たましけ)る 清渚(きよきなぎさ)を 潮滿(しほみ)てば ()かず我行(われゆ)く (かへ)るさに()

       洽猶敷珠玉 怡然清渚竹敷濱 因為潮已滿 雖然惜別吾當去 還期歸際復來見

      阿倍繼麻呂 3706

         右一首,大使。



3707 【承前,百卌五百三十。泊竹敷浦歌。】

     安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎禮婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久爾

     秋山(あきやま)の 黃葉(もみち)髻首(かざ)し ()()れば 浦潮滿來(うらしほみちく) 未飽(いまだあ)()くに

       手折對馬之 秋山黃葉以髻首 餝髮翫之間 浦潮滿來當發向 意猶未盡有所憾

      壬生宇太麻呂 3707

         右一首,副使。



3708 【承前,百卌五百卅一。泊竹敷浦歌。】

     毛能毛布等 比等爾波美要緇 之多婢毛能 思多由故布流爾 都奇曾倍爾家流

     物思(ものも)ふと (ひと)には()えじ 下紐(したびも)の (した)()ふるに (つき)()にける

       此身陷相思 不欲人見憂鬱色 下紐之所如 隱忍焦慕胸懷中 不覺經月曠時日

      阿倍繼麻呂 3708

         右一首,大使。



3709 【承前,百卌五百卅二。泊竹敷浦歌。】

     伊敝豆刀爾 可比乎比里布等 於伎敝欲里 與世久流奈美爾 許呂毛弖奴禮奴

     家苞(いへづと)に (かひ)(ひり)ふと 沖邊(おきへ)より 寄來(よせく)(なみ)に 衣手濡(ころもでぬ)れぬ

       欲裹贈家人 屈身拾取濱貝者 自於瀛沖邊 緣來擊岸浪不斷 漬濕吾裳濡衣袖

      遣新羅使 3709


3710 【承前,百卌五百卅三。泊竹敷浦歌。】

     之保非奈婆 麻多母和禮許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴

     潮干(しほひ)なば (また)我來(われこ)む 去來行(いざゆ)かむ 沖潮騷(おきつしほさゐ) 高立來(たかくたちき)

       待此潮退時 吾必覆命而再臨 去來將發向 瀛津潮騷浪滂渤 吟聲高鳴催啟程

      遣新羅使 3710


3711 【承前,百卌五百卅四。泊竹敷浦歌。】

     和我袖波 多毛登等保里弖 奴禮奴等母 故非和須禮我比 等良受波由可自

     ()(そで)は 手本通(たもととほ)りて ()れぬとも 戀忘貝(こひわすれがひ) ()らずは()かじ

       縱然吾衣手 漬濡通透沾手腕 濕漉至幾許 嗚呼未拾戀忘貝 無物慰情豈行哉

      遣新羅使 3711


3712 【承前,百卌五百卅五。泊竹敷浦歌。】

     奴婆多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久爾 和我許呂母弖乎 奴禮弖伊可爾勢牟

     烏玉(ぬばたま)の (いも)()すべく ()()くに ()衣手(ころもで)を ()れて如何(いか)()

