古今和歌集 卷第三 夏歌
0135 題知らず
我が屋戶の 池の藤波 咲きにけり 山郭公 何時か來鳴かむ
此歌、或人曰く:「柿本人麿が也。」
題不知
吾宿庭園間 池畔藤花盛如浪 花開幾繽紛 不如歸兮山郭公 何時汝方將來鳴
佚名 135
0136 卯月に咲ける櫻を見て詠める
憐れてふ 言を數多に 遣らじとや 春に遲れて 獨咲くらむ
卯月間,見遲櫻獨咲而詠
可人憐惜愛 不予百花唯褒汝 時已至初夏 晚櫻遲春孤枝咲 獨佔眾人翫花情
紀利貞 136
0137 題知らず
皐月待つ 山郭公 撃ち羽振き 今も鳴かなむ 去年の古聲
題不知
郭公待五月 皐月時節山郭公 冀汝今搏羽 展翼振翅啼高鳴 一如去年古馴聲
佚名 137
0138 題知らず
五月來ば 鳴きも古りなむ 郭公 未だしき程の 聲を聞かばや
題不知
時至皐月者 郭公啼鳴不復珍 郭公也郭公 可汝初鳴時節前 令人驚喜相聞乎
伊勢 138
0139 題知らず
皐月待つ 花橘の 香を嗅げば 昔人の 袖の香ぞする
題不知
花橘待五月 皐月一至橘花咲 嗅其花香者 發思故人昔袖香 懷舊之情不能止
佚名 139
0140 題知らず
何時の間に 皐月來ぬらむ 足引きの 山郭公 今ぞ鳴くなる
題不知
何時之間春已過 夏日皐月矣來兮 豎耳傾聽者 足引險峻山間者 時鳥杜鵑今鳴啼
佚名 140
0141 題知らず
今朝來鳴き 今だ旅なる 郭公 花橘に 宿は借らなむ
題不知
今朝初來鳴 汝自山中來村里 郭公羇旅者 吾家花橘可借宿 旅中不妨駐一時
佚名 141
0142 音羽山を越えける時に、郭公の鳴くを聞きて詠める
音羽山 今朝越え來れば 郭公 梢遙かに 今ぞ鳴くなる
越音羽山時,聞郭公啼鳴而詠
逢坂山之南 今朝來越音羽山 其時逢郭公 立諸梢遙發啼鳴 羇旅幽情發方寸
紀友則 142
0143 郭公の初めて鳴きけるを聞きて詠める
郭公 初聲聞けば 味氣無く 主定まらぬ 戀せらるはた
聞郭公初啼而詠
不如歸去矣 既聞郭公初啼聲 無由盛思情 所念之人雖無定 懷人之情不能止
素性法師 143
0144 奈良石上寺にて郭公の鳴くを詠める
石上 ふるき都の 時鳥 聲ばかりこそ 昔なりけれ
於奈良石上寺聞郭公啼鳴而詠
奈良石上寺 布留石上古都間 時鳥不如歸 鳴聲悽悽如往昔 萬物無常汝不移
素性法師 144
0145 題知らず
夏山に 鳴く郭公 心有らば 物思ふ我に 聲無きかせそ
題不知
夏日鳴山間 不如歸兮郭公啼 汝誠若有心 還勿哀鳴令我聞 每聞物哀情不止
佚名 145
0146 題知らず
郭公 鳴く聲聞けば 別れにし 故里さへぞ 戀しかりける
題不知
既聞郭公聲 顧人之情油然起 今憶別離時 非獨感念慕舊情 不覺興懷戀故里
佚名 146
0147 題知らず
時鳥 汝が鳴く里の 數多あれば 猶う止まれぬ 思ふ物から
題不知
時鳥不如歸 汝所啼里非獨一 其數多且繁 吾雖愛汝心生妒 不覺幽恨厭其聲
佚名 147
0148 題知らず
思ひ出る 常磐山の 時鳥 韓紅の 振り出でてぞ鳴く
題不知
每憶昔戀時 猶若常磐山時鳥 嘴上韓紅染 嘔血悲鳴聲淒厲 撕聲瀝血慕故人
佚名 148
0149 題知らず
聲はして 淚は見えぬ 郭公 我が衣手の 漬つを借らなむ
題不知
郭公嘯哀鳴 其聲斷腸不見淚 時鳥不如歸 吾沾衣襟深情淚 可貸汝兮意如何
佚名 149
0150 題知らず
足引きの 山郭公 折り延へて 誰か勝ると 音をのみぞ鳴く
題不知
滯足人跡鮮 不如歸兮山郭公 哀鳴恆久遠 好似無人悲勝己 豈知我腸寸斷乎
佚名 150
0151 題知らず
今更に 山へ歸るな 郭公 聲の限りは 我宿に鳴け
題不知
時已至今日 請汝勿復歸山野 郭公既鳴啼 汝聲鳴囀未歇時 請留我宿啼庭中
佚名 151
0152 題知らず
やよや待て 山郭公 事傳む 我世中に 住み煩びぬとよ
題不知
還請暫待些 將歸山野山郭公 可為傳事歟 請告山間吾故友 我已厭住憂世間
三國町 152
0153 寬平御時后宮の歌合の歌
五月雨に 物思ひをれば 時鳥 夜深く鳴きて 何途行くらむ
