久安百首 藤原公能
春【廿首】
0101 題不知
難波潟 入江冰 解けにけり 蘆間を別けて 春や立つらむ
0102 題不知
夜を籠めて 若菜摘みにと いそく間に 遙かに過ぎぬ 荻燒原
0103 題不知
結置きし 谷冰も 鶯の 初音も今朝は 打解けにけり
0104 崇德院に百首歌奉りける時、詠侍ける
梅花 折りて簪に 插しつれば 衣に落つる 雪かとぞ見る
0105 題不知
鏡山 姿も見えず 春霞 八重棚引ける 今日景色に
0106 題不知
咲染むる 花を見捨てて 如何為れば 心も空に 歸る雁音
0107 題不知
雁音に 春歸れどや 玉章を 付けけむ人は 契置きけむ
0108 題不知
何時しかと 咲きに蓋しな 鶯や 枝に籠れる 花誘ふらむ
0109 題不知
朝夙 鳴く鶯に 誘はれて 心にも有らぬ 花を見る哉
0110 題不知
杉村も 名のみ成りけり 三輪山 花をや春の 印とは見む
0111 題不知
名告らねど 匂ひに記し 朝倉や 木丸とのに 咲ける櫻は
0112 題不知
紀國や 有馬村に 坐す神に 手向る花は 散らしとぞ思ふ
0113 題不知
吹風を 厭はでを見む 此春は 中中散らぬ 花も有やと
0114 題不知
白雲は 四方山邊に 棚引て 絕間も見えぬ 花盛か
0115 題不知
花散る 度に心の 碎くれば 文無く春の 怨めしき哉
0116 題不知
吹風に 甚亂れぬる 我宿の 五本柳 折りてこそ見め
0117 題不知
梔子に 匂染めける 山吹に 如何に言ひでか 蛙鳴くらむ
0118 題不知
見る度に 爰に居てとぞ いはれける 八重山吹の 花盛は
0119 百首歌奉りける時、詠侍ける
年經れど 變らぬ松を 賴みてや 懸初めけむ 池藤浪
0120 題不知
聲立てて 嘆げど歸らぬ 春故に 心をさへも 盡くしつる哉
夏【十首】
0121 題不知
心をば 春に染むれど 夏衣も 今日脫換へつ 人目重ると
0122 題不知
千早振る 今日御生の 葵草 心に懸けて 年ぞ經にける
0123 題不知
時鳥 待つ夜數を 雲居にて 名告るし今朝と 思はましかは
0124 題不知
覺束無 誰杣山の 時鳥 尋ふに名告らで 過ぎぬなる哉
0125 題不知
石神の 衷にを問はむ 此暮に 山霍公鳥 聞くや聞かずや
0126 題不知
郭公 然こそは忍ぶ 聲為らめ 音羽里に 音だにも為よ
0127 題不知
霍公鳥 鳴かで過ぎにし 年も無し 中中復で 聞かむと思へば
0128 題不知
卯花の 垣根續きに 咲きぬれば 水白川の 關路也けり
0129 題不知
人每に 尋ねて引けは 隱沼に 生ふる菖蒲も 甲斐無かりけり
0130 百首歌奉りける時、冰室歌とて詠侍ける
邊りさへ 凉しかりけり 冰室山 任する水の 凍るのみかは
秋【廿首】
0131 題不知
何時しかと 今朝吹風の 身に沁みて 秋色にも 成りにける哉
0132 題不知
天川 霧立籠めよ 彥星の 歸る朝の 道見えぬ迄
0133 百首歌召しける時、月歌とて詠ませ賜うける
小夜更けて 富士高嶺に 澄む月は 烟許や 曇るなるらむ
0134 題不知
出るより 入る迄月を 眺むれは 程無かりけり 秋夜為れど
0135 題不知
玉櫛笥 二見浦の 月影は 明方にこそ 澄渡りけれ
0136 題不知
見る度に 心に入れる 月為れば 西山へと 思ひしも為じ
0137 題不知
秋夜の 木本照す 月影に 小倉山も 名のみ也けり
0138 題不知
雲無み 暫し長けぞ 天川 夜渡る月の 御舟指す程
0139 題不知
下葉迄 數も隱れず 難波潟 蘆夜每に 澄める月影
0140 題不知
燈すれば 雲間隱れに 待たれつつ 空賴めする 夜半月影
0141 題不知
織果てぬ 錦とぞ見る 我宿に 色付始むる 端立枝は
0142 題不知
色色に 移ふ菊の 上露は 斑濃に染むる 玉かとぞ見る
0143 題不知
花薄 人も不來野の 名を知らで 誰招くらむ 秋夕暮
0144 題不知
玉響も 風に知られし 花薄 露貫掛くる 今朝景色を
0145 題不知
鹿名と 云ふにも著し 小萩原 花中にも 聲聞ゆ為る
0146 題不知
小壯鹿も 獨伏見の 里にては 物寂しとや 鳴飽かずらむ
0147 題不知
女郎花 露衣を 襲著て 何化野に 戲伏すらむ
0148 題不知
神樂岡 吹舞風の 傳每に 古過越ゆる 鈴蟲聲
0149 百首歌奉りける時、詠侍ける
夜を重ね 聲弱り行く 蟲音に 秋暮ぬる 程を知る哉
0150 題不知
飽かざりし 人に別れし 時よりも 秋暮こそ 久しかりけれ
冬【十首】
0151 百首歌召しける時、初冬之心を詠ませ賜うける
樣樣の 草葉も今は 霜枯れぬ 野邊より冬は 立ちて來つらむ
0152 題不知
草葉に 結びし露の 今朝見れば 何時しか霜に 成にける哉
0153 題不知