       漆黑烏玉兮 黑髮吾妻不在此 無人為乾衣 今濡衣袖漬如此 濕漉通透當奈何

      遣新羅使 3712


3713 【承前,百卌五百卅六。泊竹敷浦歌。】

     毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆

     黃葉(もみちば)は (いま)(うつろ)ふ 我妹子(わぎもこ)が ()たむと()ひし 時經行(ときのへゆ)けば

       秋日山黃葉 今已零落殆盡矣 愛也吾妹妻 誓言相待所期日 既過時久未得逢

      遣新羅使 3713


3714 【承前,百卌五百卅七。泊竹敷浦歌。】

     安伎佐禮婆 故非之美伊母乎 伊米爾太爾 比左之久見牟乎 安氣爾家流香聞

     秋去(あきさ)れば (こひ)しみ(いも)を (いめ)にだに (ひさ)しく()むを ()けにけるかも

       時值秋日臨 惆悵更慕倍思妻 縱令在夢中 仍欲相見伴長久 何奈夜短天將明

      遣新羅使 3714


3715 【承前,百卌五百卅八。泊竹敷浦歌。】

     比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多禮可毛由波牟 伊敝杼保久之弖

     (ひとり)のみ 著寢衣(きぬるころも)の 紐解(ひもと)かば (たれ)かも()はむ 家遠(いへどほ)くして

       形單影孤而 所以獨眠著寢衣 若今解其紐 孰可為我復結哉 家遠吾妻在天邊

      遣新羅使 3715


3716 【承前,百卌五百卅九。泊竹敷浦歌。】

     安麻久毛能 多由多比久禮婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比爾家里

     天雲(あまくも)の 搖盪來(たゆたひく)れば 九月(ながつき)の 黃葉山(もみちのやま)も (うつろ)ひにけり

       天雲之所如 搖曳漂蕩來此者 暮秋九月之 朱紅似錦黃葉山 既已凋零散落矣

      遣新羅使 3716


3717 【承前,百卌五百四十。泊竹敷浦歌。】

     多婢爾弖毛 母奈久波也許登 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈禮爾家流香聞

     (たび)にても 喪無(もな)早來(はやこ)と 我妹子(わぎもこ)が 結紐(むすびしひも)は ()れにけるかも

       祈求羈旅間 好去無恙早歸來 愛也吾妹妻 所以手結此紐者 已然馴褻襤褸矣

      遣新羅使 3717


3718 迴來筑紫,海路入京,到播磨國家嶋之時作歌五首 【承前,百卌五百卌一。家嶋作歌。】

     伊敝之麻波 奈爾許曾安里家禮 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久爾

     家島(いへしま)は ()にこそ()けれ 海原(うなはら)を ()戀來(こひき)つる (いも)()()くに

       所謂家島者 嗟乎有名無實也 遠道渡滄瀛 慕名泛海來此者 愛也吾妻不在茲

      遣新羅使 3718


3719 【承前,百卌五百卌二。家嶋作歌。】

     久左麻久良 多婢爾比左之久 安良米也等 伊毛爾伊比之乎 等之能倍奴良久

     草枕(くさまくら) (たび)(ひさ)しく ()らめやと (いも)()ひしを 年經(としのへ)ぬらく

       草枕在異地 銜命羈旅豈久長 須臾必相逢 雖然與妻述如是 誰知不覺已經年

      遣新羅使 3719


3720 【承前,百卌五百卌三。家嶋作歌。】

     和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為爾見延奴 伊敝都久良之母

     我妹子(わぎもこ)を ()きて早見(はやみ)む 淡路島(あはぢしま) 雲居(くもゐ)()えぬ 家付(いへづ)くらしも

       愛也吾妹矣 只願早歸拜妻眉 逢兮淡路島 遙遙可見雲居處 蓋是當近故里哉

      遣新羅使 3720


3721 【承前,百卌五百卌四。家嶋作歌。】

     奴婆多麻能 欲安可之母布禰波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武

     烏玉(ぬばたま)の 夜明(よあ)かしも(ふね)は 漕行(こぎゆ)かな 三津濱(みつのはままつ) (まちこ)ひぬらむ

       漆黑烏玉兮 縱令徹夜榜不停 驅船蹈滄洺 三津濱邊植松者 戀慕苦待已多時

      遣新羅使 3721


3722 【承前,百卌五百卌五。家嶋作歌。】

     大伴乃 美津能等麻里爾 布禰波弖弖 多都多能山乎 伊都可故延伊加武

     大伴(おほとも)の 三津泊(みつのとまり)に 船泊(ふねは)てて 龍田山(たつたのやま)を 何時(いつ)越行(こえい)かむ

       難波大伴之 御湊三津船著場 泊船於此地 河內大和龍田山 何時可越歸平城

      遣新羅使 3722



中臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌

3723 中臣朝臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌 【六三第一。娘子臨別。】

     安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許許呂爾毛知弖 夜須家久母奈之

     足引(あしひき)の 山道越(やまぢこ)えむと する(きみ)を (こころ)()ちて (やす)けくも()

       足曳勢險峻 強越關山涉危道 所徃吾君矣 妾懷汝命在心中 忐忑不安手無措

      狹野弟上娘子 3723


3724 【承前,六三第二。娘子臨別。】

     君我由久 道乃奈我弖乎 久里多多禰 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母

     (きみ)()く 道長手(みちのながて)を 繰疊(くりたた)ね 燒滅(やきほろ)ぼさむ 天火欲得(あめのひもがも)

