真字萬葉集 卷第九 雜歌、相聞、挽歌
雜歌
1664 泊瀨朝倉宮御宇大泊瀨幼武天皇御製歌一首
暮去者 小椋山爾 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
夕去れば 小倉山に 伏鹿の 今夜は鳴かず 寐ねにけらしも
每逢夕暮時 消蹤匿跡小倉山 隱身伏鹿者 今夜不聞其聲鳴 蓋是獲妻安寢哉
雄略天皇 1664
右,或本云:「崗本天皇御製。」不審正指,因以累戴。
1665 崗本宮御宇天皇幸紀伊國時歌二首
為妹 吾玉拾 奧邊有 玉緣持來 奧津白浪
妹が為 我玉拾ふ 沖邊なる 玉寄持來 沖白波
奉為吾愛妻 我今拾玉摘珍珠 願汝聞此訴 押寄持來奧邊玉 呼嗚沖津白浪矣
佚名 1665
1666 【承前。○新古今0902。】
朝霧爾 沾爾之衣 不干而 一哉君之 山道將越
朝霧に 濡れにし衣 干さずして 一人か君が 山道越ゆらむ
朝霧漫山中 衣為霧露所沾濕 我度吾君矣 不干其衣徑獨行 隻身將越彼山道
佚名 1666
1667 大寶元年辛丑冬十月,太上天皇、大行天皇幸紀伊國時歌十三首 【十三第一。】
為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依來 於伎都白浪
妹が為 我玉求む 沖邊なる 白玉寄來 沖白波
奉為吾愛妻 我今求玉覓珍珠 願汝聞此訴 寄來奧邊真白玉 呼嗚沖津白浪矣
佚名 1667
右一首,上見既畢。但歌辭小換,年代相違,因以累戴。
1668 【承前,十三第二。】
白埼者 幸在待 大船爾 真梶繁貫 又將顧
白崎は 幸くあり待て 大船に 真梶繁貫き 又返見む
嗚呼白崎矣 願汝無恙久待此 吾今離別去 真梶繁貫大船發 有朝終將復返見
佚名 1668
1669 【承前,十三第三。】
三名部乃浦 鹽莫滿 鹿嶋在 釣為海人乎 見變來六
三名部浦 潮莫滿ちそね 鹿島なる 釣りする海人を 見て歸來む
三名部浦矣 切莫潮盈阻我途 鹿島岩磐上 漁釣海人白水郎 吾欲見而復來歸
佚名 1669
1670 【承前,十三第四。】
朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見反將來
朝開き 漕出て我は 湯羅崎 釣する海人を 見て歸來む
晨曦天明時 漕船榜出離岸去 由良湯羅崎 為釣海人白水郎 吾欲見而復來歸
佚名 1670
1671 【承前,十三第五。】
湯羅乃前 鹽乾爾祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而滂動
湯羅崎 潮干にけらし 白神の 礒浦迴を 敢て漕ぐなり
由良湯羅崎 今概退潮鹽涸乎 紀伊白神之 礒邊入江浦迴處 敢而漕船滂動矣
佚名 1671
1672 【承前,十三第六。】
黑牛方 鹽干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻
黑牛潟 潮干浦を 紅の 玉裳裾引き 行くは誰が妻
紀洲黑牛潟 潮干之浦入江間 身著朱赤服 引曳紅玉裳裾而 所徃之者誰妻耶
佚名 1672
1673 【承前,十三第七。】
風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無【一云,於斯依來藻。】
風無の 濱白波 徒に 此處に寄來る 見る人無しに【一云、此處に寄來も。】
風平浪靜兮 風無濱間白波矣 徒勞頻翻騰 雖然寄來往此處 然歎無人以觀之【一云,雖然寄來此處爾。】
長意吉麻呂 1673
右一首,山上臣憶良『類聚歌林』曰:「長忌寸意吉麻呂,應詔作此歌。」
1674 【承前,十三第八。】
我背兒我 使將來歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
我が背子が 使來むかと 出立の 此松原を 今日か過ぎなむ
吾度吾妻念 夫君之使將來耶 忐忑出立之 久佇長待此松原 我今將過不流連
佚名 1674
1675 【承前,十三第九。○續古今0916。】
藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣手者 所沾香裳
藤白の 御坂を越ゆと 白栲の 我が衣手は 濡れにけるかも
每越藤白之 御坂觸景更生情 素妙白栲之 吾人衣手沾露濕 淚泪漬濡無干時
佚名 1675
1676 【承前,十三第十。】
勢能山爾 黃葉常敷 神岳之 山黃葉者 今日散濫
背山に 黃葉常敷く 神岡の 山黃葉は 今日か散るらむ
吾見勢能山 黃葉常降敷錦紅 顧思神岡之 山間黃夜蓋何如 今日將散落地哉
佚名 1676
1677 【承前,十三十一。】
山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
大和には 聞こえ行かぬか 大我野の 竹葉刈敷き 廬為りとは
可令留大和 家族聽聞吾訴哉 今取大我野 所生竹葉刈敷而 為廬孤寢甚寂寞
佚名 1677
1678 【承前,十三十二。】
木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上爾曾安留
紀伊國の 昔獵夫の 鳴矢持ち 鹿取靡けし 坂上にそ在る
叢木紀伊國 往古獵夫持鏑矢 靡取獲眾鹿 顧其承傳故事處 便在眼前此坂上
佚名 1678
1679 【承前,十三十三。】
城國爾 不止將徃來 妻社 妻依來西尼 妻常言長柄【一云,嬬賜爾毛,嬬云長良。】
紀伊國に 止まず通はむ 妻杜 妻寄來せね 妻と言ひながら【一云、妻賜はにも、妻と言ひながら。】
鎮座紀伊國 絡繹不絕車馬喧 紀洲妻之社 願汝明神授我妻 莫負效驗妻社名【一云,願汝明神賜我妻,莫負效驗妻社名。】
坂上人長 1679
1680 後人歌二首 【承前,後人所歌。】
朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曾 雨莫零根
麻裳良し 紀伊へ行く君が 真土山 越ゆらむ今日そ 雨莫降りそね
麻裳良且秀 直往紀伊國前去 親愛吾君矣 今當將越真土山 還願驟雨莫零之
佚名 1680
1681 【承前。】
後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
後居て 我が戀居れば 白雲の 棚引く山を 今日か越ゆらむ
後居守家中 妾身慕惱苦相思 良人在何方 吾度夫君今當越 白雲棚引曳足山
佚名 1681
1682 獻忍壁皇子歌一首 【詠仙人形。】
常之倍爾 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人
常しへに 夏冬行けや 裘 扇放たぬ 山に住む人
豈是常穿梭 往來冬夏寒暑哉 身著鶴氅裘 手持塵羽扇不放 棲於深山此仙人
柿本人麻呂 1682
1683 獻舍人皇子歌二首
妹手 取而引與治 捄手折 吾刺可 花開鴨
妹が手を 取りて引攀ぢ 捄手折り 我が髻首べく 花咲ける哉
猶執妹之手 捄手取枝將攀引 折之飾髻首 好似欲令吾插頭 此花盛開今滿咲
柿本人麻呂 1683
1684 【承前。】
春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝爾
春山は 散過ぎぬとも 三輪山は 未だ含り 君待難に
雖然春山櫻 已然盛過欲將零 然顧三輪山 至今含苞尚代放 苦盼難耐待君臨
柿本人麻呂 1684
1685 泉河邊間人宿禰作歌二首
河瀨 激乎見者 玉鴨 散亂而在 川常鴨
川瀨の 激つを見れば 玉かも 散亂れたる 川常かも
每見河瀨之 流水激越飛沫迸 好似見白玉 散亂絢爛之所如 其蓋此川之常哉
柿本人麻呂 1685
1686 【承前。】
孫星 頭刺玉之 嬬戀 亂祁良志 此川瀨爾
彥星の 髻首玉し 妻戀に 亂れにけらし 此川瀨に
當是彥星之 牛郎插頭髻首玉 以為戀妻故 不堪相思遂散亂 激越在此川瀨間
柿本人麻呂 1686
1687 鷺坂作歌一首 【○續古今0860。】
白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎
白鳥の 鷺坂山の 松蔭に 宿りて行かな 夜も更行くを
鴻鵠白鳥兮 鷺坂山間松蔭下 不妨落腳而 留居一宿而徃矣 不見此夜已深乎
柿本人麻呂 1687
1688 名木河作歌二首
焱干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印
炙干す 人もあれやも 濡衣を 家には遣らな 旅徵に
草枕在異地 誰人替我炙裳乾 不若將濕衣 送遣家中與吾族 以為旅徵証此行
柿本人麻呂 1688
1689 【承前。】
在衣邊 著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利
荒磯邊に 著きて漕がさね 杏人の 濱を過ぐれば 戀しくありなり
願沿荒磯邊 循岸榜船漕而去 唐桃杏仁濱 若今空過不駐足 往後憶之必徒歎
柿本人麻呂 1689
1690 高嶋作歌二首
