古今和歌集 卷第九 羈旅歌
0406 唐土にて月を見て詠みける 【○百人一首0007。】
天原 振離け見れば 春日なる 三笠山に 出し月かも
此歌は、「昔、仲麿を唐土に物習はしに使はしたりけるに、數多の年を經て、え歸詣で來ざりけるを、此國より又使ひ罷致りけるに伴ひて、詣できなむとて出立けるに、明州と云ふ所の海邊にて、斯國の人餞しけり、夜に成て、月の愛面白さし出たりけるを見て詠める。」となむ語り傳ふる。
於唐土眺月而詠
久方高天原 翹首遙望思東天 於此所眺月 可與奈良春日間 三笠山出皎月同
此歌者,相傳:「囊昔,安倍仲麿遣唐為留學生時,歷經多年,而不得歸詣。我國又遣新使罷至,相約一同歸還,而出旅之時,彼國人設宴餞別於明洲海邊,遊樂至夜,見月出皎潔麗甚,眺而詠之。」
安倍仲麿 406
0407 隱岐國に流されける時に、舟に乘りて出立つとて、京なる人の許に遣はしける 【○百人一首0011。】
大海原 八十島驅けて 漕出でぬと 人には告げよ 海人釣舟
被流隱岐國時,乘舟啟程之際,詠贈留京之人之許
綿津大海原 航往八十千千島 漕楫出滄海 還請海人釣舟上 白水郎兒告家人
小野篁朝臣 407
0408 題知らず
都出て 今日三日の原 泉河 河風寒し 衣貸せ山
題不知
離都既三日 今日見兮在瓶原 木津川泉河 川風冷冽沁骨寒 還望鹿背山貸衫
佚名 408
0409 題知らず
仄仄と 明石浦の 朝霧に 島隱れ行く 舟をしぞ思ふ
此歌は、或人曰く、柿本人麿が歌也。
題不知
仄仄天將曙 明石浦兮霧瀰漫 朝霧靄羇旅 舟隱島蔭霧朦朦 吾眺孤舟心萬緒
佚名 409
0410 東方へ、友とする人一人二人誘ひて行きけり。三河國八橋と云ふ所に至りけるに、其河畔に、杜若愛面白く咲けりけるを見て、木陰に折居て、「かきつばた。」と云ふ五文字を句の頭に据ゑて、旅心を詠まむとて詠める
唐衣 著つつ萎れにし 褄しあれば 遙遙來ぬる 旅をしぞ思ふ
受好友一二人邀,出向東方。至三河國八橋之處,見其河畔,杜若花開甚麗。遂折居木蔭,題「かきつばた。」五字於句首,欲訟旅情而詠
華美兮唐衣 久著褄萎張衣晾 親親吾愛妻 吾人遠行旅他鄉 留汝空閨吾心悲
在原業平朝臣 410
0411 武藏國と下總國との中にある、隅田河畔に至りて、都の愛戀しう覺えければ、暫し川畔に折居て、「思遣れば、限無く遠くも來にける哉。」と思侘びて眺め居るに、渡守、「速舟に乘れ。日暮れぬ。」と言ひければ、舟に乘りて渡らむとするに、皆人物侘びしくて、京に思ふ人無くしも有らず、去る折に、白鳥の嘴と足と赤き、川畔に遊びけり。京には見えぬ鳥也ければ、皆人見知らず。渡守に、「此れは何鳥ぞ?」と問ひければ、「此れなむ都鳥。」と言ひけるを聞きて詠める
名にし負はば 去來言問はむ 都鳥 我が思ふ人は 有や無しやと
至武藏、下總二國間隅田河畔,忽慕京都,暫且折居川畔,侘思:「顧有所思,竟至如此遍遠之地哉。」而遠眺之時,渡守曰:「請速乘舟,日將暮矣。」而將乘渡之際,人人皆感惆悵,莫無不思慕京都者。去時,一白鳥來,其嘴、足皆赤,逍遙川畔。是于京所未嘗見之鳥也。人人皆不知其名。問渡守曰:「是何鳥耶?。」聞渡守答曰:「此是都鳥矣。」而詠
汝鳥負都名 去來有言與香問 都鳥也都鳥 留置都中我思人 今無恙待吾歸乎
在原業平朝臣 411
0412 題知らず
北へ行く 雁ぞ鳴くなる 連れて來し 數は足らでぞ 歸るべらなる