       吾君奉宸旨 遠流越前路八千 誠欲得天火 燒滅刑路駐其足 留得伊人偎身邊

      狹野弟上娘子 3724


3725 【承前,六三第三。娘子臨別。】

     和我世故之 氣太之麻可良婆 思漏多倍乃 蘇低乎布良左禰 見都追志努波牟

     ()背子(せこ)し (けだ)(まか)らば 白栲(しろたへ)の (そで)()らさね ()つつ(しの)はむ

       愛也吾夫子 汝若被流將罷者 白妙敷栲兮 願揮衣袖令吾知 妾身見之慕汝命

      狹野弟上娘子 3725


3726 【承前,六三第四。娘子臨別。】

     己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之氣 安氣弖乎知欲利 須辨奈可流倍思

     此頃(このころ)は ()ひつつもあらむ 玉櫛笥(たまくしげ) ()けて彼方(をち)より 術無(すべな)かるべし

       比來此頃間 雖然戀慕常相忍 珠匣玉櫛笥 待此夜過天明後 手足無措不知方

      狹野弟上娘子 3726

         右四首,娘子臨別作歌。



3727 【承前,六三第五。宅守上道。】

     知里比治能 可受爾母安良奴 和禮由惠爾 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐

     塵泥(ちりひぢ)の (かず)にも()らぬ 我故(われゆゑ)に 思侘(おもひわ)ぶらむ (いも)(かな)しさ

       塵泥之所如 卑賤不足施一顧 奉為此吾命 汝當失望思侘哉 愛也吾妹可怜矣

      中臣宅守 3727


3728 【承前,六三第六。宅守上道。】

     安乎爾與之 奈良能於保知波 由吉余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利

     青丹良(あをによ)し 奈良大道(ならのおほぢ)は 行良(ゆきよ)けど 此山道(このやまみち)は 行惡(ゆきあ)しかりけり

       青丹良且秀 奈良康莊大道者 雖然易於行 而今配流此山道 路途險阻甚艱惡

      中臣宅守 3728


3729 【承前,六三第七。宅守上道。】

     宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由氣婆可母等奈 由伎安思可流良武

     (うるは)しと ()思妹(もふいも)を (おも)ひつつ ()けばか元無(もとな) 行惡(ゆきあ)しかるらむ

       親愛令人憐 朝思暮想所心懸 蓋吾念不忘 胸懷吾妻啟程故 備感滯足路難行

      中臣宅守 3729


3730 【承前,六三第八。宅守上道。】

     加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣爾多知弖 伊毛我名能里都

     (かしこ)みと ()らずありしを 御越道(みこしぢ)の 手向(たむけ)()ちて (いも)名告(なの)りつ

       自發向以來 誠惶誠恐未嘗告 卻在御越道 奉獻祈神安平時 不覺訴我愛妻名

      中臣宅守 3730

         右四首,中臣朝臣宅守上道作歌。



3731 【承前,六三第九。宅守至配所。】

     於毛布惠爾 安布毛能奈良婆 之末思久毛 伊毛我目可禮弖 安禮乎良米也母

     思故(おもふゑ)に 逢物(あふもの)ならば (しまし)くも (いも)目離(めか)れて 我居(あれを)らめやも

       若懸心慕故 即可拜眉相逢者 縱令須臾間 豈與吾妹兩離哉 可恨世間不如意

      中臣宅守 3731


3732 【承前,六三第十。宅守至配所。】

     安可禰佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良爾 禰能未之奈加由

     茜日射(あかねさ)す (ひる)物思(ものも)ひ 烏玉(ぬばたま)の ()(すがら)に ()のみし()かゆ

       暉曜緋茜射 晝者徒然浸憂思 漆黑烏玉兮 晚者輾轉徹終夜 唯有放聲號泣矣

      中臣宅守 3732


3733 【承前,六三十一。宅守至配所。】

     和伎毛故我 可多美能許呂母 奈可里世婆 奈爾毛能母弖加 伊能知都我麻之

     我妹子(わぎもこ)が 形見衣(かたみのころも) ()かりせば 何物以(なにものも)てか 命繼(いのちつ)がまし

       吾妻所餽贈 睹物思人形見衣 一旦紛失者 當以何物伴長旅 堪緩孤獨繼命哉

      中臣宅守 3733


3734 【承前,六三十二。宅守至配所。】

     等保伎山 世伎毛故要伎奴 伊麻左良爾 安布倍伎與之能 奈伎我佐夫之佐【一云,左必之佐。】

     遠山(とほきやま) (せき)越來(こえき)ぬ 今更(いまさら)に ()ふべき(よし)の ()きが(さぶ)しさ一云(またにいふ)(さび)しさ。】

       流路行日久 既越遠山關門來 時值至今日 更恨相會無逢由 隻身悲毀傷寂廖【一云,隻身悲毀哀寂甚。】

      中臣宅守 3734


3735 【承前,六三十三。宅守至配所。】

     於毛波受母 麻許等安里衣牟也 左奴流欲能 伊米爾毛伊母我 美延射良奈久爾

     (おも)はずも 誠有得(まことありえ)むや 小寢(さぬ)()の (いめ)にも(いも)が ()えざら()くに

       雖欲忘此情 然則豈誠得遂哉 縱令小寢夜 晚晚夢見吾愛妻 夜夜不絕戀伊人

      中臣宅守 3735


3736 【承前,六三十四。宅守至配所。】

     等保久安禮婆 一日一夜毛 於母波受弖 安流良牟母能等 於毛保之賣須奈

     (とほ)くあれば 一日一夜(ひとひひとよ)も (おも)はずて あるらむ(もの)と 思召(おもほ)しめす()