高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之彌
高島の 阿渡川波は 騷けども 我は家思ふ 宿り悲しみ
近江高嶋之 安曇阿度川浪者 波音雖喧鬧 然我孤寂愁思家 悲於草枕宿異地
柿本人麻呂 1690
1691 【承前。】
客在者 三更判而 照月 高嶋山 隱惜毛
旅なれば 夜中に別きて 照月の 高島山に 隱らく惜しも
客在異鄉者 見得三更半夜中 照臨明月矣 心惜近江高嶋山 隱而蔽之不得見
柿本人麻呂 1691
1692 紀伊國作歌二首
吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨將寐
我が戀ふる 妹は逢はさず 玉浦に 衣片敷き 獨りかも寢む
吾人心所繫 佳人不欲與相見 故在玉浦間 片敷衣裳設草枕 隻身孤寢度長夜
柿本人麻呂 1692
1693 【承前。○新古今1429。】
玉匣 開卷惜 恡夜矣 袖可禮而 一鴨將寐
玉櫛笥 明けまく惜しき 恡夜を 衣手離れて 獨りかも寢む
珠匣玉櫛笥 常惜天明苦夜短 可恡春宵夜 今遠衣手無可枕 隻身孤寢歎夜長
柿本人麻呂 1693
1694 鷺坂作歌一首
細比禮乃 鷺坂山 白管自 吾爾尼保波尼 妹爾示
栲領巾の 鷺坂山の 白躑躅 我に匂はね 妹に示さむ
楮織栲領巾 鷺坂山間所群生 雪白躑躅矣 還願沁染吾衣裳 還來以令示我妹
柿本人麻呂 1694
1695 泉河作歌一首
妹門 入出見川乃 床奈馬爾 三雪遣 未冬鴨
妹が門 入り泉川の 常滑に 御雪殘れり 未だ冬かも
出入吾妻之 家門為名泉川中 常滑河石上 御雪仍殘積斑駁 顧此時節仍冬哉
柿本人麻呂 1695
1696 名木河作歌三首
衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可
衣手の 名木川邊を 春雨に 我立濡ると 家思ふらむか
衣手真袖兮 名木川邊河原上 春雨降紛紛 吾人獨立霑衣濡 蓋是家族念吾哉
柿本人麻呂 1696
1697 【承前。】
家人 使在之 春雨乃 與久列杼吾等乎 沾念者
家人の 使ひにあらし 春雨の 避くれど我を 濡らさく思へば
汝蓋吾家人 欲促速歸遣使哉 驟降春雨矣 我雖避之亦為濡 念此霑衣欲還鄉
柿本人麻呂 1697
1698 【承前。】
焱干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使爾為
焱干す 人もあれやも 家人の 春雨すらを 間使ひにする
草枕在異地 誰人替我炙裳乾 何以吾家人 竟遣春雨為間使 頻沾吾衣濡我裳
柿本人麻呂 1698
1699 宇治河作歌二首
巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井爾 鴈渡良之
巨椋の 入江響むなり 射目人の 伏見が田居に 雁渡るらし
宇治巨椋池 池中入江正鳴響 伏射目人之 伏見田居野間上 飛雁行渡劃虛空
柿本人麻呂 1699
1700 【承前。】
金風 山吹瀨乃 響苗 天雲翔 鴈相鴨
秋風に 山吹瀨の 鳴るなへに 天雲翔る 雁に逢へるかも
蕭瑟秋風拂 山吹河瀨受彼摧 而為鳴響時 翱翔天雲劃大空 鳴鴈者也我行逢
柿本人麻呂 1700
1701 獻弓削皇子歌三首
佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見
小夜中と 夜は更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空を 月渡る見ゆ
夜中秋意盛 時在真夜更深刻 何以知悉者 今聞雁音畫太虛 聚首望月掛中空
柿本人麻呂 1701
1702 【承前。】
妹當 茂苅音 夕霧 來鳴而過去 及乏
妹が當り 繁雁が音 夕霧に 來鳴きて過ぎぬ 術無迄に
親親吾妻邸 家邊繁雁音不絕 每逢夕霧間 通過來鳴聲不斷 摧情令人陷憂思
柿本人麻呂 1702
1703 【承前。】
雲隱 鴈鳴時 秋山 黃葉片待 時者雖過
雲隱り 雁鳴く時は 秋山の 黃葉片待つ 時は過ぐれど
雲隱匿身跡 飛鴈翔空發鳴時 吾居秋山間 徒然空待葉轉紅 雖然時節當已過
柿本人麻呂 1703
1704 獻舍人皇子歌二首
捄手折 多武山霧 茂鴨 細川瀨 波驟祁留
捄手折り 多武山霧 繁み哉 細川瀨に 波騷ける
捄取攀引兮 多武山霧發愁嘆 霧也濃密哉 細川之瀨波音騷 蜚言不絕人語繁
柿本人麻呂 1704
1705 【承前。】
冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等敘
冬籠り 春へを戀ひて 植ゑし木の 實に成る時を 片待つ我そ
籠冬日已久 吾戀春日慕年新 徒然唯苦等 只待植木發榮盛 結果成實日臨來
柿本人麻呂 1705
1706 舍人皇子御歌一首
黑玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏霺麻天爾
烏玉の 夜霧は立ちぬ 衣手を 高屋上に 棚引く迄に
漆黑烏玉兮 夜露湧起遍瀰漫 迷霧扶搖昇 直至衣手高屋上 霏霺棚引罩四方
柿本人麻呂 1706
1707 鷺坂作歌一首 【○新敕撰1266。】
山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散來
山背の 久世鷺坂 神代より 春は萌りつつ 秋は散りけり
苗木繼根生 山城久世鷺坂矣 遠自神代起 每逢春日萌新綠 每當秋時散葉紅
柿本人麻呂 1707
1708 泉河邊作歌一首
春草 馬咋山自 越來奈流 鴈使者 宿過奈利
春草を 馬咋山ゆ 越來なる 雁使は 宿過ぐなり
馬喰春草兮 自彼咋山越來之 魚箋雁使矣 汝蓋徒過我宿哉 癡等不見消息來
柿本人麻呂 1708
1709 獻弓削皇子歌一首
御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有
御食向ふ 南淵山の 巖には 降りし斑か 消殘りたる
御食所向兮 飛鳥南淵山巖上 斑白今可見 蓋是所降駁雪者 消熔未盡仍餘哉
柿本人麻呂 1709
1710 柿本人麻呂歌集歌二首
吾妹兒之 赤裳埿塗而 殖之田乎 苅將藏 倉無之濱
我妹子が 赤裳漬ちて 植ゑし田を 刈りて收めむ 倉無濱
可伶吾妹子 漬濡赤裳埿塗而 所植稻田矣 縱令苅獲將藏之 無處可納倉無濱
柿本人麻呂 1710
1711 【承前。】
百轉 八十之嶋迴乎 榜雖來 粟小嶋者 雖見不足可聞
百傳ふ 八十島迴を 漕來れど 粟小島は 見れど飽かぬかも
百傳數繁兮 八十嶋迴巡遊弋 雖榜船而來 粟小島者風光勝 縱令百見不曾厭
柿本人麻呂 1711
1712 登筑波山詠月一首
天原 雲無夕爾 烏玉乃 宵度月乃 入卷恡毛
天原 雲無夕に 烏玉の 夜渡月の 入らまく惜しも
遙遙久方兮 天原無雲此夕宵 漆黑烏玉兮 渡夜之月劃大虛 將入山中令人惜
佚名 1712
1713 幸芳野離宮時歌二首
瀧上乃 三船山從 秋津邊 來鳴度者 誰喚兒鳥
瀧上の 三船山ゆ 秋津邊に 來鳴渡るは 誰呼子鳥
自於御吉野 宮瀧之上三船山 飛至秋津邊 來鳴渡兮呼子鳥 汝喚孰人聲真切
佚名 1713
1714 【承前。】
落多藝知 流水之 磐觸 與杼賣類與杼爾 月影所見
落激ち 流るる水の 岩に觸れ 淀める淀に 月影見ゆ
湍急落激兮 流水洴勢觸磐岩 淀而堰止水 窺望在於此淀中 輝曜月影今可見
佚名 1714
1715 槐本歌一首 【○新古今1702。】
樂浪之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見
樂浪の 比良山風の 海吹けば 釣する海人の 袖返る見ゆ
細波樂浪兮 比良山嵐呼嘯過 風吹湖海者 為釣海人白水郎 袖袂翻兮今可見
柿本人麻呂 1715
1716 山上歌一首
白那彌乃 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫
白波の 濱松木の 手向種 幾代迄にか 年は經ぬらむ
白浪所寄兮 濱邊松木許所貢 酬神手向品 於茲蓋已迄幾代 經年累月光陰去
山上憶良 1716
1717 春日歌一首
三川之 淵瀨物不落 左提刺爾 衣手潮 干兒波無爾
三川の 淵瀨も落ちず 小網差すに 衣手濡れぬ 干す兒は無に
來回三川間 淵淵瀨瀨無所遺 張設小網而 裳袖漬濡衣手沾 然無妹兒為我乾
春日藏首老 1717
1718 高市歌一首
足利思代 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門爾 極爾監鴨
率ひて 漕去にし舟は 高島の 安曇湊に 泊てにけむ哉
雄叫引率而 划槳榜行之舟者 今於高島之 足速水門安曇湊 已然泊船著岸哉
高市黑人 1718
1719 春日藏歌一首
照月遠 雲莫隱 嶋陰爾 吾船將極 留不知毛
照月を 雲勿隱しそ 島蔭に 我が船泊てむ 泊知らずも
還願天浮雲 勿隱照月蔽光明 徘徊島蔭間 吾船將泊覓水口 不辨港湊令人懼
