金葉和歌集三奏本 卷第一 春九十七首
0001 初春之心を詠める 【○拾遺集0004。】
吉野山 峯白雪 何時消えて 今朝は霞の 立變るらむ
源重之
0002 堀河院御時百首歌召しけるに、元日之心を仕奉れる 【○二度本0001。】
打靡き 春は來にけり 山河の 岩間冰 今日や解くらむ
修理大夫 藤原顯季
0003 天德四年內裏歌合に詠める
倉橋の 山峽より 春霞 年を積みてや 立渡るらむ
中納言 藤原朝忠
0004 【○承前。天德四年內裏歌合所詠。○詞花集0003。】
古里は 春めきにけり 御吉野の 御垣原を 霞籠めたり
平兼盛
0005 【○承前。天德四年內裏歌合所詠。○二度本0009。】
淺綠 霞める空の 景色にや 常磐山は 春を知るらむ
少將藤原公教母
0006 【○承前。天德四年內裏歌合所詠。○二度本0010。】
年每に 變らぬ物は 春霞 龍田山の 景色也けり
藤原顯輔朝臣
0007 正月朔に、雪降りけるを見て遣はしける 【○二度本0007。】
新玉の 年始に 降頻けば 初雪とこそ 云ふべかるらむ
修理大夫 藤原顯季
0008 返し 【○二度本0008。】
朝戶開けて 春梢の 雪見れば 初花ともや 云ふべかりけれ
春宮大夫 藤原公實
0009 春雪を詠める 【○詞花集0005。】
雪消えば 芹若菜も 摘むべきに 春さへ晴れぬ 深山邊里
曾禰好忠
0010 天德四年內裏歌合に詠める
冰だに 留らぬ春の 谷風に 未打解けぬ 鶯聲
源順
0011 【○承前。詠於天德四年內裏歌合。】
我宿に 鶯甚く 鳴くなるは 庭も斑に 花や散るらむ
平兼盛
0012 初鶯と云ふ事を詠める 【○二度本0013。】
今日よりや 梅之立枝に 鶯の 聲里馴るる 始めなるらむ
春宮大夫 藤原公實
0013 百首歌中に鶯之心を詠める 【○二度本0012。】
鶯の 鳴くに付けてや 真金吹く 吉備中山 春を知るらむ
修理大夫 藤原顯季
0014 睦月十日頃に春立ちけるに、鶯鳴を聞きて詠める 【○二度本0014。】
今日や然は 雪打解けて 鶯の 都へ出る 初音為るらむ
藤原顯輔朝臣
0015 天德四年內裏歌合に詠める
我宿の 梅枝に鳴く 鶯は 風便に 香をや留來し
中納言 藤原朝忠
0016 【○承前。詠於天德四年內裏歌合。】
白妙の 雪降止まぬ 梅枝に 今ぞ鶯 春と鳴くなる
平兼盛
0017 家柳に鶯鳴を聞きて詠める
我宿の 柳絲は 細くとも 繰る鶯の 絕えずも有らなむ
大納言藤原道綱母
0018 忍びて物へ罷りけるに、右大辨經賴家の梅盛りに咲きければ、門に終日に立息ひて、夕方侍立出て、如何なる人ぞと怪しげに思ひて尋ねければ、主に申せと思しげにて言掛けける歌 【○二度本0017。】
梅花 匂當りは 避きてこそ 急ぐ道をば 行くべかりけれ
良暹法師
0019 梅花夜薰と言ふ事を詠める 【○二度本0018。】
梅枝に 風や吹くらむ 春夜は 折らぬ袖さへ 匂ひぬる哉
前大宰大貳 藤原長房
0020 朱雀院に人人罷りて、閑庭梅花と言へる事を詠める 【○二度本0019】
今日此處に 見に來ざり為ば 梅花 獨や春の 風に散らまし
大納言 源經信
0021 梅花を詠める 【○二度本0021。】
限有りて 散りは果つとも 梅花 香をば梢に 殘せとぞ思ふ
源忠季
0022 【○承前。詠梅花。○二度本0020。】
散掛かる 影は見ゆれど 梅花 水には香こそ 移らざりけれ
藤原兼房朝臣
0023 鷹司殿賀屏風に、子日したる像描ける所を詠める 【○詞花集0007。】
萬代の 例に君が 引かるれば 子日松も 羨みや為む
赤染右衛門
0024 六條內裏にて、子日せさせ給ひけるに詠める
九重の 御垣原の 小松原 千世をば他の 物とやは見る
大納言 源經信
0025 子日之心を詠める 【○二度本0022。】
春日野の 子日之松は 引かでこそ 神古行かむ 蔭に隱れめ