       雖然隔路遠 縱令一日或一夜 抑或須臾間 勿思吾命不念汝 我情不渝至石爛

      中臣宅守 3736


3737 【承前,六三十五。宅守至配所。】

     比等余里波 伊毛曾母安之伎 故非毛奈久 安良末思毛能乎 於毛波之米都追

     (ひと)よりは (いも)そも()しき (こひ)()く ()益物(ましもの)を 思召(おもはしめ)つつ

       與吾相較者 汝命方為惡人哉 若無戀慕者 豈苦相思哀如是 然汝致吾甚心懸

      中臣宅守 3737


3738 【承前,六三十六。宅守至配所。】

     於毛比都追 奴禮婆可毛等奈 奴婆多麻能 比等欲毛意知受 伊米爾之見由流

     (おも)ひつつ ()ればか元無(もとな) 烏玉(ぬばたま)の 一夜(ひとよ)()ちず (いめ)にし()ゆる

       思慕戀伊人 懷憂而寢之故哉 漆黑烏玉兮 莫名夜夜未嘗闕 宵宵會汝在夢中

      中臣宅守 3738


3739 【承前,六三十七。宅守至配所。】

     可久婆可里 古非牟等可禰弖 之良末世婆 伊毛乎婆美受曾 安流倍久安里家留

     如此許(かくばかり) (こひ)むと(かね)て ()らませば (いも)をば()ずぞ (ある)べく(あり)ける

       追悔已莫及 早知戀慕如此許 悲哀殆狂者 當初不當與妹逢 未曾相識自無憂

      中臣宅守 3739


3740 【承前,六三十八。宅守至配所。】

     安米都知能 可未奈伎毛能爾 安良婆許曾 安我毛布伊毛爾 安波受思仁世米

     天地(あめつち)の 神無物(かみなきもの)に ()らばこそ ()()(いも)に ()はず()にせめ

       天神地衹之 八百萬神不在哉 若寔無神者 吾得諦觀不奢望 不與妻逢可死也

      中臣宅守 3740


3741 【承前,六三十九。宅守至配所。】

     伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知爾毛 安波射良米也母【一云,安里弖能乃知毛。】

     (いのち)をし (また)くしあらば 在衣(ありきぬ)の (あり)(のち)にも ()はざらめやも一云(またにいふ)(あり)ての(のち)も。】

       留得一命存 心許有朝一日逢 在衣之所如 如是心盼寄將來 延宕無期不得會【一云,如是心許盼未然。】

      中臣宅守 3741


3742 【承前,六三二十。宅守至配所。】

     安波牟日乎 其日等之良受 等許也未爾 伊豆禮能日麻弖 安禮古非乎良牟

     ()はむ()を 其日(そのひ)()らず 常闇(とこやみ)に 何日迄(いづれのひまで) 我戀居(あれこひを)らむ

       相隔在異地 不知重逢在何日 心憂陷常闇 吾人悲慕度終日 哀毀當至何日迄

      中臣宅守 3742


3743 【承前,六三廿一。宅守至配所。】

     多婢等伊倍婆 許等爾曾夜須伎 須久奈久毛 伊母爾戀都都 須敝奈家奈久爾

     (たび)()へば (こと)にそ(やす)き (すく)なくも (いも)(こひ)ひつつ 術無(すべな)()くに

       所謂羈旅者 空口白話甚容易 然而寔者何 豈是須臾苦相思 逢賴無由而已哉

      中臣宅守 3743


3744 【承前,六三廿二。宅守至配所。】

     和伎毛故爾 古布流爾安禮波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思

     我妹子(わぎもこ)に ()ふるに(あれ)は 玉限(たまきは)る 短命(みじかきいのち)も ()しけくも()

       愛也吾妹妻 朝思暮想我命者 玉剋魂極兮 石火光中此命者 輕如鴻毛無所惜

      中臣宅守 3744

         右十四首,中臣朝臣宅守。



3745 【承前,六三廿三。娘子留京悲傷。】

     伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由惠爾 波太奈於毛比曾 伊能知多爾敝波

     命有(いのちあ)らば 逢事(あふこと)()らむ ()(ゆゑ)に (はだ)(おも)ひそ (いのち)だに()

