風雅和歌集 真名序

 夫和歌者,氣象充塞,乾坤意想,範圍宇宙。渾沌未刻,其理自存。
 人物既生,其製遂著。風雲草木之起於機感也,萬彙入雅興之端思,慮哀樂之發於意趣也。一心為諷喻之本。吟詠性情,美刺政教。
 難波津之什者天子之德也。聖人之風始被一朝。淺香山之辭者,采女之戲也。賢者之化,已及四方。
 倩憶吾朝之元由,自諧二南之餘祐者乎。而世迄人趣,淨華不知,和歌之實義偏,以為好色之媒。近代之弊,至於益巧益密惟,以綺麗彫刻為事,竊古語假艷詞,修飾而成之,還暗乎大本。或以鄙俚庸俗之語,直述拙意,不知風體所在。並以不足觀者也。
 淳風質朴情理之本,孰不據此。而暗於態度,而猥取之者,非述作之意。閑情巧辭,華麗之美,何以加旃。而牽於興味,而苟好之者,失雅正之體。又風采傚高古,難兼含蓄之情,句法欲精微,易入細碎之失。勤直則成怒張之氣,妖艷亦有懦弱之病。論其體裁,不遑毛舉。乃始文質,互備意句。共到者宜忌言得旨。豈假筆舌盡乎。
 總而謂之,不達其本源者,多溺彼末流焉。只須染志於古風,不可假步於邪徑者耶。二代集以後,得其意者,僅不過數輩。其或有昇堂不入室。況頃年以來哉。歎息有餘。為救此頹風,迥溫元久,故事適合風雅者,鳩集而成編。天下無可棄之言。故,博釆編自上古至當世集而錄之,命曰-風雅和歌集。
 惟握圖自推,運數脫蹤,不為神仙。猶雖有萬機涉諮詢,既而得三漏多間暇。刻復煙氣早收,春馬徒逸華山之風。霜刑不用秋茶,空朽草野之露。眾巧已興庶績方。雖片善而必舉傷一物之失所。故嗟此道久廢,俗流不分,渭所以有此撰。非偏採華詞麗藻,兮壯一時之觀;專欲舉正風雅訓,兮遺千載之美者也。

于時貞和二年十一月九日。慨立警策固記大綱云爾。

花園法皇


風雅和歌集 假名序

 大和歌やまとうたは、天地未開あめつちいまだひらけざるより其理自在そのことわりおのづからあり人之仕業定ひとのしわざさだまりてのち此道遂このみちつひあらはれたり。ときそしる、雲風くもかぜけてこころざしぶ、よろこびにうれへむかふ、花鳥はなとりもてあそびておもひをうごかす。言葉幽ことのはかすかにして旨深むねふかし。まこと人心ひとのこころただしつべし。したをしうへいさむ、即政之本すなはちまつりごとのもとる。難波津なにはづきみ諷歌そへしうた天下之風あめのしたのかぜけ、淺香山あさかやま采女戲うねめのたはぶれは四方民之心よものたみのこころやはらぐ。 大和言葉やまとことのはあさはかなるにたれども、周雅しうが深道ふかきみちひとしかるべし。斯故かるがゆゑ代代聖帝よよのはじりのみかどこれたまはず。えぬ鬼神之心おにかみのこころにもかよふは此歌也このうたなり

     夫和歌者,天地未開,其理自在。人業定後,此道遂顯。譽世誹時,寄託雲風,以敘其志。逢喜向愁,翫花愛鳥,以動思緒。言幽旨深。誠可以正人心。教下諫上,即成政之本也。難波津諷君什曲,可懸天下之風。淺香山采女戲作,能和四方民心。 雖似和語之淺,道均周雅之深。斯故,代代聖帝不捨之。能通無形鬼神之心者,此歌也。

 しかるを世降よくだり道衰行みちおとろへゆきしより、いたづらいろなかだちりて、くにをさむるわざらず。はむやまた近世ちかきよりて、四方事業廢よものことわざすたれ、真少まことすくな偽多いつはりおほりにければ、ひとへかざれる姿すがたたくみなる心馳こころばせをむねとして古風いにしへのかぜのこららず。あるひ古詞ふるきことば盜偽ぬすみいつはれるさま繕無うくろひなして、さら其本そのもとまどふ。またこころさきとすとのみりて、ひなびたる姿訛すがただみたる言葉ことのはにて思惟おもひみたる心許こころばかり言顯いひあらはす。ただしきこころすなほなることば古道也いにしへのみちなりまことこれるべしとへども、理迷ことわりまよひてひてまなばば、すなはいやしき姿すがたなりなむ。あでやかなるからだたくみなるこころすぐれならざるにあらず。本意もとつこころわすれてみだりこのまば、此道偏このみちひとへすたれぬべし。かれこれたがひまよひて、古道いにしへのみちにはあらず。あるひ姿高すがたたかからむとすれば其心足そのこころたらず、言葉細ことばこまやかれば其態賤そのさまいやし、あでやかなるは戲過たはれすぎ、つよきはなつかしからず。