春日藏首老 1719
右一首,或本云:「小辨作也。」或記姓氏,無記名字;或稱名號,不稱姓氏。然依古記,便以次載。凡如此類,下皆倣焉。
1720 元仁歌三首
馬屯而 打集越來 今日見鶴 芳野之川乎 何時將顧
馬並めて 打群越來 今日見つる 吉野川を 何時返見む
引率陳馬而 群聚越來至此地 今日所觀之 御芳野兮吉野川 何日歸來再相見
元仁 1720
1721 【承前。】
辛苦 晚去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君
苦しくも 暮行く日かも 吉野川 清川原を 見れど飽か無くに
辛苦生憎矣 日已晚去時既暮 奈良吉野川 清澈川原無限好 雖見不厭怨黃昏
元仁 1721
1722 【承前。】
吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布真國
吉野川 川波高み 瀧浦を 見ずか成なむ 戀しけまくに
奈良吉野川 川波高湧遮眼界 以彼高波故 終究不得窺瀧浦 是後憶之當惆悵
元仁 1722
1723 絹歌一首
河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽河鴨
蛙鳴く 六田川の 川柳の 懃見れど 飽かぬ川かも
河蛙田雞鳴 御芳野兮六田川 川岸楊柳之 柳根懃見雖端詳 百見不厭此川矣
絹麻呂 1723
1724 嶋足歌一首
欲見 來之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷
見まく欲り 來しくも著く 吉野川 音清けさ 見るに羨しく
欲見其景而 來之不虛此一行 芳野吉野川 其音清澈響爽朗 見之稱羨繫心絃
嶋足 1724
1725 麻呂歌一首
古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨
古の 賢しき人の 遊びけむ 吉野川原 見れど飽かぬかも
傳聞昔古之 賢人隱士仙客疇 所以遊興矣 吉野川原風光美 雖見百度亦不厭
麻呂 1725
1726 丹比真人歌一首
難波方 鹽干爾出而 玉藻苅 海未通女等 汝名告左禰
難波潟 潮干に出て 玉藻刈る 海人娘子等 汝が名告らさね
澪標難波潟 出步退潮濱邊處 拾苅玉藻之 海人娘子未通女 願汝告名令吾知
丹比真人 1726
1727 和歌一首 【承前。】
朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人爾 妾名者不教
漁する 人とを見坐せ 草枕 旅行人に 我が名は告らじ
請視妾身者 以為採漁海女矣 草枕異地兮 漂泊客去旅行人 妾身難以告吾名
佚名 1727
1728 石川卿歌一首
名草目而 今夜者寐南 從明日波 戀鴨行武 從此間別者
慰めて 今夜は寢なむ 明日よりは 戀ひかも行かむ 此ゆ別れなば
纏綿相慰藉 今夜共寢惜春宵 自於明日起 雖然相思仍啟行 於茲相別客去者
石川年足 1728
1729 宇合卿歌三首 【○續古今1655。】
曉之 夢所見乍 梶嶋乃 石超浪乃 敷弖志所念
曉の 夢に見えつつ 梶島の 礒越波の 頻てし思ほゆ
拂曉矇矓時 每每相見在夢田 一猶梶島之 越礒之浪緣岸來 此思頻頻未嘗絕
藤原宇合 1729
1730 【承前。○新古今1589。】
山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武
山科の 石田小野の 柞原 見つつか君が 山道越ゆらむ
山科石田之 小野楢林柞原矣 吾人送君離 遠觀栵原眺望間 沒入將越彼山道
藤原宇合 1730
1731 【承前。】
山科乃 石田社爾 布麻越者 蓋吾妹爾 直相鴨
山科の 石田杜に 幣置かば 蓋し我妹に 直に逢はむかも
山科神無森 冥貺靈驗石田社 若置幣於此 禱其神者訴吾願 蓋能直與妹逢哉
藤原宇合 1731
1732 碁師歌二首
祖母山 霞棚引 左夜深而 吾舟將泊 等萬里不知母
大葉山 霞棚引き 小夜更けて 我が船泊てむ 泊り知らずも
近江大葉山 深埋雲霞瀰漫間 昏昏夜已深 吾船將泊以寄岸 其湊不知何所依
碁師 1732
1733 【承前。】
思乍 雖來來不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津
思ひつつ 來れど來兼ねて 三尾崎 真長浦を 又返見つ
心思之所繫 雖然來之難別去 近海三尾崎 安曇川口真長浦 流連駐足復返見
碁師 1733
1734 少辨歌一首
高嶋之 足利湖乎 滂過而 鹽津菅浦 今香將滂
高島の 安曇湊を 漕過ぎて 鹽津菅浦 今か漕ぐらむ
淡海高嶋之 安曇湊兮不駐留 榜過行船去 想來此時漕何處 蓋在鹽津菅浦邊
少辨 1734
1735 伊保麻呂歌一首
吾疊 三重乃河原之 礒裏爾 如是鴨跡 鳴河蝦可物
我が疊 三重川原の 礒裏に 如是しもがもと 鳴く蛙かも
吾疊敷筵兮 伊勢三重川原之 礒裏巖蔭間 心願久長盡歡情 如是鳴啼河蛙矣
伊保麻呂 1735
1736 式部大倭芳野作歌一首
山高見 白木綿花爾 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香聞
山高み 白木綿花に 落激つ 夏身川門 見れど飽かぬかも
山高嶮水深 絕壁落激貫千丈 猶白木綿花 夏身川門堪絕景 百看千遍不厭倦
大倭東人 1736
1737 兵部川原歌一首
大瀧乎 過而夏箕爾 傍為而 淨川瀨 見何明沙
大瀧を 過ぎて夏身に 傍居て 清川瀨を 見るが清けさ
吉野宮瀧矣 行過大瀧至夏身 傍居此處而 觀望明淨此川瀨 心身澄澈清清矣
兵部川原 1737
1738 詠上總末珠名娘子一首 【并短歌。】
水長鳥 安房爾繼有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須輕娘子之 其姿之 端正爾 如花 咲而立者 玉桙乃 道徃人者 己行 道者不去而 不召爾 門至奴 指並 隣之君者 預 己妻離而 不乞爾 鎰左倍奉 人皆乃 如是迷有者 容艷 緣而曾妹者 多波禮弖有家留
息長鳥 安房に繼ぎたる 梓弓 末珠名は 胸別の 廣き我妹 腰細の 蜾嬴娘子の 其姿の 端正しきに 花如 笑みて立てれば 玉桙の 道行人は 己が行く 道は行かずて 呼ば無くに 門に至りぬ 差並ぶ 隣君は 豫め 己妻離れて 乞は無くに 鍵さへ奉る 人皆の 如是惑へれば 容艷 寄りてそ妹は 戲れてありける
水邊息長鳥 安房之地所相繼 梓弓張絃兮 末之國色珠名者 胸幅也豐腴 廣大婀娜吾妹矣 其腰也纖細 飛燕蜾嬴娘子矣 其顏也端麗 容姿光儀曜晃之 如花且似玉 嫣然展笑而立者 玉桙石柱兮 大道所經行人等 不往己道去 魂牽夢縈總自失 分明不召而 至於門前久流連 差指並列兮 比鄰所居家主者 豫前先離異 不顧己妻棄舊緣 分明無索而 輙奉己鍵獻殷勤 人皆無所餘 咸為所惑如是爾 艷容能傾城 嫵媚緣來美人者 媱行私逸魅人心
高橋蟲麻呂 1738
1739 反歌 【承前。】
金門爾之 人乃來立者 夜中母 身者田菜不知 出曾相來
金門にし 人來立てば 夜中にも 身はたな知らず 出てそ逢ひける
華飾金門外 若有人之來立者 縱為深夜中 不顧吾身莫惜名 出門晤之與相會
高橋蟲麻呂 1739
1740 詠水江浦嶋子一首 【并短歌。】
春日之 霞時爾 墨吉之 岸爾出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曾所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家爾毛不來而 海界乎 過而榜行爾 海若 神之女爾 邂爾 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代爾至 海若 神之宮乃 內隔之 細有殿爾 攜 二人入居而 耆不為 死不為而 永世爾 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒爾 告而語久 須臾者 家歸而 父母爾 事毛告良比 如明日 吾者來南登 言家禮婆 妹之答久 常世邊 復變來而 如今 將相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曾己良久爾 堅目師事乎 墨吉爾 還來而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許爾念久 從家出而 三歳之間爾 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手齒 如本 家者將有登 玉篋 小披爾 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 叫袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黑有之 髮毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絕而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見