       留得此命存 有朝一日必得逢 願君惜身命 莫為我故憂之甚 只冀源遠能流長

      狹野弟上娘子 3745


3746 【承前,六三廿四。娘子留京悲傷。】

     比等能宇宇流 田者宇惠麻佐受 伊麻佐良爾 久爾和可禮之弖 安禮波伊可爾勢武

     人植(ひとのう)うる ()植坐(うゑま)さず 今更(いまさら)に 國別(くにわか)れして (あれ)如何(いか)()

       時雖值農忙 不若他人務田植 逮于今日者 離自故鄉流遠國 妾身此後當何如

      狹野弟上娘子 3746


3747 【承前,六三廿五。娘子留京悲傷。】

     和我屋度能 麻都能葉見都都 安禮麻多無 波夜可反里麻世 古非之奈奴刀爾

     ()宿(やど)の 松葉見(まつのはみ)つつ 我待(あれま)たむ 早歸坐(はやかへりま)せ 戀死(こひし)なぬ()

       吾觀庭院間 端詳松葉待君歸 此心之所願 冀望汝命早歸來 在吾難堪戀死前

      狹野弟上娘子 3747


3748 【承前,六三廿六。娘子留京悲傷。】

     比等久爾波 須美安之等曾伊布 須牟也氣久 波也可反里万世 古非之奈奴刀爾

     他國(ひとくに)は 住惡(すみあ)しとそ()ふ (すむや)けく 早歸坐(はやかへりま)せ 戀死(こひし)なぬ()

       人云他國者 難住不便莫安寧 此心之所願 冀汝速速早歸來 在吾尚未戀死前

      狹野弟上娘子 3748


3749 【承前,六三廿七。娘子留京悲傷。】

     比等久爾爾 伎美乎伊麻勢弖 伊都麻弖可 安我故非乎良牟 等伎乃之良奈久

     他國(ひとくに)に (きみ)(いま)せて 何時迄(いつまで)か ()戀居(こひを)らむ 時知(ときのし)()

       任君赴他國 相隔異地不相見 當待至何時 苦守空閨慕我君 再會無期總欷歔

      狹野弟上娘子 3749


3750 【承前,六三廿八。娘子留京悲傷。】

     安米都知乃 曾許比能宇良爾 安我其等久 伎美爾故布良牟 比等波左禰安良自

     天地(あめつち)の 底限裏(そこひのうら)に ()(ごと)く (きみ)()ふらむ (ひと)實有(さねあ)らじ

       縱令天地之 端堺邊陲極限處 妾身有所思 到底無人戀其夫 可猶吾命慕如此

      狹野弟上娘子 3750


3751 【承前,六三廿九。娘子留京悲傷。】

     之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖禮和我世故 多太爾安布麻弖爾

     白栲(しろたへ)の ()下衣(したごろも) (うしな)はず ()てれ()背子(せこ) (ただ)逢迄(あふまで)

       白妙敷栲兮 妾所餽贈下衣者 願君莫亡失 肌身勿離吾夫矣 直至有朝重逢時

      狹野弟上娘子 3751


3752 【承前,六三三十。娘子留京悲傷。】

     波流乃日能 宇良我奈之伎爾 於久禮為弖 君爾古非都都 宇都之家米也母

     春日(はるのひ)の 衷悲(うらがな)しきに 後居(おくれゐ)て (きみ)()ひつつ (うつ)しけめやも

       和煦春暖日 鬱悶由衷傷悲時 留居在家中 哀慕吾君度終日 悲毀豈得保心性

      狹野弟上娘子 3752


3753 【承前,六三卅一。娘子留京悲傷。】

     安波牟日能 可多美爾世與等 多和也女能 於毛比美太禮弖 奴敝流許呂母曾

     ()はむ()の 形見(かたみ)()よと 手弱女(たわやめ)の 思亂(おもひみだ)れて ()へる(ころも)

       願得為有朝 相逢以前信物而 妾身手弱女 千頭萬緒情意亂 所以縫織此衣也

      狹野弟上娘子 3753

         右九首,娘子。



3754 【承前,六三卅二。宅守作歌。】

     過所奈之爾 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子爾毛 夜麻受可欲波牟

     過所無(くわそな)しに 關飛越(せきとびこ)ゆる 霍公鳥(ほととぎす) 多我子爾毛(未詳) ()まず(かよ)はむ

       不需符節而 得以飛越過關所 郭公霍公鳥 無論孰人之頂上 必然不止翱通哉

      中臣宅守 3754


3755 【承前,六三卅三。宅守作歌。】

     宇流波之等 安我毛布伊毛乎 山川乎 奈可爾敝奈里弖 夜須家久毛奈之

     (うるは)しと ()思妹(もふいも)を 山川(やまかは)を (なか)(へな)りて (やす)けくも()

