金葉和歌集三奏本 卷第十
【雜下四十六首】 【連歌十一首】
雜歌
0594 公實卿隱侍て後、宇治家に罷りたりけるに、梅花盛りに咲きたりけるを見て、枝に結付侍ける歌 【○二度本0604。】
昔見し 主顏にて 梅枝の 花だに我に 物語為よ
藤原基俊
0595 返し 【○二度本0605。】
根に歸る 花姿の 戀しくば 唯此本を 形見とは見よ
中納言 藤原實行
0596 人人數多具して花見步きて後、風邪起りて臥したりけるに、人許より、何事かと尋ねて侍ければ言遣はしける 【○二度本0606。】
櫻故 厭ひし風の 身に沁みて 花より先に 散りぬべき哉
平基綱
0597 後三條院隱御座しまして後、五月五日一品宮御帳に菖蒲葺かせ侍けるに、櫻の造花插されたるを見て詠める 【○二度本0705。】
菖蒲草 音をのみ掛くる 世中に 折違へたる 花櫻哉
藤原有佐朝臣
0598 北方亡侍りて後、天王寺に參侍けるに、道にて詠める 【○二度本0607。】
難波江の 葦稚根の 繁ければ 心も行かぬ 船出をぞする
六條右大臣 源顯房
0599 郁芳門院隱御座しましての又年秋、知信許遣はしける 【○二度本0608。】
憂かりしに 秋は盡ぬと 思ひしを 今年も蟲の 音こそ泣かるれ
康資王母
0600 下臈に越えられ侍て歎ける頃、詠める 【○二度本0609。】
堰も堪へぬ 淚川は 速けれど 身憂草は 流れざりけり
源俊賴朝臣
0601 律師實源許に、女房の佛供養為むとて呼ばせ侍ければ、罷りたるに、手箱を布施にしたりけるを歸りて見れば、書きて入れたりける歌 【○二度本0610。】
玉匣 懸籠に塵も 据ゑざりし 雙親ながら 無き身とを知れ
佚名
0602 返し
今朝こそは 開けても見つれ 玉匣 蓋より身より 淚流して
律師實源
0603 大路に子を捨てて侍ける押含みに、書付て侍ける 【○二度本0611。】
身に勝る 物無かりけり 嬰兒は 遣らむ方無く 悲しけれども
佚名
0604 阿波守知綱に後れて侍ける頃、流されたりける人の許るされて歸りたりけるを聞きて詠める 【○二度本0612。】
流れても 逢瀨有けり 淚川 消えにし沫を 何に譬へむ
藤原知綱母
0605 心地例為らぬ頃、人許より如何等申ければ詠める 【○二度本0613。】
吳竹の 臥沈みぬる 露身も 問言葉に 起ぞ居らるる
佚名
0606 範永朝臣出家したりと聞きて、能登守にて侍ける頃、國より言遣はしける 【○二度本0614。】
餘所ながら 世を背きぬと 聞くからに 越路之空は 打時雨つつ
藤原通宗朝臣
0607 律師長濟身罷りて後、其扱ひをして有ける夜夢に見えける歌 【○二度本0615。】
垂乳女の 歎きを積みて 我が如是 思火下に 成るぞ悲しき
長濟律師
0608 顯仲卿、女に後れて嘆侍ける頃、程經て問ひに遣はすとて詠める 【○二度本0616。】
其夢を 問はば歎きや 勝るとて 驚かさでも 過ぎにける哉
大藏卿 大江匡房
0609 從三位藤原賢子例為らぬ事有りて、萬心細く覺えけるに、人許より如何等問ひて侍ける返事に言遣はしける 【○二度本0617。】
古は 月をのみこそ 眺めしか 今は日を待つ 我が身也けり
藤原賢子
0610 罷りて久しく成りにける母を夢に見て詠める 【○二度本0618。】
夢にのみ 昔人を 相見れば 覺むる程こそ 別也けれ
權僧正永緣
0611 人女の母物へ罷りたりける頃、重病をして隱れなむとしける時、書置きて罷りにける歌 【○二度本0619。】
露身の 消も果なば 夏草の 母如何にして 逢らむとすらむ
佚名
