春雜歌、春相聞、夏雜歌、夏相聞、秋雜歌、秋相聞、冬雜歌、冬相聞
真字萬葉集 卷第八 四時雜歌、四時相聞


春雜歌

1418 志貴皇子懽御歌一首 【○新古今0032、和漢朗詠0014。】
1419 鏡王女歌一首

     神奈備乃 伊波瀨乃社之 喚子鳥 痛莫鳴 吾戀益

     神奈備(かむなび)の 磐瀨社(いはせのもり)の 呼子鳥(よぶこどり) (いた)勿鳴(なな)きそ ()戀增(こひま)さる

       三諸神奈備 磐瀨之社鎮守森 喚子鳥者也 汝莫甚鳴啼如此 觸吾心絃徒增戀

      鏡王女 1419


1420 駿河釆女歌一首

     沫雪香 薄太禮爾零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛

     沫雪(あわゆき)か (はだれ)()ると ()(まで)に (なが)らへ()るは 何花(なにのはな)そも

       舉目望之者 其猶沫雪降斑駁 散華甚繽紛 吹雪流散飄目眩 蓋是何物之花哉

      駿河釆女 1420


1421 尾張連歌二首 【名闕】

     春山之 開乃乎為里爾 春菜採 妹之白紐 見九四與四門

     春山(はるやま)の ()きの(をを)りに 春菜摘(はるなつ)む (いも)白紐(しらひも) ()らくし()しも

       佐保春山間 百花爭艷亂咲裏 屈身摘春菜 親愛吾妻白紐者 見之我心清清焉

      尾張連 1421


1422 【承前】

     打靡 春來良之 山際 遠木末乃 開徃見者

     打靡(うちなび)く 春來(はるきた)るらし 山際(やまのま)の 遠木末(とほきこぬれ)の 咲行(さきゆ)()れば

       搖曳隨風動 萬象更新春臨哉 今見山之端 遙遙遠方木末稍 木花漸咲可察矣

      尾張連 1422


1423 中納言阿倍廣庭卿歌一首

     去年春 伊許自而殖之 吾屋外之 若樹梅者 花咲爾家里

     去年春(こぞのはる) い()じて()ゑし ()宿(やど)の 若木梅(わかきのうめ)は 花咲(はなさ)きにけり

       去年春日間 所掘植之我宿中 稚嫩樹梅者 光陰飛逝一年過 庭梅花咲報春暖

      阿倍廣庭 1423


1424 山部宿禰赤人歌四首 【四首第一。】

     春野爾 須美禮採爾等 來師吾曾 野乎奈都可之美 一夜宿二來

     春野(はるのの)に 菫摘(すみれつ)みにと ()(われ)そ ()(なつか)しみ 一夜寢(ひとよね)にける

      佐保兮春野 為摘菫兮來此野 我矣甚留戀 吾心暮野寄流連 不忍訣離留一宿

      山部赤人 1424


1425 【承前,四首第二。】

     足比奇乃 山櫻花 日並而 如是開有者 甚戀目夜裳

     足引(あしひき)の 山櫻花(やまさくらばな) 日並(ひなら)べて 如是咲(かくさ)きたらば 甚戀(はだこ)ひめやも

       足曳勢險峻 山櫻花開齊爭艷 若得並日久 長綻如是咲悠悠 豈將甚戀如是乎

      山部赤人 1425


1426 【承前,四首第三。】

     吾勢子爾 令見常念之 梅花 其十方不所見 雪乃零有者

     ()背子(せこ)に ()せむと(おも)ひし 梅花(うめのはな) (それ)とも()えず 雪降(ゆきのふ)れれば

       奉為吾兄子 欲折其枝令彼觀 然此梅花者 真贗難辨惑迷離 雪積梅枝混真華

      山部赤人 1426


1427 【承前,四首第四。○新古今0011。】
1428 草香山歌一首

     忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 暮晚爾 吾越來者 山毛世爾 咲有馬醉木乃 不惡 君乎何時 徃而早將見

     押照(おして)る 難波(なには)()ぎて 打靡(うちなび)く 草香山(くさかのやま)を 夕暮(ゆふぐれ)に ()越來(こえく)れば (やま)()に ()ける馬醉木(あしび)の ()しからぬ (きみ)何時(いつ)しか ()きて早見(はやみ)

       日光押照兮 澪標難波國今已過 打靡撓搖曳 生駒西翼草香山 夕暮黃昏時 我越彼山而來者 山狹峰綿密 所咲一面馬醉木 不惡令人憐 心念何時與君會 催步冀早拜君眉

      佚名 1428

         右一首,依作者微,不顯名字。


1429 櫻花歌一首 【并短歌】

     娍嬬等之 頭插乃多米爾 遊士之 蘰之多米等 敷座流 國乃波多弖爾 開爾雞類 櫻花能 丹穗日波母安奈爾

     娘子等(をとめら)が 髻首為(かざしのため)に 風流士(みやびを)の 縵為(かづらのため)と 敷坐(しきま)せる 國端(くにのはた)てに ()きにける 櫻花(さくらのはな)の (にほ)ひはも妍哉(あな)

       娍嬬娘子等 欲為插頭髻首之 風流雅士等 欲為花鬘飾冠之 八隅治天下 大君敷坐國之端 所咲木花矣 櫻花滿開遍眼前 爭艷妍哉不勝收

      若宮年魚麻呂 1429


1430 反歌 【承前。】

     去年之春 相有之君爾 戀爾手師 櫻花者 迎來良之母

     去年春(こぞのはる) ()へりし(きみ)に ()ひにてし 櫻花(さくらのはな)は 迎來(むかへけ)らしも

       蓋是木花戀 去年春日所逢君 依依不能忘 是以今日櫻滿開 爭艷來迎訴慕情

      若宮年魚麻呂 1430

         右二首,若宮年魚麻呂誦之。


1431 山部宿禰赤人歌一首

     百濟野乃 芽古枝爾 待春跡 居之鶯 鳴爾雞鵡鴨

     百濟野(くだらの)の 萩古枝(はぎのふるえ)に 春待(はるま)つと ()りし(うぐひす) ()きにけむ(かも)

       顧思大和國 葛城之地百濟野 萩木古枝上 停踞待春鶯鳥者 既報春暖發啼哉

      山部赤人 1431


1432 大伴坂上郎女柳歌二首

     吾背兒我 見良牟佐保道乃 青柳乎 手折而谷裳 見緣欲得

     ()背子(せこ)が ()らむ佐保道(さほぢ)の 青柳(あをやぎ)を 手折(たを)りてだにも 見由(みむよし)もがも

       親親吾兄子 所見大和佐保道 道間青柳矣 吾雖欲觀手折枝 然苦無緣遂此願

      坂上郎女 1432


1433 【承前。】

     打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成爾雞類鴨

     打上(うちのぼ)る 佐保川原(さほのかはら)の 青柳(あをやぎ)は (いま)(はる)へと (なり)にけるかも

       沿岸溯上兮 佐保之川河原邊 所生青柳者 今披新綠飾盎然 已換春裝報年新

      坂上郎女 1433


1434 大伴宿禰三林梅歌一首

     霜雪毛 未過者 不思爾 春日里爾 梅花見都

     霜雪(しもゆき)も 未過(いまだす)ぎねば (おも)はぬに 春日里(かすがのさと)に 梅花見(うめのはなみ)

       還思天方寒 霜雪未消冰未化 不覺轉瞬間 春日里間梅花咲 滿開一片報春來

      大伴三林 1434


1435 厚見王歌一首 【○新古今0161。】
1436 大伴宿禰村上梅歌二首

     含有常 言之梅我枝 今旦零四 沫雪二相而 將開可聞

     (ふふ)めりと ()ひし(うめ)() 今朝降(けさふ)りし 沫雪(あわゆき)()ひて ()きぬらむ(かも)

       汝云其蕾裹 含苞待放梅枝者 蓋與今朝旦 所零沫雪兩相逢 故而將開始咲哉

      大伴村上 1436


1437 【承前。】

     霞立 春日之里 梅花 山下風爾 落許須莫湯目

     霞立(かすみた)つ 春日里(かすがのさと)の 梅花(うめのはな) 山嵐(やまのあらし)に ()りこす勿努(なゆめ)

       霧霞層湧兮 春日里間梅花矣 可憐此梅花 還冀汝能咲長久 莫為山嵐吹零落

      大伴村上 1437


1438 大伴宿禰駿河丸歌一首

     霞立 春日里之 梅花 波奈爾將問常 吾念奈久爾

     霞立(かすみた)つ 春日里(かすがのさと)の 梅花(うめのはな) (はな)()はむと ()(おも)()くに

       霧霞層湧兮 春日里間梅花矣 吾之所訪者 豈猶徒花不結實 所念真誠情不輕

      大伴駿河麻呂 1438


1439 中臣朝臣武良自歌一首 【○新古今0009。】
1440 河邊朝臣東人歌一首

     春雨乃 敷布零爾 高圓 山能櫻者 何如有良武

     春雨(はるさめ)の 頻頻降(しくしくふ)るに 高圓(たかまと)の 山櫻(やまのさくら)は 何如(いか)にかあるらむ

       顧思春雨之 頻頻紛降無歇時 不知寧樂之 高圓山間山櫻者 今時雨零作何如

      河邊東人 1440


1441 大伴宿禰家持鶯歌一首

     打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑爾 鶯鳴裳

     打霧(うちき)らひ (ゆき)()りつつ (しか)すがに 我家園(わぎへのその)に 鶯鳴(うぐひすな)くも

       零雪降不止 雪霧瀰漫翳六合 雖然不能見 然吾宅邸庭院中 鳴鶯報方指家向

      大伴家持 1441


1442 大藏少輔丹比屋主真人歌一首

     難波邊爾 人之行禮波 後居而 春菜採兒乎 見之悲也

     難波邊(なにはへ)に (ひと)()ければ 後居(おくれゐ)て 春菜摘(はるなつ)()を ()るが(かな)しさ

       樂浪難波邊 人之行去離家後 留居在此地 屈身摘取春菜兒 見之悲由方寸來

      丹比屋主 1442


1443 丹比真人乙麻呂歌一首 【屋主真人之第二子也。】

     霞立 野上乃方爾 行之可波 鸎鳴都 春爾成良思

     霞立(かすみた)つ 野上方(ののうへのかた)に ()きしかば 鶯鳴(うぐひすな)きつ (はる)()るらし

       霞霧層湧兮 低丘野上之方矣 行之所見者 黃鶯出谷報年新 儼然春日既臨矣

      丹比乙麻呂 1443


1444 高田女王歌一首 【高安之女也。】

     山振之 咲有野邊乃 都保須美禮 此春之雨爾 盛奈里雞利

     山吹(やまぶき)の ()きたる野邊(のへ)の 壺菫(つほすみれ) 此春雨(このはるのあめ)に (さか)りなりけり

       棣棠山吹之 所咲一面野邊間 墨斗壺菫矣 在此春雨綿綿中 欣欣向榮真盛也

      高田女王 1444


1445 大伴坂上郎女歌一首

     風交 雪者雖零 實爾不成 吾宅之梅乎 花爾令落莫

     風交(かぜまじ)り (ゆき)()るとも ()()らぬ 我家梅(わぎへのうめ)を (はな)()らす()

       雖然天候險 風雪交雜霰亂零 尚未結實之 吾宅庭苑所植梅 莫唯徒花輙零散

      坂上郎女 1445


1446 大伴宿禰家持春鴙歌一首

     春野爾 安佐留鴙乃 妻戀爾 己我當乎 人爾令知管

     春野(はるのの)に (あさ)(きぎし)の 妻戀(つまご)ひに (おの)(あた)りを (ひと)()れつつ

       春日原野間 徘徊覓餌雄稚矣 戀妻不能禁 搏羽鳴啼喚聲響 發露己所令人知

      大伴家持 1446


1447 大伴坂上郎女歌一首

     尋常 聞者苦寸 喚子鳥 音奈都炊 時庭成奴

     世常(よのつね)に ()けば(くる)しき 呼子鳥(よぶこどり) 聲懷(こゑなつ)かしき (とき)には()りぬ

       尋常聞彼聲 意所不快喚子鳥 不知幾時間 久不聞音反戀慕 至於如此時節矣

      坂上郎女 1447

         右一首,天平四年三月一日佐保宅作。



春相聞

1448 大伴宿禰家持贈坂上家之大孃歌一首

     吾屋外爾 蒔之瞿麥 何時毛 花爾咲奈武 名蘇經乍見武

     ()宿(やど)に ()きし撫子(なでしこ) 何時(いつ)しかも (はな)()きなむ (なそ)へつつ()

       吾人屋戶外 所蒔瞿麥撫子矣 不知至何時 方得開花展咲顏 擬作汝命常端詳

      大伴家持 1448


1449 大伴田村家之大孃與妹坂上大孃歌一首

     茅花拔 淺茅之原乃 都保須美禮 今盛有 吾戀苦波

     茅花拔(つばなぬ)く 淺茅(あさぢ)(はら)の 壺菫(つほすみれ) 今盛(いまさか)()り ()()ふらくは

       摘取拔茅花 淺茅之原所生息 墨斗壺菫矣 我戀正如彼壺菫 方今正盛情不盡

      田村大孃 1449


1450 大伴宿禰坂上郎女歌一首

     情具伎 物爾曾有雞類 春霞 多奈引時爾 戀乃繁者

     (こころ)ぐき (もの)にそ(あり)ける 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)(とき)に 戀繁(こひのしげ)きは

       鬱悶情憂苦 如此之事寔有之 春霞繫天際 棚引不去滯虛時 徒引戀繁憂甚矣

      坂上郎女 1450


1451 笠女郎贈大伴家持歌一首

     水鳥之 鴨乃羽色乃 春山乃 於保束無毛 所念可聞

     水鳥(みづどり)の 鴨羽色(かものはいろ)の 春山(はるやま)の 覺束無(おほつかな)くも (おも)ほゆるかも

       游弋水鳥兮 鴨之羽色耀濃綠 春山之所如 迷濛飄渺無覺束 所念忐忑憑賴難

      笠郎女 1451


1452 紀女郎歌一首 【名曰小鹿也。】

     闇夜有者 宇倍毛不來座 梅花 開月夜爾 伊而麻左自常屋

     (やみ)ならば (うべ)來坐(きま)さじ 梅花(うめのはな) ()ける月夜(つくよ)に 出坐(いでま)さじとや

       闇夜之也者 理宜不來吾悉知 然觀梅花咲 暗香浮動此月夜 汝寔不出訪來耶

      紀小鹿 1452


1453 天平五年癸酉春閏三月,笠朝臣金村贈入唐使歌一首 【并短歌。】

     玉手次 不懸時無 氣緒爾 吾念公者 虛蟬之 世人有者 大王之 命恐 夕去者 鶴之妻喚 難波方 三津埼從 大舶爾 二梶繁貫 白浪乃 高荒海乎 嶋傳 伊別徃者 留有 吾者幣引 齋乍 公乎者將往 早還萬世