       由衷感愛憐 朝暮心懸吾妻矣 中隔山川在 兩隔異地不相逢 吾胸忐忑難安寧

      中臣宅守 3755


3756 【承前,六三卅四。宅守作歌。】

     牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊等波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖

     向居(むかひゐ)て 一日(ひとひ)()ちず ()しかども (いと)はぬ(いも)を 月渡(つきわた)(まで)

       縱令常相覷 日日相望無所闕 百看不嘗厭 惹人憐愛吾妹妻 相離已然經月矣

      中臣宅守 3756


3757 【承前,六三卅五。宅守作歌。】

     安我未許曾 世伎夜麻故要弖 許己爾安良米 許己呂波伊毛爾 與里爾之母能乎

     ()()こそ 關山越(せきやまこ)えて 此處(ここ)()らめ (こころ)(いも)に ()りにし(もの)

       雖然此肉身 遠行數渡越關山 來到在此處 然而我心常相伴 依偎吾妻未嘗離

      中臣宅守 3757


3758 【承前,六三卅六。宅守作歌。】

     佐須太氣能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能未 許能美多流良武【一云,伊麻左倍也。】

     刺竹(さすだけ)の 大宮人(おほみやひと)は (いま)もかも 人嬲(ひとなぶり)のみ (この)みたるらむ一云(またにいふ)(いま)さへや。】

       刺竹根芽盛 百敷殿上大宮人 於今為何事 蓋仍常時辱弄人 任情恣意無忌憚【一云,縱令於今者。】

      中臣宅守 3758


3759 【承前,六三卅七。宅守作歌。】

     多知可敝里 奈氣杼毛安禮波 之流思奈美 於毛比和夫禮弖 奴流欲之曾於保伎

     立返(たちかへ)り ()けども(あれ)は 驗無(しるしな)み 思侘(おもひわ)ぶれて ()()しそ(おほ)

       反覆再而三 悲愴涕泣吾命者 全然無效驗 哀傷失落心寂寥 輾轉孤眠夜多矣

      中臣宅守 3759


3760 【承前,六三卅八。宅守作歌。】

     左奴流欲波 於保久安禮杼毛 母能毛波受 夜須久奴流欲波 佐禰奈伎母能乎

     小寢(さぬ)()は 多在(おほくあ)れども 物思(ものも)はず 安寢(やすくぬ)()は 實無(さねな)(もの)

       單論小寢夜 所度宵宵雖多矣 然計心寧而 不浸憂思安寢夜 可謂未嘗有之也

      中臣宅守 3760


3761 【承前,六三卅九。宅守作歌。】

     與能奈可能 都年能己等和利 可久左麻爾 奈里伎爾家良之 須惠之多禰可良

     世中(よのなか)の 常理(つねのことわり) 如斯樣(かくさま)に 成來(なりき)にけらし ()ゑし(たね)から

       空蟬此世間 倫常律令掟理故 所以此身者 淪落如此流越前 自業自得己蒔種

      中臣宅守 3761


3762 【承前,六三四十。宅守作歌。】

     和伎毛故爾 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都都乎禮杼 安布余思毛奈之

     我妹子(わぎもこ)に 逢坂山(あふさかやま)を ()えて()て ()きつつ()れど 逢由(あふよし)()

       愛也吾妹兮 雖然越來逢坂山 望能與一會 然恨虛名無逢由 唯得啜泣度終日

      中臣宅守 3762


3763 【承前,六三卌一。宅守作歌。】

     多婢等伊倍婆 許登爾曾夜須伎 須敝毛奈久 久流思伎多婢毛 許等爾麻左米也母

     (たび)()へば (こと)にそ(やす)き (すべ)()く (くる)しき(たび)も (こと)(まさ)めやも

       所謂羈旅者 空口白話甚容易 縱令手無措 顛沛流離苦旅者 一言蔽之亦旅也

      中臣宅守 3763


3764 【承前,六三卌二。宅守作歌。】

     山川乎 奈可爾敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母

     山川(やまかは)を (なか)(へな)りて (とほ)くとも (こころ)(ちか)く (おも)ほせ我妹(わぎも)

       中隔山川在 兩隔異地不相逢 肉身雖遠離 然而我倆心可近 還願吾妹常念我

      中臣宅守 3764


3765 【承前,六三卌三。宅守作歌。】

     麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等爾之賣須奈

     真十鏡(まそかがみ) ()けて(しぬ)へと 獻出(まつりだ)す 形見物(かたみのもの)を (ひと)(しめ)()