寬平御時后宮歌合時歌
五月雨不斷 人陷物思感哀中 時鳥不如歸 杜鵑深夜嘯鳴啼 汝今將往何方去
紀友則 153
0154 寬平御時后宮の歌合の歌
夜や暗き 道や惑へる 時鳥 我宿をしも 過ぎがてに鳴く
寬平御時后宮歌合時歌
黑夜極昏暗 以故我今迷歸途 時鳥不如歸 郭公翔過吾宿上 如此啼兮道悲鳴
紀友則 154
0155 寬平御時后宮の歌合の歌
宿りせし 花橘も 枯れ無くに 何ど郭公 聲絕えぬらむ
寬平御時后宮歌合時歌
時鳥之所宿 吾庭花橘尚未枯 宿所當仍在 何以郭公聲既絕 不知已往何處去
大江千里 155
0156 寬平御時后宮の歌合の歌
夏夜の 臥すかとすれば 郭公 鳴く一聲に 明くる篠目
寬平御時后宮歌合時歌
夏夜不久長 稍欲休憩伏臥者 郭公不如歸 時鳥一啼道夜盡 東方篠目日已明
紀貫之 156
0157 寬平御時后宮の歌合の歌
暮るるかと 見れば明けぬる 夏夜を 飽かずとや鳴く 山郭公
寬平御時后宮歌合時歌
吾意日將暮 一見方知夜已明 夏夜驟且急 意未盡兮郭公啼 鳴泣山間惜夜短
壬生忠岑 157
0158 寬平御時后宮の歌合の歌
夏山に 戀しき人や 入りにけむ 聲振り立てて 鳴く郭公
寬平御時后宮歌合時歌
夏日深山中 戀人入山夏安居 寂寞不能勝 郭公振聲立且鳴 心慕戀人早來歸
紀秋岑 158
0159 題知らず
去年の夏 鳴振るしてし 時鳥 其れか有らぬか 聲の變らぬ
題不知
去年夏日間 鳴振此庭時鳥者 可與今同乎 今鳴吾宿時鳥聲 無異去年發感懷
佚名 159
0160 郭公の鳴くを聞きて詠める
五月雨の 空も轟に 郭公 何を憂しとか 夜只鳴くらむ
聞郭公啼鳴而詠
五月梅雨時 夜空轟轟神雷鳴 郭公不如歸 汝有何憂每哀啼 夜夜斷腸不止鳴
紀貫之 160
0161 侍所にて、殿上人の酒賜べけるに、召して:「郭公待つ歌詠め。」と有りければ詠める
郭公 聲も聞こえず 山彥は 外に鳴く音を 答へやはせぬ
於侍所,殿上人賜酒餚時,召曰:「詠待郭公。」而奉詠
今夜傾耳聞 不聞郭公鳴啼聲 山彥嶽精者 他處喧囂發鳴音 繞林響徹聲鼎沸
凡河內躬恒 161
0162 山に郭公の鳴きけるを聞きて詠める
時鳥 人待つ山に 鳴く成れば 我うちつけに 戀まさりけり
聞郭公鳴山中而詠
時鳥不如歸 苦待思人松山中 斷腸鳴哀啼 吾聞此聲一時間 慕人之情油然生
紀貫之 162
0163 早く住みける所にて、時鳥の鳴きけるを聞きて詠める
昔へや 今も戀しき 郭公 故里にしも 鳴きて來つらむ
於往昔居住之處,聞時鳥鳴啼而詠
昔日之事者 今憶故妻慕往時 郭攻不如歸 汝今聚諸故舊里 啼鳴翩翼歸來耶
壬生忠岑 163
0164 郭公の鳴きけるを聞きて詠める
郭公 我とは無しに 卯花の 憂世中に 鳴き渡るらむ
聞郭公鳴而詠
郭公不如歸 子非吾而知吾意 卯花盛開時 橫渡憂世大空中 哀啼鳴泣越天際
凡河內躬恒 164
0165 蓮の露を見て詠める
蓮葉の 濁りに染まぬ 心以て 何かは露を 玉と欺く
見蓮上玉露而詠
清新淨蓮葉 出自淤泥而不染 以其淨潔新 何以朝露混玉珠 欺人難辨幾晶瑩
僧正遍照 165
0166 月の面白かりける夜、曉方に詠める 【○百人一首0036。】
夏夜は 未だ宵ながら 明けぬるを 雲の何處に 月宿るらむ
明月高瞻夜,天曉之時而詠
夏夜也苦短 方覺夜至夜已盡 東方天將明 明月無暇沉西天 叢雲何處可蔽身
清原深養父 166
0167 鄰より、常夏の花を乞ひに起こせたりければ、惜しみて此歌を詠みて遣はしける
塵をだに 据ゑじとぞ思ふ 咲きしより 妹と我が寢る 常夏の花
鄰家乞請常夏之花,雖憐其花而不折,仍詠此歌以贈之
今見常夏花 思其塵埃不惹者 花咲發幽思 憶昔與妻共纏綿 寢床常夏花可怜
凡河內躬恒 167
0168 水無月の晦日詠める
夏と秋と 行交ふ空の 通ひ道は 片側涼しき 風や吹くらむ
詠水無六月晦
夏去初秋至 二季相交擦身過 大空通之道 唯有片側涼風吹 地上殘暑未止息
凡河內躬恒 168
古今和歌集 卷三 夏歌 終