0612 小式部內侍亡せて後、上東門院より年頃賜はりける衣を、亡き後にも遣はしたりけるに、小式部內侍と書附けられたるを見て詠める 【○二度本0620。】
諸共に 苔下には 朽ちずして 埋まれぬ名を 聞くぞ悲しき
和泉式部
0613 親しき人に後れて、業事果て歸侍けるに詠める 【○二度本0621。】
今ぞ知る 思火果は 世中の 憂雲にのみ 混じる物とは
平忠盛朝臣
0614 陽明門院隱御坐しまして後、御業事果て又日、雲棚引きたるを見て詠める 【○二度本0622。】
定無き 世を浮雲ぞ 哀なる 賴みし君が 煙と思へば
藤原資陰
0615 白河女御隱給ひて後、彼家南面の藤花盛りに咲けるを見て詠める 【○二度本0623。】
草木迄 嘆きけりとも 見ゆる哉 松さへ藤の 衣著たれば
僧正行尊
0616 兼房朝臣重服に成りて籠居て侍けるに、出羽辨許より、「訪ひたりけるを返しせよ。」と申ければ詠める 【○二度本0624。】
悲しさの 其夕暮の 儘為らば 在經て人に 問はれましやは
橘元任
0617 範國朝臣に具して伊豫國に罷りたりけるに、正月より二三月迄如何にも荒雨降らざりければ、苗代萌えで騷ぎければ、萬に祈けれど叶はで絕えがたかりければ、守、「能因を歌詠みて一宮に參らせて祈れ。」と申ければ參りて詠める 【○二度本0625。】
天川 苗代水に 堰下せ 天下ります 神為らば神
神感有りて大雨降りて、三日三夜を止まざる由、家集に見えたり。
能因法師
0618 心經供養して、人人に其心を詠ませ侍ける序に 【○二度本0626。】
色も香も 虛しと說ける 法為れど 祈る驗は 有とこそ聞け
攝政左大臣 藤原忠通
0619 法文有けるを、里なる女房の、宮に申さずとも忍びて取りて遣せよ、と申たりけるを聞きて詠ませ給へる 【○二度本0627。】
見し儘に 我は悟を 得てしかば 知らせで取ると 知ざらめやは
三宮 輔仁親王
0620 月明かりける夜、瞻西聖人許、言遣はしける 【○二度本0628。】
潔き 空景色を 賴む哉 我惑はす莫 秋夜月
僧正行尊
0621 實範聖人、山寺に籠居ぬと聞きて遣はしける 【○二度本0629。】
心には 厭果つと 思ふらむ 哀何處も 同憂世を
靜嚴法師
0622 八月許に月明かりける夜、阿彌陀聖の通りけるを呼ばせてさ給ひて、里なりける女房許へ言遣しける 【○二度本0630。】
阿彌陀佛と 云ふなる聲に 夢覺めて 西へ流るる 月をこそ見れ
選子內親王
0623 法華經之心を詠める 【○二度本0631。】
教置きて 入りにし月の 微かり為ば 如何で心を 西に懸けまし
皇后宮肥後
0624 清海聖人、後生猶恐思ひて眠入りたるに枕上に僧立ちて詠掛けける歌 【○二度本0632。】
如此許 東風傳ふ風の 吹くを見て 塵疑を 興さず欲得
清海聖人
0625 普賢十願文に、願我臨欲命終時を 【○二度本0633。】
命をも 罪をも露に 譬へけり 消えば共にや 消えむとすらむ
覺樹法師
0626 弟子品之心を詠める 【○二度本0634。】
吹返す 鷲山風 無かり為ば 衣裏の 玉を見ましや
僧正靜圓
0627 提婆品之心を詠める 【○二度本0635。】
法為 荷ふ薪に 事寄せて 軈て此世を 懲りぞ果ぬる
瞻西上人
0628 【○承前。詠提婆品之趣。○二度本0636。】
今日ぞ知る 鷲高嶺に 照月を 谷川汲し 人影とは
皇后宮權大夫 源師時
0629 不輕品之心を詠める 【○二度本0638。】
逢難き 法を廣めし 聖こぞ 內見し人も 導かれけれ
覺雅法師
0630 涌出品之心を詠める 【○二度本0637。】
垂乳根は 黑髮ながら 如何為れば 此眉白き 絲と為りけむ
權僧正永緣