大中臣公長朝臣
0026 百首歌中に子日之心を詠める 【○二度本0666。】
春霞 立隱せども 姫小松 引馬野邊に 我は來にけり
大藏卿 大江匡房
0027 子日之心を詠める
姬小松 多かる野邊に 子日して 千代を心に 任せつる哉
源道濟
0028 柳絲隨風と云ふ事を詠ませ給ひける 【○二度本0023。】
風吹けば 柳絲の 片寄りに 靡くに付けて 過ぐる春哉
白河院御製
0029 百首歌中に柳を詠める 【○二度本0024。】
朝夙 吹來る風に 任すれば 片縒りしける 青柳絲
春宮大夫 藤原公實
0030 池岸柳と云へる事を詠める 【○二度本0025。】
風吹けば 波綾織る 池水に 絲引添ふる 岸之青柳
源雅兼朝臣
0031 天德四年內裏歌合に詠める 【○詞花集0014。】
佐保姫の 絲染懸くる 青柳を 吹勿亂そ 春山風
平兼盛
0032 故鄉城柳を詠める 【○詞花集0016。】
故鄉の 御垣柳 遙遙と 誰が染掛けし 淺綠ぞも
源道濟
0033 呼子鳥を詠める 【○二度本0026。】
絲鹿山 來人も無き 夕暮に 心細くも 呼子鳥哉
前齋院尾張
0034 歸雁を詠める 【○二度本0028。】
今はとて 越路に歸る 雁音は 羽も弛くや 行掛かるらむ
藤原經通朝臣
0035 霞裏歸雁と言へる事を詠める 【○二度本0027。】
聲為ずば 如何で知らまし 春霞 隔つる空に 歸る雁音
藤原成通朝臣
0036 花薫風と云へる事を詠める 【○二度本0029。】
吉野山 峯櫻や 咲きぬらむ 麓里に 匂ふ春風
攝政左大臣 藤原忠通
0037 白河花見御幸に詠ませ給へる 【○二度本0030。】
尋ねつる 我をや春も 待ちつらむ 今ぞ爽に 匂增しける
新院御製 鳥羽院
0038 【○承前。於白河花見御幸所詠。○二度本0031。】
白川の 流久しき 宿為れば 花匂ひも 長閑けかりけり
太政大臣 源雅實
0039 人に代りて詠める 【○二度本0032。】
吹風も 花邊は 心為よ 今日をば常の 春とやは見る
大宰大貳 藤原長實
0040 【○承前。代人而詠。○二度本0034。】
年每に 咲添ふ宿の 櫻花 猶行末の 春ぞ懷しき
源雅兼朝臣
0041 宇治前太政大臣京極家御幸に詠ませ賜へる 【○二度本0035。】
春霞 立歸るべき 空ぞ無き 花匂に 心留りて
白河院御製
0042 遠山櫻と言へる事を詠める 【○二度本0036。】
白雲と 彼方高嶺の 見えつるは 心惑はす 櫻也けり
春宮大夫 藤原公實
0043 南殿之櫻を詠ませ賜へる
我宿の 櫻為れども 散る時は 心に得こそ 任せざりけれ
花山院御製
0044 內大臣、白河花見になむ罷ると言はせて侍ければ、遣はしける 【○詞花集0280。】
春來ぬ 所は無きを 白河の 渡にのみや 花は咲くらむ
小式部內侍
0045 宇治前太政大臣家歌合に詠める 【○二度本0050。】
山櫻 咲始めしより 久方の 雲居に見ゆる 瀧白絲
源俊賴朝臣
0046 新院御方にて花契遐年と言へる事を詠める 【○二度本0040。】
白雲に 紛ふ櫻の 梢にて 千歲之春を 空に知る哉
待賢門院中納言
0047 人人に櫻歌十首詠ませ侍けるに詠める 【○二度本0047。】
櫻花 咲きぬる時は 吉野山 立ちも登らぬ 峰白雲
修理大夫 藤原顯季
0048 山花留人と言へる事を詠める 【○二度本0048。】
斧柄は 木本にてや 朽ちなまし 春を限らぬ 櫻也為ば
大中臣公長朝臣
0049 修行に出させ賜ひける時、花元にて詠ませ賜へる 【○詞花集0276。】
木本を 住處とすれば 自から 花見人に 成りぬべき哉
花山院御製
0050 遙見山花と言へる事を詠める 【○二度本0051。】
初瀨山 雲居に花の 咲きぬれば 天川浪 立つかとぞ見る
大藏卿 大江匡房
0051 堀河院御時、中宮御方にて、風靜花香といへる事を詠める 【○二度本0059。】