       無曇真十鏡 願汝懸心偲吾身 所以獻出之 寄情形見信物者 切勿莫令他人視

      中臣宅守 3765


3766 【承前,六三卌四。宅守作歌。】

     宇流波之等 於毛比之於毛波婆 之多婢毛爾 由比都氣毛知弖 夜麻受之努波世

     (うるは)しと (おも)ひし(おも)はば 下紐(したびも)に 結付持(ゆひつけも)ちて ()まず(しの)はせ

       汝若思吾命 海枯石爛愛慕者 今結此下紐 繫情長伴不離身 還願情念無所止

      中臣宅守 3766

         右十三首,中臣朝臣宅守。



3767 【承前,六三卌五。娘子作歌。】

     多麻之比波 安之多由布敝爾 多麻布禮杼 安我牟禰伊多之 古非能之氣吉爾

     (たましひ)は 朝夕(あしたゆふへ)に 賜振(たまふ)れど ()胸痛(むねいた)し 戀繁(こひのしげ)きに

       汝命真摯情 雖然朝夕無所闕 時時令感銘 然我胸懷痛刻骨 難忍思慕情泉湧

      狹野弟上娘子 3767


3768 【承前,六三卌六。娘子作歌。】

     己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都都 禰能未之曾奈久

     此頃(このころ)は (きみ)(おも)ふと (すべ)()き (こひ)のみしつつ ()のみしそ()

       比日此頃時 每逢思君心抑鬱 手足皆無措 唯有戀慕度終日 放聲號泣淚涕下

      狹野弟上娘子 3768


3769 【承前,六三卌七。娘子作歌。】

     奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻爾之弖 伊麻曾久夜思吉

     烏玉(ぬばたま)の 夜見(よるみ)(きみ)を ()くる(あした) ()はず()にして (いま)(くや)しき

       漆黑烏玉兮 逢瀨闇夜吾君矣 翌朝天明後 未會之間既別去 如今後悔已莫及

      狹野弟上娘子 3769


3770 【承前,六三卌八。娘子作歌。】

     安治麻野爾 屋杼禮流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武

     味真野(あぢまの)に 宿(やど)れる(きみ)が 歸來(かへりこ)む 時迎(ときのむか)へを 何時(いつ)とか()たむ

       越前味真野 長滯久宿吾君矣 朝暮引領盼 妾身當待迄何許 終可迎汝歸期哉

      狹野弟上娘子 3770


3771 【承前,六三卌九。娘子作歌。】

     宮人能 夜須伊毛禰受弖 家布家布等 麻都良武毛能乎 美要奴君可聞

     宮人(みやひと)の 安眠(やすい)()ずて 今日今日(けふけふ)と ()つらむ(もの)を ()えぬ(きみ)かも

       殿上大宮人 輾轉難眠不安寢 今日且今日 引領期盼待君歸 不得一見汝命矣

      狹野弟上娘子 3771


3772 【承前,六三五十。娘子作歌。】

     可敝里家流 比等伎多禮里等 伊比之可婆 保等保登之爾吉 君香登於毛比弖

     歸來(かへりけ)る 人來(ひとき)れりと ()ひしかば (ほとほ)()にき (きみ)かと(おも)ひて

       聽聞逢大赦 流人得許早歸來 雀躍往迎者 不覺失望殆將死 期吾君歸不得叶

      狹野弟上娘子 3772


3773 【承前,六三五一。娘子作歌。】

     君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久禮弖乎禮杼 與伎許等毛奈之

     (きみ)(むた) ()益物(ましもの)を (おな)(こと) (おく)れて()れど 良事(よきこと)()

       早知如此者 不若與君共流去 其苦寔相同 雖然留居在京畿 未有一事可稱善

      狹野弟上娘子 3773


3774 【承前,六三五二。娘子作歌。】

     和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須禮多麻布奈

     ()背子(せこ)が 歸來坐(かへりきま)さむ 時為(ときのため) 命殘(いのちのこ)さむ 忘給(わすれたま)()

       苦痛不欲生 所以苟留一命者 奉為吾夫君 有朝一日歸來矣 願君知悉莫忘也

      狹野弟上娘子 3774

         右八首,娘子。



3775 【承前,六三五三。宅守更贈。】

     安良多麻能 等之能乎奈我久 安波射禮杼 家之伎己許呂乎 安我毛波奈久爾

     (あらたま)の 年緒長(としのをなが)く ()はざれど ()しき(こころ)を ()()()くに

       日新月異兮 雖然相離年緒長 日久不得逢 然而所謂異心者 吾身未嘗有之矣

      中臣宅守 3775


3776 【承前,六三五四。宅守更贈。】

     家布毛可母 美也故奈里世婆 見麻久保里 爾之能御馬屋乃 刀爾多弖良麻之

     今日(けふ)もかも (みやこ)なりせば ()まく()り 西御馬屋(にしのみまや)の ()()てらまし

       假令吾今日 有幸得在京畿者 蓋難忍慕情 躬赴內廄右馬寮 佇俟西御馬屋外

      中臣宅守 3776

         右二首,中臣朝臣宅守。



3777 【承前,六三五五。娘子和贈。】

     伎能布家布 伎美爾安波受弖 須流須敝能 多度伎乎之良爾 禰能未之曾奈久

     昨日今日(きのふけふ) (きみ)()はずて する(すべ)の 方便(たどき)()らに ()のみしそ()