春日の 霞める時に 住吉の 岸に出居て 釣舟の 蕩漾見れば 古の 事そ思ほゆる 水江の 浦島子が 鰹釣り 鯛釣誇り 七日迄 家にも來ずて 海境を 過ぎて漕行くに 海神の 神娘子に 偶さかに い漕向ひ 相誂ひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神宮の 內重の 妙なる殿に 攜はり 二人入居て 老いもせず 死にもせずして 永世に 在ける者を 世間の 愚人の 我妹子に 告りて語らく 暫しくは 家に歸りて 父母に 事も語らひ 明日如 我は來なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世邊に 又歸來て 今如 逢はむと成らば 此櫛笥 開く勿努と 幾許に 堅めし言を 住吉に 歸來りて 家見れど 家も見兼ねて 里見れど 里も見兼ねて 恠しみと 其處に思はく 家ゆ出でて 三年間に 垣も無く 家失せめやと 此箱を 開きて見てば 元如 家は在らむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世邊に 棚引きぬれば 立走り 叫び袖振り 臥倒び 足ずりしつつ 頓に 心消失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ 黑かりし 髮も白けぬ 後後は 息さへ絕えて 後遂に 命死にける 水江の 浦島子が 家所見ゆ
春暖風和日 霞霧瀰漫朦朧時 墨江住吉之 邊岸出居望海原 釣舟浮蒼溟 搖曳蕩漾見之者 心嚮曩昔時 思古幽情自然起 丹後水江之 筒川嶼子浦嶋子 汎海欲釣鰹 乘興釣鰹不自已 轉瞬及七日 未嘗歸家不寄岸 海境無涯處 越之榜行去沖瀛 海神綿津見 海若閨秀神娘子 偶然與邂逅 面向榜之行逢矣 歡喜相誂論婚合 情意投合言成故 結契作夫妻 至於千尋常世國 海神綿津見 富麗堂皇神宮之 深窗內陣之 靈妙珍奇御殿間 執子之手而 成雙相攜入居矣 如此居蓬萊 不老不死獲永生 居於永世間 駐老延齡未嘗衰 何奈世間之 蒙昧愚人浦島矣 告於吾妹妻 相語之曰道如此 所望無他矣 暫還本俗歸家鄉 拜會父母而 奉告此間吾消息 至於明日頃 吾將復來返仙宮 如是告言者 海童娘子遂答言 愛也吾夫君 汝若有情再相會 復歸常世國 再繫前緣如今者 慎納此櫛笥 莫開玉匣之緘矣 雖然約成者 幾許山盟千金重 然歸墨江之 住吉故土本鄉地 雖瞻眺幾家 所馴宅邸不得見 復雖望村邑 所馴鄉里不復得 奇也珍恠哉 在於其處有所思 自家出旅遊仙境 不過三年光景爾 何以垣滅哉 何以故家消失哉 若得開此箱 窺見匣中靈妙者 或得如元本 迴見舊里覓故家 故取玉櫛笥 稍開其蓋將觀時 白雲紫煙者 自其箱底冉昇天 飄向常世國 棚引飛去無其賜 奔走追雲霞 叫喚揮袖若心狂 倒臥頓踣而 蹣跚蹌踉匍匐間 精神恍紹而 頓失心性更氣絕 稚嫩肌膚者 轉瞬皺老寄衰萎 烏玉黑髮者 霎時斑駁褪蒼白 未經幾時後 呼吸衰竭習緒止 斯須頃刻間 後遂壽死絕此命 嗚呼水江之 筒川嶼子浦嶋子 所居遺跡今可見
高橋蟲麻呂 1740
1741 反歌 【承前。】
常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曾也是君
常世邊に 住むべき物を 劍大刀 汝が心から 鈍や此君
當於常世鄉 永住以度仙人生 然以劍大刀 汝心管見起愚行 嗚呼鈍哉也此君
高橋蟲麻呂 1741
1742 見河內大橋獨去娘子歌一首 【并短歌。】
級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上從 紅 赤裳數十引 山藍用 揩衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟將宿 問卷乃 欲我妹之 家乃不知久
級照る 片足羽川の 佐丹塗りの 大橋上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍持ち 摺れる衣著て 唯獨り い渡らす兒は 若草の 夫か在るらむ 橿實の 獨りか寢らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知ら無く
級照耀暉兮 河內片足羽川之 朱丹所塗矣 大橋之上越經之 艷絕染深紅 拖曳眩目赤裳裾 山藍所摺染 身著蒼穹此青衣 獨自唯一人 隻身渡去娘子者 親親若草兮 結髮夫君可在乎 亦或如橿實 輾轉難眠孤寢乎 吾魂牽夢縈 欲問汝名我妹之 其家不知在何方
高橋蟲麻呂 1742
1743 反歌 【承前。】
大橋之 頭爾家有者 心悲久 獨去兒爾 屋戶借申尾
大橋の 頭に家有らば 真悲しく 獨行く兒に 宿貸さましを
若在河內之 大橋頭邊有家者 今見彼橋上 真悲獨去娘子矣 可貸一宿與依歸
高橋蟲麻呂 1743
1744 見武藏小埼沼鴨作歌一首
前玉之 小埼乃沼爾 鴨曾翼霧 己尾爾 零置流霜乎 掃等爾有斯
埼玉の 小埼沼に 鴨そ翼霧る 己が尾に 降置ける霜を 拂ふとにあらし
吾見埼玉之 武藏小埼湖沼間 鴨翅揮振水沫揚 迷濛翼霧起 蓋是霜降己尾上 欲將拂拭所為哉
高橋蟲麻呂 1744
1745 那賀郡曝井歌一首
三栗乃 中爾向有 曝井之 不絕將通 從所爾妻毛我
三栗の 那賀に向へる 曝井の 絕ず通はむ 其處に妻欲得
一實三栗兮 那賀真向曝井之 無絕之所如 欲得頻訪無絕期 窈窕吾妻在其處
高橋蟲麻呂 1745
1746 手綱濱歌一首
遠妻四 高爾有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋來名益
遠妻し 高に在せば 知らずとも 手綱濱の 尋來な益
若吾遠妻者 身在高鄉多珂者 縱然不知方 吾必如手綱濱名 蹋遍尋來欲一晤
高橋蟲麻呂 1746
1747 春三月,諸卿大夫等下難波時歌二首 【并短歌。】
白雲之 龍田山之 瀧上之 小桉嶺爾 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 繼而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝爾 遺有花者 須臾者 落莫亂 草枕 客去君之 及還來
白雲の 龍田山の 瀧上の 小桉嶺に 咲撓る 櫻花は 山高み 風し止まねば 春雨の 繼ぎてし降れば 上枝は 散過ぎにけり 下枝に 殘れる花は 暫しくは 散り勿亂ひそ 草枕 旅行く君が 歸來る迄
白雲層湧兮 霞霧騰雲龍田山 瀧瀨上游之 足曳小桉之嶺間 爭艷咲一面 滿開垂枝櫻花者 其以山高聳 勁風不止強摧故 又因春雨之 頻頻不絕紛降故 上枝之曾生 既已盛過凋零矣 下枝之所餘 寥寥無幾殘花矣 還願須臾間 莫輙散落亂狼藉 草枕在他鄉 直至羈旅異地之 吾君歸來一賞爾
高橋蟲麻呂 1747
1748 反歌 【承前,反歌。】
吾去者 七日者不過 龍田彥 勤此花乎 風爾莫落
我が行は 七日は過ぎじ 龍田彥 努此花を 風に莫散らし
吾等此去者 七日之內必將返 龍田彥大神 願汝勤驗護此花 莫令風摧致早謝
高橋蟲麻呂 1748
1749 【承前,第二。】
白雲乃 立田山乎 夕晚爾 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開繼 許知期智乃 花之盛爾 雖不見 左右 君之三行者 今西應有
白雲の 龍田山を 夕暮れに 打越行けば 瀧上の 櫻花は 咲きたるは 散過ぎにけり 含めるは 咲繼ぎぬべし 比處此處の 花盛りに 見さずとも 斯にも如是にも 君が御行は 今にしあるべし
白雲層湧兮 霞霧騰雲龍田山 夕暮黃昏時 徒步登山越行者 激越瀧上之 所生絢爛櫻木者 花咲開有者 已然盛過皆散盡 含苞未放者 蓄蘊花蕾將繼咲 放眼所望得 雖非四處皆花盛 花開併花落 縱然如斯又何如 吾君御行在此時 良辰美景應自生
高橋蟲麻呂 1749
1750 反歌 【承前,反歌第二。】
暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒
暇有らば 滯渡り 向峰の 櫻花も 折ら益物を
若得有暇者 還欲滯渡涉此川 至於向峰處 手折櫻花取其枝 帶回飄香惜木花
高橋蟲麻呂 1750
1751 難波經宿明日還來之時歌一首 【并短歌。】
嶋山乎 射徃迴流 河副乃 丘邊道從 昨日己曾 吾超來壯鹿 一夜耳 宿有之柄二 峯上之 櫻花者 瀧之瀨從 落墮而流 君之將見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社爾 風祭為奈
島山を い行巡れる 川沿ひの 岡邊道ゆ 昨日こそ 我が越來しか 一夜のみ 寢たりしからに 峰上の 櫻花は 瀧瀨ゆ 散らひて流る 君が見む 其日迄には 山下しの 風莫吹きそと 打越えて 名に負へる杜に 風祭せな