     玉襷(たまだすき) ()けぬ時無(ときな)く 息緒(いきのを)に ()(おも)(きみ)は 空蟬(うつせみ)の 世人(よのひと)なれば 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 夕去(ゆふさ)れば (たづ)妻呼(つまよ)ぶ 難波潟(なにはがた) 三津崎(みつのさき)より 大船(おほぶね)に 真梶繁貫(まかぢしじぬ)き 白波(しらなみ)の (たか)荒海(あるみ)を 島傳(しまづた)ひ い別行(わかれゆ)かば (とど)まれる (われ)幣引(ぬさひ)き (いは)ひつつ (きみ)をば()らむ 早歸坐(はやかへりま)

       玉襷懸頸上 無時卸解莫忘懷 賭命此息緒 吾所寄情念君者 空蟬憂世間 生為有生世人者 大君敕命重 誠惶誠恐遵聖慮 每逢夕陽斜 鶴之呼妻啼哀鳴 澪標難波潟 港灣御湊三津崎 大船自此發 真梶繁貫列楫槳 白波湧驚心 駭浪濤天此荒海 傳島跳嶼而 一一別兮航行去 留守居故土 吾人奉齋執幣帛 祈好去好來 戍此還冀君無事 但願早歸來復命

      笠金村 1453


1454 反歌 【承前。】

     波上從 所見兒嶋之 雲隱 空氣衝之 相別去者

     波上(なみのうへ)ゆ ()ゆる小島(こしま)の 雲隱(くもがく)り 痛息衝(あないきづ)かし 相別(あひわか)れなば

       滄溟波濤上 所觀遠去小島之 雲隱匿不見 嗚呼哀歎痛惜矣 惋思將別相去者

      笠金村 1454


1455 【承前。】

     玉切 命向 戀從者 公之三船乃 梶柄母我

     靈剋(たまきは)る (いのち)(むか)ひ ()ひむゆは (きみ)御船(みふね)の 梶柄(かぢから)にもが

       靈剋魂極矣 不顧身命若飛矢 直向戀慕者 還欲為君御船上 梶柄之疇常相伴

      笠金村 1455


1456 藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首

     此花乃 一與能內爾 百種乃 言曾隱有 於保呂可爾為莫

     此花(このはな)の 一節內(ひとよのうち)に 百種(ももくさ)の (こと)(こも)れる (おほ)ろかにす()

       此花一節內 千言萬語蘊其間 百種言難盡 隱含其間名狀難 莫輙視之以為凡

      藤原廣嗣 1456


1457 娘子和歌一首 【承前。】

     此花乃 一與能裏波 百種乃 言持不勝而 所折家良受也

     此花(このはな)の 一節內(ひとよのうち)は 百種(ももくさ)の 言持兼(こともちか)ねて ()らえけらずや

       此花一節內 千言萬語蘊其間 蓋不勝百種 千斤萬念荷甚重 遂而枝折故也哉

      娘子 1457


1458 厚見王贈久米女郎歌一首

     室戶在 櫻花者 今毛香聞 松風疾 地爾落良武

     宿(やど)()る 櫻花(さくらのはな)は (いま)もかも 松風早(まつかぜはや)み (つち)()るらむ

       汝宅室戶間 庭苑所植櫻花者 在於今時頃 蓋為松風吹勁疾 虛零徒散遍地哉

      厚見王 1458


1459 久米女郎報贈歌一首 【承前。】

     世間毛 常爾師不有者 室戶爾有 櫻花乃 不所比日可聞

     世間(よのなか)も (つね)にしあらねば 宿(やど)()る 櫻花(さくらのはな)の ()れる(ころ)かも

       浮生憂世間 諸行無常如此矣 故觀室戶間 庭苑所植櫻花者 今當零落散頃哉

      久米女郎 1459


1460 紀女郎贈大伴宿禰家持歌二首

     戲奴【變云,和氣。】之為 吾手母須麻爾 春野爾 拔流茅花曾 御食而肥座

     戲奴(わけ)變云(かへにいふ)、わけ。】(ため) ()()()まに 春野(はるのの)に ()ける茅花(つばな)そ ()して()えませ

       此乃為戲奴 吾手寔繁無停歇 身踞春野間 為汝所拔茅花矣 速速食之果腹肥

      紀女郎 1460


1461 【承前。】

     晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳將見哉 和氣佐倍爾見代

     (ひる)()き (よる)戀寢(こひぬ)る 合歡木花(ねぶのはな) (きみ)のみ()めや 戲奴(わけ)さへに()

       晝者咲開而 入夜閉合戀寢矣 合歡木之花 汝唯關注主君哉 還願亦見戲奴矣

      紀女郎 1461

         右,折攀合歡花并茅花贈也。


1462 大伴家持贈和歌二首 【承前。】

     吾君爾 戲奴者戀良思 給有 茅花手雖喫 彌瘦爾夜須

     ()(きみ)に 戲奴(わけ)()ふらし (たば)りたる 茅花(つばな)()めど 彌瘦(いやや)せに()

       愛也吾君矣 戲奴戀慕獻真情 所賜茅花者 吾雖喫之憂難忘 瘦之彌瘦更憔悴

      大伴家持 1462


1463 【承前。】

     吾妹子之 形見乃合歡木者 花耳爾 咲而盖 實爾不成鴨

     我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)合歡木(ねぶ)は (はな)のみに ()きて(けだ)しく ()()らじ(かも)

       親親吾妹子 所贈形見合歡木 吾觀彼木花 蓋為徒花唯咲而 不成結實無所終

      大伴家持 1463


1464 大伴家持贈坂上大孃歌一首

     春霞 輕引山乃 隔者 妹爾不相而 月曾經去來

     春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)(やま)の (へな)れれば (いも)()はずて (つき)()にける

       春霞棚引之 奈良鹿脊連山並 以彼所隔者 令我無由與妹逢 徒經日月募相思

      大伴家持 1464

         右,從久邇京贈寧樂宅。



夏雜歌

1465 藤原夫人歌一首 【明日香清御原宮御宇(天武)天皇之夫人也。字曰,大原大刀自,即新田部皇子之母也。】

     霍公鳥 痛莫鳴 汝音乎 五月玉爾 相貫左右二

     霍公鳥(ほととぎす) 甚莫鳴(いたくなな)きそ ()(こゑ)を 五月玉(さつきのたま)に 相貫(あへぬ)(まで)

       杜鵑霍公鳥 汝莫甚啼四月中 吾惜汝之音 願待五月貫藥玉 結作長命縷日止

      藤原大原大刀自 1465


1466 志貴皇子御歌一首

     神名火乃 磐瀨之社之 霍公鳥 毛無乃岳爾 何時來將鳴

     神奈備(かむなび)の 磐瀨社(いはせのもり)の 霍公鳥(ほととぎす) 毛無岡(けなしのをか)に 何時(いつ)來鳴(きな)かむ

       三諸神奈備 磐瀨之社鎮守森 霍公鳥者也 何時得來毛無岡 啼鳴禿丘報夏至

      志貴皇子 1466


1467 弓削皇子御歌一首

     霍公鳥 無流國爾毛 去而師香 其鳴音手 間者辛苦母

     霍公鳥(ほととぎす) ()かる(くに)にも ()きてしか 其鳴聲(そのなくこゑ)を ()けば(くる)しも

       吾願離此地 去無霍公鳥之國 此心焦如焚 杜鵑鳴聲勾思愁 每聞其鳴生戀苦

      弓削皇子 1467


1468 小治田廣瀨王霍公鳥歌一首

     霍公鳥 音聞小野乃 秋風爾 芽開禮也 聲之乏寸

     霍公鳥(ほととぎす) 聲聞(こゑき)小野(をの)の 秋風(あきかぜ)に 萩咲(はぎさ)きぬれや (こゑ)(とも)しき

       杜鵑霍公鳥 其聲可聞小野間 吾度秋風拂 萩咲時節未至耶 豈知鳥囀聲已乏

      小治田廣瀨王 1468


1469 沙彌霍公鳥歌一首

     足引之 山霍公鳥 汝鳴者 家有妹 常所思

     足引(あしひき)の 山霍公鳥(やまほととぎす) ()()けば (いへ)なる(いも)し (つね)(しの)はゆ

       足曳勢險峻 山霍公鳥不如歸 每逢汝鳴者 常偲居家吾妹子 更勾相思催憂情

      沙彌 1469


1470 刀理宣令歌一首

     物部乃 石瀨之社乃 霍公鳥 今毛鳴奴香 山之常影爾

     物部(もののふ)の 磐瀨社(いはせのもり)の 霍公鳥(ほととぎす) (いま)()かぬか 山常蔭(やまのとかげ)

       物部八十緒 磐瀨之社鎮守森 杜鵑霍公鳥 冀汝速速發鳴啼 囀在山之常蔭間

      刀理宣令 1470


1471 山部宿禰赤人歌一首

     戀之家婆 形見爾將為跡 吾屋戶爾 殖之藤浪 今開爾家里

     (こひ)しけば 形見(かたみ)()むと ()宿(やど)に ()ゑし藤波(ふぢなみ) 今咲(いまさ)きにけり

       戀慕情生時 欲為形見緣物而 吾宿之所植 藤浪今日始展顏 隨風蕩漾咲一面

      山部赤人 1471


1472 式部大輔石上堅魚朝臣歌一首

     霍公鳥 來鳴令響 宇乃花能 共也來之登 問麻思物乎

     霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)もす 卯花(うのはな)の (とも)にや()しと ()益物(ましもの)

       杜鵑霍公鳥 今來鳴響啼夏至 吾欲問汝鳥 蓋與卯花共來乎 可惜汝不能言語

      石上堅魚 1472

         右,神龜五年戊辰,大宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇病長逝焉。于時,敕使式部大輔石上朝臣堅魚遣大宰府,弔喪并賜物也。其事既畢,驛使及府諸卿大夫等,共登記夷城而望遊之日,乃作此歌。



1473 大宰帥大伴卿和歌一首

     橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曾多寸

     (たちばな)の 花散里(はなぢるさと)の 霍公鳥(ほととぎす) 片戀(かたこひ)しつつ 鳴日(なくひ)しそ(おほ)

       非時香菓兮 橘花飄零舞落里 杜鵑霍公鳥 孤戀啼血浸憂情 哀鳴之日寔多矣

      大伴旅人 1473


1474 大伴坂上郎女思筑紫大城山歌一首

     今毛可聞 大城乃山爾 霍公鳥 鳴令響良武 吾無禮杼毛

     (いま)もかも 大城山(おほきのやま)に 霍公鳥(ほととぎす) 鳴響(なきとよ)むらむ 我無(われな)けれども

       時值至今日 筑紫國間大城山 杜鵑霍公鳥 蓋仍常鳴啼響哉 縱令吾人不在矣

      坂上郎女 1474


1475 大伴坂上郎女霍公鳥歌一首

     何奇毛 幾許戀流 霍公鳥 鳴音聞者 戀許曾益禮

     (なに)しかも 幾許戀(ここだくこ)ふる 霍公鳥(ほととぎす) 鳴聲聞(なくこゑき)けば (こひ)こそ()され

       是為何由哉 何以慕戀甚幾許 每聞霍公鳥 杜鵑啼血心哀愁 徒增慕情憂更甚

      坂上郎女 1475


1476 小治田朝臣廣耳歌一首

     獨居而 物念夕爾 霍公鳥 從此間鳴渡 心四有良思

     獨居(ひとりゐ)て 物思(ものおも)(よひ)に 霍公鳥(ほととぎす) ()鳴渡(なきわた)る (こころ)()るらし

       隻身形影孤 憂思獨居黃昏夕 杜鵑霍公鳥 從此啼血悲鳴渡 汝蓋能知我心哉

      小治田廣耳 1476


1477 大伴家持霍公鳥歌一首

     宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 來鳴令響

     卯花(うのはな)も 未咲(いまださ)かねば 霍公鳥(ほととぎす) 佐保山邊(さほのやまへ)に 來鳴響(きなきとよ)もす

       人云杜鵑者 其與卯花與共來 豈知花未咲 佐保山邊霍公鳥 已然來鳴響山間

      大伴家持 1477


1478 大伴家持橘歌一首

     吾屋前之 花橘乃 何時毛 珠貫倍久 其實成奈武

     ()宿(やど)の 花橘(はなたちばな)の 何時(いつ)しかも (たま)()くべく 其實成(そのみな)りなむ

       吾宿屋戶前 所植非時花橘者 何時之間歟 已然結果成其實 可為五月藥玉貫

      大伴家持 1478


1479 大伴家持晚蟬歌一首

     隱耳 居者欝悒 奈具左武登 出立聞者 來鳴日晚

     (こも)りのみ ()れば欝悒(いぶせみ) (なぐさ)むと 出立聞(いでたちき)けば 來鳴(きな)晚蟬(ひぐらし)

       幽居隱家中 索然無味氣欝悒 為慰此寂情 出外漫步豎耳者 暮蟬來鳴可聽聞

      大伴家持 1479


1480 大伴書持歌二首

     我屋戶爾 月押照有 霍公鳥 心有今夜 來鳴令響

     ()宿(やど)に 月押照(つきおして)れり 霍公鳥(ほととぎす) 心有(こころあ)今夜(こよひ) 來鳴響(きなきとよ)もせ

       吾宿屋戶前 月光押照霍公鳥 汝能察吾情 今夜來鳴啼聲響 滔滔代我辯心聲

      大伴書持 1480


1481 【承前。】

     我屋戶前乃 花橘爾 霍公鳥 今社鳴米 友爾相流時

     ()宿(やど)の 花橘(はなたちばな)に 霍公鳥(ほととぎす) (いま)こそ()かめ (とも)()へる(とき)

       吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 汝今當鳴橘樹上 宣告與友相會時

      大伴書持 1481


1482 大伴清繩歌一首

     皆人之 待師宇能花 雖落 奈久霍公鳥 吾將忘哉

     皆人(みなひと)の ()ちし卯花(うのはな) ()りぬとも ()霍公鳥(ほととぎす) 我忘(われわす)れめや

       縱令皆人之 引領所待卯花者 已然凋零落 吾憶來鳴霍公鳥 豈將輕易忘懷哉

      大伴清繩 1482


1483 奄君諸立歌一首

     吾背子之 屋戶乃橘 花乎吉美 鳴霍公鳥 見曾吾來之

     ()背子(せこ)が 宿橘(やどのたちばな) (はな)()み ()霍公鳥(ほととぎす) ()にそ()()

       翫吾兄子之 屋戶所植橘花而 來鳴霍公鳥 我惜彼鳥不如歸 遂來見之訪此宿

      奄君諸立 1483


1484 大伴坂上郎女歌一首

     霍公鳥 痛莫鳴 獨居而 寐乃不所宿 聞者苦毛

     霍公鳥(ほととぎす) 甚莫鳴(いたくなな)きそ 獨居(ひとりゐ)て 眠寢(いのね)()ぬに ()けば(くる)しも

       嗚呼霍公鳥 汝莫甚鳴啼如此 形單影隻而 孤居就寢難眠時 聞汝悲鳴心更苦

      坂上郎女 1484


1485 大伴家持唐棣花歌一首

     夏儲而 開有波禰受 久方乃 雨打零者 將移香

     夏待(なつま)けて ()きたる唐棣(はねず) 久方(ひさかた)の 雨打降(あめうちふ)らば (うつ)ろひなむか

       待夏時機熟 展顏始咲唐棣花 遙遙久方兮 天雨若零降紛紛 蓋將移落褪色哉

      大伴家持 1485


1486 大伴家持恨霍公鳥晚喧歌二首

     吾屋前之 花橘乎 霍公鳥 來不喧地爾 令落常香

     ()宿(やど)の 花橘(はなたちばな)を 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴(きな)かず(つち)に ()らしてむとか

       吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 尚未來鳴已凋零 散落一地令人惋

      大伴家持 1486


1487 【承前。】

     霍公鳥 不念有寸 木晚乃 如此成左右爾 奈何不來喧

     霍公鳥(ほととぎす) (おも)はずありき 木暗(このくれ)の 如此成(かくな)(まで)に (なに)來鳴(きな)かぬ

       杜鵑霍公鳥 吾之不念何以哉 木蔭下闇之 暗成如是此時頃 奈何仍不來喧鳴

      大伴家持 1487


1488 大伴家持懽霍公鳥歌一首

     何處者 鳴毛思仁家武 霍公鳥 吾家乃里爾 今日耳曾鳴

     何處(いづく)には ()きもしにけむ 霍公鳥(ほととぎす) 我家里(わぎへのさと)に 今日(けふ)のみそ()

       汝先在何處 啼夏發鳴不來哉 杜鵑霍公鳥 於此吾家鄉里間 萬喚今日始發鳴

      大伴家持 1488


1489 大伴家持惜橘花歌一首

     吾屋前之 花橘者 落過而 珠爾可貫 實爾成二家利

     ()宿(やど)の 花橘(はなたちばな)は 散過(ちりす)ぎて (たま)()くべく ()(なり)にけり

       吾宿屋戶前 所植非時花橘者 橘花既凋零 其果得以長命縷 貫作藥玉實成矣

      大伴家持 1489


1490 大伴家持霍公鳥歌一首

     霍公鳥 雖待不來喧 蒲 玉爾貫日乎 未遠美香

     霍公鳥(ほととぎす) ()てど來鳴(きな)かず 菖蒲草(あやめぐさ) (たま)()()を 未遠(いまだとほ)みか

       吾雖苦待久 霍公鳥兮不來鳴 蓋是菖蒲草 貫作藥玉長命縷 其日猶遠未近哉

      大伴家持 1490


1491 大伴家持雨日聞霍公鳥喧歌一首

     宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 從此間喧渡

     卯花(うのはな)の ()ぎば()しみか 霍公鳥(ほととぎす) 雨間(あまま)()かず ()鳴渡(なきわた)

       蓋是惜卯花 凋零散落觸情傷 杜鵑霍公鳥 雨降之間莫所息 鳴渡此間喚啼血

      大伴家持 1491


1492 橘歌一首 【遊行女婦。】

     君家乃 花橘者 成爾家利 花有時爾 相益物乎

     (きみ)(いへ)の 花橘(はなたちばな)は ()りにけり (はな)なる(とき)に ()益物(ましもの)

       君業宅邸間 花橘盛後實已成 顧思花謝者 早知諸行不久長 當惜花時來相見

      遊行女婦 1492


1493 大伴村上橘歌一首

     吾屋前乃 花橘乎 霍公鳥 來鳴令動而 本爾令散都

     ()宿(やど)の 花橘(はなたちばな)を 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)めて (もと)()らしつ

       吾宿屋戶前 所植非時花橘者 杜鵑霍公鳥 其來鳴響震花謝 散落凋零落根源

      大伴村上 1493


1494 大伴家持霍公鳥歌二首

     夏山之 木末乃繁爾 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遙佐

     夏山(なつやま)の 木末繁(こぬれのしげ)に 霍公鳥(ほととぎす) 鳴響(なきとよ)むなる 聲遙(こゑのはる)けさ

       盛暑夏山間 木梢枝末繁茂處 杜鵑霍公鳥 身踞枝頭啼鳴響 鳥囀之聲可遠聞

      大伴家持 1494


1495 【承前。】

     足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後將戀可聞

     足引(あしひき)の 木間立潛(このまたちく)く 霍公鳥(ほととぎす) 如此聞始(かくききそ)めて 後戀(のちこ)ひむ(かも)

       足曳勢險峻 山林木間所飛潛 穿梭霍公鳥 如是始聞其鳥囀 爾後念之發慕哉

      大伴家持 1495


1496 大伴家持石竹花歌一首

     吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母

     ()宿(やど)の 撫子花(なでしこのはな) 盛也(さかりなり) 手折(たを)りて一目(ひとめ) ()せむ()もがも

       吾宿屋戶前 所植瞿麥撫子花 方今正欣盛 欲得手折能令見 知心佳人共賞翫

      大伴家持 1496


1497 惜不登筑波山歌一首

     筑波根爾 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其

     筑波嶺(つくはね)に ()()けりせば 霍公鳥(ほととぎす) 山彦響(やまびことよ)め ()かましやそれ

       常陸筑波嶺 吾若得以行至者 杜鵑霍公鳥 可曾來鳴啼不斷 回響木靈山間歟

      高橋蟲麻呂 1497

         右一首,高橋連蟲麻呂之歌中出。



夏相聞

1498 大伴坂上郎女歌一首

     無暇 不來之君爾 霍公鳥 吾如此戀常 徃而告社

     暇無(いとまな)み ()ざりし(きみ)に 霍公鳥(ほととぎす) 我如此戀(あれかくこ)ふと ()きて()げこそ

       其以無暇故 不來相會吾君矣 杜鵑霍公鳥 願汝翔往我君處 告吾焦戀戀如是

      坂上郎女 1498


1499 大伴四繩宴吟歌一首

     事繁 君者不來益 霍公鳥 汝太爾來鳴 朝戶將開

     言繁(ことしげ)み (きみ)來坐(きま)さず 霍公鳥(ほととぎす) (なれ)だに來鳴(きな)け 朝戶開(あさとひら)かむ

       流言蜚語繁 吾君避嫌不來會 杜鵑霍公鳥 但願汝至解吾寂 遂開朝戶盼來鳴

      大伴四繩 1499


1500 大伴坂上郎女歌一首

     夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曾

     夏野(なつのの)の (しげ)みに()ける 姫百合(ひめゆり)の ()らえぬ(こひ)は (くる)しき(もの)

       夏野繁茂間 埋沒漫草匿咲之 妍花姬百合 單戀心中無人知 此情甚苦令人狂

      坂上郎女 1500


1501 小治田朝臣廣耳歌一首

     霍公鳥 鳴峯乃上能 宇乃花之 猒事有哉 君之不來益

     霍公鳥(ほととぎす) ()尾上(をのうへ)の 卯花(うのはな)の 憂事有(うきことあ)れや (きみ)來坐(きま)さぬ

       杜鵑霍公鳥 所鳴稜線峰尾上 花綻容 蓋有事不快哉 所以君之不來晤

      小治田廣耳 1501


1502 大伴坂上郎女歌一首

     五月之 花橘乎 為君 珠爾社貫 零巻惜美

     五月(さつき)の 花橘(はなたちばな)を (きみ)(ため) (たま)にこそ()け ()らまく()しみ

       五月端午之 花橘綻開將結實 欲執長命縷 為君貫以作藥玉 吾惜花散徒凋零

      坂上郎女 1502


1503 紀朝臣豐河歌一首

     吾妹兒之 家乃垣內 佐由理花 由利登云者 不欲云二似

     我妹子(わぎもこ)が 家垣內(いへのかきつ)の 小百合花(さゆりばな) 後日(ゆり)()へるは (いな)()ふに()

       親親吾妹子 汝家垣內小百合 猶彼花之名 所應百合後日者 似於言否拒門前

      紀豐河 1503


1504 高安歌一首

     暇無 五月乎尚爾 吾妹兒我 花橘乎 不見可將過

     暇無(いとまな)み 五月(さつき)(すら)に 我妹子(わぎもこ)が 花橘(はなたちばな)を ()ずか()ぎなむ

       忙碌苦無暇 五月時節尚不休 吾妹子宿間 端午花橘綻紛紛 無緣觀之而將過

      高安王 1504


1505 大神女郎贈大伴家持歌一首

     霍公鳥 鳴之登時 君之家爾 徃跡追者 將至鴨

     霍公鳥(ほととぎす) ()きし(すなは)ち (きみ)(いへ)に ()けと()ひしは (いた)るらむ(かも)

       杜鵑霍公鳥 所啼發鳴之登時 吾命彼鳥之 徃去汝家而追行 如今蓋可將至哉

      大神女郎 1505


1506 大伴田村大孃與妹坂上大孃歌一首

     古鄉之 奈良思乃岳能 霍公鳥 言告遣之 何如告寸八

     故鄉(ふるさと)の 奈良思岡(ならしのをか)の 霍公鳥(ほととぎす) 言告遣(ことつげや)りし 何如(いか)()げきや

       飛鳥舊京之 故鄉奈良思之岡 杜鵑霍公鳥 吾遣彼鳥告傳言 口訊相遞遞如何

      田村大孃 1506


1507 大伴家持攀橘花,贈坂上大孃歌一首 【并短歌。】

     伊加登伊可等 有吾屋前爾 百枝刺 於布流橘 玉爾貫 五月乎近美 安要奴我爾 花咲爾家里 朝爾食爾 出見毎 氣緒爾 吾念妹爾 銅鏡 清月夜爾 直一眼 令覩麻而爾波 落許須奈 由米登云管 幾許 吾守物乎 宇禮多伎也 志許霍公鳥 曉之 裏悲爾 雖追雖追 尚來鳴而 徒 地爾令散者 為便乎奈美 攀而手折都 見末世吾妹兒

     (いか)(いか)と ()()宿(やど)に 百枝刺(ももえさ)し ()ふる(たちばな) (たま)()く 五月(さつき)(ちか)み ()えぬがに 花咲(はなさ)きにけり (あさ)()に 出見(いでみ)(ごと)に 息緒(いきのを)に ()(おも)(いも)に 真十鏡(まそかがみ) 清月夜(きよきつくよ)に 唯一目(ただひとめ) ()する(まで)には ()りこす() (ゆめ)()ひつつ 幾許(ここだく)も ()()(もの)を (うれた)きや 醜霍公鳥(しこほととぎす) (あかとき)の 衷悲(うらがな)しきに ()へど()へど (なほ)來鳴(きな)きて (いたづら)に (つち)()らさば (すべ)()み ()ぢて手折(たを)りつ ()ませ我妹子(わぎもこ)

       莊嚴遼闊哉 廣大吾宿庭院間 百枝欣向榮 所生非時香橘矣 當以長命縷 貫作藥玉五月近 猶將零滿溢 橘花盛咲開一面 朝朝復晝晝 每每出見彼花者 賭命懸魂絮 吾所思慕妹子矣 澄澈真十鏡 皎白清淨月夜間 直至唯一目 得拜汝眉之日迄 嘮叨訴不停 只願莫散勿凋零 雖禱祈幾許 吾守呵護此物者 嗚呼慨嘆哉 嗟乎彼醜霍公鳥 晨曦天方曉 吾浸物憂衷悲時 雖逐追放逐幾度 其尚啼血更來鳴 悲響震虛空 徒令花謝散一地 舉手更無措 唯有攀引手折枝 留花令見吾妹子

      大伴家持 1507


1508 反歌 【承前。】

     望降 清月夜爾 吾妹兒爾 令視常念之 屋前之橘

     望降(もちぐた)ち 清月夜(きよきつくよ)に 我妹子(わぎもこ)に ()せむと(おも)ひし 宿橘(やどのたちばな)

       望月既已過 皎白清淨月夜間 吾衷有所思 欲令吾妹之所見 所折其枝屋前橘 

      大伴家持 1508


1509 【承前。】

     妹之見而 後毛將鳴 霍公鳥 花橘乎 地爾落津

     (いも)()て (のち)()かなむ 霍公鳥(ほととぎす) 花橘(はなたちばな)を (つち)()らしつ

       令妹見彼花 其後將鳴而可矣 嗚呼霍公鳥 我恨汝鳴震虛空 震得花橘謝零落

      大伴家持 1509


1510 大伴家持贈紀女郎歌一首

     瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花爾有目八方

     撫子(なでしこ)は ()きて()りぬと (ひと)()へど ()標野(しめしの)の (はな)にあらめやも

       雖然人常道 瞿麥撫子色易褪 花開早謝散 吾度所指非吾誌 標野之內撫子花

      大伴家持 1510



秋雜歌

1511 崗本(舒明)天皇御製歌一首

     暮去者 小倉乃山爾 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家良思母

     夕去(ゆふさ)れば 小倉山(をぐらのやま)に 鳴鹿(なくしか)は 今夜(こよひ)()かず ()ねにけらしも

       每逢夕暮時 鳴泣呼妻小倉山 悲戚牡鹿者 今夜不聞其聲響 蓋是獲妻安寢哉

      舒明天皇 1511


1512 大津皇子御歌一首

     經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黃葉爾 霜莫零

     (たて)()く (ぬき)(さだ)めず 娘子等(をとめら)が ()黃葉(もみちば)に 霜莫降(しもなふ)りそね

       經線莫有之 緯絮虛兮無定形 娘子以山機 所織紅葉華錦上 還願寒霜莫降矣

      大津皇子 1512


1513 穗積皇子御歌二首

     今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黃葉家良思 吾情痛之

     今朝朝明(けさのあさけ) (かり)音聞(ねき)きつ 春日山(かすがやま) 黃葉(もみち)にけらし ()心痛(こころいた)