       昨日且今日 與君相隔不得逢 手足無所措 相會無由亦無方 放聲號泣淚涕下

      狹野弟上娘子 3777


3778 【承前,六三五六。娘子和贈。】

     之路多倍乃 阿我許呂毛弖乎 登里母知弖 伊波敝和我勢古 多太爾安布末低爾

     白栲(しろたへ)の ()衣手(ころもで)を 取持(とりも)ちて (いは)()背子(せこ) (ただ)逢迄(あふまで)

       白妙敷栲兮 吾所餽贈衣裳者 還願勤取持 齋戒祈禱吾君矣 直至有朝相逢日

      狹野弟上娘子 3778

         右二首,娘子。



3779 【承前,六三五七。宅守寄物陳思。】

     和我夜度乃 波奈多知婆奈波 伊多都良爾 知利可須具良牟 見流比等奈思爾

     ()宿(やど)の 花橘(はなたちばな)は (いたづら)に (ちり)()ぐらむ ()人無(ひとな)しに

       吾宿庭院間 所植妍災花橘者 徒然花咲而 寂寞凋零散落哉 花開花落無人賞

      中臣宅守 3779


3780 【承前,六三五八。宅守寄物陳思。】

     古非之奈婆 古非毛之禰等也 保等登藝須 毛能毛布等伎爾 伎奈吉等余牟流

     戀死(こひし)なば (こひ)()ねとや 霍公鳥(ほととぎす) 物思(ものも)(とき)に 來鳴(きな)(とよ)むる

       戀慕欲死者 不若當下戀死矣 郭公不如歸 汝意蓋當如是哉 來鳴在吾憂思時

      中臣宅守 3780


3781 【承前,六三五九。宅守寄物陳思。】

     多婢爾之弖 毛能毛布等吉爾 保等登藝須 毛等奈那難吉曾 安我古非麻左流

     (たび)にして 物思(ものも)(とき)に 霍公鳥(ほととぎす) 元無勿鳴(もとななな)きそ ()戀增(こひま)さる

       羈旅在異地 身陷憂思抑鬱時 郭公不如歸 且莫無由來哀啼 我戀將湧心更悲

      中臣宅守 3781


3782 【承前,六三六十。宅守寄物陳思。】

     安麻其毛理 毛能母布等伎爾 保等登藝須 和我須武佐刀爾 伎奈伎等余母須

     雨隱(あまごも)り 物思(ものも)(とき)に 霍公鳥(ほととぎす) ()()(さと)に 來鳴(きな)(とよ)もす

       避雨不出戶 身陷憂思鬱悶時 子規霍公鳥 至我居里味真野 不如歸去淒來鳴

      中臣宅守 3782


3783 【承前,六三六一。宅守寄物陳思。】

     多婢爾之弖 伊毛爾古布禮婆 保登等伎須 和我須武佐刀爾 許欲奈伎和多流

     (たび)にして (いも)()ふれば 霍公鳥(ほととぎす) ()()(さと)に ()鳴渡(なきわた)

       羈旅在異地 心戀伊人愁傷時 子規霍公鳥 至我居里味真野 經此鳴渡不如歸

      中臣宅守 3783


3784 【承前,六三六二。宅守寄物陳思。】

     許己呂奈伎 登里爾曾安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎爾 奈久倍吉毛能可

     心無(こころな)き (とり)にそありける 霍公鳥(ほととぎす) 物思(ものも)(とき)に ()くべき(もの)

       無情不識趣 不識時務此鳥矣 子規霍公鳥 於吾憂思消沉時 豈應來鳴催悽愴

      中臣宅守 3784


3785 【承前,六三六三。宅守寄物陳思。】

     保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之

     霍公鳥(ほととぎす) 間暫置(あひだしましお)け ()()けば ()思心(もふこころ) (いた)術無(すべな)

       子規霍公鳥 願汝稍歇息片刻 每逢汝鳴者 吾慕之心千萬絮 手足無措不知方

      中臣宅守 3785

         右七首,中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌。



真字萬葉集 卷十五 遣新羅使歌、中臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌 終