久安百首 崇德院
春【廿首】
0001 題不知
淺綠 八重霞や 二歲の 行交空の 隔て為るらむ
0002 題不知
子日すと 春野每に 尋れば 松に引かるる 心地こそすれ
0003 題不知
賤女が 筐知るべく 日を積めど 未だ衷若菜 手にし溜らず
0004 百首歌めしける時、梅歌とて詠ませ賜ひける
春夜は 吹舞ふ風の 移香に 木每に梅と 思ひける哉
0005 題不知
大方の 色をば言はし 梅花 香をも徒には 散らさざらなむ
0006 百首歌中に
嵐吹く 岸柳の 稻筵 織敷く浪に 任せてぞ見る
0007 題不知
鶯の 鳴くべき程に 成行けば 然も非ぬ鳥も 耳にこそ立て
0008 題不知
春每に 高きに移る 鶯や 位山の 有栖なるらむ
0009 題不知
山里は 谷古巢の 近ければ 出さ入さに 鶯ぞ鳴く
0010 題不知
押並て 花匂し 等しくは 宿外をば 尋ねざらまし
0011 百首歌召しける時、春歌
山高み 磐根櫻 散時は 天羽衣 撫づるとぞ見る
0012 題不知
事為らば 然てこそ散らめ 櫻花 惜まぬ人も 有らじと思へば
0013 題不知
理や 嵐山に 咲花は 心長閑に 匂はざるらむ
0014 題不知
田子浦 岩根に掛かる 藤浪は 滿來る潮の 聲をかるらむ
0015 題不知
老いぬれば 若紫に 餝されて 藤にも松は 懸かりける哉
0016 題不知
暗部山 木下蔭の 岩躑躅 唯茲のみや 光為るらむ
0017 題不知
山吹の 花緣に 文無くも 井手里人 睦ましき哉
0018 題不知
春過ぎば 岸山吹 のこらじを 賴蔭とて 蛙鳴く也
0019 百首歌召しける時、暮春之心を詠ませ賜うける
花は根に 鳥は古巢に 返る也 春泊を 知人ぞ無き
0020 百首歌召しける時、春歌とて詠ませ賜ける
朝夕に 花待つ頃は 思寢の 夢中にぞ 咲始めける
夏【十首】
0021 題不知
累著し 袖一重に 變るにも 定無き世ぞ 思知らるる
0022 題不知
御生には 誰かは掛けぬ 如何許 廣惠の 逢見為るらむ
0023 題不知
時鳥 鳴きつる杜の 一枝は 飽かぬ名殘の 形見也けり
0024 題不知
志 深き淺きを 時鳥 兆顯せて 聲を聞かせよ
0025 題不知
隱沼に 何時かと待ちし 菖蒲草 今日は引きます 物にぞ有ける
0026 百首歌召しける時、花橘歌とて詠ませ賜うける
五月雨に 花橘の 薰る夜は 月澄む秋も 然も有らば有れ
0027 題不知
五月山 弓末振立て 燈火に 鹿や文無く 目を逢はすらむ
0028 百首歌中に、鵜川之心を詠ませ賜うける
早瀨川 澪溯る 鵜飼舟 先此世にも 如何苦しき
0029 題不知
紫陽花の 四枚山に 見えつるは 葉越月の 影にや在るらむ
0030 題不知
諸人の 禊數を 川瀨に 流るる麻
の 程にてぞ知る
秋【廿首】
0031 百首歌に、初秋之心を
何時しかと 荻葉向の 方よりに そそや秋とぞ 風も聞ゆる
0032 百首歌召しける時
天川 安瀨浪も 噎ぶらむ 年待渡る 鵲橋
0033 百首歌中に七夕之心を詠ませ賜うける
七夕に 花染衣 褪貸せば 曉露の 返す也けり
0034 題不知
道もせに 誰が居りしける 錦めも えぞ白菅の 真野萩原
0035 題不知
顯れて 蟲のみ音には 尋れども 女郎花にぞ 露は零るれ
0036 題不知
秋立ちて 野每に匂ふ 藤袴 中踏む鹿や 非為るらむ
0037 題不知
情無き かりこの耳に 小壯鹿の 今宵聲を 如何で聞かせむ