       今朝旦開時 鴈鳴之音聲可聞 顧思春日山 今當黃葉染秋紅 我心悲慟愁更愁

      穗積皇子 1513


1514 【承前。】

     秋芽者 可咲有良之 吾屋戶之 淺茅之花乃 散去見者

     秋萩(あきはぎ)は ()きぬべからし ()宿(やど)の 淺茅(あさぢ)(はな)の ()りぬる()れば

       吾度秋萩者 今蓋展顏盛咲哉 今觀吾宿之 淺茅之花散去者 可知時節當秋臨

      穗積皇子 1514


1515 但馬皇女御歌一首 【一書云,子部王作。】

     事繁 里爾不住者 今朝鳴之 鴈爾副而 去益物乎【一云,國爾不有者。】

     言繁(ことしげ)き (さと)()まずは 今朝鳴(けさな)きし (かり)(たぐ)ひて ()益物(ましもの)一云(またにいふ)(くに)()らずは。】

       較於住里間 流言蜚語惹人煩 不若離人煙 往去今朝鳴鴈處 相伴山野享清閒 【一云,較於棲國中。】

      但馬皇女 1515


1516 山部王,惜秋葉歌一首

     秋山爾 黃反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世武

     秋山(あきやま)に 黃變木葉(もみつこのは)の (うつ)りなば (さら)にや(あき)を ()まく()りせむ

       時值秋山間 黃變木葉移去者 心惜秋葉落 更欲次秋早再臨 冀見紅葉再織錦

      山部王 1516


1517 長屋王歌一首

     味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黃葉乃 散莫惜毛

     味酒(うまさけ) 三輪祝(みわのはふり)が 山照(やまて)らす 秋黃葉(あきのもみち)の ()らまく()しも

       美酒彌醇矣 御諸三輪社祝齋 聖山神奈備 照耀彼山秋黃葉 散落凋零令人惜

      長屋王 1517


1518 山上臣憶良七夕歌十二首 【十二第一。】

     天漢 相向立而 吾戀之 君來益奈利 紐解設奈 【一云,向河。】

     天川(あまのがは) 相向立(あひむきた)ちて ()()ひし 君來坐(きみきま)(なり) 紐解設(ひもときま)けな 【一云(またにいふ)(かは)(むか)ひて。】

       天漢銀河矣 相隔此川兩相望 吾之所慕戀 君將來訪在今夕 故吾解紐設香閨 【一云,向河阻隔兩相望。】

      山上憶良 1518

         右,養老八年七月七日應令。


1519 【承前,十二第二。】

     久方之 漢爾 船泛而 今夜可君之 我許來益武

     久方(ひさかた)の 天川(あまのがは)に 舟浮(ふねう)けて 今夜(こよひ)(きみ)が 我許來坐(わがりきま)さむ

       遙遙久方兮 天漢銀河川水上 泛舟乘浮船 就在今宵我思君 將渡天川訪吾許

      山上憶良 1519

         右,神龜元年七月七日夜左大臣宅。


1520 【承前,十二第三。】

     牽牛者 織女等 天地之 別時由 伊奈牟之呂 河向立 思空 不安久爾 嘆空 不安久爾 青浪爾 望者多要奴 白雲爾 渧者盡奴 如是耳也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纏之 真可伊毛我母【一云,小棹毛何毛。】 朝奈藝爾 伊可伎渡 夕鹽爾【一云,夕倍爾毛。】 伊許藝渡 久方之 天河原爾 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞【一云,伊毛左禰而師加。】 秋爾安良受登母【一云,秋不待登毛。】

     彥星(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の (わか)れし(とき)ゆ 稻筵(いなむしろ) (かは)向立(むきた)ち (おも)心地(そら) (やす)()くに (なげ)心地(そら) (やす)()くに 青波(あをなみ)に (のぞ)みは()えぬ 白雲(しらくも)に (なみた)()きぬ 如是(かく)のみや 息衝居(いきづきを)らむ 如是(かく)のみや ()ひつつあらむ 小丹塗(さにぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉卷(たまま)きの 真櫂(まかい)もがも一云(またにいふ)小棹(をさを)もがも。】 朝凪(あさなぎ)に い搔渡(かきわた)り 夕潮(ゆふしほ)一云(またにいふ)(ゆふべ)にも。】 い漕渡(こぎわた)り 久方(ひさかた)の 天川原(あまのかはら)に 天飛(あまと)ぶや 領巾片敷(ひれかたし)き 真玉手(またまで)の 玉手插交(たまでさしか)へ 數多夜(あまたよ)も ()ねてしかも一云(またにいふ)()もさ()てしか。】 (あき)(あら)ずとも一云(またにいふ)秋待(あきま)たずとも。】

       彥星牛郎者 其與所戀機織女 早自天地之 初判之際兩相隔 稻筵藁席兮 銀漢天川對向立 所念方寸中 抑鬱忐忑無安平 所嘆胸懷間 哀愁滿溢莫安歇 清浪遮所見 還怨望斷不得眺 白雲蔽眼前 更恨淚盡涙已乾 唯有如此耶 日復一日終悲嘆 唯有如此耶 戀慕不息愁相思 欲得小丹塗 一葉扁舟不可得 玉得玉卷之 楫梶真櫂不可得【一云,楫梶小棹不可得。】 晨曦朝凪間 願得搔楫渡彼水 夕暮潮盈時【一云,夕暮黃昏時。】 冀得漕榜渡此川 遙遙久方兮 銀河天漢川原上 飛天隨風逸 領巾羽衣望披之 還願交汝纖玉手 幾多春宵夜 相交纏綿依不離【一云,相枕共寢覆雲雨。】 縱令此宵非七夕【一云,縱令不待秋來矣。】

      山上憶良 1520


1521 反歌 【承前,十二第四。】

     風雲者 二岸爾 可欲倍杼母 吾遠嬬之【一云,波之嬬乃。】 事曾不通

     風雲(かぜくも)は (ふた)つの(きし)に (かよ)へども ()遠妻(とほづま)一云(またにいふ)愛妻(はしつま)の。】 (こと)(かよ)はぬ

       風雲自在天 來回兩岸不受阻 雖然如此者 何奈吾人遠妻之【一云,何奈親親愛妻之。】 隻言片語不得通

      山上憶良 1521


1522 【承前,十二第五。】

     多夫手二毛 投越都倍吉 天漢 敝太而禮婆可母 安麻多須辨奈吉

     飛礫(たぶて)にも 投越(なげこ)しつべき 天川(あまのがは) (へだ)てればかも 數多術無(あまたすべな)

       若擲飛礫者 理宜投越不費勁 天川幅不廣 卻以其隔在途間 相會無方徒傷悲

      山上憶良 1522

         右,天平元年七月七日夜,憶良仰觀天河。【一云,(大伴旅人)家作。】


1523 【承前,十二第六。】

     秋風之 吹爾之日從 何時可登 吾待戀之 君曾來座流

     秋風(あきかぜ)の ()きにし()より 何時(いつ)しかと ()待戀(まちこ)ひし (きみ)來坐(きませ)

       夫自立秋之 秋風瑟瑟拂日起 衷念何時會 吾人朝暮引領盼 待慕之君今來也

      山上憶良 1523


1524 【承前,十二第七。】

     天漢 伊刀河浪者 多多禰杼母 伺候難之 近此瀨呼

     天川(あまのがは) 甚川波(いとかはなみ)は ()たねども 伺候難(さもらひがた)し (ちか)此瀨(このせ)

       銀漢天之川 雖彼川波不甚湧 俟候誠難矣 近在眼前莫得渡 嗚呼惱人此川瀨

      山上憶良 1524


1525 【承前,十二第八。】

     袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良禰波

     袖振(そでふ)らば ()(かは)しつべく (ちか)けども (わた)術無(すべな)し (あき)にしあらねば

       若振揮袖者 形姿歷歷可相見 所近雖如此 越渡無方更催愁 只因七夕日未至

      山上憶良 1525


1526 【承前,十二第九。】

     玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波

     玉限(たまかぎ)る 髣髴(ほのか)()えて (わか)れなば 元無(もとな)()ひむ 逢時迄(あふときまで)

       玉極輝耀兮 髣髴之間所見爾 蓋在離別後 戀慕無故生油然 直至有朝再逢時

      山上憶良 1526

         右,天平二年七月八日夜,(太宰帥)家集會。


1527 【承前,十二第十。】

     牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 天漢原爾 霧之立波

     彥星(ひこほし)し 妻迎(つまむか)(ぶね) 漕出(こぎづ)らし 天川原(あまのかはら)に 霧立(きりのた)てるは

       牛郎彥星之 迎妻織女扁舟者 今蓋榜出哉 見彼銀河天川原 水沫化霧可知之

      山上憶良 1527


1528 【承前,十二十一。】

     霞立 天河原爾 待君登 伊徃還爾 裳襴所沾

     霞立(かすみた)つ 天川原(あまのかはら)に 君待(きみま)つと い行返(ゆきかへ)るに 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ

       霞起霧瀰漫 天上銀河川原中 引領待君至 坐立徃還徘徊間 裳襴沾濕裾濡矣

      山上憶良 1528


1529 【承前,十二十二。】

     天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母

     天川(あまのがは) 浮津波音(うきつのなみおと) (さわ)()り ()()(きみ)し 舟出(ふなで)すらしも

       銀河天之川 浮津淺橋船埠處 波音騒可聞 蓋是朝思復暮想 吾所待君榜舟出

      山上憶良 1529


1530 大宰諸卿大夫并官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首

     娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代爾將見

     女郎花(をみなへし) 秋萩交(あきはぎまじ)る 蘆城野(あしきのの) 今日(けふ)(はじ)めて 萬世(よろづよ)()

       妍哉女郎花 其與秋荻交爭艷 遍開蘆城野 始自今日翫其景 欲賞直至萬世後

      佚名 1530


1531 【承前。】

     珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 將忘八方

     玉櫛笥(たまくしげ) 蘆城川(あしきのかは)を 今日見(けふみ)ては 萬代迄(よろづよまで)に (わす)らえめやも

       珠匣玉櫛笥 太宰府邊蘆城川 今日見其景 餘韻不絕纏心頭 縱令萬代豈忘哉

      佚名 1531

         右二首,作者未詳。


1532 笠朝臣金村伊香山作歌二首

     草枕 客行人毛 徃觸者 爾保比奴倍久毛 開流芽子香聞

     草枕(くさまくら) 旅行人(たびゆくひと)も 行觸(ゆきふ)れば (にほ)ひぬべくも ()ける(はぎ)かも

       草枕在異地 漂泊他鄉旅行人 一旦徃觸者 艷色太過將匂染 如此盛開萩花哉

      笠金村 1532


1533 【承前。】

     伊香山 野邊爾開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念

     伊香山(いかごやま) 野邊(のへ)()きたる 萩見(はぎみ)れば (きみ)(いへ)なる 尾花(をばな)(おも)ほゆ

       淡海伊香山 野邊所咲萩花矣 見彼花開者 觸景生情發油然 思念君家尾花矣

      笠金村 1533


1534 石川朝臣老夫歌一首

     娘部志 秋芽子折禮 玉桙乃 道去裹跡 為乞兒

     女郎花(をみなへし) 秋萩折(あきはぎを)れれ 玉桙(たまほこ)の 道行(みちゆ)(づと)と ()はむ()(ため)

       當摘女郎花 復折秋萩納行囊 以為玉桙兮 道行羈旅裹土毛 獻予將乞娘子矣

      石川老夫 1534


1535 藤原宇合卿歌一首

     我背兒乎 何時曾且今登 待苗爾 於毛也者將見 秋風吹

     ()背子(せこ)を 何時(いつ)(いま)かと ()つなへに (おも)やは()えむ 秋風吹(あきのかぜふ)

       朝思暮所戀 引領盼吾兄子來 何時且今哉 焦待之間面將見 秋風吹報七夕至

      藤原宇合 1535


1536 緣達師歌一首

     暮相而 朝面羞 隱野乃 芽子者散去寸 黃葉早續也

     (よひ)()ひて 朝面無(あしたおもな)み 名張野(なばりの)の (はぎ)()りにき 黃葉早繼(もみちはやつ)

       昨夜渡春宵 朝日羞赧無顏對 隱兮名張野 荻花既散景色衰 還願紅葉早續之

      緣達師 1536


1537 山上臣憶良詠秋野花歌二首

     秋野爾 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 【其一。】

     秋野(あきのの)に ()きたる(はな)を 指折(およびを)り 搔數(かきかぞ)ふれば 七種花(ななくさのはな) 【其一。】

       蕭瑟秋野間 所咲妍花綴色彩 屈指細數之 娓娓道來一一筭 其花計有七種矣

      山上憶良 1537


1538 【承前。】

     芽之花 乎花葛花 瞿麥之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 【其二。】

     萩花(はぎのはな) 尾花葛花(をばなくずはな) 撫子花(なでしこのはな) 女郎花(をみなへし) 亦藤袴(またふぢばかま) 朝顏花(あさがほのはな) 【其二。】

       萩花秋之芽 芒草尾花又葛花 瞿麥石竹撫子花 嬌勝女郎花 復亦藤袴澤蘭花 五芒桔梗朝顏花

      山上憶良 1538


1539 天皇(聖武)御製歌二首

     秋日乃 穂田乎鴈之鳴 闇爾 夜之穂杼呂爾毛 鳴渡可聞

     秋日(あきのひ)の 穂田(ほた)(かり)がね (くら)けくに 夜時分(よのほどろ)にも 鳴渡(なきわた)るかも

       秋熟稔豐饒 晝苅穂田暮雁啼 六合沒闇間 夜之將更此時分 鳴渡大虛響終宵

      聖武天皇 1539


1540 【承前。】

     今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曾 色付丹來

     今朝朝明(けさのあさけ) (かり)音寒(ねさむ)く ()きしなへ 野邊淺茅(のへのあさぢ)そ 色付(いろづ)きにける

       今朝旦開時 鴈鳴淒涼音且寒 聞彼啼泣時 不覺野邊淺茅者 已然添色飾秋彩

      聖武天皇 1540


1541 大宰帥大伴(旅人)卿歌二首

     吾岳爾 棹壯鹿來鳴 先芽之 花嬬問爾 來鳴棹壯鹿

     ()(をか)に 小雄鹿來鳴(さをしかきな)く 初萩(はつはぎ)の 花妻問(はなつまど)ひに 來鳴(きな)小壯鹿(さをしか)

