新續古今和歌集 真名序
天成地定,人靈之文斯明。古徃今來,眾製之體屢改。若夫長歌、短歌之異,曲五字、七宇之同。工旋頭之有餘,混本之不足,雖以似分於步驟,皆莫不發諸性情。然而聲成文於五音,工寄肥於四序,彼句數之有合,實物理之自然。是以
出雲妻
之於前,
難波繼
之於後。美君德則有
富緒川之什
,和王怒則有
淺香山之時篇
。或
歌北藤於版築之中
,或
頌南橘於氏姓之始
。蓋三十一字之作,所以專盛而永傳也。
平城天子詔侍臣撰萬葉以來,集更二十,祀逾六百。雲箋霞蹈,則卷壓汗牛之書。絺句繪韋,則光奪抵鵠之玉。譬由孫陽執策,而群空冀北,郢匠提斤,而材盡山中。雖然言泉流於筆端,酌而不竭思,風發於胸次,仰而彌高。賸馥遺芳,方知霑被後世。青藍寒水,豈不潤色前修。古曰:「人丸既沒,和歌不在於茲乎。」信哉斯言。今國家膺中興之運,同上古之風,時有所恐焉。群莫不趨者,無貴無賤,要免牆面之譏;一唱一和,思繼齎載之美。
征夷大將軍源丞相稟左文右武之資,懋南征北伐之績。不啻服肱于元首,父母於黎民,又能回筆海之倒瀾,舉藝苑之墬緒。爰奏于朝言:「夫撰集者,文思之標幟。而今不作者已久矣。寧非明時之缺典乎?」由是,遂擇禁內便宜之殿,為和歌編撰之所。
延喜命四臣於芸閣,天曆置五人於梨壺。又元久於鳥羽離宮,文久於龜山仙洞,已落合符契,曷不資準的耶?仍詔中納言藤原朝臣雅世,專掌其事。論思獻納,夙夜在公。出入古今,取捨美惡。縱雖青天之窺管,果得無滄海之遺珠。凡歷六年,甫就一集。春夏秋冬之變,風雲草木之興,可以怨,可以群,可以美,可以敕。藻麗者、肅散者、嚴密者、行餘者,推而廣之,不可群悉。上挹三代之餘風,下貽千載之偉觀。故名曰新續古今和歌集者也。
永亨戊午八月下澣 謹序
一條兼良
新續古今和歌集 假名序
天成地定
あめなりつちさだま
りて
人諺始
ひとのことわざはじ
めて
興
おこ
り。
古往今來
いにしへゆきいまきた
りて、
國遊絕
くにのあそびた
えざる
中
なか
に、
和歌
やまとうた
は
八雲出雲其神
やくもいづものそのかみ
卅一字
みそもじあまりひともじ
を
結初
むすびそ
めしより
以來
このかた
、
世
よ
を
譽
ほ
め、
民
たみ
を
撫
な
で、
色
いろ
に
耽
ふけ
り、
心
こころ
を
述
の
ぶる
媒
なかだち
として、
此境
このさかひ
に
生
うま
れと
生
うま
れ、
我
わ
が
國
くに
に
來
きた
りと
來
きた
れる
人
ひと
、
貴
たか
きも
賤
いや
しきも、
賢
さか
しきも
愚
おろ
かなるも、
廣學遍翫
ひろくまなびあまねくもてあそ
ばずと
云
い
ふ
事無
ことな
し。
斯
か
かりければ、
楢葉之名
ならのはのな
に
負
お
ふ
帝
みかど
の『
萬葉集
まんえふしふ
』を
始
はじめ
として
永德
えいとく
の
賢
かしこ
かりし
御世
おほむよ
に
至
いた
る
迄
まで
、
公事
おほやけこと
に
擬
なずら
へて
撰集
えらびあつ
めらるる
跡
あと
、
廿一度
はたあまりひとつたび
になむなれりける。
此外
このほか
、
浦浦
うらうら
に
搔置
かきを
く
藻鹽草
もしほくさ
は
千箱數
ちはこのかず
よりも
多
おほ
く、
家家
いへいへ
に
積
つも
れる
言葉
ことのは
は
五車
いつのくるま
に
載
の
すとも
堪
たま
ふまじ。
然
しか
は
在
あ
れど、
心泉汲
こころのいづみく
めば
愈湧
いよいよわ
き、
辭林伐
ことばのはやしき
れば
益繁
ますますしげ
し。
花
はな
よりも
紅
くれなゐ
に、
藍
あゐ
よりも
青
あを
き
物
もの
は、
此歌道
このうたのみち
になむ
在
あり
ける。
此處
ここ
に
神
かみ
の