此歌は、或人、「男女諸共に人の國へ罷りけり。男罷至りて、輙ち身罷りにければ、女獨京へ歸りける道に、歸雁の鳴きけるを聞きて詠める。」となむ云ふ。
題不知
春來飛歸北 翱翔飛雁發啼鳴 其聲聞悽悽 可是相較來時伴 所歸數闕不足初
此歌者,或人曰:「有男女相伴而罷他人之國。罷至之時,男子倏然亡身異地,女遂孤身歸京。於其歸途,聞歸雁啼聲而詠。」
佚名 412
0413 東方より京へ詣くとて、道にて詠める
山懸くす 春霞ぞ 恨めしき 何れ都の 境なるらむ
由東詣京,於途而詠
瀰漫懸山上 春霞隱山礙人目 恨欲呈苦言 汝漫山間亂歸途 孰知何方是都境
乙 413
0414 越國へ罷りける時、白山を見て詠める
消えはつる 時し無ければ 越路なる 白山の名は 雪にぞありける
罷越國時,見白山而詠
其山何為名 今見不消萬年雪 北陸越途上 頓悟越國白山名 因其永劫皓雪來
凡河內躬恒 414
0415 東へ罷りける時、道にて詠める
絲に縒る 物なら無くに 別れ路の 心細くも 思ほゆる哉
罷東國時,詠於途中
此道非絲織 雖非細絲所紡成 何以離別路 令人感細如是者 心細難堪懼離情
紀貫之 415
0416 甲斐國へ罷りける時、道にて詠める
夜を寒み 置く初霜を 払ひつつ 草枕に 數多度寢ぬ
罷甲斐國時,詠於途中
晚秋夜嚴寒 冷冽沁骨置秋霜 手払去霜寒 枕路徬草枕以為眠 數多幾夜寢寒嚴
凡河內躬恒 416
0417 但馬國の湯へ罷りける時に、二見浦と云ふ所に留りて、夕去りの乾飯食べけるに、共に在ける人人の歌詠みける遂でに詠める
夕月夜 覺束無きを 玉匣 二見浦は 曙てこそ見め
罷但馬國溫湯時,留滯二見浦,行夕饗乾飯時,同行郎等詠歌而遂詠
夕月夜朦朧 天闇雖眺形未晰 瑰麗寶玉匣 二見浦猶寶箱蓋 非待曙開難瞥見
藤原兼輔 417
0418 惟喬親王の供に、狩に罷りける時に、天河と云ふ所の川畔に降居て、酒等飲みける遂でに、親王の言ひけらく、「狩して天河原に至ると云ふ心を詠みて、盃はさせ。」と言ひければ詠める
狩暮し 織女に 宿借らむ 天河原に 我は來にけり
伴惟喬親王出狩之時,降居天河川畔,而飲酒餚。親王遂言吾曰:「詠爾狩至天河原之情,吾為之注盃。」而詠
狩獵竟終日 夕日既暮當何宿 借宿於織女 吾人今宵所臨到 是乃銀河天川原
在原業平朝臣 418
0419 親王、此歌を返す返す詠みつつ返し得せず成にければ、供もに侍りて詠める
一歲に 一度來ます 君待てば 宿貸す人も 有らじとぞ思ふ
親王反覆吟詠業平之歌,而不得返歌。吾為侍供而詠
織女一歲間 苦待一年一度逢 衷既有良人 吾思彼外他人來 豈得借宿過一宵
紀有常 419
0420 朱雀院の奈良に坐しましたりける時に、手向山にて詠みける 【○百人一首0024。】
此旅は 幣も取合へず 手向山 紅葉の錦 神の隨に
朱雀院宇多上皇幸奈良之時,於手向山所詠
此旅行急促 未得備妥獻御幣 此是手向山 當以紅葉零似錦 奉神隨意納誠情
菅原朝臣【菅原道真】 420
0421 朱雀院の奈良に坐しましたりける時に、手向山にて詠みける
手向には 綴りの袖も 切るべきに 紅葉に飽ける 神や返さむ
朱雀院宇多上皇幸奈良之時,於手向山所詠
若需奉物者 吾當以綴袖獻乎 縱切吾敝衣 明神已飽美楓紅 豈受吾人陋賤禮
素性法師 421
古今和歌集 卷九 羈旅歌 終