0038 題不知
雁音の 書連ねたる 玉章を 絕絕にけつ 今朝朝霧
0039 題不知
秋來れば 思悲しも 秋月夜 殘多かる 景色なる哉
0040 題不知
惜みかね 入りぬる夜半の 月為れど 猶俤は 留置きけり
0041 題不知
月清み 萬木之森に 居る鷺の 佇ずは餘所に 如何で若まし
0042 百首歌召しける時、月歌とて詠ませ賜うける
玉寄する 浦迴風に 空晴て 光をかはす 秋夜月
0043 題不知
月皆 天川瀨に 立たねども 何顯はれて 澄める月哉
0044 題不知
只管に 厭ひも果てじ 斯許の 月を保てる 此世也けり
0045 題不知
秋為れど 有明月は 夏月の 望よりも見る 程無かりけり
0046 題不知
星とのみ 紛へる菊の 馨るかは 空薰物の 心地こそすれ
0047 題不知
初春の 梅をだにこそ 求めしか 思へば今は 一つ此花
0048 題不知
入日射す 豐旗雲に 別兼ねつ 高天山の 峰紅葉
0049 題不知
高瀨舟 檝振立てよ 大井川 岸紅葉を 如何過ぐべき
0050 百首歌めしける時、九月盡之心を詠ませ賜うける
紅葉の 散行く方を 尋ぬれば 秋も嵐の 聲のみぞする
冬【十首】
0051 百首歌召しける時、初冬之心を詠ませ賜うける
隙も無く 散る紅葉に 埋もれて 庭景色も 冬籠りけり
0052 題不知
木枯に 紅葉散りぬる 山巡り 何を時雨の 染めむとすらむ
0053 百首歌召しける時、冰歌とて詠ませ給うける
冰柱居て 磨ける影の 見ゆる哉 誠に今や 玉川水
0054 百首歌召しける時、詠ませ賜うける
此頃の 鴛鴦浮寢ぞ 哀なる 上羽霜よ 下冰よ
0055 題不知
夜を寒み 心づからや 鳴く千鳥 己が羽風に 結ぶ冰を
0056 百首歌召しける時
御狩する 交野御野に 降霰 甚切囂未き 鳥もこそ立て
0057 百首歌中に、雪歌とて詠ませ賜うける
夜を籠めて 谷扉に 風寒み 豫ねてぞ著き 嶺初雪
0058 題不知
飽かず見る 竹末葉の 白雪に 小羽打振る莫 集く群鳥
0059 題不知
晴ぬれど 枝も撓に 時雨しを 木下蔭は 猶雪ぞ降る
0060 題不知
春來ぬと 埴生小屋も 染めくなり 齡も繰るる 顧はせで
戀【廿首】
0061 百首歌召しける序に
武藏鐙 踏みだにも見ぬ 物故に 何に心を 懸始めけむ
0062 百首歌召しける時
愚にぞ 言葉為らば 成りぬべき 言はでや君に 袖を見せまし
0063 題不知
床上に 絕えず淚は 漲れと 阿武隈川と 為らばこそ有らめ
0064 百首歌召しける時
前世の 契有りけむ と許も 身を替へてこそ 人に知られめ
0065 題不知
紅に 淚色は 深けれど 淺ましき迄 人由緣無き
0066 題不知
哀云ふ 嘆情も 懸かりなば 其をたに袖の 乾く間に為む
0067 題不知
命には 替へて逢見むと 思へども 馴れて別れは 惜からじやは
0068 題不知
如何で如何で 嘆きを積みし 報ひとて 逢見て後に 人を詫びしむ
0069 題不知
鷂鷹の 逸らしも果てず 引据ゑて 假初にだに 逢見てしかな
0070 題不知
我妹子か 思探るに 從はで 戀は上無き 物にぞ有ける
0071 題不知
根は深く 思初めてき 奧山の 岩も小菅の 菅は無けれど
0072 題不知
君をだにも 人傳ならで 貶めば 我身之咎も 嬉しからまし
0073 題不知
戀戀て 賴むる今日の 吳織 生憎に待つ 程そ久しき