往返龍田道 行巡向峰島山者 沿循大和川 河岸山麓岡邊道 吾且自昨日 跋涉越來方至此 唯有一夜耳 宿泊於此暫寢矣 尾根峰上之 櫻花咲而復散華 隨其瀧瀨而 落花散流竄紊亂 吾人有所思 直至君所將翫日 還願山嵐風莫吹 只望其花能長久 越行龍田道 負名龍田風神社 於此設祀為風祭
高橋蟲麻呂 1751
1752 反歌 【承前。】
射行相乃 坂之踏本爾 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得
い行逢ひの 坂麓に 咲撓る 櫻花を 見せむ兒も欲得
行路偶相逢 坂麓之間咲撓之 絢爛櫻花矣 吾惜彼花不欲謝 欲得佳人可令見
高橋蟲麻呂 1752
1753 檢稅使大伴卿登筑波山時歌一首 【并短歌。】
衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君來座登 熱爾 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公爾令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲爾 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曾遊 打靡 春見麻之從者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者
衣手 常陸國の 二並ぶ 筑波山を 見まく欲り 君來坐せりと 暑けくに 汗搔嘆け 木根取り 嘯鳴登り 峰上を 君に見すれば 男神も 許賜ひ 女神も 影護賜ひて 時と無く 雲居雨降る 筑波嶺を 清に照らして 訝りし 國真秀らを 詳細に 示賜へば 嬉しみと 紐緒解きて 家如 解けてぞ遊ぶ 打靡く 春見ましゆは 夏草の 繁きはあれど 今日樂しさ
玉露沾襟濕 衣袖漬兮常陸國 兩峰所並立 男女二嶺筑波山 欲令所觀覽 遂邀大伴卿至此 天暑方熾熱 汗流浹背吐長歎 手執摑木根 呼嘯鳴吟登跋涉 攀至其峰上 令君觀覽者 雄神彥命矣 特別許賜聽登臨 女神姬命矣 自然護賜獻冥貺 想來筑波嶺 常時雲居復雨零 每每翳迷濛 然今清照晴萬里 非常至人訝 國之真秀現眼前 一覽無所疑 示賜令吾端詳者 由衷發嬉喜 一如居家解紐緒 舒敞心神怡 無牽無掛催遊興 搖曳隨風動 春意盎然與相較 此雖值夏草 繁茂叢生荒漫時 今日之樂不勝收
高橋蟲麻呂 1753
1754 反歌 【承前。】
今日爾 何如將及 筑波嶺 昔人之 將來其日毛
今日日に 何如にか及かむ 筑波嶺に 昔人の 來けむ其日も
今日之日者 其善何如將及之 筑波山嶺上 較與昔人之來日 可斷孰更良辰哉
高橋蟲麻呂 1754
1755 詠霍公鳥一首 【并短歌。】
鸎之 生卵乃中爾 霍公鳥 獨所生而 己父爾 似而者不鳴 己母爾 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊從 飛翻 來鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者將為 遐莫去 吾屋戶之 花橘爾 住度鳥
鶯の 卵中に 霍公鳥 獨生れて 汝が父に 似ては鳴かず 汝が母に 似ては鳴かず 卯花の 咲きたる野邊ゆ 飛翔り 來鳴響もし 橘の 花を居散らし 終日に 鳴けど聞良し 賄は為む 遠く莫行きそ 我が宿の 花橘に 住渡鳥
黃鶯棲巢之 鸎之生卵之中爾 杜鵑霍公鳥 獨生孵化來此世 汝不似於父 鳴聲迥異貌相遠 汝亦不似母 啼囀聲差莫一是 自於卯花之 所咲綻放野邊處 飛翔翱遊而 臨來高啼放鳴響 非時花橘之 來居枝上散其華 一日盡歡鳴 雖聞終日無所厭 吾欲為賄矣 還願時鳥莫遠去 杜鵑不如歸 常棲我宿花橘上 生息相伴此鳥矣
高橋蟲麻呂 1755
1756 反歌 【承前。】
搔霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 𢘟怜其鳥
搔霧らし 雨降る夜を 霍公鳥 鳴きて行く成り 憐れ其鳥
搔霧雲湧之 驟然雨零之夜間 杜鵑霍公鳥 發聲啼鳴而去哉 嗚呼可怜其鳥矣
高橋蟲麻呂 1756
1757 登筑波山歌一首 【并短歌。】
草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺爾 登而見者 尾花落 師付之田井爾 鴈泣毛 寒來喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風爾 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣爾 念積來之 憂者息沼
草枕 旅憂へを 慰もる 事も有哉と 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付田居に 雁音も 寒く來鳴きぬ 新治の 鳥羽淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の 良けくを見れば 長日に 思積來し 憂は止みぬ
草枕在異地 旅憂難耐熬此身 欲慰客愁而 思其或可平憂念 登臨筑波嶺 立於頂上所望者 風吹尾花散 新治師付田居間 飛燕來鳴泣 啼聲悽悽嚶冽寒 常陸新治之 鳥羽中湖淡海矣 以為秋風吹 白波湧起浪濤立 朋神貴山兮 筑波嶺景誠勝絕 得見彼光儀 長日所念積來之 憂思煙消更雲散
高橋蟲麻呂 1757
1758 反歌 【承前。】
筑波嶺乃 須蘇迴乃田井爾 秋田苅 妹許將遺 黃葉手折奈
筑波嶺の 裾迴田居に 秋田刈る 妹許遣らむ 黃葉手折らな
筑波嶺裾迴 屈身苅秋田居間 窈窕娘子矣 欲遣信物送妹許 於今手折山紅葉
高橋蟲麻呂 1758
1759 登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首 【并短歌。】
鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上爾 率而 未通女壯士之 徃集 加賀布嬥歌爾 他妻爾 吾毛交牟 吾妻爾 他毛言問 此山乎 牛掃神之 從來 不禁行事敘 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫【嬥歌者,東俗語曰賀我比。】
鷲の住む 筑波山の 裳羽服津の 其津上に 率ひて 娘子壯士の 行集ひ 亂婚嬥歌に 人妻に 我も交はらむ 我妻に 人も言問へ 此山を 領神の 昔より 禁めぬ行事ぞ 今日のみは 不憫しも莫見そ 事も咎む莫【嬥歌は、東の俗語に、カガヒと曰ふ。】
鷹鷲之所棲 常有雲居筑波山 裳羽服津之 其津之上興歌垣 率而相邀至 娘子壯士徃集矣 行集相見歡 亂婚嬥歌脫常理 窈窕人之妻 與我相交共枕眠 貞淑吾內妻 他人誂問求雲雨 嗚呼此山之 所治領有大神矣 自於曩昔時 所聽不禁行事也 唯有今日爾 莫以不憫輙見之 無禮諸事莫咎矣【嬥歌者,東俗語曰かがひ。】
高橋蟲麻呂 1759
1760 反歌 【承前。】
男神爾 雲立登 斯具禮零 沾通友 吾將反哉
男神に 雲立上り 時雨降り 濡通るとも 我歸らめや
雄神彥峰上 烏雲湧立時雨零 滂沱注無歇 我雖沾濡衣盡濕 豈棄春宵輙歸哉
高橋蟲麻呂 1760
1761 詠鳴鹿一首 【并短歌。】
三諸之 神邊山爾 立向 三垣乃山爾 秋芽子之 妻卷六跡 朝月夜 明卷鴦視 足日木乃 山響令動 喚立鳴毛
三諸の 神奈備山に 立向ふ 御垣山に 秋萩の 妻を纏眠むと 朝月夜 明けまく惜しみ 足引の 山彥響め 呼立て鳴くも
御室三諸之 飛鳥神奈備之山 與之對向立 三垣御垣山之間 欲與秋萩之 嬌妻纏眠覆雲雨 心念有明月 朝夜將曉令人惜 足曳勢險峻 山彥呼鳴迴聲響 喚妻高啼此山中
柿本人麻呂 1761
1762 反歌 【承前。】
明日之夕 不相有八方 足日木乃 山彥令動 呼立哭毛
明日宵 逢はざらめやも 足引の 山彥響め 呼立て鳴くも
今宵明日夕 豈不逢與佳人哉 足曳勢險峻 山彥呼鳴迴聲響 吾喚愛妻啼如此
柿本人麻呂 1762
1763 沙彌女王歌一首
倉橋之 山乎高歟 夜牢爾 出來月之 片待難
倉椅の 山を高みか 夜隱りに 出來る月の 片待難き
概為闇椅兮 倉橋山勢高嶮故 夜月為嶺蔽 遲出浮現皎月之 徐徐不現苦待矣
沙彌女王 1763
右一首,間人宿禰大浦歌中既見。但末一句相換。亦作歌兩主,不敢正指,因以累載。
1764 七夕歌一首 【并短歌。】
久堅乃 天漢爾 上瀨爾 珠橋渡之 下湍爾 船浮居 雨零而 風不吹登毛 風吹而 雨不落等物 裳不令濕 不息來益常 玉橋渡須
久方の 天川に 上瀨に 玉橋渡し 下瀨に 舟浮据ゑ 雨降りて 風吹かずとも 風吹きて 雨降らずとも 裳濡らさず 止まず來坐せと 玉橋渡す
遙遙久方兮 迢迢銀河天之川 欲於彼上瀨 架設玉橋利船渡 冀於彼下瀨 据以舟船浮水上 縱令雨零而 狂風不吹嵐凪時 抑或勁風拂 時雨不降天霽日 不令裳沾濕 絡繹不絕得常來 故造玉橋助逢瀨
藤原房前 1764