       吾岡丘陵間 小雄牡鹿步來鳴 蓋以初萩之 萩花擬妻喚彼睞 故而來鳴小壯鹿

      大伴旅人 1541


1542 【承前。】

     吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 將見人裳欲得

     ()(をか)の 秋萩花(あきはぎのはな) (かぜ)(いた)み ()るべくなりぬ ()(ひと)もがも

       吾岳丘陵間 秋萩之花盛一面 然恐風疾勁 懼彼萩花遭拂落 欲令人見散盡前

      大伴旅人 1542


1543 三原王歌一首

     秋露者 移爾有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者

     秋露(あきのつゆ)は (うつ)しにありけり 水鳥(みづどり)の 青葉山(あをばのやま)の 色付(いろづ)()れば

       凝甘秋露矣 蓋是捺移染料哉 濃綠水鳥兮 青葉之山今黃變 遍染火紅望眼簾

      三原王 1543


1544 湯原王七夕歌二首

     牽牛之 念座良武 從情 見吾辛苦 夜之更降去者

     彥星(ひこほし)の 思增(おもひま)すらむ (こころ)より ()我苦(われくる)し ()更往(ふけゆ)けば

       雖知古昔話 較於惻隱彥星情 見彼牽牛星 吾人心苦逢瀨短 哀惜宵去夜將更

      湯原王 1544


1545 【承前。】

     織女之 袖續三更之 五更者 河瀨之鶴者 不鳴友吉

     織女(たなばた)の 袖繼(そでつ)(よひ)の (あかとき)は 川瀨鶴(かはせのたづ)は ()かずとも()

       織女繼其袖 相寢纏綿此宵之 逢瀨後朝者 川瀨之鶴聞我訴 汝莫鳴啼急報曉

      湯原王 1545


1546 市原王七夕歌一首

     妹許登 吾去道乃 河有者 附目緘結跡 夜更降家類

     妹所(いもがり)と ()行道(ゆくみち)の (かは)()れば 付目結(つくめむす)ぶと ()()けにける

       欲往吾妹許 我所行道路途上 銀河阻其中 手結付目整楫間 不覺此夕夜將更

      市原王 1546


1547 藤原朝臣八束歌一首

     棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手爾將卷知布

     小雄鹿(さをしか)の (はぎ)貫置(ぬきおけ)る 露白玉(つゆのしらたま) 輙爾(あふさわ)に 誰人(たれのひと)かも ()()かむちふ

       見彼小雄鹿 貫置萩枝露白玉 晶瑩剔透耀含光 輒爾有所思 當贈誰人為手纏 形單影隻愁孤苦

      藤原八束 1547


1548 大伴坂上郎女晚芽子歌一首

     咲花毛 乎曾呂波猒 奧手有 長意爾 尚不如家里

     咲花(さくはな)も 早熟(をそろ)(いとはし) 晚芽(おくて)なる 長心(ながきこころ)に 尚及(なほし)かずけり

       縱令咲花矣 早熟性急令人厭 尚不及晚芽 遲咲妍花寄風情 長心靜待更添趣

      坂上郎女 1548


1549 典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿禰稻公跡見庄作歌一首

     射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麥花 總手折 吾者將去 寧樂人之為

     射目立(いめた)てて 跡見岡邊(とみのをかへ)の 撫子花(なでしこがはな) 莖手折(ふさたを)り (あれ)()ちて()く 奈良人(ならひと)(ため)

       屏息豎射目 匿身跡見岡邊之 瞿麥石竹撫子花 手折摘其莖 吾今取花將持去 奉為身居奈良人

      紀鹿人 1549


1550 湯原王鳴鹿歌一首

     秋芽之 落乃亂爾 呼立而 鳴奈流鹿之 音遙者

     秋萩(あきはぎ)の ()りの(まが)ひに 呼立(よびた)てて ()くなる鹿(しか)の 聲遙(こゑのはる)けさ

       芽花秋萩之 零落紛亂此地間 喚妻誘其立 雄鹿鳴啼猶泣血 蕭瑟之聲遙可聞

      湯原王 1550


1551 市原王歌一首

     待時而 落鍾禮能 雨零收 開朝香 山之將黃變

     時待(ときま)ちて ()れる時雨(しぐれ)の 雨止(あめや)みぬ ()けむ(あした)か 山黃變(やまのもみ)たむ

       待時而機熟 零落時雨降甘霖 且今雨已止 明日之朝晨曦時 山亦黃變織錦紅

      市原王 1551


1552 湯原王蟋蟀歌一首

     暮月夜 心毛思努爾 白露乃 置此庭爾 蟋蟀鳴毛

     夕月夜(ゆふづくよ) (こころ)(しの)に 白露(しらつゆ)の ()此庭(このには)に 蟋蟀鳴(こほろぎな)くも

       暮月晚夕夜 情意紊亂緒千頭 心煩悲物憂 白露降置此庭中 蟋蟀鳴兮聲蕭瑟

      湯原王 1552


1553 衛門大尉大伴宿禰稻公歌一首

     鍾禮能雨 無間零者 三笠山 木末歷 色附爾家里

     時雨雨(しぐれのあめ) 間無(まな)くし()れば 三笠山(みかさやま) 木末遍(こぬれあまね)く 色付(いろづ)きにけり

       以其時雨者 無間不斷常零故 御蓋三笠山 木末樹梢無餘處 一一變色著韓紅

      大伴稻公 1553


1554 大伴家持和歌一首 【承前。】

     皇之 御笠乃山能 秋黃葉 今日之鍾禮爾 散香過奈牟

     大君(おほきみ)の 三笠山(みかさのやま)の 秋黃葉(あきもみち) 今日時雨(けふのしぐれ)に ()りか()ぎなむ

       吾皇大君之 乘輿御蓋三笠山 山間秋黃葉 身受今日時雨摧 蓋將零落散盡哉

      大伴家持 1554


1555 安貴王歌一首

     秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母

     秋立(あきた)ちて 幾日(いくか)()らねば 此寢(このね)ぬる 朝明風(あさけのかぜ)は 手本寒(たもとさむ)しも

       自立秋以來 未經幾日時不遠 此寢甚好眠 朝明之風帶清冽 呼嘯秋意手腕寒

      安貴王 1555


1556 忌部首黑麻呂歌一首

     秋田苅 借蘆毛未 壞者 鴈鳴寒 霜毛置奴我二

     秋田刈(あきたか)る 假廬(かりいほ)(いま)だ (こほ)たねば (かり)音寒(ねさむ)し (しも)()きぬがに

       秋田苅熟穗 所設假廬仍外壞 立秋時不久 雁音已寒喚淒涼 凍霜將置訴蕭瑟

      忌部黑麻呂 1556


1557 故鄉豐浦寺之尼私房宴歌三首

     明日香河 逝迴丘之 秋芽子者 今日零雨爾 落香過奈牟

     明日香川(あすかがは) 行迴(ゆきみ)(をか)の 秋萩(あきはぎ)は 今日降(けふふ)(あめ)に ()りか()ぎなむ

       明日香之川 飛鳥河水所行迴 此岡秋萩者 今日雨降摧花落 蓋將凋零散盡歟

      丹比國人 1557

         右一首,丹比真人國人。


1558 【承前,第二。】

     鶉鳴 古鄉之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞

     鶉鳴(うづらな)く ()りにし(さと)の 秋萩(あきはぎ)を 思人共(おもふひとどち) 相見(あひみ)つるかも

       草深鶉鳥鳴 飛鳥舊京故鄉之 秋萩芽子矣 相思志同者與共 並見端翫賞其花

      沙彌尼 1558


1559 【承前,第三。】

     秋芽子者 盛過乎 徒爾 頭刺不插 還去牟跡哉

     秋萩(あきはぎ)は 盛過(さかりす)ぐるを (いたづら)に 髻首(かざし)()さず (かへ)りなむと()

       芽花秋萩者 盛華之時既已過 是以徒來訪 不為髻首不插頭 無為歸去別離哉

      沙彌尼 1559

         右二首,沙彌尼等。


1560 大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首

     妹目乎 始見之埼乃 秋芽子者 此月其呂波 落許須莫湯目

     (いも)()を 始見崎(みそめのさき)の 秋萩(あきはぎ)は 此月頃(このつきごろ)は ()りこす莫努(なゆめ)

       吾妹目睛兮 始見之崎秋萩者 欲令佳人觀 還冀今月此頃間 莫輙散華莫凋零

      坂上郎女 1560


1561 【承前。】

     吉名張乃 豬養山爾 伏鹿之 嬬呼音乎 聞之登聞思佐

     吉隱(よなばり)の 豬養山(ゐかひのやま)に 伏鹿(ふすしか)の 妻呼(つまよ)(こゑ)を ()くが(とも)しさ

       初瀨吉隱之 豬養山間伏鹿矣 切切啼高鳴 吾聞彼鹿喚妻聲 不覺稱羨怨獨寢

      坂上郎女 1561


1562 巫部麻蘇娘子鴈歌一首

     誰聞都 從此間鳴渡 鴈鳴乃 嬬呼音乃 乏知在乎

     誰聞(たれき)きつ ()鳴渡(なきわた)る (かり)()の 妻呼(つまよ)(こゑ)の (とも)しくもあるを

       誰人可曾聞 飛雁經此越鳴渡 所啼喚妻聲 吾聞彼聲響切切 不覺興感盼君來

      巫部麻蘇娘子 1562


1563 大伴家持和歌一首 【承前。】

     聞津哉登 妹之問勢流 鴈鳴者 真毛遠 雲隱奈利

     ()きつやと (いも)()はせる (かり)()は (まこと)(とほ)く 雲隱(くもがく)(なり)

       汝問可聞哉 鳴雁之音誠渺遠 十里霧之後 雲隱發鳴聲難辨 不知真心作何想

      大伴家持 1563


1564 日置長枝娘子歌一首

     秋付者 尾花我上爾 置露乃 應消毛吾者 所念香聞

     秋付(あきづ)けば 尾花(をばな)(うへ)に 置露(おくつゆ)の ()ぬべくも(あれ)は (おも)ほゆるかも

       每逢時值秋 尾花置露將消散 吾身猶水露 虛渺無常近毀滅 念君我心若刀割

      日置長枝娘子 1564


1565 大伴家持和歌一首 【承前。】

     吾屋戶乃 一村芽子乎 念兒爾 不令見殆 令散都類香聞

     ()宿(やど)の 一群萩(ひとむらはぎ)を (おも)()に ()せず(ほとほと) ()らしつるかも

       吾宿屋戶間 群簇秋萩芽子花 雖欲示伊人 未及令人翫見間 殆將零落盡消散

      大伴家持 1565


1566 大伴家持秋歌四首

     久堅之 雨間毛不置 雲隱 鳴曾去奈流 早田鴈之哭

     久方(ひさかた)の 雨間(あまま)()かず 雲隱(くもがく)り ()きそ()くなる 早稻田雁(わさだかり)()

       遙遙久方兮 頻雨綿綿無息時 雲隱匿鳴去 早稻田雁發聲泣 朦朧渺遠苅田音

      大伴家持 1566


1567 【承前,第二。】

     雲隱 鳴奈流鴈乃 去而將居 秋田之穗立 繁之所念

     雲隱(くもがく)り ()くなる(かり)の ()きて()む 秋田穗立(あきたのほたち) (しげ)くし(おも)ほゆ

       隱身匿雲後 啼鳴越虛飛雁者 去而將居之 秋田穗立繁所猶 吾念伊人頻如斯

      大伴家持 1567


1568 【承前,第三。】

     雨隱 情欝悒 出見者 春日山者 色付二家利

     雨隱(あまごも)り 心欝悒(こころいぶせ)み 出見(いでみ)れば 春日山(かすがのやま)は 色付(いろづ)きにけり

       避雨隱家中 此心不快情欝悒 出門望見者 寧樂奈良春日山 既染秋色織錦紅

      大伴家持 1568


1569 【承前,第四。】

     雨𣋠而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引

     雨晴(あめは)れて (きよ)()りたる 此月夜(このつくよ) 亦更(またさら)にして 雲莫棚引(くもなたなび)

       久盼雨方晴 清冽照臨此月夜 吾惜彼宵景 還願叢雲能識趣 莫更棚引遮明月

      大伴家持 1569

         右四首,天平八年丙子秋九月作。


1570 藤原朝臣八束歌二首

     此間在而 春日也何處 雨障 出而不行者 戀乍曾乎流

     此間在(ここにあり)て 春日(かすが)何處(いづち) 雨障(あまつつ)み ()でて()かねば ()ひつつそ()

       身居在此間 春日山者在何方 雨障囚屋內 閉門戶中不得出 唯有思慕盡終日

      藤原八束 1570


1571 【承前。】

     春日野爾 鍾禮零所見 明日從者 黃葉頭刺牟 高圓乃山

     春日野(かすがの)に 時雨降(しぐれふ)()ゆ 明日(あす)よりは 黃葉髻首(もみちかざ)さむ 高圓山(たかまとのやま)