授
さづ
けし
國
くに
を
守
まも
り、
世
よ
を
承保
うけたも
つ
位
くらゐ
に
備
そな
はりて、
天下遍
あめがしたあまね
き
大御慈
おほむうつく
しみは
野為
のな
る
草木之蔭
くさきのかげ
よりも
繁
しげ
く、
雲上
くものうへ
明
あき
らけき
政
まつりごと
は
空行
そらゆ
く
月日之光
つきひのひかり
も
一
ひと
つにて、
唐土
もろこし
の
三皇五帝之道
みつのすべらぎいつのみかどのみち
を
興
おこ
しぬれば、
我
わ
が
八嶋四海
やしまよつのうみ
の
外迄
ほかまで
も
靡喜
なびきよろこ
ばずと
云
い
ふ
事無
ことな
し。
然
しか
のみ
為
な
らず、
左大臣
ひだりのおほいまうちぎみ
の
源朝臣
みなもとのあそん
、
蝦夷
えびす
を
平
たひ
らぐる
將司
いくさのきみのつかさ
を
兼
かねて
ねて、
梓弓
あづさゆみ
柳營
やなぎのいとな
み
繁謀
しげきはかり
を
帳内
とばりのうち
に
巡
めぐ
らし、
寇
あだ
を
千里外
ちとせのほか
に
退
しりぞ
くる
道迄
みちまで
統行
すべをこな
はれしかば、
龍田山
たつたやま
の
白浪
しらなみ
聲靜
こゑしづ
かにして
夜半關戶閉
よはのせきのとざ
す
事
こと
を
忘
わす
れ、
春日野烽火
かすがののとぶひ
影絕
かげた
えて
雪間若菜摘
ゆきまのわかなつ
むに
妨無
さまたげな
し。
斯
かく
るが
故
ゆゑ
に、
四方海山
よものうみやま
は
玆我
これわ
が
家也
いへなり
、
敷島道
しきしまのみち
廣時
きろきとき
を
知
し
らしめむと
思
おも
ひ、
千千春秋
ちちのはるあき
は
茲我
これわ
が
世也
よなり
、
葦原言葉永
あしはらのことのはなが
く
傳
つた
はらむ
事
こと
を
願
ねが
ふ。
茲
これ
に
因
よ
りて
延喜
えんぎ
に
藝閣之風香
うんかくのかぜかうば
しく、
天曆
てんりゃく
に
梨壺之蔭榮
なしつぼのかげさか
えし、
昔
むかし
を
慕
した
ふのみ
為
な
らず、
元久
げんきう
に
鳥羽之跡重
とばのあとかさ
なり、
文永
ぶんえい
に
龜山之齡久
かめやまのよはひひさ
しき
例
ためし
を
思召
おぼしめ
して、
權中納言
ごんちゅうなごん
藤原朝臣雅世
ふぢはらのあそんまさよ
に
仰
おほ
せて、
和歌浦浪
わかのうらのなみ
の
寄邊
よるべ
には
大内山松蔭
おほうちやまのまつのかげ
を
占
し
めつつ、
富緒川
とみのをがは
の
澄
す
み
濁
にご
れるを
別
わか
ち
三島江
みしまえ
の
惡善
あしよし
を
撰整
えらびととの
へしむ。
大凡
おほよそ
、
一人
ひとり
に
敕
ちょく
する
事
こと
、
石上古跡
いそのかみふるきあと
を
尋
たづ
ねるに、
皆
みな
、
時
とき
に
臨
のぞ
みて
其器物
そのうつはもの
を
撰ぶと
いへども、
世世
よよ
に
傳
つた
へて
其家
そのいへ
を
定
さだ
むる
事無
ことな
し。
所謂
いはゆる
『
後拾遺
ごしふゐ
』、『
金葉
きんえふ
』、『
詞花
しくわ
』、『
千載
せんざい
』
是也
これなり
。
然
しか
るに
前中納言定家卿
さきのちゅうなごんさだいへけい
始
はじ
めて、
垂乳根跡
たらちねのあと
を
繼
つ
ぎて『
新敕撰
しんちょくせん
』を
誌奉
しるしたてまつ
り。
前大納言為家卿
さきのだいなごんためいへけい
復三代
またみつのよ
に
傳
つた
へて『
續後撰
しょくごせん
』を
撰仕奉
えらびつかうまつり
しより
以來
このかた
、
蘆垣間
あしかきのま
近世
ちかきよ
に
至
いた
る
迄