1765 反歌 【承前。】
天漢 霧立渡 且今日且今日 吾待君之 船出為等霜
天川 霧立渡る 今日今日と 我が待つ君し 舟出すらしも
銀河天之川 水沫化霧漫一面 蓋在今日歟 望穿秋水焦心盼 所待吾君出船來
藤原房前 1765
相聞
1766 振田向宿禰退筑紫國時歌一首
吾妹兒者 久志呂爾有奈武 左手乃 吾奧手二 纏而去麻師乎
我妹子は 釧に在らなむ 左手の 我が奧手に 卷きて去な益を
親親吾妹矣 還願汝能為釧飾 如此為然者 可纏汝於我奧手 肌身不離同去矣
振田向 1766
1767 拔氣大首任筑紫時,娶豐前國娘子紐兒作歌三首
豐國乃 加波流波吾宅 紐兒爾 伊都我里座者 革流波吾家
豐國の 香春は我家 紐兒に い繫がり居れば 香春は我家
天瑞地豐草 豐國香春吾家矣 以其紐兒之 所繫相居同棲故 香春之鄉吾家矣
拔氣大首 1767
1768 【承前。○新古今0993。】
石上 振乃早田乃 穗爾波不出 心中爾 戀流比日
石上 布留早稻田の 穗には出ず 心中に 戀ふる此頃
石上振神宮 布留之地早稻田 其穗未出而 雖不可見無人曉 戀慕懷衷在此頃
拔氣大首 1768
1769 【承前。】
如是耳志 戀思度者 靈剋 命毛吾波 惜雲奈師
如是のみし 戀ひし渡れば 靈剋る 命も我は 惜しけくも無し
若得如是耳 終日戀慕懸心者 靈剋魂極兮 縱失我此須臾命 甘之如飴無所惜
拔氣大首 1769
1770 大神大夫任長門守時,集三輪河邊宴歌二首
三諸乃 神能於婆勢流 泊瀨河 水尾之不斷者 吾忘禮米也
三諸の 神帶ばせる 泊瀨川 水脈し絕えずは 我忘れめや
御諸三輪山 大神所配御帶之 長谷泊瀨川 綿延其水不絕間 吾身豈有忘情時
三輪高市麻呂 1770
1771 【承前。】
於久禮居而 吾波也將戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者
後居て 我はや戀ひむ 春霞 棚引山を 君が越去なば
後居守家中 吾將相思慕情宜 一旦兩相別 春霞棚引彼山頭 君之越去旅出者
三輪高市麻呂 1771
1772 大神大夫任筑紫國時,阿倍大夫作歌一首
於久禮居而 吾者哉將戀 稻見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故爾
後居て 我はや戀ひむ 印南野の 秋萩見つつ 去なむ子故に
後居守家中 吾將相思慕情宜 每見印南野 秋萩芽子花咲時 念及去筑紫兒故
安倍廣庭 1772
1773 獻弓削皇子歌一首
神南備 神依板爾 為杉乃 念母不過 戀之茂爾
神奈備の 神依板に する杉の 思ひも過ぎず 戀繁きに
稜威神奈備 神憑依板為杉矣 杉名雖如此 然吾長念掛心頭 戀繁刻骨莫得過
柿本人麻呂 1773
1774 獻舍人皇子歌二首
垂乳根乃 母之命乃 言爾有者 年緒長 憑過武也
垂乳根の 母命の 言に有らば 年緒長く 賴過ぎむや
育恩垂乳根 慈母尊命所言者 吾必達之矣 年緒已長幾星霜 所賴豈令輙過哉
柿本人麻呂 1774
1775 【承前。】
泊瀨河 夕渡來而 我妹兒何 家門 近舂二家里
泊瀨川 夕渡來て 我妹子が 家金門に 近付きにけり
長谷泊瀨川 夕暮時分渡之來 至於吾妹子 其家金門屋戶前 還願有緣能相晤
柿本人麻呂 1775
1776 石川大夫遷任上京時,播磨娘子贈歌二首
絕等寸笶 山之峯上乃 櫻花 將開春部者 君之將思
絕等寸の 山峰上の 櫻花 咲かむ春邊は 君し偲はむ
播磨絕等寸 峻絕山峰嶺之上 所生櫻花矣 每逢滿咲春日時 觸景生情倍思君
石川君子 1776
1777 【承前。】
君無者 奈何身將裝餝 匣有 黃楊之小梳毛 將取跡毛不念
君無くは 何ぞ身裝はむ 櫛笥なる 黃楊小櫛も 取らむとも思はず
倘若無汝君 奈何裝身為孰容 無人悅己者 黃楊小櫛藏笥中 不欲取之餝此身
石川君子 1777
1778 藤井連遷任上京時,娘子贈歌一首
從明日者 吾波孤悲牟奈 名欲山 石踏平之 君我越去者
明日よりは 我は戀ひむな 名欲山 岩踏平し 君が越去なば
自於明日起 想來吾必浸相思 巍峨名欲山 蹋破山巖闢襤褸 一旦君之越去者
娘子 1778
1779 藤井連和歌一首 【承前。】
命乎志 麻勢久可願 名欲山 石踐平之 復亦毛來武
命をし 真幸く欲得 名欲山 岩踏平し 復亦も來む
可願得真幸 保全性命無恙返 巍峨名欲山 蹋破山巖闢襤褸 吾必復來歸此地
藤井廣成 1779
1780 鹿嶋郡苅野橋,別大伴卿歌一首 【并短歌。】
牡牛乃 三宅之滷爾 指向 鹿嶋之埼爾 狹丹塗之 小船儲 玉纏之 小梶繁貫 夕鹽之 滿乃登等美爾 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢爾 後奈美居而 反側 戀香裳將居 足垂之 泣耳八將哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者
牡牛の 三宅潟に 指向ふ 鹿島崎に 小丹塗りの 小船を設け 玉卷の 小楫繁貫き 夕潮の 滿滯みに 御船子を 率立てて 呼立てて 御船出でなば 濱も狹に 後並居て 臥倒び 戀ひかも居らむ 足ずりし 音のみや泣かむ 海上の 其津を指して 君が漕行かば
雄壯牡牛兮 屯倉名負三宅潟 指之對向在 袖漬常陸鹿島崎 狹丹朱塗兮 一葉扁舟今設矣 玉卷華飾兮 小楫繁貫將出航 時至夕潮漲 水高盈滿凪滯時 招集白水郎 率立水夫聚於此 呼喚施號令 榜出御船渡海者 吾等集濱邊 摩肩擦踵並送行 倒臥頓踣而 離情依依苦戀慕 蹈足垂蹣跚 哭泣哀鳴度終日 每思君遠行 乘船滄溟浮海上 汝指其津榜去者
高橋蟲麻呂 1780
1781 反歌 【承前。】
海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八
海道の 和ぎなむ時も 渡らなむ 如斯立波に 船出すべしや
不若待海路 風平浪靜時可渡 何必急一時 如斯駭浪波濤湧 險象之間出船哉
高橋蟲麻呂 1781
1782 與妻歌一首
雪己曾波 春日消良米 心佐閉 消失多列夜 言母不徃來
雪こそは 春日消ゆらめ 心さへ 消失せたれや 言も通はぬ
若為沫雪者 時值春日必消融 理宜逝無蹤 奈何君心亦不見 消息不通信杳然
夫 1782
1783 妻和歌一首 【承前。】
松反 四臂而有八羽 三栗 中上不來 麻呂等言八子
松返り 癈ひてあれやは 三栗の 中上來ぬ 麻呂と云ふ奴
松零復榮兮 汝豈癈之懵懂哉 一實三栗兮 任期之間不上洛 薄情之郎麻呂者
妻 1783
1784 贈入唐使歌一首
海若之 何神乎 齋祈者歟 徃方毛來方毛 船之早兼
海神の 何神を 祈らばか 行くさも來さも 船速けむ
吾人有所思 海若之神非一矣 當齋祈何神 方得令船徃來間 皆速好去復好來
佚名 1784
1785 神龜五年戊辰秋八月歌一首 【并短歌。】
人跡成 事者難乎 和久良婆爾 成吾身者 死毛生毛 公之隨意常 念乍 有之間爾 虛蟬乃 代人有者 大王之 御命恐美 天離 夷治爾登 朝鳥之 朝立為管 群鳥之 群立行者 留居而 吾者將戀奈 不見久有者
人と成る 事は難きを 邂逅に 成れる我が身は 死にも生きも 君が隨と 思ひつつ 在し間に 空蟬の 世人成れば 大君の 命恐み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の 群立行かば 留居て 我は戀ひむな 見ず久ならば
三界六道間 得生人道誠難矣 偶然僥倖而 獲命為人我身者 無論死有或本有 欲任吾君乙麻呂 吾人念如此 心思所至而在頃 空蟬憂世間 生為有生世人者 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 天離日已遠 鄙夷遠國將所治 曦晨朝鳥兮 成群翱翔飛去者 後居留此地 吾人將苦相思情 離別日久不見者
笠金村 1785
1786 反歌 【承前。】
三越道之 雪零山乎 將越日者 留有吾乎 懸而小竹葉背
御越道の 雪降る山を 越えむ日は 留まれる我を 懸けて偲はせ
指越前而去 越道零雪愛發山 將登越之日 願汝懸偲置心頭 還念吾人留置此
笠金村 1786
1787 天平元年己巳冬十二月歌一首 【并短歌。】
虛蟬乃 世人有者 大王之 御命恐彌 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里爾 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈禮奴 每見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾齒曾戀流 妹之直香仁
空蟬の 世人成れば 大君の 命恐み 礒城島の 大和國の 石上 布留里に 紐解かず 丸寢をすれば 我が著たる 衣は褻れぬ 見る每に 戀は增されど 色に出ば 人知りぬべみ 冬夜の 明かしも得ぬを 眠も寢ずに 我はそ戀ふる 妹が直香に