0074 題不知
大海の 思ひし深き 潮合は 今朝立歸る 淚也けり
0075 題不知
唐衣 襲ねし夜半の 手枕に 付きける皺を 形見にぞ見る
0076 題不知
行惱み 岩に塞かるる 谿川の 割れても末に 逢むとぞ思ふ
0077 題不知
領巾振りし 松浦山の 乙女子も 厭われ許 思ひけむ哉
0078 題不知
我戀は 斧柄朽ちし 人為れや 逢はで七世も 過ぎぬべき哉
0079 題不知
戀しなば 鳥とも成りて 君が棲む 宿梢に 塒定めむ
0080 百首歌召しける時、戀歌とて詠ませ賜うける
歎く間に 鏡影も 衰へぬ 契し事の 變るのみかは
神祇【二首】
0081 題不知
闇中に 和幣を懸けし 神遊び 明星よりや 明始めにけむ
0082 百首歌召しける時、神祇歌とて詠ませ賜うける
道邊の 塵に光を 和げて 神も佛の 名告り也けり
慶賀【二首】
0083 百首歌召しける時、祝之心を詠ませ賜うける
吹風も 木木之枝をば 鳴らさねど 山は久しき 聲ぞ聞ゆる
0084 題不知
龜遊ぶ 入江松に 濡る鶴は 道よ重ぬる 物にぞ有ける
釋教【五首】
0085 方便品。若有聞法者,無一不成佛。
一度も 聞きし御法を 種として 佛身とぞ 誰も成りぬる
0086 安樂行品。於無量劫中乃至名字。
名をだにも 聞かぬ御法を 保つとて 如何で契を 結置きけむ
0087 壽量品。常在靈鷲山。
世間に 猶有明の 盡きせずと 解けば心の 闇ぞ晴れぬる
0088 百首歌召しける時、普門品、弘誓深如海之心を詠ませ賜うける
誓をば 千尋海に 喻ふ也 露も賴まぬ 數に入りなむ
0089 心經。色即是空,空即是色。
押並て 虛と說ける 法無くは 色に心や 染果てなまし
無常【二首】
0090 題不知
搔闇し 雨降る庭の 泡沫の 別樣程無き 世とは知らずや
0091 題不知
儚さは 外にも言はじ 百歌の 其人數は 足らす成りにき
先年既列百首,人數未終,六儀詞藻之輩,或依暮齡類朝露,或雖紅顏歸黃壤,浮生驗眼慨然攪淚。故詠之。
離別【一首】
0092 題不知
瀛津浪 立別るとも 音に聞く 長井浦に 船止めす莫
羈旅【五首】
0093 題不知
都出て 幾日に成りぬ 東路の 野原篠原 露も茂みみに
0094 題不知
岩根の 凝しく山を 越來れば 我が黑駒は 來に成りにけり
0095 題不知
海人棲む 濱藻屑を 取敷きて 爰に留ると 妹知らめやは
0096 百首歌召しける時、旅歌とて詠ませ賜うける
狩衣 袖淚に 宿る夜は 月も旅寢の 心地こそすれ
0097 百首歌召しける時、旅歌とて詠ませ賜うける
松根の 枕も何か 徒為らむ 玉床とて 常床かは
物名【二首】
0098 庭柳
積みしれる 人や住むらむ 川瀨には やな切捨てて 網目も見ず
0099 下野花
插櫛も 告げの葉無くて 吾妹子が 夕占卜を 問ひぞわづらふ
短歌【一首】
0100 百首歌召しける時、詠ませ賜うける
敷島や 和歌の 傳はりを 聞けば遙かに 久方の 天津神代に 始まりて 三十文字餘り 一文字は 出雲宮の 八雲より 興けるとぞ 誌るすなる 其より後は 百種の 言葉繁く 散散に 風に告けつつ 聞ゆれど 近例に 堀河の 流を汲みて 碎浪の 寄來る人に 誂へて 拙き事は 濱千鳥 跡を末迄 留めじと 思ひながらも 津國の 難波浦の 何と無く 舟流石に 此事を 忍習し 名殘にて 世人聞きは 恥しの 洩りをや為むと 思へども 心にも非ず 書連ねつる