古今和歌集 卷十六 哀傷歌
0829 妹の身罷りける時詠みける
泣く淚 雨と降らなむ 渡川 水增さりなば 歸來るがに
喪妹之時所詠
願此悲泣淚 能化豪雨降三途 冀渡川水漲 不得越水赴冥途 歸來現世遏吾悲
小野篁朝臣 829
0830 前太政大臣を、白河邊りに送りける夜詠める
血淚 落ちてぞ激つ 白河は 君が世迄の 名にこそ有けれ
送前太政大臣藤原良房殯至白河邊之夜所詠
血淚落滂沱 激濺令河染血紅 所謂白河者 其名僅存君在世 君歿盡化朱淚色
素性法師 830
0831 堀河太政大臣、身罷りにける時に、深草山に斂めてける後に詠みける
空蟬は 蛻を見つつも 慰めつ 深草山 煙だに立て
堀河太政大臣藤原基經薨時,斂深草山後所詠
空蟬憂世渺 得見蛻殼心稍慰 願見彼遺骸 還冀深草山發煙 令吾仰見慰此情
僧都勝延 831
0832 堀河太政大臣、身罷りにける時に、深草山に斂めてける後に詠みける
深草の 野邊櫻し 心有らば 今年ばかりは 墨染めに咲け
堀河太政大臣藤原基經薨時,斂深草山後所詠
深草山野邊 所棲櫻花若有知 還願限今年 所咲花色作墨染 一同服喪共哀戚
上野岑雄 832
0833 藤原敏行朝臣の身罷りにける時に、詠みて彼家に遣はしける
寢ても見ゆ 寢でも見えけり 大方は 空蟬の世ぞ 夢には有ける
藤原敏行朝臣喪時,詠歌遣贈彼家
寢則夢形姿 寤則方寸浮形影 然顧思現實 空蟬憂世此浮生 豈非渺然夢一場
紀友則 833
0834 相知れりける人の身罷りにければ詠める
夢とこそ 云ふべかりけれ 世中に 現在る物と 思ひける哉
相交親好之人喪而詠
人云此世間 浮生虛渺夢一場 然迄一人喪 無思此世作實在 時值今日徒虛空
紀貫之 834
0835 相知れりける人の身罷りにける時に詠める
寢るが中に 見るをのみやは 夢と云はむ 儚なき世をも 現とは見ず
相交親好之人喪時所詠
唯有沉眠中 所見之物謂夢乎 於吾非如此 此世飄邈無久長 豈得視之作現實
壬生忠岑 835
0836 姊の身罷りにける時に詠める
瀨を堰けば 淵と成ても 淀みけり 別れを止むる 柵ぞ無き
喪姊之時所詠
川瀨雖湍急 堰之能止化淀淵 然思故人者 豈有柵能攔逝者 阻之不令往他界
壬生忠岑 836
0837 藤原忠房が昔相知りて侍ける人の身罷りにける時に、弔ひに遣はすとて詠める
先發たぬ 悔いの八千度 悲しきは 流るる水の 歸來ぬ也
藤原忠房昔日親好女子喪時,遣使弔之而詠
恨己不先發 思故哀悔八千度 所以悲哀者 逝者若水如斯夫 一去永劫不復返
閑院 837
0838 紀友則が身罷りにける時詠める
明日知らぬ 我が身と思へど 暮れぬ間の 今日は人こそ 悲しかりけれ
紀友則喪時所詠
時至明日者 孰知我身將何如 然在生暮間 今日悲汝撒手去 無暇顧念此餘事
紀貫之 838
0839 紀友則が身罷りにける時詠める
時しもあれ 秋やは人の 別るべき 在を見るだに 戀しき物を
紀友則喪時所詠
四季皆有時 何奈永別在愁秋 秋日催心涼 慕懷故人逝異界 哀默更促此心淒
壬生忠岑 839
0840 母が思ひにて詠める
神無月 時雨に濡るる 紅葉は 唯侘人の 袂也けり
服母喪時所詠
神無十月間 紅葉遭逢時雨濡 此實侘人我 悲嘆不己血淚流 紅染袂袖濕衣襟
凡河內躬恒 840
0841 父が思ひにて詠める
藤衣 解るる絲は 詫人の 淚玉の 緒とぞ成ける
服父喪時所詠
服喪日已久 藤衣喪服今襤褸 崩縷解絮者 此是取詫人淚玉 貫作悲珠哀愁緒
壬生忠岑 841
0842 思ひに侍りける年の秋、山寺へ罷りける道にて詠める
朝露の 晚稻の山田 假初に 憂世中を 思ひぬる哉