空蟬憂世間 生為有生世人者 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 浦安礒城島 真秀秋津大和國 石上振神宮 布留之地鄉里間 衣紐不予解 著裳丸寢草枕者 吾人之所著 服者穢污敝褻之 綏然每見之 更添慕妻愁相思 然恐作於色 將為人知顯吾懷 漫漫冬夜之 悽涼難明此長夜 輾轉難入眠 吾人不寢唯思念 親親妹兒直香矣
笠金村 1787
1788 反歌 【承前,反歌第一。】
振山從 直見渡 京二曾 寐不宿戀流 遠不有爾
布留山ゆ 直に見渡す 都にそ 眠も寢ず戀ふる 遠から無くに
自於石上振 布留之山直望者 寧樂平城京 輾轉難眠總思戀 分明所去不遠矣
笠金村 1788
1789 反歌 【承前,反歌第二。】
吾妹兒之 結手師紐乎 將解八方 絕者絕十方 直二相左右二
我妹子が 結ひてし紐を 解かめやも 絕えば絕ゆとも 直に逢迄に
親親吾妹子 誠心手結此紐矣 豈宜輙解之 紐縱將絕直令絕 迄至再逢更不解
笠金村 1789
1790 天平五年癸酉,遣唐使舶發難波入海之時,親母贈子歌一首 【并短歌。】
秋芽子乎 妻問鹿許曾 一子二 子持有跡五十戶 鹿兒自物 吾獨子之 草枕 客二師徃者 竹珠乎 密貫垂 齋戶爾 木綿取四手而 忌日管 吾思吾子 真好去有欲得
秋萩を 妻問ふ鹿こそ 獨子に 子持てりと云へ 鹿子じもの 我が獨子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を 繁に貫垂れ 齋瓮に 木綿取垂でて 齋ひつつ 我が思ふ我子 真幸く有りこそ
面秋萩芽子 慇懃問妻牡鹿矣 人云彼壯鹿 當擁其後有獨子 鹿子之所如 吾人膝下獨子矣 草枕客他鄉 今將啟行渡滄溟 取竹玉管玉 繁列無間貫垂之 奉持祝齋瓮 木綿懸兮以掛之 齋戒慎不怠 只願吾心所掛子 真幸無恙好去來
遣唐使母 1790
1791 反歌 【承前。】
客人之 宿將為野爾 霜降者 吾子羽裹 天乃鶴群
旅人の 宿為む野に 霜降らば 吾子羽裹め 天の鶴群
客人行旅者 將為假宿原野間 若天降霜者 還願以羽裹吾子 翱翔天際鶴群矣
遣唐使母 1791
1792 思娘子作歌一首 【并短歌。】
白玉之 人乃其名矣 中中二 辭緒下延 不遭日之 數多過者 戀日之 累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾戀兒矣 玉釧 手爾取持而 真十鏡 直目爾不視者 下檜山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虛歟毛
白玉の 人の其名を 中中に 言を下延へ 逢はぬ日の 數多く過ぐれば 戀ふる日の 重なり行けば 思遣る 方便を知らに 肝向ふ 心碎けて 玉襷 懸けぬ時無く 口止まず 我が戀ふる子を 玉釧 手に取持ちて 真十鏡 直目に見ねば 下緋山 下行く水の 上に出ず 我が思ふ心 安きそらかも
白玉之所如 窈窕娘子之名矣 優柔且寡斷 不作言語藏心中 相離不得逢 其日數多既已逝 心愁憂相思 日積月累苦更添 雖欲晴此念 苦於無方不知便 肝腑相向兮 吾心哀痛碎亂千 玉襷掛手繦 無時不刻莫懸心 呢喃訴不斷 吾人所戀娘子矣 華美玉釧兮 願得手持貼肌身 清澄真十鏡 還願親眼得拜眉 以其不可得 遂猶緋山下行水 伏流不顯出 吾之念情奔澎湃 雖然隱匿豈得安
田邊福麻呂 1792
1793 反歌 【承前,反歌第一。】
垣保成 人之橫辭 繁香裳 不遭日數多 月乃經良武
垣穗為す 人橫言 繁みかも 逢はぬ日數多く 月經ぬらむ
眾聚如垣穗 閒言閒語甚繁雜 以恐其蜚語 不逢之時時已久 不覺累日已經月
田邊福麻呂 1793
1794 反歌 【承前,反歌第二。】
立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天
立變り 月重なりて 逢はねども 寔忘らえず 面影にして
立易經盈闕 累月重兮日已久 雖然不得逢 然吾刻骨永銘心 絲毫不忘汝面影
田邊福麻呂 1794
挽歌
1795 宇治若郎子宮所歌一首
妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見祁牟
妹等許 今木嶺に 茂立つ 夫松木は 古人見けむ
窈窕妹許兮 今將來也今木嶺 榮茂屹聳立 待俟良人夫松木 故人當覽彼光儀
柿本人麻呂 1795
1796 紀伊國作歌四首 【其一。】
黃葉之 過去子等 攜 遊礒麻 見者悲裳
黃葉の 過ぎにし子等と 攜はり 遊びし礒を 見れば悲しも
紅葉凋零兮 香銷玉沉吾妻矣 每見攜子手 相遊盡歡礒邊者 觸景生情更悲慟
柿本人麻呂 1796
1797 【承前,其二。】
鹽氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曾來
潮氣立つ 荒礒には在れど 行水の 過ぎにし妹が 形見とぞ來し
此雖漫潮香 平凡鹽氣荒礒者 逝水如斯兮 玉碎香銷愛妻之 追憶之地吾來翫
柿本人麻呂 1797
1798 【承前,其三。】
古家丹 妹等吾見 黑玉之 久漏牛方乎 見佐府下
古に 妹と我が見し 烏玉の 黑牛潟を 見れば寂しも
往日曩昔時 愛妻與吾所共覽 漆黑烏玉兮 黑牛之潟玄江者 每見心寂情鬱鬱
柿本人麻呂 1798
1799 【承前,其四。】
玉津嶋 礒之裏未之 真名子仁文 爾保比去名 妹觸險
玉津島 礒浦迴の 真砂にも 匂ひて行かな 妹も觸れけむ
紀洲玉津島 礒岸浦迴真砂矣 還願往其浦 觸彼白砂為其染 吾妻昔日觸所以
柿本人麻呂 1799
1800 過足柄坂,見死人作歌一首
小垣內之 麻矣引干 妹名根之 作服異六 白細乃 紐緒毛不解 一重結 帶矣三重結 苦伎爾 仕奉而 今谷裳 國爾退而 父妣毛 妻矣毛將見跡 思乍 徃祁牟君者 鳥鳴 東國能 恐耶 神之三坂爾 和靈乃 服寒等丹 烏玉乃 髮者亂而 邦問跡 國矣毛不告 家問跡 家矣毛不云 益荒夫乃 去能進爾 此間偃有
小垣內の 麻を引干し 妹汝ねが 作著為けむ 白栲の 紐をも解かず 一重結ふ 帶を三重結ひ 苦しきに 仕奉りて 今だにも 國に罷りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 雞が鳴く 東國の 恐きや 神御坂に 和妙の 衣寒らに 烏玉の 髮は亂れて 國問へど 國をも告らず 家問へど 家をも言はず 大夫の 行隨に 此處に臥やせる
狹小墻垣間 千引干曬刈麻而 妻女妹汝矣 汝命所作為著之 素妙白栲之 衣紐常繫不予解 本為一重結 其帶三重更相結 羸弱瘦骨瘁 苦心侍奉全其務 還望立歸鄉 罷至故土還鄉里 得以拜父母 與妻相見復逢晤 心中掛此念 下向徃赴汝君者 雞鳴指拂曉 吾嬬者耶東國之 戒慎惶恐兮 神靈所坐御坂間 和妙柔絹織 薄衣冷冽沁骨寒 漆黑烏玉兮 青絲玄髮猶亂紊 雖然問故里 無人相告國之向 縱然問己家 莫有言家在何方 壯士大夫之 歸心似箭更隨情 倒臥此處不復起
田邊福麻呂 1800
1801 過葦屋處女墓時作歌一首 【并短歌。】
古之 益荒丁子 各競 妻問為祁牟 葦屋乃 菟名日處女乃 奧城矣 吾立見者 永世乃 語爾為乍 後人 偲爾世武等 玉桙乃 道邊近 磐構 作冢矣 天雲乃 退部乃限 此道矣 去人每 行因 射立嘆日 或人者 啼爾毛哭乍 語嗣 偲繼來 處女等賀 奧城所 吾并 見者悲喪 古思者
古の 益壯士の 相競ひ 妻問ひしけむ 葦屋の 菟原娘子の 奧城を 我が立見れば 永世の 語りにしつつ 後人の 偲ひに為むと 玉桙の 道邊近く 岩構へ 造れる塚を 天雲の 退邊極み 此道を 行人每に 行寄りて い立嘆かひ 或人は 哭にも泣きつつ 語繼ぎ 偲繼來る 娘子等が 奧城處 我さへに 見れば悲しも 古思へば
曩古往昔時 益荒壯士丈夫等 爭相各競而 問妻求姻之所云 攝國葦屋之 傾國菟原娘子之 墓所奧津城 吾人佇立觀之者 於此有所思 欲為永世所相傳 能令後人偲 遂作此歌以追念 玉桙石柱兮 大道之傍近邊處 砌石構岩而 精心所造此塚矣 縱令天雲之 浩瀚彼端之極處 步經過此道 通行之人每至此 緣來寄斯墓 不禁吐息發愁歎 或人觸傷感 哭泣鳴啼慟失聲 如此口耳傳 相語相偲繼來矣 嗚呼美娘子 地下有知奧城處 素昧一如我 見其墓所亦心悲 縱情神遊思古者
田邊福麻呂 1801
1802 反歌 【承前,其一。】
古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奧城敘此
古の 小竹田壯士の 妻問ひし 菟原娘子の 奧城ぞ是
古老相傳云 曩昔壯士小竹田 問妻求婚之 菟原娘天香者 其奧津城是於此
田邊福麻呂 1802
1803 【承前,其二。】
語繼 可良仁文幾許 戀布矣 直目爾見兼 古丁子
語繼ぐ からにも幾許 戀しきを 直目に見けむ 古壯士
不過聞傳言 素昧平生如我者 興感甚幾許 往時壯士親眼見 感懷之深當何如
田邊福麻呂 1803
1804 哀弟死去作歌一首 【并短歌。】
