敷島大和御言之歌は、其理天地開けしより起り、其姿久方神代より傳はれり。下照姫は玉御統之詞を研き、須佐之男命は八色雲之深志を述賜へり。卅一字を人之翫として、愛花羨鳥心中に動き、憐霞悲露思外に顯れずと云事無し。
磯城島大和御言之歌,其理興於天地初開,其姿傳自久方神代。下照姫研玉御統之詞、素戔嗚尊述八色雲之志。卅一字之詠,為人之賞翫。愛花羨鳥,莫不觸動心中。憐霞悲露,無不顯露思外。
洲に居る鶚の潔心に傚ひ、草に集く蟲の和聲を聞きても、此道長興遠廣まれり。譬へば風に漂ふ塵泥の高山と成り、岩を傳ふ苔雫の廣海に出たるが如し。古聖帝之世の治まれるを知り、民賑はへるを憐び賜ふ事、皆歌に依れるにや。
傚鶚鳥棲洲之潔心,聞鳴蟲集草之和聲,此道長興遠廣,源源不絕。譬猶飄風塵泥遂成高山,傳岩苔雫終出廣海。能知古聖帝治世憐賜賑民之事,皆依彼和歌矣。
今、我君天下治す事十二還の春秋になむ也にける。普き大慈しみ凝敷く花よりも薰しく、深き大惠清涼しき竹よりも繁し。道露を拂ふ詠人も長く畔を讓り、林風に嘯く賢輩も忽ち山を出る時と成れり。然のみ為らず、征夷大將軍、左大臣、片絲之紊れしを治め、蔭草之衰へしを興して、外には八隅を護り、内には萬諺を扶く。誠に君も臣も身を合はせたる折為るべし。
今,吾君御宇天下,已歷十二寒暑。大慈普罩,薰勝凝敷之花。大惠深邃,繁過清涼玉竹。拂道露之詠人,長讓畔之際至。嘯林風之賢輩,忽出山之時臨。然不只於此,征夷大將軍、左大臣、治片絲之紊,興蔭草之衰,外護八隅,内扶萬諺。誠君臣一心,戮力協心之秋矣。
玆に因りて權中納言藤原朝臣為重に仰せて、古より今に至る迄の歌を集撰ばしめ賜ふ。伊勢之海に拾ふ白玉は殘れる數少なく、難波御津に燒く藻鹽は搔餘せる跡も在るべからず。然は有れども、廣尋ね洽集めて奉らしむ。文治之賢代に皇太后宮大夫俊成詔を承りしより、延文之明時に至る迄、代代に撰置れたる敕撰、總て彼家より出でずと云ふ事無し。今世の推す所、人許す所、誠に道聖と謂ふべし。四時之翫より種種に至る迄、其數千歌廿卷と為り。號けて『新後拾遺和歌集』と云ふ。
因玆,仰權中納言藤原朝臣為重,集撰古今和歌。白玉拾於伊勢之海,所殘之數甚少。藻鹽燒于難波御津,搔餘之跡不在。雖然,廣尋洽集,謹奉不怠。文治之賢代,皇太后宮大夫俊成承詔以來,至於延文之明時為止,代代撰置之敕撰,皆總莫不出自彼家。今世所推,人之所許,誠謂道聖。自四時之翫,迄至種種,其數千歌,以為廿卷。號『新後拾遺和歌集』。
山井之澄流を汲み、白川之清跡を尋ねて、撰定めたる成るべし。小臣、八繼之代に仕へて、六十之齡に餘れり。三笠峯之松霜を累ね、佐保川之流波を湛めり。此處に元久攝政に嚴詔を被り、文永相府は重なれる跡を殘せり。此故に面墻之謗を忘れて、耽道之志を述べたり。永德二年三月廿八日になむ誌畢ける。如是集撰ばれぬれば、大内山之風萬年之聲を呼ばひ、和歌浦之松千歲之色を傳ふべしと云事然り。
汲山井之澄流,尋白川之清跡,兢兢業業,謹以撰定。小臣,仕歷八君之代,齡逾六十餘也。累三笠峯之松霜,湛佐保川之流波。於茲,被元久攝政之嚴詔,殘文永相府之重跡。此故,僭忘面墻之謗,而述耽道之志也。永德二年三月廿八日誌畢。如是集撰者,所謂大内山之風呼萬年之聲,和歌浦之松傳千歲之色。其言然也。
二條良基
漢譯:浦木裕
底本:國歌大觀『新後拾遺和歌集』