時雨する 夜半に木葉の 散時は 音は孰と 判れやはする
0154 題不知
冬夜は 十編菅薦 冴冴て 獨伏せやそ 甚寂しき
0155 題不知
風に散る 花かとぞ見る 空冴えて 斑斑に 降れる白雪
0156 題不知
日を經つつ 積れる雪に 隱ろへぬ 名のみ成りけり あさふりの橋
0157 百首歌奉りける時、初冬歌詠侍ける
初霜や 置始むらむ 曉の 鐘聲こそ 且聞こゆなれ
0158 題不知
白浪に 聲打添ふる 友千鳥 群れてぞ渡る 浦傳ひすと
0159 題不知
如何許 深契を 鴛鴦の 冴ゆる浮寢に 羽交すらむ
0160 題不知
經る年は 今宵許に 成りにけり 明けは祝の 言葉遇得
戀【廿首】
0161 題不知
下紐は 解けずば解けず 小夜衣 其移香に 沁む身と欲得
0162 久安百首歌奉ける、戀歌
手に取りて 搖く玉緒 絕えざりし 人許だに 逢見てしかな
0163 題不知
鳴海潟 潮干に置ける 網為れや 目には掛かりて 逢はぬ戀する
0164 題不知
名にし負はば 君打解けよ 近江路の 篠小吹雪 忍忍に
0165 題不知
戀路には 唯一方に 入りにしを 何處へ迷ふ 心為るらむ
0166 崇德院に百首歌奉りける時
我が戀は 千木片削 難くのみ 行逢はで年の 積りぬる哉
0167 百首歌奉りける時、戀歌とて詠める
大方の 戀する人に 聞慣れて 世常のとや 君思ふらむ
0168 題不知
潛きする 伊勢をの海士も 如是や有らむ 潮垂れにけり 戀淚に
0169 題不知
人知れぬ 戀は如何なる 色為れば 心に深く 思始めけむ
0170 題不知
轉寢に 微睡程の 夢許 逢ふや此世の 慰みに為む
0171 題不知
後世の 世を思へば 戀しなし 然りとて君も 情掛けしを
0172 題不知
契置きし 事は忍ぶや 如何にとも 逢夜無ければ 問はでこそ振れ
0173 題不知
戀しさに 絕えぬ命と 君聞きて 情けを掛けば 惜しからしかし
0174 題不知
逢見むと 契し事を 賴みつつ 松に命を 掛けてこそ經れ
0175 題不知
熟と 落つる淚に 數知らず 逢見ぬ夜半の 積りぬる哉
0176 題不知
心こそ 千千に碎くれ 逢見むと 忍ぶる人は 獨為れとも
0177 題不知
燒物の 燻ゆる思火を 飽かざりし 其移香に 餘所へてぞ振る
0178 題不知
人は去來 我は忘れず 吳竹の 其夜許の は節無かりき
0179 題不知
小夜衣 露隔ては 無けれども 身を分けてこそ 入ら真欲けれ
神祇【二首】
0180 題不知
春日山 神に祈れる 言葉は 待つ程も猶 賴もしき哉
0181 題不知
家風 絕えずも渡れ 神風や 御裳濯川に 心染めてき
慶賀【二首】
0182 題不知
君返へむ 事は子日の 小松原 小高く成りて 花咲かむ迄
0183 題不知
此君と 云ふ莫も著く 吳竹の 代代經む迄も 賴みてを見む
釋教【五首】
0184 題不知
潔き 法を保ちて 世に澄まば 月と共にや 西へ行くべき
0185 題不知
唐衣 裁ちこそ著たれ 先世に 罪累なれる 身にし有らねば
0186 題不知
世間を 厭ふ餘りに 鳥音も 聞えぬ山の 麓にぞ住む
0187 題不知
春花 求めし事も 秋夜の 月も眺めし 誠為らねば
0188 題不知
一筋に 賴むとを知れ 君に我 引かれば法の 道に入りなむ
無常【二首】
0189 題不知
世間は 早瀨に落る 水沫の 程無く消ゆる 例にも見る
0190 題不知
我獨 逃るべき世と 思ひせば 年積るも 嘆かざらまし
離別【一首】
0191 題不知
朝夕に 著慣れし夜半の 唐衣 立別るるは 悲しかりけり
羈旅【五首】
0192 題不知
船止めて 見れば江島の 松枝に 白きを後に 掛くる白浪
0193 題不知
道を知る 駒無かりせば 行慣れぬ 旅空にや 日を暮さまじ
0194 題不知
栞して 見えじ山路も 夕去れば 猶辿らるる 物にぞ有ける
0195 題不知
住慣れし 宿事のみ 面影に 朝立つ旅の 草枕哉
0196 百首歌召しける時、旅歌とて詠ませ賜うける
花咲きし 野邊草葉も 霜枯ぬ 是にてぞ知る 旅日數は
物名【二首】
0197 久安百首歌に、燻物
大井川 下す筏の 隙ぞ無き 落來る瀧も 長閑けからねば
0198 一人
徹夜 君を待間は 思侘び 鳥鳴くにも 餘所にやは聞く
短歌【一首】
0199 久安百首歌奉りける時中歌。
山邊の 跡も隔てぬ 身為れども 此人數に 入りしより 花香とても 忘られず 月秋にも 思出て 心に掛けぬ 時も無く 和歌浦浪 打出て 甲斐無かるべき 言葉の 皆恥かしの 森に吹く 風聞えを 包めども 昆陽池水 言出て 軈てや皆は 猶惜しく 思餘りに 搔集むる 海人藻屑の 末世に 殘留りて 見む人の 謗らむ事も 憚からず 百歌數を 貫ねつる哉