服喪之年秋,出罷山寺,於途中所詠
朝露置晚稻 農夫刈稻山田間 吾思憂世中 不過假初俄一瞬 虛無飄渺皆無常
紀貫之 842
0843 思ひに侍りける人を弔ひに罷りて詠める
墨染めの 君が袂は 雲是れ哉 絕えず淚の 雨とのみ降る
前去弔問服喪之人時所詠
君袂墨染者 可是烏玉黑雲哉 何以作此想 悲淚不絕若雨降 涕泣不斷零紛紛
壬生忠岑 843
0844 女の親の思ひにて山寺に侍りけるを、或人の弔遣はせりければ、返事に詠める
足引の 山邊に今は 墨染の 衣袖は 乾時も無し
身居山寺,服妻之親喪時,或人遣使來弔,返答所詠
足引峻山邊 我今初住服親喪 身著墨染衣 每為淚零所濕濡 沾襟悲莫有乾時
佚名 844
0845 諒闇の年、池畔の花を見て詠める
水面に 沉く花色 爽にも 君が御影の 思ほゆる哉
諒闇之年,觀池畔之花而詠
水面映花影 太液浮色鮮且艷 君貌美如花 見得此景憶君顏 對此如何不垂淚
小野篁朝臣 845
0846 深草帝御國忌の日、詠める
草深き 霞谷に 影隱し 照日の暮れし 今日にやはあらぬ
深草帝仁明天皇御國忌之日所詠
草深霞谷間 蒼生哀痛不自己 時在今日者 還願濃霞能蔽日 映照我心共慟哀
文屋康秀 846
0847 深草帝御時に、藏人頭にて夜晝馴れ仕奉けるを、諒闇に成りにければ、更に世にも混じらずして比叡山に登りて頭卸してけり。其又年、皆人御服脫ぎて、或は冠賜はり等、悅びけるを聞きて詠める
皆人は 花衣に 成ぬなり 苔の袂よ 乾きだにせよ
深草帝仁明天皇御世,忝為藏人頭,日夜侍奉近側。至於先帝諒闇,不復欲交混世間,遂登比叡山落飾。翌年,人人除喪服,或人受冠晉位,祝禮悅樂。聞此狀而詠。
眾人皆除喪 褪去玄服換花衣 吾仍著僧服 不欲卸下此苔袂 唯願濕襟有乾時
僧正偏昭 847
0848 河原大臣の身罷りての秋、彼家の邊を罷りけるに、紅葉の色未だ深くもならざりけるを見て、詠みて入れたりける
打付けに 寂しくもあるか 紅葉も 主無き宿は 色無かりけり
河原左大臣源融薨之秋,通彼家傍,見紅葉之色未深而詠歌贈呈
主人渡彼世 一時寂寥陷哀愁 人著玄喪服 無主之宿無艷色 紅葉亦悲色不深
近院右大臣源能有 848
0849 藤原高經朝臣の身罷りての又年の夏、郭公の鳴きけるを聞きて詠める
郭公 今朝鳴聲に 愕けば 君を別れし 時にぞありける
藤原高經朝臣喪之翌年夏,聞郭公鳴聲而詠
郭公不如歸 今朝愕寤彼鳴啼 驚覺時飛逝 哀嘆今日是何日 去年與君死別時
紀貫之 849
0850 櫻を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、彼植ゑける人身罷りにければ、其花を見て詠める
花よりも 人こそ徒に 成にけれ 何れを先に 戀むとか見し
有植櫻之庭,然待其花咲之時,植彼之人既喪。見其花而詠
以為花無常 豈知人更徒虛渺 較人與花者 孰先轉俄他界去 令人徒慕空傷感
紀茂行 850
0851 主身罷りにける人の家の梅花を見て詠める
色も香も 昔の濃さに 匂へども 植ゑけむ人の 影ぞ戀しき
見喪主人家之梅花而詠
梅花色與香 皆如往昔濃不變 見聞其如昔 彌憶手植花故人 慕彼姿形更追偲
紀貫之 851
0852 河原左大臣身罷りての後、彼家に罷りてありけるに、鹽竈と云ふ所の態を作れりけるを見て詠める
君坐さで 煙絕えにし 鹽竈の 浦寂しくも 見え渡る哉
河原左大臣薨後,參罷彼家之時,見庭中仿鹽竈浦造景而詠
君既不復在 鹽竈浦燒亦煙絕 如浦猶方寸 見渡此景心悽涼 一片繆寂引傷悲
紀貫之 852