梢には 吹くとも見えぬ 櫻花 薰るぞ風の 徵也ける
源俊賴
0052 同院御時、女御殿女房達數多具して花見けるに詠める 【○二度本0053。】
春每に 飽かぬ匂を 櫻花 如何なる風の 惜しまざるらむ
雖然每逢春 光彩華曜咲豔華 婀娜櫻花矣 縱令何等風拂落 豈有莫惜散華時
前齋宮筑前乳母
0053 人に代りて詠める 【○二度本0054。】
餘所にては 惜みに來つる 山櫻 折らでは得こそ 歸るまじけれ
僧正行尊
0054 後冷泉院御時皇后宮歌合に、櫻を詠める 【○二度本0055。】
春雨に 濡れて尋ねむ 山櫻 雲返しの 嵐もぞ吹く
堀河右大臣 藤原賴宗
0055 月前見花と云へる事を詠める 【○二度本0056。】
月影に 花見る夜半の 浮雲は 風辛さに 劣らざりけり
大藏卿 大江匡房
0056 水上落花を詠める 【○二度本0057。】
花誘ふ 嵐や峯を 渡るらむ 櫻浪寄る 谷川水
源雅兼朝臣
0057 山花を尋ねに罷りて、歸途に人人手每に折りて歸るを 【○詞花集0031。】
櫻花 手每に折りて 歸るをば 春行くとや 人は見るらむ
藤原登平
0058 奈良八重櫻を內にもて參りたるを、上預覽じて歌と仰事有りければ、仕奉れる 【○詞花集0029。○百人一首0061。】
古の 奈良京の 八重櫻 今日九重に 匂ひぬる哉
曩古奈良都 平城京中八重櫻 故其昔盛日 還願今日化九重 綻放內裏絢繽紛
伊勢大輔
0059 落花滿庭と言へる事を詠める 【○二度本0058。】
今朝見れば 夜半嵐に 散果てて 庭こそ花の 盛也けれ
左兵衛督 藤原實能
0060 源顯仲八條にて、人人十首歌詠みけるに花之心を詠める
己且つ 散るを行きとや 思ふらむ 身白頃も 花も著てけり
源俊賴朝臣
0061 落花之心を詠める 【○二度本0060。】
春每に 同櫻の 花為れば 惜しむ心も 變らざりけり
藤原長實卿母
0062 水上落花とと言へる心を詠める 【○二度本0062。】
水上に 花や散るらむ 山川の 堰杭に甚ど 掛かる白浪
大納言 源經信
0063 落花散衣と言へる事を詠める 【○二度本0064。】
散掛かる 景色は雪の 心地して 花には袖の 濡れぬ也けり
藤原永實
0064 堀河院御時、花散りたるを搔集めて、大きなる物蓋に山形に積ませ給ひて、中宮御方に奉らせ給へりけるを、宮御覽じて歌詠めと仰事有りければ仕奉れる 【○二度本0065。】
櫻花 雲掛かる迄 搔集て 吉野山と 今日は見哉
御匣殿
0065 花庭に散積りたるを見て詠める 【○二度本0066。】
庭花 本梢に 吹返せ 散らすのみやは 心為るべき
郁芳門院安藝
0066 天德四年內裏歌合に詠める 【○詞花集0036。】
櫻花 風にし散らぬ 物為らば 思ふ事無き 春にぞ在らまし
大中臣能宣
0067 白河花見に罷りたりけるに、散るを見て詠める 【○詞花集0042。】
身に換へて 惜むに止る 花是らば 今日や我身の 限ならまし
源俊賴朝臣
0068 夜思落花と言ふ事を詠める 【○二度本0067。】
衣手に 晝は散積む 櫻花 夜は心に 掛かる也けり
隆源法師
0069 春、物へ罷りけるに、山田造りけるを見て詠める 【○二度本0068。】
櫻咲く 山田を造る 賤男は 返す返すや 花を見るらむ
高階經成朝臣
0070 花散るを見て詠める
櫻花 再見む事も 定無き 年齡ぞ風よ 心して吹け
藤原隆賴
0071 後冷泉院御時、月明かりける夜、女房等を具して南殿に渡らせ給ひたりけるに、庭花且散りて面白かりけるを御覽じて、「是を見知りたらむ人に見せばや。」と仰言有りて中宮御方に下野や有らむとて、召しに遣はしたりければ、參りたるを、「あの花折りて參れ。」と仰言有りければ、折りて參りたるを、「唯にては如何?」と宣旨有りければ詠侍ける 【○二度本0069。】
長夜の 月光の 無かり為ば 雲居花を 如何で折らまし
下野