まで
、
藤川
ふぢがは
の
一流
ひとつつながれ
に
相承
あひう
けて
家風
いへのかぜ
聲絕
こゑた
えず
辭花
ことばのはな
匂殘
にほひのこ
れり
然
しか
ば、
玆
これ
を
措
お
きて
外
ほか
に
求
もと
めざりけらし。
抑抑
そもそも
、
參議雅經卿
さんぎまさつねけい
は『
新古今
しんこきん
』
五人
いつたり
の
撰
えら
びに
加
くは
れる
上
うへ
、
此道
このみち
に
攜
たづさ
ひても
既
すで
に
七代
ななよ
に
過
す
ぎ、
其心
そのこころ
を
悟
さと
れる
事
こと
も
又一筋為
またひとすぢな
らざるにより、
殊更
ことさら
に
詔
みことのり
する
旨
むね
は、
誠
まこと
に
時到理適
ときいたりことわりかな
へる
事為
ことな
るべし。
大凡
おほよそ
六年春秋
むとせのはるあき
を
送迎
をくりむか
へて、
九重朝夕
ここのかさねのあさゆふ
に
出入
いでい
りつつ、
渚
なぎさ
に
寄
よ
する
白玉
しらたま
は
拾
ひろ
ひ、
遺恨
のこせるうらみ
も
無
な
く、
浪
なみ
に
洗
あら
ふ
錦
にしき
は
斷
た
ち
餘誹有
あませるそしりあ
らじと、
心及
こころのをよ
ぶ
所
ところ
、
遠求
とほくもと
め
廣集
ひろくあつ
むと
云
い
へども、
難波江
なにはえ
の
玉柏藻
たまかしはも
に
埋
うづも
れ、
逢坂山
あふさかのやま
の
石清水木隱
いはしみづこがく
れ
果
はつ
る
習
なら
ひ、
古
ふる
くも
無
な
きに
非
あら
ざれば、
今
いま
も
未知
まだし
らざる
所為
ところな
れど、
押
お
して
取撰
とりえら
べる
歌
うた
二千曲餘
ふたちぢあまり
、
廿卷
はたまき
、
號
なづ
けて『
新續古今和歌集
しんしょくこきんわかしふ
』と
云
い
へり。
花
はな
を
尋
たづ
ね、
郭公
ほととぎす
を
待
ま
ち、
紅葉
もみぢ
を
髻首
かざ
し、
雪
ゆき
を
眺
なが
むるより
始
はじ
めて、
君之御代
きみのみよ
を
祈
いの
り、
佛之御法
ほとけのみのり
を
尊
たふと
び、
都境
みやこのさかひ
に
別
わかれ
を
惜
をし
み、
磯浮寐
いそのうきね
に
夢
ゆめ
を
忍
しの
び、
又目
まため
に
見
み
えぬ
人
ひと
を
戀
こ
ひ、
或
ある
は
婀娜
あだ
なる
世
よ
を
悟
さと
り、
全
すべ
て
萬之草木鳥獸
よろづのくさきとりけだもの
に
寄
よ
せても
其志
そのこころざし
を
抒
の
べずと
云
い
ふ
事無
ことな
し。
然
しか
のみ
為
な
らず、
石清水
いはしみづ
の
深惠
ふかきめぐみ
を
たのみ、
春日山
かすがやま
の
高誓
たかきちかひ
を
仰
あふ
ぐに
至
いた
る
迄
まで
、
みな
時
とき
に
從
したが
ひ、
節
をり
に
觸
ふ
れたる
情為
なさけな
るべし。
時
とき
に
永享
えいきゃう
十年
八月
はづき
廿三日になむ
誌終
しるしをは
りぬる。
此集如是此度撰置
このしふかくこのたびえらびおか
ぬれば、
川竹世世
かはたけのよよ
の
露霜
つゆしも
を
重
かさ
ねても
其色變
そのいろかは
らず、
濱千鳥浪
はまちどりのなみの
立居
たちゐ
に
騷
さわ
ぎても
其跡久
そのあとひさ
しく
留
とどま
れらば、
淺香山奥
あさかやまのおく
に
入立
いりた
たむ
人
ひと
は
深道
ふかきみち
の
標
しるべ
と
喜
よろこ
び、
玉津島塵
たまつしまのちり
に
交
まじ
はれる
神
かみ
は
磨
みが
ける
光
ひかり
を
添
そ
へざらめ
哉
かも
。
一條兼良