       今見春日野 野間時雨降紛紛 蓋自明日起 紅葉髻首插頭飾 高圓山兮妝韓紅

      藤原八束 1571


1572 大伴家持白露歌一首

     吾屋戶乃 草花上之 白露乎 不令消而玉爾 貫物爾毛我

     ()宿(やど)の 尾花上(をばながうへ)の 白露(しらつゆ)を ()たずて(たま)に 貫物(ぬくもの)にもが

       吾庭屋戶間 尾花上白露矣 願汝莫易散 珠玉晶瑩更剔透 冀能貫之作數珠

      大伴家持 1572


1573 大伴利上歌一首

     秋之雨爾 所沾乍居者 雖賎 吾妹之屋戶志 所念香聞

     秋雨(あきのあめ)に ()れつつ()れば (いや)しけど 我妹(わぎも)宿(やど)し (おも)ほゆるかも

       秋雨降紛紛 萬物沾濡寂侘時 此心之所至 吾妹之宿雖卑賤 令人相思慕不止

      大伴利上 1573


1574 右大臣橘家宴歌七首 【七首第一。】

     雲上爾 鳴奈流鴈之 雖遠 君將相跡 手迴來津

     雲上(くものうへ)に ()くなる(かり)の (とほ)けども (きみ)()はむと 迂迴來(たもとりき)

       吾猶雲之上 所鳴越度飛雁矣 路途雖遙遠 為得拜眉與君逢 不辭曲折參來也

      高橋安麻呂 1574


1575 【承前,七首第二。】

     雲上爾 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黃變可毛

     雲上(くものうへ)に ()きつる(かり)の (さむ)きなへ 萩下葉(はぎのしたば)は 黃變(もみち)ぬるかも

       吾聞雲之上 鳴雁飛度虛空間 其聲實冽寒 不覺秋芽萩下葉 已然黃變染韓紅

      高橋安麻呂 1575

         右二首。【闕文。】


1576 【承前,七首第三。】

     此岳爾 小壯鹿履起 宇加埿良比 可聞可聞為良久 君故爾許曾

     此岡(このをか)に 雄鹿踏起(をしかふみおこ)し 竊狙(うかねら)ひ 左右(かもか)もすらく 君故(きみゆゑ)にこそ

       此崗丘之上 踏蹴以驚雄鹿起 竊狙望聲色 如此奮努所以者 皆為慕君思汝故

      巨曾倍津嶋 1576

         右一首,長門守巨曾倍朝臣津嶋。


1577 【承前,七首第四。】

     秋野之 草花我末乎 押靡而 來之久毛知久 相流君可聞

     秋野(あきのの)の 尾花(をばな)(うれ)を 押靡(おしな)べて ()しくも(しる)く ()へる(きみ)かも

       跋涉秋野間 押靡芒草尾花梢 翻山闢路來 不辭足勞有所報 得與君逢見紅顏

      阿倍蟲麻呂 1577


1578 【承前,七首第五。】

     今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付爾家類

     今朝鳴(けさな)きて ()きし(かり)() (さむ)みかも 此野淺茅(このののあさぢ) 色付(いろづ)きにける

       蓋以今朝聞 鳴行大空飛雁音 其聲冷冽故 此野淺茅上秋妝 始著暮色褪黃變

      阿倍蟲麻呂 1578

         右二首,阿倍朝臣蟲麻呂。


1579 【承前,七首第六。】

     朝扉開而 物念時爾 白露乃 置有秋芽子 所見喚雞本名

     朝戶開(あさとあ)けて 物思(ものおも)(とき)に 白露(しらつゆ)の ()ける秋萩(あきはぎ) ()えつつ故無(もとな)

       晨曦開朝戶 沉浸物念憂思時 瞥見白玉露 所置秋萩入眼簾 矇矓無由令人惱

      文馬養 1579


1580 【承前,七首第七。】

     棹壯鹿之 來立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎

     小壯鹿(さをしか)の 來立鳴(きたちな)()の 秋萩(あきはぎ)は 露霜負(つゆしもお)ひて ()りにし(もの)

       小壯牡雄鹿 來佇喚妻啼鳴響 野間秋荻矣 其芽子花負露霜 不堪凋零散去也

      文馬養 1580

         右二首,文忌寸馬養。

          天平十年戊寅秋八月廿日。


1581 橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首 【十一第一。】

     不手折而 落者惜常 我念之 秋黃葉乎 插頭鶴鴨

     手折(たを)らずて ()りなば()しと ()(おも)ひし 秋黃葉(あきのもみち)を 髻首(かざし)つるかも

       吾常有所思 紅葉當折直須折 不手折之間 飄散零落令人惜 故攀秋紅以髻首

      橘奈良麻呂 1581


1582 【承前,十一第二。】

     希將見 人爾令見跡 黃葉乎 手折曾我來師 雨零久仁

     (めづら)しき (ひと)()せむと 黃葉(もみちば)を 手折(たを)りそ()()し 雨降(あめのふ)らくに

       稀客遠方來 不亦樂乎我心歡 欲令其人見 故吾手折摘紅葉 縱令雨降不縮瑟

      橘奈良麻呂 1582

         右二首,橘朝臣奈良麻呂。


1583 【承前,十一第三。】

     黃葉乎 令落鍾禮爾 所沾而來而 君之黃葉乎 插頭鶴鴨

     黃葉(もみちば)を ()らす時雨(しぐれ)に ()れて()て (きみ)黃葉(もみち)を 髻首(かざし)つるかも

       秋紅葉舞散 摧落彼葉時雨零 君為所沾濡 冒雨所摘紅葉者 吾為髻首飾頭上

      久米女王 1583

         右一首,久米女王。


1584 【承前,十一第四。】

     希將見跡 吾念君者 秋山乃 始黃葉爾 似許曾有家禮

     (めづら)しと ()思君(おもふきみ)は 秋山(あきやま)の 初黃葉(はつもみちば)に ()てこそありけれ

       稀客難常見 吾人思暮所念君 奈良麻呂矣 汝猶秋山初紅葉 令人懷想見心懽

      長娘 1584

         右一首,長忌寸娘。


1585 【承前,十一第五。】

     平山乃 峯之黃葉 取者落 鍾禮能雨師 無間零良志

     奈良山(ならやま)の 嶺黃葉(みねのもみちば) ()れば()る 時雨雨(しぐれのあめ)し 間無(まな)()るらし

       踏平草木兮 奈良山風紅葉者 欲摘則先落 蓋是時雨之雨零 綿綿無間摧葉故

      縣犬養吉男 1585

         右一首,內舍人縣犬養宿禰吉男。


1586 【承前,十一第六。】

     黃葉乎 落卷惜見 手折來而 今夜插頭津 何物可將念

     黃葉(もみちば)を ()らまく()しみ 手折(たを)()て 今夜髻首(こよひかざし)つ (なに)(おも)はむ

       吾惜紅葉落 思其當折直須折 遂手摘來而 今夜插頭飾髻首 還復何思有念哉

      縣犬養持男 1586

         右一首,縣犬養宿禰持男。


1587 【承前,十一第七。】

     足引乃 山之黃葉 今夜毛加 浮去良武 山河之瀨爾

     足引(あしひき)の 山黃葉(やまのもみちば) 今夜(こよひ)もか 浮行(うかびゆ)くらむ 山川瀨(やまがはのせ)

       足曳勢險峻 山上錦織紅葉者 今夜闌靜時 亦當舞落流行去 遍染山川渲瀨紅

      大伴書持 1587

         右一首,大伴書持。


1588 【承前,十一第八。】

     平山乎 令丹黃葉 手折來而 今夜插頭都 落者雖落

     奈良山(ならやま)を (にほ)はす黃葉(もみち) 手折來(たをりき)て 今夜髻首(こよひかざし)つ ()らば()るとも

       蹢平草木兮 奈良山間萬葉紅 映山織朱錦 手折今夜來髻首 其後雖散不足惜

      三手代人名 1588

         右一首,三手代人名。


1589 【承前,十一第九。】

     露霜爾 逢有黃葉乎 手折來而 妹插頭都 後者落十方

     露霜(つゆしも)に ()へる黃葉(もみち)を 手折來(たをりき)て (いも)髻首(かざし)つ (のち)()るとも

       露霜降枝頭 置於梢上摧紅葉 吾今折彼枝 來令佳人髻其首 其後雖零不足惜

      秦許遍麻呂 1589

         右一首,秦許遍麻呂。


1590 【承前,十一第十。】

     十月 鍾禮爾相有 黃葉乃 吹者將落 風之隨

     十月(かみなづき) 時雨(しぐれ)()へる 黃葉(もみちば)の ()かば()りなむ 風隨(かぜのまにま)

       十月秋風疾 時雨驟降摧黃葉 舞落散凋零 今顧吾身亦如是 隨風飄蕩落紛紛

      大伴池主 1590

         右一首,大伴宿禰池主。


1591 【承前,十一十一。】

     黃葉乃 過麻久惜美 思共 遊今夜者 不開毛有奴香

     黃葉(もみちば)の ()ぎまく()しみ (おも)(どち) (あそ)今夜(こよひ)は ()けずもあらぬか

       志同道相合 並惜紅葉徒凋零 欲為細賞翫 今夜與共伴相遊 還願此宵天莫明

      大伴家持 1591

         右一首,內舍人大伴宿禰家持。
          以前,冬十月十七日,集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也。


1592 大伴坂上郎女竹田庄作歌二首

     然不有 五百代小田乎 苅亂 田蘆爾居者 京師所念

     (しか)()らぬ 五百代小田(いほしろをだ)を 刈亂(かりみだ)り 田廬(たぶせ)()れば (みやこ)(おも)ほゆ

       幅員不甚廣 五百代之小田間 秋收苅亂矣 身居田廬生息時 不覺思都浸慕情

      坂上郎女 1592


1593 【承前。】

     隱口乃 始瀨山者 色付奴 鍾禮乃雨者 零爾家良思母

     隱國(こもりく)の 泊瀨山(はつせのやま)は 色付(いろづ)きぬ 時雨雨(しぐれのあめ)は ()りにけらしも

       盆底隱國兮 長谷三輪泊瀨山 今始添秋色 蓋因時雨降紛紛 催熟紅葉化朱錦

      坂上郎女 1593

         右,天平十一年己卯秋九月作。


1594 佛前唱歌一首

     思具禮能雨 無間莫零 紅爾 丹保敝流山之 落卷惜毛

     時雨雨(しぐれのあめ) 間無(まな)莫降(なふ)りそ (くれなゐ)に (にほ)へる(やま)の ()らまく()しも

       時雨之雨矣 汝莫頻降繁如是 紛紛無間斷 吾憂染山化朱赭 紅葉凋散甚可惜

      佚名 1594

         右,冬十月,皇后宮之維摩講,終日供養大唐、高麗等種種音樂,爾乃唱此歌詞。彈琴者,市原王、忍坂王。【後賜姓大原真人赤麻呂也。】歌子者,田口朝臣家守、河邊朝臣東人、置始連長谷等十數人也。


1595 大伴宿禰像見歌一首 【○新古今1025。】
1596 大伴宿禰家持到娘子門作歌一首

     妹家之 門田乎見跡 打出來之 情毛知久 照月夜鴨

     (いも)(いへ)の 門田(かどた)()むと 打出來(うちでこ)し (こころ)(しる)く ()月夜(つくよ)かも

       欲見妹妻之 居家宅邸門田故 出門遠道來 此心此情有所應 今宵照月寔宜哉

      大伴家持 1596


1597 大伴宿禰家持秋歌三首

     秋野爾 開流秋芽子 秋風爾 靡流上爾 秋露置有

     秋野(あきのの)に ()ける秋萩(あきはぎ) 秋風(あきかぜ)に (なび)ける(うへ)に 秋露置(あきのつゆお)けり

       蕭瑟秋野間 所咲秋萩綴其彩 冷冽秋風拂 芽子之花受風靡 晶瑩秋露置稍上

      大伴家持 1597


1598 【承前。○新古今0333、和漢朗詠0333。】
1599 【承前。】

     狹尾壯鹿乃 胸別爾可毛 秋芽子乃 散過雞類 盛可毛行流

     小雄鹿(さをしか)の 胸別(むなわ)けに(かも) 秋萩(あきはぎ)の 散過(ちりす)ぎにける (さか)りかも()ぬる

       秋萩已凋零 散落一地是何因 蓋是雄鹿之 胸別押開闢路故 抑或盛過褪去哉

      大伴家持 1599

         右,天平十五年癸未秋八月,見物色作。


1600 內舍人石川朝臣廣成歌二首

     妻戀爾 鹿鳴山邊之 秋芽子者 露霜寒 盛須疑由君

     妻戀(つまごひ)に 鹿鳴(かな)山邊(やまへ)の 秋萩(あきはぎ)は 露霜寒(つゆしもさむ)み 盛過行(さかりすぎゆ)

       心戀慕其妻 鹿鳴啼泣山邊之 秋萩芽子者 置梢露霜凍寒故 盛過轉俄既凋逝

      石川廣成 1600


1601 【承前。】

     目頰布 君之家有 波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母

     (めづら)しき (きみ)(いへ)なる 花薄(はなすすき) ()(いづ)(あき)の ()ぐらく()しも

       愛也令人慕 君之屋戶宅邸間 所生花芒者 尾花出穗應風撓 其秋將過甚可惜

      石川廣成 1601


1602 大伴宿禰家持鹿鳴歌二首

     山妣姑乃 相響左右 妻戀爾 鹿鳴山邊爾 獨耳為手

     山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)(まで) 妻戀(つまごひ)に 鹿鳴(かな)山邊(やまへ)に (ひとり)のみして

       山彥妣姑之 木靈迴響之所如 鹿苦相思情 戀妻啼泣聲繚繞 獨佇山邊形影孤

      大伴家持 1602


1603 【承前。】

     頃者之 朝開爾聞者 足日木篦 山呼令響 狹尾壯鹿鳴哭

     此頃(このころ)の 朝明(あさけ)()けば 足引(あしひき)の 山呼響(やまよびとよ)め 小雄鹿鳴(さをしかな)くも

       近日此頃之 晨曦朝明豎耳者 足曳勢險峻 山中呼妻響繚繞 雄鹿鳴泣聲可聞

      大伴家持 1603

         右二首,天平十五年癸未八月十五日作。


1604 大原真人今城傷惜寧樂故鄉歌一首

     秋去者 春日山之 黃葉見流 寧樂乃京師乃 荒良久惜毛

     秋去(あきさ)れば 春日山(かすがのやま)の 黃葉見(もみちみ)る 奈良都(ならのみやこ)の ()るらく()しも

       每逢秋至者 得見春日山添色 視彼紅葉而 心惋寧樂奈良都 日漸荒廢甚憐惜

      大原今城 1604


1605 大伴宿禰家持歌一首

     高圓之 野邊乃秋芽子 此日之 曉露爾 開兼可聞

     高圓(たかまと)の 野邊秋萩(のへのあきはぎ) 此頃(このころ)の 曉露(あかときつゆ)に ()きにけむ(かも)

