久安百首 待賢門院堀川
1003
くれはてて いつくまてゆく としなれは よのまにけさは たちかへるらむ
1004 百首歌奉りける時、初春之心を詠める
雪深き 岩棧道 路絕ゆる 吉野里も 人は來にけり
1005 百首歌奉りける時、子日之心を詠める
常磐為る 松もや春を 知りぬらむ 初子を祝ふ 人に引かれて
1006
しもかれは あらはにみえし あしのやの こやのへたては かすみなりけり
1007
つららゐし いはまのなみも うちとけて ともにおとなふ たにのうぐひす
1008
ふえたけの ねくらにならす うぐひすは さへつるこゑも ことにやあるらむ
1009
ふきすくる かせにたくへと 梅花 にほひはそてに とまりぬるかな
1011
こしかたに かりきにけりと きこゆらむ かへるこゑこゑ くもゐへたてつ
1012
まつほとの ひさしきよりも さくらはな にほふさかりの かからましかは
1013 百首歌召しける時、春歌とて詠ませ賜ける
何方に 花咲きぬらむと 思ふより 四方山邊に 散る心哉
1014
はなさかぬ こすゑははるの いろなから さくらをわきて ふれるしらゆき
1015 百首歌奉りける時、詠める
白雲と 峯櫻は 見ゆれども 月光は 隔てざりけり
1016
みわのやま はなのさかりを たつねつつ とふひとしけき すきたてるかと
1017
やまかせに いはこすたきの しらなみと みゆるははなの ちるにそありける
1018
はなよりも あたなるみとは しりなから はるにこころを つくすへしやは
1019
きみかよの かさしにをらむ みちとせの はしめにさける もものはつはな
1020
やとちかき まかきのうちに さくをこそ つほすみれとは いふへかりけれ
1021
くもとみて いろをそたのむ かのきしの むかへるまつに かかるふちなみ
1022
なにのため くれゆくはるの をしからむ はなもにほはす うもれきのみに
1023
あかさりし はなのにほひは ほととぎす まつねさめにも わすれやはする
1024
ほととぎす くもゐをすくる ひとこゑは そらみみかとそ あやまたれける
1025
まつほとに おとりやはする ほととぎす かたらふこゑの あかぬなこりは
1026
ぬのさらす しつかかきねに さきましり あなうのはなや みこそわかれね
1027
やとことの つまにひかるる あやめくさ たかよとのにか ねはとまるらむ
1028
さみたれの ひをふるやとの みつのおもは みくさもとらぬ いけかとそみる
1029
まこもくさ たかせのよとに しけれとも すゑはもみえぬ さみたれのころ
1030
なつのよも つきのひかりの すすしさに やとれるしみつ むすはてそみる
1031
いろいろの はなにこころは そめしかと いまははちすの うへをこそおもへ
1032
みをすてて ひとかとたにも おもはぬを なににすかぬく みそきなるらむ
1033 百首歌奉りける時、秋立つ心を詠める
秋來る 氣色森の 下風に 立添ふ物は 哀也けり
1034 七夕之心を
七夕の 逢瀨絕えせぬ 天川 如何なる秋か 渡始めけむ
1035
かさねても あかぬおもひや まさるらむ けさたちかへる あまのはころも
1036
みやきのに あさたつしかも こころせよ もとあらのこはき はなさきにけり
1037
あきかせに なになひくらむ をみなへし ふけはかれゆく つまとしらすや
1038 崇德院に百首歌奉りける時、詠める
儚さを 我が身上に 比れば 袂に懸かる 秋夕露
1039
ふくかせも つゆもかはらぬ くさむらに なとかるかやの わきてみたるる
1040
あふさかの せきのすきはら つゆこめて たちともみえぬ ゆふかけのこま
1041
みつのおもに かきなかしたる たまつさは とわたるかりの かけにそありける
1042 百首歌奉りける時、詠める
然らぬだに 夕寂しき 山里の 霧籬に 牡鹿鳴く也
1043
ゆみはりの つきはいつとも わかねとも ひきかへてけり あきのけしきは
1044
つききよみ ちくさのはなの いろはえて ひかりをそふる つゆのしらたま
1045
すむかひも なきよなからの おもひいては うきくもかけぬ やまのはのつき
1046
ゆくつきの いかにめくれは あきのよの なかにこよひは てりまさるらむ
1047
くものなみ かけてもよると みえぬかな あたりをはらふ つきのみふねは
1048
あきふかく あまのかはみつ すみまさり なになかれたる つきのさやけさ
1049 百首歌奉りける時、月歌とて詠める
殘無く 我世更けぬと 思ふ間に 傾く月に 澄む心哉
1050
あきふかき ねさめをいかに なくさめむ ともなふむしの こゑもかれゆく
1051
たつたひめ もろこしまても かよへはや あきのこすゑの からにしきなる
1052
ゆくあきを をしむにさよの ふけぬれは ふゆのさかひに なりやしぬらむ
1053
あきはてて はなものこらぬ ませのうちに ひともときくの たくひなきかな
1054
かみなつき このはもしもに ふりはてて みねのあらしの おとそさひしき
1055
はれくもる しくれのそらを なかめても さためなきよそ おもひしらるる
1056