     然以世降道衰,徒為好色之媒,不識治國之業。復言,時值近世,四方事業百廢不舉,誠少偽多。其旨輙偏矯飾之姿,馳騁巧詐之心,而古風不復存矣。或盜偽古詞,無繕其態,更惑其本。或僅重其趣,而文體鄙訛,惟顯思慮之情。正心淳詞者,古道也。雖云取當其之真,卻迷理強學,輙作姿賤。艷軆巧心,雖非不優。若忘本意,擅好狂妄者、此道偏廢矣。互迷彼此,絕非古道。或其姿甚高而其心不足,或言葉細瑣而其態甚賤。艷過於戲,語強懷闕,華而不實。

 すべこれふに、其理茂そのことわりしげき、言葉ことのはにて敘盡のべつくがたし。むねみづかさとりなむ。大凡おほよそ出雲八雲之色いづもやくものいろこころざしめ、和歌浦浪わかのうらなみくる人人ひとびとながれてのえずして、各思おのおのおもひ露光つゆひかりみがきてたまつらね、詞華匂ことばのはなにほひへてにしきるとのみ思合おもひあへるうちに、真心まことのこころ歌道うたのみちれるひと猶數少なほかずすくなくなむありける。難波蘆なにはのあし惡善あしよし別難わけがたく、片絲かたいと引引ひきびきにのみ爭合あらしひあひて濫交みだりがはしくりにけり。たれこれいたまざらむや。唯古姿ただふるきすがたしたひ、ただしきみちまなばばおのづから其堺そのさかひりぬべし。

     欲悉論之者,其理繁雜,一言難盡。惟得其旨,以自頓悟。大凡,染志出雲八雲之色,懸名和歌浦浪之人,傳世不絶,各顯思露之光,串聯精磨之玉,添匂詞華,編織成錦。思索推敲之內,能得真心,知曉歌道者,其數猶少。難波津之葦,善惡難別。牽引片絲,爭合濫交而已。誰不傷神哉。唯慕古姿,勉學正道,自入其堺矣。

 抑昔そもそもむかし天日嗣あまつひつぎけて、百敷內おもしきのうち繁事業しげきことわざ紛過まぎれすぐししを、いま塵外ちりのほか藐姑射山靜はこやのやましづかなる住居すまひめながら、猶天下萬政あめのしたよろづのまつりごときて、つと夜半よはぬる暇無いとまなし。しかるを此頃このごろ八埏亂やつのえんみだれしちりをさまりて野飼之駒のがひのこま取繋とりつながず、四方海荒よものうみあらかりしなみしづまりて船渡ふなわたしする貢物絕みつぎものたえずりにければ、萬道衰よろづのみちのおとろへ、四方事態よものことわざすたるるをなげく。

     抑昔,承天日嗣,日理萬機,今於塵外藐姑射山上,靜据住居,猶聞天下萬政,夙夜匪懈,無暇就寐。然而比來,八埏亂塵始治,野飼駒不復取繋,四方諸海,荒浪矣息。絡繹船渡,貢物無絕。世之國政既治,則有閒暇,以感文學萬道之衰,更歎四方事態之廢。

 これりて、元久昔跡げんきうのむかしのあとたづねて、ふるあたらしきことばき、こころかなふを、撰集えらびあつめて、廿卷はたまきり。なづけて『風雅和歌集ふうがわかしふ』とふ。これいろみ、なさけかれて、目前之興めのまへのおもしろみをのみおもふにあらず。ただしきならはし古道いにしへのみち末世すゑのよえずして、人惑ひとのまどひすくはむが為也ためなり

     由之,探尋元久昔跡,著目新詞舊句,撰集合志者為廿卷。號曰『風雅和歌集』。於茲,非惟徒念染色牽情目前之興。乃欲匡正風俗,致令古道,不絕於末世,以救蒼生之惑也。

 とき貞和二年ぢゃうわのふたとせ十一月九日しもつきのここのかになむ誌畢しるしをはりぬる。此度このたび如此撰置かくえらびおきぬれば、濱千鳥久はまちどりひさしきあととどめ、浦玉藻磨うらのたまもみがけるひかりのこして、葦原あしはらみだれぬかぜ代代よよ吹傳ふきつたへ、敷島しきしま正道ただしきみちたづねむ、後輦ちのともがらまよはぬしるべらざらめかも

     時值貞和二年十一月九日,歌集誌畢。此度如此撰置者,願令留濱千鳥之跡得久、浦玉藻磨之光永存,更致葦原草偃之風代代吹傳,可尋敷島之正道,善導後輩,不令迷途之圭臬哉。

花園法皇

漢譯:浦木裕
底本:國歌大觀『風雅和歌集』