父母賀 成乃任爾 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穗之國爾 家無哉 又還不來 遠津國 黃泉乃界丹 蔓都多乃 各各向向 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思亂而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不云 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉
父母が 成隨に 箸向ふ 弟命は 朝露の 消易き命 神共 爭兼ねて 葦原の 瑞穗國に 家無みや 復歸來ぬ 遠國 黃泉境に 延蔦の 己が向向き 天雲の 別れし行けば 闇夜如す 思惑はひ 射ゆ鹿の 心を痛み 葦垣の 思亂れて 春鳥の 哭のみ泣きつつ 味障ふ 夜晝知らず 陽炎の 心燃えつつ 嘆く別れぬ
本是同根生 父母所產成隨矣 猶如箸一對 嗚呼親親吾胞弟 何以如朝霧 容易消散此命者 與神共相競 爭而難勝負此生 蓋是豐葦原 瑞穗中津此國間 失體無依哉 不復歸來非我家 更赴遠國之 黃泉之境九重地 延蔦枝岐兮 己身率性步迷途 穹際天雲兮 天人永隔別去者 闇夜知所如 迷茫思惑不知措 射鹿中矢兮 心痛哀絕殆毀滅 葦垣雜駁兮 千頭萬絮情意亂 春鳥之所如 鳴泣哭嚎啼慟聲 味障多合兮 不知晝夜所相代 陽炎虛飄邈 此心焦燃猶火宅 悲嘆相別送故人
田邊福麻呂 1804
1805 反歌 【承前,其一。】
別而裳 復毛可遭 所念者 心亂 吾戀目八方【一云,意盡而。】
別れても 復も逢ふべく 思ほえば 心亂れて 我戀ひめやも【一云、心盡して。】
今日別離後 其後若可得復逢 所念如此者 豈令情意萬絮亂 相思哀絕殆毀哉【一云,豈令傾心盡情意 相思哀絕殆毀哉。】
田邊福麻呂 1805
1806 【承前,其二。】
蘆檜木笶 荒山中爾 送置而 還良布見者 情苦喪
足引の 荒山中に 送置きて 歸らふ見れば 心苦しも
足曳勢險峻 荒山之中幽深處 送置而歸來 吾今見彼行伍返 心痛情苦甚哀絕
田邊福麻呂 1806
1807 詠勝鹿真間娘子歌一首 【并短歌。】
雞鳴 吾妻乃國爾 古昔爾 有家留事登 至今 不絕言來 勝壯鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣爾 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髮谷母 搔者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹裹有 齋兒毛 妹爾將及哉 望月之 滿有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入爾 船己具如久 歸香具禮 人乃言時 幾時毛 不生物呼 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奧津城爾 妹之臥勢流 遠代爾 有家類事乎 昨日霜 將見我其登毛 所念可聞
雞が鳴く 東國に 古に 有ける事と 今迄に 絕えず言ひける 葛飾の 真間手兒名が 麻衣に 青衿著け 純佐麻を 裳には織著て 髮だにも 搔きは梳らず 沓をだに 履かず行けども 錦綾の 中に包める 齋兒も 妹に及かめや 望月の 足れる面わに 花如 笑みて立てれば 夏蟲の 火に入るが如 湊入りに 舟漕ぐ如く 行集寄れ 人言ふ時 幾時も 生けらぬ物を 何すとか 身をたな知りて 波音の 騷く湊の 奧津城に 妹が臥やせる 遠代に 在ける事を 昨日しも 見けむが如も 思ほゆるかも
雞鳴指拂曉 吾嬬者耶東國間 自於嚮古昔 所有之事往行者 流傳迄於今 口耳相承語不絕 葛飾勝鹿之 真間娘子手兒名 荒妙麻衣上 縫以青衿付布裳 手執取純麻 織作衣裳著身上 縱令烏玉之 青絲黑髮不予梳 縱令淺沓之 不履其屣行步矣 雖然如此者 即便包裹錦綾中 明珠齋兒者 豈與汝妹能相及 望月之所如 渾圓飽滿面有光 妍花之所如 回眸一笑生媚者 人猶夏蟲之 飛蛾撲火聚來矣 又猶將入湊 漕舟榜船之所如 行集寄緣此 男子群聚求姻時 人生如朝露 石火光中不久長 何以急如此 走投無路迫己身 波音潮騷之 浪聲喧囂此湊矣 奧津城之間 汝妹長眠臥此處 雖是在遠代 曩古悠久往昔事 闢猶在昨日 歷歷在目之所如 吾人馳思念悽悽
高橋蟲麻呂 1807
1808 反歌 【承前。】
勝壯鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家武 手兒名之所念
葛飾の 真間井を見れば 立平し 水汲ましけむ 手兒名し思ほゆ
每見勝鹿之 葛飾真間之井者 馳思念古事 蟻通不絕汲井水 手兒名者猶眼前
高橋蟲麻呂 1808
1809 見菟原處女墓歌一首 【并短歌。】
葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時從 小放爾 髮多久麻弖爾 並居 家爾毛不所見 虛木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壯士 宇奈比壯士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 燒大刀乃 手頴押禰利 白檀弓 靫取負而 入水 火爾毛將入跡 立向 競時爾 吾妹子之 母爾語久 倭文手纏 賤吾之故 大夫之 荒爭見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黃泉爾將待跡 隱沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壯士 其夜夢見 取次寸 追去祁禮婆 後有 菟原壯士伊 仰天 叫於良妣 跪地 牙喫建怒而 如己男爾 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬敘蕷都良 尋去祁禮婆 親族共 射歸集 永代爾 標將為跡 遐代爾 語將繼常 處女墓 中爾造置 壯士墓 此方彼方二 造置有 故緣聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨
葦屋の 菟原娘子の 八歲子の 片生時ゆ 小放りに 髮束迄に 並居る 家にも見えず 虛木綿の 隱りて居れば 見てしかと 悒憤む時の 垣穗為す 人問ふ時 千沼壯士 菟原壯士の 廬屋燒き すすし競ひ 相求婚 しける時は 燒太刀の 手頴押しねり 白真弓 靫取負ひて 水に入り 火にも入らむと 立向ひ 競ひし時に 我妹子が 母に語らく 倭文環 賤しき我が故 大夫の 爭ふ見れば 生けりとも 逢ふべく有れや 獸串ろ 黃泉に待たむと 隱沼の 下延置きて 打嘆き 妹が去ぬれば 千沼壯士 其夜夢に見 取續き 追行きければ 後れたる 菟原壯士い 天仰ぎ 叫喚び 地を踏み 牙喫猛びて 如己男に 負けては非じと 懸佩の 小太刀取佩き 冬薯蕷蔓 尋行きければ 親族共 い行集ひ 永代に 標に為むと 遠代に 語繼がむと 娘子墓 中に造置き 壯士墓 此面彼面に 造置ける 故緣聞きて 知らねども 新喪如も 哭泣きつるかも
攝國葦屋之 傾國菟原娘子矣 自其年八歲 青澀片生之時起 至青絲小放 婷婷玉立束髮時 縱令並居之 鄰家不見其姿形 虛腔木綿兮 隱居深窗藏其嬌 是以人欲見 汲汲焦急悒憤故 取圍化人垣 爭相問名求姻時 千沼壯士者 其與菟原壯士者 燔燒廬屋兮 血氣方剛相競而 全靈求婚合 當於此時壯士等 手執燒太刀 頴押其柄橫闊步 復取白真弓 背負箭靫奮雄誥 猶如將赴湯 更似蹈火不顧身 如此立向而 劍拔弩張相爭時 嗚呼娘子矣 相語其母愁訴云 倭文鄙環兮 妾身卑賤位下微 今見大夫等 為吾之故相爭者 縱令吾存命 豈得末逢婚合耶 旨肉獸串兮 黃泉之下吾俟矣 如此申事而 隱沼下延匿真情 嗚呼欷歔矣 紅顏薄命撒手去 千沼壯士者 當夜夢見其倩影 絲毫不躊躇 追赴奔殉九泉下 先聲為所奪 後手菟原壯士者 仰天泣叫喚 稱羨妒嫉更哀毀 踏地蹴不止 喫緊牙關猛衝冠 心思如己者 丈夫豈將輙負哉 遂取懸佩之 小太刀者掛腰際 冬薯蕷蔓兮 追尋泉路亦捨生 是以親族等 行集群聚共相議 欲為千歲之 永代之後留其事 欲令萬世之 遠代之後口耳傳 故造娘子墓 居於真中建其間 復起壯士墓 此面彼面向兩側 如此造建矣 吾聞故緣事如此 委細雖不知 卻如新喪失考妣 悲毀哭號泣慟聲
高橋蟲麻呂 1809
1810 反歌 【承前,其一。】
葦屋之 宇奈比處女之 奧槨乎 徃來跡見者 哭耳之所泣
葦屋の 菟原娘子の 奧城を 行來と見れば 哭のみし泣かゆ
攝國葦屋兮 傾國菟原娘子之 墓槨奧津城 每每徃來見之者 不覺慟聲泣哭號
高橋蟲麻呂 1810
1811 【承前,其二。】
墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壯士爾之 依家良信母
墓上の 木枝靡けり 聞きし如 千沼壯士にし 寄りにけらしも
今見處女墓 墳上木枝偃靡狀 果然如所聞 菟原娘子所傾心 蓋是千沼壯士哉
高橋蟲麻呂 1811
真字萬葉集 卷第九 雜歌、相聞、挽歌 終