0631 藥王品之心を詠める 【○二度本0639。】
憂世をし 濟すと聞けば 海人小舟 法に心を 掛けぬ日ぞ無き
懷尋法師
0632 人許に經供養しけるに、五百弟子品之心を説きけるに、無價寶珠之喻說きけるを聞きて、尊とかりける由の歌詠みて、被物裏に結付けて侍けるを見て返しに詠める 【○二度本0640。】
如何にして 衣珠を 知りぬらむ 思ひも掛けぬ 人も在世に
權僧正永緣
0633 依他八喻を人人詠侍るに、此身如陽炎と言へる事を詠める 【○二度本0641。】
何時を何時と 思緩みて 陽炎の 陽炎ふ程の 世を過すらむ
懷尋法師
0634 常住心月輪と言へる事を詠める 【○二度本0642。】
世と共に 心中に 澄月を 在と知るこそ 晴るる也けれ
証成法師
0635 醍醐釋迦會に花散るを見て詠める 【○二度本0643。】
今日も猶 惜みやせまし 法為 散らす花ぞと 思ひなさずは
珍海法師母
0636 地獄繪に劔枝に人貫かれたるを見て詠める 【○二度本0644。】
淺ましや 劍枝の 撓迄 如何なる罪の 成れるなるらむ
和泉式部
0637 病して限に成りて惑ひければ、蔀下に入れて大路に置きたるに、草露足に障りける程に郭公鳴きければ、息下に詠める 【○二度本0645。】
草葉に 門出はしたり 郭公 死出山路も 如是や露けき
田口重如
0638 遂に落入りにける程に詠める 【○二度本0646。】
弛無く 心を懸くる 彌陀佛 人遣ならぬ 誓違ふ莫
田口重如
0639 屏風繪に、天王寺中門に見れば、僧船に乘りて西樣に漕離行く狀を描けるを見て詠める 【○二度本0647。】
阿彌陀佛と 唱ふる聲を 楫にてや 苦海を 漕離るらむ
源俊賴朝臣
連歌 十一首
0640 居たりける所の北方に、聲訛りたる人の物言ひけるを聞きて 【○二度本0648。】
東人の 聲こそ北に 聞ゆなれ
永成法師
陸奧により 越にやあるらむ
律師慶範
0641 桃園之花を見て 【○二度本0649。】
桃園の 桃花こそ 咲きにけれ
賴經法師
梅津之梅は 散りやしぬらむ
大江公資朝臣
0642 賀茂御社にて物搗音繁るを聞きて 【○二度本0650。】
注連之內に 杵音こそ 聞ゆなれ
神主 賀茂成助
如何なる神の 搗くにか有るらむ
大江行重
0643 宇治にて田中に老いたる男の臥たりけるを見て 【○二度本0651。】
春田に 鋤入りぬべき 翁哉
僧正源覺
彼水口に 水を入ればや
宇治入道前太政大臣 藤原賴通
0644 日入るを見て 【○二度本0652。】
日入るは 紅にこそ 似たりけれ
觀暹法師
茜射すとも 思ひける哉
平為成
0645 田中に馬立てるを見て 【○二度本0653。】
田に食む 駒は黑に ざりけり
永源法師
苗代水には 鹿毛と見えつれど
永成法師
0646 瓦屋を見て 【○二度本0654。】
瓦屋の 板葺にても 見ゆる哉
佚名
土榑してや 造始めけむ
助俊
0647 筑紫志賀島を見て 【○二度本0655。】
強面立てる 志賀島哉
平為助
弓張の 月入るにも 驚かで
源國忠
0648 宇治へ罷りける道にて、日頃雨降りければ水出て、賀茂川を男袴を脫ぎて手に提げて渡るを見て 【○二度本0656。】
賀茂川を 鶴脛にても 渡る哉
源賴綱朝臣
狩袴をば 惜と思ひて
藤原行綱
0649 鮎を見て 【○二度本0657。】
何に落ゆるを 鮎と云ふらむ
佚名
鵜舟には 取入れし物を 覺束無
大江匡房卿妹
0650 和泉式部が賀茂に參りたりけるに、藁沓に足を食はれて、紙を卷きたりけるを見て 【○二度本0658。】
千早振る 神をば足に 卷物か
神主 賀茂忠賴
茲をぞ下の 社とは云ふ
和泉式部