0853 藤原利基朝臣の右近中將にて住侍りける曹司の、身罷りて後、人も住まず成にけるを、秋夜更けて物寄り詣きける遂でに見入れければ、元有し前栽も甚繁く荒れたりけるを見て、早く其に侍りければ、昔を思遣りて詠みける
君が植ゑ しひと叢芒 蟲音の 繁き野邊とも 成にける哉
藤原利基朝臣任右近中將時所住曹司,在彼薨後。無人住居。秋夜更時,罷詣其處而遂觀庭間,見元有前栽甚繁荒蕪,顧思昔日曾侍其人,憶往而詠
君之所手植 昔日叢芒者繁生 蟲聲頻頻鳴 庭既荒蕪若野邊 蔓草蟲囂亂心緒
御春有助 853
0854 惟喬親王の:「父の侍りけむ時に詠めりけむ歌供。」と請ひければ、書きて送りける奧に、詠みて書けりける
如ならば 言葉さへも 消えななむ 見れば淚の 激增りけり
惟喬親王請曰:「冀供父皇御時所詠歌等者。」時,書寫奧篇之所抄詠者
若可同在亡 寧願和歌與彼身 一同消逝去 每見所遺言葉者 徒催傷感增淚激
紀友則 854
0855 題知らず
亡き人の 屋戶に通はば 郭公 掛けて音にのみ 鳴くと告げなむ
題不知
行來幽顯世 得通故人屋戶者 郭公霍公鳥 願傳吾心掛念彼 哀鳴啼血無異汝
佚名 855
0856 題知らず
誰見よと 花咲けるらむ 白雲の 立つ野と早く 成にし物を
題不知
欲為誰所見 庭間花咲無人問 主人不復在 唯有白雲天上過 昔庭既已成荒野
佚名 856
0857 式部卿親王、閑院五御子に住渡りけるを、幾許もあらで女御子の身罷りにける時に、彼御子の住みける帳帷子の紐に文を結付けたりけるを取りて見れば、昔の手にて此歌をなむ書付けたりける
數數に 我を忘れぬ 物為らば 山霞を 憐れとは見よ
式部卿敦慶親王,與閑院第五皇女相通,時未幾許,黃女薨逝之時,見其所居帳帷子紐上,結付遺言,取而覽之,則其字跡一如往昔,記此歌於上
數憶如家珍 汝若不忘我倆情 見得山霞者 冀憐愛兮遠眺翫 此是吾身火葬煙
均子內親王 857
0858 男の、人の國に罷れりける間に、女、俄に病をしていと弱く成にける時、詠置きて身罷りにける
聲をだに 聞かで別るる 魂よりも 亡き床に寢む 君ぞ悲しき
男子罷他人之國時,妻俄患病,疾篤之時,詠置而喪
縱雖不得會 願得聞聲道相離 較我將亡魂 君後歸都無人伴 徒見空床更可悲
佚名 858
0859 病に煩侍りける秋、心地の賴もしげ無く覺えければ、詠みて人の元に遣はしける
紅葉を 風に任せて 見るよりも 儚き物は 命也けり
患病之秋,自覺心地無依,詠而致人之許
望見紅葉者 隨風飄散亂零落 每思其飄邈 豈知人命更虛無 旦夕且歿無所依
大江千里 859
0860 身罷りなむとて詠める
露を何ど 徒なる物と 思ひけむ 我が身も草に 置かぬ許りを
臨終所詠
吾思玉露者 何以虛無不久長 然今顧我身 年命亦如朝霧短 不得置草忽將逝
藤原惟幹 860
0861 病して弱く成にける時詠める
遂に行く 道とは豫て 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
病弱而詠
人之生在世 有朝終將往冥途 雖預知此道 怎料昨日今日間 此身猝然已啟行
在原業平朝臣 861
0862 甲斐國に相知りて侍りける人訪はむとて罷りけるを、道中にて俄に病をして、今今と成にければ、詠みて、「京に持て罷りて母に見せよ。」と言ひて、人に付け侍りける歌
假初の 行き甲斐道とぞ 思來し 今は限りの 門出也けり
欲訪相知之人而罷甲斐國,道中俄患病,旦夕且死之時,詠歌曰:「持返京師,令家母見之。」而遣人告母之歌
吾思此道者 一時假初往甲斐 啟知限今日 竟是死旅不歸途 此生最終門出矣
在原滋春 862
古今和歌集 卷十六 哀傷歌 終