0072 新院北面にて殘花薰風と言へる事を詠める 【○二度本0070。】
散果てぬ 花邊を 知らすれば 厭ひし風ぞ 今日は嬉しき
權中納言 源雅定
0073 百首歌中に杜若を詠める 【○二度本0072。】
東路の 可保夜沼の 杜若 春を込めても 咲きにける哉
修理大夫 藤原顯季
0074 三月三日、桃花を見て詠める
山賤の 園生に立てる 桃花 空ける莫玆を 植ゑて見けるも
源經信卿母
0075 春田を詠める 【○二度本0073。】
荒小田に 細谷川を 任すれば 引く注連繩に 漏りつつぞ行く
大納言 源經信
0076 苗代を詠める 【○二度本0074。】
鴫居る 野澤小田を 打返し 種蒔きてけり 注連延へて見ゆ
津守國基
0077 後冷泉院御時、弘徽殿女御歌合に詠める 【○二度本0075。】
山里の 外面小田の 苗代に 岩間水を 堰かぬ日ぞ無き
藤原隆資
0078 寬和二年、華山院歌合に詠める 【○詞花集0045。】
一重だに 厭かぬ心を 甚しく 八重重なれる 山吹花
藤原長能
0079 【○承前。寬和二年、詠於華山院歌合。】
蛙鳴く 井手渡に 駒並べて 行くてにも見む 山吹花
藤原惟成
0080 水邊款冬を詠める 【○二度本0077。】
限有りて 散るだに惜しき 山吹を 甚く莫折りそ 井手川浪
攝政左大臣 藤原忠通
0081 天德四年麗景殿女御歌合に詠める 【○詞花集0046。】
八重咲ける 峽こそ無けれ 山吹の 散らば一重も 有らじと思へば
佚名
0082 宇治入道前太政大臣許より、斯かる八重山吹は見たりや、と書かれたりけるを見て遣はしける 【○詞花集0281。】
誰か此 數は定めし 我は唯 十重とぞ思ふ 山吹花
大納言藤原道綱母
0083 晚見躑躅と云へる事を詠める 【○二度本0080。】
入日射す 晚紅の 色見えて 山下照す 岩躑躅哉
攝政左大臣家參河
0084 屏風繪に、人家に藤花咲きたる所を見て詠める 【○拾遺集1069。】
紫の 雲とぞ見ゆる 藤花 如何なる宿の 兆為るらむ
大納言 藤原公任
0085 院北面にて橋上藤花と言へる事を詠める 【○二度本0081。】
色變へぬ 松に寄へて 東道の 常磐橋に 掛かる藤浪
大夫典侍
0086 房藤盛成りけるを見て詠める 【○二度本0083。】
來人も 無き我宿の 藤花 誰を待つとて 咲掛かるらむ
權律師增覺
0087 紫藤隱松と言へる事を 【○二度本0084。】
松風の 音せざりせば 藤浪を 何に掛かれる 花と知らまし
良暹法師
0088 二條關白家に池邊藤花と言へる事を 【○二度本0085。】
池に浸つ 松之延枝に 紫の 浪織掛くる 藤咲きにけり
大納言 源經信
0089 百首歌中に藤花を詠める 【○二度本0086。】
住吉の 松に掛かれる 藤花 風便に 浪や織るらむ
修理大夫 藤原顯季
0090 雨中藤花と言へる事を詠める 【○二度本0087。】
濡るるさへ 嬉しかりけり 春雨に 色增す藤の 雫と思へば
神祇伯 源顯仲
0091 三月晦之心を詠める 【○二度本0089。】
春來る 道に來迎へ 子規 語らふ聲に 立ちや止ると
僧都證觀
0092 【○承前。詠三月晦之情。○二度本0090。】
殘無く 暮ぬる春を 惜む間に 心をさへに 盡しつる哉
源雅兼朝臣
0093 三月晦に戀心を寄せて詠める 【○二度本0091。】
春は惜し 人は今宵と 賴むれば 思煩ふ 今日暮哉
內大臣 源有仁
0094 三月盡之心を詠める 【○千載集0127。】
幾返り 今日に我身の 逢ひぬらむ 惜むは春の 過ぐるのみかは
藤原定成朝臣
0095 天德四年內裏歌合に暮春之心を詠める
花だにも 散らで別るる 春為らば 甚如是今日を 惜しまざらまし
中納言 藤原朝忠
0096 攝政左大臣家にて、三月晦之心を詠侍ける 【○二度本0092。】
歸る春 卯月忌に 閉籠めて 暫し御阿禮の 程迄も見む
源俊賴朝臣