あしそよく しほかせさむみ かたきしの いりえにつたふ あちのむらとり
1057
ふるゆきに そののなよたけ をれふして けさはとなりの へたてなきかな
1058
まきのとの ひましらむとて あけたれは よふかくつもる ゆきにそありける
1059
さよふけて かへすしらへの ことのねも みにしみまさる あさくらのこゑ
1060
むかしなと としのをはりを いそきけむ すくれはおいと なりにけるかな
1061
やまかつの そとものまつも たててけり ちとせといはふ はるのむかへに
1062 久安百首歌奉けるに、戀歌
斯とだに 言はぬに繁き 亂蘆の 如何なる節に 知らせ初めまし
1063
たてなから かすのみつもる にしききの ともにわかなも くちぬへきかな
1064 久安百首歌奉けるに、戀歌
袖濡るる 山井清水 如何でかは 人目漏さで 影を見るべき
1065 百首歌奉りける時、戀歌とて詠める
荒磯の 岩に碎くる 浪為れや 由緣無き人に 懸くる心は
1066
わきかへり おもふこころは ありまやま たえぬなみたや いてゆなるらむ
1067 百首歌奉りける時、戀心を詠める
長からむ 心も知らず 黑髮の 亂れて今朝は 物をこそ思へ
君心實如何 不知可否亙長久 黑髮長紊亂 昨夜雲雨今朝別 吾心若髮亂如麻
1068
つれなさを いかにしのひて すくしけむ くれまつほとも たへぬこころに
1069 久安百首歌奉ける戀歌
夢如 見しは人にも 語らぬに 如何に違へて 逢はぬ成るらむ
1070
うたかひし こころのうらの まさしさは とはぬにつけて まつそしらるる
1071 百首歌奉りける時、戀歌とて詠める
憂き人を 忍ぶべしとは 思ひきや 我が心さへ 何ど變るらむ
1072
あはぬまは うらのはまゆふ うらみつつ かくことのはを ゆめにたにみす
1073
まちわひて いくよなよなを あかすらむ しきのはねかき かすしらぬまて
1074
たのめすは うきみのとかと なけきつつ ひとのこころを うらみさらまし
1075
ゆめはかり おもはぬひとは かへにおふる いつまてくさの いつまてかみむ
1076
ささかにの いかさまにかは うらむへき かきたえぬるも ひとのとかかは
1077
ひとにのみ すみつくそてを かさねつつ こふるしるしも きみはしらしな
1078
わすれにし ひとはなこりも みえねとも おもかけのみそ たちもはなれぬ
1079
ふかくのみ ちきりしことを おもひてに おとはしてまし やまかはのみつ
1080 百首歌奉りける時、戀歌とて詠める
逢世無き 歎積る 苦しさを 問へかし人の 懲果つる迄
1081
あひみても こころはかりは かよひちの おとにききても あはれしらなむ
1082
いはしみつ なかれのすゑそ たのまるる こころもゆかぬ みくつなれとも
1083
いろいろに うきみをいのる ぬさなれは たむくるかみも いかかみるらむ
1084
きみかよは えたもうこかす まつかせに ひさしきことを しらふなるかな
1085
わたつうみの のりにたとふる はなさきて やほよろつよは きみそかそへむ
1086
あまをふね あみたにこころ かけつれは にしのきしには うけやひくらむ
1087
みなひとの みちひかるなり はすのいとを たたひとすちに たよりてそふる
1088
なかきよに まよふさはりの くもはれて つきのみかほを みるよしもかな
1089
なほさりに たをりしはなの ひとえたに さとりひらくる みとそなるへき
1090
ふたつなき たまをこめたる もとゆひの とくことかたき のりとこそきけ
1091
ゆめのよを おとろきなから みるほとは たたまほろしの ここちこそすれ
1092
あさつゆは きえてもくれに むすふめり なほたまのをそ はかなかりける
1093
ゆくひとも をしむなみたも ととめかね わするなとたに えこそいはれね
1094 百首歌召しける時、旅歌とて詠ませ賜うける
途次 心も空に 眺遣る 都山の 雲隱れぬる
1095 崇德院に奉ける百首に、旅歌
故鄉に 同雲居の 月を見ば 旅空をや 思出らん
1096
しのふへき みやこならねと しかすかの わたりもやらす あはれなるかな
1097
たひのそら おのつからとや おもふらむ やとかりかねの ちかくきこゆる
1098
はかなくも これをたひねと おもふかな いつこもかりの やととこそきけ
1099 百首歌奉りける時の隱題歌、蟋蟀
秋は霧 霧過ぎぬれば 雪降りて 晴るる間も無き 深山邊里
1100
きみかため むれてきたるな むしろたの つるのけころも ちよをかさねて
01101 同御時百首歌奉りける時の長歌
時知らぬ 谷埋木 朽果てて 昔春の 戀しさに 何の文目も 別かずのみ 變らぬ月の 影見ても 時雨に濡るる 袖浦に 潮垂增さる 海人衣 哀を掛けて 問ふ人も 波に漂ふ 釣舟の 漕離れにし 世為れども 君に心を 懸けしより 繁憂も 忘草 忘れ顏にて 住江の 松千歲の 遙遙と 梢遙かに 榮ゆべき 常磐陰を 賴むにも 名草濱の 慰さみて 布留社の 石上に 色深からで 忘れにし 紅葉下葉 殘るやと 老蘇森に 尋ぬれど 今は嵐に 伉つつ 霜枯枯に 衰へて 搔集めたる 水莖に 淺心の 隱無く 流れての名を 鴛鴦の 憂例にや 成らむとすらむ