       寧樂高圓山 也邊所生秋萩者 比日此頃之 蓋以秋爽曉露摧 花開一片滿咲哉

      大伴家持 1605



秋相聞

1606 額田王思近江天皇作歌一首

     君待跡 吾戀居者 我屋戶乃 簾令動 秋之風吹

     君待(きみま)つと ()戀居(こひを)れば ()宿(やど)の 簾動(すだれうご)かし 秋風吹(あきのかぜふ)

       待君來幸者 吾慕居宿長相思 屋戶簾蟹動 以為所歡來訪矣 竟是秋風吹蕭瑟

      額田王 1606


1607 鏡王女作歌一首

     風乎谷 戀者乏 風乎谷 將來常思待者 何如將嘆

     (かぜ)をだに ()ふるは(とも)し (かぜ)をだに ()むとし()たば (なに)(なげ)かむ

       縱為風吹簾 長相戀慕令人羨 汝可戀所歡 得待風來有望者 何以憂愁何將歎

      鏡王女 1607


1608 弓削皇子御歌一首

     秋芽子之 上爾置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者

     秋萩(あきはぎ)の (うへ)()きたる 白露(しらつゆ)の ()かもしな(まし) ()ひつつ()らずは

       不若猶秋萩 葉上所置白露之 消散不留蹤 一了百了絕命緒 勝過苦戀愁斷腸

      弓削皇子 1608


1609 丹比真人歌一首 【名闕。】

     宇陀乃野之 秋芽子師弩藝 鳴鹿毛 妻爾戀樂苦 我者不益

     宇陀野(うだのの)の 秋萩凌(あきはぎしの)ぎ 鳴鹿(なくしか)も (つま)()ふらく (あれ)には()さじ

       縱令宇陀野 蹋破秋萩凌漫草 喚妻鳴鹿者 論諸慕人思妻情 豈勝吾人相思愁

      丹比真人 1609


1610 丹生女王贈大宰帥大伴卿歌一首

     高圓之 秋野上乃 瞿麥之花 丁壯香見 人之插頭師 瞿麥之花

     高圓(たかまと)の 秋野上(あきののうへ)の 撫子花(なでしこのはな) 衷若(うらわか)み 人髻首(ひとのかざ)しし 撫子花(なでしこのはな)

       寧樂高圓嶺 點落山間秋野上 所生石竹撫子花 以其丁稚故 伊人手折插頭上 髻首不離撫子花

      丹生女王 1610


1611 笠縫女王歌一首 【六人部王之女,母曰田形皇女也。】

     足日木乃 山下響 鳴鹿之 事乏可母 吾情都末

     足引(あしひき)の 山下響(やましたとよ)め 鳴鹿(なくしか)の 言羨(こととも)しかも ()心夫(こころつま)

       足曳是險峻 山麓之下亦響徹 鳴鹿呼妻聲 欲聞汝言猶鹿啼 吾心所寄夫君矣

      笠縫女王 1611


1612 石川賀係女郎歌一首

     神佐夫等 不許者不有 秋草乃 結之紐乎 解者悲哭

     (かむ)さぶと (いな)には(あら)ず 秋草(あきくさ)の (むす)びし(ひも)を ()くは(かな)しも

       非以禁業欲 齋戒不許汝願矣 吾念秋草兮 山盟海誓相結紐 一旦若解自悲哀

      石川賀係女郎 1612


1613 賀茂女王歌一首 【長屋王之女,母曰阿倍朝臣也。】

     秋野乎 旦徃鹿乃 跡毛奈久 念之君爾 相有今夜香

     秋野(あきのの)を 朝行(あさゆ)鹿(しか)の (あと)()く (おも)ひし(きみ)に ()へる今夜(こよひ)

       每逢朝旦時 鹿自秋野離隱去 徃山不知跡 念君猶鹿難捉摸 今夜終得相逢會

      賀茂女王 1613

         右歌,或云:「椋橋部女王作。」或云:「笠縫女王作。」


1614 遠江守櫻井王奉天皇聖武歌一首

     九月之 其始鴈乃 便爾毛 念心者 可聞來奴鴨

     九月(ながつき)の 其初雁(そのはつかり)の 便(たよ)りにも (おも)(こころ)は ()こえ()(かも)

       九月初雁現 吾見彼鴈摧鄉愁 欲寄書繫足 吾君念我御心者 似乎可不聞來哉

      櫻井王 1614


1615 天皇聖武賜報和御歌一首 【承前。】

     大浦之 其長濱爾 緣流浪 寛公乎 念比日【大浦者,遠江國之海濱名也。】

     大浦(おほのうら)の 其長濱(そのながはま)に ()する(なみ) (ゆた)けき(きみ)を (おも)此頃(このころ)大浦(おほのうら)は、遠江國海濱名也(とほたふみのくにのうみのはまのななり)。】

       猶若遠江之 大浦長濱沖津處 寄岸浪所如 寬裕風流宜舉止 所念君姿比日矣【大浦者,遠江國之海濱名也。】

      聖武天皇 1615


1616 笠女郎贈大伴宿禰家持歌一首

     每朝 吾見屋戶乃 瞿麥之 花爾毛君波 有許世奴香裳

     朝每(あさごと)に ()()宿(やど)の 撫子(なでしこ)の (はな)にも(きみ)は (あり)こせぬかも

       每日晨曦時 妾所望見屋戶間 瞿麥撫子花 還願相望彼石竹 是為吾君良人矣

      笠郎女 1616


1617 山口女王贈大伴宿禰家持歌一首

     秋芽子爾 置有露乃 風吹而 落淚者 留不勝都毛

     秋萩(あきはぎ)に ()きたる(つゆ)の 風吹(かぜふ)きて ()つる(なみた)は 留兼(とどめか)ねつも

       秋萩芽子上 所置露霜白雫矣 風吹即零下 吾人愴然落淚者 猶彼珠露無所止

      山口女王 1617


1618 湯原王贈娘子歌一首

     玉爾貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇禮和和良葉爾 置有白露

     (たま)()き ()たず(たば)らむ 秋萩(あきはぎ)の 末撓葉(うれわわらば)に ()ける白露(しらつゆ)

       願貫作珠玉 不令消散賜我身 秋荻芽子之 枝頭末梢撓葉上 所置白露誠剔透

      湯原王 1618


1619 大伴家持至姑坂上郎女竹田庄作歌一首

     玉桙乃 道者雖遠 愛哉師 妹乎相見爾 出而曾吾來之

     玉桙(たまほこ)の (みち)(とほ)けど ()しきやし (いも)相見(あひみ)に ()でてそ()()

       玉桙石柱兮 沿途行道路雖遠 欲與親親之 所愛吾妹一相見 不辭路遙吾來矣

      大伴家持 1619


1620 大伴坂上郎女和歌一首 【承前。】

     荒玉之 月立左右二 來不益者 夢西見乍 思曾吾勢思

     (あらた)まの 月立迄(つきたつまで)に 來坐(きま)さねば (いめ)にし()つつ (おも)ひそ()()

       日新月已異 直至新月已復始 汝仍未嘗來 故吾夜夢日所思 每宵慕會在邯鄲

      坂上郎女 1620

         右二首,天平十一年己卯秋八月作。


1621 巫部麻蘇娘子歌一首

     吾屋前之 芽子花咲有 見來益 今二日許 有者將落

     ()宿(やど)の 萩花咲(はぎはなさ)けり ()來坐(きま)せ 今二日許(いまふつかだみ) ()らば()りなむ

       吾宿屋庭中 秋萩芽子花正咲 務必來觀之 自今以降二日許 其花盛過將散矣

      巫部麻蘇娘子 1621


1622 大伴田村大孃與妹坂上大孃歌二首

     吾屋戶乃 秋之芽子開 夕影爾 今毛見師香 妹之光儀乎

     ()宿(やど)の 秋萩咲(あきのはぎさ)く 夕影(ゆふかげ)に (いま)()てしか (いも)姿(すがた)

       吾宿屋庭中 秋萩芽子花正咲 昏暗夕影間 誰彼不分矇矓時 今欲速見妹光儀

      田村大孃 1622


1623 【承前。】

     吾屋戶爾 黃變蝦手 每見 妹乎懸管 不戀日者無

     ()宿(やど)に 黃變楓(もみつかへるて) ()(ごと)に (いも)()けつつ ()ひぬ()()

       吾宿屋庭間 楓葉褪色黃變矣 每見彼楓紅 睹物思人催傷感 無日不慕吾妹矣

      田村大孃 1623


1624 坂上大娘秋稻蘰贈大伴宿禰家持歌一首

     吾之業有 早田之穂立 造有 蘰曾見乍 師弩波世吾背

     ()(なり)なる 早稻田穂立(わさだのほたち) (つく)りたる (かづら)()つつ (しの)はせ()()

       吾之御業矣 躬取早稻田穂立 所作秋穂蘰 還冀吾夫子觀之 端詳褒賞妾此藝

      坂上大孃 1624


1625 大伴宿禰家持報贈歌一首 【承前。】

     吾妹兒之 業跡造有 秋田 早穂乃蘰 雖見不飽可聞

     我妹子(わぎもこ)が (なり)(つく)れる 秋田(あきのた)の 早稻穂蘰(わさほのかづら) ()れど()かぬかも

       吾妻妹子之 天工巧業所作矣 秋穂蘰者也 觀彼秋田早稻穂蘰 賞翫百遍不厭倦

      大伴家持 1625


1626 又報脱著身衣贈家持歌一首 【承前。】

     秋風之 寒比日 下爾將服 妹之形見跡 可都毛思努播武

     秋風(あきかぜ)の (さむ)此頃(このころ) (した)()む (いも)形見(かたみ)と (かつ)(しの)はむ

       秋風吹蕭瑟 寒涼沁骨此頃矣 吾以妹形見 著在下衣貼肌身 聊慰且解相思苦

      大伴家持 1626

         右三首,天平十一年己卯秋九月徃來。


1627 大伴宿禰家持攀非時藤花并芽子黃葉二物,贈坂上大孃歌二首

     吾屋前之 非時藤之 目頰布 今毛見壯鹿 妹之咲容乎

     ()宿(やど)の (とき)じき(ふぢ)の (めづら)しく (いま)()てしか (いも)咲容(ゑまひ)

       吾庭屋戶間 非時藤浪狂咲矣 稀奇且珍貴 如彼藤浪令人憐 吾欲立見妹咲容

      大伴家持 1627


1628 【承前。】

     吾屋前之 芽子乃下葉者 秋風毛 未吹者 如此曾毛美照

     ()宿(やど)の 萩下葉(はぎのしたば)は 秋風(あきかぜ)も 未吹(いまだふ)かねば 如此(かく)黃葉(もみ)てる

       吾庭屋戶間 秋荻芽子下葉者 時分仍尚早 分明秋風未吹拂 何以紅葉織如此

      大伴家持 1628

         右二首,天平十二年庚辰夏六月徃來。


1629 大伴宿禰家持贈坂上大孃歌一首 【并短歌。】

     叮叮 物乎念者 將言為便 將為為便毛奈之 妹與吾 手攜而 旦者 庭爾出立 夕者 床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常爾有家類 足日木能 山鳥許曾婆 峯向爾 嬬問為云 打蟬乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曾痛 其故爾 情奈具夜登 高圓乃 山爾毛野爾母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 每見 益而所思 奈何為而 忘物曾 戀云物乎

     (ねもころ)に (もの)(おも)へば ()はむ(すべ) 為術(せむすべ)()し (いも)(あれ)と 手攜(てたづさ)はりて (あした)には (には)出立(いでた)ち (ゆふへ)には 床打拂(とこうちはら)ひ 白栲(しろたへ)の 袖差交(そでさしか)へて 小寢(さね)()や (つね)(あり)ける 足引(あしひき)の 山鳥(やまどり)こそば 峰向(をむか)ひに 妻問(つまど)ひすと()へ 空蟬(うつせみ)の (ひと)なる(あれ)や (なに)すとか 一日一夜(ひとひひとよ)も 離居(さかりゐ)て 嘆戀(なげきこ)ふらむ 此處思(ここおも)へば (むね)こそ(いた)き 其處故(そこゆゑ)に 心和(こころなぐ)やと 高圓(たかまと)の (やま)にも()にも 打行(うちゆ)きて 遊步(あそびある)けど (はな)のみに (にほ)ひて()れば ()(ごと)に ()して(しの)はゆ 如何(いか)にして (わす)るる(もの)そ (こひ)()(もの)

       叮嚀誠懇切 念茲在茲思物者 何以言無據 何以無措復無方 親親妹與吾 攜手相連與偕持 每逢朝晨時 出立庭中佇屋前 每逢夕暮時 打拂寢床去塵埃 素妙白栲兮 衣袖相交供纏綿 小寢相枕夜 豈曾恒常有之耶 足曳勢險峻 山鳥高飛徘徊者 雖隔巖峰在 得以越兮訪妻矣 空蟬憂世間 浮身匹夫我者矣 何以因孰故 縱令一日終一夜 離居相隔而 戀慕悲嘆不能止 每念於茲此處者 胸懷悲慟苦相思 以念其處故 欲慰吾心紓吾懷 寧樂高圓之 山間野間遍其地 策馬出行而 遊步其中迴山野 然望彼所者 唯有花咲匂一面 除此無他矣 每觀徒增相偲情 戀苦焦吾身 此憂如何能忘懷 所謂依戀此情哉

      大伴家持 1629


1630 反歌 【承前。】

     高圓之 野邊乃容花 面影爾 所見乍妹者 忘不勝裳

     高圓(たかまと)の 野邊顏花(のへのかほばな) 面影(おもかげ)に ()えつつ(いも)は (わす)()ねつも

       寧樂高圓之 野邊顏花之所如 一見其面影 倩容繚繞此胸中 吾妹豈能得忘懷

      大伴家持 1630


1631 大伴宿禰家持贈安倍女郎歌一首

     今造 久邇能京爾 秋夜乃 長爾獨 宿之苦左

     今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)に 秋夜(あきのよ)の (なが)きに一人(ひとり) ()るが(くる)しさ

       方今所造營 恭仁新都久邇京 孤居此宮地 獨耐秋夜長戚戚 隻身單寢心甚苦

      大伴家持 1631


1632 大伴宿禰家持從久邇京,贈留寧樂宅坂上大娘歌一首

     足日木乃 山邊爾居而 秋風之 日異吹者 妹乎之曾念

     足引(あしひき)の 山邊(やまへ)()りて 秋風(あきかぜ)の ()()()けば (いも)をしそ(おも)

       足曳勢險峻 山邊獨居形影單 其隨秋風之 日異增強拂冷冽 思妹之情更滿盈

      大伴家持 1632


1633 或者贈尼歌二首

     手母須麻爾 殖之芽子爾也 還者 雖見不飽 情將盡

     ()()まに ()ゑし(はぎ)にや (かへ)りては ()れども()かず 心盡(こころつ)くさむ

       忙碌無所休 手植秋萩芽子矣 以其情深故 百見不厭難捨離 哀悔痛心情將盡

      佚名 1633


1634 【承前。】

     衣手爾 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子

     衣手(ころもで)に 水澁付(みしぶつ)(まで) ()ゑし()を 引板我(ひきたわ)()へ (まも)れる(くる)

       衣袖沾漬濕 水澁垢付沁襟領 如此所植田 吾已疲於延引板 守之甚苦盡徒然

      佚名 1634


1635 尼作頭句,并大伴宿禰家持所誂尼,續末句等和歌一首

     佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎【尼作。】 苅流早飯者 獨奈流倍思【家持續。】

     佐保川(さほがは)の (みづ)堰上(せきあ)げて ()ゑし()尼作(あまつく)る。】 ()れる初飯(はついひ)は (ひとり)なるべし家持繼(やかもちつ)ぐ。】

       寧樂佐保川 堰上河水引渠間 如此植田者【尼作。】 所苅新嘗初飯矣 唯有獨享皆伶仃【家持續。】

      尼、大伴家持 1635



冬雜歌

1636 舍人娘子雪歌一首

     大口能 真神之原爾 零雪者 甚莫零 家母不有國

     大口(おほくち)の 真神原(まかみのはら)に 降雪(ふるゆき)は 甚莫降(いたくなふ)りそ (いへ)()()くに

       荒振大口兮 真神之原荒野間 紛紛零雪者 汝莫降甚積如此 親族家人不在矣

      舍人娘子 1636


1637 太上(元正)天皇御製歌一首

     波太須珠寸 尾花逆葺 黑木用 造有室者 迄萬代

     秦芒(はだすすき) 尾花逆葺(をばなさかふ)き 黑木以(くろきも)ち (つく)れる(むろ)は 萬代迄(よろづよまで)

       花薄秦芒兮 尾花逆葺敷屋脊 復用黑木而 所造社殿屋室者 當榮興盛至萬世

      元正天皇 1637


1638 天皇(聖武)御製歌一首

     青丹吉 奈良乃山有 黑木用 造有室者 雖居座不飽可聞

     青丹吉(あをによ)し 奈良山(ならのやま)なる 黑木以(くろきも)ち (つく)れる(むろ)は ()せど()かぬかも

       青丹良且秀 大和寧樂奈良山 取用其黑木 所造社殿屋室者 雖常居座不厭哉

      聖武天皇 1638


1639 大宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首

     沫雪 保杼呂保杼呂爾 零敷者 平城京師 所念可聞

     沫雪(あわゆき)の 斑斑(ほどろほどろ)に 降敷(ふりし)けば 奈良都(ならのみやこ)し (おも)ほゆるかも

       每見冬日之 沫雪紛紛降斑駁 積置碓漓者 便憶故鄉寧樂地 平城京師可怜矣

      大伴旅人 1639

         右,聞之,御在左大臣長屋王佐保宅肆宴御製。


1640 大宰帥大伴卿梅歌一首

     吾岳爾 盛開有 梅花 遺有雪乎 亂鶴鴨

     ()(をか)に (さか)りに()ける 梅花(うめのはな) (のこ)れる(ゆき)を (まが)へつる(かも)

       吾人岡岳間 盛開綻放梅花爾 白華綴斑駁 幾與殘雪難相辨 迷茫紛亂誑我眼

      大伴旅人 1640


1641 角朝臣廣辨雪梅歌一首

     沫雪爾 所落開有 梅花 君之許遣者 與曾倍弖牟可聞

     淡雪(あわゆき)に ()らえて()ける 梅花(うめのはな) 君所遣(きみがりや)らば (よそ)へてむ(かも)

       沫雪自天零 所降咲有梅花矣 若手折彼枝 贈諸君許為信者 蓋為人傳蜚語哉

      角廣辨 1641


1642 安倍朝臣奧道雪歌一首

     棚霧合 雪毛零奴可 梅花 不開之代爾 曾倍而谷將見

     棚霧(たなぎ)らひ (ゆき)()らぬか 梅花(うめのはな) ()かぬが(しろ)に ()へてだに()

       棚霧蔽眼界 漫天豪雪可降哉 梅花不開矣 欲見白雪降紛紛 擬作白梅以賞見

      安倍奧道 1642


1643 若櫻部朝臣君足雪歌一首

     天霧之 雪毛零奴可 灼然 此五柴爾 零卷乎將見

     天霧(あまぎ)らし (ゆき)()らぬか (いちしろ)く 此稜柴(このいつしば)に ()らまくを()

       天霧蔽眼界 漫天豪雪可降哉 顯著映灼然 欲見稜盛此柴原 降積敷置染皓白

      若櫻部君足 1643


1644 三野連石守梅歌一首

     引攀而 折者可落 梅花 袖爾古寸入津 染者雖染

     引攀(ひきよ)ぢて ()らば()るべみ 梅花(うめのはな) (そで)扱入(こき)れつ ()まば()むとも

       羸弱不禁風 伸手攀引折可落 暗香梅花矣 故以衣袖扱之入 縱染其色無所惜

      三野石守 1644


1645 巨勢朝臣宿奈麻呂雪歌一首

     吾屋前之 冬木乃上爾 零雪乎 梅花香常 打見都流香裳

     ()宿(やど)の 冬木上(ふゆきのうへ)に 降雪(ふるゆき)を 梅花(うめのはな)かと 打見(うちみ)つるかも

       吾宿屋戶前 冬木之上所積置 皓皓零雪矣 一眼望之見斑白 殆將誤見作梅花

      巨勢宿奈麻呂 1645


1646 小治田朝臣東麻呂雪歌一首

     夜干玉乃 今夜之雪爾 率所沾名 將開朝爾 消者惜家牟

     烏玉(ぬばたま)の 今夜雪(こよひのゆき)に 去來濡(いざぬ)れな ()けむ(あした)に ()なば()しけむ

        漆黑烏玉兮 今夜闌靜所零雪 去來為所沾 顧思明日朝晨時 消熔不復甚可惜

      小治田東麻呂 1646


1647 忌部首黑麻呂雪歌一首

     梅花 枝爾可散登 見左右二 風爾亂而 雪曾落久類

     梅花(うめのはな) (えだ)にか()ると ()(まで)に (かぜ)(みだ)れて (ゆき)降來(ふりく)

       瞥見其景者 猶似梅花自枝散 真假難辨奪 寔乃隨風飄紛亂 皓白零雪降來矣

      忌部黑麻呂 1647


1648 紀少鹿女郎梅歌一首

     十二月爾者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而

     師走(しはす)には 淡雪降(あわゆきふ)ると ()らねかも 梅花咲(うめのはなさ)く (ふふ)めらずして

       其蓋不知乎 每逢師走十二月 沫雪將零矣 梅花已然開一面 不待含苞急早咲

      紀少鹿女郎 1648


1649 大伴宿禰家持雪梅歌一首

     今日零之 雪爾競而 我屋前之 冬木梅者 花開二家里

     今日降(けふふ)りし (ゆき)(きほ)ひて ()宿(やど)の 冬木梅(ふゆきのうめ)は 花咲(はなさ)きにけり

       爭艷欲奪目 其與今日零雪競 吾人屋宿前 冬木之梅今綻放 咲花競雪開彌榮

      大伴家持 1649


1650 御在西池邊肆宴歌一首

     池邊乃 松之末葉爾 零雪者 五百重零敷 明日左倍母將見

     池邊(いけのへ)の 松末葉(まつのうらば)に ()(ゆき)は 五百重降敷(いほへふりし)け 明日(あす)さへも()

       池畔堤岸邊 松之末梢枝葉上 積降零雪矣 還願敷降五百重 明日仍欲復見矣

      佚名 1650

         右一首,作者未詳。但豎子阿倍朝臣蟲麻呂傳誦之。


1651 大伴坂上郎女歌一首

     沫雪乃 比日續而 如此落者 梅始花 散香過南

     沫雪(あわゆき)の 此頃繼(このころつ)ぎて 如此降(かくふ)らば 梅初花(うめのはつはな) ()りか()ぎなむ

       淡薄沫雪矣 比日以來常相續 如此紛降者 吾恐白梅初花之 為雪摧凌早散矣

      坂上郎女 1651


1652 他田廣津娘子梅歌一首

     梅花 折毛不折毛 見都禮杼母 今夜能花爾 尚不如家利

     梅花(うめのはな) ()りも()らずも ()つれども 今夜花(こよひのはな)に 尚及(なほし)かずけり

       暗香雪梅矣 無論折枝或不折 吾翫花雖多 然自往時所閱歷 尚無能及今夜者

      他田廣津娘子 1652


1653 縣犬養娘子依梅發思歌一首

     如今 心乎常爾 念有者 先咲花乃 地爾將落八方

     今如(いまのごと) (こころ)(つね)に (おも)へらば 先咲(まづさ)(はな)の (つち)()ちめやも

       若我情念者 思慕如今比金堅 悠悠無所易 可猶早春先咲梅 落地空成徒花哉

      縣犬養娘子 1653


1654 大伴坂上郎女雪歌一首

     松影乃 淺茅之上乃 白雪乎 不令消將置 言者可聞奈吉

     松蔭(まつかげ)の 淺茅上(あさぢのうへ)の 白雪(しらゆき)を ()たずて()かむ (こと)はかも()

       欲猶松蔭下 淺茅之上所積置 皓皓白雪矣 不令消熔存永遠 然歎世間無此事

      坂上郎女 1654



冬相聞

1655 三國真人人足歌一首

     高山之 菅葉之努藝 零雪之 消跡可曰毛 戀乃繁雞鳩

     高山(たかやま)の 菅葉侵(すがのはしの)ぎ 降雪(ふるゆき)の ()ぬとか()はも 戀繁(こひのしげ)けく

        足曳勢險峻 高山菅葉為所凌 降雪零紛紛 吾欲消融猶彼雪 不堪戀繁相思苦

      三國人足 1655


1656 大伴坂上郎女歌一首

     酒杯爾 梅花浮 念共 飲而後者 落去登母與之

     酒杯(さかづき)に 梅花浮(うめのはなう)かべ 思共(おもふどち) ()みての(のち)は ()りぬ共良(ともよ)

       舉杯注杜康 梅花浮盞甚風流 志同道合者 相飲與共盡歡愉 其後花落不足惜

      坂上郎女 1656


1657 和歌一首 【承前。】

     官爾毛 縱賜有 今夜耳 將欲酒可毛 散許須奈由米

     (つかさ)にも 許賜(ゆるしたま)へり 今夜(こよひ)のみ ()まむ(さけ)かも ()りこす勿努(なゆめ)

       酒雖官禁制 既得所司聽許矣 顧此銘醴者 豈唯今夜得飲乎 梅矣汝切莫輒散

      佚名 1657

         右,酒者官禁制稱,京中閭里不得集宴,但親親一二飲樂聽許者。緣此和人作此發句焉。


1658 (光明)皇后奉天皇(天武)御歌一首

     吾背兒與 二有見麻世波 幾許香 此零雪之 懽有麻思

     ()背子(せこ)と 二人見(ふたりみ)ませば 幾許(いくば)くか 此降雪(このふるゆき)の (うれ)しからまし

       若與吾兄子 出雙入對與共賞 一同相翫者 縱令此雪降幾許 此心懽愉無所倡

      光明皇后 1658


1659 他田廣津娘子歌一首

     真木乃於爾 零置有雪乃 敷布毛 所念可聞 佐夜問吾背

     真木上(まきのうへ)に 降置(ふりお)ける(ゆき)の 頻頻(しくし)くも (おも)ほゆるかも 小夜問(さよと)()()

       良材真木上 降置皓雪之所如 頻頻復重重 吾人思念情意重 吾夫今夜可幸哉

      他田廣津娘子 1659


1660 大伴宿禰駿河麻呂歌一首

     梅花 令落冬風 音耳 聞之吾妹乎 見良久志吉裳

     梅花(うめのはな) ()らす(あらし)の (おと)のみに ()きし我妹(わぎも)を ()らくし()しも

       風吹梅花落 無形勁嵐之所如 唯聞汝消息 久日不見吾妹矣 今日得逢甚歡愉

      大伴駿河麻呂 1660


1661 紀少鹿女郎歌一首

     久方乃 月夜乎清美 梅花 心開而 吾念有公

     久方(ひさかた)の 月夜(つくよ)(きよ)み 梅花(うめのはな) 心開(こころひら)けて ()(おも)へる(きみ)

       遙遙久方兮 月夜清明澈幽玄 暗香飄浮動 我開心胸若梅花 朝暮所念吾君矣

      紀少鹿女郎 1661


1662 大伴田村大娘與妹坂上大娘歌一首

     沫雪之 可消物乎 至今爾 流經者 妹爾相曾

     沫雪(あわゆき)の ()ぬべき(もの)を 今迄(いままで)に (なが)らへぬるは (いも)()はむとそ

       沫雪之所如 旦夕可消此命矣 何以苟殘喘 流連娑婆至於今 欲與妹君復逢也

      田村大孃 1662


1663 大伴宿禰家持歌一首

     沫雪乃 庭爾零敷 寒夜乎 手枕不纏 一香聞將宿

     沫雪(あわゆき)の (には)降敷(ふりし)き 寒夜(さむきよ)を 手枕纏(たまくらま)かず 一人(ひとり)かも()

       冰霜漫天零 沫雪降庭敷皓白 如此寒夜中 無有佳人纏手枕 唯當孤伶獨寢矣

      大伴家持 1663



真字萬葉集 卷第八 四時雜歌、四時相聞 終